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スグルの歴史発見

社会科教員をやっているスグルの歴史エッセイ。おもに中学生から高校生向きの内容ですが、大人でも楽しめると思います。

かさじぞうが語る経済史

2005年07月09日 11時05分28秒 | 名作シリーズ
 かさじぞうという物語は、年末のおはなしの定番です。
 これがいつの時代を舞台にした話か、ぜんぜん知らいのですが、歴史として仮説をたてると面白いのです。そこでよく授業で話す内容を紹介します。ぜんぜん嘘だったらごめんなさい・・・。
 お話は、まずしいおじいさんとおばあさんが、年越しの品々を買うために、傘をあんでそれを町へ売りに行くんだけど、ひとつも売れない。それで、おじいさんは傘を持って変える帰りに、雪にぬれたお地蔵さんを見つけて・・・という内容ですね。
 この話には、いくつかの前提がなければならない。
(1)おじいさんが年末に傘を売る「市場」が存在する(おそらく定期市か)。
(2)傘を売って得られる「通貨」が存在する(明銭?宋銭?あるいは)。
(3)そして、おじいさんは傘を自由に売ることが認められている(楽市楽座)。
 したがってこの話は、少なくとも戦国時代以降の話ということになります。
 さて、ここで視点を変えると、このおじいさんとおばあさんが、今の老人と大きく違うのは、そう、年金をもたっていないということです。あたりまえじゃないかと思うかもしれませんが、そう考えたら歴史は学べません。年金ができたのは、年金がないと困るからできたのであって、つまり、かさじぞうの頃は、年金なんて必要なかったんです。
 どうしてかというと、おじいさんやおばあさんのつくった傘が、市場でちゃんと売れて、おじいさんとおばあさんはその正当な対価を得ることができた。正当な対価というのは、たとえば傘1つつくるのに3日かかれば、それで3日分以上の衣食住が保障される分ということです。物語では傘は売れませんでしたが、最後にお地蔵さんが贈り物をもってやってくるという結末には、対価が得られるのが当然だという価値観が見えます。
 ところが、現在では、そんなことはできない。それは、産業革命によって企業が生産する安くて規格化された「商品」が、手工業をすべて破壊してしまったからです。現在では、おじいさんたちが傘を手で作って売っても、正当な対価は得られないでしょう。
 現代では、人々は労働力として企業に奉仕して対価を受け取ります。しかし、企業が要求する仕事は一定でも人間の体は変化しおとろえるので、定年を迎えると仕事ができない。だから、年金という制度が必要になるんですね。
 かさじぞうの時代には、畑仕事のできないくらい年を取ったおじいさんとおばあさんでも、傘をつくって対価を得れば、生計をたてることができたということです。
 高齢社会をむかえる21世紀、かさじぞうの頃の経済システムは、年金問題に直面して困惑するわれわれにとって、新鮮なものですね。

源氏には成功要因があり平氏には失敗要因があった?

2005年07月08日 19時32分36秒 | 中学歴史
 1185年壇ノ浦の戦いで平氏は滅び、1192年鎌倉幕府が成立した。これについて教科書では、決まって次の2点を扱っている。
 1) 源氏の成功要因
 2) 平氏の失敗要因
 しかし、この見方は正しくないと思う。
 両者の体制をよく調べてみると、源氏にも権力の確立に失敗する可能性はあったし、平氏にも清盛以後長期政権を維持する可能性はあったと考えられる。したがって、
 1) 源氏の成功要因と失敗要因
 2) 平氏の成功要因と失敗要因
 がそれぞれあると考えなければならない。
 ここで大切なのは、もしも平氏が一連の源氏との戦いに勝利できれば、平氏の成功要因と源氏の失敗要因が、構成の脚光を浴びていたであろうという点だ。
 その場合は、平氏の経済基盤と官位への浸透は、成功要因としてリストアップされることになる。源氏側の鎌倉での独自のやり方は、戦いに敗れれば平将門の乱と同じ評価を受けるだろう。
 したがって、平氏には失敗すべき要因があって敗れた、源氏には成功する要因があって勝利した、という見方はあとからのでっちあげであって、歴史の視点としてはいかがなものかと思う。
 富士川、倶利伽羅峠、一の谷、屋島、壇ノ浦などの個々の戦闘の結果によって歴史が動いてきたこともまた事実である。
 どれほど成功の基盤をそろえていたとしても、対立勢力との戦闘にやぶれれば意味がないのだ。
 歴史の教科書は、もう少しそういった戦闘の重要性に踏み込むべきかもしれない。
 
