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スグルの歴史発見

社会科教員をやっているスグルの歴史エッセイ。おもに中学生から高校生向きの内容ですが、大人でも楽しめると思います。

あのムネオ議員が・・・、のつづき

2007年04月02日 21時58分53秒 | 歴史一般
 近々、300(スリーハンドレッド)という映画が公開されるようだ。あれの舞台となっている、ギリシャとアケメネス朝ペルシャとの戦いのことを、世界史ではペルシア戦争という。しかし、これはギリシャ史からの呼び名である。ペルシャがこの戦争をペルシャ戦争と言う訳がない。

 元は、日本を攻めたことを元寇とは言わない。日本も、秀吉が朝鮮を攻めたことを倭乱とはいわない。

 前置きが長くなったが、いろいろ調べてみたところ、太平洋戦争というのは、アメリカを筆頭とする連合国が、中華民国を助けて大日本帝国と戦った戦争の、アメリカから見た呼び名らしい。だから、ウィキペディアでは、太平洋戦争が1937年の盧溝橋事件からはじまるのだ。

 ところが、これがどうも日本側の理解とは合致しない。日本人は、中華民国との戦争は日中戦争であって、アメリカとの戦争が太平洋戦争である、と考えているだろう。

 過去の世界史の例から言って、戦争の呼称には、1)一般的に国際的に通用する名称と、2)各国がそれぞれの立場から命名する名称、の2つが認められていると言っていい。日本も、自国が関わった戦争に、自国の立場から名称を付しても良いわけである。歴史における命名権(ネーミングライツ)のようなものか。

 となると、日米で定義の一致しない太平洋戦争、あるいは政府が公式見解だとする大東亜戦争、それとも第三の名称が与えられるべきか、世紀も変わったし、英語での呼び名はともかく、日本人としてはどう理解すべきか、ちょっと考えてみる時期に来ているようにも思う。

 まあ、文学的には、「あの戦争」というのもいいかもしれない。


あのムネオ議員が歴史を問う、大東亜戦争と太平洋戦争は同一の戦争か?

2007年04月01日 02時25分02秒 | 歴史一般
 ムネオハウスといえば、生徒の間でもよく知られている。あのムネオハウスの鈴木宗男議員が、最近、面白い質問を行った。これである。
 
>大東亜戦争の定義等に関する質問主意書
>一 大東亜戦争の定義如何。
>二 太平洋戦争の定義如何。
>三 大東亜戦争と太平洋戦争は同一の戦争か。
>右質問する。
(平成十九年一月二十六日提出質問第六号 提出者は鈴木宗男議員)

 僕の理解では、

大東亜戦争 = 日中戦争(支那事変) + 太平洋戦争
第二次世界大戦(広義) = 太平洋戦争 + 第二次世界大戦(欧州)

 であった。で、この大東亜戦争という呼称は、何らかの理由で、戦後はもちいないことになり、日中戦争、太平洋戦争とわけて呼ぶことになった。

 と、このように生徒にも教えてきた。・・・ところが、僕は間違っていたらしい。
 鈴木議員の質問に対して、安倍総理が次のように答弁している。

>衆議院議員鈴木宗男君提出大東亜戦争の定義等に関する質問に対する答弁書
>一について 昭和十六年十二月十二日当時、閣議決定において「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされている。
>二について 「太平洋戦争」という用語は、政府として定義して用いている用語ではない。
>三について 「太平洋戦争」という用語は政府として定義して用いている用語でもなく、お尋ねについてお答えすることは困難である。
(平成十九年二月六日に安倍晋三内閣総理大臣から河野洋平衆議院議長に提出された答弁書より)

 太平洋戦争は、政府の公式の呼称ではなかったのか。で、ついでにウィキペディアを調べたら、さらに衝撃の事実が。
 英語版のウィキペディアには、「太平洋戦争は1937年7月7日にはじまった」と書かれていたのである!
 1937年7月7日は、盧溝橋事件のあった日で、日中戦争(支那事変)の開始日である。太平洋戦争って、1941年の真珠湾攻撃からじゃないの???
 
