目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-09-05 #4

2009-09-15 08:11:44 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

2009年9月 5日 ©NWFFACIM


“There are no private thoughts.”

〔プライベートな思考は存在しません。〕

とても興味深い、意味深な言葉ですね。

これに関して、興味深い会話も成り立つでしょう。 しかしシンプルに言えばこれは、貴方(達)のマインドには境目が存在しておらず、貴方のマインドを区切っている境界線は存在しない、と言うことです。

貴方のお隣さんや、貴方の配偶者のマインドにも、宇宙に存在する誰のマインドにも「絶対的境界線」は存在しません。 何時でも{全てのもの同士の}コミュニケーションが行われ続けています。 そして貴方はそれを感じることが出来ます。


よく「彼女は私よりも繊細だ。」「私は神経過敏で苦しんでいる。」「私は、他の人の感情などを感じることが出来る。」 と言ったりしますね。


これは、それ程コミュニケーションを拒んでいない人もいるという事です。 実際にコミュニケーションはリアルに{見えない、体を通さないルートで}行われているのです。

“The illusion of the autonomy of the body and its ability to overcome loneliness is but the working of the ego’s plan to establish its own autonomy.”

〔「体が自立しており、それが孤独を克服することが出来る」と言う幻想は、エゴが自分の独立を確立する為のプランです。〕


少し前に〔エゴの本当の望みを、貴方は理解していません。〕と読みました。
エゴが欲しているのは、自分の自治独立を確立する事です。 これが孤児の考え方です。

エゴは、(神の)操り人形ではなく、リアルな子供に成りたいのです。 それをする事により、エゴは神を否定し、神を実際よりも小さいものにしようと本当に試みるのです。

初めは神の子供であったものが孤児に成り、そして孤児の境遇から本当の子供に、リアルな子供に成りました。{と考えています。} これをする事により、父から、神の子供を二人減らしたのです。 従って神が子供二人分だけ父でなくなったのです。 その分だけ、神が神でなくなったのです。 {ここで、「二人減った」と言っているのは、神から分離したという幻想を作るには、最低限二つの意識が幻想に対して相互同意する必要があるからです。}

このように言えば、これがとても馬鹿げた事だと解りますね。 と同時にエゴの目的もこれでハッキリしました。  「全員がどうにかして、孤児の境遇から始めて、最終的にリアルな独立した子供に成りたい。」

これがエゴが本当に望んでいる事です。  これは上手くは行きません。 これだけクリアにわかれば、これを(エゴの目的を)これ以上遂行するのは放棄できるはずです。 そして聖なる瞬間を持つ事が出来るはずです。


“As long as You believe that to be with a body is companionship, You will be compelled to attempt to keep Your Brother in His body, held there by guilt. And You will see safety in guilt, and danger in communication,”

〔「体と共に在るという事が、仲間を持つという事だ」と信じている限り、貴方は、罪を使って、自分の兄弟姉妹を彼らの体に押し込めて置こうとしてしまいます。 そして、貴方は罪の中に安全を見て、コミュニケーションの中に危険を見るのです。〕


こうして、完全にあべこべになってしまっています。


“For the ego will always teach that loneliness is solved by guilt.

〔何故なら、エゴは何時でも、「孤独は罪によって解決することが出来る」と教えるからです。〕


二人を特別な関係で縛る為に、罪が使われます。 罪を使ってお互いを縛り一体感を感じなければ、特別な関係は自然には起こりません。


“The ego will always teach that loneliness is solved by guilt, and that communication is the cause of loneliness. And despite the evident insanity of this lesson, You have learned it.”

