原文
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=28791&mid=140159#M140159
January 16, 2010 ©NWFFACIM
ページ位置の確認。
Sparkly Book, page 380, a new section, entitled The Magnitude of Holiness.
Second Edition, page 332, the Power of Holiness.
First Edition, page 309, The Power of Holiness.
JCIM, page 160, The Magnitude of Holiness.
CIMS Edition, page 320, The Magnitude of Holiness.
少し瞑想しましょう。
今晩は。ようこそ。
新しいセクションは ”The Magnitude of Holiness” 「神聖の巨大さ」です。
しかし今日は数行しか読めないかもしれません。
“You still think Holiness is difficult, because You cannot see how It can be extended to include Every One. And You have learned that it must include Every One to be Holy.”
〔貴方はまだ神聖が難しいものだと考えています。 それは貴方が神聖をどのように差し伸ばして全ての人を包めば良いか理解出来ないからです。 貴方は、それが(何かが)神聖であるためには、それは全ての人を含んでいなければいけないと学びました。〕
(全ての人に与えられるべき)神聖を難しくしているもう一つの理由は、神聖と繋がろうとする時「それは孤独の内でするべき事だ」と貴方が考えているからです。
(一度に繋がれるのは)貴方と父の間、貴方と精霊の間、あるいは貴方とイエスの間、そうでなければ貴方ともう一人の兄弟か姉妹だけ(だと貴方が考えているからです。)
自分の神聖を求めていて、日常生活がその邪魔に成ったという体験をした事がある人は何人ぐらいいますか?
神か精霊と静かな時間を過ごそうとしている時、子供が煩くまとわり付くように乱入してくるのです。 「あれ頂戴。これ頂戴。これしていい? あれしていい?」 子供は貴方の庇護を必要としているので、貴方は彼らに自分の注意を移します。 もしかしたら、真理について熟考したり父と共に居ようとする時間が許されなかった事に対して少し嫌気がさしているかも知れません。
ある日子供の一人が、少しに熱を出してムズガッていて、そしてご亭主が仕事から帰って晩御飯を待っていたとしましょうか? 貴方がキッチンでご飯の用意を整えているとき、他の子供達が何時も以上に騒がしく騒いで、貴方は料理に専念できません。 熱で寝ている子供の為の癒しの祈りにも上手く入れません。 そうすると貴方は、これではあんまりだ、我慢し切れないと感じるでしょう。
解りますか? ここでの問題は、「神聖が皆に対して差し伸ばされるべきだ」と明確に解っていない事です。 それが神聖であるためには、それが全員に向かって差し伸ばされている必要があるのです。
だからこの問題は「スピリチュアルな願いとはプライベートなものだ」という誤解から発しているのです。
神聖(なもの)に全てを含める事が出来ない、それで全ての人を抱擁することができないと考えてしまうのが問題の原因です。
皆から自分を引き剥がし、自分の内に逃れる必要があると貴方は考えています。 自分の孤独な洞窟の中(全ての人を排除した瞬間の中)から自分をスピリチュアルにする事を試みているのです。
これが犯されている間違いです。 この間違いを認識して放棄できるように成らなければいけません。
貴方が静かになって精霊と繋がる目的、貴方が「聖なる瞬間」について「二つのステップ 」について学ぶのは、そうして啓示を呼び込む(それによって貴方が満たされる)のが目的なのです。 自分の中に洞察を呼び込むのが目的なのです。
父/精霊の視点が入ってきて、貴方にそれが示されるのを許し、貴方がそれを兄弟に分け与えられるようになるのが目的なのです。
貴方がそれを兄弟姉妹と分け合ったなら、それは貴方のものにもなるのです。 以前言ったとおり、これだけシンプルな事なのです。
だから、ここにはプライバシーは存在しないのです。 貴方が関係/係わり合いを避ける理由は全く無いのです。
先週、世界規模の{ハイチ地震の}ニュースがありました。 巻き込まれた人達にとっては大変災難な事でした。
貴方達の内何人の人が、彼ら(地震の被害者)と共にある事が出来たでしょうか?
幾人の人が、そこに示されている必要(Need)を意識できたでしょうか?