 

古代文明の時代、子どもはビールを飲んでいた!?(再掲載)

2005年07月02日 22時30分58秒 | 世界史
 現在では、20歳未満の飲酒は法律で禁じられているけど、古代文明の時代には、子どもたちはビールを飲むことができたという。それどころか、水よりもビールを飲むようにすすめられていたというのだ。いったいなぜだろう。
 古代には、浄水技術が不完全だったから、水を消毒することができなかった。水には人間の体に害を及ぼす菌が含まれていることも少なくなかったんだ。ところが、ビールのアルコールには殺菌作用があるので、ビールは水にくらべるとはるかに安全な飲み物だったんだ。
 話はビールだけではない。エジプトやメソポタミアは大河にうるおされた肥沃な土壌で麦がたくさんとれたけれど、イタリアなど地中海沿岸の文明ではそうはいかなかった。地中海性気候のもとでさかえたローマやギリシャの文明ではそこで、麦のかわりに葡萄をつかってアルコール飲料をつくりだすことを考えた。これがワインだ。
 いまでは人間の体とくに子どもの体に害を及ぼすと考えられているビールやワインだけど、古代にはまったく反対に、安全な飲料として幅広い世代に飲まれていたってことだ。
 この考えをもうすこし深く掘り下げてみると、アルコールが人口増加率にかかわってくると考えることができる。危険な真水しかのめなかった地域にくらべて、安全なアルコールを飲んでいた地域では、子どもの死亡率が低かったはずだから、とうぜん人口増加率も高かったと思われる。人口増加は、高度な文明の発達に不可欠な要素だから、「アルコールのない地域では文明の発達はおくれていた」「アルコールの存在が文明の発達をあとおしした」といえそうだ。

勝っても負けても損をしないノーリスク戦争~元寇~

2005年07月01日 18時30分12秒 | 中学歴史
 歴史には、ときどき「うまい話」というのが存在する。
 たとえば今回紹介する「元寇」がそうだ。
 元寇を、僕らはどうしても日本側から見てしまうんだけど、あれを元側から見るとぜんぜんちがった構図が見えてくる。
 ちょっと次の年表を見ていただきたい。中学校の資料集にも載っている程度の年表だ。
 1259年 高麗が元に服属
 1268年 元の国書が大宰府に届くが鎌倉幕府はこれを黙殺
 1271年 元、1回目の日本攻撃(弘安の役)
 1279年 元が南宋を滅ぼす
 1281年 元、2回目の日本攻撃(文永の役)
 実は、日本を攻撃した元軍は一回目が高麗兵、二回目が高麗兵と南宋兵が大部分を占めていた。これが何を物語るかわかりかな。
 つまり、元は、服属させた高麗の軍隊と、屈服させた南宋の軍隊を、日本に「向かわせた」のだ。高麗や南宋が元に強く抵抗したことは知られている。ほおっておけば、高麗や南宋が反乱を起こしかねない。そこで、高麗と南宋の軍事力を、そっくりそのまま日本攻撃にむけてしまおうというわけだ。
 島国である日本を攻めるには、当然船が必要だから、これを建造するために経済力を消耗させることができるし、危険な軍事力を船に乗せて送り出してしまえば、元にとってこれほどうまい話はない。
 よく、元寇で日本が勝てたのは、元軍が高麗や南宋の兵ばかりで、戦意が乏しかったからだ、という点が取り上げられるが、それは木を見て森を見ずというもので、より大きな視点に立てば、高麗や南宋の兵と日本の兵が戦ったこと自体が、元側の戦略だったのだ。
 フビライハンは、日本に朝貢以上のものを望んでいなかっただろうし、もちろん勝てば勝ったで今度は東南アジアなりに新たな遠征を計画することもできたし、負けても元は何の損もしない(なぜなら日本の勝利は、元に刃向かうおそれのある南宋軍と高麗軍を消耗させ、相対的に元の支配が強まることを意味するからだ)。
 こうしてフビライはためらうことなく日本攻撃を決定した。日本攻撃は、勝っても負けてもフビライが得をする、ノーリスクの戦争だった。このように元にきわめて有利な国際情勢を作り出してしまうあたりから、すべてはフビライの戦略だったとしたら、フビライハンがいかに聡明な君主であったかわかる。 
 高麗も、南宋も、日本も、元に踊らされたわけである。
 さすが青き狼チンギスハンの孫だ。

ローラたちはなぜ大草原のちいさな家に住んだの?

