目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-01-10#1Time and Eternity

2009-01-10 08:25:49 | Chapter 15
2009年 1月10日 ©NWFFACIM

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Sparkley 版 351ページ 第最終文節
Second Edition 305ページ 第3文節
First Edition  284ページ 一番初めの新文節
JCIM(Jesus’Course in Miracles)147ページ 最終文節
CIMS 版 296ページ第18文節

OK。 一緒に瞑想しましょう。
沈黙
今晩は。ようこそ。

今夜の主題は、だいぶ耳に痛いかもしれませんが、手加減せずに行きますよ。
なぜなら、その不快感から目を塞いでいては、貴方は目覚められないからです。 それを感じれば、目覚めないわけには行かないでしょう。

我々は2004年にコースを読み始めました。現在2009年です。まだ貴方は目覚めていません。私があまり良い教師でないのか、それとも貴方の頭が悪いのでしょうか?あるいは、ACIMがナンセンスなのでしょうか? (笑)
違います。貴方はできる限り優秀な生徒で、貴方に咎はありません。 私はよき教師です。我々は、目覚める為に必要な文献を使っています。

以前「距離の無い旅」に関して話しましたね。その時言った様に、いま貴方の目の前にあるのは天国だけです。貴方が退屈な日常、物理的な世界だと思っているものは、実際には 物理的なものでは無く、取るに足らない世界では無く、天国なのです。現在あなたは色眼鏡を通して天国を見ているのです。

「距離の無い旅」に出るには、色眼鏡を外すことが必要です。貴方は、世界を放棄するのではなく、色眼鏡を通して見ることを放棄するのです。
貴方は既に目的地に居ます。だから「距離の無い旅」なのです。

貴方の問題は、ただこの世界のリアリティを受け取っていないだけなのです。
貴方は世界に関する考え(概念)だけを(色眼鏡を通して)受け取っているのです。 それらの考えは、人生を理解し、人生に対処しようとして貴方と貴方の祖先が作り上げ、設置したものです。

前から何度も言っていますね。「何時いかなる時でも、貴方の目の前にあるのは天国だけです。貴方はそれを無垢な目で見る必要があります。」

貴方はこう言うかも知れません。「過去5年間、無垢な目で見るように努めてきました。でも、相変わらず同じ世界しか見えていません。確かに大きな変化があり、以前ほど苦しんではいません。」 「でも目覚めが何なのか、全然解っていません。貴方は、それが私の目前にあると言います。世界をどの様に見るか選べばよいだけだと。でもどうやって選べばいいか少しもわかりません。」 「貴方の言うことを聞き続けていますが。全てが無駄に思えるときもあるのです。時には止めたくなってしまいます。」

もし貴方が苦しんでいるなら、なんらかの痛みを感じているなら、 何かが間違っていると感じているなら(全ての人がそれを感じています)、そのフィーリングは貴方に事実を伝えています。
その時貴方は「自分に苦しみは無い」と偽ってはいません。人生は苦しいもので、最後には死を迎えるのだと、貴方には見えているでしょう。 しかし、それは真実ではありません。

「貴方は苦しむ必要は無い」と言う司祭や神の教師たちは、貴方の無意識の希望を弄んで、真実から目を逸らさせているのだ、と貴方は考えているかも知れません。 違います。

真実を知る唯一の方法は、貴方のその疑いにも関わらず、真実を求め探し続けることです。 いまだに目覚めの体験を持てず、疲れてしまっていても、それでも信じ続けることが必要なのです。

貴方はリアリティの真っ只中に立っています。だから、あきらめてはいけません。リアリティーが貴方を形作っているのです。貴方はリアリティーから離れてはいません。
貴方はその真実をクリアに体験する権利があります。 貴方は、それを体験することで夢の体験を終わりにすることが出来るのです。夢の中では、在ることは即ち苦しむことです。夢の中で貴方は苦しまないわけには行かないのです。貴方は在ることから離れる事は出来ないので、夢の体験は基本的に苦しみの体験です