〔エゴは何時でも、「孤独は罪によって解決することが出来る」と教え、「コミュニケーションが孤独の原因だ」と教えます。 そして、このレッスンがハッキリと気違い染みているにも関わらず、貴方はこれを学んだのです。〕


このレッスンをとても良く学んでしまったので、貴方が精霊に、父に、貴方のガイドに自分を差し伸べて、幻想を破ろうとしても、それがすぐには起こらない(様に見える)のです。


貴方がストレスを受けている時か、「ここまでしなければいけないのは間違っている」と思える程(聖なる瞬間を)求め続けた時だけ、これが起こる様に見えます。 これが貴方が、この(エゴの)レッスンをとても良く学んでしまった証拠です。

“Forgiveness lies in Communication, as surely as damnation lies in guilt. It is the Holy Spirit’s teaching function to instruct Those Who believe that Communication is damnation that Communication is salvation.”

〔罪が非難(断罪)からもたらされる様に、赦しはコミュニケーションによりもたらされます。  「コミュニケーションがすなわち断罪である」と信じている人達に「コミュニケーションがすなわち救済である」と教えるのが精霊の役割です。〕


数週間前に、このセクションをこの文から読み始めました。 今ここでもう一度読んだときに、より良く解る様に。

“It is the Holy Spirit’s teaching function to instruct Those Who believe-”
〔教えるのが精霊の役割です。〕



次の様に言い換える事も出来ます。 
精霊という神の声の役目は、真理を話すことです。 神の声{言葉}を話すことです。


“It is the Holy Spirit’s teaching function to instruct Those Who believe that Communication is damnation that Communication is salvation. And He will do so.”

「コミュニケーションが断罪だ」と信じている人達に「コミュニケーションが救済だ」と教えるのが精霊の役割です。 だから精霊はそうするのです。〕


だから貴方は、挫けたり落ち込んでしまったとき、これらの文献(ACIMやRajのテキスト)を読んで、嬉しい知らせを自分に思い出させる必要があるのです。 貴方は事実を聞く必要があります。


“It is the Holy Spirit’s teaching function to instruct Those Who believe that Communication is damnation that Communication is salvation. And He will do so for the Power of God in Him – and You – is Joined in Real Relationship, so Holy and so strong that it can overcome even this without fear.”

〔「コミュニケーションが断罪だ」と信じている人達に「コミュニケーションが救済だ」と教えるのが精霊の役割です。 だから精霊はそうするのです。 何故なら、精霊とそして貴方の中にある神の力はリアルな関係の中で結ばれているから。 その結びつきは、とても神聖で強靭なので、これ(コミュニケーションに対する誤解)さえも恐れなく乗り越える事ができます。〕



これが「よき知らせ」です。 精霊と貴方は「とても神聖で強い」リアルな関係で繋げれています。 この繋がりはとても強靭なので、これ(コミュニケーションに対する誤解)さえも恐れなく乗り越えることができます。


何を乗り越えるのでしょうか? 「コミュニケーションが救済」なのに「コミュニケーションが断罪だ」と信じている状況を乗り越える事が可能です。

“It is through the Holy Instant that what seems impossible is accomplished. “ 

〔聖なる瞬間を通して、不可能と思えることが達成されます。〕(達成されています)


聖なる瞬間を通して、ラジカルな理想主義が実用的現実主義に変換されます。


It’s “accomplished, making it evident that it is not impossible.”

〔これが達成されている事が、これが不可能でないと立証しています。〕


これを、「貴方に変容をもたらす学習の始まり」と言ってもいいでしょう。 しかし貴方が「私には出来ない。 私には上手く働かない。 試しても試しても、何度やっても私には出来ない。」という声を否定しない限り、「ラジカルな理想主義が実用的現実主義に変換される」事は起きません。


貴方が「誰々は私よりもスピリチュアルに進んでいるから、私に出来ないことが出来るのだ。」と言っている間は、貴方はそれを(自分が出来ているのを)見ることができません。

“It is through the Holy Instant that what seems impossible is accomplished.”