2005年04月13日 18時42分08秒 | 名作シリーズ
 僕は子どものころ、テレビで「大草原のちいさな家」を見て育った世代だ。
「大草原のちいさない家」は、1937年、ローラ・インガルス・ワイルダーの作品。あの作品の原作は、著者のローラが、子どものころに経験した出来事をもとに書いたものだ。
 ローラが生まれたのは1867年というから、これは日本では大政奉還の年である。大草原のちいさな家のローラはまだ小学生くらいだから、あれは1870年代、日本が明治維新を進めていたころのアメリカの話ということになる。
 さて、なぜローラたちが大草原のちいさな家に住んでいたかというと、それは、当時のアメリカの歴史と関係がある。簡単な年表を見てみよう。
 1848年 カリフォルニアで金鉱が見つかる
 1849年 ゴールドラッシュはじまる
 1869年 大陸横断鉄道開通
 1890年 フロンティア消滅 → 海外進出、帝国主義へ
 アメリカはもともと東海岸の13州で独立したちいさな国だった。それが、しだいに領土を増やして大陸国家になった。1848年、カリフォルニアで金鉱が見つかると、1849年には、東部に住んでいた多くの人が西部に移住するようになった。こうして金鉱のある西部に人口が移動し始めたことをゴールドラッシュ、この1849年に移住した人々のことをフォーティーナイナーズ、そして移民のいちばん最前線をフロンティアというよ。
 しかし、アメリカ大陸の西部にはまだ多くの原住民(インディアン、ネイティブアメリカン)がすんでいたので、当然移民との間にいざこざもおきた。
 ローラたちインガルス一家は、この時期に西への移民を選択した。一家はインディアンの住んでいる地域のちかくに丸木小屋を建て、同じように移民してきた人々と生活をはじめた。このころ、大陸横断鉄道も開通している。作品の中にも、インディアンとの争いや、大陸横断鉄道が出てきたように記憶している。自分の土地を手に入れ、自分の農地を耕す、そんなフロンティアの開拓は、アメリカンドリームだった。
 しかし、1890年には、フロンティアも消滅する。国内に移民先を失ったアメリカは、ハワイを併合し、フィリピンを獲得し、列強に中国での門戸開放を要求して、帝国主義諸国の仲間入りをしていくことになる。 
 ローラ・インガルス・ワイルダーは1957年に亡くなった。日本で言えば、ちょうど明治維新から敗戦、復興までの時期に相当する。あのドラマでは子どもだったがやがて大人になり新聞やテレビも見たであろうローラの目に、日本や世界の歴史はどのように映っていたのだろうか。
 

縄文人は農耕をしなかったワケ

2005年03月02日 20時39分51秒 | 中学歴史
 教科書の説明によると、約1万年前に最後の氷期が終わると、大型動物が減ってしまったため、人類は狩猟採集によって食糧を得る獲得経済から、農耕牧畜によって食糧を得る生産経済へと移行したとされている。しかし、日本では氷期が終わったあとも、獲得経済を中心とした縄文時代が約八千年も続いた。旧石器時代のマンモスのような大型動物はもういないのに、縄文人は小動物を狩り木の実を採集し魚介類を捕ることで食糧を得る獲得経済を続けた。
 なぜ日本では、氷期がおわっても生産経済に移行せず、獲得経済が続いたのだろうか。教科書の説明どおり、氷期の終わりがもたらした食糧危機が生産経済への移行のきっかけなら、日本でも氷期が終わってすぐに生産経済に移行するのが自然だ。しかし、日本ではそうならなかった。
 だとすれば、獲得経済から生産経済へ移行していくためには、何か別の条件が伴わなければならないことになる。速い段階から生産経済が発達した中近東にはあり、長く獲得経済が続いた日本にはなかったその条件とは何か。
 その条件のひとつとして、人口密度の増加を挙げることができる。
 獲得経済が成り立つためには、狩猟や採集に必要な自然条件がなければならない。ある学者の推計では、1家族が獲得経済で生計を立てていくには、数千エーカーの土地が必要だという。生産経済で生計を立てていくのに必要な面積は1家族あたりせいぜい20~30エーカーだ。 
 一方で、獲得経済は生産経済よりも楽だといえる。計画的に食糧を生産する生産経済の方が、運まかせで食糧を探し出す獲得経済よりも安定しているが、生産経済が成り立つためには計画的・長期的な作業が必要である。村の近くに獲物の取れそうな森がいくらでもあるのに、人間は農耕牧畜などはじめるだろうか。
 人類は、獲得経済が成り立つうちは獲得経済を続けただろう。たとえ、はやい段階で農耕牧畜の技術を知ったとしても、獲得経済で暮らしていけるうちは生産経済をはじめる必然性がない。人口密度が低かった縄文時代の日本では、生産経済を生活の手段にする必然性がなかったことになる。しかし、人口増加によって人口密度が増し、獲得経済に十分な面積がなくなってくると、食糧を得るには計画性と忍耐力と集団作業を伴う生産経済に移行せざるを得なくなった。
 縄文時代の日本に生産経済が成立しなかったのは、縄文時代の日本人に生産経済の技術がなかったからではなく、生産経済に移行する必要がなかったからなのではないだろうか。

