goo blog サービス終了のお知らせ 

スグルの歴史発見

社会科教員をやっているスグルの歴史エッセイ。おもに中学生から高校生向きの内容ですが、大人でも楽しめると思います。

ネロとパトラッシュはなぜ死ななければならなかったのか?

2005年07月09日 17時07分37秒 | 名作シリーズ
「パトラッシュ、ぼくもうつかれたよ」
 日本人なら誰もが涙する「フランダースの犬」のラストシーン。ネロとパトラッシュは、クリスマスの夜に天に召された。
 僕はこの場面を、近代史を考える鍵となる名場面だと思っている。
 この物語の舞台となっている19世紀のヨーロッパでは、自由主義国家の全盛期だった。自由主義国家というのは、市民革命によってうちたてられた、個人の自由な経済活動が保障された国家だ。封建社会ではまったくばらばらだった国内市場を、絶対王政がひとつの巨大な経済圏にまとめあげた。さらに市民革命が、王権による経済統制をとりはらい、個人個人に自由な経済活動を保障した。これによって個人が、統一された市場を部隊に、国家の統制をうけることなく、自由な経済活動を行うことができるようになった。
 こうしてうまれた自由主義国家のもとでは、国家による経済への統制は悪だと考えられた。自由主義のバイブルともいえるアダム・スミスの「諸国民の富」では、自由主義経済を「神の見えざる手」と呼び、需要と供給の関係にまかせておけば、すべては自然とうまくいくとされた。このような国家は政治史上「夜警国家」と呼ばれる。国家は、自由な経済活動を阻害する要素を取り払う警察としての機能以外を担う必要はないというわけだ。
 ところがこうした夜警国家のもとでは、貧富の差の問題がしだいに明らかとなった。多数の貧しい労働者がまちにあふれた。しかし、夜警国家は、飢えた失業者を救おうとはしなかった。働けるものは金を得ることができ、働けないものは飢え死にするしかなかった。社会保障という考えも、福祉国家という考えも、まだなかった。
 おじいさんをなくし、唯一の生活の糧だった牛乳配達の仕事もなくしたネロとパトラッシュには、飢え死にしか道は残されていなかった。
 人類が自由主義国家のあやまりに本格的に気づくのは、19世紀後半から20世紀にかけての社会主義運動の高まりと、ロシア革命によるソ連の成功、そして世界恐慌を待たねばならない。1929年の世界恐慌は、自由主義に最後のとどめを刺した。ルーズベルト大統領は国家による失業者の救済と経済の統制を主張し、夜警国家は福祉国家へと姿を変えていくことになる。
 日本でオリジナルに製作されたフランダースの犬の劇場版では、ネロのおさななじみのアロアが大人になって、孤児院で孤児たちを世話しているところから物語がはじまる。福祉国家の時代に生まれていれば、ネロもパトラッシュも死なずにすんだのだろう。福祉国家の時代に生まれたわたしたちには、どこからも救いの手をさしのべてもらえないネロたちの姿が悲しく映る。

かさじぞうが語る経済史

2005年07月09日 11時05分28秒 | 名作シリーズ
 かさじぞうという物語は、年末のおはなしの定番です。
 これがいつの時代を舞台にした話か、ぜんぜん知らいのですが、歴史として仮説をたてると面白いのです。そこでよく授業で話す内容を紹介します。ぜんぜん嘘だったらごめんなさい・・・。
 お話は、まずしいおじいさんとおばあさんが、年越しの品々を買うために、傘をあんでそれを町へ売りに行くんだけど、ひとつも売れない。それで、おじいさんは傘を持って変える帰りに、雪にぬれたお地蔵さんを見つけて・・・という内容ですね。
 この話には、いくつかの前提がなければならない。
(1)おじいさんが年末に傘を売る「市場」が存在する(おそらく定期市か)。
(2)傘を売って得られる「通貨」が存在する(明銭?宋銭?あるいは)。
(3)そして、おじいさんは傘を自由に売ることが認められている(楽市楽座)。
 したがってこの話は、少なくとも戦国時代以降の話ということになります。
 さて、ここで視点を変えると、このおじいさんとおばあさんが、今の老人と大きく違うのは、そう、年金をもたっていないということです。あたりまえじゃないかと思うかもしれませんが、そう考えたら歴史は学べません。年金ができたのは、年金がないと困るからできたのであって、つまり、かさじぞうの頃は、年金なんて必要なかったんです。
 どうしてかというと、おじいさんやおばあさんのつくった傘が、市場でちゃんと売れて、おじいさんとおばあさんはその正当な対価を得ることができた。正当な対価というのは、たとえば傘1つつくるのに3日かかれば、それで3日分以上の衣食住が保障される分ということです。物語では傘は売れませんでしたが、最後にお地蔵さんが贈り物をもってやってくるという結末には、対価が得られるのが当然だという価値観が見えます。
 ところが、現在では、そんなことはできない。それは、産業革命によって企業が生産する安くて規格化された「商品」が、手工業をすべて破壊してしまったからです。現在では、おじいさんたちが傘を手で作って売っても、正当な対価は得られないでしょう。
 現代では、人々は労働力として企業に奉仕して対価を受け取ります。しかし、企業が要求する仕事は一定でも人間の体は変化しおとろえるので、定年を迎えると仕事ができない。だから、年金という制度が必要になるんですね。
 かさじぞうの時代には、畑仕事のできないくらい年を取ったおじいさんとおばあさんでも、傘をつくって対価を得れば、生計をたてることができたということです。
 高齢社会をむかえる21世紀、かさじぞうの頃の経済システムは、年金問題に直面して困惑するわれわれにとって、新鮮なものですね。

ローラたちはなぜ大草原のちいさな家に住んだの?