〔神が貴方を置こうとしている場所へ辿り着くまでに、どれぐらいの時間がかかるでしょう? 貴方は既にそこに居り、これからもそこに居続けるのです。〕
この文を読み飛ばしてしまっては、この重い意味は解りません。

〔貴方は既にそこに居たのです。これからもそこに居続けるのです。〕 これが〔神が貴方を置こうとしている場所へ辿り着くまでに、どれぐらいの時間がかかるでしょう?〕への答えです。
これは、神が貴方を闘争と苦しみの内に置いていると言っているのではありません。神は、貴方が真実をクリアに直接意識できるよう望んでいると言っているのです。現在の貴方の体験を言っているのではありません。

そこが、神が貴方を置こうとしている場所で、貴方はそこに居るのです。だから何かのプロセス(儀式)をする必要はないのです。リアリティーに値するよう魂を磨く必要もありません。 貴方はクリアで自由なリアリティーの体験を楽しむ前に、自分の愚行、罪悪をどうにかする必要は無いのです。

もし、貴方がスピリチュアルな教師で、自分や生徒の魂を磨くプロセスを奨励していたとしたら、どうでしょう? 私はプロセスは存在しないと主張しています。貴方が今までしてきた事は必要なかったのです。 これは「距離を伴わない旅」であり、貴方は既に目的地に居るのでプロセスは存在しないのです。

貴方の魂は、既に最上のものなのです。神が創ったままのもの、今の瞬間の神の自己表現そのものです。貴方は、この知らせには満足しないかもしれません。もし、貴方が成長の為の訓練に励む教師の下で学んできたなら、この知らせには満足しないかもしれません。 プロセス(儀式、手順)にいそしむ事は、貴方の求める経験(目ざめてリアリティーを実感すること)をもらたらしません。

もし、貴方がスピリチュアルな仕事を生業としてきたのなら、その職業を止めなければいけません。貴方は、希望を示していると思ってきたものを放棄する必要があります。貴方が毎日希望を持って朝を迎えてきた理由を放棄しなければいけません。
貴方に希望と動機を与えてきた、それらの概念、貴方が作った知覚なしに、貴方はどの様に朝起き上がるでしょうか?
夜寝るときに憂鬱以外のどの様な気持ちが起こるでしょう? 貴方の心の中で自分の価値を確立することができなければ。

次の文章も芳しくありませんね?〔貴方が持っているものは、永遠に貴方のものです。〕 貴方はこの文を読んで、〔貴方が持っているもの〕とは、現在貴方が経験している以上のものだと分かっているかもしれません。 少しは希望が持てますね?

〔貴方が持っているものは、永遠に貴方のものです。〕 しかし、貴方の全ての行為を以ってしても、貴方はまだそれを経験していません。
この文の本当の意味を理解したとき、貴方は怒ってしまうでしょう。朝起きる意義が感じられないだけでなく、全てに憤りを感じるでしょう。今までやってきた事が無駄と、何の役にも立たないと、何故誰も知らせてくれなかったのかと。魂を磨くことで、自分の欲しいものが手に入らないのは何故か。 何故今まで誰も、貴方が独立した認証者(independent authorizer)には成れないと知らせてくれなかったのか。
より早くそれを知っていても、貴方は少し早く挫折し、少し早く怒る事になっただけです。

貴方は自分がどれだけ、無意味な事に目的を見出すよう、自分を仕向けてきたか、自分を条件付けてきたか、理解していません。
無意味でない事とは、貴方が無条件に、自分でもたらしたのではない意味と価値を経験することです。

貴方が意味と価値の経験をするのでは、自分がそれに値するなにか尊いことを行ったからではありません。 あなたは自分が誇れる何かを行って、目覚めを経験するのではありません。
貴方は、自分の功績が認められない限り、ギフトは受け取りたくないと思っているのです。  
(自分がそのギフトに値することをしていると考えられない限り、それを受け取ろうとしないのです。)

