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スグルの歴史発見

社会科教員をやっているスグルの歴史エッセイ。おもに中学生から高校生向きの内容ですが、大人でも楽しめると思います。

ノート:歴史5 ヤマト王権と鉄 ~古墳時代~

2007年09月07日 19時24分43秒 | 歴史ノート
授業の板書を紹介しています。今回は、古墳時代の授業を紹介します。

1年生歴史5時間目 

板書ここから
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ヤマト王権と鉄 ~古墳時代~

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 ├300前後 前方後円墳がつくられはじめる ・・・埴輪
 │ * 奈良県にヤマト王権が成立
 ├391 倭が新羅、百済をやぶり、高句麗と戦う(広開土王碑より) <B>
 │ * 埼玉県稲荷山古墳→鉄剣 「ワカタケル大王」 <A>
 │ * 熊本県江田船山古墳→鉄刀 「ワカタケル大王」 <A>
 ├478 倭王武が宋に使いを送る(宋書より)  <C>
 │  倭王武 = ワカタケル ?
 ├538 百済から仏教がつたわる。

<A>
Q 埼玉県と熊本県から同じ王の名を書いた武器がでてきたことから、何がわかるか?
A 同じ王(ヤマト王権のワカタケル)が九州から関東までを統一していた

<B>
Q 倭(ヤマト王権)が朝鮮半島に進出した目的は?
A 鉄などの資源やすすんだ技術を手に入れるため

<C>
Q 倭(ヤマト王権)が中国(宋)に使いを出した目的は?
A 中国の皇帝の力をかりて(官位をもらって)、朝鮮半島諸国に対して優位に立つため

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板書ここまで

*もっと詳しく学習しよう!

 古墳時代は、前期、中期、後期の3つにわけられる。
 じつは、同じ古墳時代でも、3つにわけるとぜんぜん違っていたことがわかる。
 
 まず、だいたい4世紀が前期。副葬品を見ると、祭器が多く、古墳の埋葬者つまり王は、司祭のような人物だったことがわかる。埴輪は、たんなる円筒形だ。

 5世紀=中期になると、古墳は大型化し、副葬品は、武具や馬具が多くなる。埋葬者は、武士のような人物だったことがわかる。埴輪も、みんなのよく知っている馬や兵士の形をした形象埴輪が増える。これは、倭が朝鮮半島に進出し、中国に使いを送った時期と一致する。

 6世紀になり、後期になると、古墳は小型化し、群集墳などが登場する。仏教が伝来し、豪族や大王は、古墳よりも寺院にお金をかけるようになる。このころは、朝鮮半島に進出することもなくなり、蘇我氏物部氏が活躍し、やがて聖徳太子の時代へと向かう。

 このように、前期、中期、後期では、ヤマト王権や古墳の性格がぜんぜんちがうため、「王朝が交代した」という説や「騎馬民族が日本を征服した」という説もあるくらいなんだ。
 
 

ノート:歴史7 唐にならった国づくり ~飛鳥時代から奈良時代へ~

2007年09月06日 21時04分45秒 | 歴史ノート
授業の板書を紹介しています。

1年生歴史7時間目 

板書ここから
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唐にならった国づくり ~飛鳥から奈良時代~

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 ├672 壬申の乱 大海人皇子がかち、天武天皇となる ・・・<A>
 ├701 大宝律令ができる・・・<B> 
 │   →中央に二官八省、地方に国郡里、九州に大宰府
 ├708 和同開珎をつくる
 ├710 平城京(奈良)にみやこをうつす・・・<C>
 ├712 古事記をつくられる
 ├715 国ごとに風土記をつくらせる
 ├720 日本書紀がつくられる
 ├743 東大寺に大仏をつくらせる・・・<D>
 ├743 国ごとに国分寺・国分尼寺をつくらせる・・・<D>

<A>
天智天皇の子(大友皇子)をやぶった。この頃、大王→天皇

<B>
唐の律令がモデル。律は刑罰のきまり、令は政治のしくみ

<C>
唐の長安がモデル。

<D>
Q 聖武天皇が、このようにたくさんの寺院を建てたのはなぜか?
A ききんが続き、仏教の力をかりて、国を守ろうと考えたから

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板書ここまで

*もっと詳しく学習しよう!

 現在の新潟県にあたる地方には、越後国と佐渡国が置かれた。
 越後国の範囲は、何度かの変更を経て、現在とほぼ同じになった。そのとき、越後国は6つの郡、佐渡国は3つの郡から成り立っていた。

 越後国
  頚城郡
  刈羽郡
  古志郡
  蒲原郡
  沼垂郡
  岩船郡

 佐渡国
  雑太郡  
  加茂郡
  羽茂郡

 1300年も前のことなのに、地名が今とあまり変わっていないのには、驚きだね。