目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-01-17#2 Time and Eternity

2009-01-17 14:05:28 | Chapter 15
“You can practice the mechanics of the Holy Instant”
〔貴方は、聖なる瞬間のメカニズムを実施することが出来ます。〕

貴方は、正しい事をしたり、正しい考えを持ったり、愛を持って行動しているかもしれません。
しかし、貴方は愛に成る為に存在しています。貴方は愛そのものに成る為に生きているのです。愛とは突然起こるものです。 愛とは、コントロールを放棄し、自分を譲ったときに立ち現れるものです。 神である愛が、貴方として表れている神の表現が、制限無く貴方から流れ出て、兄弟を祝福するのです。それを予測したり、予定したりすることは不可能です。 その予測できないものが、貴方の兄弟に触れたとき、彼は真に祝福されたと感じるのです。
 
そして、貴方が寝る前に、「今日私と会った人の誰が、何人の人が、私の祝福を感じられただろう?」と自問したとき、0人ではなく、一人、あるいは二人、三人と言えるでしょう。

毎日、最低一回兄弟を祝福する意思を持たなければ、貴方は自分の役割を果たしていません。 貴方は、贖罪(Atonement)の条件を満たしてはいません。

その場合、貴方は目覚めを即す経験を選択していないのです。どれだけ、愛情深い(と自分が思っている)事をしていても、どれだけギフトを送ったとしても。  多くの人達がギフトを送っています。しかし多くの人達は、受け取る人にとって、何がギフトに値するか考えていません。

多くの場合この様にギフトが送られています。

「私はこれが好きです。私の友達にもこれが出来るようになって欲しい。彼らもこれが出来るようにギフトを贈りましょう。」

しかし、兄弟は、「これ」をする事に幸せは感じないかもしれません。 
そのギフトは、正しい行い、愛情の表現ではあったでしょう。 しかしそれでは、貴方の兄弟とは繋がりが出来ず、彼あるいは彼女はこう感じるだけでしょう。 

「彼は、私の事を何も知らない。私が誰か知らないみたいです。我々の間には繋がりが感じられません。」

つまりそれは博愛ではなく、貴方はメンターとして行動してはいなかったのです。
貴方は、必要とされているものを差し出すべきです。 祝福となるものを贈るべきなのです。

そして、差し出すべきものが何かは、「父よ、貴方が望むもので私を満たして下さい。私が成るべきもので私を満たして下さい。彼が(彼女)必要としているものが何か、私は解っているつもりですが、あえて貴方に尋ねます。父よ、貴方の完璧な表現と成れる様助けて下さい。私は自立と言う概念に殉じることにより引き起こされる、苦しみと不足の体験から目覚めたいのです。」と言って神に聞くまで解りません。

“You can practice the mechanics of the Holy Instant and will learn much from doing so. Yet its shining and glittering brilliance, which will literally blind You to this world”
〔貴方は聖なる瞬間のメカニズムを(働きを)実施し、それを行うことで多くを学ぶことが出来ます。その眩しく輝ける光のビジョンにさえぎられて、貴方はこの世が見えなくなってしまうでしょう。そのビジョンは貴方が作りえるものではありません。〕 

真実ではない幻想のこの世が見えなくなってしまう、のですか? いいえ、貴方が天国に当てはめている、概念や思い込みが見えなくなってしまうのです。 神が即ち天国で。 貴方は、天国として現れている神に対して、概念や定義を当てはめて、それを歪めて感知しているのです(歪めて見ているのです)。

〔その眩しく輝ける光のビジョンにさえぎられて、貴方は(自分で作り上げている)この世が見えなくなってしまうでしょう。そのビジョンは貴方が作りえるものではありません。〕 

〔その眩しく輝ける光のビジョンにさえぎられて、〕 その光は、精霊の聖なるバイタリティ(生命力)です。 〔貴方は(自分で作り上げている)この世が見えなくなってしまうでしょう。そのビジョンは貴方が作りえるものではありません。〕 そのビジョンは精霊がもたらすものです。それは、貴方が自分のビジョン(自分の想像、自分の予測)を放棄したときにもたらされます。

貴方がそれをもたらす事はできません。 貴方は自分個人で、そのビジョンを、もたらそうとしてきました。そして、失敗し続けているのです。

全ての物事の意味を決め続ける事を放棄して、贖罪の経験がえられるなら、貴方の正気へ戻って、罪、病、死、葛藤がない、神の園へ、天国へ戻れるなら、そうする価値があるはずです。

そうすることが、自分が持っていると信じているコントロールを放棄する事だとしても。それをすれば、自分の正気を危険に晒すのではないかと言う疑念を持っていたとしても、その価値があるはずです。

「天国の名において、何故それを放棄しないのですか?」
“You can practice the mechanics of the Holy Instant, and will learn much from doing so; Yet Its shining and glittering brilliance, Which will literally blind You to this world by Its own Vision, You cannot supply. And here It is! ALL in this Instant; complete, accomplished, and given wholly.”

