恐怖は、現実もしくは想像上の危険、喜ばしくないリスクに対する強い生物学的な感覚です。(ウィキペディアより)
子供の時に井戸に落ちて、密閉空間に閉じ込められたり、水泳の途中で溺れたりした経験した者は、トラウマ的な恐怖心を大人になっても持つ事が多く有ります。また突然に職を無くす可能性が起きた場合(リストラ)や、癌の宣言をされた場合や、家計のやりくりが出来なくなって家を失う状況に迫った場合、伝染病が広がって死に追いやられた場合、戦争が始まってしまった場合、飛行機が怖い、地震、雷、台風、洪水など数え切れないほど、恐怖心は付いて来ます。
また大勢の人達の前に立って演説・発言をすることを怖がったり、先生の質問に対して答えが出来るのに、恥ずかしいために級友の中で発言することを怖がったりする気の弱い人達が沢山居ます。
更に、医者が怖いとか、蛇が嫌いだとか、悪魔が呪いを掛けるなど、経験はしていないのですが、想像上から発想した危険を感じて、恐怖心が沸き起こることも多く有ります。
このように恐怖心は、知らない間に、あちこちで経験をしているのです。これらの怖い経験・想像、いやな経験・想像が潜在意識に溜まってしまうことで、これらの恐怖心を無くすことは非常に難しいと思われます。
しかし、完全に削除する事が出来ない人でも、多くの恐怖心を無くすことは可能なのです。
バイブルの中にマタイの福音書第14章22~33節、マルコの福音書第6章45~52節、ヨハネの福音書第6章15~12節には、ペテロとイエスがガラリア湖の水面を歩いた事が記載されています。
嵐の日、船に乗っていた弟子達は、薄闇の中、遠くからイエスが湖面を歩いて来るのを見たのです。ところが弟子達は、イエスの姿を見て幽霊だと言って恐れてしまいます。
イエスは、「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」と弟子達に向かって言ったのです。
その時、一番の弟子であるペテロが「主よ、貴方でしたら、私に命令して、水の上を歩いてそちらに行かせて下さい。」とイエスに願ったのです。
そしてイエスはペテロの願いを聞き入れ、「来なさい」と命じたのです。
そこでペテロは舟から降りて、イエスの方に向って湖面の上を歩き出したのです。他の弟子達は船からペテロを見て大変驚くのです。当然水の上を歩くことは、不可能なことだからです。
しかし、イエスに向かって水面を歩いていたパウロは、強い風と荒れる水面を見て、そして足下の水を見てしまったのです。そして恐怖心がペテロの頭の中に走ってしまい、自分の心の恐怖に呑まれて沈んでしまったのです。そしてイエスに助けを求めたのです。
そしてイエスはペテロに、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と叱ったのです。そして、そのすぐ後に手を伸ばしてペテロを助けるのです。そして2人は船に乗り込んだとたんに、嵐が止んだのです。そして弟子達は心の中でとっても驚いたのです。
この話は、恐怖心と信仰との関係が描かれたストーリーなのです。恐怖心に曝された人達は、恐怖のために信仰を忘れてしまうのが通常です。
ドイツの作家であるゲーテは、「人間は信仰と新鮮な気概によってきわめて困難な事業も成し遂げるであろう。 これに反して逡巡するどんなに小さな疑いがあっても直ちに失敗するものであるという優れた教訓が語られ」と残しています。
シルバーバーチの霊訓のアン ・ドゥーリー女史は、「恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕みます。恐怖心は理性を挫き、枯渇させ、マヒさせます。あらゆる苦難を克服させるはずの力を打ちひしぎ、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼びおこします。」として記しています。
ではどうすれば恐怖心を取り除くことができるのでしょうか?
まずは、自分が何が怖いのかを分析することから始まります。そして具体的に何が怖いのかが理解できれば、恐怖心を克服することができる場合が多く有ります。
そしてバイブルの言葉、即ち神の教えを信じることです。
ヨハネの福音書第14章1節、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」
マルコの福音書第5章36節、「恐れることはない。ただ信じなさい」
イザヤ書第41章10節、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
先の話のように、ペテロはイエスを信じて湖面を歩きました。私達もイエスを信じることで恐怖心を取り除く事が可能となるのです。しかし、少しでも信仰心が弱くなった場合、恐怖心はサタンの攻撃の武器となり、私達を神から離そうとするわけです。
ですので、神そしてイエスの力を信じることです。神は神の息子を地上に送り、人間の苦しみ、恐怖心を味わっています。ですのでイエスは私達の悩み、恐怖心は良くわかってくれているのです。ですので心配なく何でも話掛けることです。それがお祈りの根本なのです。そして神に感謝、感謝、感謝することです。