どれだけの人が、祈りで、あるいはより直接的(?)に助ける方法を見つけようと出来たでしょうか?
この国ではこれ以外にも悲劇が以前から多く起こっていたというニュースを見て、まるで彼の地では悲劇が人々にとって日常茶飯事で、彼らは悲劇に慣れ切っていて、それは彼らのカルマの様だと考えた人はどれ位いたでしょうか?
彼らが自分達の信念ゆえに、このような体験をしている、ともし貴方が考えたなら、彼らの行いが災害を招いたのだ、だから彼らの問題の解決には彼らのマインドの修正が必要だ、と貴方が考えたなら。
そうして、その真理の認識を貴方が(自分の思考の中で)彼らに対して当てはめれば良いのだと貴方が考えていたのなら、貴方は一番大切な点を取り逃がしたのです。
二つのステップ/聖なる瞬間を行なう事を通して、貴方はより良い兄弟姉妹に成るべきなのです。
貴方は、兄弟姉妹達の中で成就を照らし出す偉大な確証に成らなければいけません。 それは貴方の兄弟姉妹達にとって、彼らが愛されている事として認識されるのです。
私が昔述べた「良きサマリア人」は災難を見て道の向こうへは歩き去りませんでした。
彼は、貧しい魂を裁き、それが自分の考えを正せるようにと歩き去りはしませんでした。
彼は「神が貴方の面倒を見てくれます。」と信心深く言って歩き去りはしませんでした。 彼は「貴方は祈りのワークを通して癒しを得なければいけない。」と信念をもって言ったわけでもありません。
彼は何をしたでしょうか? 彼は追いはぎにあった人の傷をきれいに洗い、それの手当をしました。 彼はその人を抱き上げ(ロバで)運んだのです。
これは「兄弟(貴方)がより兄弟愛に溢れた行動をする様に成るべきだ」という事です。
今夜私は、いわば白黒をハッキリ表明しているのです。 そして昔私がポールに言ったように「貴方の足を地に着けて、貴方の頭もそのそばにおいて置きなさい。(地についた考え/行動をしなさい)」と言っているのです。
「私はあまり、そこで起こった悲劇を思考に留めたくないのです。 少し写真を見ましたが、酷すぎます。 これをマインドの中に留めて置きたくない。」と、貴方は言いますか?
貴方に一つ質問をしましょう。
幅広い人生経験をしている人と会った事はありませんか? 彼は(その豊かな経験ゆえに)必要(Need)を的確に理解しそれを実践的にどう満たせばよいか解っています。 彼が必要を認識でき、それを満たす方法を知っているのは、彼が今までそれらを無視してこなかった証拠です。 余り人生経験が豊かでない人に、頼る事を貴方は避けようとするでしょう(特に緊急の場合には)。
貴方の兄弟の必要に気付ける様に成るには、貴方は彼らと「共にある/いる事」が出来なければいけません。
次に私が言う事は、「共感」と言う用語の定義に矛盾しているように聞こえるかもしれません。
貴方が助けを必要としている兄弟姉妹/国/都市について聞いた/見た時、それは貴方を傷つけません。
貴方のマインドの中で、その様な状況内に自分を入れる事は、貴方に痛みをもたらす事ではありません。
例えば、電気ガスが無い、全部のお店が閉まっている生活、食べ物や水が不足していたり、正常な生活環境が全く無い状況を思い描いてみてください。 今まで貴方が頼ってきたあらゆるものが停止してしまったなら、それが貴方に起こったなら、貴方は立ち往生してしまうかもしれません。
私が「このような状況の中に自分の身を置いてみなさい」と言っているとき、私は「助けに成らない、非ACIM的態度で共感を使いなさい」と貴方に言っているのでしょうか?
