量子力学と意識の変容(宇宙と人間の無限性について)

量子力学をどのように生活に活用するか、量子力学と意識の変容とタイムトラベル・パワレルワールドの究極の可能性を探求します。

マクスウェルのエーテル理論  03 エーテル: 「分子的構造体」 か 「連続体・流体」 か

2012-05-09 | 日記
マクスウェルは、エーテルを、
molecular 「分子的性質(構造)」 と
continuous 「連続体・つながった何か」とに分けて、
空気中のガスの運動形式や、
光の電磁波の伝播の形式でのあり方について考えています。

流体は、ひとつひとつの気体の分子、
水などの液体の粒子(分子)から成っています。

この流体の特徴は、
単独の分子を見ると、不統一、ランダムな動きであるけれども、
全体としては、ある規則性を持っていることです。

エーテルは、空気中のガス(気体)の運動と似ているとも考えられ、
流体=「連続体」のモデルとして研究されました。



James Clerk Maxwell
“Ether” in Encyclopædia Britannica (9th ed.), 1878.


「エーテル」 ジェームズ・クラーク・マクスウェル



(訳 鈴木てつや)


Physical constitution of the aether.
エーテルの物理的性質(構造)について




Mr S. Tolver Preston has supposed that the aether is like a gas whose molecules very rarely interfere with each other, so that their mean path is far greater than any planetary distances. He has not investigated the properties of such a medium with any degree of completeness, but it is easy to see that we might form a theory in which the molecules never interfere with each other's motion of translation, but travel in all directions with the velocity of light ; and if we further suppose that vibrating bodies have the power of impressing on these molecules some vector property (such as rotation about an axis) which does not interfere with their motion of translation, and which is then carried along by the molecules, and if the alternation of the average value of this vector for all the molecules within an element of volume be the process which we call light, then the equations which express this average will be of the same form as that which expresses the displacement in the ordinary theory.

S. Tolver Preston 氏は、エーテルがガスのようなものだと想像し、(そのガスの)分子がほとんどお互いに影響を与えることがないものとした。つまり、(宇宙間での)天体同士の(非常に)離れた距離について比べれば、(ガスの気体内での分子間の)取るに足らないような距離での影響力のほうが遥かに大きい(=ガス気体内での分子相互の影響がほとんど無いとすれば、遠く離れた宇宙間での距離では、まったく影響は無いとする考え)とした。

彼は、このような媒体が、いろいろな面でどのような性質を持っていればあり得るのか、という研究をしてこなかったが、「この分子体が、互いの運動に決して相互関与することなしに、しかし、すべての方面に光の速度で移動するものである」という(彼が考えていたエーテル)理論を形作るのは、簡単に推測できる。

更に、もっと言えば、この振動する物体(エーテルの分子群)が、軸を持って回転したりするようなベクトル運動(方向量)として、分子に型をつける力があるだろうと予測され、(振動は)こうした分子群によって伝えられることになる。そしてもし、ある容量の構成要素の中で、すべての分子群に対してのベクトルの平均値の交代数列が、私たちが「光」と呼ぶプロセスであるならば、この平均値を表した方程式は、今までの理論での変位を表した方程式とまったく同じものになるだろうということになる。


It is often asserted that the mere fact that a medium is elastic or compressible is a proof that the medium is not continuous, but is composed of separate parts having void spaces between them. But there is nothing inconsistent with experience in supposing elasticity or compressibility to be properties of every portion, however small, into which the medium can be conceived to be divided, in which case the medium would be strictly continuous. A medium, however, though homogeneous and continuous as regards its density, may be rendered heterogeneous by its motion, as in Sir W. Thomson's hypothesis of vortex-molecules in a perfect liquid (see Art. Atom).

よく主張されるのが、「この媒体(エーテル)が、伸縮自在で圧縮性のあるということは、エーテルが連続体でないということであり、間に空虚な空間を持つ幾つかの部分に分かれているものから成っている、とするのは、儚い事実に過ぎない」というものである。しかしながら、伸縮自在、または圧縮性があることが、どの(エーテルの)部分でも該当する性質であることを示すことが、矛盾であるわけではない。どの部分でも、たとえそれが小さくとも、分割できるのであれば、その場合この媒体は、厳密に「連続体」であるということになる。ある媒体が、その密度の点から、均一で、連続体であっても、その運動様式から、不統一なものであると、解釈されることになるのは、Sir W. Thomson 氏の仮説、理想(完全)流体における渦動分子理論で示されている。



Fluid Mechanics


Von Karman Vortex Street behind a flat plate (Laminar).mov


Lec 27 | 8.01 Physics I: Classical Mechanics, Fall 1999


Mercedes-Benz SLS AMG Developement and Testing Wind tunnel




ウィリアム・トムソン - Wikipedia


初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン(英: William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE、1824年6月26日 - 1907年12月17日)は、イギリスの物理学者。ケルヴィン卿(Lord Kelvin)の通称で知られる。特にカルノーの理論を発展させた絶対温度の導入、クラウジウスと独立に行われた熱力学第二法則(トムソンの原理)の発見、ジュールと共同で行われたジュール=トムソン効果の発見などといった業績がある。これらの貢献によって、クラウジウス、ランキンらと共に古典的な熱力学の開拓者の一人と見られている。このほか電磁気学や流体力学などをはじめ古典物理学のほとんどの分野に600を超える論文を発表した。また、電磁誘導や磁気力を表すためにベクトルを使い始めた人物でもある。

ケンブリッジ大学在学中の1842年からトムソンは独自の研究を開始した。この年発表した、熱の分布と静電気力の分布の比較研究による論文は、電磁場と非圧縮性弾性体の間の類似点を指摘していた。1845年の論文では、電磁誘導を何らかの媒体(現在「場」と呼ばれているもの)によるというファラデーの考えに数学的な表現を与えた。これらは後のマクスウェルに重大な示唆を与えるものだった。

1849年から10年間、トムソンはファラデーが発見した常磁性と反磁性、およびその理論を一般化するための研究を行った。ここで透磁率と磁気感受率という概念を導入し、磁石のもつ全エネルギーを表す式を導いた。電気においては、電流の流れる回路のもつエネルギーを表す式を得、1853年に振動回路の理論を発展させた。これは1857年に実験で確かめられ、後にヘルツによって電波を発生させるのに使われた。


流体 - Wikipedia
流体(りゅうたい、fluid)とは静止状態においてせん断応力が発生しない連続体の総称である。固体でない連続体のことであり、物質の形態としては気体と液体およびプラズマが流体にあたる。

流体に共通の性質は流動性である。これは体積一定で準静的な変形には力を要しないことであり、さらに言い換えると、静止状態において接触面に平行な(せん断的・接線的な)内部の力(応力)が発生しないこととなる。これより、上述の「静止状態においてせん断応力が発生しない連続体」という流体の定義が得られる。

連続体力学の巨視的な視点において、気体と液体には定性的な違いはない。定量的な違いとして密度以外に圧縮性(圧力変化に対する密度変化の比)の大小があげられるので、液体のモデルとして非圧縮性流体、気体のモデルとして圧縮性流体、あるいは密度が圧力のみの関数であるという単純化をしたバロトロピック流体、が考えられる。ただし、特徴的な速さが音速より小さい場合は気体も非圧縮性流体として考えてよい。


ケルビンの渦原子仮説・古典物理学による初代スーパーストリング理論
(マックスの科学館)



気体分子運動論 - Wikipedia


マクスウェルは気体中の分子は衝突するたびに速度が変化するが、定常な気体中では多数の衝突の結果、運動エネルギーは分子間に規則的に分配され、定常な速度分布関数が存在するとして、ある関数方程式を解いて、マクスウェル分布を導いた(1860年)。また同時に粘性係数の式を得、これが気体の密度によらないという当時の常識に反する性質を持っていたが、それが事実であることが実験で確かめられ、理論の信頼性が高まった。そしてさらに後に一般的な輸送現象の理論を展開し、粘性係数の温度依存性が分子間の距離の逆5乗に比例する中心力(マクスウェル模型)が働くとして説明されることを示し、この分子間力を用いてにいろいろな輸送現象を論じた(1866年)。



マクスウェルのエーテル理論  02 エーテルの本当の性質(構造)とは、何であるのか?

2012-05-04 | 日記
マクスウェルは、論文の中で、

・光の伝播と放射の形式とエーテル
・エーテルの弾性と粘性と密度
・エーテルのガスの性質の明確な違い
・エーテル内での相互運動
・電磁場でのエーテルの働き
・光の電磁理論

について検討した後、
それらを踏まえて、エーテルの最終的な性質について考えています。


James Clerk Maxwell
“Ether” in Encyclopædia Britannica (9th ed.), 1878.


「エーテル」 ジェームズ・クラーク・マクスウェル



(訳 鈴木てつや)


Physical constitution of the aether.
エーテルの物理的性質(構造)について


What is the ultimate constitution of the aether? is it molecular or continuous?

では、このエーテルの突き詰めていったところの本当の性質(構造)とは、何であるのか? それは、「分子的性質(構造)」なのか、それとも(境目や分子構造のない)「つながった何か」であるか?

We know that the aether transmits transverse vibrations to very great distances without sensible loss of energy by dissipation. A molecular medium, moving under such conditions that a group of molecules once near together remain near each other during the whole motion, may be capable of transmitting vibrations without much dissipation of energy, but if the motion is such that the groups of molecules are not merely slightly altered in configuration but entirely broken up, so that their component molecules pass into new types of grouping, then in the passage from one type of grouping to another the energy of regular vibrations will be frittered away into that of the irregular agitation which we call heat.

我々は、このエーテルとおぼしきものが、(光を含めた電磁波の)横波を伝えることを理解している。しかもこの伝播では、(宇宙空間のような)非常に遠い距離でも、消散によるほんのわずかなエネルギーのロス(消失)もない。分子構造を持つ媒体であれば、それらの分子が振動の間中ずっと、隣同士の分子のつながりが変わらずにある限りは、エネルギーの大きな消失が起こらずに振動を伝えることができるが、もし、その分子構造のほんのわずかな一部、全部が崩壊とまではいわないでも、形が変化した場合、この構造分子は、(形状と振動が異なった)新しい分子グループに振動を伝えることになる。こうした異なった形式を持つ複数の分子構造体を、またがって伝播することになるのであれば、最初の振動のエネルギーは、不規則な撹乱によって、我々が言うところの熱が生じ、分散してしまうであろう。

We cannot therefore suppose the constitution of the aether to be like that of a gas, in which the molecules are always in a state of irregular agitation, for in such a medium a transverse undulation is reduced to less than one fivehundredth of its amplitude in a single wave-length. If the aether is molecular, the grouping of the molecules must remain of the same type, the configuration of the groups being only slightly altered during the motion.

