沖縄戦の「集団自決」について、日本軍が強制したとの記述に、修正を求める検定意見が初めて付いたというニュースが話題だ。社会科教師をやっていると、この手の話題は避けて通れない。僕は、この検定意見の考え方には賛成できないが、検定とは別の理由からこの記述を教科書に載せないことには賛成だ。
検定では、「日本軍による強制または命令は断定できない」との立場で検定意見を付することを決定したようだ。しかし、当時を知る人や体験者の証言からは、むしろ、集団自決の強制なり命令がまったくなかったということはありえないように思う。だから、この検定意見の立場には賛成できない。
しかし、中学生や高校生が学ぶ歴史の学習に、集団自殺の強制という記事が必要だろうか。それは、たとえば資料集なりに記事としてあるのはいいと思うし、そうした事に関する本を授業で教師が紹介するのもおおいにおすすめしたい。でも、教科書に載せるのは僕は反対だ。
同じ理由で、従軍慰安婦についてや、南京大虐殺についてもそうだ。これらは、歴史として事実でも、生徒が学ぶ歴史教科書に載せなければならないものなのだろうか。
もしも、残虐な行為を載せることにしたなら、ある国のある時期のものだけをとりあげれば、その国のその時期だけが残虐な印象を持ってしまうから、そうならないために、古代から、ありとあらゆる残虐行為を順番に列挙しなければならなくなる。この時代に、この国で、こうゆう残虐なことが、この時代には、と順番に載せなければならなくなる。でも、それは、はじめて歴史を学ぶ生徒が、教科書で学ばなければならない内容とは思われない。政治、外交、文化、生活など、もっと別に扱うことがあるはずで、残虐な部分は、それぞれが読書なり、インターネットなりで調べたらいいことだ。
僕は、歴史として、南京大虐殺や従軍慰安婦や沖縄戦を避けていいと言っているのではない。これらは、日本人が正面から向き合わなければならない問題だ。でも、中学生や高校生に教える歴史で、共通して触れなければならないことだとは思わない。
検定では、「日本軍による強制または命令は断定できない」との立場で検定意見を付することを決定したようだ。しかし、当時を知る人や体験者の証言からは、むしろ、集団自決の強制なり命令がまったくなかったということはありえないように思う。だから、この検定意見の立場には賛成できない。
しかし、中学生や高校生が学ぶ歴史の学習に、集団自殺の強制という記事が必要だろうか。それは、たとえば資料集なりに記事としてあるのはいいと思うし、そうした事に関する本を授業で教師が紹介するのもおおいにおすすめしたい。でも、教科書に載せるのは僕は反対だ。
同じ理由で、従軍慰安婦についてや、南京大虐殺についてもそうだ。これらは、歴史として事実でも、生徒が学ぶ歴史教科書に載せなければならないものなのだろうか。
もしも、残虐な行為を載せることにしたなら、ある国のある時期のものだけをとりあげれば、その国のその時期だけが残虐な印象を持ってしまうから、そうならないために、古代から、ありとあらゆる残虐行為を順番に列挙しなければならなくなる。この時代に、この国で、こうゆう残虐なことが、この時代には、と順番に載せなければならなくなる。でも、それは、はじめて歴史を学ぶ生徒が、教科書で学ばなければならない内容とは思われない。政治、外交、文化、生活など、もっと別に扱うことがあるはずで、残虐な部分は、それぞれが読書なり、インターネットなりで調べたらいいことだ。
僕は、歴史として、南京大虐殺や従軍慰安婦や沖縄戦を避けていいと言っているのではない。これらは、日本人が正面から向き合わなければならない問題だ。でも、中学生や高校生に教える歴史で、共通して触れなければならないことだとは思わない。