「羊が人を食う??」ユートピアと資本主義

2005年03月01日 18時33分13秒 | 名言シリーズ
 トマス・モアの著書「ユートピア」の中に、「私たちの国では羊が人を食う」という有名な語句がある。
 これは、16世紀のイギリスでさかんに行われた「囲い込み」を皮肉ったものだ。「囲い込み」というのは、土地の所有者たちが、当時需要が高まり価格も高騰していた羊毛を生産するために、農地を囲い込んで牧草地にしたことをいう。それまで農地で働いていた農民たちは、農地を失ってしまった。だから、「羊が人を食う」と言ったのだ。人間の農地が、羊の牧草地に取って代わられるという意味だ。
 ヒューマニストだったトマス・モアは、人道的な観点からこの有様を非難した。
 さて、ユートピアは日本語で「理想郷」なんて訳されることもあるが、これはギリシャ語で「存在しない土地」という意味である。ピーターパンに出てくるネバーランドと似ている。トマス・モアは、現実を批判しながら、理想郷などないと冷ややかに言いたかったのかもしれない。
 ところでこの「羊が人を食う」には後日談がある。
 ヒューマニストだったトマス・モアは気づいていなかったかもしれないが、この「羊が人を食う」現象は資本主義の芽生えであったのだ。羊を売って利益を上げた人々は資本家となり、羊によって農地を追われた人々は都市に出て労働者となった。資本家の財力と労働者の労働力が、産業革命の原動力になったことは言うまでもない。
 のちにイギリスの経済学者アダム・スミスは、「神の見えざる手」すなわち需要と供給の関係にまかせておけばすべてうまくいくと言ったが、彼ならば羊の需要があるときには羊を育てるのが理にかなうと考えただろう。
 アダム・スミスならば「羊が資本を産み落とす」とでも言っただろうか。

ピラミッド完成までに何年かかる?

2005年03月01日 18時27分58秒 | 世界史
 エジプト文明を代表する建造物ピラミッドは、一般には王の墓として建造されたと考えられている。近年では、ピラミッドは王の墓ではないという説も支持されているし、僕自身もこちらの考えに賛成なのだが、今回はピラミッドが墓であるか否かはさておき、ピラミッドの建設にかかる年数を推定してみたい。
 というのも、考えれば考えるほど、これが人間の作った建造物だとは信じられなくなるのだ。
 多くのピラミッドの中でもっとも大きく、もっとも有名なクフ王のピラミッドは、底辺233m、高さ146m、平均2.5tの石が約230万個積み上げられている。さっと聞き流してはいけない。底辺が233mって、かなりの大きさだよ。それに2.5tは2500kgもあるんだよ、いったい何人でどうやって運んだのだろう。
 さらに驚くべきは230万個という数字だ。仮に、1日に1000個の石を積めたとして、休みなしで365日働いて1年で36万5千個積む計算になるから、230万個になるには7年弱かかる。でも、2500kgもある石を、一日に1000個も積めるだろうか?無理だよね。じゃあ500個だとすると、13年程度かかる。500個だって十分無茶な数字だ。現在の建築業者だって、2500kgもある石を一日で500個も積めない。さらに半分の250個で計算すると、完成までに25年かかってしまう。
 ところが、この計算には問題がある。この計算は、365日、ずっと作業が行われたことを前提としている。ところが、エジプトでは一年が3つの時期に分かれていて、それぞれ種まきの季節が4ヶ月、ナイル川の氾濫の季節が4ヶ月、収穫の季節が4ヶ月だった。そして、ピラミッド建設が行われたのは、このうちナイル川の氾濫していた4ヶ月間だけだったことが、最近の研究でほぼ断定されている。種まきや収穫の季節は、労働力を農業にとられてしまうから、とてもピラミッド建設などやっていられないんだ。
 そうなると、さっきの計算はおかしくなる。1年に120日ほどしか作業ができないとすると、一日1000個だと約20年、一日500個だと約40年、一日250個だと約80年もかかる。一日に250個だって信じられない数字なわけだから、もしも作業効率がもっと悪いとしたら、完成に要する年数はもっと長くなる。
 ピラミッドが墓ではないとする根拠のひとつが、この、墓にしてはかかりすぎる製作期間だ。それにしても、いったい何年かけて、クフ王のピラミッドは完成したのだろう?(結論出てなくてごめんなさい)

