「パトラッシュ、ぼくもうつかれたよ」
日本人なら誰もが涙する「フランダースの犬」のラストシーン。ネロとパトラッシュは、クリスマスの夜に天に召された。
僕はこの場面を、近代史を考える鍵となる名場面だと思っている。
この物語の舞台となっている19世紀のヨーロッパでは、自由主義国家の全盛期だった。自由主義国家というのは、市民革命によってうちたてられた、個人の自由な経済活動が保障された国家だ。封建社会ではまったくばらばらだった国内市場を、絶対王政がひとつの巨大な経済圏にまとめあげた。さらに市民革命が、王権による経済統制をとりはらい、個人個人に自由な経済活動を保障した。これによって個人が、統一された市場を部隊に、国家の統制をうけることなく、自由な経済活動を行うことができるようになった。
こうしてうまれた自由主義国家のもとでは、国家による経済への統制は悪だと考えられた。自由主義のバイブルともいえるアダム・スミスの「諸国民の富」では、自由主義経済を「神の見えざる手」と呼び、需要と供給の関係にまかせておけば、すべては自然とうまくいくとされた。このような国家は政治史上「夜警国家」と呼ばれる。国家は、自由な経済活動を阻害する要素を取り払う警察としての機能以外を担う必要はないというわけだ。
ところがこうした夜警国家のもとでは、貧富の差の問題がしだいに明らかとなった。多数の貧しい労働者がまちにあふれた。しかし、夜警国家は、飢えた失業者を救おうとはしなかった。働けるものは金を得ることができ、働けないものは飢え死にするしかなかった。社会保障という考えも、福祉国家という考えも、まだなかった。
おじいさんをなくし、唯一の生活の糧だった牛乳配達の仕事もなくしたネロとパトラッシュには、飢え死にしか道は残されていなかった。
人類が自由主義国家のあやまりに本格的に気づくのは、19世紀後半から20世紀にかけての社会主義運動の高まりと、ロシア革命によるソ連の成功、そして世界恐慌を待たねばならない。1929年の世界恐慌は、自由主義に最後のとどめを刺した。ルーズベルト大統領は国家による失業者の救済と経済の統制を主張し、夜警国家は福祉国家へと姿を変えていくことになる。
日本でオリジナルに製作されたフランダースの犬の劇場版では、ネロのおさななじみのアロアが大人になって、孤児院で孤児たちを世話しているところから物語がはじまる。福祉国家の時代に生まれていれば、ネロもパトラッシュも死なずにすんだのだろう。福祉国家の時代に生まれたわたしたちには、どこからも救いの手をさしのべてもらえないネロたちの姿が悲しく映る。
日本人なら誰もが涙する「フランダースの犬」のラストシーン。ネロとパトラッシュは、クリスマスの夜に天に召された。
僕はこの場面を、近代史を考える鍵となる名場面だと思っている。
この物語の舞台となっている19世紀のヨーロッパでは、自由主義国家の全盛期だった。自由主義国家というのは、市民革命によってうちたてられた、個人の自由な経済活動が保障された国家だ。封建社会ではまったくばらばらだった国内市場を、絶対王政がひとつの巨大な経済圏にまとめあげた。さらに市民革命が、王権による経済統制をとりはらい、個人個人に自由な経済活動を保障した。これによって個人が、統一された市場を部隊に、国家の統制をうけることなく、自由な経済活動を行うことができるようになった。
こうしてうまれた自由主義国家のもとでは、国家による経済への統制は悪だと考えられた。自由主義のバイブルともいえるアダム・スミスの「諸国民の富」では、自由主義経済を「神の見えざる手」と呼び、需要と供給の関係にまかせておけば、すべては自然とうまくいくとされた。このような国家は政治史上「夜警国家」と呼ばれる。国家は、自由な経済活動を阻害する要素を取り払う警察としての機能以外を担う必要はないというわけだ。
ところがこうした夜警国家のもとでは、貧富の差の問題がしだいに明らかとなった。多数の貧しい労働者がまちにあふれた。しかし、夜警国家は、飢えた失業者を救おうとはしなかった。働けるものは金を得ることができ、働けないものは飢え死にするしかなかった。社会保障という考えも、福祉国家という考えも、まだなかった。
おじいさんをなくし、唯一の生活の糧だった牛乳配達の仕事もなくしたネロとパトラッシュには、飢え死にしか道は残されていなかった。
人類が自由主義国家のあやまりに本格的に気づくのは、19世紀後半から20世紀にかけての社会主義運動の高まりと、ロシア革命によるソ連の成功、そして世界恐慌を待たねばならない。1929年の世界恐慌は、自由主義に最後のとどめを刺した。ルーズベルト大統領は国家による失業者の救済と経済の統制を主張し、夜警国家は福祉国家へと姿を変えていくことになる。
日本でオリジナルに製作されたフランダースの犬の劇場版では、ネロのおさななじみのアロアが大人になって、孤児院で孤児たちを世話しているところから物語がはじまる。福祉国家の時代に生まれていれば、ネロもパトラッシュも死なずにすんだのだろう。福祉国家の時代に生まれたわたしたちには、どこからも救いの手をさしのべてもらえないネロたちの姿が悲しく映る。