〔聖なる瞬間を通して、不可能と思えることが達成されます。〕


現存する最悪の罪人でも、聖なる瞬間は可能なのです。 何故なら罪人とは、自分自身に対する嘘を一時的に信じてしまった神の子だからです。


そして彼らが信じた嘘は、彼らの真実ではないので、聖なる瞬間がどの瞬間にでも可能なのです。


全ての人に与えられている「聖なる瞬間」を通して、不可能と見える事が達成され、それが不可能でないと解るのです。

こうして、聖なる瞬間を得た者が、自分は酷い罪人ではなく(神に断罪された罪人ではなく)神に祝福された存在だと気付くのです。

その時、自身が(信じていたような)罪人ではなく、神の子に違いないと解るのです。 自分は「他の人達が考えていたような罪人」ではなく、神の子に違いないと解るのです。

これが変容です。


“In the Holy Instant guilt holds no attraction.”

〔聖なる瞬間の中では、罪は魅力を持ちません。〕


貴方が聖なる瞬間の内にある時には、「何かを達成する為に罪を使う」というアイディアさえ起こらないのです。


こうして、貴方はもはや罪に惹きつけられなくなります。  すると使用道具としての魅力を、罪に感じなくなるので、 罪を与えられてしまう体験(罪を持ってしまう体験)に、貴方はもう引き込まれなくなるのです。 罪の魅力に対抗する苦労はなくなるのです。

“In the Holy Instant guilt holds no attraction since, Communication has been restored.”

〔聖なる瞬間の中では、コミュニケーションが修復されているので、罪の魅力は無くなります。〕


こうして貴方自身の全体の(健全の)体験が修復されるのです。 孤児のマインドを持たない、精霊(つまり貴方のその他の部分)から分離していない、「貴方」が体験できるのです。


貴方の全体、貴方の尊厳、貴方の無垢(罪を知らない状態、貴方の無欠さがあらわに成るのです。 そして自分が誰だか、疑いなく知るのです。

“In the Holy Instant, guilt holds no attraction.”


〔聖なる瞬間の中では、罪は魅力を持ちません。〕



聖なる瞬間にこれを覚えていなさい。 「神の法がなされるのです。」 これは上の言葉と同じ事を言っています。 


“In the Holy Instant God’s Laws prevail. “

聖なる瞬間の中では、神の法(だけが)なされるのです。

“In the Holy Instant guilt holds no attraction since communication” – Integrity – “has been restored. And guilt, whose only purpose is to disrupt communication, has no function here.”


〔聖なる瞬間の中では、コミュニケーションが修復されているので、罪の魅力は無くなります。 コミュニケーションを乱す事だけを目的としている罪は、ここでは機能しません。〕

罪の目的は一つだけです、それは「貴方が精霊と直接コミュニケーションする」のを破壊する事です。 貴方が精霊と直接コミュニケートしたなら、貴方と精霊が一つであることが貴方に示されます。 貴方が神の子供であると示されます。
“Here there is no concealment and no private thoughts. “
〔ここには、隠し立てやプライベートな思考は存在しません。〕

マインドがコミュニケートしている時、貴方は体がコミュニケートしてるとは考えません。  マインドが、すなわちコミュニケーションなのです。マインドは、永遠の無限の創造の全体の、全ての事を知っています。

“-there is no concealment and no private thoughts. The willingness to communicate attracts Communication to It and overcomes loneliness completely.”

〔ここには、隠し立てやプライベートな思考は存在しません。コミュニケーションしようという意志が、それにコミュニケーションを引き付けます、そして孤立を完全に打ち破るのです。〕


貴方は、これを聞かなければいけません。 これがよき知らせです。 貴方が「私には出来ない。 私に出来るように成る訳がない。」と言ってしまっている時、貴方は上の分を読んで自分に思い出させる必要があります。


“There is complete forgiveness here for there is no desire to exclude Anyone from Your Completion in sudden recognition of the Value of His Part in It.”

