目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-03-28#2 practicing the holy instant

2009-03-28 16:02:31 | Chapter 15
〔このコースは瞬時に学びえるものです。〕
上記の文に異存はないでしょう。

“This Course is not beyond immediate learning unless You prefer to believe that what God wills takes time.”

〔このコースはすぐ学びえるものです。 貴方が、神の意思に時間が掛かると考えていない限り。 そう考えるのは、神の意思が既になされているという事の理解を、貴方が遅らせようとしているからです。〕

神の意思がなされるのに時間が必要? どこから、この様な考えが出てきたのでしょう?
それは思考から出てきたのです。 それは間違った想像力の使用から生まれた考えです。

また、貴方は神の意思を少しも意識せず、自分の意思だけに注目することによって、神の意思が成されていることを遅らせて(いると思って)います。

貴方の意思は完璧だったかもしれません。 「愛しい人が苦しんでいる。その人を救いたい。その人は完全な調和を経験する権利があるはず。私は、完璧な考えを強く自信をもって保持し、その真理によって愛しい人の経験を変容させましょう。」
その時、貴方は二つのステップを行ってはいません。

貴方は「父よ、ここでの真理は何ですか?」とは訊かなかったのです。
それは傲慢だったのです。

以前も言ったように、傲慢は貴方のインスピレーションを奪ってしまいます。
インスピレーション(霊感)とは、貴方が実際に「父よ、ここの真理は何ですか?」と言った時、真理が注入される事なのです。 その時、貴方は自分の意思にはこだわっていません。 貴方は、父の意思に注目しているのです。 貴方の意思がどれだけ善意に基づいた素晴らしいものだったとしても、その時点で貴方は、自分の意思にはこだわらなくなったのです。

“This means only that You would rather delay the recognition that His Will is so.”

〔そう考えるのは、神の意思が既になされているという事の理解を、貴方が遅らせようとしているからです。〕 なぜなら、貴方はまず自分の意思を試したいのです。 賢い錬金術者に成って、聖なるヒーラーになって、父の癒す力をチャネルする聖者になりたいのです。

「真理の基礎をもちいて、自分を捧げて、聖なるワークをします。!」

そうしている間、貴方は実際にはただ〔神の意思が既になされているという理解を、遅らせようとしている〕だけです。 神の意思だけが、意思なのです。神の意思だけが存在するのです。 貴方の中にある本当の意思とは神の意思だけなのです。 貴方が神の意思にに譲ったとき、貴方の使命(意思)が果たせるのです。

しかし、貴方は自分で作り上げた意思に譲りたいと考えています。 貴方の上に神が置いた意思、つまり神の意思、ではなく自分の想像上の意思を尊重したと思っています。 
しかし、自分を忘れて「父よ、貴方の意思は何ですか?」と言い、貴方が自分で創った全ての救済のプランを放棄し、父の意思を受け入れるスペースを(自分の中に)作るまで、神の意思の真の意味は貴方には明かされません。 

貴方の救済の計画? 例えば、貴方の伴侶の問題が、貴方にとっては不都合なものだったとしましょう。 貴方の伴侶の問題が、貴方にとって大切な事をする邪魔になったとしましょう。

貴方の伴侶の問題は、コースが教えている通り(?)彼/彼女が自分で引き起こしたもので、彼/彼女が自分でどうにかしなければならない問題、つまり貴方の問題ではないのですか?

つまり、貴方の伴侶の問題が、自分の大切な問題解決の邪魔になってはいけない訳ですね?

「私は自分の伴侶を本当に愛しているので、彼/彼女の問題を第一に考えます。すると、私の意識の中心に成りたがっている、その他の人達は無視しなければいけなくなります。」

「伴侶の為に、他の人達の問題は無視しなければいけないので、彼らの期待には沿えず、彼らとの約束は果たせず、彼らからの尊敬を失ってしまいます。」
貴方は、この様に奇妙な考えを使って、父の意思が貴方には重要でないと決断します。

他者の尊敬を失ってしまうので、伴侶が癒しを体験できるよう、彼/彼女の問題の真理を知るのは止そうと考えてしまったりするのです。
その様に考え続ければ、近いうちに義理と義務でがんじがらめに成って、身動きが取れなくなるでしょう。  そのうち、誰に何を約束したか思い出すだけでも手一杯になり、八方美人も山崩れを起してしまうでしょ。

それらの考えは、最終的に「私に不都合な問題は持たないでください」と言う口実になる訳です。  「貴方への献身が必要とされるような問題は持たないでください」というわけです。

「私にとって、貴方は他者の崇拝や尊敬や賛同ほどには価値が無いですと、私に言わせるような問題は持たないでください。」 ウーム。

私は、何を言わんとしているのでしょう? 伴侶を例にとりましたが、これは誰にでも当てはまります。 誰かが、何かの理由で貴方の注意を求めているとき、貴方はそれを拒んだとしましょう。 貴方が傲慢から「私がそれをする必要は無いでしょう。」と言ったとしましょう。 「貴方の問題はとても不都合なタイミングです。今私がそれをするのは適切では無いでしょう。」と言ったとしましょう。 

“Call forth in Every One only the remembrance of God and of the Heaven that is in Him.”

