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高見順📖『敗戦日記』から

2021-09-28 07:55:56 | 日記

 

 

 

高見順📖『敗戦日記』より抜粋。

 

8月15日

 

 警報。

 情報を聞こうとすると、ラジオが、正午重大発表があるという。天皇陛下御自ら御放送をなさるという。

 かかることは初めてだ。かつてなかったことだ。

「何事だろう」

 明日、戦争終結について発表があると言ったが、天皇陛下がそのことで親しく国民にお言葉を賜わるのだろうか。

 それとも、——或はその逆か。敵機来襲が変だった。休戦ならもう来ないだろうに……。

「ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね」

 と妻が言った。私もその気持だった。

 ドタン場になってお言葉を賜わるくらいなら、どうしてもっと前にお言葉を下さらなかったのだろう。そうも思った。

 

 12時近くなった。ラジオの前に行った。中村さんが来た。大野家へ新田を呼びにやると向うで聞くという。

 佐藤正彰氏が来た。リアカーに本を積んできた。鎌倉文庫へ出す本である。点呼の話になって、

「海軍燃料廠から来た者はみんな殴られた。見ていて、実にいやだった」

 と佐藤君が言う。海軍と陸軍の感情的対立だ。

「誰が一体殴るのかね」

「点呼に来ている下士官だ」

 12時、時報。

 君ガ代奏楽。

 詔書の御朗読。

 やはり戦争終結であった。

 君ガ代奏楽。つづいて内閣告諭。経過の発表。

 

 ——遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。

 夏の太陽がカッカと燃えている。眼に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。

 蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。

「おい」新田が来た。

「よし。俺も出よう」

 仕度をした。駅は、いつもと少しも変らない。どこかのおかみさんが中学生に向って、

「お昼に何か大変な放送があるって話だったが、なんだったの」

 と尋ねる。中学生は困ったように顔を下に向けて小声で何か言った。

「え? え?」

 とおかみさんは大きな声で聞き返している。

 

 電車の中も平日と変らなかった。平日よりいくらかあいている。

 大船で席があいた。腰かけようとすると、前の男が汚いドタ靴をこっちの席の上にかけている。黙ってその上に尻を向けた。男は靴をひっこめて、私を睨んだ。新田を呼んで横に腰かけさせた。3人掛けにした。前は2人で頑張っている。ドタ靴の男は軍曹だった。

 軍曹は隣りの男と、しきりに話している。

「何かある、きっと何かある」と軍曹は拳を固める。

「休戦のような声をして、敵を水際までひきつけておいて、そうしてガンと叩くのかもしれない。きっとそうだ」

 私はひそかに、溜息をついた。このままで矛をおさめ、これでもう敗けるということは兵隊にとっては、気持のおさまらないことには違いない。このままで武装解除されるということは、たまらないことに違いない。その気持はわかるが、敵をだまして……という考え方はなんということだろう。さらにここで冷静を失って事を構えたら、日本はもうほんとうに滅亡する。植民地にされてしまう。そこのところがわからないのだろうか。

 

 敵をだまして……こういう考え方は、しかし、思えば日本の作戦に共通のことだった。この一人の下士官の無智陋劣という問題ではない。こういう無智な下士官にまで滲透しているひとつの考え方、そういうことが考えられる。すべてだまし合いだ。政府は国民をだまし、国民はまた政府をだます。軍は政府をだまし、政府はまた軍をだます、等々。

「司令官はこう言った。戦いに敗けたのでない。戦いが終ったのだ。いずれわしが命令を下すまで、しばらく待っておれ。こう言った。——何かある。きっと何かやるんだ」

 と軍曹は言った。一面頼もしいと思った。戦争終結で、やれやれと喜んでいるのではない。無智から来るものかもしれないが、この精神力は頼もしい。また一方、日本人のある層は、たしかに好戦的だとも感じた。

 

 アメリカが日本国民を好戦的だと言ったとき、決して好戦的ではない、強制されているのだ、そして好戦的に見えるのは勇気があるからだ、勇気と好戦的とを一緒にしては困ると、そう考えたものだが……。

