はじめに誤解なきように。
「大悪天皇」というのは、日本書紀に載っているある天皇のあだ名で、その記事があることは、研究者の方はもちろん、おそらく皇室の方々も、知っていると思います。この記事の目的は、なぜ、日本書紀の編者が過去の天皇をそんな風に書いたのか、を追求することにあります。
日本書紀によれば、「大悪天皇」と言われた天皇がいます。それは5世紀末の雄略天皇です。日本書紀のその部分を引用します。
>二年秋七月百濟池津媛違天皇將幸淫於石河楯舊本云石河股合首祖楯天皇大怒詔大伴室屋大連使來目部張夫婦四支於木置假庪上以火燒死(日本書紀巻十六)
これによると、雄略は、思い人の「百濟池津媛」が「石河楯」と恋仲であることを知って激怒し、二人を磔にして焼いたというのです。日本書紀はこの他にも数々の悪行を列挙し、さらに、
>天下毀謗言大惡天皇也(日本書紀巻十六)
人々が雄略を「大悪天皇」とうわさしたと書いています。
さて、高校生の皆さんならご存知のとおり、雄略天皇といえば、大学入試センター試験日本史なら必須の、稲荷山古墳鉄剣(埼玉)と江田船山古墳鉄刀(熊本)で、ワカタケル大王として銘文に残された大王です。関東から九州までを治めた王ですね。さらに、多数の研究者が、宋書の倭王武だとしている天皇です。倭王武といえば、朝鮮半島にまで支配権を拡大した王です。つまり、朝鮮半島南部から関東までの領域を治めた「帝王」だったわけです。
それを「大悪天皇」とは?
僕が言っているのは、前述の記事の信憑性ではありません。帝王なら、嫉妬して磔にするくらいはしたかもしれないし、もしかしたら大悪天皇と言った人もいたかもしれない。また、この逸話が捏造かもしれない。
問題なのは、日本書紀の編者が、なぜこんな記述を採用したか、にあります。
日本書紀といえば、年代がごまかされている、勝手な置換が行われているなど、歴史書としては問題が多いのですが、気に入らない人物はとことん悪者にしていることでも知られています。
蘇我馬子 蘇我蝦夷 蘇我入鹿
これが実名だと信じる人はいません。この三人の名前は、明らかに蔑称です。本名は、もっとちがうもののはずです。日本書紀は、何らかの理由で蘇我氏を憎んでいたために、このように「置換」しているのです。
したがって、この三人の功績が他人の(たとえば聖徳太子)功績に「置換」され、逆に他人の悪行がこの三人のものに「置換」されている可能性だってあります。
そう考えると、雄略天皇のこの記事は明らかに、雄略天皇が、日本書紀の編者に憎まれていた、あるいは憎むべき対象だったことになります。
これは、第一に、血筋の問題が考えられます。万世一系という原則とはうらはらに、血で血を洗う王朝交代劇があったのかもしれません。
第二に、雄略=倭王武なら、中国の皇帝に朝貢していることが、問題なのかもしれません。でも、それなら、朝貢した記事を削除するだけでいいわけで、何も天皇の祖先を「大悪天皇」なんて・・・・
いったい雄略=ワカタケル大王は何をしたんでしょうか?
なぞは深まるばかり。え、ここで終わるなって???とりあえず今回は、問題を提起して、ここで終わります。ではまた。
「大悪天皇」というのは、日本書紀に載っているある天皇のあだ名で、その記事があることは、研究者の方はもちろん、おそらく皇室の方々も、知っていると思います。この記事の目的は、なぜ、日本書紀の編者が過去の天皇をそんな風に書いたのか、を追求することにあります。
日本書紀によれば、「大悪天皇」と言われた天皇がいます。それは5世紀末の雄略天皇です。日本書紀のその部分を引用します。
>二年秋七月百濟池津媛違天皇將幸淫於石河楯舊本云石河股合首祖楯天皇大怒詔大伴室屋大連使來目部張夫婦四支於木置假庪上以火燒死(日本書紀巻十六)
これによると、雄略は、思い人の「百濟池津媛」が「石河楯」と恋仲であることを知って激怒し、二人を磔にして焼いたというのです。日本書紀はこの他にも数々の悪行を列挙し、さらに、
>天下毀謗言大惡天皇也(日本書紀巻十六)
人々が雄略を「大悪天皇」とうわさしたと書いています。
さて、高校生の皆さんならご存知のとおり、雄略天皇といえば、大学入試センター試験日本史なら必須の、稲荷山古墳鉄剣(埼玉)と江田船山古墳鉄刀(熊本)で、ワカタケル大王として銘文に残された大王です。関東から九州までを治めた王ですね。さらに、多数の研究者が、宋書の倭王武だとしている天皇です。倭王武といえば、朝鮮半島にまで支配権を拡大した王です。つまり、朝鮮半島南部から関東までの領域を治めた「帝王」だったわけです。
それを「大悪天皇」とは?
僕が言っているのは、前述の記事の信憑性ではありません。帝王なら、嫉妬して磔にするくらいはしたかもしれないし、もしかしたら大悪天皇と言った人もいたかもしれない。また、この逸話が捏造かもしれない。
問題なのは、日本書紀の編者が、なぜこんな記述を採用したか、にあります。
日本書紀といえば、年代がごまかされている、勝手な置換が行われているなど、歴史書としては問題が多いのですが、気に入らない人物はとことん悪者にしていることでも知られています。
蘇我馬子 蘇我蝦夷 蘇我入鹿
これが実名だと信じる人はいません。この三人の名前は、明らかに蔑称です。本名は、もっとちがうもののはずです。日本書紀は、何らかの理由で蘇我氏を憎んでいたために、このように「置換」しているのです。
したがって、この三人の功績が他人の(たとえば聖徳太子)功績に「置換」され、逆に他人の悪行がこの三人のものに「置換」されている可能性だってあります。
そう考えると、雄略天皇のこの記事は明らかに、雄略天皇が、日本書紀の編者に憎まれていた、あるいは憎むべき対象だったことになります。
これは、第一に、血筋の問題が考えられます。万世一系という原則とはうらはらに、血で血を洗う王朝交代劇があったのかもしれません。
第二に、雄略=倭王武なら、中国の皇帝に朝貢していることが、問題なのかもしれません。でも、それなら、朝貢した記事を削除するだけでいいわけで、何も天皇の祖先を「大悪天皇」なんて・・・・
いったい雄略=ワカタケル大王は何をしたんでしょうか?
なぞは深まるばかり。え、ここで終わるなって???とりあえず今回は、問題を提起して、ここで終わります。ではまた。