違います。 私が言っているのは、「貴方のマインドを使って(出来るだけ正確に)今までした事の無い体験をシミュレートしてみなさい。 そうする事で(自分の体験に照らし合わせて)、そこ(例えば災害地)で必要とされてものが理解できるように。 そうして精霊に向き合い/聖なる瞬間を持ち、そこで必要とされているもの/ことがわかる様に。」
そして、「そこで奇跡が必要とされていると貴方に解るだけ十分に」(その状況に関して)マインドの表明(出現)が起これば、インフラが崩壊していても、電気がなくても、それらの状況にもかかわらず、奇跡が起こり得るのです。 奇跡が起こるのです。
そして状況がどれだけ酷かったとしても、残された人達は自分達が見た奇跡について話すでしょう。
「よきものが無くなってしまった」と言う状況の中で、誰かが神の存在を彼らに示して見せた体験について彼らは語るでしょう。
それは精霊が貴方に分け与えるシンプルな気付き「災難こそは奇跡の温床である」です。
この認識だけがそこに欠けているものだったかも知れません。 問題が表れているその場所で、癒し変容を起こす明晰さの為に欠けていたものは、この認識だけだったかもしれません。
しかし貴方が必要(助けの要請)と共にある/いる事を自分に許さなかったなら、貴方はこの様な認識を持てないでしょう。
その時、貴方は静かに座って聖書かACIMなどの聖なる書物を傍において、存在のリアリティについて黙想する余裕は持てないかもしれません。
しかし貴方が注意を払うべきなのは、貴方がマインドの中でマントラのように使うべきなのは、言葉ではありません。 貴方が注意を払うべきなのは「日常内に現れている必要(日常の中で必要とされているもの)」なのです。
貴方はそれらの必要(助けの要請)に挫かれる事なく、それに負けてしまう事無く、それと共にあるべき(その必要を見るべき)なのです。 貴方が(必要に対して)明確に答える声と成れるように。
貴方が「明確な答え」に意識を向けて、それにより満たされ、それが分け与えられるように。 それを(兄弟姉妹に)差し伸べられるように。
(私がこれを言う事は不適切であると考える人達も多いでしょうが) 貴方達全員に奨励しましょう。 (誓って、これはポールが言っているのではなく、私/Rajが言っているのです。)
「たとえ1ドルでも良いから募金しなさい。」
何故でしょうか? 貴方のマインドの意識的現れ(貴方の存在そのもの)が必要を満たせる様にです。 壮大な必要が現れている所で、貴方が繋がれる様にです。
いま世界中の人達が聞いていますね。 貴方が何処で聞いていても構わないのです。 貴方の世界の中でこの必要が起こっているのだから。
貴方の兄弟姉妹の一部が助けを必要としています。 そしてこれは、悲劇を解除する事に貴方が意識的に参加する機会を提供しています。 貴方が(違いをもたらす)愛の現われに成れる機会です。 それは知識上の違いではなく、関わりを持たない違いでもありません。
それは、傷を洗い清め、薬を塗り、包帯を当てる事です。 それに手を染めて下さい。
必要を満たす実際的な繋がりを持って下さい。 貴方を実際的に動かしている愛が、(癒される)必要のある人に感じられるようにして、彼/彼女の魂(スピリット)とマインドに、神がいることを思い出させてください。
“You still think Holiness is difficult, because You cannot so how It can be extended to include Every One. And You have learned that it must include Every One to be holy.”
〔貴方はまだ神聖が難しいものだと考えています。 それは貴方が神聖をどのように差し出して全ての人を包めば良いか理解出来ないからです。 貴方は、それが(何かが)神聖であるためには、それは全ての人を含んでいなければいけないと学びました。〕
貴方の神聖に対する無知を破るには、(助ける)必要が存在するところで貴方が繋がり(関わり合い)を持つことです。 「(貴方に実際に見えている)助ける必要」を満たすと同時に聖なる瞬間を持ち、貴方を通して過激な理想を実際的現実にするのです。
{「こうあるべきと貴方の正気が示している」アイディアを、(貴方にとっても)見れる触れる状態にするのです。}
貴方の足を地に着けて、そして貴方の頭もすぐ近くにおいておきなさい。
(貴方のいる)ここが天国です。 ここで天国が示されるべきなのです。
そして「必要が見えている所」が天国が隠されている部分です。 しかし隠されてはいても、依然としてそこにも天国が存在しています。
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January 16, 2010 ©NWFFACIM
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Sparkly Book, page 380, a new section, entitled The Magnitude of Holiness.
