近々、300(スリーハンドレッド)という映画が公開されるようだ。あれの舞台となっている、ギリシャとアケメネス朝ペルシャとの戦いのことを、世界史ではペルシア戦争という。しかし、これはギリシャ史からの呼び名である。ペルシャがこの戦争をペルシャ戦争と言う訳がない。
元は、日本を攻めたことを元寇とは言わない。日本も、秀吉が朝鮮を攻めたことを倭乱とはいわない。
前置きが長くなったが、いろいろ調べてみたところ、太平洋戦争というのは、アメリカを筆頭とする連合国が、中華民国を助けて大日本帝国と戦った戦争の、アメリカから見た呼び名らしい。だから、ウィキペディアでは、太平洋戦争が1937年の盧溝橋事件からはじまるのだ。
ところが、これがどうも日本側の理解とは合致しない。日本人は、中華民国との戦争は日中戦争であって、アメリカとの戦争が太平洋戦争である、と考えているだろう。
過去の世界史の例から言って、戦争の呼称には、1)一般的に国際的に通用する名称と、2)各国がそれぞれの立場から命名する名称、の2つが認められていると言っていい。日本も、自国が関わった戦争に、自国の立場から名称を付しても良いわけである。歴史における命名権(ネーミングライツ)のようなものか。
となると、日米で定義の一致しない太平洋戦争、あるいは政府が公式見解だとする大東亜戦争、それとも第三の名称が与えられるべきか、世紀も変わったし、英語での呼び名はともかく、日本人としてはどう理解すべきか、ちょっと考えてみる時期に来ているようにも思う。
まあ、文学的には、「あの戦争」というのもいいかもしれない。
元は、日本を攻めたことを元寇とは言わない。日本も、秀吉が朝鮮を攻めたことを倭乱とはいわない。
前置きが長くなったが、いろいろ調べてみたところ、太平洋戦争というのは、アメリカを筆頭とする連合国が、中華民国を助けて大日本帝国と戦った戦争の、アメリカから見た呼び名らしい。だから、ウィキペディアでは、太平洋戦争が1937年の盧溝橋事件からはじまるのだ。
ところが、これがどうも日本側の理解とは合致しない。日本人は、中華民国との戦争は日中戦争であって、アメリカとの戦争が太平洋戦争である、と考えているだろう。
過去の世界史の例から言って、戦争の呼称には、1)一般的に国際的に通用する名称と、2)各国がそれぞれの立場から命名する名称、の2つが認められていると言っていい。日本も、自国が関わった戦争に、自国の立場から名称を付しても良いわけである。歴史における命名権(ネーミングライツ)のようなものか。
となると、日米で定義の一致しない太平洋戦争、あるいは政府が公式見解だとする大東亜戦争、それとも第三の名称が与えられるべきか、世紀も変わったし、英語での呼び名はともかく、日本人としてはどう理解すべきか、ちょっと考えてみる時期に来ているようにも思う。
まあ、文学的には、「あの戦争」というのもいいかもしれない。