〔貴方は聖なる瞬間のメカニズムを(働きを)実施し、それを行うことで多くを学ぶことが出来ます。その眩しく輝ける光のビジョンにさえぎられて、貴方はこの世が見えなくなってしまうでしょう。そのビジョンは貴方が作りえるものではありません。それは今ここにあります。全てが、この瞬間に。完璧に成し遂げられ、そのまま与えられているのです。〕 

それを自分で作る事は(定義することは)出来ません。 でも、その全部は、ここに今の瞬間存在しています。つまり、時間をかけて、その経験に値する何かをする必要はありません。貴方が完全に明け渡したとき、貴方が完全に自己主張(自己投射)を止めた時、その全てを絶った時、貴方が被って来た無知の代わりに、純粋なリアリティの経験がもたらされます。

もう一度言いましょう。いつでも、どの日、どの夜の、どの時間でも、貴方はそれを経験することが出来るのです。貴方が目覚める為に必要なものは、いつでも貴方の前にあります。

自分がしている事を真摯に止めた時、エゴを満たす為の行為を全て止めた時、そして貴方が「父よ」と呼びかけ、自分のプライバシー(自己定義の世界)から外に出たとき、想像上の分離から心を外したとき、リアリティの全てが貴方に与えられます。 

「父よ、この真実は何ですか?」「この時点における、私の兄弟の真実は何ですか?」 「私の兄弟は、彼が今経験している以上のものを得るべきです。彼は、自分に値する経験をする権利があります。」

「かれの前でどの様にふるまえばよいか、どの様にあれば彼の良きメンターになれるか、教えて下さい。聖なる瞬間をまだ経験していないので、私にはまだどうすれば良いか解りません。なので、聖なる瞬間を引き起こす努力は止めます。私は口を閉じて、静かになり、貴方に満たされましょう。それが、聖なる瞬間になるでしょう。」

「何故なら、私にとって、私の兄弟は、私より大切になったからです。」
私はまだ、コースもまだ、目覚めを促し続けていますね。 でも先週よりも幾分か穏やかな表現でしょう? 先週よりも、とっつき易いと良いのですが。

しかし、先週私が言った揺ぎ無い決意を持って、博愛主義者またはメンターになる必要があるのです。それは貴方の存在の基礎なのです。貴方は、意識的にそれに取り組んで下さい。そうする事が、罪、病、死、葛藤、苦しみを超越し、目覚める為の方法です。 それが、神の王国を実際に体験する為に必要な行為なのです。

“Start now to practice Your little part in separating out the Holy Instant. You will receive very specific instructions as You go along. To learn to separate out this single second, and begin to experience it as timeless, is to begin to experience Yourself, as not separate.”
〔今から、貴方のわずかな役割を果たして、聖なる瞬間を見分け始めなさい。それをするに従って、実際的な指示が出され続けるでしょう。その指示に従い、このわずかな刹那を見分けて、それを永遠として体験し始める事で、貴方は分離以外の自分を経験し始めます。〕

“Fear not that You will not be give help in this. God’s Teacher” – the Holy Spirit – That Which is nothing more than Your Right Mind – “and His lesson will support Your strength. “
〔それをする為の助けが得られないかもしれないと、恐れる必要はありません。 神の教師である精霊(つまり貴方の正気)と精霊のレッスンが貴方に力をもたらすでしょう。〕

この行いによって離れていくのは、貴方の弱さだけです。 これは、貴方の中の神の力の遂行です。

〔神の力の遂行〕とは、「父よ、貴方の視点を見せて下さい。貴方の心にかなうようにするには、私はどうしたら良いか、知らせてください。」と言って、神を呼び入れ、貴方を通して神を顕在させることです。