Second Edition, page 332, the Power of Holiness.
First Edition, page 309, The Power of Holiness.
JCIM, page 160, The Magnitude of Holiness.
CIMS Edition, page 320, The Magnitude of Holiness.
少し瞑想しましょう。
今晩は。ようこそ。
新しいセクションは ”The Magnitude of Holiness” 「神聖の巨大さ」です。
しかし今日は数行しか読めないかもしれません。
“You still think Holiness is difficult, because You cannot see how It can be extended to include Every One. And You have learned that it must include Every One to be Holy.”
〔貴方はまだ神聖が難しいものだと考えています。 それは貴方が神聖をどのように差し伸ばして全ての人を包めば良いか理解出来ないからです。 貴方は、それが(何かが)神聖であるためには、それは全ての人を含んでいなければいけないと学びました。〕
(全ての人に与えられるべき)神聖を難しくしているもう一つの理由は、神聖と繋がろうとする時「それは孤独の内でするべき事だ」と貴方が考えているからです。
(一度に繋がれるのは)貴方と父の間、貴方と精霊の間、あるいは貴方とイエスの間、そうでなければ貴方ともう一人の兄弟か姉妹だけ(だと貴方が考えているからです。)
自分の神聖を求めていて、日常生活がその邪魔に成ったという体験をした事がある人は何人ぐらいいますか?
神か精霊と静かな時間を過ごそうとしている時、子供が煩くまとわり付くように乱入してくるのです。 「あれ頂戴。これ頂戴。これしていい? あれしていい?」 子供は貴方の庇護を必要としているので、貴方は彼らに自分の注意を移します。 もしかしたら、真理について熟考したり父と共に居ようとする時間が許されなかった事に対して少し嫌気がさしているかも知れません。
ある日子供の一人が、少しに熱を出してムズガッていて、そしてご亭主が仕事から帰って晩御飯を待っていたとしましょうか? 貴方がキッチンでご飯の用意を整えているとき、他の子供達が何時も以上に騒がしく騒いで、貴方は料理に専念できません。 熱で寝ている子供の為の癒しの祈りにも上手く入れません。 そうすると貴方は、これではあんまりだ、我慢し切れないと感じるでしょう。
解りますか? ここでの問題は、「神聖が皆に対して差し伸ばされるべきだ」と明確に解っていない事です。 それが神聖であるためには、それが全員に向かって差し伸ばされている必要があるのです。
だからこの問題は「スピリチュアルな願いとはプライベートなものだ」という誤解から発しているのです。
神聖(なもの)に全てを含める事が出来ない、それで全ての人を抱擁することができないと考えてしまうのが問題の原因です。
皆から自分を引き剥がし、自分の内に逃れる必要があると貴方は考えています。 自分の孤独な洞窟の中(全ての人を排除した瞬間の中)から自分をスピリチュアルにする事を試みているのです。
これが犯されている間違いです。 この間違いを認識して放棄できるように成らなければいけません。
貴方が静かになって精霊と繋がる目的、貴方が「聖なる瞬間」について「二つのステップ 」について学ぶのは、そうして啓示を呼び込む(それによって貴方が満たされる)のが目的なのです。 自分の中に洞察を呼び込むのが目的なのです。
父/精霊の視点が入ってきて、貴方にそれが示されるのを許し、貴方がそれを兄弟に分け与えられるようになるのが目的なのです。
貴方がそれを兄弟姉妹と分け合ったなら、それは貴方のものにもなるのです。 以前言ったとおり、これだけシンプルな事なのです。
だから、ここにはプライバシーは存在しないのです。 貴方が関係/係わり合いを避ける理由は全く無いのです。
先週、世界規模の{ハイチ地震の}ニュースがありました。 巻き込まれた人達にとっては大変災難な事でした。
貴方達の内何人の人が、彼ら(地震の被害者)と共にある事が出来たでしょうか?
幾人の人が、そこに示されている必要(Need)を意識できたでしょうか?
どれだけの人が、祈りで、あるいはより直接的(?)に助ける方法を見つけようと出来たでしょうか?
