リタイヤおじさんの日々

日常のほっとする風景を描いています

U さん68歳,、逝く。

2010-07-30 08:41:33 | 日記
 納棺のとき、奥様の号泣は身に堪えました。あの明るい笑顔の奥さまが、全てを投げかけた姿は、ご主人との生活の一生を凝縮した瞬間でした。
ほんとに短かったけれど幸せだったという感謝の気持ちが伝わってきました。最後は自宅で過ごした数週間と聞いていました。そのとき、二人だけのそして家族との時間を追憶したことでしょうが、、、、。

それだけ奥さまを、家族を大切にしていたUさんとは会社をリタイヤした後も含め40年近くになる。

 昭和の「坂の上の雲」の時代に生き、福島の地に奥さまと腰を据え家族を育て、福島の風土を受け入れ生活を楽しんでいました。
東京時代から、福島県での工場設立を最初から携わり、世界的にヒットし、C社の大きな飛躍の一つとなったカメラの量産を構築し、仲間たちと楽しく働き、定年のまじかにリストラ(事業転換、構造改革)に多くの汗水を流した。

 今の時代には無くなったという、当時の働く連帯意識、企業の文化、風土を大切にし、常に現場にいて多くの人間をひっぱていた人だった。前向きな仕事の取り組み、控え目な態度、若者を育てる熱意は誰しもが認めていた。

 多くは語らなかったが、小さなころの苦労がバックにあったと晩年に、仲間たちと楽しんだスキーの後、露天風呂で二人の時、チラッと語っていたのが印象的であった。

そのチラッと語った事がすべての根源かも知れない。
その根源が奥さまを愛し、家族を大切にし、仲間を、また特に若者を大切にしたのかもしれない。

 リストラ(構造改革)の際は人事部門長から信頼され一緒に苦労して人事異動に絡んだ時はほんとにつらかったとこれも露天風呂のなかで聞いた。

 そんな若者たちの一人が今、感謝の気持ちで自ら率先して葬儀のわき役に徹していたのが、印象的であった。

前立腺がんで亡くなりほんとに残念だし、少し短かった人生だが、子供たちも巣立ち、若者たちも成長した。

奥さまにはまだ少し時間が必要でしょうが、

私は「ありがとうございました。Uさん」。と、帰路の新幹線のなかで追憶した。

合掌

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