目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-01-17#1Time and Eternithy

2009-01-17 03:42:16 | Chapter 15
20009年1月17日 ©NWFFACIM

ページ位置の確認。
Sparkly Book   352ページの第二文節。
Second Edition(Amazonなどから入手できる一般的な版、Foundation for Inner Peace出版)   305ページの第四文節13行目。
First Edition   284ページの第二文節14行目。
JCIM (Jesus' Course in Miracles) 148ページの第二文節
CIMS版   295ページの第二十文節。

今晩は。ようこそ。  
少し瞑想しましょう。

今週は先週ほど厳しい話にはならないでしょう。でも貴方が目覚められるよう、私は促し続けます。

貴方はこういう疑問を持っているかもしれません。どうすれば、ラジ(イエス)が「貴方の持って生まれた権利」(Birthright)と呼ぶ行為が出来るだろう。 どうすれば、私がするべき役割が果たせるだろうか?

毎晩寝る前に、こう自分に尋ねて下さい、「今日、関わりを持った人達の誰を、私は祝福しただろうか?」
もう少しハッキリさせましょうか? 「今日私と会った人の誰が、何人の人が、私の祝福を感じられただろう。」

その時、自分で祝福の内容を定義してはいけません。 例えば、「彼は祝福を感じたに違いない、あれだけ素晴らしいことが起こったのだから」と。 違います。貴方が考える祝福ではなく、その人が感じた祝福が問題なのです。
貴方が自分に聞くべき事は、「今日貴方と会った人の内、誰が、何人の人が、貴方の祝福を感じられただろう?」です。

この質問を毎晩して、その答えを真摯に聞こうとすれば、貴方の意識を、それがあるべき場所へ移すことになります。 貴方の意識を置くべき場所とは、目覚めが起こる場所、即ち「聖なる瞬間」を引き起こす熱意のことです。

貴方は、一人きりでは天国(神の園)に入ることが出来ません。 貴方は思考を使って天国へ入る事は出来ないのです。
貴方は、兄弟(姉妹)との関わり合いの結果、天国へ入るのです。 どんな関わり合いでも、良い訳ではありません。 喧嘩や、言い争いでは駄目です。

この関わり合いとは、貴方の最善のものを兄弟に差し出す事です。 神が言わせたことを貴方が言い、神がやらせた事を貴方が行った時、それが起こります。 貴方が、もはや一人でいる事に価値を見出さず、愛が本当に存在することを彼(彼女)に確信させる祝福を(行為を)行うことです。

愛が本当に宇宙に存在し、その愛が彼方にあるのではなく、すぐ傍にあると彼に、彼女に知らせる行為です。
貴方は自分を博愛者と考えていますか? 自分の事を、博愛者、博愛主義者と考えている人は多くないかもしれません。 博愛主義者とは、お金持ちで、他者の利益を考えられる地位にいる人のことだと貴方は考えているかもしれません。
十分な資産を持っていないと考えている人は、自分の事を博愛主義者とは考えないかもしれません。そして、自分の兄弟の事を気に掛けていないかもしれません。彼や彼女の為に出来る事を、貴方はいつも探しているわけではないかもしれません。

彼らの必要を満たすことが出来ると、貴方は考えていないかもしれません。
博愛主義とは、いい加減に出来る事ではありません。 人は限られた時だけ博愛主義者になる訳ではありません。博愛主義者とは、その行為に自分を捧げた人のことです。 つまり、兄弟姉妹のことを常に考えている人のことです。彼らの生活がより良くなるよう行動する人の事です。

貴方がお金持ちでなくても、貴方の兄弟姉妹を助け、彼らの為になるギフトを送ることの障害にはなりません。4:48:4

自分が恵まれていると、あるいは恵まれていないと考えているにしろ、貴方は聖なる役割を担っています。その役割とは、貴方の兄弟の目を見て神を思い出すことです。 兄弟を見て、彼自身の自己定義や貴方の思い込みを、そこに再現する事ではありません。兄弟の目を見て、そこに神を見い出すことです。それが博愛主義者に成るという事です。 メンター(援助者)になる事と言っても良いでしょう。

貴方は、メンター(援助者)に成ったことがありますか? 
時間をかけて、感情をこめて、熱意を持って、他者と係わり合うことが、メンターに成ると言うことです。 貴方の言葉、行動によって、その人が自分のことをポジティブに見ることができ、より自分らしくいられる自信がつくことです。
その人が、貴方との係わり合いに愛を感じ、貴方が自分の都合を押し付けてはいないと感じる事です。

貴方がたは、自分の都合を第一に考えるよう条件付けられてきました。自尊心、自己責任などの言葉がそれを表しています。もし、兄弟の弱みに付け込むことで、それが達成されると思ったなら、迷わず、そうなさるでしょう。 それはメンターになることとは違います、それは盗むと言うことです。それは道義がないと言う事です。

