授業の板書を紹介しています。今回は、古墳時代の授業を紹介します。
1年生歴史5時間目
板書ここから
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ヤマト王権と鉄 ~古墳時代~
****************
├300前後 前方後円墳がつくられはじめる ・・・埴輪
│ * 奈良県にヤマト王権が成立
├391 倭が新羅、百済をやぶり、高句麗と戦う(広開土王碑より) <B>
│ * 埼玉県稲荷山古墳→鉄剣 「ワカタケル大王」 <A>
│ * 熊本県江田船山古墳→鉄刀 「ワカタケル大王」 <A>
├478 倭王武が宋に使いを送る(宋書より) <C>
│ 倭王武 = ワカタケル ?
├538 百済から仏教がつたわる。
<A>
Q 埼玉県と熊本県から同じ王の名を書いた武器がでてきたことから、何がわかるか?
A 同じ王(ヤマト王権のワカタケル)が九州から関東までを統一していた
<B>
Q 倭(ヤマト王権)が朝鮮半島に進出した目的は?
A 鉄などの資源やすすんだ技術を手に入れるため
<C>
Q 倭(ヤマト王権)が中国(宋)に使いを出した目的は?
A 中国の皇帝の力をかりて(官位をもらって)、朝鮮半島諸国に対して優位に立つため
****************
板書ここまで
*もっと詳しく学習しよう!
古墳時代は、前期、中期、後期の3つにわけられる。
じつは、同じ古墳時代でも、3つにわけるとぜんぜん違っていたことがわかる。
まず、だいたい4世紀が前期。副葬品を見ると、祭器が多く、古墳の埋葬者つまり王は、司祭のような人物だったことがわかる。埴輪は、たんなる円筒形だ。
5世紀=中期になると、古墳は大型化し、副葬品は、武具や馬具が多くなる。埋葬者は、武士のような人物だったことがわかる。埴輪も、みんなのよく知っている馬や兵士の形をした形象埴輪が増える。これは、倭が朝鮮半島に進出し、中国に使いを送った時期と一致する。
6世紀になり、後期になると、古墳は小型化し、群集墳などが登場する。仏教が伝来し、豪族や大王は、古墳よりも寺院にお金をかけるようになる。このころは、朝鮮半島に進出することもなくなり、蘇我氏物部氏が活躍し、やがて聖徳太子の時代へと向かう。
このように、前期、中期、後期では、ヤマト王権や古墳の性格がぜんぜんちがうため、「王朝が交代した」という説や「騎馬民族が日本を征服した」という説もあるくらいなんだ。
1年生歴史5時間目
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ヤマト王権と鉄 ~古墳時代~
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├300前後 前方後円墳がつくられはじめる ・・・埴輪
│ * 奈良県にヤマト王権が成立
├391 倭が新羅、百済をやぶり、高句麗と戦う(広開土王碑より) <B>
│ * 埼玉県稲荷山古墳→鉄剣 「ワカタケル大王」 <A>
│ * 熊本県江田船山古墳→鉄刀 「ワカタケル大王」 <A>
├478 倭王武が宋に使いを送る(宋書より) <C>
│ 倭王武 = ワカタケル ?
├538 百済から仏教がつたわる。
<A>
Q 埼玉県と熊本県から同じ王の名を書いた武器がでてきたことから、何がわかるか?
A 同じ王(ヤマト王権のワカタケル)が九州から関東までを統一していた
<B>
Q 倭(ヤマト王権)が朝鮮半島に進出した目的は?
A 鉄などの資源やすすんだ技術を手に入れるため
<C>
Q 倭(ヤマト王権)が中国(宋)に使いを出した目的は?
A 中国の皇帝の力をかりて(官位をもらって)、朝鮮半島諸国に対して優位に立つため
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*もっと詳しく学習しよう!
古墳時代は、前期、中期、後期の3つにわけられる。
じつは、同じ古墳時代でも、3つにわけるとぜんぜん違っていたことがわかる。
まず、だいたい4世紀が前期。副葬品を見ると、祭器が多く、古墳の埋葬者つまり王は、司祭のような人物だったことがわかる。埴輪は、たんなる円筒形だ。
5世紀=中期になると、古墳は大型化し、副葬品は、武具や馬具が多くなる。埋葬者は、武士のような人物だったことがわかる。埴輪も、みんなのよく知っている馬や兵士の形をした形象埴輪が増える。これは、倭が朝鮮半島に進出し、中国に使いを送った時期と一致する。
6世紀になり、後期になると、古墳は小型化し、群集墳などが登場する。仏教が伝来し、豪族や大王は、古墳よりも寺院にお金をかけるようになる。このころは、朝鮮半島に進出することもなくなり、蘇我氏物部氏が活躍し、やがて聖徳太子の時代へと向かう。
このように、前期、中期、後期では、ヤマト王権や古墳の性格がぜんぜんちがうため、「王朝が交代した」という説や「騎馬民族が日本を征服した」という説もあるくらいなんだ。