目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-03-14 #2

2009-03-14 14:12:40 | Chapter 15
2009年3月 14日 ©NWFFACIM


貴方は目覚めているべきなのです。 貴方は自分の正気を体験しているべきなのです。 神から分離していない、満たされた/開かれた意識をマインドとして体験しているべきなのです。

それが貴方の権利です。 これが貴方の体験しているべきことです。

貴方が(自分が持っていると思っている)個人的権利を放棄したとき、(エゴにとって)この酷い無様な事をしたとき、目覚めが間違いなく体験できます。  貴方を跪かせる侮辱的なプロセスをあえて経ずとも、貴方が謙虚であることを自ら選んだなら、「神よ、私は答えを知りません」と言えたなら、 貴方の正気を取り戻すことが出来ます。

「私は答えを必要としています。 しかし自分で答えを作ろうとする事は止めます。私は神に助けを求めます。」

貴方は屈辱的な体験をする必要はありません。 しかし、もし貴方が屈辱的なプロセスを経ているなら(それを選んだなら)、それに(その状況に)逆らうのは止めなさい。 自尊心にこだわるのは止めなさい。 

自分の状況によって、『「人生をコントロールしなければならない」と言うアイディア』を放棄しなければならない羽目に至るのは、英知が貴方に(貴方の存在の英知)を知らせようとしているからです。

(貴方が恐れている事柄によって、自分の敵と貴方が決めた存在によって、貴方が「コントロールし続けなければならない」と決めたもの達によって、脅かされることの無い)平和と調和の体験を貴方にもたらす英知です。

(それが自主的なものでも、あるいは屈辱的なプロセスを通して得られたものでも)謙虚が貴方の権利です。 それが貴方にとって全く自然なものです。

貴方が傲慢を捨てた時、貴方が自己主張を捨てた時、貴方が自分が本当に持ってはいない権利を捨てた時、そして傲慢でないとき自分は適切であると思えたなら、「謙虚」が貴方の存在の有り方になります。 貴方は貴重な存在、神自身の聖なる子供なのです。

私は、何故この様な話をしているのでしょう。

何故なら、貴方達全員は毎日、自分個人の(自分でこれが高尚/正当だと決めた)目的を遂げようと努力し続けているからです。

そうしている限り貴方は、日常の中に現れている創造の動き/流れに自分を馴染ませる事(溶け込ませる事)をしないからです。 そうしている限り、(貴方の目的の中に含まれて居ない){神の}秩序を見つけることは出来ないのです。

もし貴方が、自分の目的を放棄し、{神の}秩序に従ったなら、貴方は調和の体験を得ます。 貴方はオリジナリティ(Originality、独創性)の体験を得ます。 これは貴方が作ったオリジナリティではなく、貴方が考え得る全てのものを超越しているオリジナリティです。

喜び、楽しみ。 貴方が見つける平和の文脈には、貴方が祝福されていること、貴方の兄弟が祝福されていること、高速道路上の他の人たちが祝福されていること、などが間違えよう無く含まれて居ます。 そして、これらは貴方が(自分ひとりで、自分のプランによって)起こし得たことではありません。

(謙虚という言葉が肯定的に使われているわりには)謙虚さというものはそれ程、魅力的なものではありません。

謙虚な人は、「イエス・マン」とか「おべっか使い」と言われたりしています。
威厳のない、したがって実の無いない人、妥協し、協力するしか出来ない人。


謙虚になる決意を自分からしたか、あるいは謙虚に成らざる得ない状況に至ると、今まで目標として来た事が消えてしまう、今まで意欲を引き出して生きた事が薄れてしまうのです。 何故なら、{個人的な}目標を放棄するのは、行動的なエゴにとっては意欲を掻き立てる事では無いからです。

これを理解しなければいけません。 貴方が謙虚に成ろうとした時、インスピレーションが、貴方の意欲が消えてしまわない様に。

貴方達が生活しているこの時点で、この理解が重要になります。 何故なら貴方は、直面している状況下で、自分の主義/主張が必要とされていると考えてしまうからです。 事態を{自分ひとりで}コントロールしなければならないと考えてしまうからです。

しかし、もし全員が今までと同じやり方で、事態に対して関与し続けたなら、変容は起こりません。

そして、より分離化が進んでしまいます。
そして、より多くのストレスと不安が引き起こされてしまいます。 何故なら、いまここで必要とされているビジョン(視点)は、今までのやり方を超越する、相互合意された「正しさの定義」を超えたものだからです。


物事が旨くいっていない基本的理由の一つは、今まで使われてきた前提が次のようなものだからです。

「私は自分の利益に適う様に行動する。 人生とはそういうものです。」

そして貴方は、同様の考えをするよう他者にも教えます。  すると全員が自分の為に行動することになり、自分が欲するものを得られる限りにおいてしか協調ができなくなります。 これは愛のあるやり方ではありません。 お互いに協調しよう(fitting together、助け合おう)という前提が、そこにはなく。 全てのものが祝福される事がありません。

これ(真理と協調する(適合する、フィットする)意欲を持つこと)が今必要とされているビジョンです。 これが、賢者が存在し始めてから今まで、必要とされ続けて来たビジョンです。 それらの賢者も又、(「二つのステップ」を行い「ここの真理は何ですか?」と訊いたのです。