18歳以上に選挙権

2005年01月31日 22時11分14秒 | 世界史
 日本の選挙権は、20歳以上の男女に認められている。
 ところが、このたび行われたイラクの選挙では、18歳以上の男女に選挙権が認められている。
 さて、イラクの選挙のほうが日本の選挙よりも先進的であるというこの事実を、わたしたちは、どうやって中学生や高校生に説明していけばいいのか、非常に困る。
 なぜ日本の選挙権は20歳からなんでしょう。
 子どもの権利条約の趣旨からみても、18歳になれば大人と同じ扱いを受けていいと思う。
 僕はあと10年以内には、選挙資格は18歳に下がるのではないかと考えているんだけど、これを18歳に下げた総理大臣は教科書に太字で載ることになるだろう。さて、誰がやるかな。
 民主国家日本が、イラクに追いつく日はいつ???

年金は帰ってこない?福祉国家と国民負担

2005年01月20日 17時08分21秒 | 公民
 19世紀の国家は、軍事と警察、その他わずかの分野をになう「夜警国家」だった。しかし20世紀になると、19世紀後半からの社会主義運動の高まりを背景に、あらゆる分野を国が管理する「福祉国家」が登場する。「ゆりかごから墓場まで」という言葉は、福祉国家のあり方を見事に言い当てている。
 歴史において、安心して暮らせる社会がつくられるために、福祉国家が果たした役割は大きい。
 しかし、教科書はいささか福祉国家を肯定的にとらえすぎている。というのは、社会権の確立、広範な社会保障、義務教育の提供、労働組合の活動、環境問題への取り組みなど、福祉国家の利点ばかりが並べられる反面、そのマイナス面への記述が弱いと感じる。
 そのマイナスとは、簡潔に言えば「高い税」である。
「義務教育は無償である」という条文を真に受けている人はいない。これは理念の話で、実際の収支を考えれば、「義務教育の費用は、国民の税金でまかなう」という表現が正しい。実はこのような例はいくらでもある。
「年金はいずれ自分に返ってくる」と思っている人は多いが、これも理念の話で、実際の収支を考えれば「払った年金は帰ってこない」が正しい。年金とは、現在の「生産年齢人口」が現在の「老年人口」を養うものであって、未来の「老年人口」の分は「未来の生産年齢人口」がやしなうのだ。ところが、国民が「年金は貯蓄と同じだ」と考えているとしたら、それは誤りだ。「年金は未来まできちんと計画どおり機能すれば、確かに貯蓄のようなはたらきをするが、高齢化や少子化の進行によってはそうはならないかもしれない」というのが正しい。でも、年金は返ってくる、と信じている国民は多い。
 福祉国家とは、国民に負担を強いることで、高い社会保障を維持するものだ。しかし、「負担を強いている」部分は、巧妙にごまかされている場合が多い。国民にわかりやすい国家とは正反対だ。なぜなら、福祉国家の収支を国民にわかるようにしてしまったら、福祉国家をばら色のイメージで見る人はいなくなるだろう。福祉国家とは、国民をだますことで成り立っているのではないか、という疑問を抱かせずにはおかない。

 最後に、僕ら教員の組合が行う、賃上げ要求について一言。
 あれは、「自分たちの給料をうわのせするためにさらなる負担を国民(地域住民)に求めている」のであるが、残念ながらそれが見えている人は少ない。あれを労使交渉だと呼んではばからない人には、労使どちらのテーブルについているのも同じ公務員だという事実をわすれがちだ。組合と県の交渉という形をとりながら、実は公務員同士が話しているのであって、そうしてそこに「馴れ合い」「もたれあい」が生まれないことがあるだろうか。こっちも向こうも同じ「国民」から「合法的に」給料をいただいて生きている公務員なんだから。
 福祉国家の是非を決めるのは有権者だが、最低限、その実態がきちんと見えるような目を、有権者ひとりひとりがもたないといけない。
 

