目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-01-03#1 Time and Eternity

2009-01-03 17:27:52 | Chapter 15
ページ位置の確認。

Sparkly Book では 351ページの新セクション「Time and Eternity」。
Second Editionでは、304ページの「End of Doubt」。
First Editionでは、283ページの「End of Doubt」。
JCIM(Jesus‘ Course in Miracles)では、147ページの「Time and Eternity」。
CIMS版では、295ページの「Time and Eternity」。

今晩は。ようこそ。  
少し瞑想しましょう。


「時間と永遠」そして「疑いの終わり」。このセクションには二つの異なった題が付けられていますが、この二つには深い関連があります。

疑いとは、貴方の中で貴方を苦しめるものではありません。疑いとは、貴方達一人ひとりが行っている事です。それは貴方に掛けられているものでは無く、貴方が主張しているものです。

なぜ疑うのでしょう? 自分の希望するもの(貴方が信じたいと思うもの)と真実の間に距離を置くために、貴方は疑うのです。

貴方は、時間と永遠の間で揺れ動いています。貴方は目覚めの瞬間に(贖罪、つまり聖なる瞬間に)時間から永遠へと移り変わるのです。
覚えていますか? 聖なる瞬間は時間の中で起こるのではなく、神に譲ってYESと言った貴方の中で起こるのです。

孤立した承認者のふりをやめ、自分ひとりで賢く考え判断することをやめ、個人的考えに基づいて行動することをやめ、神にYesと言ったなら、貴方は疑いの終わりを経験するでしょう。なぜなら、貴方はもやは疑うことをしないからです。

貴方は承認者としての地位を捨てます。そして、神にその位置を譲るのです。はじめから今まで神は変わらず、全ての承認者でした。でも、今まで貴方はそれを認めてきませんでした。多くの人達は、承認者の地位を神に譲ると自分が損をすると考えています。

たしかに、貴方は承認者の地位を無くします、貴方が自立と呼ぶものを無くします。それらを貴方は誇りに思っているでしょう。それは神が貴方に授けた権利だと考え、貴方はいつでも承認者として振舞ってきました。

しかし、貴方は自覚しているいないに関わらず、目覚めを渇望しています。貴方は傷つくことを望んでいません。最終的には全ての人が、時間を永遠と取り替える事を望むのです。

疑いとは、例えば、「うーん、それは解らない。もう少し考えてそれから自分の意見を決めます。貴方の言うとおりかも知れないけれど、自分でよく考えて自分の意見を決めます。」。 こうして、自衛権と認証者としての誇りを保つのです。

貴方を真実から遠ざけている唯一のものは、貴方の「疑い」です。 しかし、真実はいつでも貴方の目の前にあります。
新年になって、政治の世界も新しく変わってきてますね、アメリカを中心に、でも世界的にも変化が感じられるでしょう。今年は、永遠が時間に取って代われる年です。

今年は、疑いを捨てて神にイエスと言える年です。そして今年は、望む望まないに関わらず、ほとんどの人にとって変革の年です。

奇跡とは変化です。奇跡は明け渡しを引き起こします。奇跡によって物事は新たになのです。それによって、貴方の周りだけではなく、貴方の内部も新たになるのです。

神に対してイエスと言って、自衛権を放棄し、自分を神に委ねる事こそ、肝心な変化、シフトなのです。しかし、ほとんどの人はそうしたいとは思っていません。

今、経済危機が起こってます。 どこかの経済危機ではなく、貴方の経済危機ですね。地球の何処に住んでいても今経済危機です。 どうしてでしょう? 一つのエコノミー、一つの地球、全ては本当に一つだからです。

今年皆さんが直面するのは他者を受け入れる経験です。 今まで敵だった国や人を受け入れること。一緒にうまく共存する方法を探さなければいけません。 何故なら、バラバラに動いても旨く行かないからです。 今までそれで旨く行っているように見えたのは、貴方達を分離しておくルールが存在したからです。

そしていま、和が必要になります。和が法だからです。そして和とは、疑いを捨てた状態のことです。

「でも、あれじゃ駄目でしょ? イランとか酷いし、ユダヤとアラブって仲悪いし。平和なんて無理。あれこれ。」と考え続けるのですか?