ということで我々は、このエーテルの構造がガスのようなものであるとは言うことができないだろう。ガスであれば、それは常に不規則な撹乱状態にあり、このような媒体は、もともとの振幅を、ひとつの波長につき500分の一以下に落として(伝播させて)しまうだろう。もし、エーテルが分子構造のものであれば、分子間同士は、(さきほど挙げた例の如く、隣同士が異なった分子構造に変化してしまった場合は、熱が発生してロスが生じてしまうから)同じ形同士(=全部のエーテルの形状が全く変化しない)ということになり、どのエーテルの部分も、振動の間は、その振動によるわずかな変化のみであるということになる。


マクスウェルのエーテル理論  01 目に見えない、微細な物質的な何か

2012-05-02 | 日記
物理学的立場から、エーテル理論を最も深く最初に考えたのは、
マクスウェルです。

そして彼のエーテルに関する記述は、
今の、量子力学の「NOTHING 無」または、「EMPTY 空」、
「VACUUM 真空」の概念に非常に影響を与えているほか、

マクスウェルの電磁波の速度一定の理論が、
アインシュタインの相対性理論(光と時空の理論)の
基礎となっています。

マクスウェルの「エーテル」についての小論文が、
この当時、どのように最先端の「エーテル理論」が考えられていたのかを
解く鍵になります。

(また、これは今の量子力学を解く鍵でもあります。)




James Clerk Maxwell
“Ether” in Encyclopædia Britannica (9th ed.), 1878.


「エーテル」 ジェームズ・クラーク・マクスウェル



(訳 鈴木てつや)


ETHER, or Æther (αiθήρ, probably from αiθω, I burn, though Plato in his Cratylus (410, b)s the name from its perpetual motion ), a material substance of a more subtle kind than visible bodies, supposed to exist in those parts of space which are apparently empty.

ETHER(または Æther)、「エーテル」とは、私(マクスウェル)にとっては、プラトンの Cratylus という対話編の中に出てくる「永続運動」に関する名前で出てきたのが、最初であったと思われる。「エーテル」は、目に見える物質よりももっと微細な(目に見えない)物質的な何かであり、一見、真空と見なされているような空間構造の中に存在しているだろうと予想される。

The hypothesis of an aether has been maintained by different speculators for very different reasons. To those who maintained the existence of a plenum as a philosophical principle, nature's abhorrence of a vacuum was a sufficient reason for imagining an all-surrounding aether, even though every other argument should be against it. To Descartes, who made extension the sole essential property of matter, and matter a necessary condition of extension, the bare existence of bodies apparently at a distance was a proof of the existence of a continuous medium between them.

このエーテルという仮説は、これまでいろいろな理論家が、さまざまな理由を持って主張してきたものである。(空間には)何かかが満たされているはずだとする哲学的な原理を唱える者にとっては、他の諸々の反証にもかかわらず、「自然は真空を嫌う」という法則から、これは十分に根拠があるものとされ、すべてはエーテルに満たされているのだ、と考えられている。ルネ・デカルトは、(万物を形成する)唯一の、本質的な資質が、(すべてに)拡張していると考え、また物質は、それは(同時に)拡大(して存在)するとした。そして、もし一見して、離れた距離に(空間から独立して)在るように見える複数の物体があっても、その物体同士の間には、(宇宙空間でも真空があるのではなく、万物を形成する唯一の、本質的な資質が見えない形で)お互いの空間の間につながって存在しているのだと考えた。

But besides these high metaphysical necessities for a medium, there were more mundane uses to be fulfilled by aethers. Aethers were invented for the planets to swim in, to constitute electric atmospheres and magnetic effluvia, to convey sensations from one part of our bodies to another, and so on, till all space had been filled three or four times over with aethers. It is only when we remember the extensive and mischievous influence on science which hypotheses about aethers used formerly to exercise, that we can appreciate the horror of aethers which sober-minded men had during the 18th century, and which, probably as a sort of hereditary prejudice, descended even to the late Mr John Stuart Mill.

このような、中間媒体(エーテル)に対する高度な形而上的な意味付けの他にも、もっとありふれた形でエーテルでの説明がつけられているものもある。エーテルはもともと、如何に惑星が(宇宙空間の中を)泳ぐ(=公転している)か、という説明のために生み出された理論である。エーテルは、電場と磁場を形成するものであるとか、我々人間同士の間での感覚の伝播を起こす媒体であるとか、(こうしたエーテルの働きは)すべての空間が、三度か四度(回)エーテルで満たされるまで続くものであるとか・・・、いろいろと説明された。デカルトが説いたエーテル拡大の説(渦動説)や他の冗談のような説が、仮説であるのもかかわらず、あたかも公式であるかのように吟味され、科学界に影響を及ぼした歴史を振り返ると、18世紀においては、冷静な人いわれる方々さえ信じていた、様々な突飛なエーテル理論でも、我々は寛大に受け入れることができる。例えば、後の(賢人と見なされていた)ジョン・スチュアート・ミルのような人であっても、一種の伝染した偏見のような形で、(今では不可思議に見える考えを)信じていた。

The disciples of Newton maintained that in the fact of the mutual gravitation of the heavenly bodies, according to Newton's law, they had a complete quantitative account of their motions; and they endeavoured to follow out the path which Newton had opened up by investigating and measuring the attractions and repulsions of electrified and magnetic bodies, and the cohesive forces in the interior of bodies, without attempting to account for these forces.

ニュートンの後継者たちは、(デカルトの渦動説のように、エーテルの渦によって惑星が動いているのではなく)天体の相互で、万有引力が発生しているという事実を主張してきた。彼らニュートン学派は、ニュートンの物理学的法則に則って、運動に関する完全な量的計算方法を持っていた。彼らはまた、電気と磁気を帯びた物体の引力と斥力、並びに物体の内部で働く凝集力を測定・調査して、それらがどのような力なのか説明することはできなかったが、ニュートンが開いた(物理科学の)道に続こうと努力したのだった。

Newton himself, however, endeavoured to account for gravitation by differences of pressure in an aether (see Art. Attraction, Vol. iii. p. 64); but he did not publish his theory, "because he was not able from experiment and observation to give a satisfactory account of this medium, and the manner of its operation in producing the chief phenomena of nature."

ところでニュートン自身は、万有引力の説明を、エーテル領域内での圧力の差異から見出そうとしていた節があった。しかし、彼はこの理論を出版することはなかった。その理由は、ニュートンが、「実験や観測によっても、このエーテルとみなされるものに対して十分な説明を与えることができなかったからであり、またそのエーテルが、自然界で主にどのような現象を生んでいるのか、という仕組みや振る舞いが分からなかったから」である。

On the other hand, those who imagined aethers in order to explain phenomena could not specify the nature of the motion of these media, and could not prove that the media, as imagined by them, would produce the effects they were meant to explain. The only aether which has survived is that which was invented by Huygens to explain the propagation of light. The evidence for the existence of the luminiferous aether has accumulated as additional phenomena of light and other radiations have been discovered; and the properties of this medium, as deduced from the phenomena of light, have been found to be precisely those required to explain electromagnetic phenomena.

他方で、現象を説明するためにエーテルを想像している方々も、それらのエーテルによって、どのような動きがあるかという「エーテルの性質」については特定できず、また彼らが説明しようと試みている、エーテルによって引き起こされた効果を、思った通りに説明できずにいた。(たくさんのエーテル理論の中で、妥当な説明を持って)生き残った唯一のエーテル理論は、クリスティアーン・ホイヘンスの光の伝播を説明する為のものであった。エーテルの存在についての証拠は、更なる光の現象の数々や、他の放射線が発見されて、積み重なっていった。そしてこのエーテルの特性は、光の現象から推論されて、電磁気の現象で説明されるものと、正確に一致することがわかったのである。


THE UNIVERSE AND THE FORCE


渦動説 - Wikipedia
渦動説(かどうせつ、cartesian vortex theory)とは、ルネ・デカルト(1596 - 1650)が提唱した、天体などの運動の原理を説明するための学説。何らかの流体・媒質の作用によって天体の動きを説明する説であり当初支持者が多かったものの、後にニュートンが提唱した説(ニュートン力学)が現れ 17世紀から18世紀にかけてデカルト派とニュートン派に分かれて大論争に発展し、18世紀なかごろに渦動説に否定的な証拠が得られたが、科学史的・科学哲学的には重要な説である。1633年ころの『世界論』の草稿においては、物体とは独立した空間を認めて「運動というのは、空間の中の、ある位置から別の位置への移動」と見なしていたが、その後デカルトは考え方を変えて真空という概念は認めなくなり、世界は延長(=おおむね現在で言うところの物質)で満たされているとした。デカルトの渦動説は、天体を運動させているのは天体を囲んでいる物質(流体、エーテル)が天体を押しているからだとし、その物質は渦のように動いているとする。ニュートン自身も後になり、重力というのはエーテルの流れが引き起こしているのかも知れない、とも考察した。


引力と斥力 - Wikipedia
引力(いんりょく、英語:attraction)とは、2つの物体の間に働く相互作用のうち、引き合う(互いを近付けようとする)力のこと。一方、斥力(せきりょく、英語:repulsion)とは、同様に2つの物体の間に働く相互作用であるが、反発し合う、すなわち互いを遠ざけようとする力のこと。現在、物理学においては4つの基本的な力が考えられている。

そのうちのひとつ、電磁力(静電力と磁力)には引力と斥力の両方が存在する。電気と磁気にはそれぞれ2つの極性があり(電気では正と負、磁気でも正負と言うがN極とS極と言うこともある)、同じ極性同士には斥力が働き、異なる極性同士には引力が働く。 このように、引力と斥力の違いは単なる符号の違いといえる。一方で、これもまた4つの力のうちのひとつである重力(万有引力)は、引力だけが確認されており、斥力としての重力は確認されていない


分子間力 - Wikipedia
分子間力(ぶんしかんりょく、英語:intermolecular force)は、分子同士や高分子内の離れた部分の間に働く電磁気学的な力である。力の強い順に並べると、次のようになる。

イオン間相互作用
水素結合
双極子相互作用
ファンデルワールス力

これらの力はいずれも静電相互作用に基づく引力である。イオン間相互作用、水素結合、双極子相互作用は永続的な陽と陰との電気双極子により生じるが、ファンデルワールス力は電荷の誘導や量子力学的な揺らぎによって生じた一時的な電気双極子により生じる。

光が宇宙空間を伝播するのに不可欠なエーテル:絶対空間の座標を持つもの

2012-04-23 | 日記
ニュートン、マクスウェル、プランク、アインシュタインと続いた
19世紀(後半から20世紀)の物理学は、大きな問題に差し掛かっていました。

それは、「エーテル」です。

この「エーテル」という概念は、
もともとは、ギリシア時代に発しています。

そして、ギリシア語のアイテール(αiθήρ)は、
人間の住む地上世界(目に見える物質世界)に対して、
神ゼウスと神々が住む「目に見えない天の国の領域(天国)」を指します。

(つまり「エーテル」は、形而上学的=「神の世界」を意味します。)

エーテル (神学) - Wikipedia

エーテル、アイテール(古希: αiθήρ)とは、古代ギリシャにおける輝く空気の上層を表す言葉であり、アリストテレスによって四大元素説を拡張して天体を構成する第五元素として提唱された。これはスコラ学に受け継がれ、中世のキリスト教的宇宙観においても、天界を構成する物質とされた。

アリストテレス以前より古代ギリシアにおいてアイテールは、大気の上層、雲や月の領域、あるいはゼウスの支配する領域を意味する言葉として用いられた。これに対して下層の空気はアーエールと呼ばれた。語源上、アイテールは「つねに輝きつづけるもの」を意味しており、そこから消えることのない空の輝きを表現した。パルメニデスはアイテールを大気の上の炎、「穏やかかつ希薄で、一面に均一に広がるもの」と表現し、暗く濃く重い大地の物質と対比した。またピュタゴラス教団は人が死んだ後に魂がたどり着く永遠の汚れのない領域だとした。これらいずれにおいてもアイテールは、地上の死すべきものの世界に対して、永続的な世界を指し示している。