 新橋の歩廊に憲兵が出ていた。改札口にも立っている。しかし民衆の雰囲気は極めて穏やかなものだった。平静である。昂奮しているものは一人も見かけない。

 

 新田は報道部へ行き私は文報へ行った。電車内の空気も常と変らない。文報の事務所ではみなが下の部屋に集まっていた。今日は常務理事会のある日なので理事長の高島米峰氏が来た。他の人は誰もこない。

 文報の存否について高島さんは存続論だった。情報局からは離れ、性格は一変するが、思想続一上やはり必要だろうという。——その席では黙っていたが、私と今君とは解散説だった。

 

 敵機は12時まで執拗に飛んでいたが、12時後はピタリと来なくなった。

 今君と事務所を出る。田村町で東京新聞を買った。今日は大型である。初めて見る今日の新聞である。

 

 戦争終結の聖断・大詔渙発さる

 

 新聞売場ではどこもえんえんたる行列だ。

 その行列自体は何か昂奮を示していたが、昂奮した言動を示す者は一人もいない。黙々としている。兵隊や将校も、黙々として新聞を買っている。——気のせいか、軍人はしょげて見え、やはり気の毒だった。あんなに反感をそそられた軍人なのに、今日はさすがにいたましく思えた。

 

 鎌倉へ出た。駅前に新入団らしい水兵の群がいる。よれよれの汚い軍服で、何んだか捕虜のようで、正視し難かった。駅前の街の人々がまたかたまって、その水兵の群を見ている。今日という日の新入隊なので、皆もそうして見ているのだろうが、今までと違った人々の表情だった。第一今まではそう物珍しそうに遠巻きにして眺めているということはなかった。そんなせいで、余計捕虜のように見えた。汚い、うらぶれたその姿が胸をついた。

「文庫」は休みだった。

 

 家へ帰って新聞を見た。今日の新聞は保存しておくことにした。

 嗚呼、8月15日。

 ビルマはどうなるのだろう。ビルマには是非独立が許されてほしい。私はビルマを愛する。ビルマ人を愛する。

 日本がどのような姿になろうと、東洋は解放されねばならぬ。人類のために、東洋は解放されねばならぬ。

 日陰の東洋! 哀れな東洋!

 東洋人もまた西洋人と同じく人類なのだ。人類でなくてはならないのだ。

 

(👩当時、エドワード・サイードの📖『オリエンタリズム』の刊行はまだだよね❔

👨📖『オリエンタリズム』の出版はもっともっと後の1978年だよ。サイードと高見順さんの感じる「オリエンタリズム」とは きっと、独立国家を運営もできずに、肉体的にも劣った存在であると西洋から思われている東洋のこと。)

 

 街の噂。

 鈴木首相が少壮将校に襲われたという。首相官邸と自宅と、両方襲われたが、幸い鈴木首相はどちらにもいなかった。そして自宅に火を放たれ、焼かれたという。少壮将校団が放送局を朝、襲って、放送をしようとしたが、敵機来襲で電波管制中だったため、不可能だった。

 

 

8月16日

 

 朝、警報。

 小田の小母さん来たり、その話では世田谷の方に日本の飛行機がビラを撒いた。それには、特攻隊は降伏せぬから国民よ安心せよと書いてあったという。——勃然と怒りを覚えた。

 

 北鎌倉駅を兵隊が警備している。物々しい空気だ。円覚寺、明月院の前、建長寺にも、これは海軍の兵隊が銃を持って立っている。「文庫」へ行くと、横須賀航空隊の司令官が少壮将校に監禁され、航空隊はあくまで戦うと頑張っているという。

 飛行機がビラを撒いた。東京の話も事実と思われる。

 黒い灰が空に舞っている。紙を焼いているにちがいない。——東京から帰って来た永井君(註=永井龍男)の話では、東京でも各所で盛んに紙を焼いていて、空が黒い灰だらけだという。鉄道でも書類を焼いている。戦闘隊組織に関する書類らしいという。

 