2005年04月13日 18時42分08秒 | 名作シリーズ
 僕は子どものころ、テレビで「大草原のちいさな家」を見て育った世代だ。
「大草原のちいさない家」は、1937年、ローラ・インガルス・ワイルダーの作品。あの作品の原作は、著者のローラが、子どものころに経験した出来事をもとに書いたものだ。
 ローラが生まれたのは1867年というから、これは日本では大政奉還の年である。大草原のちいさな家のローラはまだ小学生くらいだから、あれは1870年代、日本が明治維新を進めていたころのアメリカの話ということになる。
 さて、なぜローラたちが大草原のちいさな家に住んでいたかというと、それは、当時のアメリカの歴史と関係がある。簡単な年表を見てみよう。
 1848年 カリフォルニアで金鉱が見つかる
 1849年 ゴールドラッシュはじまる
 1869年 大陸横断鉄道開通
 1890年 フロンティア消滅 → 海外進出、帝国主義へ
 アメリカはもともと東海岸の13州で独立したちいさな国だった。それが、しだいに領土を増やして大陸国家になった。1848年、カリフォルニアで金鉱が見つかると、1849年には、東部に住んでいた多くの人が西部に移住するようになった。こうして金鉱のある西部に人口が移動し始めたことをゴールドラッシュ、この1849年に移住した人々のことをフォーティーナイナーズ、そして移民のいちばん最前線をフロンティアというよ。
 しかし、アメリカ大陸の西部にはまだ多くの原住民(インディアン、ネイティブアメリカン)がすんでいたので、当然移民との間にいざこざもおきた。
 ローラたちインガルス一家は、この時期に西への移民を選択した。一家はインディアンの住んでいる地域のちかくに丸木小屋を建て、同じように移民してきた人々と生活をはじめた。このころ、大陸横断鉄道も開通している。作品の中にも、インディアンとの争いや、大陸横断鉄道が出てきたように記憶している。自分の土地を手に入れ、自分の農地を耕す、そんなフロンティアの開拓は、アメリカンドリームだった。
 しかし、1890年には、フロンティアも消滅する。国内に移民先を失ったアメリカは、ハワイを併合し、フィリピンを獲得し、列強に中国での門戸開放を要求して、帝国主義諸国の仲間入りをしていくことになる。 
 ローラ・インガルス・ワイルダーは1957年に亡くなった。日本で言えば、ちょうど明治維新から敗戦、復興までの時期に相当する。あのドラマでは子どもだったがやがて大人になり新聞やテレビも見たであろうローラの目に、日本や世界の歴史はどのように映っていたのだろうか。
 

母を訪ねて3千里、マルコのお母さんはなんでそんな遠くに行ったの?

2004年12月16日 15時33分00秒 | 名作シリーズ
 母をたずねて三千里は、1886年、デ・アミーチスの作品。イタリアのジェノバの少年マルコが、手稼ぎに行った母を追ってアルゼンチンへ旅をするという物語だ。三千里というのは、イタリアとアルゼンチンの距離である。
 さて、なぜマルコの母は遠いアルゼンチンに渡ったのかというと、何のことはない、19世紀のヨーロッパでは移民は一般的な出来事だったのだ。移民と縁の薄い日本に住んでいる僕らには実感がわかないが、19世紀のヨーロッパではあたりまえのように移民が行われていた。それは主に、ヨーロッパから南北アメリカやオーストラリアへの移動だった。
 移民がさかんになった背景には、農業革命と産業革命がある。
 農業革命は、コロンブスによる新大陸の発見以降、段階的に進行したもので、新大陸からの安価な穀物の流入が農産物の価格を下落させ、小規模経営の農家が没落して農業の大規模化・効率化がすすんだことをいう。ヨーロッパの食糧事情は大幅に改善され、人口が飛躍的に増えた。マルサスが著書「人口論」でこの人口増加に警鐘を鳴らしたことはよく知られている。
 産業革命は説明の必要はないだろう。ここでは、蒸気船と蒸気機関車の登場を取り上げる。19世紀にはいると、1807年にフルトンの発明になる汽船が登場し、1825年にはスティーヴンソンの発明による蒸気機関車が登場した。蒸気船と蒸気機関車の登場は、人類の移動能力を質量ともに大幅に高め、距離に対する考え方を革命的に変えた。それまでは一週間かかった距離を、1日あれば移動できるようになったのだ。
 つまり、農業革命よって人口があふれかえっていたヨーロッパに、産業革命によってもたらされた高速・大量交通機関が、移民というはけ口をつくりだしたのである。
こうして移民の時代が幕を開けた。19世紀は移民の世紀だ。
 新大陸の側にも移民を呼び込む事情があった。新大陸には仕事があったのだ。産業革命をなしとげつつあるヨーロッパに対しての原料供給地の役割を担うようになった新大陸では、大量の労働力が求められており、それが移民を呼び込む役割を果たしていた。
 マルコと母親は、そうゆう時代を生きた。移民という歴史が、マルコと母親のように家族を引き離すような悲劇をほかにも数多く生み出したことは、想像に難くない。