目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-4-4 聖なる瞬間 #1

2009-04-13 04:40:32 | Chapter 15
これは、下記のWEBの文章を和訳したものです。
http://www.nwffacim.org/default.aspx

April 4, 2009 ©NWFFACIM

ページ位置の確認。
Sparkly Book では 357ページ目の第一文節。
Second Editionでは、310ページの第四文節。
First Editionでは、288ページの最終文節。
JCIM(Jesus‘ Course in Miracles)では、150ページになってから一番初めの文節。
CIMS版では、300ページ目の38文節です。


では、一緒に少し瞑想しましょう。
暫くの静寂

戦争時には徴兵制度が設けられ、「貴方が必要です」というスローガンが掲げられるものですが、平和への呼びかけ (Call to Peace)もまた、
「貴方が必要です」と言う呼びかけなのです。
今も世界でそのような動きが見えますね、でも、そのような動きがない時にも、平和への呼びかけ(Call to Peace)は常になされています。

奇跡のコース (ACIM)もまた、(我々は貴方達を必要としています、と言う)平和への呼びかけなのです。
先週も話したとおり、貴方が自分の個人的な目的を持っているときには、神が貴方に与えた使命は果たされません。もし、貴方が自分のプライベートな事柄に意識を囚われていると、貴方の神に対する使命は空虚なままです。本当の貴方の使命とは、果てしない無限を内包した偉大なものです。

目覚めている朋友達(覚醒した者たち)は、貴方達を必要としています。貴方達全員へ呼びかけているのです。精霊は、貴方に、目覚める為の行動を起こすよう呼びかけています。本当の自分自身を体現し、目覚めた者達の仲間入りをするよう即しています。そして、苦しみや葛藤から解き放たれるよう。

我々は、貴方達が自分の責任を果たす様に呼びかけています。
これに関しては前の週から話していますね。 
貴方達の使命とは父の意思を反映する事なのです。

そして、貴方の父の意思が、貴方の意識的体験となるよう、合一の経験を静かに招き入れる必要があります。父の意思を招き入れていない時には、貴方の実在の経験は無意識的で歪められたものとなり、貴方は恐怖から自分を守ろうと防御を始めます。

そして、無駄な抵抗を始めるわけです。
貴方が抵抗しているものも、神の王国の一部なのに、貴方はそれを正しく知覚できずにいます。
そして、貴方は既に天国に居るにもかかわらず、転んでしまい、怪我をする訳です。なんと馬鹿げた事でしょう。

しかし貴方が「ここは二元的な物質的世界、物質的宇宙なのだ」という認識を放棄した途端、怪我などし得ないことに気づくでしょう。ハルマゲドンなど有り得ないことが。もし、万が一崖から落ちて、もし怪我をしたと思っても、癒しは瞬間的で完璧なことを知るでしょう。

貴方のガイド、精霊、そして私(イエス)は皆、同じ使命を持っています。
その使命とは貴方に真実を指し示すことです。貴方の意識に真実を示すと言っても良いでしょう。なぜなら、真実を悟った瞬間貴方は混乱から離れ平和を確立しより明確になるからです。

前回は、〔神はそのホストに完全なる自由を与えた〕と言うところまで読みましたね。神のホストとは貴方の事なのです。貴方こそは、神が住まう柔軟で十全な場所なのです。神はあなたの中で自身を表現します。それが創造なのです。

〔神と無関係に立てられた救済のプラン(計画)を受け入れた場合、貴方は神の意思の価値を見失ってしまいます。
しかし、貴方の意識こそが神のホスト、神の玉座なのです。〕
これは貴方の本当の姿を描いた文です。
貴方は弁護士や秘書やタイピストなどではなく、神のホスト(神の住まうところ)なのです。

貴方は神のホストです。その神のホストとしての体験は何時までも貴方を待っています。 貴方はその体験を望むだけでよいのです。
貴方がそれを心から求めれば、その体験それだけを求め、それ以外を放棄すればよいのです。

〔貴方の父が住まう聖壇がどれほどすばらしく完璧か、知りたくないですか?
その完璧な聖壇こそは貴方なのです。 その聖壇なる貴方に父は自らを委ねたのです。〕
〔貴方が自身の意思から、神の意思以外のもの全てを放棄したとき、それが判るでしょう。〕
別に自分の考え(意識的なものも無意識のものも)を全てほじくり返して、いちいち点検する必要はありません。