「文庫」で会った人。里見、川端、中山夫妻(今日の当番)、国木田虎雄、岡田、林房雄、小林秀雄(両名酔っている)今、永井等。

 

 家に帰ると新聞が来ていた。阿南陸相自刃。読売記事中に「支那事変勃発以来8年間に国務大臣として責任を感じて自刃した唯一の人である」と書いてある。背後に皮肉が感じられる。鈴木内閣総辞職。休戦協定の聯合軍代表にマッカーサーが指定されたらしいというストックホルム電。毎日、読売両紙とも、二重橋前に人々が額(ぬか)ずいている写真を掲げ、見出しは

 

「地に伏して粛然聖恩に咽(むせ)ぶ」(読売)

「“忠誠足らざる”を詫び奉る」(毎日)

 原子爆弾の恐るべき威力に関する記事。休戦発表前までは曖昧に言葉を濁していたが、あまりどうも露骨すぎる。社説は

「気力を新たにせよ」(読売)

「強靭な団結力と整然たる秩序、時艱突破の基盤」(毎日)

 

 電気が切れた。どこかで電熱器を使っていてヒューズが飛ぶらしい。電気が切れると電気のありがたさをおもう。めしも——今日は余分に飯をたいたので3度飯が食えた。配給分では3度食えないのである。一度は代用食で我慢せねばならぬ。もし1回に腹いっぱい食ったら1回でもうおしまいになる。今日は、ほかの日の分に、はみ出たのだが、とにかく3回飯が食え、やはり飯はうまいと思った。その飯というのは、豆と馬鈴薯が米より多く入っている飯なのである

が——。

 

 昨日、人々は平静だと書いたが、今日も平静だ。しかし、民衆の多くは、突然の敗戦にがっかりしている。百姓は、働く気がしなくなったといっている。戦争が終ってほっとしたところからそういうのかもしれないが、——こんなことで敗けるのはいやだ、戦争をつづければいいのにと、そういう人が多い。つづければ敗けるはずはないのに、そういうのである。

 

 特攻機温存、本土決戦不敗という政府の宣伝が一般民衆によくきいている。原子爆弾の威力についても、事実を隠蔽していたため、民衆は知らない。あんなもの——といっている。

 愚民化政策が成功したものだと思う。自国の政府が自国民に対して愚民化政策を採ったのである!

 しかしまた、ふたをあければ、案外、降伏受諾は早すぎた、早まったということになるかもしれない。(事実早まったのでなくても、早まったという声は当然おきるものだ)でも仕方がない。早まるような事態なのだ。かかる運命なのだと思わねばならぬ。

 

 私は日本の敗北を願ったものではない。日本の敗北を喜ぶものではない。日本に、なんといっても勝って欲しかった。そのため私なりに微力はつくした。いま払の胸は痛恨でいっぱいだ。日本及び日本人への愛情でいっぱいだ。

 

 自分に帰ろう。

 自分をまず立派にすること。

 立派な仕事をすること。

 

 

8月17日

 

 当番。店へ出勤。

 店での話では、横須賀鎮守府、藤沢航空隊等ではあくまで降伏反対で、不穏の気が漲(みなぎ)っているという。親が降参しても子は降参しない。そんなビラを撒いている由。ビラといえば東京の駅にも降伏反対のビラが貼ってあって、はがした者は銃殺すると書いてあるそうだ。

 

 夜、川端家へ行った。久米さんが集まってほしいというのだ。久米、川端、中山、高見の4人。文庫はそのまま続けることになった。

 

 川端さんへ電話がかかって来た。電話から座敷へ戻って、

「島木君が危篤だそうです」

 大急ぎでご飯を食べて、病院(鎌倉養生園)へ駆けつけた。ヒゲをぼうぼうと生やして寝台に横たわった島木君はすでに意識がなかった。眼は開いて、規則的に息をしている。哲人のような立派な顔だった。

 奥さんの話では、ずっとよくなっていたのだが夕方急に悪化し、子規もこんな経過で死んだのだから自分も駄目かもしれない、覚悟はしておいてくれ、そう言ったという。

 