元素にはそれぞれ固有の性質があるとされ、アイテールは天体の動きに見られるように、変形せず永遠に回転し続ける性質をもつとされた。 こうしたアリストテレスの考えによってエーテル(アイテール)は天界を満たしている物質として後世まで広く認知されることになった。


光が波の性質を持っていることから、
宇宙空間を伝播するために、媒質があるはずです。

ということで「エーテル」は、
理論的に不可欠なものとして古来から考えられて来ました。

そして、デカルト以後、
(神学的思考でなく)科学的思考において、この「エーテル」が、
「世界と宇宙のすべてを満たしているもの」とされたわけです。


しかし、「エーテル」には、幾つか問題がありました。

それは、

1 「エーテル」を誰も見たことがなく、物質として確認されたことがない。
2 マクスウェルの電磁方程式から、電磁波(=光)は、
  相対速度で動くデカルト座標系に無関係で、
  常に一定の 3.0×10の8条[m/s]となる。
3 光速 3.0×10の8条[m/s]は、何の座標系に対する速度か不明。
4 電磁波(光速)が(何かの座標系に対して)不変であることから、
  媒体としての「エーテル」が絶対座標である可能性があり、
  その場合、宇宙の中で相対的に動いている地球の周りには、
  「エーテルの風」が吹いていることになる。
5 光に偏光の現象がある。
6 ホイヘンスの言うような、空間に充満している「エーテル」が、
  ガス状である場合、流体エーテルは縦波しか伝えられない。
7 横波を伝えるためには、「エーテル」は
  格子結晶のような、強く結合した紐状の形態と予想される。
8 「エーテル」は、透明で、
  宇宙のどの場所にも一様に分布し、連続していることになる。

という問題です。


※ニュートンの「絶対空間、絶対時間」も、

「エーテル」の特徴である

「天界を構成する物質」
「ゼウスの支配する領域」
「永続的な世界」
「絶対静止系の座標」

から考慮されています。

ニュートンの「時間」と「空間」と「座標」の定義 5 『神の座標 絶対空間 絶対時間』


" Ether " by MunDoSow


エーテル (物理) - Wikipedia


エーテル (aether, ether, luminiferous aether) は、主に19世紀までの物理学で、光が伝播するために必要だと思われた媒質を表す術語であった。

このエーテルの語源はギリシア語のアイテール (αιθήρ) であり、ラテン語を経由して英語になった。アイテールの原義は「燃やす」または「輝く」であり、古代ギリシア以来、天空を満たす物質を指して用いられた。英語ではイーサーのように読まれる。

空間に何らかの物質が充満しているという考えは古くからあったが、17世紀以後、力や光が空間を伝わるための媒質としてエーテルの存在が仮定された。その端緒の1つはデカルトに見られ、デカルトはぶどうの樽のぶどう酒のようにあらゆる物質の隙間を埋める「微細な物質」を想定してそれが光を伝達させるのだとした。また惑星はその渦に乗って動いていると考えた(渦動説)。

ニュートンは、光の実体は多数の微粒子であると考えた。これは、光が直進することや物体表面で反射されるという事実に基づく仮定であった。しかし、光が粒子であると仮定すると、屈折や回折を説明することが難しいという問題があった。屈折を説明するために、ニュートンは『光学』(1704年)で「エーテル様の媒質 (aethereal medium)」が光よりも「速い」振動を伝えており、追いこされた光は「反射の発作」や「透過の発作」の状態になり、結果として屈折や回折が生じると述べた。

後年、マクスウェルの方程式から電磁波の存在が予想され、さらにヘルツは電磁波の送受信が可能であることを実験的に示した。マクスウェルの方程式によれば、電磁波が伝播する速さcは誘電率εおよび透磁率μとの間に



の関係があり、この速さは、実験的に知られていた光の速さと一致した。この事実から、光は電磁波の一種であると推定された。しかし、ニュートン力学の基準系、つまりガリレイの相対性原理に従うならば、光の速さは、その光と同じ方向に進む観測者からは遅く、逆方向に進む観測者からは速く見えるはずである。上式によれば、観測者の運動にかかわらず光の速さは一定である。従って、上式のような関係は一般には成立できないと考えられた。そこで、エーテルの運動を基準とした絶対座標系が存在し、その座標系でのみマクスウェルの方程式は厳密に成立すると推定された。

しかし、これらのモデルでは、エーテルが持つ機械的性質は、実に奇妙なものにならざるを得なかった。すなわち、空間に充満していることから流体でなければならないが、高周波の光を伝えるためには、鋼よりもはるかに硬くなければならない。さらに、天体の運動に影響を与えないという事実から、質量も粘性も零のはずである。さらに、エーテル自体は透明で非圧縮性かつ極めて連続的でなければならない。

エーテル仮説の最たる困難は、ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学の整合性であった。ニュートン力学はガリレイ変換の下で不変であったが、マクスウェルの電磁気学はそうでなかった。従って、厳密には、少なくとも一方の理論は誤りであると考えざるを得ない。

ガリレイ変換とは、観測者の視点を変えることである。例えば時速80キロメートルで走る電車の中を、進行方向に向かって時速4キロメートルで歩いている乗客は、別の乗客からは、もちろん、時速4キロメートルで動いているように見える。しかし、電車の外にいる人からは、この乗客は時速84キロメートルで動いているように見える。見る人が変われば運動も異なって見える、その見え方の違いを定式化したものがガリレイ変換である。そしてニュートンの運動方程式は、ガリレイ変換をしても、つまり誰から見ても、成立する。このように、常に成立することを「不変」という。

しかしながら、マクスウェルの方程式によれば、光の速さは誘電率と透磁率から定まるのであるが、この値は、観測者の運動に依存しない。つまり、電車に乗っている人にとっても、外にいる人にとっても、光の速さは同じでなければならないことになる。すなわち、マクスウェルの方程式はガリレイ変換について不変ではない。全ての物理学理論はガリレイ変換について不変であるべきだと考えられていたため、「エーテルに対する絶対座標系」が存在し、マクスウェルの方程式はこの座標系においてのみ厳密に成立すると考えられた。

そこで、地球の、絶対座標系に対する運動に関心が持たれるようになった。マクスウェルは1870年代後半に、地球の運動が光の速さに及ぼす影響を調べることで、地球の絶対座標系に対する運動を知ることができると述べた。光の進行方向が地球の進行方向と一致すれば光は遅く見え、逆方向であれば光は速く見えるはずである、と考えたのである。季節あるいは昼夜が変化すれば観測者の運動の方向が反転するが、この運動の変化は光の速さに比べて小さいものの、検出不可能なほど小さくはないと考えられた。すなわち、地球はエーテルの中を進んでいるのであるから、地上ではいわば「エーテルの風」が吹いていることになり、これは光速の変化として捉えられると考えたのである。


ニュートンの「時間」と「空間」と「座標」の定義 6 『運動動力源としての神 物理法則を司る至高存在』

2012-04-20 | 日記
太陽系の惑星の運動をよく観察すると、
引力という力によって、太陽を中心として、
全惑星が、互いにぶつからず、
互いに適切な距離を保って永続的に回転していることがわかります。

The Solar System: A Brief Glance


しかし、ニュートンは考えます。

慣性の法則にしても、
太陽系での諸惑星の回転運動にしても、
確かに、法則に則った力が働いており、
その力が宇宙のすべての物質を動かしている。

それは分かるが、それでは、慣性の法則の
「一旦動かしたものは、永遠に動き続ける」という原理について、
宇宙空間であっても、止まらず永遠に動くには「動力」が必要だ。

一体誰が、永遠に物質を動かし続けているのだろうか?

そして万有引力に、誰が永続的に「動力」を与えているのだろうか?

金星や地球、火星、木星、土星、彗星などの動きを研究すると、
太陽を中心として、引力の相互作用によって、
諸惑星と彗星群が回転運動を成して、太陽系を創っていることがわかる。

この万有引力の相互作用は、もし、一定の距離がなければ、
即座に互いに衝突して崩壊してしまうものであるから、
太陽系の諸惑星の運動が、永続的に安定して運行している理由は、
何かの原因によって、惑星同士の距離も、
最適の間隔に調整されているから、と見なされる。

(しかしながら誰が、もろもろの太陽系の相互に
 十分な距離を空けたのだろうか?)

地球は(後にフーコーが証明した通り)自転しており、
ガリレオの言う如く、公転している。

万有引力の法則があっても、相互が衝突せずに
宇宙空間で安定軌道を保っていられる大きな理由は、
それぞれの天体が自転し、相互に十分な距離を空けていて、
さらに太陽を中心にして、すべてが公転していることにある。

(誰が、惑星間の距離を最善に調整しているのだろうか?)

夜空の無数の星々は、我々の太陽系と同じように、
恒星を中心として、惑星群が公転している形になっていると思われる。

夜空に見えている星は、太陽のような自ら輝いている星であろうから、
地球のような惑星は、存在しても見えていない可能性が高い。

すると、宇宙には、見えている以上に
想像もつかないほどの天体があるに違いない。

その見えていないすべての星々も、この太陽系で見るような、
整然とした、物理法則に則って運行しているだろう。

太陽系同士も衝突しないように、
宇宙空間で、互いに相当の距離を持って、
存在していると予想できる。………


ニュートンはこのように推察しました。

そして、これらの宇宙での秩序整然とした物理法則を見て、

「人間の思考を超えた、至高の存在者(一なる神)が、
 すべての物理現象を支えている」

と結論を出しました。

それが
『運動動力源としての神 物理法則を司る至高存在』です。


この叡智の集積ともいえる
「一なる神(至高存在)」には、特徴があります。

それは「キリスト教で言われるところの神ではない」ということです。

つまり、如何にイエス・キリストが、
当時ナザレで「神」の如き力を発揮していたとしても、
天体のすべての運行を、イエス・キリストが
押したり、引いたりして行っているわけではないわけです。

そして、キリスト教が生まれる遥か遥か大昔から、
宇宙の全天体群の運行は行われていたわけです。

ですから、この「一なる神(至高存在)」というのは、
「キリスト教の神」「慈悲の神」という意味ではなく、
実際に万物を生んだ、根源的な存在(至高存在)となります。

それが『運動動力源としての神 物理法則を司る至高存在』の意味です。

しかしながら、ニュートンが、
イエス・キリストを軽視していたかというとそんなことはなく、
敬虔な信仰を持っていました。

ニュートンは、

宇宙を司る(人格を越えた)「一なる神(至高存在)」が
第一存在としており、

イエス・キリストは、至高神と人間をつなぐ仲介者として
(第二存在として)存在している、

と考えました。

そして、「神」と言われる存在が、
すべてこの「一なる神(至高存在)」ということではなく、
同じ「神」という名でも、分けて考える必要があるとしました。

※この意味でニュートンは、
「神の啓示を否定する理神論者」ではありません。

むしろ、神を否定する無神論、唯物論を非常に嫌悪していました。

ニュートンは、プリンキピアを
たくさんの数学的な物理法則の探求によって、
これらの精密な法則を生み出した至高存在の性質について吟味し、
人々の創造神(究極の実在)の尊崇に結びつくように書いています。

(現在の日本の数学や物理の教育では、
 この、重要なニュートンの「物理法則を司る至高存在」の言及が
 完全に削除されているため、
 非常に偏った教育内容=唯物主義無神論教育となっています。
 そしてこのために、学生が物理の真髄を十全に理解できなくなっています。)


Twelve articles on religion by Isaac Newton
ニュートンの宗教に関する12条

(訳 鈴木てつや)

Artic 1.
There is one God the Father everliving, omnipresent, omniscient, almighty, the maker of heaven & earth, & one Mediator between God & Man the Man Christ Iesus.