ただ、静かな境地に入って心を落ち着けることです。
静寂の中には自己主張は入り込めません。
もし自身を主張し始めれば、途端に静寂が破られたのが判るでしょう。
貴方にはその破断が感じられるでしょう。

静寂の中に入って、全ての個人的なプラン(考え)を放棄し、神のプランだけを求めるのです。自分の個人的プランは全て捨て去るのです。 これはとても重要なポイントですよ。

今までに自分が立てた救済のプランを全て、掘り返す必要はありません。
ただ、それらのプラン(考え)を放棄し使用しなければよいのです。
それは静かにしていれば達成されます。

「静かにして、私が神であると知りなさい。」
(“Be still, … and Know … that I am God.” これは聖書からの引用)
全ての主要な宗教でも静寂の重要性を説いていますね。

〔貴方が如何に完璧で無垢か知って下さい。
貴方の父が自身をあずけた聖壇がいかに完全で清楚か学んで下さい。
神のプランだけを受け入れた途端に訪れる、「聖なる瞬間」に貴方はそれを知るでしょう。なぜなら、それこそが平和だからです。貴方が必要な条件を整えたときにそれは明確に判ります。〕

平和の条件とは何でしょうか? 
無害であること。
自己主張を(必要と)しないこと。
孤児(神から分離した者)としての行動を放棄することです。

〔貴方は「聖なる瞬間」を何時でも得ることが可能なのです。 「聖なる瞬間」以外の全ての考え(プラン)を放棄しなさい。 「聖なる瞬間」以外の考えは全て、矮小なものの中に偉大なものを見出そうとする試みです。〕

矮小とは、何でしょうか。それは、自身のイメージを膨らませて、より偉く見せる行為のことです。自分の思考や技術を使い他者を操って、自分のイメージを膨らませることです。

神の孤児達はそれぞれの分離した意思を使って、自分たちを偉大なもの見せようと試みるものです。そして自分たちが実在する証拠を得ようとします。
孤児達は、自分たちの源(神)を受け入れず認識せずに、偉大なものに成ろうとするのです(それこそが矮小と言うものです)。
単純な話ですね


〔貴方の個人的なプランを全て投げ捨てなさい。ただ静かにして、「父よ、私が体験している事の真実は何なのですか?それを示して下さい」と言うのです。〕

〔卑小なもののうちに偉大さを見出す試みは全て打ち捨てなさい。
独立性とプライバシーを保ったまま偉大さを求めるのは止めなさい。
偉大さは卑小な者の内には見出せません。卑小なものには、偉大さは存在しないのです。〕
卑小なものとは貴方の思考のことです。
貴方の思考は、神との合一を少しも反映し得ません。

〔聖なる瞬間を使って、貴方一人では偉大さがどこに存在するか判らないことを知りなさい。
孤児のふりをしている貴方は自身のアイデンティティがどこにあるか知りません
貴方のアイデンティティとは、貴方の父が、母が、両親が、源が決めたものです。
貴方は(原因ではなく)源の結果なのです。〕


〔貴方一人では、神と一体にならない限り、自分の輝きが解らず、偉大さは見出せず、自身を欺くばかりです。〕

これは、とてもシンプルで重要なポイントです。今週は、このテーマに則して毎日10分程度瞑想して下さい。 出来る限り静かに、自分の思考だけでは真実を知ることは出来ず、自己欺瞞にしかならない、と心に留めてください。

これはひどい考えと思えるでしょう。まるで貴方を誹謗しているみたいですね。
でも違うのです。これは糾弾している訳ではありません。これは、貴方の本来の存在とは関係ないことなのです。これは、その様にふるまってもうまくいきませんよ、と言う注意なのです。その様な行為は、旨く行くはずが無く、ただ自己欺瞞にしか成らなりません。無知から逃れるには、その行為を(個人的な思考を)止めればいいだけです。


つまり、これは誹謗では無く、貴方にはふさわしくない経験から自由になるための一つのステップです。

もう一度言いましょう。〔「聖なる瞬間」を使って知るべき事は一つだけです。
それは、「貴方一人だけでは真実を知ることは出来ないと」〕と言うことです。

この考えに反発せず、受け入れれば、「私は自分を欺きたくは無い」と思い至るでしょう。
(ガイドか精霊か父とつながっていない限り)考えることが自分を騙す事になるなら思考を止めよう。
思考にだまされてしわないよう、より静に過ごす時間を作ろうと思うはずです。


