量子力学と意識の変容(宇宙と人間の無限性について)

量子力学をどのように生活に活用するか、量子力学と意識の変容とタイムトラベル・パワレルワールドの究極の可能性を探求します。

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マクスウェルのエーテル理論  03 エーテル: 「分子的構造体」 か 「連続体・流体」 か

2012-05-09 | 日記
マクスウェルは、エーテルを、
molecular 「分子的性質(構造)」 と
continuous 「連続体・つながった何か」とに分けて、
空気中のガスの運動形式や、
光の電磁波の伝播の形式でのあり方について考えています。

流体は、ひとつひとつの気体の分子、
水などの液体の粒子(分子)から成っています。

この流体の特徴は、
単独の分子を見ると、不統一、ランダムな動きであるけれども、
全体としては、ある規則性を持っていることです。

エーテルは、空気中のガス(気体)の運動と似ているとも考えられ、
流体=「連続体」のモデルとして研究されました。



James Clerk Maxwell
“Ether” in Encyclopædia Britannica (9th ed.), 1878.


「エーテル」 ジェームズ・クラーク・マクスウェル



(訳 鈴木てつや)


Physical constitution of the aether.
エーテルの物理的性質(構造)について




Mr S. Tolver Preston has supposed that the aether is like a gas whose molecules very rarely interfere with each other, so that their mean path is far greater than any planetary distances. He has not investigated the properties of such a medium with any degree of completeness, but it is easy to see that we might form a theory in which the molecules never interfere with each other's motion of translation, but travel in all directions with the velocity of light ; and if we further suppose that vibrating bodies have the power of impressing on these molecules some vector property (such as rotation about an axis) which does not interfere with their motion of translation, and which is then carried along by the molecules, and if the alternation of the average value of this vector for all the molecules within an element of volume be the process which we call light, then the equations which express this average will be of the same form as that which expresses the displacement in the ordinary theory.

S. Tolver Preston 氏は、エーテルがガスのようなものだと想像し、(そのガスの)分子がほとんどお互いに影響を与えることがないものとした。つまり、(宇宙間での)天体同士の(非常に)離れた距離について比べれば、(ガスの気体内での分子間の)取るに足らないような距離での影響力のほうが遥かに大きい(=ガス気体内での分子相互の影響がほとんど無いとすれば、遠く離れた宇宙間での距離では、まったく影響は無いとする考え)とした。

彼は、このような媒体が、いろいろな面でどのような性質を持っていればあり得るのか、という研究をしてこなかったが、「この分子体が、互いの運動に決して相互関与することなしに、しかし、すべての方面に光の速度で移動するものである」という(彼が考えていたエーテル)理論を形作るのは、簡単に推測できる。

更に、もっと言えば、この振動する物体(エーテルの分子群)が、軸を持って回転したりするようなベクトル運動(方向量)として、分子に型をつける力があるだろうと予測され、(振動は)こうした分子群によって伝えられることになる。そしてもし、ある容量の構成要素の中で、すべての分子群に対してのベクトルの平均値の交代数列が、私たちが「光」と呼ぶプロセスであるならば、この平均値を表した方程式は、今までの理論での変位を表した方程式とまったく同じものになるだろうということになる。


It is often asserted that the mere fact that a medium is elastic or compressible is a proof that the medium is not continuous, but is composed of separate parts having void spaces between them. But there is nothing inconsistent with experience in supposing elasticity or compressibility to be properties of every portion, however small, into which the medium can be conceived to be divided, in which case the medium would be strictly continuous. A medium, however, though homogeneous and continuous as regards its density, may be rendered heterogeneous by its motion, as in Sir W. Thomson's hypothesis of vortex-molecules in a perfect liquid (see Art. Atom).

よく主張されるのが、「この媒体(エーテル)が、伸縮自在で圧縮性のあるということは、エーテルが連続体でないということであり、間に空虚な空間を持つ幾つかの部分に分かれているものから成っている、とするのは、儚い事実に過ぎない」というものである。しかしながら、伸縮自在、または圧縮性があることが、どの(エーテルの)部分でも該当する性質であることを示すことが、矛盾であるわけではない。どの部分でも、たとえそれが小さくとも、分割できるのであれば、その場合この媒体は、厳密に「連続体」であるということになる。ある媒体が、その密度の点から、均一で、連続体であっても、その運動様式から、不統一なものであると、解釈されることになるのは、Sir W. Thomson 氏の仮説、理想(完全)流体における渦動分子理論で示されている。



Fluid Mechanics


Von Karman Vortex Street behind a flat plate (Laminar).mov


Lec 27 | 8.01 Physics I: Classical Mechanics, Fall 1999


Mercedes-Benz SLS AMG Developement and Testing Wind tunnel




ウィリアム・トムソン - Wikipedia


初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン(英: William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE、1824年6月26日 - 1907年12月17日)は、イギリスの物理学者。ケルヴィン卿(Lord Kelvin)の通称で知られる。特にカルノーの理論を発展させた絶対温度の導入、クラウジウスと独立に行われた熱力学第二法則(トムソンの原理)の発見、ジュールと共同で行われたジュール=トムソン効果の発見などといった業績がある。これらの貢献によって、クラウジウス、ランキンらと共に古典的な熱力学の開拓者の一人と見られている。このほか電磁気学や流体力学などをはじめ古典物理学のほとんどの分野に600を超える論文を発表した。また、電磁誘導や磁気力を表すためにベクトルを使い始めた人物でもある。