〔第1条〕

(この世には、この宇宙には)
一なる神、永続して存在する父なる者がおり、
永遠普遍で、全知全能であり、

天なる世界(天国)と、地球と、
イエス・キリストという神(と人間と)の仲介者とを産んだ存在である。

Artic 2.
The father is the invisible God whom no eye hath seen or can see, all other beings are sometimes visible.

〔第2条〕

(唯一の)父なる存在は、人間には見えない神であり、
過去に誰も見たことはなく、今も見えない。
他のすべての存在は目に見えることもある。


The Mathematical Principles of Natural Philosophy (1729)/General Scholium
『自然哲学の数学的諸原理』アイザック・ニュートン

(訳 鈴木てつや)

This most beautiful System of the Sun, Planets, and Comets, could only proceed from the counsel and dominion of an intelligent and powerful being. And if the fixed Stars are the centers of other like systems, these, being form'd by the like wise counsel, must be all subject to the dominion of One; especially since the light of the fixed Stars is of the same nature with the light of the Sun, and from every system light passes into all the other systems. And lest the systems of the fixed Stars should, by their gravity, fall on each other mutually, he hath placed those Systems at immense distances from one another.

この、最も美しい、太陽と惑星群と彗星群からなる太陽系を見ていると、これらが、何者か―叡智と大きな力を備えた存在の、深慮と支配とによって運行されている、と考える以外にあり得ません。他のもろもろの太陽系群の固定軸となっている恒星群が、(太陽系と)同じように(中心の恒星を軸に回転運動を)成しているとしたら、(それこそ、また同じように)叡智的な深慮を以って運行されているということであり、一なる支配者の司りによっているに違いありません。そして特に、この(各太陽系の)中心として固定されている恒星群の光は、(我々の)太陽の光と全く同じ性質を持っており、その光が、お互いの太陽系の中に、光を届け合っている(夜空に互いの星々の光が見える)わけです。そして、万有引力が、お互いの太陽系同士にも働いているにもかかわらず、相互に引き合って衝突したりせずに済んでいるのは、(至高の存在である)父なる神が、相互の太陽系群を(引力が引き合わない程の)非常に離れた位置に(宇宙空間の中で予め)配置されたからに違いないのです。

This Being governs all things, not as the soul of the world, but as Lord over all: And on account of his dominion he is wont to be called Lord God παντοκρατωρ, or Universal Ruler. For God is a relative word, and has a respect to servants; and Deity is the dominion of God, not over his own body, as those imagine who fancy God to be the soul of the world, but over servants.

この存在は、万物を治めています。そしてそれは、宇宙の霊性としてではなく、万物の主として司っている存在です。かの存在者の(万物への)統治の姿から、「主なる神」「パントクラトール」「宇宙の法則を決めている存在」などと呼ばれています。というのは、「神」といっても、いろいろな意味で使われる言葉であり、(本当の意味での「神」は)すべての僕(しもべ)たち(=神の被造物=人間と生命と物質すべて)を尊重されているのです。というのも、「神性」とは、「神の主座」と言えますが、この意味は、「神性」というものが、(「外なる神」とも言われるような、例えば人間の存在と宇宙とから切り離された場所に「神」が存在していて)その「神」だけが「神性」に満たされているのだ、などといった夢想者が抱く「神」の概念ではなく、すべての宇宙にある存在、万物に(「内なる神」として)「神」の「神性」が作用して(宿って)いるという意味なのです。

The supreme God is a Being eternal, infinite, absolutely perfect; but a being, however perfect, without dominion, cannot be said to be Lord God; for we say, my God, your God, the God of Israel, the God of Gods, and Lord of Lords; but we do not say, my Eternal, your Eternal, the Eternal of Israel, the Eternal of Gods; we do not say, my Infinite, or my Perfect: These are titles which have no respect to servants. The word God usually signifies Lord; but every lord is not a God. It is the dominion of a spiritual being which constitutes a God; a true, supreme, or imaginary dominion makes a true, supreme, or imaginary God.

この至高の神は、永遠で無限なる存在であり、絶対的な完全なる存在です。しかし、(もし、その「神」が)「完全なる存在であるけれども、(物理法則の)支配力がない」場合は、それは(ここで言っている、究極なる)「主なる神」とは言えません。私たちは、(至高の神のことを)「私の神」「あなたの神」「イスラエルの神」「神々の神」「主の主」などと言いますが、「私の永遠」「あなたの永遠」「イスラエルの永遠」「神の永遠」などとは言いませんし、「私の無限」「私の完全」などという言い方もしません。というのも、これらの(使われない)言い方では、僕(しもべ)たち(=神の被造物=人間と生命と物質すべて)が全く尊重されていないからです。「神」という言葉は、通常「主なる神」を意味します。しかし、すべての「主」(と言われる存在)がここで言う「至高の神」であるとは限りません。「神」という言葉は、「一なる神」を構成している霊的存在者の司りを意味するからです。つまり、真実に、絶対的に(宇宙すべての)統治をしている「主」であれば、それは、真実の、絶対的「至高の神」であり、逆に、実際には(宇宙すべてを)統治していない「主」であれば、それは、「想像上(架空)の神」ということになります。

And from his true dominion it follows that the true God is a Living, Intelligent, and Powerful Being; and, from his other perfections, that he is Supreme or most Perfect. He is Eternal and Infinite, Omnipotent and Omniscient; that is, his duration reaches from Eternity to Eternity; his presence from Infinity to Infinity; he governs all things, and knows all things that are or can be done. He is not Eternity and Infinity, but Eternal and Infinite; he is not Duration and Space, but he endures and is present. He endures forever, and is every where present; and, by existing always and every where, he constitutes Duration and Space.

そして、神の真実の(宇宙すべての)統治という点から考えてみると、この真実の神という存在は、生き通しの、叡智的な存在者であり、最大の力を持った存在であることが分かります。また、宇宙のあらゆるところで見受けられる法則の完全性から考えてみると、かの至高存在は、絶対存在であり、最大なる完全性を備えていることが分かります。神は、永遠なる、無限なる存在で、かつ全知全能で、無限から無限へと在り続けています。つまり、神は、万物すべてを統治しており、今あるものすべてのことを知り、これから起こるであろうすべてのことも知る存在です。神は、(「外なる神」として宇宙から離れたところに居る)「永遠」「無限」という存在ではなく、現に今「永遠として在り続ける者」「無限として在り続ける者」です。というのも、神とは、「持続して存在する時空間」ではなく、神こそが、それ(時空間=宇宙)を支えており、、在り続けている存在だからです。かの至高存在は、流れ続ける時間と空間を構成しながら、永遠に宇宙を支え続け、永遠普遍に至るところで存在し続けているです。


ニュートンの「時間」と「空間」と「座標」の定義 5 『神の座標 絶対空間 絶対時間』

2012-04-16 | 日記
すべてが相対的な座標であれば、
一体、すべての運動をどのように記述したらよいのか、
ニュートンは考えました。

相対的でない、オリジナルの運動形式を
正確に把握できる方法はあるだろうか?

(そうでなければ、見せかけの運動形式を、
 それが真の運動形式だと思い込んでいるだけで、
 正確な初期条件を得ることができず、
 古典力学が目的とする正確な予測ができなくなるからです。)

地球上では、たくさんの座標系を持って、運動しています。
地球上だけでなく、太陽系のすべての惑星でも同じことです。

そして、すべてがお互いに対して(相対的に)動いています。

ニュートンは、いわば、無数の人間の視点で座標系がある現状で、
太陽系の星々は、皆、整然とした物理法則で運行していることから、
誰か、人間の視点を超えた第三者が、
すべての物理現象を総合的に見ている(管理している)
と考えました。

(なぜなら物理現象が、万物に及んでいるからです)

そして、この人間の視点を超えた第三者が、
あらゆる相対座標系、慣性系を独自の視点で見ていると考えたのです。

それが、『神の座標 絶対空間 絶対時間』という概念です。

「絶対時間」とは、
ほかの何ものにも影響されずに、
独立して継続的に、一様に流れて行く時間であり、

「絶対空間」とは、
ほかの何ものにも影響されずに、
「不動なるもの」を中心にして独立して存在している空間です。



『絶対空間 絶対時間』の座標は、直交座標がもとになっており、
3次元で、格子状になっており、
すべての点(全宇宙)で同じ時を刻みます。



この座標の特徴は、

「ユークリッド幾何学を前提にしたもので、
 形而上学的な定義を含み、
 永遠から永遠へ、形と流れが変化しない固定した時空の座標である」

ということにあります。

形而上学的な定義という意味は、

厳密な意味では、人間の目には見えないものであり、
また触ったり、取り出したりすることはできないが、
無いわけではなく、むしろそれがなければ万物が形成されないもの、

ということになります。

例を挙げると、
私たちは学校で、「円」(丸い形)ということを習います。



そして、角度の問題や接線の問題など、
幾何学の問題を解くことがありますが、

しかし実際には、幾何学で問題に出されている「真円」(正円)は、
現実の世界では、存在していません。

というのも、鉛筆やコンパスでどんなに丁寧に描いても、
太さが変わったり、ずれたりするからです。

また、正確な図を描くのにコンピューター(パソコン)で描いても、
ドット表示のため、拡大すると、ギザギザになっているか、
周囲がぼやけている表示なっている(がびがびな円である)わけです。



同じく、『絶対空間 絶対時間』も、
この現象世界には、取り出すことができないものです。

しかし、この概念がなければ、
「不動点(原点O)を中心とした真の運動形式」
が扱えなくなるのです。

※また、全宇宙で一様に、均等に流れる絶対時間がなければ、
時間が早く流れる場所と、遅く流れる場所とで、
同じ運動の時間も前後してしまうことになり、
重要な宇宙の法則、因果関係が壊れてしまいます。

そのため、ニュートンは、この考えを導入しました。

Philosophiae naturalis principia mathematica
『自然哲学の数学的諸原理』アイザック・ニュートン



The Mathematical Principles of Natural Philosophy (1729)/Definitions

(訳 鈴木てつや)

Upon which account, the true and absolute motion of a body cannot be determin'd by the translation of it from those which only seem to rest. For the external bodies ought not only to appear at rest, but to be really at rest.

このような理由から、真の、そして絶対的な運動というものは、ただ一見すると止まっているかのように見える人が、観測するということだけで決定することはできません。なぜかというと、(観測する側の)外部の存在も、止まっているように見えるだけでなく、本当に(完全に)止まっていなくてはならないからです。

It is indeed a matter of great difficulty to discover, and effectually to distinguish, the True motion of particular bodies from the Apparent: because the parts of that immovable space in which those motions are perform'd, do by no means come under the observation of our senses. Yet the thing is not altogether desperate; for we have some arguments to guide us, partly from the apparent motions, which are the differences of the true motions; partly from the forces, which are the causes and effects of the true motions.

