映画人気質

2006-04-22 19:05:22 | Weblog
 今年も大学の映画の授業に山田洋次が来た。相変わらず五月蝿いおっさんである。寅さんの台詞みたいな事はさすがに言わないが、やっぱり渥美清演じる寅次郎はこの人の頭の中から出てきたキャラクターなんだなぁと実感。その何ともいえない古風なユーモアを交えた話し方に寅次郎の姿が見えたような気がした。まだ山田洋次本人とは直に会った事は二回しかないのに、昔からの知り合いであるかのような錯覚を覚えたのは、幼い頃から山田映画に幾度となく触れてきた事とおそらく無縁ではない。
 そんな彼がこの日使った教材は『ローマの休日』。映画を解釈する時の主観的な強引さにやや抵抗を覚えたものの、ワンカットずつ丹念に解説していく姿に職人気質が色濃く出ていて感心させられた。彼曰く『フェリー二のような天才的な映画監督が作る芸術作品を製作する才能は僕にはない。』との事。確かにヒッチコックやフェリー二のような繊細なカットで魅せる技術や発想は彼の話を聞く分にも出てこないような気がした(ヒッチコックの『ロープ』は1カットが長いので10ミニッツムービーと呼ばれるが)。では、戦後日本の映画界を支えてきた彼の作品の何が多くの日本人の心を捉えたのだろう。それは大衆性に裏打ちされた“平均的な感動”を呼び起こすことができるという才能を彼が豊かに備えていたからであると思う。要するに良い意味で平凡なのだ。平凡というと聞こえが悪いかもしれない。しかし自分が言いたいのはそのような悪い意味での平凡ではない。
 自分が大好きな小津安二郎も小栗康平もある観点から言えば極めて“平凡”な作品を作る映画監督だ。では彼らの平凡と悪しき平凡を隔てる境界は何であるのか。それは平凡の“仮面”をしているか否かにあるのではないだろうか。小津映画なんかを見てみればわかる。ストーリーは単調で何か大きな事件があるわけでもない。しかし、動かないカメラ、その構図、カットのタイミング等、それら全てが実は恐ろしく周到に用意されたものであると分かった瞬間にその平凡な仮面のうちにある小津安二郎の微笑が浮かんでくるのだ。
 彼らは表面的に“奇を衒う”のではなく、見るものを意図的に平均的な方向に誘導する技術に長けている。その表面的な平凡さのなかに、あたかも罠を設置するかのように製作者の本意を忍ばせるのだ。それらは見るものにこう小さな声で語りかけてくる。『わかってくれなくてもいいんだぜ。あひゃひゃ。君の最初に感じた通りに解釈すればいいじゃないか』。
 山田洋次の作品は小津や小栗に比べると確かにややストレートな感がある。だが、この日会って感じたのは、ほっとするような人情映画を作る温厚な人柄というより、言葉には出さずとも自分の限定的な才能を極めて熟知した上で計算的に、確信犯的に平凡なプロットを採用しようとしてきた山田洋次のもうひとつの顔だ。 
 やはり一流の映画監督は観客をうまく誘導する才能を持っている。それは“仮面”という名の映画人気質であり、また、それをカッコつきの“ユーモア”と呼ばずして何と呼ぼう。

《今日のお薦め》
定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー 山田宏一・蓮實重彦(訳)

 値段は多少高めですので、図書館等にあったら是非手にとってみてください。ここまで詳細にヒッチコックの技法について学べる本は稀有です。そしてヒッチコックにインタビューするのはゴダールと共にヌーヴェル・ヴァーグの旗手であるトリュフォー!しかも訳者が『友よ・映画よ』という名著で知られる山田宏一、そして東大元総長の蓮實重彦という何とも豪華な顔ぶれ。もちろん中身も超一級品。映画製作に興味がある方は必読です。

最新の画像もっと見る