ケンブリッジ大学在学中の1842年からトムソンは独自の研究を開始した。この年発表した、熱の分布と静電気力の分布の比較研究による論文は、電磁場と非圧縮性弾性体の間の類似点を指摘していた。1845年の論文では、電磁誘導を何らかの媒体(現在「場」と呼ばれているもの)によるというファラデーの考えに数学的な表現を与えた。これらは後のマクスウェルに重大な示唆を与えるものだった。

1849年から10年間、トムソンはファラデーが発見した常磁性と反磁性、およびその理論を一般化するための研究を行った。ここで透磁率と磁気感受率という概念を導入し、磁石のもつ全エネルギーを表す式を導いた。電気においては、電流の流れる回路のもつエネルギーを表す式を得、1853年に振動回路の理論を発展させた。これは1857年に実験で確かめられ、後にヘルツによって電波を発生させるのに使われた。


流体 - Wikipedia
流体(りゅうたい、fluid)とは静止状態においてせん断応力が発生しない連続体の総称である。固体でない連続体のことであり、物質の形態としては気体と液体およびプラズマが流体にあたる。

流体に共通の性質は流動性である。これは体積一定で準静的な変形には力を要しないことであり、さらに言い換えると、静止状態において接触面に平行な(せん断的・接線的な)内部の力(応力)が発生しないこととなる。これより、上述の「静止状態においてせん断応力が発生しない連続体」という流体の定義が得られる。

連続体力学の巨視的な視点において、気体と液体には定性的な違いはない。定量的な違いとして密度以外に圧縮性(圧力変化に対する密度変化の比)の大小があげられるので、液体のモデルとして非圧縮性流体、気体のモデルとして圧縮性流体、あるいは密度が圧力のみの関数であるという単純化をしたバロトロピック流体、が考えられる。ただし、特徴的な速さが音速より小さい場合は気体も非圧縮性流体として考えてよい。


ケルビンの渦原子仮説・古典物理学による初代スーパーストリング理論
(マックスの科学館)



気体分子運動論 - Wikipedia


マクスウェルは気体中の分子は衝突するたびに速度が変化するが、定常な気体中では多数の衝突の結果、運動エネルギーは分子間に規則的に分配され、定常な速度分布関数が存在するとして、ある関数方程式を解いて、マクスウェル分布を導いた(1860年)。また同時に粘性係数の式を得、これが気体の密度によらないという当時の常識に反する性質を持っていたが、それが事実であることが実験で確かめられ、理論の信頼性が高まった。そしてさらに後に一般的な輸送現象の理論を展開し、粘性係数の温度依存性が分子間の距離の逆5乗に比例する中心力(マクスウェル模型)が働くとして説明されることを示し、この分子間力を用いてにいろいろな輸送現象を論じた(1866年)。



マクスウェルのエーテル理論  02 エーテルの本当の性質(構造)とは、何であるのか?

2012-05-04 | 日記
マクスウェルは、論文の中で、

・光の伝播と放射の形式とエーテル
・エーテルの弾性と粘性と密度
・エーテルのガスの性質の明確な違い
・エーテル内での相互運動
・電磁場でのエーテルの働き
・光の電磁理論

について検討した後、
それらを踏まえて、エーテルの最終的な性質について考えています。


James Clerk Maxwell
“Ether” in Encyclopædia Britannica (9th ed.), 1878.


「エーテル」 ジェームズ・クラーク・マクスウェル



(訳 鈴木てつや)


Physical constitution of the aether.
エーテルの物理的性質(構造)について


What is the ultimate constitution of the aether? is it molecular or continuous?

では、このエーテルの突き詰めていったところの本当の性質(構造)とは、何であるのか? それは、「分子的性質(構造)」なのか、それとも(境目や分子構造のない)「つながった何か」であるか?

We know that the aether transmits transverse vibrations to very great distances without sensible loss of energy by dissipation. A molecular medium, moving under such conditions that a group of molecules once near together remain near each other during the whole motion, may be capable of transmitting vibrations without much dissipation of energy, but if the motion is such that the groups of molecules are not merely slightly altered in configuration but entirely broken up, so that their component molecules pass into new types of grouping, then in the passage from one type of grouping to another the energy of regular vibrations will be frittered away into that of the irregular agitation which we call heat.

我々は、このエーテルとおぼしきものが、(光を含めた電磁波の)横波を伝えることを理解している。しかもこの伝播では、(宇宙空間のような)非常に遠い距離でも、消散によるほんのわずかなエネルギーのロス(消失)もない。分子構造を持つ媒体であれば、それらの分子が振動の間中ずっと、隣同士の分子のつながりが変わらずにある限りは、エネルギーの大きな消失が起こらずに振動を伝えることができるが、もし、その分子構造のほんのわずかな一部、全部が崩壊とまではいわないでも、形が変化した場合、この構造分子は、(形状と振動が異なった)新しい分子グループに振動を伝えることになる。こうした異なった形式を持つ複数の分子構造体を、またがって伝播することになるのであれば、最初の振動のエネルギーは、不規則な撹乱によって、我々が言うところの熱が生じ、分散してしまうであろう。

We cannot therefore suppose the constitution of the aether to be like that of a gas, in which the molecules are always in a state of irregular agitation, for in such a medium a transverse undulation is reduced to less than one fivehundredth of its amplitude in a single wave-length. If the aether is molecular, the grouping of the molecules must remain of the same type, the configuration of the groups being only slightly altered during the motion.

