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2021-09-05 23:55:31 | 日記

 

 

アフガンから亡命した報道写真家、タリバンのメディア封殺を警告

時事通信ニュース




【アムステルダムAFP=時事】イスラム主義組織タリバンはアフガニスタンのメディアを封殺する。ジャーナリストを自由に活動させると欧米諸国に約束したが、これは偽りだ──。こう断言するのは、タリバンから脅迫を受け、首都カブールを脱出したアフガニスタン人の報道写真家だ。≪写真は資料写真≫
AFPカメラマンとして2012年に米ピュリツァー賞を受賞したマスード・ホサイニ氏(39)は、アフガニスタンで権力を掌握したタリバンは、すでに女性ジャーナリストに制限を加えていると指摘する。
現在フリーランスの同氏は、タリバンが政権を奪回した日にカブール発の最後の民間航空便で国外退去。アフガニスタンのメディアの未来に警告を発した。
「非常にまずい。タリバンはメディアを封殺しようとしている。じわじわとだ」。ホサイニ氏は8月27日、オランダ・アムステルダムで開催中の世界報道写真展の特別展でAFPの取材に応じた。
「タリバンは、まず人を捕虜にしてから殺害する。これが今、メディア全般に起きている」
カブール陥落後、タリバン幹部は、女性を含め、メディアは自由に活動を続けることができ、妨害を受けることはないと主張した。正式な記者会見まで開き、報道官が質問に答えている。

■「第2の北朝鮮になる」
しかしホサイニ氏は、タリバンの約束は、まやかしだと言う。同氏は2011年末、カブールで起きた自爆攻撃の直後、死体の中で泣き叫ぶ少女の写真を撮り、翌年の世界報道写真展の「スポットニュース部門」で2位に選ばれた。
「タリバンはメディアを完全に封殺し、インターネットも完全に遮断するはずだ。おそらく、この地域における第2の北朝鮮になるだろう」
「今、彼らは国際社会を欺いている。欧米人を欺いているのだ」とホサイニ氏は続け、タリバンの記者会見を「小細工」と呼んだ。

■カブールを離れる機内では外国人も泣いていた
長い間、武装勢力から狙われてきたホサイニ氏がアフガニスタンを去ったのは、最近の報道内容がタリバンの怒りを買ったからだという。ホサイニ氏は外国人ジャーナリストと共に、タリバンが女性や少女を組織の戦闘員らと強制結婚させているという記事を書いた。
ソーシャルメディア上で脅迫され、2人はカブールを脱出するための航空券を予約した。ホサイニ氏が出発したのは、タリバンのカブール制圧が確実となった8月15日の朝だ。
「カブール陥落前の最後の民間便が離陸したとき、私たちは泣いた」と話すホサイニ氏。「多くの仲間、外国人まで泣いていた。私と同じく、皆、二度とカブールには帰れないと思ったからだ」
カブールはその後、悲惨な状況に陥り、8月26日の空港付近での自爆攻撃で、ホサイニ氏がピュリツァー賞を受賞した写真より「さらにひどい」光景が繰り広げられた。
「(26日の)あの写真は、すさまじいものだった。小さな運河であんなに大勢の人が殺され、その血が運河にたまるなんて、思いもしなかった」

■女性記者による取材は「もう不可能」
亡命中のホサニイ氏の元には、アフガニスタンのメディアが置かれた状況を口々に嘆くジャーナリストらの声が届いている。
アフガニスタンのテレビキャスターの「顔」と言える存在は、最近まで女性だった。著名な女性ジャーナリストの一人は、「タリバンは、自分のオフィスから外出することすら許してくれない」と語ったという。
「女性が外を歩けないのは確かだ。女性ジャーナリストはマイクを持って取材に行くが、それはもう不可能になっている」とホサイニ氏は続ける。
2001年9月11日の米同時多発攻撃をきっかけに、当時のタリバン政権が崩壊してから20年。この間、アフガニスタンではメディアの活発な活動が見られたが、今回の最大の損失は、そうした活動のほとんどが消散したことだと言ってもいいかもしれない。
「つまり、私たちはすでに殺されたも同然だ」とホサイニ氏は語る。自身は、20歳になるまでのほとんどを隣国イランで難民として暮らし、米同時多発攻撃の後にアフガニスタンに帰国した。
「アフガニスタンにすごく帰りたい。そこに自分の家があり、思い出もある。写真を通じて、アフガニスタンがますます好きになり、アフガニスタンのおかげで写真を撮ることも好きになった。私は最善を尽くした」【翻訳編集AFPBBNews】
2021-08-17 14:47World eye

【解説】タリバン指導部にはどんな人物がいるのか?