「子どもを育てたいけど仕事もしたい」社会から「子どもを育てたいから仕事もしたい」社会へ

2005年01月13日 21時08分45秒 | 公民
 良いことをどんどんすすめると、からなずそれによくないことがついてくる。高度経済成長を続けた日本で公害が深刻化したのがその例だ。
 いくつかあるであろう21世紀の日本の課題のうち、ひとつはまちがいなく少子化でだ。これは、20世紀の女性の社会進出がもたらした、よくないことのひとつだ。
 僕は、20世紀の豊かな社会が出現した原動力は、女性の社会進出にあると思っている。女性の社会進出は、国民生活の発展向上の原動力であった。そのしくみの説明は別の機会にするが、20世紀に豊かな生活を実現した社会はどれも女性の社会進出をすすめた社会であったことは、確かな事実だ。そしてそれはこれからも変わらないし、女性には男性と同じ条件で働く環境が整備されていくべきだ。
 しかし、女性の社会進出という「よいこと」には、出生率の低下という「よくないこと」がついてくる。出生率の低下は、社会にとって致命的である。にもかかわらず、日本やNIESの国々は、少子化への対策を怠ってきた。これは、経済発展をすすめながら公害対策を怠るのと似ている。
 具体的には、女性が社会に進出することが、晩婚化、独身の増加、子どもを生まないという価値観、にむすびつかないような施策が、国に求められるということだ。男女が協力して子どもを生み、育てていける環境を、ととのえていかなければならない。
 現在の日本のしくみでは、働く女性は結婚、出産がしにくい。女性にとって、社会進出と結婚・出産が反比例するようになっている。これではいけないのであって、男性にとっても女性にとっても、ともに、社会進出と結婚・出産が比例するような社会のしくみをつくる必要がある。
「子どもも育てたいけど、仕事もしたい」という社会ではだめだ。
「子どもを育てたいから、仕事もしたい」という社会でなければならない。
 欧米の国々では、女性の社会進出と少子化対策が両立している場合が多い。日本の合計特殊出生率1.29(2003年)に対し、アメリカは2.01(2002年)、フランスは1.90(2001年)である。
 21世紀の日本は、是が非でもこれを両立しなければ、高齢社会となり、年金も、税制も、何もかもが持ちこたえられない。
 少子化対策には男女が同じように取り組む必要がある。また、国家の適切な施策が不可欠である。
 具体的には、
・小学校就学前の子どもを無償で預かる施設(保育園、幼稚園に変わる統一した何らかの施設)を制度化する。
・子どもの人数に応じて税制上の優遇措置をとる。
・高等学校教育の無償化。
 などがあると思う。

 まあ、僕自身はまだ独身なので、あまりでかいことは言えない(笑)。
 
 

サッカー日本対北朝鮮~政治とスポーツ~

2005年01月13日 16時57分06秒 | 中学歴史
 2月9日に埼玉で行われるワールドカップアジア最終予選、日本対北朝鮮の試合に注目が集まっている。
 昨年中国で行われたアジアカップでは、日本代表が中国のサポーターからはげしいブーイングを受けて話題となった。北朝鮮代表を迎えるにあたって、日本人の中に、あのときの中国のサポーターと似たようなことをするのではないかという心配が高まっている。
 僕は、そうゆうことには反対だ。
 中国と戦争をした責任は、日本代表のサッカー選手たちにはないと思う。同じように、核問題や拉致問題の原因は、北朝鮮の選手たちにはないと思う。仮にあると考えるにしても、サッカースタジアムはそれを取り上げる場ではない。
 古代ギリシャで、4年に一度オリンピアの祭典が行われたことは有名だが、毎年のように抗争にあけくれていたポリスも、その間だけは停戦することになっていた。歴史におけるスポーツの役割というのは、いろいろある。ヒトラーがオリンピックを国威発揚に利用したことも、アメリカをはじめとする西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしたことも、歴史の事実だ。しかし21世紀を迎えた今、スポーツは平和友好のシンボルとしての役割が期待されていると思う。
 サッカーでは、歴史を背景に試合がもりあがることがしばしばある。イングランドとアルゼンチン(フォークランド紛争をめぐって)、フランスとセネガル(旧宗主国と植民地)、日韓戦だってそうだ。でもそれは、あくまでスポーツを盛り上げる材料であるべきで、政治的なアピールをともなうデモやブーイングなどであってはいけない。
 僕らの地元からも、アルビレックス新潟の安選手が、北朝鮮代表に選ばれた。当日は、日本代表の勝利を願う気持ちはもちろんだが、北朝鮮代表の熱い戦いにもエールを贈りたいものだ。一サッカーファンとして、試合を楽しみにしている。