この国ではこれ以外にも悲劇が以前から多く起こっていたというニュースを見て、まるで彼の地では悲劇が人々にとって日常茶飯事で、彼らは悲劇に慣れ切っていて、それは彼らのカルマの様だと考えた人はどれ位いたでしょうか?
彼らが自分達の信念ゆえに、このような体験をしている、ともし貴方が考えたなら、彼らの行いが災害を招いたのだ、だから彼らの問題の解決には彼らのマインドの修正が必要だ、と貴方が考えたなら。
そうして、その真理の認識を貴方が(自分の思考の中で)彼らに対して当てはめれば良いのだと貴方が考えていたのなら、貴方は一番大切な点を取り逃がしたのです。
二つのステップ/聖なる瞬間を行なう事を通して、貴方はより良い兄弟姉妹に成るべきなのです。
貴方は、兄弟姉妹達の中で成就を照らし出す偉大な確証に成らなければいけません。 それは貴方の兄弟姉妹達にとって、彼らが愛されている事として認識されるのです。
私が昔述べた「良きサマリア人」は災難を見て道の向こうへは歩き去りませんでした。
彼は、貧しい魂を裁き、それが自分の考えを正せるようにと歩き去りはしませんでした。
彼は「神が貴方の面倒を見てくれます。」と信心深く言って歩き去りはしませんでした。 彼は「貴方は祈りのワークを通して癒しを得なければいけない。」と信念をもって言ったわけでもありません。
彼は何をしたでしょうか? 彼は追いはぎにあった人の傷をきれいに洗い、それの手当をしました。 彼はその人を抱き上げ(ロバで)運んだのです。
これは「兄弟(貴方)がより兄弟愛に溢れた行動をする様に成るべきだ」という事です。
今夜私は、いわば白黒をハッキリ表明しているのです。 そして昔私がポールに言ったように「貴方の足を地に着けて、貴方の頭もそのそばにおいて置きなさい。(地についた考え/行動をしなさい)」と言っているのです。
「私はあまり、そこで起こった悲劇を思考に留めたくないのです。 少し写真を見ましたが、酷すぎます。 これをマインドの中に留めて置きたくない。」と、貴方は言いますか?
貴方に一つ質問をしましょう。
幅広い人生経験をしている人と会った事はありませんか? 彼は(その豊かな経験ゆえに)必要(Need)を的確に理解しそれを実践的にどう満たせばよいか解っています。 彼が必要を認識でき、それを満たす方法を知っているのは、彼が今までそれらを無視してこなかった証拠です。 余り人生経験が豊かでない人に、頼る事を貴方は避けようとするでしょう(特に緊急の場合には)。
貴方の兄弟の必要に気付ける様に成るには、貴方は彼らと「共にある/いる事」が出来なければいけません。
次に私が言う事は、「共感」と言う用語の定義に矛盾しているように聞こえるかもしれません。
貴方が助けを必要としている兄弟姉妹/国/都市について聞いた/見た時、それは貴方を傷つけません。
貴方のマインドの中で、その様な状況内に自分を入れる事は、貴方に痛みをもたらす事ではありません。
例えば、電気ガスが無い、全部のお店が閉まっている生活、食べ物や水が不足していたり、正常な生活環境が全く無い状況を思い描いてみてください。 今まで貴方が頼ってきたあらゆるものが停止してしまったなら、それが貴方に起こったなら、貴方は立ち往生してしまうかもしれません。
私が「このような状況の中に自分の身を置いてみなさい」と言っているとき、私は「助けに成らない、非ACIM的態度で共感を使いなさい」と貴方に言っているのでしょうか?