 お母さんが杖にすがり、家の人にたすけられてやって来た。腰が曲りかけた小さなお母さんだった。島木君の顔の近くに顔をやって「わかるかい、わかるかい」と言った。私はそっと病室を出た。

 小林秀雄が来た。やがて川上喜久子さんも来た。私の知らない夫人が来た。川端夫人が「渋谷」と書いた提灯をさげて来た。

 病室をのぞくとお母さんがしきりと島木君の胸をさすっていた。「母親はいいものだ。ああして島木の苦しみを少しでもやわらげようと一生懸命だ」と中山義秀がしみじみと言った。

 残念でたまらなかった。ここで島木君を失うことは、——これから仕事のやり直しだといったという島木君を中途で倒れさせることはなんとしてもたまらないことだった。島木君が入院したと聞いた時、激しい衝撃に打たれたが、快方に向ったと聞いてどんなに喜んだことだったか。だのに——。

 

 遂に臨終が来た。病室の島本君の時計は9時42分を指していた。

 

 

8月18日

 

 17日の新聞から。

 東久邇宮稔彦王殿下、組閣の大命を拝せられる。6大都市着の旅客を制限、乗車券の発売一時停止、治安並に食糧事情の平静を維持するため。

 

 18日の新聞から。

 陸海軍人に勅語を賜わった。陸相宮訓示。東久邇宮内閣成立。大西軍令部次長自刃。

 情報局から発表された新内閣の閣僚及び内閣長官は左の通りである。

 

 内閣総理大臣兼陸軍大臣 陸軍大将大勲位功一級    東久邇宮稔彦王殿下

 外務大臣兼大東亜大臣  正三位勲一等        重光葵

 内務大臣        正四位勲二等        山崎巌

 大蔵大臣        従三位勲二等        津島寿一

 海軍大臣        海軍大将従二位勲一等功一級 米内光政(留任)

 司法大臣        勲三等           岩田宙造

 厚生大臣兼文部大臣   正五位勲三等        松村謙三

 農商大臣        従五位勲三等        千石興太郎

 軍需大臣        正三位勲二等        中島知久平

 運輸大臣        従三位勲三等        小日山直登(留任)

 国務大臣        従二位勲一等公爵      近衛文麿

 国務大臣兼内閣書記官長兼情報局総裁 従三位     緒方竹虎

 法制局長官兼総合計画局長官 従三位勲二等      村瀬直養(留任)

 

 島木家へ行く。亀ヶ谷切通しを行く。月がちょうど道の上にかかっていた。遅刻。朝比奈管長の読経はもう終っていた。

 

 ビールが出た。話は直ちに今日のことになった。問題は軍隊の一部が大詔に従わないで徹底抗戦を叫んでいる、その是非ということになった。抗戦組は、あの大詔は君側の奸ともいうべき重臣どもの策略であるからそれに従うに及ばないとする。この抗戦組の行動を軽挙妄動なりとする人々には、2種ある。ひとつは、大詔はあくまで大御心から出たものであるからそれに従わねばならぬとする。ひとつは、たとえ抗戦派のいう如く重臣の策略だとしても、この際、だからといって抗戦をつづけてどうするつもりか。抗戦の結果勝てるのならいい。どうせ勝てない、負けるときまっている以上、ここで妄動をしたらそれこそ最後の一線たる国体護持すら失ってしまうことになるではないか。否、植民地にされてしまう。

 

 そういうことが抗戦派にはわからないのであろうか。今日の悲境に日本を陥れたのは、そもそも、今日に至ってなお抗戦などを叫んでいる矯慢な軍閥だ。軍閥が日本をメチャメチャにしてしまったのだ。しかるにその軍閥はなお人民を苦しめ、日本をトコトンまで滅ぼしてしまおうというのか。どうせ自分は戦争犯罪者として処刑されるのだから、国民全部を道連れにしようというが如き自暴自棄的行為ではないか。

 

