悪くない奴らが成功できるための日記

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悪くない奴らが成功するには、神に全てをゆだねることです。

2012-07-23 20:41:57 | 成功法則

貴方の重荷を主にゆだねよ。主は、貴方のことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(詩篇第55章22節)、

貴方のしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、貴方の計画はゆるがない。(箴言第16章3節)。

貴方がたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神が貴方がたのことを心配してくださるからです。(ペテロの第一の手紙第5章7節)

ゆだねる(委ねる)とは、三省堂の大辞林から取ると、「一切を他人にまかせる」、「身をささげる」とあります。

神にゆだねるということは、全てを神にやってもらうのではなく、自分の行動を起こす力、信念や決心を貫き通す力、誘惑や迷いに打ち勝つ力、周囲の批判を恐れず実行できる力、困難や苦難を乗り切る力を、神から与えてもらうということなのです。

決して、ゆだねて何もしないで楽をするという意味ではないのです。

また、全力で出来る限りの努力をした結果を待つときに、神に全てをゆだねる事をするのです。

世の中には、いくら考えても絶対に解決のできないことや、いくら心配しても何の意味もないことが沢山あります。その時にも、神に全てをゆだねるのです。

家族が交通事故や不慮の事故に遭った場合の心配心など自分がいくら心配しても、何の役に立てないとき、そして成り行きに任せざる得ないときには、神に全てをゆだねるのです。

そのゆだねた結果、神は私達に対して無益な心配や不安から救ってくれるのです。

また、地震や津波の被害にあって、悩んでいたり、悔やんでいたり、悲しんでいたりなどの苦痛、苦難がある時、自分のやるべきこと、自分の果たすべき責任を全て果たした後は、神に全てをゆだね、救ってもらうことなのです。

また、事業の倒産、家の借金返済などの金的問題が発生した場合、全ての努力をしてどうにもならなくなった場合、神に全てをゆだねることをすると、突然として、神の手が伸びて来て、助けてくれたケースがありますし、私も経験しています。

神に全てをゆだねて正しく生き抜くことの方が、人間としてよほど立派なことだと思います。

神に全てをゆだねるは、弱いことでも恥ずかしいことでもありません。それは、人生の苦難を乗りこえて生き抜くための、人類の英知なのです。

神に全てをゆだねることは、私達が神から守られているという安心感をもつことで、自分の本来の力を発揮できるようになるのです。

赤ちゃんが母の胸にいるとき、赤ちゃんは全てゆだねている様子がよくあります。この安心感がポジティブ思考であり、ゆだねることを潜在意識に植え込んでいくことなのです。

ですので、私達が不安・心配感などのネガティブ思考を潜在意識に植え込んだとすると、自分自身のことを発見することも、活用すこともできなくり、不安感が吹き沸くこととなるのです。

ほとんどの人は、自分自身の力で問題を解決しようと努力します。そしてサタンの力によって、自分自信を忘れさせられ、影を追い、影の中で生き続けることで、悲劇から抜け出すことができなくなってしまうのです。そして自殺に追い込まれるのです。

ところで神を信じる前の私は、神に求めることを恥ずかしいと思っていたのです。

というのも、神の存在を知らなかったのです。そして頼りになるのは自分自身だけだと信じ込んでいたのです。そして、人生の成功組みになるために、自分自身の努力によって勝ち取るのだと信じていたのです。そして、証券売買の資格を取得して資金集めをしたり、トレードで大儲けしたりすることで、成功組みになったのです。しかし、その時私は完全に錯覚していたのです。

私は顧客を招待するためにバーやトップレス・バーに通っていて、家庭を一切重視していなかったのです。毎晩3時ごろに帰宅そして毎朝8時に仕事についていたのです。そのために健康を崩すのですが、同時に家庭も崩壊してしまったのです。

