高等学校の世界史の教科書には、あまりにもお粗末な扱いの語句が少なくない。両シチリア王国とムワッヒド朝はその好例だ。名前が出てくるだけ、である。日本の教科書は、とにかく語句の詰め込みをめざしているから、こうゆうことになる。その王朝が歴史に果たした役割や意義を説明しないのなら、名前など出さない方がいい。
両シチリア王国は、1130年にノルマン人によって建国され、形式としては1860年まで続いた王国である。この両シチリア王国は、12世紀のいわゆる「商業の復活」と深くかかわっている。当時の地中海の制海権は、イスラム教徒に握られ、「キリスト教徒は板きれ一枚浮かべることができない」という状態だった。制海権の喪失は、経済圏の喪失である。ヨーロッパ人は、地中海経済圏をイスラム教徒に支配され、自給自足とわずかな域内交易にたよって生活していた。
これに変化をもたらしたのがノルマン人、いわゆるバイキングの活動だった。彼らは海や川を自在に移動でき、戦闘にも強かった。その一派が、地中海にまで進出し、イスラム教徒に支配されていたシチリア島を奪い返して建国したのが、両シチリア王国だ。ローマ対カルタゴの戦争がそうであったように、シチリア島の確保は制海権の確保を意味した。地図をみれば、西地中海と東地中海の往来におけるシチリア島の重要性は一目瞭然だ。
両シチリア王国は、地中海の制海権をイスラム教徒から回復することで、12世紀の商業の復活の大きな足がかりをつくったのだ。
ムワッヒド朝は、1130年から1269年まで存続し、北アフリカからスペインにいたる広大な地域を支配したベルベル人のイスラム王朝である。こちらは13世紀以降の、フィレンツェ、ジェノヴァといったイタリア諸都市の繁栄、フランドル地方の海港都市の繁栄とハンザ同盟の繁栄、シャンパーニュ市場の衰退と関わりがある。
ムワッヒド朝の重要な点は、ジブラルタル海峡の領有にある。地中海と大西洋を結ぶ唯一の海路であるこの海峡は、ウマイヤ朝のイベリア半島進出以来、ずっとイスラム王朝の手に握られてきた。地中海沿岸と北ヨーロッパとの交易は陸路にたよらざるをえなかった。(陸路は海路よりもはるかに割高で少量の荷物しか運べない)。しかし、13世紀に入るとムワッヒド朝の勢力が衰え、北ヨーロッパと南ヨーロッパの間の水路が利用できるようになった。こうして、北欧経済圏と地中海経済圏が海路で結ばれ、北と南で海港都市が繁栄、内陸ルートとそれに沿った都市の市場は衰退することになった。
ムワッヒド朝の盛衰は、ヨーロッパ南北の経済圏を結びつける鍵だったのである。
「重要な語句はどれですか」と生徒は問う。重要でない語句などない。重要なのは語句ではなく、その語句の持つ意味や意義、その事象が他の歴史事象の何によって影響を受け、何に影響を与えているかといった学習である。
両シチリア王国は、1130年にノルマン人によって建国され、形式としては1860年まで続いた王国である。この両シチリア王国は、12世紀のいわゆる「商業の復活」と深くかかわっている。当時の地中海の制海権は、イスラム教徒に握られ、「キリスト教徒は板きれ一枚浮かべることができない」という状態だった。制海権の喪失は、経済圏の喪失である。ヨーロッパ人は、地中海経済圏をイスラム教徒に支配され、自給自足とわずかな域内交易にたよって生活していた。
これに変化をもたらしたのがノルマン人、いわゆるバイキングの活動だった。彼らは海や川を自在に移動でき、戦闘にも強かった。その一派が、地中海にまで進出し、イスラム教徒に支配されていたシチリア島を奪い返して建国したのが、両シチリア王国だ。ローマ対カルタゴの戦争がそうであったように、シチリア島の確保は制海権の確保を意味した。地図をみれば、西地中海と東地中海の往来におけるシチリア島の重要性は一目瞭然だ。
両シチリア王国は、地中海の制海権をイスラム教徒から回復することで、12世紀の商業の復活の大きな足がかりをつくったのだ。
ムワッヒド朝は、1130年から1269年まで存続し、北アフリカからスペインにいたる広大な地域を支配したベルベル人のイスラム王朝である。こちらは13世紀以降の、フィレンツェ、ジェノヴァといったイタリア諸都市の繁栄、フランドル地方の海港都市の繁栄とハンザ同盟の繁栄、シャンパーニュ市場の衰退と関わりがある。
ムワッヒド朝の重要な点は、ジブラルタル海峡の領有にある。地中海と大西洋を結ぶ唯一の海路であるこの海峡は、ウマイヤ朝のイベリア半島進出以来、ずっとイスラム王朝の手に握られてきた。地中海沿岸と北ヨーロッパとの交易は陸路にたよらざるをえなかった。(陸路は海路よりもはるかに割高で少量の荷物しか運べない)。しかし、13世紀に入るとムワッヒド朝の勢力が衰え、北ヨーロッパと南ヨーロッパの間の水路が利用できるようになった。こうして、北欧経済圏と地中海経済圏が海路で結ばれ、北と南で海港都市が繁栄、内陸ルートとそれに沿った都市の市場は衰退することになった。
ムワッヒド朝の盛衰は、ヨーロッパ南北の経済圏を結びつける鍵だったのである。
「重要な語句はどれですか」と生徒は問う。重要でない語句などない。重要なのは語句ではなく、その語句の持つ意味や意義、その事象が他の歴史事象の何によって影響を受け、何に影響を与えているかといった学習である。