 これに対して、またこういう議論がある。従来の軍部に対する反感をもって抗戦派の態度を軽軽しく論じてはならない。反感は別にして貰わねばならぬ。そして言いたいのは、国体護持のためにはこの際大詔に従って、おとなしくしていなくてはならないというけれども、おとなしく敵を迎えて、その結果はどうなるか。将来必ず国体護持の如きはふっとんでしまうにちがいないのだ。憲法などなくなってしまう。

 ここで考えはふたつに別れる。矯激派は、よって一億玉砕の気持でぶつかろうという。ぶつかれば、何か光明が得られるかもしれない。得られなかったら、将来もどうせ得られないのだから、国とともに滅びよう。こういう考えだ。もうひとつは、やや穏健派で、抗戦という強(こわ)もてでもって条件を有利に導こうという気持、ただもうおとなしく恭順の意を表するばかりが能でもあるまい。それではかえって不利一方に陥る、そういう考えである。

 

 通夜の席上で、こういう議論がふっとうするというのも、歴史的な感が深かった。

 林房雄がその非礼を島木君の兄さんに詫びると、

「いいえ、あれも議論が好きな方でしたから……」

 と言った。島木君は、もし生きていてその席にいたら、どういう意見を吐くだろう。

 川端さんは終始黙っていた。私も黙っていた。

 

 新田と家路につく。建長寺、明月院、円覚寺の前に相変らず歩哨が立っている。ハ雲神社の下のところで「こら——」と歩哨に誰何された。「こんなおそく、どこへ行く!」

 ムッとした。

「家へ帰るんだ!」

 戒厳令でもしかれたのか。そう聞いて、しかれてないと言ったら、だったら人民が夜歩いてならぬということはないはずだと言ってやろうかと思ったが、つまらぬけんかをして銃剣に刺されても困るとおさえた。今までの恐るべき軍万能は、ほんとうの健全なデモクラシーが将来、日本に生かされるようになった暁は、現実にあったものとしては想像もされないようなものにちがいない。かかる圧制の下に私等は生きてきたのである。

 作家が恋愛を書くことを禁じられた。そういう時代があったのである。

 

 

8月19日

 

 新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。等しく布告的である。政府の御用をつとめている。

 敗戦について新聞は責任なしとしているのだろうか。度し難き厚顔無恥。

 なお「敗戦」の文字が今日はじめて新聞に現われた。今日までは「戦争終結」であった。

 

 中村光夫君の話では今朝、町内会長から呼び出しがあって、婦女子を大至急避難させるようにと言われたという。敵が上陸してきたら、危険だというわけである。

 中央電話交換局などでは、女は危いから故郷のある人はできるだけ早く帰るようにと上司がそう言っている由。

 自分を以て他を推すという奴だ。事実、上陸して来たら危い場合が起るかもしれない。絶対ないとはいえない。しかし、かかることはあり得ないと考える「文明人」的態度を日本人に望みたい。かかることが絶対あり得ると考える日本人の考えを、恥かしいと思う。自らの恥かしい心を暴露しているのだ。あり得ないと考えて万一あった場合は非はすべて向うにある。向うが恥かしいのである。

 

 一部では抗戦を叫び、一部ではひどくおびえている。ともに恥かしい。

 日本はどうなるのか。

 一時はどうなっても、立派になってほしい。立派になる要素は日本民族にあるのだから、立派になってほしい。欠点はいろいろあっても、駄目な民族では決してない。欠点はすべて民族の若さからきている。苦労のたりないところからきているのだ。私は日本人を信ずる。

 

 

8月20日

 

 悲しむということは、人々の思っているよりも実はもっとむずかしいことである。真に悲しむことのできる人は、人々の考えているよりも実は、かなり稀なのである。喜ぶということも同様。喜んだり悲しんだりすることは人間の誰でもできることのように考えられているが、果してそうだろうか。この2、3日、私はそういうことにこだわっている。敗戦、島木君の死等に関連して。

 

 恋愛がまたそうなのだ。これはすべての人間の持っている本能と考えられているが、真に恋愛し得るには、恋愛能力といったものがなくてはならない。人々のうちには案外その能力の欠けている乃至(ないし)は薄弱な者が多いのである。真にに恋愛するということは、人々の考えているよりも実はもっとむずかしいことなのである。