それらの下らない行動も考えも止めなければいけません。それは穏やかに止まるか、あるいは厳しく終わることになるでしょう。 自分の正しさを言い募り、互いを見下すのは止めなければいけません。 人も国も権威を保持する事は出来ません。 お互いを酷使して、利益の出しにするのは止めなければいけません。

そして貴方にとって最善のものを兄弟へも差し出すのです。貴方のことを嫌っている兄弟へです。

私の認識(思い込み)を元に貴方を判断しない事にします。貴方が何を必要としているか解るよう、ありのままの貴方を良く見ましょう。貴方が私と違わないことが解るよう、貴方のことが受け入れられるよう。そして私が無害であることがわかれば、貴方も私を受け入れてくれるでしょう。」

それが奇跡です。それが変化です。それが新しい在り方です。貴方の中で全てが新しくなったのです。

経済がどうなろうとも、気にする必要はありません。来年も経済はあるでしょう。今とは違った動機の元に働く経済が。

何かが終わるわけではなく、それは行動の、そして知覚の変化です。今までの様に、自分ひとりで物事の意味を決定するのではなく、貴方は自分の中に静かに入って尋ねるのです。
「父よ、この真実は何ですか? 」あるいは、「私の正気である精霊よ、この真実は何ですか? 私は真実を受け入れます。」と。

大切なものが不足していると感じられる時、全ての意味が崩れ去る様に見える時こそ、ヴィジョンが必要な時です。

よく、彼にはビジョンがあるとか言ったりしますね? だれでもビジョン(神の視点)を見ることが出来ます。恐れを抱いて、あれこれと心配して回るのを止めれば。

もし変革が起こっているなら、(もちろん起こっています)チャンスはいたる所にあります。チャンスは貴方の目の前にあるのです。でも、無意識に反応し続ける事はもう止めなければいけません。そして、物事が変化している事がわかるでしょう。昔のやり方ではもう通用しません。

新しいやり方が現れるのです。
全ての行動が、自己擁護ではなく、誰かを犠牲にして利益を得るのでは無く、ギフト(祝福)に基づいてなされ、全ての人が祝福されるにはどうすれば良いでしょう? 我々の生活が改善されるにはどうしたらよいでしょう? そう尋ねて下さい。

兄弟愛を感じられるように成るには、我々はどうすれば良いでしょう? 一体感と愛が感じられるには、どの様な行動が必要でしょう? 奇跡が現れるように、神を受け入れる事が出来るように。

ニュースを聞いて思い悩む時間はありません。チャンスを生かす時間しか存在しないのです。今年はダイナミックな変容の年です。変革と言ってもいいでしょう。それを受け入れるためには、お互いを罵ったり、神に悪態をついたり、地球を呪ったりするのではなく、変容そのものを受け入れなければいけません。

今年は、我々が今まで話してきたとこが実践されるチャンスです。今こそ、貴方の兄弟を見て、彼のせいで私が被害を蒙ったと言わないチャンスです。 貴方の会社を見て、我々が苦しんでいるのは会社のせいだ、と言わないチャンスです。

問題を探したり、誰かを非難する事は止めなければいけません。二の足を踏まなければいけません。どの様に見えても、自分の意見を一旦引っ込めて、この真実は何だろう? 私の兄弟姉妹の真実は何だろう?と聞いて下さい。兄弟の真実を知るために、時間をさこう、彼に対する不満やストレスを脇において、彼を愛とサポートと慈悲の心で包めるようにしよう。なぜなら、彼は、彼女は、私と同様に神の子供に違いないから。どの様な「間違い」があったにしろ、私と同じように祝福に値するに違いないから。

では、本を読みましょう。

〔贖罪とは時間の中で起こることですが、時間のためのものではありません。〕時間とは貴方の良きものが起こるまで待つ行為の描写です。

贖罪は(癒しは)、貴方が時間と呼んでいるものの中で起こるように見えます。時間を掛けて貴方の中で育つプロセスに見えます。 

〔贖罪とは時間の中で起こることですが、時間のためのものではありません。〕贖罪とは永遠のためのものです。

〔贖罪とは時間の中で起こることですが、時間のためのものではありません。貴方の中にあって贖罪は永遠です。神の記憶をいだくものは時間に縛られる事はありません。〕 つまり貴方も時間に縛られてはいないのです。新年を迎えるのあたって、自身をそう捉えてください。

〔神の記憶をいだくものは時間に縛られる事はありません。〕 
貴方の中の精霊(それが貴方の正気です)が神を記憶しています。そして精霊の仕事は、貴方の注意を引いて、正気へと返すことです。 貴方一人で独立した承認者(独立した世界を作ろうとする者)に成ろうとすることを放棄して正気へ帰ることを促すことです。

〔神の記憶をいだくものは時間に縛られる事はありません。貴方も既に縛られていないのです。〕 
今年を迎えるにあたって、貴方は時間には縛られていません。貴方は過去に起こった事には縛られていないのです。もし、まだ過去に縛られていると信じているなら、貴方は毎日失い続けるでしょう、そして嘆き続けるでしょう。その様に自分を作ってしまうでしょう。でも貴方は縛られていません。 