ということで我々は、このエーテルの構造がガスのようなものであるとは言うことができないだろう。ガスであれば、それは常に不規則な撹乱状態にあり、このような媒体は、もともとの振幅を、ひとつの波長につき500分の一以下に落として(伝播させて)しまうだろう。もし、エーテルが分子構造のものであれば、分子間同士は、(さきほど挙げた例の如く、隣同士が異なった分子構造に変化してしまった場合は、熱が発生してロスが生じてしまうから)同じ形同士(=全部のエーテルの形状が全く変化しない)ということになり、どのエーテルの部分も、振動の間は、その振動によるわずかな変化のみであるということになる。


マクスウェルのエーテル理論  01 目に見えない、微細な物質的な何か

2012-05-02 | 日記
物理学的立場から、エーテル理論を最も深く最初に考えたのは、
マクスウェルです。

そして彼のエーテルに関する記述は、
今の、量子力学の「NOTHING 無」または、「EMPTY 空」、
「VACUUM 真空」の概念に非常に影響を与えているほか、

マクスウェルの電磁波の速度一定の理論が、
アインシュタインの相対性理論(光と時空の理論)の
基礎となっています。

マクスウェルの「エーテル」についての小論文が、
この当時、どのように最先端の「エーテル理論」が考えられていたのかを
解く鍵になります。

(また、これは今の量子力学を解く鍵でもあります。)




James Clerk Maxwell
“Ether” in Encyclopædia Britannica (9th ed.), 1878.


「エーテル」 ジェームズ・クラーク・マクスウェル



(訳 鈴木てつや)


ETHER, or Æther (αiθήρ, probably from αiθω, I burn, though Plato in his Cratylus (410, b)s the name from its perpetual motion ), a material substance of a more subtle kind than visible bodies, supposed to exist in those parts of space which are apparently empty.

ETHER(または Æther)、「エーテル」とは、私(マクスウェル)にとっては、プラトンの Cratylus という対話編の中に出てくる「永続運動」に関する名前で出てきたのが、最初であったと思われる。「エーテル」は、目に見える物質よりももっと微細な(目に見えない)物質的な何かであり、一見、真空と見なされているような空間構造の中に存在しているだろうと予想される。

The hypothesis of an aether has been maintained by different speculators for very different reasons. To those who maintained the existence of a plenum as a philosophical principle, nature's abhorrence of a vacuum was a sufficient reason for imagining an all-surrounding aether, even though every other argument should be against it. To Descartes, who made extension the sole essential property of matter, and matter a necessary condition of extension, the bare existence of bodies apparently at a distance was a proof of the existence of a continuous medium between them.

このエーテルという仮説は、これまでいろいろな理論家が、さまざまな理由を持って主張してきたものである。(空間には)何かかが満たされているはずだとする哲学的な原理を唱える者にとっては、他の諸々の反証にもかかわらず、「自然は真空を嫌う」という法則から、これは十分に根拠があるものとされ、すべてはエーテルに満たされているのだ、と考えられている。ルネ・デカルトは、(万物を形成する)唯一の、本質的な資質が、(すべてに)拡張していると考え、また物質は、それは(同時に)拡大(して存在)するとした。そして、もし一見して、離れた距離に(空間から独立して)在るように見える複数の物体があっても、その物体同士の間には、(宇宙空間でも真空があるのではなく、万物を形成する唯一の、本質的な資質が見えない形で)お互いの空間の間につながって存在しているのだと考えた。

But besides these high metaphysical necessities for a medium, there were more mundane uses to be fulfilled by aethers. Aethers were invented for the planets to swim in, to constitute electric atmospheres and magnetic effluvia, to convey sensations from one part of our bodies to another, and so on, till all space had been filled three or four times over with aethers. It is only when we remember the extensive and mischievous influence on science which hypotheses about aethers used formerly to exercise, that we can appreciate the horror of aethers which sober-minded men had during the 18th century, and which, probably as a sort of hereditary prejudice, descended even to the late Mr John Stuart Mill.

このような、中間媒体(エーテル)に対する高度な形而上的な意味付けの他にも、もっとありふれた形でエーテルでの説明がつけられているものもある。エーテルはもともと、如何に惑星が(宇宙空間の中を)泳ぐ(=公転している)か、という説明のために生み出された理論である。エーテルは、電場と磁場を形成するものであるとか、我々人間同士の間での感覚の伝播を起こす媒体であるとか、(こうしたエーテルの働きは)すべての空間が、三度か四度(回)エーテルで満たされるまで続くものであるとか・・・、いろいろと説明された。デカルトが説いたエーテル拡大の説(渦動説)や他の冗談のような説が、仮説であるのもかかわらず、あたかも公式であるかのように吟味され、科学界に影響を及ぼした歴史を振り返ると、18世紀においては、冷静な人いわれる方々さえ信じていた、様々な突飛なエーテル理論でも、我々は寛大に受け入れることができる。例えば、後の(賢人と見なされていた)ジョン・スチュアート・ミルのような人であっても、一種の伝染した偏見のような形で、(今では不可思議に見える考えを)信じていた。

The disciples of Newton maintained that in the fact of the mutual gravitation of the heavenly bodies, according to Newton's law, they had a complete quantitative account of their motions; and they endeavoured to follow out the path which Newton had opened up by investigating and measuring the attractions and repulsions of electrified and magnetic bodies, and the cohesive forces in the interior of bodies, without attempting to account for these forces.