 一人の男が一人の女を生涯愛し通すということは、その男に稀有な偉大な能力が授けられていなければできない。一人の女が一人の男を愛し通すという場合も同様。

 

 淫奔だが善良な女というのは、恋愛におけるその精神力において、一種の精神薄弱性である場合が多い。そうしてこの恋愛における精神薄弱性は男女とも案外に多い。

 喜憂に関しても同様なことが言える。真に悲しむには、悲しみをおさえ得るのに必要なのと同じ一種の精神修養がなくてはならない。精神力の鍛錬がなくては真に悲しみ得ないのである。普通は、悲しみをおさえる場合にのみ精神鍛錬が必要な如くに考えられているが、ほんとうは真に悲しみ得るための精神鍛錬の方が悲しみをおさえ得るためのそれよりはるかにむずかしいかもしれないのだ。

 

 日本においては、その真に悲しみ得るための精神鍛錬が従来、否伝統的に(古代は別として)閑却されていた。この日頃の民衆の平静をみて、そう感じさせられる。

 浅薄な心は真に悲しむこともまた喜ぶこともできない。浅薄とは正にかかる心のことをいうのである。

 最近の日本には浅薄が横行していた。

 違った現われの浅薄がやがてまた横行し出すだろう。

 前者は、西洋になくて日本にあるものを盲目的に讃美礼讃した。後者は、西洋にあって日本にないものを盲目的に讃美礼讃するだろう。

 科学振興を新聞は云々している。これがすなわち浅薄というものだ。

 日本は何も科学によって敗れたのではない。

 

 北鎌倉駅に「国民諸子ニ告グ、軍ナクシテ何ノ国体護持ゾ、……海軍航空隊司令」「……断ジテ降伏セズ、一億総蹶起ノ時ハ今ナリ、海軍」と筆で書いたビラが2枚出ていた。

 8時、9時、10時、11時、12時の5回にわたって総理大臣宮殿下が重要な放送をなさるというラジオの予告があったという。何事かと緊張した。

 短い御言葉だった。決意のみなぎった力強い御言葉たった。国民に与えるものというより、抗戦をとなえている軍隊に与えた御言葉と解された。国体護持のため、断乎邁進する、具体的な手段によってそれを行うという意味のものだった。

 

8月21日

 

 新聞に昨夜の御放送が掲げてない。

 原子爆弾の惨状の写真が毎日大きく出してある。

 

 今日は当番なので店へ。店はぐっと客足が落ちた。戦後の恐るべき不景気はすでにはじまった。

 客は学生が多くなった。勤労動員が解除になったからであろう。「10月まで休講だ」と慶応の学生が友人に言っていた。今まで多かった若い女性の客が少くなった。きれいな娘さんがいろいろ来ていたのだが、すっかり顔を見せない。「避難」したのだろうか。県では内政部長が公に婦女子の避難を通達したという。バカバカしい話だ。海軍省でも女子理事生に帰郷をすすめたという。

 

 山村君がサケ缶詰を多量に入手したからわけてくれると言ったが、値段を聞くと、1個23円。公定価は88銭のものである。配給品の横流しだ。煙草の「ひかり」が1個18円。定価は60銭だから30倍の闇値だ。

 

 

 

 

 

戦争と知識人(加藤周一 著📖『日本人とは何か』(講談社 学術文庫) より)

2   『敗戦日記』をめぐって

『敗戦日記』(文藝春秋刊、1959)は、作家 高見順の昭和20年の日記である。15年戦争最後の数ヵ月、敗色濃く、爆撃相次ぎ、食糧難があって、人心のようやく動揺しはじめた時期から、敗戦直後へつづく。

このように長い戦争の敗北前後に、堕落腐敗しない国家はおそらくどこにもあるまい。

この時期をとって、日本の戦争の全体を批判することはできない。

しかしこの時期にさえ世相の転換をみつめ、それを生々と日記に描きだすことのできた作家の能力と、その反応のしかたは注目に値するだろう。

『敗戦日記』の圧倒的な印象は、何よりもまずこの異常な時期によく活写された風俗世相の奇怪さであり、また ことに、爆撃で焼きはらわれるまえに作者が度々訪れた銀座や浅草の街へ寄せるその変わらぬ執着である。高見はその頃すでに鎌倉に住んでいた。爆撃のために交通は円滑を欠き、鎌倉と東京の間を一部分は歩かねばならないことさえあった。