貴方には、この変化がもたらすチャンスを見つけることができます。貴方がチャンスを見つければ、それは実際に働き始めるでしょう。 それが貴方の役目です。

〔なぜなら、神が縛られていない(限定されていない)限り、貴方も縛られては居ません。〕貴方を自分勝手に自分個人としてだけ定義するよりも、神と共に在ることのほうがとても便利なものです。  〔神が縛られていない限り、貴方も縛られては居ません。〕貴方は縛られていません。

〔精霊に捧げられた一瞬は、貴方の為に神に捧げられます。〕 一瞬。 時間の中の瞬間と感じられるでしょう。

しかし、この一瞬とは、貴方の中で神に YES と言った場所のことです。進んで神を迎え入れる行為のことです。 〔精霊に捧げられた一瞬は、〕つまり貴方が神を迎え入れる行為は、〔貴方の為に神に捧げられます〕 精霊によって。 なぜなら、精霊は貴方の真実を神に知らせる(貴方の証人になる)からです。そして、貴方が精霊を自分の正気として受け入れたなら、貴方の全ての行為は、神への証言となるでしょう。 貴方は、全ての事を神に知らせる証人になるのです。 シンプルで重要なことです。

〔精霊に捧げられた一瞬は、貴方の為に神に捧げられます。その一瞬、貴方は静かに神の中で目覚めるでしょう。〕 そしてまた、貴方が兄弟の為に神の証人となった時にも、貴方は神の中で目覚めるのです。 

〔その祝福された一瞬に、貴方は過去の学習を全て手放すのです。〕 学習とは覚えこまれた考え、記憶されたアイデア、貴方が意味付けした言葉の羅列(考え)に過ぎません。 その瞬間に貴方は全ての考えを放棄します。 「考え」は、貴方が一番大切にしてきたものです。しかし、それら「考え」は貴方の疑いを表明する為のものなのです。

「自分自身の頭で考えて、納得する結論を自分で出して見ます。」? でも、貴方は自分自身を見間違えているのですよ。 

「待てよ、今まで自分ひとりで考え続けてきたけれど、まだ目覚めてはいない。そしてまだ苦しんでいる。私はまだ、分断され争いあう世界を見ている。それが当たり前と考えてきたが、正しいと言う気はしない」。 何故それが正しく思えないのでしょう? 貴方の中のなにかが、間違っていると言っているからです。

私の中で、間違っていると言い募るものこそ、神の存在です。 それこそ、私の中にある神聖なるもの、すなわち精霊。 ならば、私はあえて神に Yes と言って、聖なる瞬間を保とう。神から全てのことに関する真実を聞こう。そして、兄弟の為に、世界の為に証人となろう。

〔その祝福された一瞬に、貴方は過去の学習を全て手放すのです。そして、精霊から平和の全学習をただちに受け取ります。〕 少しずつ受け取るのではありません。今、少しづつ理解している様な気になるのは、貴方が少しづつしか聞いていないからです。 だから少しづつしか聞こえてこないのです。

〔貴方は過去の学習を全て手放すのです。〕一時的にしろ自分の考えを捨てたとき、〔精霊から平和の全学習をただちに受け取ります。〕 この精霊とは貴方の正気にほかなりません。 そして悟りを体験するのです。 

〔学びの障害が全て取り除かれたとき、時間に何の価値があるでしょう?〕 この学びの障害とは何でしょうか? 貴方の全ての思考です。貴方の大切なアイディア。貴方のセオリー。自分を適度な調和に保つ為に作り上げた定義の数々です。 

「それらのルールに則っている限り、殺し合いが起きないから。 貴方の本性を抑えるにはそれらのルールが必要だから。」と、貴方のセオリーが言っているんですか?
〔学びの障害が全て取り除かれたとき〕。 全ての考え、アイディア、定義が打ち捨てられ、精霊が貴方を真実の経験で満たしてとき。

〔真実は時を越えており、その全ては一度に起こっています。〕 
つまり、真実はいつでも、何時までもそれ自身を(新しく)存在させているのです。


2 コメント

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一般法則論のブログを読んでください (一般法則論者)
2009-04-25 19:57:08
  一般法則論のブログを読んでください。
  一般法則論者
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タイトル (訳者)
2009-05-12 08:39:15
この部分は、Foundation For Inner Peaceから出版されている、2nd Edition では、Chapter 15 II. 〔The End of Doubt〕 となっています。

2nd Edition が一番一般的な版ですが。Raj は Jesus's Course in Miracles (JCIM)を読んでいるようです。 
なお、JCIMにはWorkBookやManual for Teachersはついていません。
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