もし行動が必要な場合には、出来る限り、静寂なスペースを保ったままで行動を起こそう、と思うはずです。行動している最中には、聖なる恩寵と共に行動を起し、私の行動の全てがどの様に神を表現しているか知りたい、と思うはずです。

どうすれば、仕事をしている最中も、神のインスピレーションを感じていられるか教えを請おう。そして行動を起さない時間も作り、静寂に親しみ、それを体現しよう。


続けて読みましょう。
〔私は聖なる瞬間に、貴方が許す限りクリアに留まっています。〕
例えば、私、ラジ=イエスは(現在チャネルしている)ポールが許す限りクリアに「聖なる瞬間」に居ます。とても鮮明にいることもあれば、そうでない時もあります。
ポールが自分個人をクリアにしたいと望めば、彼は私を「聖なる瞬間」には留めません。

これは、誰もがしている事です。例えばポールは(平均的な人よりは頻繁に)、聖なる瞬間の内に私(イエス)を体験しています。
今現在起こっている事(このチャネリング)は、その一例です。
そして、ポールを個人的に知っている人は、ミーティングが終わった途端、彼が私から離れてしまうこともご存知でしょう。その時点でも、私は「聖なる瞬間」に彼が許す限りクリアに(つまりあまりクリアでは無く)存在しています。

私が今言った事は、彼に対する批判ではなく、彼がうまくやっている時もあれば、そうでない時もあると言いたいのです。
それは、貴方達全員も同様です。

私を「聖なる瞬間」の中によりクリアに立たせてください。   

つまり常に、聖なる瞬間の中に私をクリアに居させて欲しいのです。


私は貴方が許す限りクリアに「聖なる瞬間」に留まります。
貴方が私を受け入れれば受け入れるほど、より多く「聖なる瞬間」に留まれるようになります。
自分個人のプランを捨ててハイと言ったとき、自分の予定や偏見を静寂に持ち込まなくなったとき、その時「聖なる瞬間」は貴方のものです。


貴方が「聖なる瞬間」を体験していないのは、上記のことをまだ行っていないからにすぎません。日々のチャンスを見逃している、と言う、それだけのことです。


我々は、貴方にこの体験をして欲しいのです。我々と一緒になって、コミュニケーションを意識的に体験して欲しいのです。
その体験の中で神性が貴方のものになるのです。すると、貴方はもはや、(分断された)個人の集まりに加わろうとはしないでしょう。独自性の中から神を求めて、それを独自性の枠に取り入れようとする無益な努力も止めるでしょう。
独自性を求めることにより避けがたく引き起こされる、闘争を改善する必要性もなくなります。


私は、貴方が今、「聖なる瞬間」を受け入れるよう呼びかけているのです。
来年ではなく、より霊性を磨くまで待つことなく、今です。

〔今すぐ「聖なる瞬間」を自分のものとしなさい。なぜなら、神のホストが卑小さから解放されるのに必要なのは時ではなく、意思なのです。〕

そう、貴方達は、すでにそうしていると思っているかもしれません。
でも、独自に行動する(それは恐怖へ行き着くだけです)自己満足の誘惑を常に退けていますか?

次のことが解れば、その覚悟は容易に決まるでしょう。
「聖なる瞬間」に起こる唯一の認識は、「貴方は一人では偉大さは見出せず、自分を欺くだけ」です。これを心の底まで届ければ、自分一人で出来る事は欺くことだけで、その結果は常に騙されるだけ、つまり正気に返ることは出来ないと解ります。
これが解れば、どの様な時にも、「これ以上考えて、自分を騙すのは止めよう。ただ思考を止めて静寂を保てば神の真実が私を満たすに違いない。そして、私の正しい心がハッキリと体験できるに違いない、今ここで、私にはまったく神聖に感じられない出来事の真っ只中でも。


私はそうしよう。なぜなら、そうすれば、瞬間的な認識の変容(Sudden shift of perception)が起こり、神性が明らかになるから。
どんなに神聖ではないことが(嫌な事が)行われている様に見えても、どれだけ確実にそう思えていても。