札幌南の端っ子

札幌南区の四季徒然

本願寺街道碑

2017-04-28 | 日記
桜の開花宣言がありました。

連休目の前、まわりの雪も溶け道端にも小さな花が咲き始めて春到来です。

厳しい寒さから解放されて、ようやくアウトドアも気楽に行えるようになりました。

早速、近間にある本願寺街道を探ってみました。

明治政府の蝦夷地開拓でも、道路事業は急を要する案件でしたが、いかんせん財政的な余裕がない。

そこで明治政府は民間による道路事業を計画します。

結果、宗徒により道路が開削されます。
よって本願寺街道と呼ばれる道路が誕生します。

民間事業はいいのですが、何故本願寺なのでしょうか?
そこには、明治維新による事情があったようです。

明治維新当時、本願寺は新幕派とみられていましたが、薩長軍は京都の本願寺本山の焼き討ちを画策していたようです。
そこで本願寺は、明治政府に反骨がないことを示すために、蝦夷地の道路開削を手掛けたようです。

この本願寺街道は、案内板にあるように現在の伊達市から札幌市平岸までの104Kmもの工程です。
有珠から中山峠を越え札幌に至る工程で、かなりの難工事であったことは容易に察する事ができます。
この本願寺街道が現在の国道230号線の原型となります。
その足跡が、身近にありました。

まずは、簾舞中学校手前の道路にある案内板を目指します。



この案内板はすぐに見つけられましたが、地図に描かれている石碑を見つけられません。



ようやく見つけてみると、どうも地図にある石碑の位置の描き方が微妙なのです。
赤丸を付けたあたりを目途にすると見つけ易いのですが、周りの建物など少し違うだけで土地勘がないと、やはり見つけるには時間がかかってしまう。



場所的には、簾舞中学校の体育館前を通り、人様の畑の横を通り抜けると枯葉の中に埋もれた旧道路跡があります。

この道路の延長線上に本願寺街道碑があります。



本願寺街道碑のある場所は小高い山の上にあり、その道筋は雑木林を抜け平地へと続いています。



わずかに置かれた石の配置から、ここが道路だったんだなとわかります。なんとも感慨深いです。



小さな山の上から下ります。したの方に民家が見え隠れしています。



雑木林の道をどんどん下ると、230号線の近くに出ていきます。

季節がうつろい夏草が道路跡を覆うと、この街道跡は判り難いかと思います。