目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-03-14 #1 Littleness vs Magnitude

2009-03-14 13:47:07 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

2009年3月 14日 ©NWFFACIM


ページ位置の確認。
Sparkly Book 355ページ最終文節
Second Edition(Foundation for Inner Peace)  309ページ第11文節
First Edition    287ページ第3文節
JCIM「Jesus‘ Course in Miracles」   149ページ第5文節
CIMS版      299ページ 第33文節


今晩は、ようこそ。  
少し瞑想しましょう。


我々は本当に素晴らしい主題の真ん中にいます。 それは目覚め、正気への回帰です。

この時点で、この世界的な状況の中で、皆さんが私に、ポジティブで、元気付ける様な、インスピレーションを湧き上がらせる様な事を言って欲しい、全てがうまく行くと言って欲しいと思っている事は知っています。

全ては上手行きます。 -先週言った通り- 全員が(カオスではなく、難題でなく)変容に面しています。 がしかし、それを信じるだけでは十分ではありません。

私は、インスピレーション(霊感、気付き)を起こす様な事を言うよりも、貴方のインスピレーションを奪っているものについて話す必要があります。 何故なら、貴方が自分のインスピレーションを奪っているものを認識できなければ、貴方はそれらの影響を受け続けてしまい、インスピレーションは得られないからです。

私が一時間話し続けて、貴方をマインド内の天国に居る様な気持ちにさせることも可能でしょう。 しかし、貴方が自分にインスピレーションを奪っているものに気付けなければ、天国に居るような気持ちは、すぐ消えてしまいます。 貴方に与えた高揚感は、すぐに無くなってしまいます。

貴方のインスピレーションを奪っているものは沢山はありません。 だからこれは複雑な話ではありません。 傲慢が、貴方のインスピレーションを奪っています。 それだけが、貴方のインスピレーションを奪っているのです。


傲慢とは、権限なく指示や命令を出すことです。 その反対は、貴方にインスピレーションをもたらすのは、謙虚さ(Humility)です。

謙虚とは、貴方が権限を持っている方の指示に従う意志を持っていることです。 貴方が自分のもっていない権限を執行しようとした時、貴方は「ネガティブなフィードバック」が起こる事態を作り出しています。 「ネガティブなフィードバック」とは怒り、不満、落胆などのことです。 貴方は自分ひとりでは、何の権限も有していません。 その様な権限を有していた事は一度も無いのです。

もし十分な数の人達が、貴方に同意して、貴方が何らかの権限を執行する事を支持してくれたなら、貴方はしばらくの間は成功している様に見えるでしょう。


その時貴方はインスピレーションを受けて、自信満ちて見えるでしょう。 しかし、それは貴方達のグループが、{貴方が一時的に権限を持つことに対して}相互同意を行ったからに過ぎません。 それは基本的に、物事が(真理が)働く確実性に基づいたものではなく、相互合意だけに依存しています。

“The host of God needs not seek to find anything.”
先週我々は〔神のホストは何も探す(求める)必要はありません。〕と言う文章を最後に読みました。

神のホストは(神が自身を表している場所に居る人は)十全(健全、全体)であり、彼/彼女は何も求める必要がないからです。 何も得る必要がないので、権利を執行する能力は必要としないのです。 

全体性(Wholeness)と権利は同時に存在することが不可能です。 謙虚(Humility)は、それ自体を選ぶ事が出来なければ、屈辱な体験(Humiliation)と呼ばれる困難な過程を通して学ぶ事になります。

貴方が自分の権限を執行して責任者になり、(皆がお互いと争っていない)平和な状況を作り出そうと、出来る限りの努力をしている時、貴方は偽りの平和を体験しています。
その平和は遅かれ早かれ、崩壊してしまします。

その崩壊が起こった時、貴方は完全な失敗を感じます。 何故なら、貴方が自分の権限を執行してその平和を保持していた{と考えていた}からです。 そして自分が平和に対して責任を負っていた事が、貴方に信用/責任/権威を与え、貴方が自分をポジティブに見る事を可能にし、自分に対して落ち着いている事を可能にしていました。

ですから、それが(貴方の平和が)崩壊したとき、貴方は屈辱を味わいます。 何故なら貴方は「自分は平和を保てなかった、だから安全を絶対的に揺ぎ無く確実なものとは出来なかった」と言う事実と対峙しなければいけないからです。  

さて、我々が読んでいるコースのこの箇所は、貴方が自主的に権利を放棄するポイントに到達する事に関して述べています。 そこで貴方は「自分が何に対する権限も持っていない」と考えられる様になるのです。 そこで貴方は、『自分が正気を取り戻すには「物事のあり方」と全面的に協力しなければならない』と言う可能性を考慮してみるのです。

言葉を変えて言えば、貴方は自分を「物事の真の有り方」(真理の働き方)の操り人形(でくの坊)にする必要があるのです。  自分個人のプライベートな力を使って、自己主張(現象に自分を挿入しようと)する事によって、全てのもの/全ての人から自分を「分け隔てる」事を止めるのです。 エゴにとって、これは非常に屈辱的な事です。

貴方という神聖なるものにとっては、これが自分の正気を取り戻す準備になるのです。 これが神と共存するやり方を見つける準備になるのです。 これにより、真実が働く様(物事の働き)に自分を合わせる事が出来るようになるのです。 そして真実に自分がフィットした体験を通して、貴方の宇宙(全てを内包している貴方)を完全に体験している意識に気付くことが出来るのです。 神が自身全体のどの部分も貴方から遠ざけなかったので、貴方は「神の全て」を抱き止めており、そして貴方は「神の全て」で出来ているのです。

貴方は普遍的存在であり。 創造されたもの全ては、貴方に与えられています。 無限に、全てを含んだ、完全に開かれた意識が貴方に与えられています。


“If You are willing to leave salvation to the Plan of God, and unwilling to attempt to grasp for peace yourself, Salvation will be given You.”

〔貴方が救済を神のプランに任せ切り、自分自身で平和を掴み取ろうとする事を止めれば、救済が貴方に与えられます。〕

貴方はこう言うかもしれません。 「うーん。 -もし私が救済を神のプランに任せ切り- 素晴らしいフレーズですが。 神のプランとは一体なんですか? ゴチャゴチャ言うより、神のプランが一体全体何なのか教えてくれませんか?」

貴方はもちろん、神の救済のプランがどの様なものか知らないのです。 何故なら、「救済のプランがどの様なものか」神に訊くまで、貴方はそれ(救済)を得られないからです。

貴方が自分の傲慢を放棄するまで、自分が持っていない権利を使おうとする試みを貴方が捨てるまで、そして静かになるまで、貴方は救済を得られません。

貴方は「二つのステップ」をしなければいけません。 一歩下がって、「父よ、ここの真理は何ですか。」と訊くのです。  独立した権威者である事を辞めて、父と繋がるのです。

神の救済のプランは「貴方の兄弟の目を見て神を思い出しなさい。」という言葉に表されています。

もう一つの表現は、「貴方の世界にある何かを見て、現在貴方が体験している以上のリアリティを、そこで知りたいと好奇心を働かせなさい。 そこで神を体験したいと望みなさい。」です。

しかし、貴方が全てのものに与えた自分の定義を放棄して、そして完全に無垢(無罪)に/ピュアになり、真理を知りたいという揺ぎ無い望みを持つまで、その体験は得られません。

貴方は自分を無垢(Innocence, 無辜、罪を知らない状態)にしなければいけません。
私が言う無垢とは、以前の(自分の)観念には汚されていない(自分の好き嫌いや偏見のない)状態を知りたいという意欲を貴方がもつ事です。