〔ここに完全な赦しがあります。 「貴方が完全に成る事(貴方の全体)」から「誰かをのけ者にしたい」という意志が、ここには無いからです。 なぜなら、貴方は突然(貴方の全体の中での)彼の価値を理解するからです。〕

貴方が完成する為に(完全に成るために)全ての人、全てのものが、絶対必要なのです。 何故なら、それらは全て創造の一部だからです。 それらは、「一つのモノとして存在する」無限の創造の一部なのです。 創造が「一つのモノとして存在するのは」それが純粋に一つのマインド(一つの神)の表現だからです。 それは分離を全く持っていません。 それは{例えば善悪に}分極化される事は無く、完全に調和しており、全ての可能性を表す無垢な愛なのです。


“In the protection of Your Wholeness, All are invited and made welcome.”

〔貴方の全体の庇護の下に、全てが呼び出され、全てが受け入れられます。〕


全ての人を、貴方は呼び出し、受け入れるのです、何故ならそれらが(全ての人を受け入れることが)貴方の全体を守るからです。 誰かを締め出せば、貴方の全体を損なうことになり、貴方は孤児の境遇に立ち帰ってしまいます。


“And You understand that Your Completion is God’s, Whose only need is to have You be Complete.”

〔「貴方の完成(貴方が全てに成る事)が神のものだと」貴方は理解するのです。 神が唯一必要とするのは、貴方が完成することです。〕

神が唯一必要とするのが、貴方を完成させる(完全にさせる)事なので、 神が貴方の完成を(そして貴方が自分が完全に成っていると知る事を)必要としているので、それ故に、神の救済のプランが存在するのです。


“For Your completion makes You His in Your awareness.”

〔何故なら貴方の完成が、「貴方の意識の中でも」貴方を神の子供にするからです。〕

もちろん貴方はいつでも神の子であり続けました。 しかし貴方はそれを知らなかったのです。 貴方は自分一人で生き残るのに忙しく、この可能性を考えて見たいとも思わなかったのです。


“For Your completion makes You His in Your awareness. And here it is that You experience Yourself as You were Created and as You are.

〔何故なら貴方の完成が、「貴方の意識の中でも」貴方を神の子供にするからです。 そして、ここで貴方は自分自身を作られているとおりに体験するのです。〕

長くかかりましたが、これで「The Holy Instant and Communication」と言うセクションを読み終えました。

このセクションがどれだけ内容が濃く重要か理解できたと思います。 そしてその目的が「神の救済のプランの幸福な完了」だと解った訳です。

ですから今週は、(聖なる瞬間を)望み続ける意欲を保ちながらも、気持ちを軽くリラックスしていてください。

真理を知りたいと真摯に考えて、自分の注意を長い時間、精霊(或いは父)に与え、真理を示して欲しいと求めている時にも、自分を厳しく罰することなく、罪の可能性(自分には出来ない!)を期待せずに行いなさい。

恐れを考えずに、これを行いなさい。 神の救済プランは苦痛になる様には作られていません。 これは、神を捨てた事に対する罰として与えられている訳ではありません。


父の救済のプランは愛によって、愛と共に作られているのです。 貴方が故郷に帰る過程を、愛と共に進める様。

ですから、貴方が憂鬱に成ってしまったら、落ち込んでしまったなら、自分に対するネガティブな声が聞こえ始めたなら、 それらに対して「黙れ!」と一喝するのです。 そして、どの様でも貴方にあった方法で、真理をもう一度自分に思い出させるのです。

次回にも、またお会いするのを楽しみにしています。  

今週、貴方の発見の過程が楽しいものでありますように。 しかし、もし貴方が不合理な(不当にネガティブな)状況に対して努力し続けなければならない様に見えたなら、あきらめないで(聖なる瞬間の中にいられる様)望み続けなさい。

出来るだけ心軽やかに、聖なる瞬間に向き合いなさい。 何故なら貴方は「自分には出来ない。」という言葉に従順になる必要は無いからです。 貴方は、その言葉を無視して、(理不尽と思える事にさえも)ハッピーな好奇心を持つ事が出来るのです。 本当に。