特定の、もろもろの物体の真の運動を、その見かけ上の運動から効果的に区別し、発見することは、実際には非常に難しいことです。なぜかといえば、運動が行われる中で、(重要な)不動の空間における座標というのは、私たち人間の観測する感覚世界には、決して入ってこない情報だからです。しかし、(見極めが)絶望的なわけではありません。というのも、(不動の空間における真の運動の)手がかりが、一つは、「真の運動と見かけ上の運動の差異」から見出すことができ、もうひとつは、因果関係を構成している「力」から見出すことができるからです。

Wherefore entire and absolute motions can be no otherwise determin'd than by immovable places; and for that reason I did before refer those absolute motions to immovable places, but relative ones to moveable places. Now no other places are immovable, but those that, from infinity to infinity, do all retain the same given positions one to another; and upon this account, must ever remain unmov'd; and do thereby constitute, what I call, immovable space.

そのようなわけで、完全なる、そして絶対的な運動(形式)というものは、「不動なる場所」から測定する以外には決定されないことになります。このような理由で、私は「絶対運動」を「不動なる場所」からのものとして言及し、「相対運動」を「互いに動いている場所」からのものとしたのです。そして、「不動なる場所」というものは、「無限から無限へと、すべてがお互いに固定した位置を与え続けられるもの」、という以外には在りえません。それは、いつまでも(互いに)位置を動かさない場所を構成し、保たれます。これを私は「不動なる空間」(=絶対空間)と呼びます。

『絶対空間 絶対時間』について

I. Absolute, true, and mathematical time, of itself, and from its own nature, flows equably without relation to anything external, and by another name is called duration: relative, apparent, and common time, is some sensible and external (whether accurate or unequable) measure of duration by the means of motion, which is commonly used instead of true time; such as an Hour, a Day, a Month, a Year.

I 絶対的な時間、真の時間、数学的な時間というものは、それ自身の天来の性質から、外部の何ものにも影響されずに、均等に流れて行くものであり、それゆえ、「持続(継続)」ともいいます。(絶対的な時間に対して)他方、相対的で、見かけ上の、そして(私たちにとって)日常的な「時間」というものは、ある種の「感覚的な時間」です。それらは、絶対的な時間の代わりに、一時間、一日、一月、一年などという形で、(精密なものも、不精密なものもありますが)外的な測度(※時計など)によって使われています。

II Absolute space, in its own nature, without relation to anything external, remains always similar and immovable. Relative space is some movable dimension or measure of the absolute spaces; which our senses determine by its position to bodies; and which is commonly taken for immovable space; such is the dimension of a subterraneous, an aerial, or celestial space, determined by its position in respect of the earth.

II 絶対的な空間というものは、その本性として、いかなる外部のものからの影響を受けずに、常に同じ性質を保ち、不動なるものです。(それに対して)相対的な空間というものは、(固定した絶対空間と違い)可動する次元(座標軸)を持っています。相対空間の中で、私たちは物体の場所を、(静止座標と見なした)ほかの物(位置)から測定しています。それは、(実際には測定できない)不動なる空間(真の運動)に対する代わりのものとして扱っています。そして、(絶対的空間に即するものとして)見えない不可思議なる、天界の物質である、「エーテル」というものが、地球を中心とした不動座標として考えられています。

IV. Absolute motion, is the translation of a body from one absolute place into another; and Relative motion, the translation from one relative place into another. Thus in a Ship under sail, the relative place of a body is that part of the Ship, which the Body possesses; or that part of its cavity which the body fills, and which therefore moves together with the Ship: And Relative rest, is the continuance of the Body in the same part of the Ship, or of its cavity. But Real, absolute rest, is the continuance of the Body in the same part of that Immovable space, in which the Ship itself, its cavity, and all that it contains, is moved. Wherefore, if the Earth is really at rest, the Body which relatively rests in the Ship, will really and absolutely move with the same velocity which the Ship has on the Earth. But if the Earth also moves, the true and absolute motion of the body will arise, partly from the true motion of the Earth, in immovable space; partly from the relative motion of the Ship on the Earth: and if the body moves also relatively in the Ship; its true motion will arise, partly from the true motion of the Earth, in immovable space, and partly from the relative motions as well of the Ship on the Earth, as of the Body in the Ship; and from these relative motions, will arise the relative motion of the Body on the Earth.

IV 絶対的な運動とは、ある物体が、ある絶対空間からある絶対空間へと移動することであり、相対的な運動とは、相対空間から相対空間へと移動することです。例えばもし、海上を帆走中の船があったとして、相対座標というのは、船全体のあらゆる場所であり、船の内部の空間も皆、含んでいます。そしてそれは船全体と一緒に動いているわけです。「相対的な静止」(船が海上で止まった)というのは、船の各部分と船内の空気も含めて、全体が止まっていることを意味します。しかし、本当の「絶対的な静止」という意味で考えると、船自体も、内部空間も、船の各部分も、(静止しておらず)動いているわけです。つまり、例えもし、地球が(絶対空間に対して)静止していたとして、船内にいる人が動かず、じっとしていたとして、(海にいるが)船が地球の動きと完全に同じであったとしても(潮の流れがなく海にくっつくように浮いているとしても)、地球が、本当は絶対空間に対して、真の運動として動いている場合や、船が地球に対して相対的に動いている場合や、船の中にいる人が、船の中で動いている場合は、これらの相対的な複合の運動が、地球に対しての相対運動の大きさを加算させることになるからです。


ニュートンの「時間」と「空間」と「座標」の定義 4 『ガリレイ変換』 すべてが相対座標

2012-04-13 | 日記
観察する人間の座標系によって、
見かけが異なる運動形式になるために、
それらをお互いに換算したり、変換したりする必要があります。





結局、それぞれが独立した慣性系(視点)が、無数にあるということです。
※ガリレイ変換



もし、室内で読書する人の運動状態を「静止している」としても、
本当は、車の中にいるかもしれないし、
または、ただの外の映像が部屋に流れていて
部屋が(動いていないのに)動いてるように見えるのかもしれません。

これらは、評価速度が全く変わってきます。

スピードが違う二台の車は、
それぞれお互いを違うスピードで動いていると見なします。
さらに、地上で静止している人からは、また2台とも違う速度に観測します。

そして対向車は、接近速度が加算されます。


では、静止座標というのは、どこにあるのでしょう?

もし人が、部屋で、車や電車にも乗らず、飛行にも乗らず、
本当に、地面に対して動かないという意味で、
椅子に座ってじっとしていながら、
同時に毎時900マイル(毎時1.450キロ)で移動する
なんてことは可能でしょうか?

答えは、「可能」です。

ある人が、机にじっと座り、
机は、家に対して固定していて、
家は大地(地球)に固定していています。

その地球は、しかし、自転しています。
一日に一回転しています。



もし赤道(Equator)下であれば、
周囲は25000マイル(40.075キロ)あるので、
時速約1000マイル(毎時約1.600キロ)です。

アメリカのアトランタだと、時速約860マイルになります。

でも、もし北極や南極で、地軸の真上にいたら、どうでしょうか?
完全な静止座標でしょうか?

ところが、地球は太陽の周りを好転していて、
そのスピードは、秒速約16マイル(秒速25キロ)です。

さらに、太陽系は、銀河系の中心を巡っています。

銀河系は、どこかに対して動いています。

ということで、この宇宙で、
計算に便利な「完全な静止座標」というものはありません。

Cognifront.Relative-Motion


ガリレイ変換 - Wikipedia
ガリレイ変換(ガリレイへんかん、英語:Galilean transformation)とはある慣性系における物理現象の記述を別の慣性系での記述に変換するための座標変換の方法の一つである。相対論的効果を考慮していないので厳密には正しくないが、光速に比べて十分遅い速度のみを扱う場合は近似的に成り立つと見なせ、特に日常生活で接する程度の速度では極めて厳密に成り立つ。

ガリレイ変換(ガリレイへんかん、英語:Galilean transformation)とはある慣性系における物理現象の記述を別の慣性系での記述に変換するための座標変換の方法の一つである。相対論的効果を考慮していないので厳密には正しくないが、光速に比べて十分遅い速度のみを扱う場合は近似的に成り立つと見なせ、特に日常生活で接する程度の速度では極めて厳密に成り立つ。

Physical Science 1.3a - Reference Frames


慣性系 - Wikipedia
慣性系(かんせいけい、ガリレイ系とも、英語:inertial frame of reference)は、慣性の法則(運動の第1法則)が成立する座標系である。太陽系の重心に原点を取り、恒星系に対して回転しない座標系は慣性系に近いことが現在分かっている。慣性系によって物体の運動状態を記述するとき、その物体は外力を受けない限り、等速直線運動を行う。


ニュートンの「時間」と「空間」と「座標」の定義 3 『測定と相対座標』 Frames of Reference

2012-04-11 | 日記
万物は、物理法則に則って動いており、
必要な初期条件さえ把握できれば、
すべての運動は予測が可能であるとされたわけですが、
すべての原子の動きを調べることで、 大きな天体から人間含めて、すべて計算ができると想定されました

ここで、ひとつ問題点が出てきます。

それは、「測定」です。





ある物質が、どのくらいの質量であり、
どのくらいの速度で、どちらの方向に動いているか、

これを正確に知ることは、大切ですが、
観測者が動いている中で、
対象の物質の運動を計ることは難しいことです。

よって、物理の前提として(いわば無意識に)、
「測定は、片方が静止しているところで行う」と考えられています。

例えば、車のスピードを計るときには、
観測者は、静止した座標(地点)で測定します。

しかし、世の中の動き、物質の動きは、
実際には、測定する場所によって変わってしまいます。

例えば、道路で車が近づいてくるのを見ている歩行者は、
立ち止まって、近づいてくる車を見ます。

逆に、車の運転手から見ると、
(自分が運転して歩行者に近づいているにもかかわらず)
歩きを止めた歩行者が、自分に近づいてくるように見えます。

逆さに立っている人から見ると、世界は逆転しています。
一方、大地に立っている人は、逆さに入る人を「逆」と見ます。

いわば、人の数だけ、座標系がありますが、
どれを基準にするかが問題です。

基準とするものを「基準系」Frames of Reference と言います。

しかしながら、人の目には錯覚というものがあり、
移動しているように見えても、背後のスクリーンが動いていたり、
静止しているように見えても、外が見えない電車の中の様子だったりします。

結局、すべての「動き」というのは、
「相対的」なものということになります。

新幹線に乗っている人は、最初は、加速度を感じるものの、
時速二百キロのスピードで走行中でも、車内では、普通に歩けますし、
物を落としても、遥か後方に飛ぶことなく、真下に落ちるわけです。

しかし、もし透明な新幹線のボディがあれば、
それを見た一般の市民は、ありえないような猛スピードで移動する、
車内の人々が見えるはずです。

速度は、(静止座標から見ると)
見せかけ上の速度と、移動座標系の速度を加減したものになります。

また、座標自体が回転した場合は、
物の動きは、静止座標での等速直線運動が、
回転運動に転換されて表現されることになります。

フーコーの振り子は、
それ自体、回転しているわけではありませんが、
地球が自転しているために、コリオリの力が働いて、
(回転体である地球の上にいる)人々からは、
振り子が回転しているように見えます。
(振り子:静止座標 VS 地上:回転座標)

Frames of Reference (1960) [part 1 of 2]


