6/22に名鉄 旧谷汲駅で保存されているモ510形、モ750形を撮りました。
1枚目は、旧谷汲駅で保存されている右側はモ514、左側はモ755です。

2枚目は、アップで撮ったモ514です。
行先系統板は「新岐阜」が掲出されています。

3枚目は、旧谷汲駅の駅舎側から撮ったモ514です。
行先系統板は「谷汲」が掲出されています。

4枚目は、アップで撮ったモ755です。
行先系統板は「黒野-谷汲」が掲出されています。

5枚目は、旧谷汲駅の駅舎側から撮ったモ755です。
行先系統板は同じく「黒野-谷汲」が掲出されています。

6枚目は、旧谷汲駅の駅舎です。
1996年に竣工した駅舎とのことで、比較的、新しいです。

この日はJR東海 311系を撮りましたが、午前運用と午後運用の間に待ち時間が有ったので、以前から行きたいと思っていた名鉄 旧谷汲駅に保存されているモ510形、モ750形を撮りに行きました。
特定非営利活動法人にわてつ様が管理されている保存車で第3日曜日には駅務室の営業、車両ヘッドライト、テールライト点灯なども行われているとのことでしたが、この日は第4日曜でしたので、入場だけさせていただいて車両の写真を撮らせていただきました。
モ510形は当時の美濃電気軌道(後の名鉄 岐阜市内線、揖斐線、高富線、鏡島線、美濃町線など、以下は美濃電と略記します)で1926(大正15)年5両が登場しました。
美濃電では初の半鋼製車体が採用された四軸ボギー車で、当時はセミボ510形と称していました。
車種記号のセミボはセミスチール・ボギーの略で、併用軌道区間での運用を持つ車両でありながら、高速電車規格の台車を履いた高床構造車でした。
登場当時に私鉄で流行していた正面形状を半円筒型の5枚窓とする半流線型車体が特徴です。
客用扉は車体両端に2ヶ所設けられ、戸袋窓が楕円形状(丸窓)であったことが特徴で、丸窓の愛称で親しまれました。
登場時には鉄道線の笠松線で運用されていましたが、美濃電が1930年に名岐鉄道へ吸収合併された後、両形式とも軌道線の美濃町線へ転属しています。
1967(昭和42)年に岐阜市内線と揖斐線との直通運転が開始されるに当たり、鉄道線規格に合致する高床構造、かつ併用軌道区間を走行可能な車両ということでモ520形(1923年に美濃電が新製した木造ボギー車DB505形)とともに同列車用車両として転用されることとなりました。
車体塗装はスカーレットと白のツートンカラーに変更され、車内は転換クロスシート化、出入口に自動折り畳み式の客用扉ステップが新設され、集電装置はパンタグラフ化されました。
1972(昭和47)~79(昭和54)年にかけて車体塗装のスカーレット一色化、前照灯のシールドビーム化などの改造が行われましたが、外観的は僅かなまま運用されました。
1987(昭和61)年の連接車モ770形の登場により、1988(昭和62)年までにモ510形511、515とモ520形全車が引退しましたが、モ512~514の3両は引き続き最大3両編成で運用されて活躍しました。
しかし、1997(平成9)年からのモ780形(現在は豊橋鉄道市内線に在籍)の登場により、定期運用から退いて予備車となりました。
2000(平成12)年にモ512が引退し、モ513、514は2005(平成17)年の岐阜600V線区の全廃まで現役を全うし、モ512は旧美濃駅、モ513はJR岐阜駅前北口駅前広場、モ514は旧谷汲駅で保存されています。