ニュートンの後継者たちは、(デカルトの渦動説のように、エーテルの渦によって惑星が動いているのではなく)天体の相互で、万有引力が発生しているという事実を主張してきた。彼らニュートン学派は、ニュートンの物理学的法則に則って、運動に関する完全な量的計算方法を持っていた。彼らはまた、電気と磁気を帯びた物体の引力と斥力、並びに物体の内部で働く凝集力を測定・調査して、それらがどのような力なのか説明することはできなかったが、ニュートンが開いた(物理科学の)道に続こうと努力したのだった。

Newton himself, however, endeavoured to account for gravitation by differences of pressure in an aether (see Art. Attraction, Vol. iii. p. 64); but he did not publish his theory, "because he was not able from experiment and observation to give a satisfactory account of this medium, and the manner of its operation in producing the chief phenomena of nature."

ところでニュートン自身は、万有引力の説明を、エーテル領域内での圧力の差異から見出そうとしていた節があった。しかし、彼はこの理論を出版することはなかった。その理由は、ニュートンが、「実験や観測によっても、このエーテルとみなされるものに対して十分な説明を与えることができなかったからであり、またそのエーテルが、自然界で主にどのような現象を生んでいるのか、という仕組みや振る舞いが分からなかったから」である。

On the other hand, those who imagined aethers in order to explain phenomena could not specify the nature of the motion of these media, and could not prove that the media, as imagined by them, would produce the effects they were meant to explain. The only aether which has survived is that which was invented by Huygens to explain the propagation of light. The evidence for the existence of the luminiferous aether has accumulated as additional phenomena of light and other radiations have been discovered; and the properties of this medium, as deduced from the phenomena of light, have been found to be precisely those required to explain electromagnetic phenomena.

他方で、現象を説明するためにエーテルを想像している方々も、それらのエーテルによって、どのような動きがあるかという「エーテルの性質」については特定できず、また彼らが説明しようと試みている、エーテルによって引き起こされた効果を、思った通りに説明できずにいた。(たくさんのエーテル理論の中で、妥当な説明を持って)生き残った唯一のエーテル理論は、クリスティアーン・ホイヘンスの光の伝播を説明する為のものであった。エーテルの存在についての証拠は、更なる光の現象の数々や、他の放射線が発見されて、積み重なっていった。そしてこのエーテルの特性は、光の現象から推論されて、電磁気の現象で説明されるものと、正確に一致することがわかったのである。


THE UNIVERSE AND THE FORCE


渦動説 - Wikipedia
渦動説(かどうせつ、cartesian vortex theory)とは、ルネ・デカルト(1596 - 1650)が提唱した、天体などの運動の原理を説明するための学説。何らかの流体・媒質の作用によって天体の動きを説明する説であり当初支持者が多かったものの、後にニュートンが提唱した説(ニュートン力学)が現れ 17世紀から18世紀にかけてデカルト派とニュートン派に分かれて大論争に発展し、18世紀なかごろに渦動説に否定的な証拠が得られたが、科学史的・科学哲学的には重要な説である。1633年ころの『世界論』の草稿においては、物体とは独立した空間を認めて「運動というのは、空間の中の、ある位置から別の位置への移動」と見なしていたが、その後デカルトは考え方を変えて真空という概念は認めなくなり、世界は延長(=おおむね現在で言うところの物質)で満たされているとした。デカルトの渦動説は、天体を運動させているのは天体を囲んでいる物質(流体、エーテル)が天体を押しているからだとし、その物質は渦のように動いているとする。ニュートン自身も後になり、重力というのはエーテルの流れが引き起こしているのかも知れない、とも考察した。


引力と斥力 - Wikipedia
引力(いんりょく、英語:attraction)とは、2つの物体の間に働く相互作用のうち、引き合う(互いを近付けようとする)力のこと。一方、斥力(せきりょく、英語:repulsion)とは、同様に2つの物体の間に働く相互作用であるが、反発し合う、すなわち互いを遠ざけようとする力のこと。現在、物理学においては4つの基本的な力が考えられている。

そのうちのひとつ、電磁力(静電力と磁力)には引力と斥力の両方が存在する。電気と磁気にはそれぞれ2つの極性があり(電気では正と負、磁気でも正負と言うがN極とS極と言うこともある)、同じ極性同士には斥力が働き、異なる極性同士には引力が働く。 このように、引力と斥力の違いは単なる符号の違いといえる。一方で、これもまた4つの力のうちのひとつである重力(万有引力)は、引力だけが確認されており、斥力としての重力は確認されていない