貴方の全ての真実を、つまり私の全ての真実を、私に見せて下さい。 私の真実を表さない表現に惑わされる事が無いように。そうすれば、もはや私は自分のメンターとしての能力を、博愛主義者としての能力を見損なう事はないでしょう。

“Use It but for one Instant, and You will never deny It again. Who can deny the Presence of What the Universe bows to, in appreciation and gladness? “
〔一瞬でもこれを使えば、貴方はそれを二度と否定することは出来ないでしょう。その存在を否定できる人がいるでしょうか? 宇宙さえもが自分から喜んで、その存在に従っているのに。〕

〔一瞬でもこれを使えば〕?  神の力を使えば、です。

“Before the recognition of the Universe, Which witnesses to It, Your doubts must disappear.”
〔この力が現れている宇宙を見るには、貴方は疑いを止める必要があります。〕 
「自分の疑いは、どうする事も出来ません。それは自然に起こってしまうのです。時には疑いに囚われて身動きも出来ません。」(泣) 例えば、こんな感じですか?

私は、こう言いましょう。疑いとは、貴方が自分で起しているものです。 疑いが勝手に起こって、貴方を飲み込む事はありえません。 疑いとは、計算され尽くした弱さの内部表現なのです。貴方は自分を、限定されたもの、貧しいもの、縛られたものと信じているので、自分が弱いと信じているのです。 貴方は自分が全てを知っているとは信じていません。だから、自分は傷つき易いと考えているのです。
貴方が自信をもって信じていること(貴方の思い込み)は、ただの想像、つまり、でっち上げです。

それは真実ではありません。貴方はキリストです。貴方は無知を意識的によそおっているキリストなのです。

貴方は無知を意識的によそおっているキリストなので、自分は博愛主義者になる能力を持っていないと定義しているルール(貴方が作り上げたルール)と対峙する事になります。 自分は貧しく、だから与える事は出来ない、と言うルールを生きることになります。 その結果、貴方は脆弱な(外からの攻撃に傷つく)存在になってしまいます。

貴方はそれらの言葉を、考えを、まるでマントラか呪文のように使います。 それらの言葉で、貴方は自分に魔法を掛けてしまいます。 それは真実ではありません。それらを使うのは止めなさい。

なにかポジティブな新しい言葉を作り上げなさい、と言っているのではありません。真実でない事をするのは止めなさい、と言っているのです。 孤立した態度を捨てて、貴方の中の精霊(すなわち貴方の正気)に頼んで、貴方の正気を取り戻しなさい(精霊を貴方の中に呼び戻しなさい)。 意識的な無知の行為が止められるように。

〔この力が現れている〕聖なる瞬間のことです〔宇宙を見るには、貴方は疑いを止める必要があります。〕 

「素晴らしい。私の経験から疑いが消えてしまうんですね? もう疑いに悩まされる事はないのですね?」 違います。 疑いが消えるのは、貴方が疑いを使わなくなるからです。 貴方は無知を使う事を止め、自分用に無力な経験を作る事を止めるのです。

貴方が悪意に満ちているから、その様な事(無知の使用)をするのですか? 違います。 貴方がそれをしたのは、それがとても興味深いことだったからです。 偽りの「恐れ」を作って、それを乗り越えようとする事は、そして実際に恐れを乗り越えることは、とてもワクワクする楽しい事だったのです。

しかし、貴方をリアリティに対して無意識にしてしまう、これらの興味深い事をし続ける必要はないのです。 これら疑いの行為は、天国に対して貴方を無意識にしてしまいます。貴方は天国を、ビッグバンから作られた、神とは無関係の宇宙と貴方が呼んでいるのです。天国を貴方は世界と呼んでいるのです。

〔この力が現れている宇宙を見るには、貴方は疑いを止める必要があります。〕 貴方の疑いの行為は止めなければいけません。これは命令しているのではないのです。貴方は疑いを止める必要があるのです。

貴方が、啓示(Revelation)の力に十分譲って、それが(啓示が)起こったなら、疑いの行為は消えるでしょう。 疑いの行為は消える以外にないでしょう。なぜなら、貴方はもはや疑いには興味を示さないからです。

恐れをもたらす無知の経験よりも、リアリティーの経験の方が、より豊かで満足できるので、疑いには興味が引かれなくなるのです。 恐れを感じ、それに打ち勝つ事で、自立したリアルなものとして貴方が存在していると、自分に証明する必要がなくなるのです。