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スグルの歴史発見

社会科教員をやっているスグルの歴史エッセイ。おもに中学生から高校生向きの内容ですが、大人でも楽しめると思います。

教科書は何を載せるべきか? 沖縄戦の「集団自決」削除の問題から

2007年04月01日 01時51分45秒 | 教育問題
 沖縄戦の「集団自決」について、日本軍が強制したとの記述に、修正を求める検定意見が初めて付いたというニュースが話題だ。社会科教師をやっていると、この手の話題は避けて通れない。僕は、この検定意見の考え方には賛成できないが、検定とは別の理由からこの記述を教科書に載せないことには賛成だ。
 検定では、「日本軍による強制または命令は断定できない」との立場で検定意見を付することを決定したようだ。しかし、当時を知る人や体験者の証言からは、むしろ、集団自決の強制なり命令がまったくなかったということはありえないように思う。だから、この検定意見の立場には賛成できない。
 しかし、中学生や高校生が学ぶ歴史の学習に、集団自殺の強制という記事が必要だろうか。それは、たとえば資料集なりに記事としてあるのはいいと思うし、そうした事に関する本を授業で教師が紹介するのもおおいにおすすめしたい。でも、教科書に載せるのは僕は反対だ。
 同じ理由で、従軍慰安婦についてや、南京大虐殺についてもそうだ。これらは、歴史として事実でも、生徒が学ぶ歴史教科書に載せなければならないものなのだろうか。
 もしも、残虐な行為を載せることにしたなら、ある国のある時期のものだけをとりあげれば、その国のその時期だけが残虐な印象を持ってしまうから、そうならないために、古代から、ありとあらゆる残虐行為を順番に列挙しなければならなくなる。この時代に、この国で、こうゆう残虐なことが、この時代には、と順番に載せなければならなくなる。でも、それは、はじめて歴史を学ぶ生徒が、教科書で学ばなければならない内容とは思われない。政治、外交、文化、生活など、もっと別に扱うことがあるはずで、残虐な部分は、それぞれが読書なり、インターネットなりで調べたらいいことだ。
 僕は、歴史として、南京大虐殺や従軍慰安婦や沖縄戦を避けていいと言っているのではない。これらは、日本人が正面から向き合わなければならない問題だ。でも、中学生や高校生に教える歴史で、共通して触れなければならないことだとは思わない。

 

ゆとり教育が生み出す教育格差社会

2005年07月24日 07時53分26秒 | 教育問題
 ゆとり教育というときれいにきこえるが、その意味するところは教育内容の削減である。
 たとえば歴史の場合、現行の学習指導要領では、年間140時間だった授業時数が年間105時間に減った。これはそれまでの75%の水準にあたる。
 さて、歴史をひもとけば、教育内容の削減は、教育格差社会の到来をもたらすことが必然だ。
 かつて日本では義務教育が4年であった。義務教育が9年である現在と当時とでは、当時のほうが教育格差社会であると言える。それはつまり、現在の9年分の教育を受けるためには、義務教育終了後から5年間、自前で教育費を払って勉強をしなければならないからだ。この5年分を負担できる高所得層と、負担できない低所得層の間に、教育の格差が生じてくる。
 ゆとり教育は、これとまったく同じ結果をもたらす。
 学校で習わない分は、ほかで習わなければならない。100を教えていた公教育が75しかおしえないとなると、あとの25は塾なり、私立学校なり、公教育とは別のところで学ぶしかない。それができる高所得層とそれができない低所得層の間の教育格差が生まれていく。
 21世紀の日本は格差社会に向かっているといわれている。教育格差の拡大は、将来の経済格差を拡大させる大きな要因となる。
 ゆとり教育はいずれ見直されるかもしれない。だとしたらゆとり教育のもとで育った子どもたちはかわいそうだ。
 教育内容が減ることが子どもたちの幸せではない。質の高い教育を受けられることが子どもたちの幸せなのではないだろうか。
 

日本の子ども達の学力低下

2004年12月15日 17時00分54秒 | 教育問題
 日本の子どもの学力が低下しているという国際的な調査結果が出た。驚くことはない。中学校の現場で仕事をしていると、そうだろうな、と納得してしまう。子どもの学力が国家発展の基礎であることは歴史が証明している。それを見て見ぬふりすることは許されない。国による実効的な対策取りまとめと、その早急な実施が望まれる。
 子どもの学力を低下させている原因には以下のものがある。
「絶対評価」・・・競争なくして発展はない。現在の評価方法では、子ども達ひとりひとりが、自分の学力の位置を把握できず、向上意欲がわかない。
「総合学習」・・・学校ごとに差はあるだろうが、私の勤めてきた学校では、週2時間、年に100時間以上の時間を割いて取り組んだ成果とは思えない、おそまつな学習が多い。これを時間の浪費でない、お遊びでないと言える現場教師は果たしているのだろうか。
「基礎基本の徹底」・・・応用的な内容を扱うことがはばかられる風潮が生まれている。基礎は応用をともなわないが、応用は基礎をともなって歩む。
 教育立国とは、ゆとり教育や総合学習や生きる力によって達成されるものではない。
 子どもたち一人一人に、与えうる限り最良の学習の機会を与え、豊富な学習経験・学習知識が、子ども達の将来の財産となるような教育を言うのではないだろうか。