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九州大学同窓生九条の会のブログ

九州大学で学んだ私たち日本と世界のOBはアジアと世界に平和を求める叫びと九条を広めます。
日本で唯一の同窓生九条の会

「憲法九条を世界遺産に」(2)

2006-09-16 22:36:26 | 感想・レビュー
当会事務局の大津留公彦さんの「大津留公彦のブログ」から転載します。

「憲法九条を世界遺産に」(2)
続きを書きます。
「憲法九条を世界遺産に」という発想がどこから出て来たかというという事は前回書きましたが、具体的には「太田光の私が総理大臣になったら・・秘書田中。」と言う番組のマニフェストとして出したようだ。
結局テレビ局の意向で「自衛隊の駐屯地を田んぼにする」というテーマに変えさせられたようだが、彼はこのことを本気で考えている。
珍品ぶりがどこから来るのかを探る事はとても重要で、その上ではじめてそんな珍品を簡単に捨てていいのかという議論が可能になるという。
この突然変異としてのユニークな憲法論は前回述べました。

合作からうまれた価値
私がひき付けられた太田の文章を引用します。
太田:「改憲すべきだという人が、自分の国の憲法は自分の国で作るべきだと、よく言います。でも僕は、日本人だけで作ったものでないからこそ価値があると思う。あのときやってきたアメリカのGHQと、あのときの日本の合作だからこそ価値があると。アメリカとしては、あの憲法は日本に与えて実験的な国をつくってみようという意図があったのかもしれない。だから、あそこまで無邪気な理想論が生まれたのでしょう。
アメリカの無邪気なセンス、僕は大好きなんです。僕はふだん反米的なことも言っているけれど、日本国憲法を見ると、改めてアメリカっていいなって思うんですね。
 といって、あの憲法をアメリカが持ち帰って、自国の憲法にしようとしても、アメリカ人が絶対守れるわけがない。価値があるのは、日本人が曲がりなりにも、いろんな拡大解釈をしながらも、この平和憲法を維持してきたことです。あの憲法を見ると、日本人もいいなと思えるし、アメリカ人もいいなと思える。すごくいいことじゃないですか。
 その奇跡の憲法を、自分の国の憲法は自分で作りましょうという程度の理由で、変えたくない。少なくとも僕は、この憲法を変えてしまう時代の一員でありたくない。」

太田の言葉はすごく自分に引き付けている。
(短歌の世界でも自分に引き付けて歌えということを私の短歌の先生である碓田のぼるはよく言う)
「この憲法を変えてしまう時代の一員でありたくない。」ということは改憲を体を張ってでも阻止するという不退転の決意に聞こえる。

この本の終わりの方に太田のこんな文章もある。
「・・若い人たちが、自殺サイトで死んでいくのも、この世に中に感動できるものが少ないからなんでしょう。それは、芸人として、僕らが負けているからなんだと思うんです。
 テレビを通じて、彼等を感動させられるものを、何ら表現できていない。極論すれば、僕の芸のなさが、人を死に追いやっているとも言える。だとしたら、自分の感受性を高めて芸を磨くしかないだろう、という結論に行き着くわけです。」

対談相手の中沢はここで仰天して「かつて、こんな芸人がいただろうか(笑い)」と語っている。

太田は世界の全てを自分に引き付けている。自分に引き受けている。
こんなまじめな人間は珍しい。
サイトで彼はウヨサイトの罵詈雑言の書き込みに非常に落ち込むというような事を書いていた。
彼には全ての人間が救済の対象なのだ。彼は阿修羅なのだ。彼は仏陀なのだ。
私のように罵詈雑言は無視や削除で取り合わないと言う態度ではない。

太田の芸人として面目躍如な9条論はここにある。
「僕らお笑いの人間は、面白いか、つまらないかを一つの価値基準にしています。漫才でどれだけ頑張ってみせても、人が笑わなければ何の価値もない。面白いのか、つまらないのか、そのお笑いの判断基準でいえば、憲法九条を持っている方が絶対面白いと思うんです。これは確信できます。無茶な憲法だといわれるけれど、無茶なところへ進んでいくほうが、面白いんです。そんな世界は成立しない、現実的じゃないといわれようと、あきらめずに無茶に挑戦していく方が、生きてて面白いじゃんって思う。憲法九条というのは、ある意味、人間の限界を超える挑戦でしょう。たぶん、人間の限界は、九条の下にあるのかもしれない。それでも挑戦していく意味はあるんじゃないか。・・」