結局、色々な経験を通して、いやというほど、私の罪を認めざるを得なくなっていたのです。挫折です。こんなとき、ウォールストリートの近くにあるトリニティ教会の墓を通りぬけて、地下鉄に乗ろうとしたのですが、協会の扉が開いていたために、立ち寄ったのです。そして、聖水を額につけ、使徒席にいき跪いたのです。この時にバイブルがベンチに置かれていて、私はそのバイブルを開いたのです。すると、マタイの福音書の11章が眼に入ったのでした。

その章には、「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」というイエス・キリストの言葉が書かれていたのです。



その言葉は、突如、開放感が心に湧いていたのです。今までの苦労の重荷から精神的に解放されたような気持ちと、眼に涙が湧き出してきたのです。私は成功組みに入るために、一生懸命頑張って生きてきたのですが、ストレスからは一切開放することが出来なかったのです。

このバイブルの言葉、神の言葉によって、重荷・不安感が一瞬取リ除かれたのです。

年を取るに連れて、仕事の責任感は益々重みを得てきます。しかしこの責任感は重みではなく、逆に楽しみに変ってきたのです。私は、負け組みになる恐れが何時もつき回っていたのですが、神に全てをゆだねることが出来たことで、身が軽くなったのです。

見えない神の存在を信じることは大変難しいことなのですが、神を信頼して交話すこと、即ち、恥じずに願いごとを神に求めることをすることなのです。苦痛・苦難などの重荷を神に全てゆだね、いつも私達を見守っていてくれる力強い神に感謝することが解ったのです。

ほとんどの苦難な問題の原因は、「愛」が欠けていることにあります。

私達が神の愛を求めることで、心に神の平安が与えられるのです。そしてこの問題に対してどのように対処したらよいかなどの特定の感情が湧き起こってくるのです。そして、神はそれらの問題にも働きかけ、神の主導のもとに、正しい解決方法を出してくれるのです。

次のような事がありました。私の友人がインサイダー取引でSEC(米国証券取引委員会)から取り締まりを受けているとの電話が入ったのです。そして妻と私は、彼のために神に助けを求めたのです。お祈りです。そしてSECの友人に電話して、状況を聞いたのですが、あまり良い結果ではなく、もしかすると実刑で5年になるとのことでした。

数日後、妻の友人の紹介で、元米軍の優秀な検察官であった弁護士を紹介されたのです。そして彼はすぐさま私の友人の弁護士になってくれたのです。そして彼は私の友人に、「正直に全てを権威に話すことはいいのですが、全てNOと答えなさい。心配はいらないですよ」と言ったのです。そして、内容を全て友人から聞き取り帰って行きました。

その翌日、私と妻は、SECで尋問が行われる場所に行き部屋の外で待つことになるのですが、妻、友人そして私は輪を作って神に祈りました。そして彼と弁護士は尋問部屋に入ります。一時間経過した後、友人を担当していたセールス・トレーダーが部屋に入って行ったのです。その15分後、友人と弁護士がなにかこそこそと話しながら部屋から出てきたのです。彼の指のサインはOKでした。それは、トレーダーがインサイダー取引を有人に進めたことを証言したのです。そのお陰で、友人の罪は消され、裁判にもならなかったのです。

友人には神が付いていたために、恐怖感が無かったのです。そしてトレーダーは、神の存在を信じていなく、権力を人間に与えてしまったのです。

このように神は、私達が神を愛することで、即ち赤ちゃんのように全てをゆだねることをすると、その見えない手をもって私たちを導いて、問題を解決して下さるのです。

神の愛を理解することで、隣人の不安、悩み、苦しみなどを、自分のものとして感じるようになるのです。そして同時に、神は私達のことを心配して見守っていてくれるのです。自分の子供が事故にあっ たり、病気で苦しんでいれば、親は子供以上に苦しみを体験するのが普通でしょう。

神は私達の父なのです。ですので神は親と同じの苦しみを持って、私達に手を差し伸べてくれるのです。

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。 (コリント人への第二の手紙代1章4節)

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(ヨハネ第一の手紙 第4章10節)

神に全てをゆだねることをすることで、私達の悩み、苦しみなどを取り除いてくれるのです。そして神に感謝、感謝、感謝することです。


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