(追記)僕は歴史を教えるものとして、日本人が、韓国、中国、北朝鮮などとかかわるとき、先祖たちが、これまでにいかに多くの文化を中国や朝鮮半島から学んできたかを、忘れないでほしいと思っている。日本にとって中国や朝鮮半島は、欧米諸国にとってのギリシャ・ローマである。日本の文化や伝統のルーツは、大陸にある中国や朝鮮半島だ。学問としての歴史も、スポーツと同様、イデオロギーや政治問題とは切り離しておきたいものだと思うが、いかがだろうか。
 

敬語を使えない子どもが増える訳

2005年01月12日 00時21分25秒 | 日本史
 敬語をきちんと使えない子どもが増えている、とよく言われる。でも、僕はこれには功罪両面があると思う。
 日本語という言語は、身分制度を言語の中に内包してしまっている、ある意味「たちの悪い」言語だ。
 英語では、立場の上下にかかわらず、ほとんど同じ構文で会話ができる。これは年齢の差、男女の差、地位の差、どれについてもだ。ところが日本語は、言語そのものが上下関係を前提として出来上がっている。目上と目下が話すようにできているのである。対等な会話をしようとすれば、双方が丁寧語で話すか、双方が敬語をはぶいて話すかしかない。しかし、敬語があるために、敬語をはずした日本語はひどくぶっきらぼうに聞こえる。
 かつての日本はそれでよかった。男>女、兄>弟、父>子、地主>小作人、など、上下関係のはっきりした社会だったのである。これは儒教にもとづいた社会だ。
 ところが、戦後の日本はそうではなくなった。現憲法は、尊厳を持った個人の対等関係を基本に社会が成り立つという考えに立っている。もっとも、戦前生まれの世代が社会の中心であるうちはよかった。戦前の価値観はそう簡単には消えないし、その世代に育てられた次の世代にも戦前の価値観がある程度は継承された。ところが、現在の日本の若者は、親も戦後生まれの世代である。おまけに核家族化がすすんだため、戦前の価値観よりも戦後の日本国憲法の価値観に慣れて育った世代といえる。そこにはもう、戦前の古い価値観に従おうという考えはほとんどないだろう。
 ところが、いぜんとして、敬語は日本語に残っている。社会が対等関係に根ざしているはずなのに、言語が対等関係を結ばせない言語なのだ。これは現代日本のジレンマであると思う。
 日本国憲法の価値観にたてば、敬語は不要である。敬語を日本の伝統として残したければ、日本を敬語がふさわしい価値観をもった社会にしていかなければならない。
 僕は敬語を使えない子どもが増えているのは、脱儒教社会が出現しつつあるあらわれだと思う。日本人の伝統意識や言語習慣は過去の儒教社会を継承したいと願っているが、現行憲法の価値観は脱儒教社会を前提としている。このジレンマを、日本は21世紀に解消しなければならない。
 憲法が日本人の価値観にあわせて変わるのか、それとも言語が変わるのか。どちらにせよ、現憲法と敬語はのびのびと共存できる存在ではない。