「神が沈黙したときに、それでもしゃべり続けるのがコメディアン」という言葉もすごい。

「濃密な時間のあとで」というあとがきでの最後に中沢がこう言っていることを紹介してこの稿を終わります。

「憲法9条を「世界遺産」のひとつとして考えてみるときにはっきりと見えてくるこの国のユニークさだけは、明瞭にしめすことができたのではないかと思う。」

この本は9条の関係の本としては非常にユニークです。
彼は「そんなつまらないところに行きたくないと思っている」と言っているが最後にあえてもう一度言います。

太田光を9条連合の候補に推薦します。


追記
出てきた本や芸術関係の紹介です。
彼がどんなに幅広い知見を持っているかが分かります。

宮沢賢治の政治思想
「月夜のでんしんばしら」「シグナルとシグナレス」に見るレーニンの影響(中沢)
田中智学の政治思想
テリー・ギリアム 映画「フィッシャー・キング」「ローズ・イン・タイドランド」
ジョン・ダワー 「敗北を抱きしめて」(岩波書店)
魂の民主主義 (築地書館)
(平和憲法を作り出したアメリカ人の発想の中にある先住民の考え方)
ホメロスの詩
シオドーラ・クローバーの「イシ 北米最後の野生インデアン」
(行方昭夫訳・岩波現代文庫)(アメリカインデアンと学者の交流の記録)
映画「ラスト・サムライ」にみるインディアンを殺したアメリカ人の贖罪感
ドン・キホーテ
坂口安吾 「満開の桜の下」
山本常朝 「葉隠」
チャップリン 映画「ライムライト」
(薔薇は美しく咲こうなどとは思っていない。・・日本の松も・・・)
池波正太郎「鬼平犯科帳」
安楽庵策伝「醒酔笑」
三遊亭円生の落語
人間の仕草についての考察
ミラン・クンデラ 「不滅」(菅野昭正訳 集英社文庫)
「きけ わだつみのこえ」の作られ方
五木寛之 「青年は荒野をめざす」のナチスのエピソード
藤田嗣治の戦争画

以上

悲惨と愚劣(『汚名「九大生体解剖事件」の真相』を読んで)

2006-07-26 00:21:05 | 感想・レビュー
『汚名「九大生体解剖事件」の真相」(東野利夫著)(文春文庫)を読み終わった。
家の外で読んだのだが移動中はいつもラジオを聞くのだけれど今日は何も聞かなかった。
衝撃が大きく頭を整理したかったからだ。
こんなに身近にこの事件はあった。
東野先生ともお会いしたばかりで先生の戦争を憎む気持ちをお伺いした所なのでこの本を書いてこの事件の真実を歴史にとどめようとされたことがよく分かる。
先生は捕虜が「ここはどこかと聞くので「university」というとすごく安心したような顔で眠った。」と言われていた。
捕虜達にとっていかに「university」という言葉が安らぎを与える言葉であったことか・・・・
この本は恩師の汚名を晴らす為にそして「戦争の真の悲惨と愚劣」を表現するために書かれた本です。
産婦人科を経営しながら休みの度にB29の墜落場所を探して山の中までも行き(この間、先生と会ったという大分の山の中に住んでいる人とも出会った。)19歳の青年の神風体当たり作戦で墜落させられパラシュートで落ち、「実験手術」に遇うことなくただ一人生存しているパイロットにアメリカまでも会いに行っている。
この執念がすごいと思った。
遠藤周作の小説や上坂冬子の本で有名になっている「人肉試食」というのは実は米軍の自白強要による捏造であったことはこの本を読むと良く分かる。
事実その件では挙証できず全員無罪となっている。

本の中から少し紹介します。

「私が、この書で取り扱った首謀者といわれる人たち、パイオニアといわれる人、また軍の権力の操り人形としか思えない悲しいピエロの存在、その人たちが、あの切迫した時代背景の中で、演じたものーそれを深く、裏側から洞察した場合、果たして、彼らは、個人的に裁かれるべき真の悪人だったろうか。
私はだんだん事件の根源へのベールを剥がしていくうちに、そこに戦争の真の悲惨と愚劣が生々しく存在していることが、分かってきた。
この戦争の悲惨と愚劣は、どんなに表現しても、いまの若い世代には分かってもらえないかもしれない。」

ただ一人生存しているパイロット・ワトキンズさんとの対話
東野「私も当時学生だったが解剖実習室に入って二度、実験手術に立ち合い手伝った。
医師の立場に立って後から考えると、どうして良心が疼かなかった悔やんでいる。事件に関係した医師の中には心の奥底では今でも罪の意識に苛まれている人もいると聞いている。
ワトキンズ「この事件の関係者の中で、まだ胸を痛めている方がおられたら伝えてください。私は決してその方たちに悪い感情など持っていないということを。
死んでいった部下たちはかわいそうだったが、ナチスがやったような残虐な殺され方ではなく、麻酔をかけられてわからないようになって死んでいったのがせめてもの救いです。
東野「戦争も末期になると敵も味方も互いに異常なほど狂気に支配されることをこの事件から教えられました。
戦争ほど人間の悲惨と愚劣をみせるものはほかにないと思いました。」

最後に東野さんに託された慰霊碑を作った大分県竹田の人たちへのワトキンズさんのメッセージを紹介します。
新婦人新聞で紹介されたのはこのことだと思います。)

竹田のみなさまへ
“殉空の碑”の慰霊祭は祖国の安寧のために尊い生命を捧げた御霊を想起し、あの忌まわしい戦争の悲劇を考えさせる良い機会だと思います。
私はこれらの御霊に深い感銘と悲しみを覚えるのであります。
今まで国家と国家の間には幾多の戦争があり、そのたびに沢山の尊い生命が失われていきました。
私、マービン・S・ワトキンズは1945年5月5日、九州に飛来したB29の機長として、竹田市のみなさまに私の部下と日本の少年航空兵を追悼する合同の慰霊碑を建立して下さったことに深く感動し、そのご努力に感謝いたします。
日米両国の今日の平和と友好の陰には生命を捧げて礎となった犠牲者があることをわたくしたちは決して忘れてはなりません。
過去36年にわたって共に享受してきたこの友好を日米両国の者が、今後とも末永く維持するよう心からお祈りいたします。1981年5月5日
元B29機長
マービン・S・ワトキンズ

関連情報を二つ紹介します。
7.30(日)14時から 東野利夫講演会 於)福岡市早良区早良市民センター (藤崎駅直結)
8.6(日)14時から(KBC九州朝日放送他テレビ朝日系放送 ザ・スクープスペシャルにて東野利夫VS鳥越俊太郎対談)あり

大津留公彦のブログより
以上です