分子間力 - Wikipedia
分子間力(ぶんしかんりょく、英語:intermolecular force)は、分子同士や高分子内の離れた部分の間に働く電磁気学的な力である。力の強い順に並べると、次のようになる。

イオン間相互作用
水素結合
双極子相互作用
ファンデルワールス力

これらの力はいずれも静電相互作用に基づく引力である。イオン間相互作用、水素結合、双極子相互作用は永続的な陽と陰との電気双極子により生じるが、ファンデルワールス力は電荷の誘導や量子力学的な揺らぎによって生じた一時的な電気双極子により生じる。

光が宇宙空間を伝播するのに不可欠なエーテル:絶対空間の座標を持つもの

2012-04-23 | 日記
ニュートン、マクスウェル、プランク、アインシュタインと続いた
19世紀(後半から20世紀)の物理学は、大きな問題に差し掛かっていました。

それは、「エーテル」です。

この「エーテル」という概念は、
もともとは、ギリシア時代に発しています。

そして、ギリシア語のアイテール(αiθήρ)は、
人間の住む地上世界(目に見える物質世界)に対して、
神ゼウスと神々が住む「目に見えない天の国の領域(天国)」を指します。

(つまり「エーテル」は、形而上学的=「神の世界」を意味します。)

エーテル (神学) - Wikipedia

エーテル、アイテール(古希: αiθήρ)とは、古代ギリシャにおける輝く空気の上層を表す言葉であり、アリストテレスによって四大元素説を拡張して天体を構成する第五元素として提唱された。これはスコラ学に受け継がれ、中世のキリスト教的宇宙観においても、天界を構成する物質とされた。

アリストテレス以前より古代ギリシアにおいてアイテールは、大気の上層、雲や月の領域、あるいはゼウスの支配する領域を意味する言葉として用いられた。これに対して下層の空気はアーエールと呼ばれた。語源上、アイテールは「つねに輝きつづけるもの」を意味しており、そこから消えることのない空の輝きを表現した。パルメニデスはアイテールを大気の上の炎、「穏やかかつ希薄で、一面に均一に広がるもの」と表現し、暗く濃く重い大地の物質と対比した。またピュタゴラス教団は人が死んだ後に魂がたどり着く永遠の汚れのない領域だとした。これらいずれにおいてもアイテールは、地上の死すべきものの世界に対して、永続的な世界を指し示している。

元素にはそれぞれ固有の性質があるとされ、アイテールは天体の動きに見られるように、変形せず永遠に回転し続ける性質をもつとされた。 こうしたアリストテレスの考えによってエーテル(アイテール)は天界を満たしている物質として後世まで広く認知されることになった。


光が波の性質を持っていることから、
宇宙空間を伝播するために、媒質があるはずです。

ということで「エーテル」は、
理論的に不可欠なものとして古来から考えられて来ました。

そして、デカルト以後、
(神学的思考でなく)科学的思考において、この「エーテル」が、
「世界と宇宙のすべてを満たしているもの」とされたわけです。


しかし、「エーテル」には、幾つか問題がありました。

それは、

1 「エーテル」を誰も見たことがなく、物質として確認されたことがない。
2 マクスウェルの電磁方程式から、電磁波(=光)は、
  相対速度で動くデカルト座標系に無関係で、
  常に一定の 3.0×10の8条[m/s]となる。
3 光速 3.0×10の8条[m/s]は、何の座標系に対する速度か不明。
4 電磁波(光速)が(何かの座標系に対して)不変であることから、
  媒体としての「エーテル」が絶対座標である可能性があり、
  その場合、宇宙の中で相対的に動いている地球の周りには、
  「エーテルの風」が吹いていることになる。
5 光に偏光の現象がある。
6 ホイヘンスの言うような、空間に充満している「エーテル」が、
  ガス状である場合、流体エーテルは縦波しか伝えられない。
7 横波を伝えるためには、「エーテル」は
  格子結晶のような、強く結合した紐状の形態と予想される。
8 「エーテル」は、透明で、
  宇宙のどの場所にも一様に分布し、連続していることになる。

という問題です。


※ニュートンの「絶対空間、絶対時間」も、

「エーテル」の特徴である

「天界を構成する物質」
「ゼウスの支配する領域」
「永続的な世界」
「絶対静止系の座標」

から考慮されています。

ニュートンの「時間」と「空間」と「座標」の定義 5 『神の座標 絶対空間 絶対時間』


" Ether " by MunDoSow


エーテル (物理) - Wikipedia


エーテル (aether, ether, luminiferous aether) は、主に19世紀までの物理学で、光が伝播するために必要だと思われた媒質を表す術語であった。

このエーテルの語源はギリシア語のアイテール (αιθήρ) であり、ラテン語を経由して英語になった。アイテールの原義は「燃やす」または「輝く」であり、古代ギリシア以来、天空を満たす物質を指して用いられた。英語ではイーサーのように読まれる。

空間に何らかの物質が充満しているという考えは古くからあったが、17世紀以後、力や光が空間を伝わるための媒質としてエーテルの存在が仮定された。その端緒の1つはデカルトに見られ、デカルトはぶどうの樽のぶどう酒のようにあらゆる物質の隙間を埋める「微細な物質」を想定してそれが光を伝達させるのだとした。また惑星はその渦に乗って動いていると考えた(渦動説)。