その状況のなかでただ浅草の焼跡(やけあと)の様子をうかがうために、鎌倉からわざわざ東京に出向くのは、もはや執着以上の情熱とよぶ他(ほか)なく、少なくとも今刊行された日記によむかぎりでは、ほとんどその他のあらゆる情熱にうち勝っているようにさえみえる。(中略)

浅草への情熱は、小説への情熱である。小説とは、この作者にとって、『いかなる星のもとに』の風物が、一個の人間の運命のなかで、抜き差しならぬ意味を獲得する瞬間のためにあった。

高見の小説は詩であり、高見の詩は小さな経験と、小さな物への深い愛情である。かけ換(が)えのない女性に出会うように、この作者は浅草の風流お好み焼き、雑踏や、銀座の酒場の地下室の甘ずっぱい匂(におい)に出会った。ということはしかし『敗戦日記』の浅草や銀座の描写に、🌕そういうものすべてを奪ってゆく力に対する抗議があるということではない。(高見順が)「ヒットラーを好きになれない」というのは抗議ではなかろう。

何が彼を抗議にまで踏み切らせなかったのか。

 

(中略)ファッシズム権力を、はっきりとした言葉で批判することのできた文学者は少ない。「ナチを神経的に嫌いだ」というだけでは、ナチの批判としては不十分である。--ということを、文学者はむろん自覚していたろう。だから、被害者を嘆くことはできても、加害者に抗議することはできなかったのである。

もう少し直接に感覚的な面で文学者を、一般化していえば都会の中産階級の知識的な層を、反撥(発)させる条件もファッシズム体制そのもののなかにあった。

軍隊ではすでに軍曹が「大学出」を無意味に殴ることで、劣等感を発散させていたし、「翼壮(よくそう)」の組織、警防団、隣組(となりぐみ)などは、多くの場合に、ファッシズムの積極的な支持者である自作農上層や中小商店主や土建業者などの(、)知識階層に対する劣等感の発散を、軍隊の外の社会へ拡大するはたらきをしていたのである。

『敗戦日記』にも知識層の側からの反撥があらわれている。

しかし劣等感の解放は、中産階級の知識層に対するものも、知識層の「英米」に対するものも、愛国の大義名分のもとに行われたのであり、大義名分そのものを問題としないかぎり、感覚的な反撥だけでは事柄の全体に対する態度決定にまで至らないのは当然だろう。

(中略)

🌕絶対的な価値でなければ、歴史やいくさに押し流されない力 の出てくるはずがないだろう。(中略)

いかなる価値が、この作家の精神において、絶対的な意味をもったのか、ということである。もし絶対的な価値がなかったとすれば、いくさにかぎらず、ファッシズムにかぎらず、何事に対しても、絶対に反対する理由のなかったのが当然である。

(中略)

「自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは、--かえりみて羞恥の感なきを得ない。日本を愛する者として、日本のために恥(ずか)しい」(『敗戦日記』9月30日)。

本土決戦を国民に平然として要求する「軍」と国民、自国民に対して愚民化政策をとった「政府」と国民、国民に当然与えるべき自由を与えなかった「政府」と国民--🌕「軍」と政府はあきらかに結託しているから、つまり軍国主義政府(または日本ファッシズムの国家権力)と国民--は、ここで、区別されているようにみえる。

この区別に従えば、天皇は当然権力の側にあって国民の側にはないだろう。それは、天皇個人が軍国主義者に利用されていたか、いなかったか、とは別問題である。

ところが「天皇陛下が、朕(ちん・自分)とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね」(『敗戦日記』8月15日)という「気持(ち)」では、権力の側と国民の側との区別があいまいである。「天皇陛下」が軍国主義者に利用されていたとしよう。その場合に「朕とともに死んでくれ」は、実質的に軍国主義者の側からの本土決戦・一億玉砕と同じことである。

