目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-03-28#1 Practicing the Holy Instant

2009-03-28 15:56:50 | Chapter 15
2009年 3月28日 ©NWFFACIM Practicing the Holy Instant

Sparkly Book  356ページの新しいセクション - Practicing the Holy Instant
Second Edition(Foundation for Inner Peace) 309ページの新セクション -Practicing the Holy Instant
First Edition(Foundation for Inner Peace ) 288ページ。
JCIM 「Jesus‘ Course in Miracles」  149ページ。
CIMS版  299ページの新セクション - Practicing the Holy Instant。

今晩は。ようこそ。  
少し瞑想しましょう。

前回は、皆さんがまだ立ち止まっているポイントについて話しました。

“If You are wholly willing to leave salvation to the plan of God, and unwilling to attempt to grasp for peace Yourself, salvation will be given You.”

〔神のプランに従って救済を受け入れる意思をもち、自分で平和を掴みとる試みをやめれば、貴方は救済を得るでしょう。〕 

私が言った「皆さんがまだ立ち止まっているポイント」とは、貴方が目覚めるまでそこに居続けるポイントのことです。 それは、ちょうど境目(はざま)です。

“If You are wholly willing to leave salvation to the plan of God, and unwilling to attempt to grasp for Peace Yourself, salvation will be give You.”
〔神のプランに従って救済を受け入れる意思をもち、自分で平和を掴み取ろうとしなくなれば、貴方は救済を得るでしょう。〕 

今時点から貴方が目覚めるまでの各瞬間いつでも、貴方は神のプランに従って救済を選ぶことが出来ます。そのどの瞬間でも、貴方は神のプランに従うよう選択して、目覚めることが可能です。

貴方が平和を自分で掴み取ろうとしなくなる地点で、それが起こるのです。 それ以外の、より複雑なプロセスなどありません。 このことを、自分の中に受け入れてください。

思い出してください。数週間前に言いましたね。 貴方は自分を“意識の中心”(Center of your attention)に置くべきではないのです。 貴方の意識の中心には、神をおくべきです。 貴方の問題を、貴方の意識の中心におく事も適切ではありません。 貴方の意識の中心には、真理をおくべきです。

貴方が自分の意識の中心に神をおいている時、貴方は自分個人の計画を推し進める意識を放棄しています。 貴方の成功の、救済の、健康の、安全の計画を放棄しています。 なぜなら、その時貴方は意識の中心に自分をおいていないからです。 

なぜ神を意識の中心に置くのでしょう。 それは神の中に真理があるからです。
そして真理こそは貴方が知りたいことなのです。 真理を知ったとき、貴方はもはや無知を経験していません。 貴方は無知に苦しんでいません。

その時、貴方は正気に帰っています。 その時、貴方の心は、神の心の全ての真理を映し出しています。 なぜなら、貴方が神を意識の中心にしたからです。 そうして貴方は、真理の意識的体験(Conscious Awareness of Truth)を呼び込んだのです。

それぐらい真理とはシンプルなものです。 でも、貴方はそれを複雑にしたいと思っているのです。

あなたは、真理をもっと複雑なものにしたかったのです。そうすれば、自分がもっと偉く成れると考えたのです。 複雑な操作をやり遂げる貴方の能力、複雑な思考を生み出す能力。 それらによって、他者の尊敬が得られると、貴方は考えたのです。

あなたは、実際にそれが出来たと考え、それが必要と考えています。 なぜなら、それをしなければ(複雑な思考や能力を使いこなさなければ)、貴方はまだ十分尊敬には値しないと思っているから。 もちろん、それは誤りです。 今日は私は、この点を何度も繰り返すことはしません。


次のセクションの題は、「聖なる瞬間の実践」(Practicing the Holy Instant)となっています。

“This Course in not beyond immediate learning, unless You prefer to believe that what God wills takes time. And this means only that You would rather delay the recognition that His Will is so.”

〔このコースはすぐ学びえるものです。 貴方が、神の意思に時間が掛かると考えていない限り。 そう考えるのは、神の意思が既になされているという事の理解を、貴方が遅らせようとしているからです。〕

もし貴方が何か問題に直面している時、上の文を読んだら頭に来てしまうかもしれません。

貴方が問題を抱えており、助けを求めていて、まだ問題が解決していないとき、貴方は上記の文には満足しないでしょう。

“This Course is not beyond immediate learning, unless You prefer to believe that what God wills takes time.”

〔このコースはすぐ学びえるものです。貴方が、神の意思に時間が掛かると考えていない限り。〕  

貴方が解決しなければならない問題を抱えていて、すぐ答えが必要なのに、それが得られなくて途方に呉れている時、今すぐ学ぶ事を志しているのに、まだ答えが得られていなかったとしましょう。

私が言ってきた事を、貴方が全て行ってきたとしましょう。 貴方は、一歩下がって、「父よ、この真実は何ですか?」と尋ね、一生懸命聞き耳を澄ませました。 

そして貴方は聞きました。 しかし、問題はまだ解決していないかもしれません。 問題は依然として貴方の目の前に立ちはだかっているかもしれません。

“This Course is not beyond immediate learning unless You prefer to believe that what God wills takes time.”

〔このコースはすぐ学びえるものです。貴方が、神の意思に時間が掛かると考えていない限り。〕  

「時間が掛かると考えていない限り? これはどういう意味ですか? 神の意思がなされるのが遅れれば良いなどとは、私は考えていません。 真理を知りたいと望んでいる私に何故そのような事を言うのですか? 癒しの真理を、問題を修正/中和/消滅する真理を望んでいるのに?」

“And this means only that You would rather delay the recognition that His Will is so.”

