かさじぞうという物語は、年末のおはなしの定番です。
これがいつの時代を舞台にした話か、ぜんぜん知らいのですが、歴史として仮説をたてると面白いのです。そこでよく授業で話す内容を紹介します。ぜんぜん嘘だったらごめんなさい・・・。
お話は、まずしいおじいさんとおばあさんが、年越しの品々を買うために、傘をあんでそれを町へ売りに行くんだけど、ひとつも売れない。それで、おじいさんは傘を持って変える帰りに、雪にぬれたお地蔵さんを見つけて・・・という内容ですね。
この話には、いくつかの前提がなければならない。
(1)おじいさんが年末に傘を売る「市場」が存在する(おそらく定期市か)。
(2)傘を売って得られる「通貨」が存在する(明銭?宋銭?あるいは)。
(3)そして、おじいさんは傘を自由に売ることが認められている(楽市楽座)。
したがってこの話は、少なくとも戦国時代以降の話ということになります。
さて、ここで視点を変えると、このおじいさんとおばあさんが、今の老人と大きく違うのは、そう、年金をもたっていないということです。あたりまえじゃないかと思うかもしれませんが、そう考えたら歴史は学べません。年金ができたのは、年金がないと困るからできたのであって、つまり、かさじぞうの頃は、年金なんて必要なかったんです。
どうしてかというと、おじいさんやおばあさんのつくった傘が、市場でちゃんと売れて、おじいさんとおばあさんはその正当な対価を得ることができた。正当な対価というのは、たとえば傘1つつくるのに3日かかれば、それで3日分以上の衣食住が保障される分ということです。物語では傘は売れませんでしたが、最後にお地蔵さんが贈り物をもってやってくるという結末には、対価が得られるのが当然だという価値観が見えます。
ところが、現在では、そんなことはできない。それは、産業革命によって企業が生産する安くて規格化された「商品」が、手工業をすべて破壊してしまったからです。現在では、おじいさんたちが傘を手で作って売っても、正当な対価は得られないでしょう。
現代では、人々は労働力として企業に奉仕して対価を受け取ります。しかし、企業が要求する仕事は一定でも人間の体は変化しおとろえるので、定年を迎えると仕事ができない。だから、年金という制度が必要になるんですね。
かさじぞうの時代には、畑仕事のできないくらい年を取ったおじいさんとおばあさんでも、傘をつくって対価を得れば、生計をたてることができたということです。
高齢社会をむかえる21世紀、かさじぞうの頃の経済システムは、年金問題に直面して困惑するわれわれにとって、新鮮なものですね。
これがいつの時代を舞台にした話か、ぜんぜん知らいのですが、歴史として仮説をたてると面白いのです。そこでよく授業で話す内容を紹介します。ぜんぜん嘘だったらごめんなさい・・・。
お話は、まずしいおじいさんとおばあさんが、年越しの品々を買うために、傘をあんでそれを町へ売りに行くんだけど、ひとつも売れない。それで、おじいさんは傘を持って変える帰りに、雪にぬれたお地蔵さんを見つけて・・・という内容ですね。
この話には、いくつかの前提がなければならない。
(1)おじいさんが年末に傘を売る「市場」が存在する(おそらく定期市か)。
(2)傘を売って得られる「通貨」が存在する(明銭?宋銭?あるいは)。
(3)そして、おじいさんは傘を自由に売ることが認められている(楽市楽座)。
したがってこの話は、少なくとも戦国時代以降の話ということになります。
さて、ここで視点を変えると、このおじいさんとおばあさんが、今の老人と大きく違うのは、そう、年金をもたっていないということです。あたりまえじゃないかと思うかもしれませんが、そう考えたら歴史は学べません。年金ができたのは、年金がないと困るからできたのであって、つまり、かさじぞうの頃は、年金なんて必要なかったんです。
どうしてかというと、おじいさんやおばあさんのつくった傘が、市場でちゃんと売れて、おじいさんとおばあさんはその正当な対価を得ることができた。正当な対価というのは、たとえば傘1つつくるのに3日かかれば、それで3日分以上の衣食住が保障される分ということです。物語では傘は売れませんでしたが、最後にお地蔵さんが贈り物をもってやってくるという結末には、対価が得られるのが当然だという価値観が見えます。
ところが、現在では、そんなことはできない。それは、産業革命によって企業が生産する安くて規格化された「商品」が、手工業をすべて破壊してしまったからです。現在では、おじいさんたちが傘を手で作って売っても、正当な対価は得られないでしょう。
現代では、人々は労働力として企業に奉仕して対価を受け取ります。しかし、企業が要求する仕事は一定でも人間の体は変化しおとろえるので、定年を迎えると仕事ができない。だから、年金という制度が必要になるんですね。
かさじぞうの時代には、畑仕事のできないくらい年を取ったおじいさんとおばあさんでも、傘をつくって対価を得れば、生計をたてることができたということです。
高齢社会をむかえる21世紀、かさじぞうの頃の経済システムは、年金問題に直面して困惑するわれわれにとって、新鮮なものですね。