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従来の司法試験に戻せなどというブログもあるが?

2010-03-19 14:51:14 | 社会・経済

 最近の弁護士の増加で弁護士による不正が取りざたされて、従来の司法試験に戻すようにとのブログを見かけたが、そんな事件は昔も今も変らない。ネットの普及などもあり、すぐ公にできる昨今のネット環境だからだ。新司法試験導入による弁護士増加、即弁護士の資質の低下などとまことしやかに叫んでいる方々がいるが、俺はそう思わない。昔は泣き寝入りしていたのがほとんどに思われる。超難関の従来の司法試験に戻し、弁護士の資質の向上を!等とほざく。しかしながら、いざ訴訟を依頼し、依頼者の為に訴訟継続していると思っていたら、なんと裏では手を結び依頼者の主張とは裏腹に裁判官を含み3社合議で決めていくように思われる内容の判決を頻繁に見受けられた。少ない弁護士の中で、一審で敗訴し、弁護士の力量不足、あるいは、おかしいときずき、第二審で他の弁護士をと思っても、この弁護士の受けたものは、お受けできません。また、懇意にしているので受けられません(このぐらいなら許せる)。などと断られるのが関の山だ。まあ弁護士先生だからこの弁護士を信じてと、依頼を継続したなら、最悪だ、どうにもならない、敗訴確定だ。弁護士は横のつながり強固かも?表向きは激しい準備書面を交換、然し、肝心の証拠は?だ。ずぶの素人は、完璧に騙されると聞く。それが、超難関の司法試験を通過した弁護士さんのすることだぜ!従来の司法試験に戻そうとしているブログさん!(笑)依頼者は、弁護士解任する勇気をもたなければ勝てないと思われる。さまざまな事件の原告の悲痛な叫びを聞くたびにそう実感した。何故弁護士が少ないのだ。弁護士を選べない!という感じをその当時強く持ったものだ。もう20年前の話だ。然も、医療訴訟ときたら、手がける弁護士は当時全国にも極少数と思われる。現在も変らん。ましてや一度敗訴した事件を受ける弁護士は皆無に等しいと聞く。医療事件については、人間の命の値段は億単位だ。其処に目をつけた弁護士達が続々参入してきていると当時聞く。依頼者も馬鹿じゃない、おかしな弁護士は評判になり、目も向けない、はなも引っ掛けない。医療訴訟を手がけた途端ベンツ乗り出す?って噂も頻繁にあったように聞いた。いろいろな医療被害者達が会を発足させて、其処にちゃっかりと超難関の司法試験突破の弁護士が顧問にお座りだ。善良な団体もあるだろうが、そうでない場合もありうるだろう。誠に常識を覆すような信じられない噂も飛び交う医療裁判の実態?とその当時思ったものだ。超難関の司法試験を通過した弁護士さんなど法曹当事者のすること?常識あるの?と思ったものだ。弁護士を増やし、日本を訴訟社会にし、混乱せしめ等とほざく、新司法試験制度を批判するブログなどの考えは、眉唾ものだ。それが、ダメリカ支配層の思惑?等といっているが、思惑そのものは、当たっていないとはいえないかもしれないが、日本民族を馬鹿にした思惑と言いたい。それは、見事に当てが外れるだろう!そして今後、新司法試験制度による弁護士増加その弁護士のターゲットは医療裁判等と言うが、医療裁判程原告は悲惨と聞くし、又見てきた。病院で家族を失い、弁護士で被害を被り、非常識な判決で(原告の知らないところで3社合議?)正義に失望し、希望を失い、財産、友人、家族の関係もズタズタにされ、無一文で路頭に迷う、正に青天の霹靂だ。なんとも言葉が見当たらないような惨めだ。医療裁判を見てきた、あるいは、経験した人しかその中身は分からない、陳腐なコメントは、なんとも遺憾だ。又、訴訟に勝ったとしても代償は計り知れない。その悲惨の中で、唯一孤軍奮闘してきたのが、医療過誤原告の会を結成した近藤郁夫氏だったように思う。約10年程前にお亡くなりになられたが、その会が設立され、医療裁判の勝訴率が5%前後から40%に上昇したといわれる。そのことにより、医療の質の向上・または病院のミスはすぐ認め遺族に謝罪のケースが増えている。これはいい傾向だ。昔は、ありえなかった光景だ。寧ろ、この医療機関の謙虚さが医療訴訟の歯止めになるのではないか?とも考える。単純なミスも当時は、謝罪すらなかったようだ、難しい中身でむやみに訴訟されても、医療機関もたまらん、そのときは闘うであろう?それでいいのだ。その辺が否で医者になりたくないなら、そんな資質の医者は医者にならんほうが寧ろいい。その当時、ミスが明らかなのにミスを認めようとしない医療機関だったから、医療裁判に踏み切ったという人がほとんどだったように思う。医療機関も謝罪し、それ相応に償えばいいのだ。命とお金のやり取りは、悲しいが。要するに、弁護士は増えて結構だ自然淘汰され、弁護士先生は正義などという間違った官僚天下り先に似たような洗脳された悪しき観念をブチ壊し、市民と見られるレベルまで下げたほうがいい。たいした人種とは決して思わない。本日の妄想でした。かも?