ニュートンは、光の実体は多数の微粒子であると考えた。これは、光が直進することや物体表面で反射されるという事実に基づく仮定であった。しかし、光が粒子であると仮定すると、屈折や回折を説明することが難しいという問題があった。屈折を説明するために、ニュートンは『光学』(1704年)で「エーテル様の媒質 (aethereal medium)」が光よりも「速い」振動を伝えており、追いこされた光は「反射の発作」や「透過の発作」の状態になり、結果として屈折や回折が生じると述べた。

後年、マクスウェルの方程式から電磁波の存在が予想され、さらにヘルツは電磁波の送受信が可能であることを実験的に示した。マクスウェルの方程式によれば、電磁波が伝播する速さcは誘電率εおよび透磁率μとの間に



の関係があり、この速さは、実験的に知られていた光の速さと一致した。この事実から、光は電磁波の一種であると推定された。しかし、ニュートン力学の基準系、つまりガリレイの相対性原理に従うならば、光の速さは、その光と同じ方向に進む観測者からは遅く、逆方向に進む観測者からは速く見えるはずである。上式によれば、観測者の運動にかかわらず光の速さは一定である。従って、上式のような関係は一般には成立できないと考えられた。そこで、エーテルの運動を基準とした絶対座標系が存在し、その座標系でのみマクスウェルの方程式は厳密に成立すると推定された。

しかし、これらのモデルでは、エーテルが持つ機械的性質は、実に奇妙なものにならざるを得なかった。すなわち、空間に充満していることから流体でなければならないが、高周波の光を伝えるためには、鋼よりもはるかに硬くなければならない。さらに、天体の運動に影響を与えないという事実から、質量も粘性も零のはずである。さらに、エーテル自体は透明で非圧縮性かつ極めて連続的でなければならない。

エーテル仮説の最たる困難は、ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学の整合性であった。ニュートン力学はガリレイ変換の下で不変であったが、マクスウェルの電磁気学はそうでなかった。従って、厳密には、少なくとも一方の理論は誤りであると考えざるを得ない。

ガリレイ変換とは、観測者の視点を変えることである。例えば時速80キロメートルで走る電車の中を、進行方向に向かって時速4キロメートルで歩いている乗客は、別の乗客からは、もちろん、時速4キロメートルで動いているように見える。しかし、電車の外にいる人からは、この乗客は時速84キロメートルで動いているように見える。見る人が変われば運動も異なって見える、その見え方の違いを定式化したものがガリレイ変換である。そしてニュートンの運動方程式は、ガリレイ変換をしても、つまり誰から見ても、成立する。このように、常に成立することを「不変」という。

しかしながら、マクスウェルの方程式によれば、光の速さは誘電率と透磁率から定まるのであるが、この値は、観測者の運動に依存しない。つまり、電車に乗っている人にとっても、外にいる人にとっても、光の速さは同じでなければならないことになる。すなわち、マクスウェルの方程式はガリレイ変換について不変ではない。全ての物理学理論はガリレイ変換について不変であるべきだと考えられていたため、「エーテルに対する絶対座標系」が存在し、マクスウェルの方程式はこの座標系においてのみ厳密に成立すると考えられた。

そこで、地球の、絶対座標系に対する運動に関心が持たれるようになった。マクスウェルは1870年代後半に、地球の運動が光の速さに及ぼす影響を調べることで、地球の絶対座標系に対する運動を知ることができると述べた。光の進行方向が地球の進行方向と一致すれば光は遅く見え、逆方向であれば光は速く見えるはずである、と考えたのである。季節あるいは昼夜が変化すれば観測者の運動の方向が反転するが、この運動の変化は光の速さに比べて小さいものの、検出不可能なほど小さくはないと考えられた。すなわち、地球はエーテルの中を進んでいるのであるから、地上ではいわば「エーテルの風」が吹いていることになり、これは光速の変化として捉えられると考えたのである。


ニュートンの「時間」と「空間」と「座標」の定義 6 『運動動力源としての神 物理法則を司る至高存在』

2012-04-20 | 日記
太陽系の惑星の運動をよく観察すると、
引力という力によって、太陽を中心として、
全惑星が、互いにぶつからず、
互いに適切な距離を保って永続的に回転していることがわかります。

The Solar System: A Brief Glance


しかし、ニュートンは考えます。

慣性の法則にしても、
太陽系での諸惑星の回転運動にしても、
確かに、法則に則った力が働いており、
その力が宇宙のすべての物質を動かしている。

それは分かるが、それでは、慣性の法則の
「一旦動かしたものは、永遠に動き続ける」という原理について、
宇宙空間であっても、止まらず永遠に動くには「動力」が必要だ。

一体誰が、永遠に物質を動かし続けているのだろうか?

そして万有引力に、誰が永続的に「動力」を与えているのだろうか?

金星や地球、火星、木星、土星、彗星などの動きを研究すると、
太陽を中心として、引力の相互作用によって、
諸惑星と彗星群が回転運動を成して、太陽系を創っていることがわかる。

この万有引力の相互作用は、もし、一定の距離がなければ、
即座に互いに衝突して崩壊してしまうものであるから、
太陽系の諸惑星の運動が、永続的に安定して運行している理由は、
何かの原因によって、惑星同士の距離も、
最適の間隔に調整されているから、と見なされる。

(しかしながら誰が、もろもろの太陽系の相互に
 十分な距離を空けたのだろうか?)