サイクロイド - Wikipedia


慣性 - Wikipedia
慣性(かんせい、英語:inertia)とは、ある物体が 外力 を受けないとき、その物体の運動状態は 慣性系 に対して変わらないという性質のことである。静止した物体に 力 が働かないとき、その物体は慣性系に対し静止を続ける。運動する物体に力が働かないとき、その物体は慣性系に対し運動状態を変えず、 等速直線運動 を続ける。これは 慣性の法則(運動の第1法則)として知られている。

Frames of Reference (1960) [part 2 of 2]


コリオリの力 - Wikipedia

コリオリの力(コリオリのちから、Coriolis force)とは、回転座標系(Rotating reference frame)上で移動した際に移動方向と垂直な方向に移動速度に比例した大きさで受ける慣性力の一種であり、コリオリ力、転向力(てんこうりょく)ともいう。1835年にフランスの科学者ガスパール=ギュスターヴ・コリオリが導いた。

地球は東向きに自転している。そのため、低緯度の地点から高緯度の地点に向かって運動している物体には東向き、逆に高緯度の地点から低緯度の地点に向かって運動している物体には西向きの力が働く。北半球では右向き、南半球では左向きの力が働くとも言える。

フーコーの振り子 - Wikipedia

フーコーの振り子(フーコーのふりこ、フランス語:Pendule de Foucault)は、長い振り子(通常10m以上)の底に質量の大きいおもりをつけたもので、地球が自転していることの証明に使用される。レオン・フーコーが1851年1月8日にパリのパンテオンで公開実験を行い、地球の自転を証明した。フーコーは、振り子を振れさせると、赤道以外の場所では、地球の自転によって振り子の振動方向がみかけ上少しずつ回転するようにずれていく(北半球では右回りに、南半球では左回りに)はずだと考えた。1851年にまず自宅地下室で2mの振り子を用いて実験を行い、同年2月パリ天文台にて公開実験を行って、成功を収めた。

ニュートンの「時間」と「空間」と「座標」の定義 2 『デカルト座標』1次元・2次元・3次元

2012-04-10 | 日記
しかし、物が動いているのを計算するにしても、
土台となる基準が必要になります。

この基準に、デカルト座標(直交座標系)があります。

(2次元)



デカルト座標の優れている点は、
数式の各点と、座標が一対一対応になっていて



数式(解)があれば、それは座標に対応しており、
座標の諸点は、数式(解)に対応していることです。

(1次元)


(3次元)


(回転体)


これらの座標は、ユークリッド幾何学が基になっています。

ユークリッド幾何学の特徴は、

1次元であれば、直線
2次元であれば、2本の直交座標
3次元であれば、3本の直交座標

から成立していることです。



The Cartesian Coordinate System an Introduction


直交座標系 - Wikipedia
数学における直交座標系(ちょっこうざひょうけい、rectangular coordinate system, orthogonal coordinate system)とは、互いに直交している座標軸を指定することによってさだまる座標系のことである。平面上の直交座標系ではそれぞれの点に対して一意に定まる2つの実数の組によって点の位置が指定される。同様にして空間上の直交座標系では3つの実数の組によって座標が与えられる。1637年に発表された『方法序説』において平面上の座標の概念を確立したルネ・デカルトの名を採ってデカルト座標系 (Cartesian coordinate system) とも呼ぶ。

Video for Lesson 22: Names of Three-Dimensional Figures


ユークリッド幾何学 - Wikipedia

ユークリッド幾何学(ユークリッドきかがく、英語:Euclidean geometry)は、幾何学体系の一つであり、古代エジプトのギリシア系哲学者エウクレイデスの著書『原論』に由来する。古代エジプトや古代ギリシャなどでは盛んに幾何学が研究されていた。

エウクレイデスはその成果を『原論』の1~4巻において体系化した。その手法は、1.まず、点や線などの基礎的な概念に対する定義を与える。2.次に、一連の公理を述べ、公理系を確立する。3.そして、それらの上に500あまりの定理を証明する。という現代数学に近い形式をとっており、完成されたものであったので、それ以降の多くの幾何学者はこの体系の上に研究を進めた。ヨーロッパでは重要な教養の一つと考えられていたものである。こうして基礎づけられ発展した体系は、エウクレイデス(英名:Euclid ユークリッド)に因んでユークリッド幾何学と呼ばれるようになった。

ニュートンの「時間」と「空間」と「座標」の定義 1 『力』

2012-04-08 | 日記
ここで、ニュートンの『プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)』に戻って、
「時間」と「空間」と「座標」の定義について考えてみます。

ニュートンは、地球上や宇宙で恒常的に働いている諸々の力が、
一体どこから来て、どのように働いているかを考えました。



例えば、
秋にりんごの木から、りんごが落ちるということ、


万有引力がすべての物質に働いていること、


太陽系で、太陽を中心として、諸惑星が一定の周期で公転していること、


力は質量と加速度を掛け合わせたものであること、


一旦動いたものは、動き続けるということ、


何かを押せば、同じ力で反動を受けること、


光が、宇宙空間を波(微粒子)として伝わってきていること・・・


Newton's Equation of Gravity - Beautiful Equations - BBC Four


VideoBrief: Newton's Laws of Motion illustrated with 3D animations and motion graphics


Best Idea Ever!



ルイ・ド・ブロイの物質波(物質は粒子でありながら、光と同じく波動性がある)

2012-03-30 | 日記
フランスのルイ・ド・ブロイは、
古典物理学で長年、波と考えられてきた光が、
アインシュタインの光量子説で「粒子」としても考えられるのであれば、

逆に、今まで物質(粒子)として考えられていた電子なども、
波の性質を持っているのではないかと考えました。



この考えの根拠には、アインシュタインの光電効果の説明で、
エネルギーを持った粒子・光子(フォトン、photon)が、
電子とぶつかった時に、エネルギーをやり取りする事実にあります。

光電効果 Photoelectric effect と アインシュタインの「光の量子化」


つまり、光子 ←(エネルギー)→ 電子
(電子は光子とエネルギーを受け渡しできる)であるならば、
光子と電子は同じ性質を持つことになります。

∴ 光子(波動性と粒子性)= 電子・物質(波動性と粒子性)

トマス・ヤングの実験と「光の波動性」

ボーアモデルでは、電子は原子核の周囲を
円形に回っていると考えられましたが、

ボ-アモデル Niels Bohr と 電子のエネルギー準位(量子化)


ド・ブロイは、円形の軌道上で
定常波を起こしながら巡っていると考えました。



互いに周期的な電磁場を作りながら進む電磁波と、万物(物質と力)を形成している超微細振動

あらゆるところで見られる現象: 波 WAVE MOTION

(人を含む)すべての個性的な音(振動)は、 複数(無数)の正弦波から合成されてできています。

そのため波の形には、無限にパターンが出ます。



ボーアモデルと、ド・ブロイモデルを比較すると、
このようになります。



(一方は正円軌道、もう一方は定常波)

しかし実際には、電子は立体的に飛んでいます。





この物質波の考え方は、二重スリット実験によって、
電子が波の性質を持っていることが確かめられました。

つまり、光は粒子性と波動性を持ち、
また、物質も粒子性と波動性を持っているということです。

これは、動物や植物、鉱物、人間、地球、すべてに当てはまります。

人間は、粒子性と波動性を持っています。

二重スリット実験 - Wikipedia





二重スリット実験(にじゅうスリットじっけん)は、量子の波動性と粒子性の問題を典型的に示す実験。リチャード・P・ファインマンはこれを「量子力学の精髄」と呼んだ。ヤングの実験で使われた光の代わりに一個の電子を使ったものである。この実験は古典的な思考実験であったが、実際の実験は1961年にテュービンゲン大学のクラウス・イェンソンによって複数の電子を用いて行われたのが最初であり、「一回に一個の電子」を用いる形での実験は1974年になってピエール・ジョルジョ・メルリらによってミラノ大学で行われた。

Famous Scientist - Louie de Broglie


ルイ・ド・ブロイ - Wikipedia
ルイ(=ヴィクトル)・ド・ブロイこと第7代ブロイ公爵ルイ=ヴィクトル=ピエール=レーモン(Louis-Victor Pierre Raymond, 7e duc de Broglie 、1892年8月15日 - 1987年3月19日)は、フランスの物理学者。物質波の提唱者。フランスの名門貴族であるブロイ家の出身。はじめは歴史学を専攻していたが、第一次世界大戦時に電波技術者として従軍する。このことで物理学に興味を持ち、物理学に転向した。1929年に「電子の波動性の発見」によってノーベル物理学賞を受賞した。物質波の提唱当時はそのあまりにも常識はずれの説ゆえに無視されていたが、以前から指摘されていたハミルトンのアナロジーと相俟って、シュレディンガーによる波動方程式として結実する。

アインシュタインは1905年に自らの論文において、光電効果を電磁波を粒子として解釈することで説明した。1923年にコンプトンが電子によるX線の散乱においてコンプトン効果を発見し、この光量子説は有力な証拠を得た。これらに影響を受け、ド・ブロイは逆に粒子もまた波動のように振舞えるのではないかということを1924年に自身の博士論文で提案した(ド・ブロイ波)。この理論は1927年にトムソンやデイヴィソンによる実験によって支持され、シュレーディンガーが波動力学を定式化するのにも使われた。

High School Physics: de Broglie Wavelength


ド・ブロイ波 - Wikipedia
ド・ブロイ波(ド・ブロイは、de Broglie wave)は、1924年、ルイ・ド・ブロイが提唱した粒子性と波動性を結びつける考え方。ド・ブローイ波、物質波ともいう。質量m の粒子が速さv (h はプランク定数、k は波数)で運動する場合、以下の式で示される波長λ に相当する波であると見なせる。

この波長λ をド・ブロイ波長という。

DeBroglie


ド・ブロイの電子波(Albert Einstein's science and life)

ド・ブロイ波の正体は?(Youhei Tsubono 新しいボーア模型でヘリウムの基底状態エネルギーの正確な計算に成功)


ド・ブロイ波(EMANの物理学・量子力学)

Electron Particle vs. Wave Duality


ボ-アモデル Niels Bohr と 電子のエネルギー準位(量子化)

2012-03-26 | 日記
ラザフォードの原子核と電子のモデルは、
トムソンの「ブドウパン型」原子モデルより、
具体的に説明することができましたが、

ひとつ物理学者が困っていたのが、
古典力学の考え方で、原子核と電子の運動を計算すると、

理論的には、光(電磁波)を放出しながら回転する電子は、
どんどん運動エネルギーを失っていき、
最終的は、プラスとマイナスが引き合って、
原子核の中に電子が飛び込んで原子が崩壊してしまうはずだ、
ということでした。(しかしそうなっていません)



なぜ、電子が長期にわたって、安定して原子核の周囲を巡り、
原子の構成が保たれているのか?

そしてどのような形式で、原子核の周囲を電子が動いているか?