【カブールAFP=時事】アフガニスタンの旧支配勢力で、復権を果たすべく政府側の拠点を次々と制圧したタリバン。その内情と指導部に関する情報の多くは、1996~2001年の政権掌握期間中も常に包み隠されてきた。≪写真はアフガニスタンの武装勢力タリバンの最高指導者ハイバトゥラ・アクンザダ師≫
 イスラム強硬派タリバンのほとんど知られていない指導部についてまとめた。

■タリバン最高指導者ハイバトゥラ・アクンザダ師
 2016年にアクタル・マンスール師が米軍のドローン(無人機)攻撃で殺害された後、タリバンの新指導者に指名されたのが、ハイバトゥラ・アクンザダ師だ。
 最高指導者となる前のアクンザダ師は、知名度のあまり高くない聖職者だった。同師が選出されたのは武装勢力の司令官というよりも、精神的指導者としての役割が大きかったとみられている。
 最高指導者に任命された直後のアクンザダ師に対し、国際テロ組織アルカイダの最高指導者アイマン・ザワヒリ容疑者は忠誠を誓った。これによって、アクンザダ師はジハード(聖戦)戦士として、タリバンと長年同盟関係にあるアルカイダの信任を取り付けることができた。
 タリバンは当時、前任の最高指導者マンスール師が暗殺され、また創設者オマル師の死を指導部が何年も隠していたことが露見し、激しい権力闘争で短期間だが分裂状態にあった。アクンザダ師に託されたのは、その過激派組織を結束させるという大きな仕事だった。
 これまで、アクンザダ師が公に姿を見せるのは、イスラム教祝祭日の恒例メッセージでのみと大きく限られている。

■共同創設者バラダル師
 共同創設者のアブドゥル・ガニ・バラダル師はタリバン運動の発祥の地、カンダハルで育った。
 多くのアフガニスタン人と同様、バラダル師の人生も1970年代後半の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻によって大きく変わり、反乱軍に加わった。バラダル師は隻眼(せきがん)のオマル師と肩を並べて闘っていたとされる。
 旧ソ連撤退後に発生した内戦による混乱と腐敗の中、1990年代初めに2人はタリバン運動を発足した。
  2001年のタリバン政権崩壊後は、暫定政権のハミド・カルザイ大統領に対し、新政権を認める可能性について触れた書簡を持ち込んだ反乱勢力の小集団にバラダル師も加わっていたとされている。
 2010年にパキスタンで拘束されたバラダル師は、米国の働きかけで2018年に解放され、カタールへ出国した。そこでタリバンの政治部門トップに任命されると、アフガニスタン駐留米軍の撤退につながる和平合意に調印した。

■ハッカニ・ネットワークのシラジュディン・ハッカニ師
 旧ソ連に対抗したジハードの司令官として有名なジャラルディン・ハッカニ師の息子が、シラジュディン・ハッカニ師だ。
 シラジュディン・ハッカニ師はタリバンのナンバー2であると同時に、強力なハッカニ・ネットワークのリーダーでもある。
 米国がテロ組織に指定しているハッカニ・ネットワークは過去20年間、アフガニスタンで政府軍や米軍主導の北大西洋条約機構(NATO)軍と戦ってきた最も危険なタリバンの一派と見なされてきた。

■創始者オマル師の息子、ヤクーブ師
 創始者オマル師の息子ヤクーブ師は、タリバンの強力な軍事委員会を率いている。軍事委員会は、戦闘の現場で戦略的作戦を実行する指揮官らの巨大なネットワークを統括している。
 ただし、タリバンにおけるヤクーブ師の正確な役割については依然、臆測が飛び交っており、2020年の軍事委員会トップへの任命は単に表面的な措置だとする見方もある。【翻訳編集AFPBBNews