人種や国籍によって法律上あるいは事実上どんな差別もしてはならないと約束する

2005年01月10日 00時52分48秒 | 中学歴史
「人種や国籍によって法律上あるいは事実上どんな差別もしてはならないと約束する」
 この文章が何か知っていますか。
 これは、1919年に、パリ講和会議の席上で、あたらしく設立が決まった国際連盟の規約について議論していた際、日本が行った提案の内容です。1948年の世界人権宣言から30年以上も前に、日本が世界の列強を相手にこのような提案をしていたことは驚きです。でもこの話はあまり教科書に紹介されていない。その理由のひとつは、この提案はアメリカ大統領ウィルソンによって反対されて実現しなかったこと、もうひとつは、これを、大国の中で発言権のない日本が独自の立場を主張するという政治的意図をもって行った提案であると、悪いイメージで考えられているためです。でもこのことは、何かと問題になる「新しい歴史教科書を作る会」の著書ではきちんと紹介されているし、以前「そのとき歴史が動いた」でも取り上げられていたと思います。
 さて、僕はこれをできるだけ授業でおしえます。というのも、僕はこの日本の提案とアメリカの反対というやり取りを、20世紀の世界史の重要なモチーフだと考えているからです。
 20世紀のはじめ、この世界は「白人」が植民地や保護国の「有色人種」を支配している世界でした。アフリカやアジアの大半は欧米の植民地となり、有色人種の労働による富で白人が栄える図式ができあがっていました。悲しいですが、これは世界史の事実です。
 この図式を打ち破ったのが、実は日本です。20世紀にはいると、日本はイギリスと同盟し、ロシアに勝ち、有色人種の国ではじめて白人の国と対等な立場に立ちました。第一次世界大戦後のパリ講和会議では、米、英、仏、伊、の戦勝国に加えて日本が、五大国の一員として会議に招かれ、1920年に設立された国際連盟では、英、仏、伊、とともに常任理事国となったのです。古い五千円札の新渡戸稲造さんはこのとき活躍した人ですね。
 その後、日本は戦争に負けました。でも、もっと大きな視点に立つと、ちがった答えが見えてきます。まずアジアで、そしてアフリカで、有色人種が立ち上がり、インドネシアが、ベトナムが、フィリピンが、次々と独立を達成していきました。1948年は世界人権宣言が出され、20世紀の後半にはアメリカの黒人たちの運動、南アフリカでもアパルトヘイトに対する反対運動がおきましたよね。そして20世紀の末に、もう肌の色で人間を差別する価値観は時代遅れとなりました。たった100年で、すごいちがいです。
 日本は、経済大国と呼ばれた時期を経験し、今でもサミットに出席し、現在はドイツやブラジル、インドとともに国連の常任理事国入りを目指しています。
 500年後の人は、20世紀という時代をどのように見るでしょうか。今は敗戦国として、日本のしたことは侵略、連合国のしたことは正義の解放戦争、という歴史観になっていますが、歴史上のどの時代を見ても、どちらにもそれぞれの立場があり、正義があり、勧善懲悪でないことは明らかです。そうすると、20世紀って何だったのか。
 僕は、白人が有色人種を支配する世界が、肌の色によって人を区別しない世界に変わったのが20世紀だと思います。そして、その先頭を切って走ったのが、日本です。戦前の軍事力、戦後の経済力、それよりも日本人が自国の歴史で誇りにするべきは、白人より下とみなされていた有色人種でありながら、そうではない、自分たちは白人と対等にやれると考えて国の発展につとめた、日本人のひたむきさではないのかな。
 歴史に、もし、は禁物です。でも、もし、20世紀の世界史に、日本という国が存在していなかったら、20世紀の世界史はどうなっていただろうか。あくまで仮定だけれど、日本が存在しなかったら、いまだに世界は白人が有色人種を支配する世界だったとしても、不思議ではないと僕は思います。
「人種や国籍によって法律上あるいは事実上どんな差別もしてはならないと約束する」
 日本もいいとこあるんですね。
 
 

高句麗史は中国史か朝鮮史か?

2005年01月07日 22時38分02秒 | 歴史一般
 最近ニュースでこの話題がでてるんだけど、僕は、これには異議ありだ。
 結論から言うと、現代の価値尺度を、古代にさかのぼってあてはめても駄目だということだ。高句麗の時代には、「中華人民共和国」も「大韓民国」もないわけで、どっちの歴史かなんていうのはばかげた議論だと思う。遠い将来、仮に日本が「西日本国」と「東日本国」にわかれたとして、応仁の乱はどっちの歴史だ、元寇はどっちの歴史だ、関が原は、鎌倉幕府は、といったってはじまらないでしょ。高句麗の歴史は高句麗の歴史であって、それが現代の国家の複数の国にまたがるなら、どちらの占有物でもないということだ。
 日本人には、古代史で朝鮮とのかかわりを限定してとらえようとする人が多い。日本は日本、朝鮮は朝鮮、渡来人が来た程度だ、というとらえかただ。僕は、古代にはもっと分け隔てなく交流があったと思う。たとえば、朝鮮南部から九州を領有する国と、近畿を領有する国が同時に存在した可能性もあるわけで、その場合、何が「日本史」かは非常に微妙だ。また、日本の天皇家や貴族階級が朝鮮とかかわりがあるという話がでると日本人は決まっていやな顔をする。でも、そもそも「日本」「韓国」というのは現代の線引きであって古代にはない線引きであることを思えば、ばかばかしい話だ。
 とにかく、歴史は現代の価値観や枠でとらえてはいけないってことだ。古代の人々が、農業のために森を焼き払ったりするのを環境問題だという人はいないし、葛飾北斎の絵の中で漁師が鯨を取っているのを条約違反だという人はいない。
 これは、歴史を学ぶ最低限の心得だろう。