目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-01-24#1 Littleness versus Magnitude

2009-01-24 08:25:46 | Chapter 15
2009年1月24日 ©NWFFACIM  Littleness Versus Magnitude

ページ位置の確認。
Sparkly Book  353ページの第三文節。
Second Edition(Foundation for Inner Peace出版)  307ページの第三文節。
First Edition(Foundation for Inner Peace 出版)  285ページの第三文節。
JCIM 「Jesus‘ Course in Miracles」 148ページの第六文節
CIMS版  297ページの第二十四文節。


今晩は。ようこそ。  
少し瞑想しましょう。

ここのところ、目覚めることに対する障害について話してきました。

今週、メンターあるいは博愛主義を貫いて難なく成功した人は居たでしょうか? 
辛抱強く博愛主義を行おうとして、兄弟を気遣って彼が必要としているものを知ろうとした結果、メンターになろうとした結果、自分自身の怒りの権利を主張してしまった人はいますか? 頭にきて、他者をジャッジする(裁く)権利を主張せざる得なかった人はいますか?

もしかしたら、貴方は、与えようとする意思と、自分が感じた怒りの間に直接繋がりがなく、それらは別々に存在していると考えたかもしれません。 もう一度、それを見直して下さい。 なぜなら、この経験の中には明確な事実が示されているからです。 

貴方の中の聡明な部分が正気を選んだ時、それを選んで二つのステップを行い、どうすれば愛と成ることが出来るか知ろうとした時、貴方のエゴはそれに反発して、自分の意見を言い始めるのです。

エゴは、何かに対して怒るよう貴方をけしかけます。 人生に対して、状況に対して、自分の体に対して、長い年月目覚めのために努力しているのにただ年を取り続けるだけに見えることに対して、あるいは、また風邪を引いてしまったことに対して、怒るようけしかけるのです。

怒りすぎて、「今日会った人のうち誰が祝福を感じられたろう?」と夜に言えなくなってしまった人はいるでしょうか? 世界で色々とよい事も起こっているにも関わらず、落ち込んだり、怒ったり、ストレスを感じたりした人はいたでしょうか? 全てを否定したくなった人は? 全ての真理の追究や、努力を否定してしまいたくなった人はいたでしょうか?


貴方が(貴方の正気の部分が)怒る権利を放棄した時、このような事が起こる(エゴが貴方を怒りに駆り立てようとする)事を知っていて下さい。 貴方が愛の存在となり、父に譲って、「貴方の意思がなされますように」と言った時に、このような事が怒る事をしていてください。

「私の兄弟姉妹を見たときに(あるいは自分自身を見たときに)真実が見えるよう、貴方の(神の)視点をわけて下さい。 そして、私の全ての行動に、私の全ての意思に、真実の理解が伴うように、貴方の視点をわけて下さい。」と言った時に、エゴが暴れ出す事を知っておいて下さい。

これは、苦労しなくてはならないという事でしょうか? 父の意思と共鳴する、聖なる意思を持っていれば、全てが旨くいくのではなかったでしょうか? 天国へスッと入って行けるのではないのでしょうか?

そうはいかないのです。なぜなら、貴方は色々な習慣を持っているから。例えば、イライラしてしまう習慣。 裁く習慣。上下関係を想定する習慣。貴方が誰かより高いレベルにいたり低いレベルにいたりすると言う様な考えを持つ習慣。そしてそのレベルに応じた行動を取ろうとする習慣。高いレベルにいると思えば、他者より威張る習慣。低いレベルにいると思えば、より高いレベルの者をそしる習慣。誰かを引きずりおろすか、自分を高めて対等に成ろうとする習慣。

これらの生活習慣をあまりにも長い間使ってきたので、それらを作り上げ、余りに馴染んでしまったので、それらの習慣が貴方のアイデエンティティと混乱されているのです。 貴方は、あたかもそれらの生活習慣が自分自身の一部であるかの様に考えており、それを脱ぎ捨てることが出来ないでいます。

だから努力が必要なのです。ある程度の勤勉さが必要になります。 ここ数週間は、必要とされるそれらの努力に関してお話しています。

今週、「今日会った人のうち誰が祝福を感じられたろう?」と自分に聞く努力をしていて、なにか困難を感じた場合も(それは外からのものかも知れず、あるいは自分の中の判断する権利からくるものかも知れません)、止めずに次の週もそれを続けてください。

貴方は努力する必要があることを知って下さい。 貴方は、選ぶ必要があり、それを選び続ける必要があります。 貴方が選んだのは、平和から行動することです。 物事に対する反応からは行動しいない事を選んだのです。

貴方が、瞑想していてマントラを唱えていたとしたら。 そしてマントラを唱えることが疎かになったと気づいたら、またすぐマントラを唱え始めるでしょう。

もし、自分が憤慨している事に、怒っている事に気づいたら、自分の選んだ平和に戻ってください。兄弟と会っているとき、父に願って、父の視線で兄弟が見られるよう、貴方がそれに満たされるよう、平和に戻ってください。 そして、心から魂から、喜びと共に愛としてのそれを兄弟に伝えられるよう、貴方の意思を思い出してください。

あきらめてはいけません。 フラストレーションの自己満足や自己判(Judgment)に惑わされで下さい。 それらを基準にして、するべき事の価値を判断してはいけません。

それを理解して下さい。 それが貴方の本当の目的とは相容れない事を理解してください。貴方の目的は、父の視線と共に自分の平和から行動し、そこに貴方の意識を戻し続けることです。何度も何度も繰り返して、そこに意識を戻し続けるのが貴方の目的です。 
どの位の期間それをしなければならないのでしょうか? そこから滑り落ちなくなるまでです。それだけです。貴方が正気を取り戻すまでです。 貴方の傍から決して離れてはいなかった正気が、永久に貴方のものになるまでです。


本を読みましょう。

“There is a deep responsibility You owe Yourself, and one which You must learn to remember all the time.”