〔そう考えるのは、神の意思が既になされているという事の理解を、貴方が遅らせようとしているからです。〕

貴方が問題に直面していて、真摯に真理を求めているとき、この文章には納得しないかもしれません。  「貴方が遅らせようとしている? 私はそんなことはしていません 」

心の小ささと卑小さについて以前話しましたね。(神と)繋がることなく、貴方の頭を自分の目的の為に使う事が卑小さです。

(真理を知ろうとする)意欲の結果や、(真理を知ろうとする)信仰心の確証を未だに得ていないので、焦れてしまい、いまだ状況に反応し続けているとき、貴方の行動は卑小さを表しています。 それは、貴方の自己主張(Willfulness)を示しています。

「貴方は何が言いたいの!  私は、自分が誰か解っています! だから、貴方に対して、『自分を何様だと思っているの!』と言い、貴方と言い争い、貴方を呪い、貴方を嫌いに成ることも出来るのです。」 このように自己主張をするわけです。 自己主張とは「自分が何者か」と主張し続けることが自己主張(Willfulness)です。

それは、貴方が卑小なものに戻っている状況です。 父と繋がるよう、プライバシーを放棄し、自己確定の思考を放棄した貴方が、卑小なものに一時戻ってしまっているのです。
私の言ったことが真理であると信じてください。
貴方が父を呼び入れ、自己主張を放棄したなら、無知は消え去り、修正されます。


私は、以前こう言いましたね。 「貴方は、完全なポイントの後ろにいるのではなく、またそこへ(完全なポイントへ)進んでいる訳ではありません。 貴方は、その完全なポイントにおり、自分をそのポイントから理解する必要があります。」
次のように言い換えることも可能です。

真理は完全なポイントの後ろにあるのではなく、またそこへ(完全なポイントへ)進んでいる訳ではありません。 真理はその完全なポイントにあり、真理をそのポイントから理解する(受け入れる)必要があります。 

ここに二つの部屋があったと思ってください。 一つの部屋には貴方が居ます。そこは独立した思考者としての貴方、思考の決定者、一般的思考の創造者としての貴方を表しています。 この部屋の中では葛藤を経験します。 解決しなければならない問題が、その部屋にはあるのです。 そして、貴方は嬉々として問題を解決しようとします。 問題解決が貴方に目的を与えるからです。
もう一つの部屋にはリアリティが存在します。そこには真理があり、真理を知ることが出来ます。

貴方はプライベートな決定者の部屋から、真理がある部屋に伸び出て真理を掴み取り、真理を使って自分が居る部屋の状況を変えようとする傾向があります。
しかし、私は別の方法を貴方に勧めているのです。

「真理は完全なポイントの後ろにあるのではなく、またそこへ(完全なポイントへ)進んでいる訳ではありません。 真理はその完全なポイントにあり、真理をそのポイントから理解する必要があります。」 真理は、独立した思考者の部屋とは全く関係のないものなのです。 真理は独立した思考に付随する軋轢や矛盾や問題などとは繋がりがないのです。  しかし貴方は真理に手を伸ばし、それを自分のいる部屋まで持ってこようとします。 その真理を使って、権利を履行しようとするのです。 独立した思考者のままでいて、真理を使おうとするのです。
貴方は癒しに関しても、これと同じ方法を取ろうとします。

貴方は、「二つのステップ」をする時にも、この方法を取ろうとします。
一歩後ろに下がって、思考を止め、「父よ、ここでの真理は何ですか?」と訊いて、その真理を所持し、自分の居る部屋でその真理を使おうとしてしまうのです。 しかし、その部屋の中で真理を理解することは出来ません。

ですから、 真理を求めたとき、貴方は自分のマインドを独立思考者のいる部屋(そこには必ず葛藤があります)から真理の部屋へシフトする必要があるのです。 真理は完璧なポイントの後ろにあるのではなく、またそこへ(完璧なポイントへ)進んでいる訳でもありません。そして、貴方も、真理と同じとところ(完璧はポイント)に居ます。 貴方に示される真理は、もう一つの部屋にいる独立思考者のあなたが使える道具には成り得ないのです。

真理の発見が奇跡と呼ばれるのは、それが独立思考者の部屋から、真理の部屋への瞬間的な知覚のシフトだからです。 真理の世界では(リアリティの中では)何かがより良くなることは不可能です。 何かに真理を与えて、それをよりよいものに変革することは不可能です。

これを学んでいるとき、このようにマインドを使う事を学んでいるとき、何かをするためにマインドを使うのではなく、マインドを使って注意を払い、自己主張(自己定義)から抜け出し、真理に満たされなさい。 そして、貴方が完璧なポイント(Point of Perfection)の後ろに居るのではなく、そこへ進み近づいているわけでもない事を、自分の中に見なさい。

貴方は、昔の癖を思い出して「どれだけ時間を掛ければ良いのか? これでは旨く行っていない!」と思考し始めてはいけません。 どう様に旨くいくべきか貴方は知らないのですから。
貴方は「これでは、私のプランとかみ合わないわ」と言っているのです。それは卑小さです。

それは、古い性癖で、貴方が長いこと使ってきた思考のプロセスです。 その思考プロセスを使うことで、貴方は、癒しや変容を拒んできました。孤児の状況から天国へ移行することを、葛藤の部屋から天国の調和へと移る事を拒んできました。