地球は(後にフーコーが証明した通り)自転しており、
ガリレオの言う如く、公転している。

万有引力の法則があっても、相互が衝突せずに
宇宙空間で安定軌道を保っていられる大きな理由は、
それぞれの天体が自転し、相互に十分な距離を空けていて、
さらに太陽を中心にして、すべてが公転していることにある。

(誰が、惑星間の距離を最善に調整しているのだろうか?)

夜空の無数の星々は、我々の太陽系と同じように、
恒星を中心として、惑星群が公転している形になっていると思われる。

夜空に見えている星は、太陽のような自ら輝いている星であろうから、
地球のような惑星は、存在しても見えていない可能性が高い。

すると、宇宙には、見えている以上に
想像もつかないほどの天体があるに違いない。

その見えていないすべての星々も、この太陽系で見るような、
整然とした、物理法則に則って運行しているだろう。

太陽系同士も衝突しないように、
宇宙空間で、互いに相当の距離を持って、
存在していると予想できる。………


ニュートンはこのように推察しました。

そして、これらの宇宙での秩序整然とした物理法則を見て、

「人間の思考を超えた、至高の存在者(一なる神)が、
 すべての物理現象を支えている」

と結論を出しました。

それが
『運動動力源としての神 物理法則を司る至高存在』です。


この叡智の集積ともいえる
「一なる神(至高存在)」には、特徴があります。

それは「キリスト教で言われるところの神ではない」ということです。

つまり、如何にイエス・キリストが、
当時ナザレで「神」の如き力を発揮していたとしても、
天体のすべての運行を、イエス・キリストが
押したり、引いたりして行っているわけではないわけです。

そして、キリスト教が生まれる遥か遥か大昔から、
宇宙の全天体群の運行は行われていたわけです。

ですから、この「一なる神(至高存在)」というのは、
「キリスト教の神」「慈悲の神」という意味ではなく、
実際に万物を生んだ、根源的な存在(至高存在)となります。

それが『運動動力源としての神 物理法則を司る至高存在』の意味です。

しかしながら、ニュートンが、
イエス・キリストを軽視していたかというとそんなことはなく、
敬虔な信仰を持っていました。

ニュートンは、

宇宙を司る(人格を越えた)「一なる神(至高存在)」が
第一存在としており、

イエス・キリストは、至高神と人間をつなぐ仲介者として
(第二存在として)存在している、

と考えました。

そして、「神」と言われる存在が、
すべてこの「一なる神(至高存在)」ということではなく、
同じ「神」という名でも、分けて考える必要があるとしました。

※この意味でニュートンは、
「神の啓示を否定する理神論者」ではありません。

むしろ、神を否定する無神論、唯物論を非常に嫌悪していました。

ニュートンは、プリンキピアを
たくさんの数学的な物理法則の探求によって、
これらの精密な法則を生み出した至高存在の性質について吟味し、
人々の創造神(究極の実在)の尊崇に結びつくように書いています。

(現在の日本の数学や物理の教育では、
 この、重要なニュートンの「物理法則を司る至高存在」の言及が
 完全に削除されているため、
 非常に偏った教育内容=唯物主義無神論教育となっています。
 そしてこのために、学生が物理の真髄を十全に理解できなくなっています。)


Twelve articles on religion by Isaac Newton
ニュートンの宗教に関する12条

(訳 鈴木てつや)

Artic 1.
There is one God the Father everliving, omnipresent, omniscient, almighty, the maker of heaven & earth, & one Mediator between God & Man the Man Christ Iesus.

〔第1条〕

(この世には、この宇宙には)
一なる神、永続して存在する父なる者がおり、
永遠普遍で、全知全能であり、

天なる世界(天国)と、地球と、
イエス・キリストという神(と人間と)の仲介者とを産んだ存在である。

Artic 2.
The father is the invisible God whom no eye hath seen or can see, all other beings are sometimes visible.

〔第2条〕

(唯一の)父なる存在は、人間には見えない神であり、
過去に誰も見たことはなく、今も見えない。
他のすべての存在は目に見えることもある。


The Mathematical Principles of Natural Philosophy (1729)/General Scholium
『自然哲学の数学的諸原理』アイザック・ニュートン

(訳 鈴木てつや)

This most beautiful System of the Sun, Planets, and Comets, could only proceed from the counsel and dominion of an intelligent and powerful being. And if the fixed Stars are the centers of other like systems, these, being form'd by the like wise counsel, must be all subject to the dominion of One; especially since the light of the fixed Stars is of the same nature with the light of the Sun, and from every system light passes into all the other systems. And lest the systems of the fixed Stars should, by their gravity, fall on each other mutually, he hath placed those Systems at immense distances from one another.