〔貴方には自分に対する深い責任があり、貴方はそれを常に覚えているよう学ばなければいけません。〕

あなたは、それを忘れて、思い出し、忘れて、思い出し、忘れて、思い出し。そして、忘れて、また思い出します。

“There’s a deep responsibility You owe Yourself, and one which You must learn to remember all the time. The lesson will seem hard at first, but You will learn to Love it when You realize that it is True, and constitutes a tribute to Your Power.”

〔貴方には自分に対する深い責任があり、貴方はそれを常に覚えているよう学ばなければいけません。〕それを常に思い出さ必要があります。

〔始めのうちレッスンは厳しく思えるでしょう。しかし、それが真実だと思えるようになり、それを貴方のパワーの一部と認められるようになれば、レッスンを楽しめる様になるでしょう。〕

“The lesson will be- will seem hard at first”
〔始めのうちこのレッスンは厳しく思えるでしょう。〕理由は、貴方がそれ以外の習慣を作ってしまったからです。 貴方は、今の習慣を打ち破らなければいけません。 喫煙などの中毒と同様に、ジャッジメント(判断)に対する中毒を止める為には, 時間がかかります。

“It will seem hard at first, but You will learn to Love it where You realize it is True and constitutes a tribute to Your power”

〔始めのうちレッスンは厳しく思えるでしょう。しかし、それが真実だと思えるようになり、それを貴方のパワーの一部と認められるようになれば、レッスンを楽しめる様になるでしょう。〕

貴方のIntegrity(誠実さ、全体性)が, 貴方の力を示すものです。 神が与えた貴方のIntegrity が貴方の力です。貴方の中にある Integrityが貴方の力です。 貴方の中に既に Integrity が作られており、それを得るために何かをする必要はありません。

“When You realize that this is True and constitutes a tribute to Your Power, You will learn to Love it.”

〔しかし、それが真実だと思えるようになり、それを貴方のパワーの一部と認められるようになれば、レッスンを楽しめる様になるでしょう。〕 それを続けることが楽になるでしょう。なぜなら、貴方の全てのリアルなものの為、貴方の全ての価値あるものの為、罪や病や死を経験しない貴方の為、に続けていることに気がつくからです。 

“You Who have sought and found littleness, remember this: Every decision which You make stems from what You think You are, and represents the value that You put upon Yourself.”

〔卑小さを探して見つけた貴方は、次の事を思い出す必要があります。 貴方がする全ての選択は、貴方が自分を何だと考えているかによって決まります。 そして、貴方の全ての選択は、貴方が自分に与えた価値を表しています。〕

先週の話に出てきましたね。

貴方は自分を博愛主義者と考えていますか? それとも、自分を、意味深いものを分け合うことが出来ない人間、つまり博愛主義には到底成れない人間と考えていますか? もしそうなら、それが貴方が自分に与えた定義です。

もし貴方が不足を感じていて、意味あるギフトを贈れないと考えているなら、貴方は作り上げられたストーリーを信じているのです。それは誰かが貴方に教えたものかもしれませんし、貴方が自分の想像力で作ったのかもしれません。 いずれにしろ、それは真実ではありません。

〔卑小さを探して見つけた貴方は、〕それを見つけて、いだき、それを体現し、自分の存在全てにそれを取り入れた貴方は。 なぜそれを貴方の存在そのものに取り入れたのでしょう? なぜ卑小さなぞを自分の中に入れたのでしょう。 それは、卑小さがもたらす、利点ゆえです。 もし貴方が十分に卑小であるなら、生活保護が受けられるでしょう。 貴方の面倒を見てくれる人が現れるかも知れません。 それが利点なのです。

卑小な貴方は、貴方の事を気遣い、貴方の卑小さを信じた、友達から援助が受けられるのです。 貴方の友達は、貴方の卑小さを見るに耐えず、貴方が苦しまないよう、どうにか助けたいと思うでしょう。

“You Who have sought and found littleness” – and incorporated it into Your being– “remember this: Every decision which You make stems from what You think You are, and represents the value that You put upon Yourself. Believe the little can content You and by limiting yourself, You will not be satisfied.”

〔卑小さを探して見つけた〕そして、それを自分の中に取り込んだ〔貴方は、次の事を思い出す必要があります。 貴方がする全ての選択は、貴方が自分を何だと考えているかによって決まります。 そして、貴方の全ての選択は、貴方が自分に与えた価値を表しています。 卑小さが自分を満足させると信じていますが、そう自分を限定することで満足は得られません。〕