前回我々が読んだ〔全ての人の中に、神の記憶と神の中の天国の記憶だけを思い出しなさい。〕を思い出してください。
素晴らしいですね! その神を思い出すことが、貴方のご都合に合っていたなら。(もちろん皮肉ですよ。)

それが不都合と考えているなら、「神と(貴方の中の)天国の記憶だけを、貴方の中から呼び出す意思が私にはもてません。」と貴方は言っているのです。 それは利己的な考えです。 


“Call forth in Every One only the remembrance of God and of the Heaven that is in Him. For where You would help Your Brother be, there will You think You are. “

〔全ての人の中から、神の記憶と、彼の(全ての人の)中の天国だけを呼び出しなさい。なぜなら、貴方が兄弟を助けて置いたところに、自分も居ると貴方は考えるからです。〕  

“Hear not His call for hell and littleness”

次がヒントになるでしょう。〔彼の話す地獄や卑小さを聞くのは止めなさい。〕
貴方の兄弟が、不満足や苦しみや痛みを訴えているとき、彼は嫌な奴でしょう。
その時、彼は卑小さを示しています。 彼は恐れを表しています。 彼は地獄や卑小さを訴えています。

「私の痛みを感じてくれ! 私の痛みを訊いてくれ! 私に注目してくれ! 私の痛みに注目してくれ!」


“Hear not His call for hell and littleness, but only His call for Heaven and Greatness.”

〔彼の話す地獄や卑小さを聞くのは止めなさい。天国と偉大さを求めている彼の声だけを聞きなさい〕

なぜなら、貴方には彼の行動が真に意味する事を知る方法があるからです。
彼の嫌な、愚鈍な、ネガティブなエネルギーは卑小さや地獄への呼びかけですか、それとも天国と偉大さへの呼びかけなのでしょうか?

天国と偉大さへの呼びかけが、貴方の不都合に成りえるでしょうか? 天国への呼びかけが、不都合な時点で起こりえるでしょうか? 貴方の兄弟から神の記憶だけを呼び出すのに、不都合な時間などが存在するでしょうか?

貴方が兄弟と一緒に神の(記憶の)中に戻れるよう、貴方の中から神の記憶を呼び出すのに不適切な時など在るでしょうか?  

貴方が二つのステップを行い、真理を聞いて、兄弟に答えても、彼が聞く事を拒んで、不平を言うことにこだわった場合。 そして彼らが、偽りが本当だと言い立てた場合。 彼が不治の病に罹っていて、彼が死につつあると、もう打つ手がないと、貴方が何を言おうとそれは変わらないと、嘘が真理であると言って、貴方と争い続けた場合どうします?

初めて二つのステップをした時には、問題なかったでしょう。 それは余り不都合ではなかったでしょう? 貴方は必要な時間をかける事が出来たでしょう。 でも、今回は貴方の兄弟が襲いかかってきています(比喩です)。 彼は貴方のギフトを拒否して、貴方が差し出している真理がナンセンスだと言っています。 彼の(自分が死ぬという)確信の放棄を正当化出来るような事を貴方は何も言っていないと、自分は苦しんで死ぬ事しか出来ないと、兄弟が言っています。

問題は次の事です。  貴方の兄弟の問題は、どの時点で貴方にとって正当化できない不都合なものになったのでしょう? 「もう貴方を助ける事は出来ません。私には自分の為にしなければいけない事があるから。」

どの時点で、愛の(貴方の心の正しい使い方の)放棄が正しいことに成ったのでしょう? どの時点で、自分の役割を果たす事が不都合で不適切に成ったのでしょう?

いい質問です。 もし、時間に制限があるなら、全ての人から神の記憶だけを呼び出す、貴方の意思を止めることが適切な時点があるなら、その場合、貴方の役割を放棄して、奇跡のチャンスを逃すことが適切な場合がある事になります。

貴方は完璧なポイントの後ろにいるのではなく、それに向かって進んでいる訳でもありません。
貴方は、進歩や改善や悪化が起こる部屋には居ません。 貴方は完璧なポイントにいるのです。貴方はもう一つの(真理の)部屋に居ます。 そして、その場所から自分を理解しなければいけません。

つまり、解決するべき問題があった場合、貴方は(貴方にとって)意味の存在しない(貴方にとって無意味と思われる)地点まで行かなければいけません。 

何故なら、貴方は真理の知に従い、その知恵を取り出して使う事なく、それによって満たされなる必要があるからです。 貴方は知識を理解し、取り出してそれを使おうとする癖がありますが、それを止める必要があります。 

その癖を手放さない限り、貴方は真理の中に意味を見出せず、それを無意味なものとして無視してしまいます。 

貴方の頭の中では、全ての事が、なにか使う為のものとして存在します。 貴方の安全の為、傷つき易さを作る為、ストレスを減らす為、不都合な問題を取り除く為に貴方は頭を使っているのです。 そうして(真の)解決を得る事無く平和を保とうとするのです。 我々がしようとしている事は、それとは違います。

もし兄弟がネガティブに行動していて、危ない事を試みており、どれだけ貴方がクリアに(彼の誤解を解くべく)真理を分かち合っても、彼がそれを止めようとしないなら、彼が危ない行動を止めないなら、何とかして、彼の行動を止めなければいけません。

しかし、兄弟の問題を貴方にとって不都合な事として処理するのは、貴方の損失です。 貴方の兄弟の問題を不都合な事と考えて、彼の中から神の記憶を呼び出そうとするのを止めることは貴方の得にはなりません。

前にも言ったように、もし、誰かが病院に運び込まれたとき、自制心が完全に無くなっていて、彼が自分か周りの人を傷つけてしまいそうなら、彼は縛り付けられて、手当てを受けなければなりません。