これを明らかにしたのが、ニールス・ボーアです。



ボーアは、実際にはアインシュタインよりも、
遥かに量子力学の構造を理解しており、

(アインシュタインは、ボーア・量子論を否定しようとして
 無駄な努力をしてしまった可能性があります)

今日の量子力学の根本的な基礎を築いた
偉大な物理学者であるといえます。

ボーアは、電子が原子内で無秩序にあるわけではなく、
ある一定の軌道に沿って、周っているとしました。



そして、その軌道にはそれぞれエネルギーの準位(energy level)があり、
内側の軌道は、エネルギー値が低く、
外側の軌道になるにつれてエネルギー値が高くなるとしました。



そして電子は、軌道を上がるときには光を吸収し、
軌道を下るときには、光を放出するとしました。

これは、原子のスペクトルが、
なぜとびとびの値を取るのかの説明にもなりました。

(実際には電子は、綺麗な軌道上ではなく、
 電子雲という姿で飛び回っています。)

(そして、電子の数によって複雑な電子軌道電子配置を形成していきます)

電子のエネルギー準位(スローン・ディジタル・スカイ・サーベイ)


ボーアの深い先見性の特徴は、
古典力学(ニュートン力学)と量子(特に電子)力学に、
共通性があるものの、
一方で、人間の通常の理解を超えた仕組みが、
原子核内の微細な世界で起こっていることを理解していたということです。

(そしてその量子の世界の法則を明らかにしようとしました。)


ボーアの量子力学(現代物理学)への貢献は、

・古典力学(目に見える物理)と量子力学(微細な粒子の世界)の
 橋渡しをした柔軟な考えを提示したこと

・マックス・プランクの量子仮説(エネルギーの量子化)と
 アインシュタインの光量子化説(光・電磁波の量子化)を参考にして、
 電子軌道についても、エネルギー順位(量子化)を持つことを提言したこと

・後にコペンハーゲン学派と呼ばれる、量子力学の発展的なグループを
 育てたこと

・アインシュタインの量子力学批判に対し、先頭に立って学説を守り、
 発展に寄与したこと

・東洋哲学を高く評価し、量子力学と融合させようとしていたこと

危険な原子力開発と原爆の使用を察知し、
 これを中止させようと尽力したこと


です。

Bohr


ボーアの量子条件 - Wikipedia
ボーアの条件が提唱される前の古典電磁気学の法則としては、「加速度運動する荷電粒子は電磁波を放射する」とされていた。原子核の周囲を回る電子は、電荷間に働くクーロン力によって原子核からの引力を受けて加速度運動をしている。

電磁気学の法則によれば、「電子は自身の運動エネルギーを連続的に電磁波として放射後、失った運動エネルギーの分だけ急速に原子核に引き寄せられる」はずだった。しかし、現実には原子核の周囲を回る電子は電磁波も放射せず、原子核に落ち込むことなく運動を続けていた。その現実から、「どのようなメカニズムが電子を安定させているか」が古典電磁気学及び、物理学の大きな問題だった。

1913年 ニールス・ボーアはこの矛盾を解決する為、いくつかの仮説を立て、この電子の運動を説明する原子模型を提示した。ボーアの条件により、「電子は原子核の周囲を回るときには、特定の軌道しかとることが出来ない」と結論づけられる。これを原子軌道という。

「最も内側の原子軌道を回る電子はそれ以上原子核に近づけない」その為、原子核にそれ以上吸い寄せられる・近付くこともなく安定した軌道を回ることが出来る。また、 軌道に応じて電子のエネルギーの値が決まるとすると、電子は特定の離散的なエネルギー準位しか実現出来ないことになると考えた。

電子が別の軌道に移るときは、エネルギー準位の差と同じエネルギーを与えられるか放出しなければならない。これは、「原子はなぜ特定の波長の電磁波だけを放出したり吸収したりするのか」という疑問をうまく説明するものであった。

Bohr's Model of Atom


エネルギー準位 - Wikipedia
エネルギー準位(―じゅんい、energy level)とは、束縛された(即ち空間的に閉じ込められた)量子力学的な系や粒子がとり得る離散的なエネルギーのことである。これは古典的な粒子が任意のエネルギーをとりうることとは対照的である。この用語は原子や分子中の電子(原子核の電場に束縛されている)のエネルギー準位に対してもっともよく用いられる。エネルギー準位をもった系のエネルギースペクトルは「量子化されている」とよばれる。

Niels Bohr


ニールス・ボーア - Wikipedia
ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(Niels Henrik David Bohr, 1885年10月7日 - 1962年11月18日)は、デンマークの理論物理学者。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。
マックス・プランクの量子仮説をラザフォードの原子模型に適用して、1913年にボーアの原子模型を確立した。1921年にコペンハーゲンに理論物理学研究所(ニールス・ボーア研究所)を開き、外国から多くの物理学者を招いてコペンハーゲン学派を成することになる。原子物理学への貢献により1922年にノーベル物理学賞を受賞。アルベルト・アインシュタインが量子力学に反対するようになると、尊敬するアインシュタインとも論争を続けて説得しようとした。

Structure of the Atom 4: The Bohr Model


電子殻 - Wikipedia
電子殻(でんしかく、英: Electron shell)は、原子構造の模型において、原子核を取り巻く電子軌道の集まりをいう。電子殻は主量子数 (n = 1, 2, 3,) ごとに複数の層を構成しているとみなされ、エネルギー準位の低い方からK殻・L殻・M殻・N殻・O殻・P殻…と呼ばれている。電子は、量子数の小さい電子殻から順に入ることになっている。このため電子殻の数は、元素によってそれぞれ異なり、元素の周期を決定する要素となる。それぞれの原子の最も外側の電子殻の電子を最外殻電子ともいい、しばしば価電子の役割をする。

Niels Bohr s Atomic Model


「ラザフォード散乱」と原子内構造の把握 Rutherford scattering Experiment

2012-03-25 | 日記
1897年に、ジョセフ・ジョン・トムソンによって電子が発見され、
これ以上小さくできないはずの原子(アトム)に、
まだ小さな構成が隠されていることが予想されていましたが、

多くの物理学者は、トムソンの命名したような
「プラムプディングモデル」(ブドウパン型原子構造)である
と推定していました。

「最小構成単位」であるはずの原子にさらに内部構造があるのを発見したジョゼフ・ジョン・トムソン




(プラスの原子構造にマイナスの電子が埋まっているモデル)

しかし実際には、これは違っていたわけです。

ウランから放出されるアルファ粒子を使って、
「プラムプディングモデル」の原子構造の詳細を
確認しようとした実験によって、予想に反して
原子は、内部が大部分が空洞である構造を持つことがわかってきました。

アーネスト・ラザフォードは、1911年
ガイガー、マースデンとともにα線の散乱実験を行い、原子核を発見します。
ラザフォード散乱

実験で、金箔にアルファ粒子を打ち込むと、
(中味がブドウパンのように詰まっているとしていた)予想に反して、
大部分のアルファ粒子が、金箔を透過し、(=内部が空洞)

また、一部のアルファ粒子(プラスの電荷)が、
中心部分の何か非常に硬い素材(=原子核)にぶつかって、
軌道が変わったり、特にわずかながら、
打ち込んだ方向へ、反射して打ち返ってくるものがありました。
(=原子核に正面にぶつかって、跳ね返っている)



アルファ粒子は、プラスの電荷を帯びており、
電磁場で軌道が変わる性質を持つことから、

原子の内部には、
プラスの電荷を持った原子核があると想定されたのです。

太陽系でも、惑星の運動は、
質量の大きな中心の太陽(プラスの極:太陽)を、
多くの小さな惑星群が周っています。

ラザフォードモデルは、
太陽系の惑星と中心太陽の構図を参考にして考えられました。

彼は、目に見えない原子の内部世界を、
アルファ粒子の軌道を分析すること(想像)で明らかにしました。

ラザフォードの実験で明らかになったことは、
予想に反して、「原子の内部はそのほとんどが空洞である」
ということです。

そしてまた同時に、なぜ(マイナスの電荷を持つ)電子は、
(プラスの電荷を持つ)原子核に、落下してしてしまわないのか?
という謎も同時に深まりました。

rutherford experiment


ラザフォード散乱 - Wikipedia
ラザフォード散乱(ラザフォードさんらん、英: Rutherford scattering)は荷電粒子同士が衝突するとき、クーロン力によって散乱されることを指す。クーロン散乱とも言う。

1911年にアーネスト・ラザフォードの助手であったハンス・ガイガーと学生だったアーネスト・マースデンは、金の薄い箔にアルファ線(正電荷を持ったヘリウムの原子核)を当てる実験を行った(ガイガー=マースデンの実験、この実験は「ラザフォードの実験」と呼ばれることもあるが、実際にはラザフォードは実験を行っていない)。その結果、アルファ線の大部分は金箔を透過するが、一部が大きな角度で散乱される現象を見いだした。

ここから原子の内部に正電荷の原子核が存在することが明らかにされた。アルファ線が金の原子と衝突する場合、大部分は原子核から離れたところを通過するので散乱角は小さくなる。しかしごく一部は原子核のすぐ近傍を通過する、衝突径数の非常に小さな衝突となる。この時、正電荷同士の強い電気的斥力が働いて軌道が大きく曲げられる。

当時、原子モデルはジョゼフ・ジョン・トムソンのブドウパンモデル(もやもやと分布する正電荷のなかに、プラムのように電子が配置しているモデル)が主流であり、長岡半太郎の土星型モデル(正電荷を持つ原子核の周りを電子が回るモデル)の支持者はあまりいなかった。しかしブドウパンモデルではこの実験結果を説明できず、ラザフォードは土星型モデルに近い惑星モデルを提唱した。

Ruther's Alpha Scattering Experiment2


アーネスト・ラザフォード - Wikipedia
アーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford, 1st Baron Rutherford of Nelson (初代ネルソンのラザフォード男爵)、1871年8月30日 – 1937年10月19日)はニュージーランド出身のイギリスで活躍した物理学者、化学者。マイケル・ファラデーと並び称される実験物理学の大家である。α線とβ線の発見、ラザフォード散乱による原子核の発見、原子核の人工変換などの業績により「原子物理学(核物理学)の父」と呼ばれる。

Structure of the Atom 3: The Rutherford Model


アルファ粒子 - Wikipedia

アルファ粒子(アルファりゅうし、α粒子、英: alpha particle)は、高い運動エネルギーを持つヘリウム4原子核である。陽子2個と中性子2個からなる。放射線の一種のアルファ線(α線、英: alpha ray)は、アルファ粒子の流れである。アルファ粒子は不安定核のアルファ崩壊にともなって放出される。+2の電荷を帯びており、ローレンツ力によって電場や磁場で屈曲される。



クーロンの法則 - Wikipedia
クーロンの法則(クーロンのほうそく、英語:Coulomb's law)とは、荷電粒子間に働く反発し、または引き合う力がそれぞれの電荷の積に比例し、距離の2乗に反比例することを示した電磁気学の基本法則。

見えない電磁波 と 光線のスペクトル分析

2012-03-23 | 日記
結局、今日の量子力学は、
マックス・プランクのプランク定数(エネルギーの量子化)と
アインシュタインの光量子化説(光の量子化)によって始まったといえます。