「天皇陛下」が軍国主義者の単なる道具ではなかったとしよう。その場合に、「軍」の本土決戦には反撥を感じるが、「朕とともに死んでくれ」には反撥を感じないとすれば、「軍」を批判する基準は「天皇陛下」には通用しないということになる。

ところが「軍」に対する批判の基準はこの場合に「国民」の立場であり、当然の人間的感情そのものであった。「天皇陛下」に対してそれが批判の基準として通用しないということは、「天皇陛下」の存在が「国民」の立場及び人間的感情にもとづく道理を超越するということである。

逆に道理の側からいえば、人間的感情にもとづく道理も、つまるところ相対的なものにすぎず、判断の最後の基準ではありえなかったということになるだろう。

(中略)

集団の内側では、集団の原則と個人の原則とが対立するときに、個人の原則が貫かれることは、少なくとも根本問題については、少ないのである。(中略)

大熊信行(おおくまのぶゆき)(1832~)は、「戦争責任」の問題を論じた諸論文のなかで、知識人の戦争に対する態度と、論理が、つまるところ「国家に対する忠誠」という一点に帰着すると考えた。

大熊によれば、権力機構としての国家と、民族とか祖国とかいう概念を、わけて扱うことはできない。戦争は国家が行う。個人がこれに反撥する。

🌕問題は要するに「われわれ(国民)を国家よりも高く引きあげるか、

▼国家をわれわれ(国民)よりも低く引きおろすか」に帰着するというのである。

(👨大熊信行さんの時代は昔だけれど、

今は21世紀。

👧国家は国民のためにある。

👩国民の代弁者が国家である。国家が国民より強くてよいわけがない。

👨でも高いところからよく観察していないと、国家は勝手なことをし始めるよ。

 

つづき)

🌕「個人にとって悪徳であることは、国家にとっても悪徳である という論理が切断され、▼国家の悪に仕えることが個人の美徳だという関係が定位されている。そこに悪の源がある」。(大熊信行 著📖『個における国家問題』より。)

 

 

(👩……と、著書📖『日本人とは何か』で加藤周一さんが、高見順さんの📖『敗戦日記』について書き留めておられる。

 

👧日本も昔は軍国主義だった。

👨今は、中●が心配だ。

👩基本的人権にたどり着くまでの道は、国ごとに違うのか❔

「基本的人権への道のり」を「良い進化」と言い換えれば、国ごとに進化の道のりは違うのか❔

👴戦争をすることは、つまり人間の考え方が退化する、昔に戻ることだと思う。

 

 

👨いつもお読みいただき、ありがとうございます。

👩「☝️これだ❗」と思ったときに家族で情報を共有したい❗

👨ブログで発信したい❗

👩「ああ、あのときに書いておけばよかった❗」と後で思いたくない。

👨そんなこと言って、いっぱい伝え損ねているけれどね。

 

👩ある人が言っている。

「日本人にどんなに辛い戦争映画を見せても、日本人は「戦争反対‼️」にはならない。

日本人は「こんなに辛い思いは絶対に嫌だ。だから「戦争はしないぞ‼️」にはならない。日本人というのは、「こんな辛い思いをしないためにも「軍事力が必要だ‼️」とか、「すぐそこにある脅威に対して(日本も軍事力を持ち)『普通の国』になろうよ❗」と言い出す国だ。それが日本であり、日本人である。」と。

👨日本だけでなく世界中がこんな考えだから、どんどん戦争をしてほしい戦争商人たちの思うつぼだ。

👩「自分たちの幸せ(豊かさ)も他人の犠牲ありきで無自覚。」

👧「ウイグル人の犠牲にも無自覚。」

👨だからやはりどう言い訳しても戦争はダメだ。

「自分たちだけ助かりたい」ということだから。

👧そうして、みんな1つの大切な地球の上で暮らしていることを忘れないで❤️

みんなで核のボタンを押したら結局、全滅でしょう❗