この、最も美しい、太陽と惑星群と彗星群からなる太陽系を見ていると、これらが、何者か―叡智と大きな力を備えた存在の、深慮と支配とによって運行されている、と考える以外にあり得ません。他のもろもろの太陽系群の固定軸となっている恒星群が、(太陽系と)同じように(中心の恒星を軸に回転運動を)成しているとしたら、(それこそ、また同じように)叡智的な深慮を以って運行されているということであり、一なる支配者の司りによっているに違いありません。そして特に、この(各太陽系の)中心として固定されている恒星群の光は、(我々の)太陽の光と全く同じ性質を持っており、その光が、お互いの太陽系の中に、光を届け合っている(夜空に互いの星々の光が見える)わけです。そして、万有引力が、お互いの太陽系同士にも働いているにもかかわらず、相互に引き合って衝突したりせずに済んでいるのは、(至高の存在である)父なる神が、相互の太陽系群を(引力が引き合わない程の)非常に離れた位置に(宇宙空間の中で予め)配置されたからに違いないのです。

This Being governs all things, not as the soul of the world, but as Lord over all: And on account of his dominion he is wont to be called Lord God παντοκρατωρ, or Universal Ruler. For God is a relative word, and has a respect to servants; and Deity is the dominion of God, not over his own body, as those imagine who fancy God to be the soul of the world, but over servants.

この存在は、万物を治めています。そしてそれは、宇宙の霊性としてではなく、万物の主として司っている存在です。かの存在者の(万物への)統治の姿から、「主なる神」「パントクラトール」「宇宙の法則を決めている存在」などと呼ばれています。というのは、「神」といっても、いろいろな意味で使われる言葉であり、(本当の意味での「神」は)すべての僕(しもべ)たち(=神の被造物=人間と生命と物質すべて)を尊重されているのです。というのも、「神性」とは、「神の主座」と言えますが、この意味は、「神性」というものが、(「外なる神」とも言われるような、例えば人間の存在と宇宙とから切り離された場所に「神」が存在していて)その「神」だけが「神性」に満たされているのだ、などといった夢想者が抱く「神」の概念ではなく、すべての宇宙にある存在、万物に(「内なる神」として)「神」の「神性」が作用して(宿って)いるという意味なのです。

The supreme God is a Being eternal, infinite, absolutely perfect; but a being, however perfect, without dominion, cannot be said to be Lord God; for we say, my God, your God, the God of Israel, the God of Gods, and Lord of Lords; but we do not say, my Eternal, your Eternal, the Eternal of Israel, the Eternal of Gods; we do not say, my Infinite, or my Perfect: These are titles which have no respect to servants. The word God usually signifies Lord; but every lord is not a God. It is the dominion of a spiritual being which constitutes a God; a true, supreme, or imaginary dominion makes a true, supreme, or imaginary God.

この至高の神は、永遠で無限なる存在であり、絶対的な完全なる存在です。しかし、(もし、その「神」が)「完全なる存在であるけれども、(物理法則の)支配力がない」場合は、それは(ここで言っている、究極なる)「主なる神」とは言えません。私たちは、(至高の神のことを)「私の神」「あなたの神」「イスラエルの神」「神々の神」「主の主」などと言いますが、「私の永遠」「あなたの永遠」「イスラエルの永遠」「神の永遠」などとは言いませんし、「私の無限」「私の完全」などという言い方もしません。というのも、これらの(使われない)言い方では、僕(しもべ)たち(=神の被造物=人間と生命と物質すべて)が全く尊重されていないからです。「神」という言葉は、通常「主なる神」を意味します。しかし、すべての「主」(と言われる存在)がここで言う「至高の神」であるとは限りません。「神」という言葉は、「一なる神」を構成している霊的存在者の司りを意味するからです。つまり、真実に、絶対的に(宇宙すべての)統治をしている「主」であれば、それは、真実の、絶対的「至高の神」であり、逆に、実際には(宇宙すべてを)統治していない「主」であれば、それは、「想像上(架空)の神」ということになります。

And from his true dominion it follows that the true God is a Living, Intelligent, and Powerful Being; and, from his other perfections, that he is Supreme or most Perfect. He is Eternal and Infinite, Omnipotent and Omniscient; that is, his duration reaches from Eternity to Eternity; his presence from Infinity to Infinity; he governs all things, and knows all things that are or can be done. He is not Eternity and Infinity, but Eternal and Infinite; he is not Duration and Space, but he endures and is present. He endures forever, and is every where present; and, by existing always and every where, he constitutes Duration and Space.

そして、神の真実の(宇宙すべての)統治という点から考えてみると、この真実の神という存在は、生き通しの、叡智的な存在者であり、最大の力を持った存在であることが分かります。また、宇宙のあらゆるところで見受けられる法則の完全性から考えてみると、かの至高存在は、絶対存在であり、最大なる完全性を備えていることが分かります。神は、永遠なる、無限なる存在で、かつ全知全能で、無限から無限へと在り続けています。つまり、神は、万物すべてを統治しており、今あるものすべてのことを知り、これから起こるであろうすべてのことも知る存在です。神は、(「外なる神」として宇宙から離れたところに居る)「永遠」「無限」という存在ではなく、現に今「永遠として在り続ける者」「無限として在り続ける者」です。というのも、神とは、「持続して存在する時空間」ではなく、神こそが、それ(時空間=宇宙)を支えており、、在り続けている存在だからです。かの至高存在は、流れ続ける時間と空間を構成しながら、永遠に宇宙を支え続け、永遠普遍に至るところで存在し続けているです。


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