そして、物理学のテーマの中で、
一番重要であり、日常的なものでありながら、
しかし難解なものが「光」です。

「光」の正体が一体何であるか、

「光」と「物質」との関係がどうなっているのか、

「光」と「次元」、
「光」と「時空」との関係はどうなっているのか、

これらは、物理学の主要なテーマです。


私たちの周囲には、目には見えないですが、
たくさんの電磁波が飛び交っています。

「光」といっても、その母体は、
大部分が人間の目では見えていない電磁波です。

マクスウェルの光の電磁波説 「光は電磁波の一種である」




そのため、目に見えている光を可視光線といい、
目に見えない大部分の電磁波を、不可視光線といいます。



互いに周期的な電磁場を作りながら進む電磁波と、万物(物質と力)を形成している超微細振動

宇宙(そして私たちの日常)には、
この無数の電磁波が飛び交っているわけです。

電磁波は、大部分が見えないために、
私たちはその重要性にあまり気が付けない傾向があります。

しかし実際には、「目に見えない世界がたくさんある」
というのが、事実(現実)です。

「目に見えないから」といって、
その世界をないものとしてしまうと、
ずいぶん、偏った現実認識なってしまうことになります。

一見何事もなさそうなありきたりの毎日の生活であっても、
もし、電磁波のすべてが見えるメガネがあれば、
全く別の世界が感じられてくるのかもしれません。

暖炉の火やコタツから出ている赤外線
ラジオの電波
電子レンジのマイクロ波
真夏の太陽で日焼けしてしまう紫外線
放射性の核から派生するガンマ線
レントゲンを撮る時に使うX線

そして人間の目に見える七色 約400nm~750nm の波長を持つ可視光線



しかしながら、この人間に見える可視光線は、
電磁波の中で、ほんのわずかな幅であり、

もし、電磁波のすべての領域を映画のフィルムとして考えると、



その長さは大変長いものになります。



カルフォルニアからアラスカに伸ばし、
2,000マイル(3,218キロメートル)もある中で、
その中にある可視光線の幅は、



ワシントン大学の辺りとなり、その厳密な場所を切り取るとすると、



ほんのわずかな一コマが、それに相当します。



しかしながら、このわずかな可視光線の幅でも、
分析すると侮れない情報が入っています。



それは、物質にはそれぞれ固有のスペクトルがあるからです。
この水素(hydrogen)は、赤と明るい青と深い青の3種のスペクトルがあります。



この性質から、天体のそれぞれの含有成分を分析できるのです。



そして、更に電磁波の不可視光線の多様な周波数を使うことによって、
目に見えない世界や、宇宙空間での物質の姿を分析することができます。

ナノメートル - Wikipedia
ナノメートル(nanometre、記号nm)は、国際単位系の長さの単位で、10-9メートル=10億分の1メートル。光の波長(100~1000 nm)や、原子・分子の構造(0.1~10 nm)などを表すのに使われる。

The Electromagnetic Spectrum


電磁波 - Wikipedia

電磁波は、19世紀に明らかにされていた次の4つの物理法則、1.ファラデーの電磁誘導の法則、2.アンペールの法則、3.電場に関するガウスの法則、4.磁場に関するガウスの法則、を統合することによって、1864年にジェームズ・クラーク・マクスウェルにより理論的に予測され、1888年にハインリヒ・ヘルツによる実験で発見されている。電磁波の挙動はマクスウェルの方程式として体系化されており、波動方程式の一般解として必然的に導出される。

20世紀初頭に登場した量子力学は、電磁波という空間が振動して生じた連続性を持ったエネルギーの波動と、物質という原子や分子で構成された不連続な粒子(パーティクル)の集合物の間でのエネルギーの授受は、一般の巨視的な波動現象とは異なり、ランダムな熱運動をしている物質側の共振周波数に依存するエネルギーの最小単位量子の整数倍でしか行われない、不連続性を示すことをマックス・プランクが発見したことから始まった。量子力学の世界では光(電磁波)はアルベルト・アインシュタインの光量子仮説に基づいて光子として量子化して扱われている。

The Electromagnetic Spectrum


可視光線 - Wikipedia
可視光線(かしこうせん)とは、電磁波のうち、人間の目で見える波長のもの。いわゆる光のこと。JIS Z8120の定義によれば、可視光線に相当する電磁波の波長の下界はおおよそ360-400nm、上界はおおよそ760-830nmである。可視光線より波長が短くなっても長くなっても、人間の目には見ることができなくなる。可視光線より波長の短いものを紫外線、長いものを赤外線と呼ぶ。可視光線に対し、赤外線と紫外線を指して、不可視光線(ふかしこうせん)と呼ぶ場合もある。

Electromagnetic waves.flv


光電効果 Photoelectric effect と アインシュタインの「光の量子化」

2012-03-19 | 日記
古典物理学は、マックス・プランクの時代に、
諸々の現象に関して、すでに理論的説明に限界が来ていました。

マックス・プランクの「エネルギーの量子化」は、
その古典物理学の限界を打破する、新しい考えでした。

この時代、もうひとつ物理学者を悩ませていた問題がありました。

それは、光電効果という現象です。



金属などの物質に光を当てると、
(その光がある一定の条件を満たしている時)
中から電子が飛び出してきます。(=電気が流れる)

しかし、その条件というのが、
紫外線のような周波数の高い光(電磁波)を当てると光電効果が起こり、
赤外線のような周波数の低い光(電磁波)を当てても光電効果は起きない、
というものでした。



また、飛び出す電子のエネルギーは、周波数(振動数)によって左右され、
周波数が高い(振動数が大きい)と、電子のエネルギーは高くなり、
周波数が低い(振動数が小さい)と、電子のエネルギーは低くなります。

そして、飛び出す電子の個数は、光(入射光)の強さに左右され、
光(入射光)が強いと、飛び出す電子の個数は多くなり、
光(入射光)が弱いと、飛び出す電子の個数は少なくなります。

これは、光を波であると考えた場合は、矛盾した実験結果になります。

(光が単純な波であると考える場合、強い光を当てた時は、
 飛び出す電子のエネルギーが大きくなるはずで、また、
 エネルギーは振動数には左右されないはずになります。)


当時、光が波であるのか、粒子であるのかについては、
トマス・ヤングの実験から、「光は(純粋な)波である」とされていました。

アイザック・ニュートンの『光学』
ニュートンは、今日の「光の粒子・波動の二面性」を理解していた方でした
トマス・ヤングの実験と「光の波動性」

物理学探究の歴史・波(奈良県高等学校理化学会・物理部会 Web Site)

いわば、物理の歴史は、ニュートンが「微粒子」と呼んだ
「粒子性と波動性を併せ持つと思われる」存在(光)が、
フックや、ホイヘンスの波動説に押され、
トマス・ヤングの実験で、やっぱり「光は波である」
とされていたわけです。

ところが、マックス・プランクの登場から、
(光の性質についての)風向きが変わり始めました。

もし、エネルギーが「量子的」に最小単位を持つのであるならば、
電磁波全体や光も、「量子的」に最小単位を持つ存在なのではないか?
ということになったのです。

それを発表したのが、アインシュタインです。



アルベルト・アインシュタイン - Wikipedia
アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein 、1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。特に彼の特殊相対性理論と一般相対性理論が有名だが、光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞した。


彼は、マックス・プランクの「エネルギーの量子化」という概念を拡張し、
電磁波の構成自体に「量子化」が起こっていると仮定し、
光量子仮説を立てました。

(プランクが、量子化エネルギーを ENERGY QUANTA と呼んだように
 アインシュタインは、光量子を LIGHT QUANTUM と呼びました。)

そして、光は粒として振舞い、光量子という
プランク定数hと振動数νをかけたエネルギーを持つ粒子であるとしました。



赤外線のような振動数の少ない光(暖炉の火など)は、
振動数νが小さな値で、hνも小さいので、
光量子はその場その場で消費され、
長時間火に当たっていても身体は燃え出さず、

紫外線のような振動数の多い光(太陽など)は、
振動数νが大きな値で、hνも大きいために、
短時間でも南国では肌が焼ける。

ということになります。



光電効果で、電子が金属から飛び出すには
ある一定のエネルギーが必要で、
エネルギー段差をΦ(ファイ)とします。

光のエネルギー(hν)が、エネルギー段差をΦより大きかった場合
(=振動数がある一定以上の場合)
電子が飛び出してくることになります。(「光電方程式」)



アインシュタインは、
光子(フォトン、photon)は、エネルギーを持った粒子であり、
電子とぶつかると、そのエネルギーを電子に託して、
フォトン自体は消えてしまうと考えました。

3.6 アインシュタインの光量子説

ミリカンの実験のよって、
アインシュタインの光量子仮説は実証されました。


また実際には、物質によって、
電子を弾き出すための必要最低エネルギー(しきい値周波数)は
違ってきます。




アインシュタインの、
光量子(光子)という考えと、
光子が電子とエネルギーを粒としてやり取りするという考えは、
非常に重要でした。

結局、プランクの発見から
エネルギー(量子) → 光子(量子)となり、

光子が電子とエネルギーを粒としてやり取りするのであれば、
粒子である電子も、逆に光子の性質の波動性を併せ持つことになります。

こうして、この流れは、
ル・ド・ブロイの物質波(物質の量子化)につながっていきます。

photoelectric


光子 - Wikipedia
光子(こうし、フォトン、photon)は、光を粒子として扱う場合の呼び名である。光子は質量や電荷が0であり、安定な素粒子である(崩壊寿命がない)。光子の反粒子は光子自身となる。また光子はスピン1を持つボース粒子である。アルベルト・アインシュタインがマックス・プランクの黒体放射の量子仮説を基にして、電磁波の粒子的な側面を説明するために導入した光の量子である。アインシュタイン自身は光量子 (light quantum) の名前で提唱していた。

光子1個の持つエネルギー Eは、プランク定数 h、振動数 ν、光速度 c、波長 λ を用いて

で表される。光電効果は物質中の電子が、光子1個を吸収し、そのエネルギーを自身の運動エネルギーとして物質から飛び出す(もしくは半導体等において、価電子帯の電子が伝導帯へ励起される)現象として説明される。

Photoelectric Effect


光電効果 - Wikipedia
光電効果(こうでんこうか、Photoelectric effect)は、物質が光を吸収した際に物質内部の電子が励起されること、もしくはそれに伴って電子が飛び出したり、光伝導や光起電力が現れることを指す。励起された電子は光電子と呼ばれる。
1888年、金属に短波長の(振動数の大きな)光を照射すると、電子が表面から飛び出す現象がドイツの物理学者ハルヴァックス(W.L.F.Hallwacks)によって発見された。その後、ドイツの物理学者レーナルト(P.Lenard)の研究によって解明が進み、

・電子の放出は、ある一定以上大きな振動数の光でなければ起こらず、それ以下の振動数の光をいくら当てても電子は飛び出してこない。
・振動数の大きい光を当てると光電子の運動エネルギーは変わるが飛び出す電子の数に変化はない。
・強い光を当てるとたくさんの電子が飛び出すが、電子1個あたりの運動エネルギーに変化はない。

などの事実が実験により明らかにされた。

この現象は、19世紀の物理学では説明することのできない難題であったが、1905年、物理学者のアルベルト・アインシュタインの導入した光量子仮説によって、説明付けられた。なお、アインシュタインはこの業績によって、1921年にノーベル物理学賞を受賞している。

Photoelectric Effect - Will electrons be ejected from the metal? (From Wavelength)


アインシュタインの光量子仮説(Albert Einstein's science and life)

光電効果1(物理のかぎしっぽ)

光電効果2(物理のかぎしっぽ)

光量子仮説 と 光電効果(インターネット・セミナー 九州大学名誉教授 高田健次郎氏)

第3部のまとめ インターネット・セミナー(九州大学名誉教授 高田健次郎氏 )

光の粒子性と物質の波動性