メンターは、欠乏していると思われるものを供給する人です、それを与える人です。無くなってしまったと思っていたものが、愛あるギフトによって回復しているのです。 兄弟の為にエネルギーを、時間を、感情を使うことでギフトがなされます。

「他人の面倒は見られません。まず自分の面倒を見なくては。今日中にやらなくてはならない事が山積みで、とても忙しくて、目が回りそうなんです。」
もし貴方の動機が、得ることから与えることへと変化すれば、やらなくては成らない事はかなり減るでしょう。

貴方は、博愛主義者として生きる為に生まれたのです、メンターになる為です。貴方は、自分の最良のものを兄弟姉妹に差し出す為に、この世にいるのです。貴方が差し出した自分の最良のものが、貴方の兄弟の最良のものを照らし出し、それで(兄弟の最良のものが)あらわになるのです。


先週の続きを読みましょう。
「貴方が精霊と共に(完全に)解き放った一人の証人から知らせを聞くまで、貴方は疑い続けるでしょう。 しかし、その証人の声を聞けば、貴方はもう迷う事はありません。」

次の箇所を呼んでもガッカリしないでください。これは、とても大切な箇所です。

〔貴方は、未だ聖なる瞬間を体験していません。しかし、貴方は絶対にそれを体験します。その時、それを間違いなく明確に理解します。〕 それが起こったなら、貴方の周りの全ての人がそれを知るでしょう。その知らせは、山火事のように広がるでしょう。15:13x1

〔貴方は、未だ聖なる瞬間を体験していません。しかし、貴方は絶対にそれを体験します。その時貴方は、それを間違いなく明確に理解します。他の人々もそれをハッキリと見るでしょう。神の贈り物は必ず、その様に理解されるのです。〕 つまり、貴方が体験するその事だけが神の贈り物(ギフト)なのです。

これは、知的な認識ではなく、直感的な体験です。 どんな体験でしょう? 貴方が生まれ変わる体験です。長いこと体験していなかった、貴方自身を体験することです。それはとてもクリアな体験です。それを体験すれば、貴方はもう疑念を持つ事は無いでしょう。

〔貴方は聖なる瞬間のメカニズムを(働きを)実施し、それを行うことで多くを学ぶことが出来ます。〕 聖なる瞬間とは何でしょう? 何時も言っているように、聖なる瞬間とは、貴方が神に譲ってYesと言った場所であり、貴方が神に譲ってYesと言った行為のことです。 「神にYesと言う」とは、貴方の注意を(意識を)神に注ぎ、神の声に耳を澄ませ、神の意思が貴方を満たし、それが貴方を通って兄弟への、姉妹への、世界への祝福として流れ出し続けることです。 それが、聖なる瞬間です。

〔貴方は、聖なる瞬間のメカニズムを実施することが出来ます。〕
これは、どういう意味でしょう?  貴方は世界で一番素晴らしい博愛主義者かもしれません。 貴方は世界一のメンターかもしれません。 それらの行為そのものは、聖なる瞬間の体験とは違います。 それでも、常に兄弟の面倒をみ続けることです。時間と熱意をかけて感情を込めて兄弟をケアーする(Care ~ 共感を持って注意し気遣う)事です。 たまに、気の向いたときだけ兄弟を助けるのではなく、それを常に行う意思が必要です。

それらの事から、貴方は学ぶでしょう。それにより、貴方の利己主義なパターンが破れ、(自己中心的世界の)その構造が弱まり、貴方の周りから崩れ去ります。そして聖なる瞬間の経験が可能になるのです。それが解るようになるのです。
もし、聖なる瞬間を体験したいなら、得ることから与えることに気持ちを切り替えなければいけません。 貴方はメンター(良き援助者)になる必要があります。

毎晩寝る前に、「今日私と会った人の誰が、何人の人が、私の祝福を感じられただろう?」と聞いて下さい。
毎晩、自分にその質問を問い続け、日々それを体現すべく努力し、そうする事を自分に誓って下さい。

人を祝福する機会は豊富にあるでしょう。貴方は毎日少なくとも一人の人と関係を持っているでしょう。

まず一人の人を祝福して下さい。二人、三人を祝福できたなら、とても素晴らしいです。 でも、まずは一人の人を祝福できるようになってください。 一人の人が祝福できたなら、貴方はすでに博愛主義者、メンターです。

1 コメント

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もっと削った文章 (訳者)
2009-05-10 04:45:14
貴方は、一人きりでは天国(神の園)に入ることが出来ません。 

貴方がお金持ちでなくても、兄弟姉妹を助け、ギフトを送ることの障害にはなりません。

メンターは、欠乏しているものを供給する人です、無くなってしまったと思っていたものがギフトによって回復しているのです。 兄弟の為にエネルギー/時間/感情を使えばギフトがなされます。

やっぱり、このくらい削りましょうか?

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