 安倍総理の答弁によると、大東亜戦争は支那事変も含むのだから、大東亜戦争は1937年にはじまったことになる。するとやはり、大東亜戦争=太平洋戦争なのだろうか。でも、それだと日中戦争は太平洋戦争に含まれることになり、教科書に書かれている、真珠湾攻撃で太平洋戦争がはじまるという理解と矛盾する。

 教科書では、

 日中戦争 1937年から
 第二次世界大戦 1939年から
 太平洋戦争 1941年から

 で、
 
 大東亜戦争 = 日中戦争(支那事変) + 太平洋戦争
 第二次世界大戦(広義) = 太平洋戦争 + 第二次世界大戦(欧州)
 
 のはずである。生徒もそのように暗記している。

 でも、政府の答弁やウィキペディアの記事を見ていたら、この理解は正しくないことがわかってきた。
 どう教えたらいいんだ???これはうかつなことは書けないので、ちょっと調べて、意見をまとめてみよう。ということで、続く・・・。

高句麗史は中国史か朝鮮史か?

2005年01月07日 22時38分02秒 | 歴史一般
 最近ニュースでこの話題がでてるんだけど、僕は、これには異議ありだ。
 結論から言うと、現代の価値尺度を、古代にさかのぼってあてはめても駄目だということだ。高句麗の時代には、「中華人民共和国」も「大韓民国」もないわけで、どっちの歴史かなんていうのはばかげた議論だと思う。遠い将来、仮に日本が「西日本国」と「東日本国」にわかれたとして、応仁の乱はどっちの歴史だ、元寇はどっちの歴史だ、関が原は、鎌倉幕府は、といったってはじまらないでしょ。高句麗の歴史は高句麗の歴史であって、それが現代の国家の複数の国にまたがるなら、どちらの占有物でもないということだ。
 日本人には、古代史で朝鮮とのかかわりを限定してとらえようとする人が多い。日本は日本、朝鮮は朝鮮、渡来人が来た程度だ、というとらえかただ。僕は、古代にはもっと分け隔てなく交流があったと思う。たとえば、朝鮮南部から九州を領有する国と、近畿を領有する国が同時に存在した可能性もあるわけで、その場合、何が「日本史」かは非常に微妙だ。また、日本の天皇家や貴族階級が朝鮮とかかわりがあるという話がでると日本人は決まっていやな顔をする。でも、そもそも「日本」「韓国」というのは現代の線引きであって古代にはない線引きであることを思えば、ばかばかしい話だ。
 とにかく、歴史は現代の価値観や枠でとらえてはいけないってことだ。古代の人々が、農業のために森を焼き払ったりするのを環境問題だという人はいないし、葛飾北斎の絵の中で漁師が鯨を取っているのを条約違反だという人はいない。
 これは、歴史を学ぶ最低限の心得だろう。
 

神々の指紋

2004年12月16日 22時18分33秒 | 歴史一般
 古代史は謎で満ちている。当然、歴史の教科書は古代史からはじまるのだが、生徒が読めばあたかもすべてのことが確定された事実のように書かれている。とんでもない話で、教科書は、あくまで今現在わかっている断片的な事実の要約でしかない。それは真実のうちの氷山の一角にすぎない。
 日本の歴史を旧石器時代、縄文時代、弥生時代と順を追って理解していくとき、与那国島の海底遺跡はどう説明するのか。あの海底遺跡は、僕は人口建造物に間違いないと思っているのだが、少なくとも旧石器→縄文→弥生という日本史が、現代の我々の単なる想定にすぎないことを物語っている。
 ピラミッドは何のために作られたのか。エジプトのピラミッドが、あまりにも高度な数学にもとづいてあまりにも高度な建築技術で建造されたことは、今では確たる事実だ。なぜただの墓にそれほどの精巧さを求める必要があったのか。あれは本当に墓なのか。
 疑問をあげればきりがない。
 私たちは、こうした古代史の疑問に完全な答えは得られないまでも、現在歴史の教科書に述べてある古代史が、氷山の一角の、そのまた現代人の想定にすぎないことは知っておく必要がある。
 さて、このような疑問に真正面から向き合った本が、グラハム・ハンコックの「神々の指紋」である。大胆な想像力を駆使して、古代史の謎を解こうとするこの本の姿勢は、その内容の信憑性はさておき、古代史に対して硬直した視点しか持ち得ない我々の歴史観に警鐘を鳴らしている。
 古代史とはまばらな点の集まりである。その点から、全体像を再構築することは困難だ。歴史の教科書も、神々の指紋も、こうしたまばらな点から全体像を構築しようとする「想定のこころみ」であることを、私たちは忘れてはならないだろう。
 古代史とはいわば、偶然検出された指紋から、犯行の全体像を解明しようとするこころみである。