目覚めの”プロセス”に必要なのは、神に譲り、Yesと言うことだけだと解り始めると、貴方は囚われ人になったような気持ちを持ち始めます。有無を言わせずに、善を受け取らなくてはならない人に。

もし、自分独自の善を行うことが貴方に意味を与えて来たとしたら、貴方はこのステップ(神への自己放棄)を無意味な経験として、斥けてしまいます。 これを貴方にハッキリと言わなければなりません。貴方が、この一見無意味に思える体験に自分から受け入れるよう、そして神が貴方に付け加えた全てのものを体験できるよう。それは、はじめから貴方のものでした。その体験をする権利が貴方にはあります。
しかし、その体験をするには、無意味に見えることを行わなければいけません。本来自分のものではない価値を、自分に所属するものとして確立させようとするのは、止めなければ成りません。


続けましょう。〔神が自身を引き伸ばし貴方を抱擁しようとする、祝福された瞬間が、時間を飲み込んでしまいます。〕 この祝福された瞬間とは? これは時間の一部ではありません。

これは、貴方が神に譲って Yes と言える素直さを保っている(貴方の中の)場所のことです。神の視点(生のリアリティー体験)で自分が満たされるよう、静かに黙って根気強い聴者になれる場所です。 神の視点こそ、天国です。その天国を、貴方は地球あるいは宇宙と呼んできました。ビッグバンから始まった神とは無関係の物質的宇宙と考えてきました。

〔この祝福された瞬間が〕つまり神へ譲りYesという意思が、〔拡張して時間を飲み込んでしまいます。〕 
貴方がリラックスして、自分が独自に無から作った存在としてリアルになろうとする意思を捨て、自分を空っぽな無意思の状態に置いた時、コントロールしようとする意思が存在しない時、論理とマインドを使って貴方が自分の中に想像し作り上げた形が消滅した時、〔祝福された瞬間〕は無限に広がり全てを包みます。 時間をも包んでしまいます。なぜなら、その時貴方はリアリティーの経験を、もはや拒んではいないからです。貴方個人の論理やアイディアの価値を言い訳にして、拒んでいないからです。貴方が自分に実在感を与えていると考えている、攻撃的な意思の力を使っていないからです。

貴方が実在感(生きている感じ)と呼ぶ、まがい物の作られたストレスが存在しない時、意識的気づきとしての自分が体験出来るようになります。生きた意識としての自分が見えるようになります。それが時間を飲み込むのです。

〔神がみずからを広げて貴方を抱擁します。〕それは特別なことではありません。特定の時だけに起こることではありません。神が自分を広げて貴方を包む事こそが、創造なのです。 それは神が、いま貴方として存在すると言う事です。いま、いま、いま。 この瞬間に、永遠に、永久に、途切れることなく、いま、いま、いまと言う余裕が無いほど切れ目無く滑らかに、神は貴方を抱擁し続けています。
〔神が自分を引き伸ばし貴方を抱擁しようとする、祝福された瞬間が、〕神に自分を明け渡しYesと言う貴方の素直さが、〔時間を飲み込んでしまいます。〕

〔自分のエゴを支える為に、兄弟を自分のエゴに縛り付けてきた貴方は、力の源を認識できていません。〕 貴方は、兄弟姉妹を旨く操る事で力が得られると考えてきました。 彼らが貴方のエゴを認めそれを褒めてくれれば、エゴの存在が証明できると考えていたのです。それによって自分が本当の人間になれると思っていたのです。
その様なものは、本当の力ではありません。力とは貴方が絶対的に揺ぎ無いことです。 その力の源は、貴方の行動ではなく、貴方が誰かと言うことです。貴方のアイデェンティティーが力の源です。

神が今そこにいる在り様が、貴方なのです。完璧なままの神が貴方になって、そこにいるのです。だから貴方は無敵なのです。貴方が力を有しているからではなく、貴方の中に争いが無いから、貴方の中に矛盾が無いから、貴方は平和な存在だからです。 貴方は平和で出来ているのです。もはや貴方は、その事実に逆らわないのです。それが力。それが恐れが無いということです。