違います。 私が言っているのは、「貴方のマインドを使って(出来るだけ正確に)今までした事の無い体験をシミュレートしてみなさい。 そうする事で(自分の体験に照らし合わせて)、そこ(例えば災害地)で必要とされてものが理解できるように。 そうして精霊に向き合い/聖なる瞬間を持ち、そこで必要とされているもの/ことがわかる様に。」
そして、「そこで奇跡が必要とされていると貴方に解るだけ十分に」(その状況に関して)マインドの表明(出現)が起これば、インフラが崩壊していても、電気がなくても、それらの状況にもかかわらず、奇跡が起こり得るのです。 奇跡が起こるのです。
そして状況がどれだけ酷かったとしても、残された人達は自分達が見た奇跡について話すでしょう。
「よきものが無くなってしまった」と言う状況の中で、誰かが神の存在を彼らに示して見せた体験について彼らは語るでしょう。
それは精霊が貴方に分け与えるシンプルな気付き「災難こそは奇跡の温床である」です。
この認識だけがそこに欠けているものだったかも知れません。 問題が表れているその場所で、癒し変容を起こす明晰さの為に欠けていたものは、この認識だけだったかもしれません。
しかし貴方が必要(助けの要請)と共にある/いる事を自分に許さなかったなら、貴方はこの様な認識を持てないでしょう。
その時、貴方は静かに座って聖書かACIMなどの聖なる書物を傍において、存在のリアリティについて黙想する余裕は持てないかもしれません。
しかし貴方が注意を払うべきなのは、貴方がマインドの中でマントラのように使うべきなのは、言葉ではありません。 貴方が注意を払うべきなのは「日常内に現れている必要(日常の中で必要とされているもの)」なのです。
貴方はそれらの必要(助けの要請)に挫かれる事なく、それに負けてしまう事無く、それと共にあるべき(その必要を見るべき)なのです。 貴方が(必要に対して)明確に答える声と成れるように。
貴方が「明確な答え」に意識を向けて、それにより満たされ、それが分け与えられるように。 それを(兄弟姉妹に)差し伸べられるように。
(私がこれを言う事は不適切であると考える人達も多いでしょうが) 貴方達全員に奨励しましょう。 (誓って、これはポールが言っているのではなく、私/Rajが言っているのです。)
「たとえ1ドルでも良いから募金しなさい。」
何故でしょうか? 貴方のマインドの意識的現れ(貴方の存在そのもの)が必要を満たせる様にです。 壮大な必要が現れている所で、貴方が繋がれる様にです。
いま世界中の人達が聞いていますね。 貴方が何処で聞いていても構わないのです。 貴方の世界の中でこの必要が起こっているのだから。
貴方の兄弟姉妹の一部が助けを必要としています。 そしてこれは、悲劇を解除する事に貴方が意識的に参加する機会を提供しています。 貴方が(違いをもたらす)愛の現われに成れる機会です。 それは知識上の違いではなく、関わりを持たない違いでもありません。
それは、傷を洗い清め、薬を塗り、包帯を当てる事です。 それに手を染めて下さい。
必要を満たす実際的な繋がりを持って下さい。 貴方を実際的に動かしている愛が、(癒される)必要のある人に感じられるようにして、彼/彼女の魂(スピリット)とマインドに、神がいることを思い出させてください。
“You still think Holiness is difficult, because You cannot so how It can be extended to include Every One. And You have learned that it must include Every One to be holy.”
〔貴方はまだ神聖が難しいものだと考えています。 それは貴方が神聖をどのように差し出して全ての人を包めば良いか理解出来ないからです。 貴方は、それが(何かが)神聖であるためには、それは全ての人を含んでいなければいけないと学びました。〕
貴方の神聖に対する無知を破るには、(助ける)必要が存在するところで貴方が繋がり(関わり合い)を持つことです。 「(貴方に実際に見えている)助ける必要」を満たすと同時に聖なる瞬間を持ち、貴方を通して過激な理想を実際的現実にするのです。
{「こうあるべきと貴方の正気が示している」アイディアを、(貴方にとっても)見れる触れる状態にするのです。}
貴方の足を地に着けて、そして貴方の頭もすぐ近くにおいておきなさい。
(貴方のいる)ここが天国です。 ここで天国が示されるべきなのです。
そして「必要が見えている所」が天国が隠されている部分です。 しかし隠されてはいても、依然としてそこにも天国が存在しています。
を
〔貴方はまだ神聖が難しいものだと考えています。 それは貴方が神聖をどのように差し伸ばして全ての人を包めば良いか理解出来ないからです。〕
と書き換えました。