貴方が挫けているなら、それは貴方が今状況を見て、自分が答えを持っていないと理解しているからです。

その上、貴方は「この問題は複雑すぎる。私には、この問題は大きすぎる。 だから私に答えが出せるはずがない。」と考えています。

これは「二つのステップ」の前半です。 これは、貴方が一歩下がって「私は答えを知らない。」と認めるたと言うことです。

「二つのステップ」の後半は、「父よ、ここの答えは何ですか?」と訊くことです。

こうして、神の救済のプランが貴方に示されます。 何故なら、「父よ、貴方の救済のプランは何です?」と尋ねる見識が貴方にあったから。

そうして、貴方の全ての自己主張/自己定義を放棄してください。 貴方が神のまっさらな黒板となって、神がそこに彼の真理を書き出せるように。 これが貴方の真理です。 これが答えです。 そこに必要なヴィジョン(神の視点)がもたらされます。 これが(全ての人を祝福する)本当の変容なのです。 これが、貴方が兄弟姉妹の目を見て神を思い出す事につながります。

貴方が答えを得ていない唯一の理由は、貴方の内部にあって貴方を急がせている「貴方は答えが解らない。しかし、貴方は答えが解らなければならない。 何故なら神はその為に貴方を造ったのだから。」と言う声を手放せないで居るからです。 この声が貴方の全ての行動の基礎となっているものです。 しかしこれは好ましい結果へ貴方を導きません。 

貴方がこれに気付いたとき、それは貴方を気落ちさせてしまいます。 それは、貴方が誰かから聞き集めた素晴らしいインスピレーションを消してしまいます。 
自分の権利を執行することなく、静かになる事が、貴方が物事の働きと協調出来るようになる唯一の方法だと気付くまで。

静かになる事だけが、貴方を「創造の働き方/天国の動き方」と協調出来るよう流動的にするのは、と気付くまで。 それが貴方が正気に返ると言うことなのです。

私は何年にも渡って、インスピレーションを沸き立たせる様な事を話してきています。 だから、それらをもう一度読む必要があれば、そうして下さい。

しかし今の時点で重要なのは、貴方が、自分のインスピレーション(霊感、神からの導き)を奪ってしまっているものを見れるように成る事です。

そして、それらを良く見て、気付く必要があります。 インスピレーションが消えてしまうのは、 自分が物事を司っていない(コントロールすることが出来ない)と気付いて、貴方が怒って/慌てて/憤慨してしまうからだと。  貴方が自分ひとりで事態を修正する権利を有していないと。 そして貴方のエゴの本質にとって、これはハッピーな状況には見えません。

しかし、これは避けようのない目覚めの一プロセスなのです。

自分にはインスピレーションを得て気違い染みた事をする権利を持っていないと貴方が悟るのは必然的な事です。 権威者として振舞う試みは捨てて、全く静かになり、自分を空にする必要があると気付かなければいけません。 全く自己主張を伴わない、その空(隙間)が満たされるのです。

その空が、その無が、真理の意識的体験で満たされるのです。

神の救済のプランを知りたいなら、それを体験したいなら、それを自分だけで計算しようとするのは止めなさい。  そして口を閉じて、静かにならなければいけません。

そして、父に向き合い「父よ、貴方の救済のプランは何ですか? 私が知るべき事はなんですか?」と尋ねてください。

父を試すようにこれをしてはいけません。 「よし。30日だけは試しに神を信じて見よう。 30日だけならコントロールを放棄しても大丈夫だろう。 だから、30日だけ試して見よう。その間だけ全ての自己主張を絶対控えよう。」と考えては努力は無駄になります。

それでは貴方はまだプランを持っているのです(30日間のプラン、そして30日後のプランを)。 それらのプランを持っているところも、空にして、そこに神を呼び入れなければいけないのです。 貴方の30日間のプランには、その空(スペース)がありません。

「救済が体験できるなら、なんだってする覚悟です」と言う人も居ますね。
貴方もそう言い、その覚悟があるかもしれません。 しかし、貴方が救済の為にしなければ成らないのは、自立して存在する権利の放棄です。 貴方は自分で作った権利を全て放棄する必要があるのです。

そうすれば、貴方は純粋な意識の現れとなり、そこで神の思考と神の意味が(つまり真理が)輝き、貴方の正気と権利を示します。

私が今言っていることも、インスピレーションをもたらすかもしれません。
しかしより重要なのは、貴方の日常でインスピレーション(神との繋がり)が無くなってしまい、緊張し、居心地悪くなっている時、それに気付く事です。 
何故ならその様な時貴方は、自分が権利を有していると考え、事態をコントロールしようとしているのです。

貴方のその「あり方」が、貴方が自分の正気を体験する事を阻んでいるのです。

貴方はそれを認識できる様になり、「私は、これらのことにインスピレーションを奪わせない。」と言わなければいけません。

「私は、個人的なプライベートな権利の主張を止めよう。 私は自分で物事をコントロールするのを止そう。 そして私は父と繋がろう。」 こう言えば良いのです。

インスピレーションの欠乏を悪化させ続けて、屈辱を体験しなければならなくなる前に、そこまで酷くなる前に、貴方のインスピレーションを奪っているものに関してあれこれ言う前に、「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、私はもう自分一人で答えを探し続けたくはありません。 私は、自分の独立を捨てて貴方と繋がります。 貴方の周りに私の手を廻しましょう。 私の周りに貴方の手を廻して下さい。 我々が調和と協調に進んで行ける様に。」

「私は自分のマインドを、(私が神のホストなので)唯一私のマインドに存在しえるもので満たします。  私は貴方のホストです。 私は貴方のホストに成ります。 自分一人で、独立した者、孤立した者に成るのではなく。」 と言える様に成ってください。