モ750形は、旧名古屋鉄道が1927(昭和2)年に初めて導入した半鋼製車体のデセホ700形の改良型として、1928(昭和3)~29(昭和4)年にデセホ750形として10両が登場しました。
深い丸屋根構造や腰板部の天地寸法を大きく取った腰高な窓位置を持った半鋼製車両で、外板部にリベットが多数露出した昭和初期らしい車両でした。
旧名古屋鉄道は1930(昭和5)年に前述の美濃電を吸収合併した後に名岐鉄道へ社名変更し、1935(昭和10)年に愛知電気鉄道と対等合併して現在の名古屋鉄道(名鉄)が発足しています。
1941(昭和16)年に実施された形式称号改訂の際に、デセホ750形からモ750形へ形式称号が変更されました。
モ750形は登場時から名岐線、犬山線などの西部線の幹線系統で運用されましたが、1948(昭和23)年の西部線の主要路線の架線電圧が600→1500Vに昇圧されたのに伴って、犬山地区の支線区(小牧線、広見線)へ転属しました。
1964(昭和39)年に小牧線、1965(昭和40)年に広見線の昇圧工事が実施されたことにより、モ750形は新川工場火災において被災焼失したモ760を除いたモ751~9は瀬戸線に転属しました。
1965(昭和40)年~1966(昭和41)年にモ752,753、756、757の4両、1973(昭和48)年にモ751、754、755、758の4両、1978(昭和53)年にモ759が順次、揖斐線系統に転属しています。
1969(昭和44)年にはモ752、753、756は電装解除されてク2150形ク2151~3に改番されましたが、後にク2151は再電装されてモ752の旧番に改番され、ク2153(旧モ756)がク2151に改番されています。
1970(昭和45)年にはモ757、ク2152、1978(昭和53)年にク2151が引退しました。
1973(昭和48)年~79(昭和54)に残ったモ751、752、754、755、758、759の6両は、客用扉の自動扉化、前照灯の定電圧装置付シールドビーム化、前面ワイパーの自動化、車体塗装のスカーレット化などが実施されました。
1984(昭和59)年より、揖斐線系統のうち閑散区間であった揖斐線の末端区間(黒野~本揖斐駅間)、谷汲線全線の運行列車をワンマン化される対応としてモ752,755、758、759には列車無線の搭載、車外バックミラーの新設、車内料金箱、整理券発行機の新設などワンマン運転対応工事が実施されました。
1987(昭和62)年よりワンマン運転区間が揖斐線全線に拡大されたことから、モ751が追加でワンマン運転対応工事を施工されました。
1992(平成4)年にツーマン、片運転台仕様で存置されたモ754に両運転台化改造、ワンマン運転対応工事が実施されました。
1998(平成10)年にモ780形の登場に伴って、モ752、758、759の3両が引退しました。
2001(平成13)年の揖斐線黒野~本揖斐駅間、谷汲線全線の廃線に伴って最後まで残ったモ750形の3両も引退し、モ751は店舗として岐阜県内、モ754は瀬戸蔵ミュージアム、モ755は旧谷汲駅で保存されています。
1枚目は、旧谷汲駅で保存されている右側はモ514、左側はモ755です。

2枚目は、アップで撮ったモ514です。
行先系統板は「新岐阜」が掲出されています。

3枚目は、旧谷汲駅の駅舎側から撮ったモ514です。
行先系統板は「谷汲」が掲出されています。

4枚目は、アップで撮ったモ755です。
行先系統板は「黒野-谷汲」が掲出されています。

5枚目は、旧谷汲駅の駅舎側から撮ったモ755です。
行先系統板は同じく「黒野-谷汲」が掲出されています。

6枚目は、旧谷汲駅の駅舎です。
1996年に竣工した駅舎とのことで、比較的、新しいです。

この日はJR東海 311系を撮りましたが、午前運用と午後運用の間に待ち時間が有ったので、以前から行きたいと思っていた名鉄 旧谷汲駅に保存されているモ510形、モ750形を撮りに行きました。
特定非営利活動法人にわてつ様が管理されている保存車で第3日曜日には駅務室の営業、車両ヘッドライト、テールライト点灯なども行われているとのことでしたが、この日は第4日曜でしたので、入場だけさせていただいて車両の写真を撮らせていただきました。
モ510形は当時の美濃電気軌道(後の名鉄 岐阜市内線、揖斐線、高富線、鏡島線、美濃町線など、以下は美濃電と略記します)で1926(大正15)年5両が登場しました。
美濃電では初の半鋼製車体が採用された四軸ボギー車で、当時はセミボ510形と称していました。
車種記号のセミボはセミスチール・ボギーの略で、併用軌道区間での運用を持つ車両でありながら、高速電車規格の台車を履いた高床構造車でした。
登場当時に私鉄で流行していた正面形状を半円筒型の5枚窓とする半流線型車体が特徴です。
客用扉は車体両端に2ヶ所設けられ、戸袋窓が楕円形状(丸窓)であったことが特徴で、丸窓の愛称で親しまれました。
登場時には鉄道線の笠松線で運用されていましたが、美濃電が1930年に名岐鉄道へ吸収合併された後、両形式とも軌道線の美濃町線へ転属しています。
1967(昭和42)年に岐阜市内線と揖斐線との直通運転が開始されるに当たり、鉄道線規格に合致する高床構造、かつ併用軌道区間を走行可能な車両ということでモ520形(1923年に美濃電が新製した木造ボギー車DB505形)とともに同列車用車両として転用されることとなりました。
車体塗装はスカーレットと白のツートンカラーに変更され、車内は転換クロスシート化、出入口に自動折り畳み式の客用扉ステップが新設され、集電装置はパンタグラフ化されました。
1972(昭和47)~79(昭和54)年にかけて車体塗装のスカーレット一色化、前照灯のシールドビーム化などの改造が行われましたが、外観的は僅かなまま運用されました。
1987(昭和61)年の連接車モ770形の登場により、1988(昭和62)年までにモ510形511、515とモ520形全車が引退しましたが、モ512~514の3両は引き続き最大3両編成で運用されて活躍しました。
しかし、1997(平成9)年からのモ780形(現在は豊橋鉄道市内線に在籍)の登場により、定期運用から退いて予備車となりました。
2000(平成12)年にモ512が引退し、モ513、514は2005(平成17)年の岐阜600V線区の全廃まで現役を全うし、モ512は旧美濃駅、モ513はJR岐阜駅前北口駅前広場、モ514は旧谷汲駅で保存されています。
モ750形は、旧名古屋鉄道が1927(昭和2)年に初めて導入した半鋼製車体のデセホ700形の改良型として、1928(昭和3)~29(昭和4)年にデセホ750形として10両が登場しました。
深い丸屋根構造や腰板部の天地寸法を大きく取った腰高な窓位置を持った半鋼製車両で、外板部にリベットが多数露出した昭和初期らしい車両でした。
旧名古屋鉄道は1930(昭和5)年に前述の美濃電を吸収合併した後に名岐鉄道へ社名変更し、1935(昭和10)年に愛知電気鉄道と対等合併して現在の名古屋鉄道(名鉄)が発足しています。
1941(昭和16)年に実施された形式称号改訂の際に、デセホ750形からモ750形へ形式称号が変更されました。
モ750形は登場時から名岐線、犬山線などの西部線の幹線系統で運用されましたが、1948(昭和23)年の西部線の主要路線の架線電圧が600→1500Vに昇圧されたのに伴って、犬山地区の支線区(小牧線、広見線)へ転属しました。
1964(昭和39)年に小牧線、1965(昭和40)年に広見線の昇圧工事が実施されたことにより、モ750形は新川工場火災において被災焼失したモ760を除いたモ751~9は瀬戸線に転属しました。
1965(昭和40)年~1966(昭和41)年にモ752,753、756、757の4両、1973(昭和48)年にモ751、754、755、758の4両、1978(昭和53)年にモ759が順次、揖斐線系統に転属しています。
1969(昭和44)年にはモ752、753、756は電装解除されてク2150形ク2151~3に改番されましたが、後にク2151は再電装されてモ752の旧番に改番され、ク2153(旧モ756)がク2151に改番されています。
1970(昭和45)年にはモ757、ク2152、1978(昭和53)年にク2151が引退しました。
1973(昭和48)年~79(昭和54)に残ったモ751、752、754、755、758、759の6両は、客用扉の自動扉化、前照灯の定電圧装置付シールドビーム化、前面ワイパーの自動化、車体塗装のスカーレット化などが実施されました。
1984(昭和59)年より、揖斐線系統のうち閑散区間であった揖斐線の末端区間(黒野~本揖斐駅間)、谷汲線全線の運行列車をワンマン化される対応としてモ752,755、758、759には列車無線の搭載、車外バックミラーの新設、車内料金箱、整理券発行機の新設などワンマン運転対応工事が実施されました。
1987(昭和62)年よりワンマン運転区間が揖斐線全線に拡大されたことから、モ751が追加でワンマン運転対応工事を施工されました。
1992(平成4)年にツーマン、片運転台仕様で存置されたモ754に両運転台化改造、ワンマン運転対応工事が実施されました。
1998(平成10)年にモ780形の登場に伴って、モ752、758、759の3両が引退しました。
2001(平成13)年の揖斐線黒野~本揖斐駅間、谷汲線全線の廃線に伴って最後まで残ったモ750形の3両も引退し、モ751は店舗として岐阜県内、モ754は瀬戸蔵ミュージアム、モ755は旧谷汲駅で保存されています。