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モンゴルも弾圧

2021-09-13 21:57:06 | 日記

 

 

東洋経済ONLINEより。

 

池上彰が解説「なぜ中●はウイグル弾圧?」の核心。

そもそも同じ国でも文化や言葉が全然違う。

2021年08月05日

池上 彰 : ジャーナリスト

 

 

新疆ウイグル自治区中心都市ウルムチ。中●政府がなぜウイグル民族を弾圧しているのかを解説します。2018年撮影(写真:Bloomberg)

中●の新疆ウイグル自治区において、中●政府が少数民族であるウイグル族への弾圧を行っています。なぜそうした行動に出ているのでしょうか。『知らないと恥をかく世界の大問題12 世界のリーダー、決断の行方』を上梓したジャーナリストの池上彰氏が解説します。

 

ウイグル民族のほとんどはイスラム教徒

バイデン新政権に移行しても「米中新冷戦」は続いています。いや、激化していると言っていいでしょう。バイデン政権は人権問題などで中●に厳しく対応する方針を示しているからです。

 

中●は建前としては多民族国家であり、漢民族を含め56の民族からなります。9割以上が漢民族なのですが、漢民族以外で人口の多い民族には自治を認めることになっていて、ウイグル民族の自治も認めています。

 

そのほか、チベット自治区、内モンゴル自治区など5つの自治区があります。自治区のトップはその民族なのですが、トップを支えているのは漢民族です。実際、トップは“お飾り”で実質的な力はありません。つまり、自治区も漢民族の中●共産党が支配しているのです。

 

いま、国際社会で最も問題視されているのが新疆ウイグル自治区でのウイグル民族への弾圧でしょう。「新疆」とは「新しい土地」という意味。18世紀に清朝の支配下に入ったので、「新しい土地」と名付けられました。ウイグル民族はトルコ系の少数民族です。もともと「チュルク」と呼ばれる中央アジアの遊牧民族が祖先です。チュルクは突厥(とっけつ)とも呼ばれ、中央ユーラシアをほぼ支配下に置いていました。

 

突厥が商業活動をするために西、つまりトルコのほうへ移動していきます。その結果、現在のトルコに住むようになったのです。もともと1つの民族だったのですが、現在ウイグル民族はカザフスタンやキルギスにも住んでいます。中●で大多数を占める漢民族とは見た目も文化も言葉もまったく違います。そのほとんどがイスラム教徒です。

 

かつて新疆ウイグル自治区では、「武力を使ってでも独立したい」というイスラム過激派がテロを引き起こしたことがあります。中●共産党による一党独裁体制の中●にしてみれば、イスラム教徒は神(アッラー)の言うことを聞きます。中●共産党より大事な存在があるのです。それは中●共産党にとって、共産党への忠誠心がないということになります。よって迫害の対象となるのです。

 

 

習●平国家主席が弾圧を強めたのは、2014年4月30日に新疆ウイグル自治区で起きた「爆破テロ事件」がきっかけと言われています。習●平が国家主席となり、初めて新疆ウイグル自治区を視察した際に、ウルムチ南駅が爆破されたのです。漢民族と衝突して多くの死傷者が出ました。

 

それ以来、中●当局はテロ対策として締め付けを強化。その過程で、イスラム教徒を敵視するかたちで次々と強制収容所へ入れていきました。アメリカ国務省の推計では新疆ウイグル自治区で100万人を超えるイスラム教徒が強制収容所に送られているといいます。

 

確かに独立を願っている人もいるでしょうが、すべてのウイグル人がそう思っているかどうかはわかりません。取材ができないので全体像が見えてこないのです。

 

しかし、海外へ亡命したウイグル人の証言などで国外に漏れ伝わってくる話では、いたるところに監視カメラが設置され、例えばモスクに行ってお祈りをすると睨まれて収容所へ入れられたりするというのです。収容所へ入れられると、鎖につながれ大声で革命歌を歌わされるなど、ウイグル民族を華人化する再教育が行われているようです。中●政府は「イスラム系少数民族に対して教育や職業訓練を行っている」と主張していますが、要は共産党の指示に従うように思想を叩き込もうというわけです。

 

 

漢民族に対して新疆ウイグル自治区への移住を促した中●共産党は、漢民族に対して新疆ウイグル自治区への移住を促しました。自治区内に住むウイグル民族は1949年には76%だったのですが、2015年には47%まで比率が下がっています。意図的にウイグル民族の割合を減らしているのです。「遅れた地域を発展させるために漢民族が移り住む」と説明していますが、明らかに自治区を漢民族が支配しようとしていて、高い給料を払って移住させているのです。

 

習●平国家主席は、現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」を進めています。その要の土地が新疆ウイグル自治区です。中●共産党に従わない人たちが存在することは邪魔なのです。

 

アメリカのマイク・ポンペオ前国務長官は、ウイグル民族弾圧は国際法上の犯罪となる「ジェノサイド(民族大量虐殺)」であると認定しました。バイデン政権のアントニー・ブリンケン国務長官もこれに同意しており、欧米の人権団体などからは、2022年の北京冬季オリンピックのボイコットを呼びかける声もあがっています。

 

中●の辺境地帯には、文化や言葉が違う人が大勢住んでいます。独立運動をされたら中●がバラバラになって国家の統合が脅かされる。そうした危機意識から、なんとか抑え込もうとしているのがいまの中●共産党です。

 

とくに新疆ウイグル自治区の独立意識が高いのは、かつてこの地が独立の経験を持つからです。短期間ではありますが、1933~1934年には、第1次東トルキスタン共和国が樹立されています。西の地区だけで独立しましたが、旧ソ連によって潰されてしまいます。ソ連の中にもトルコ系のイスラム教徒がいたため、その人たちの独立運動につながりかねないと考え、弾圧したのです。

 

10年後、今度は北部に第2次東トルキスタン共和国ができます。これは中●によって潰されました。いずれも短期間ではありましたが、2度にわたり独立政権を実現したのです。

 

 

 

さらに、中●の南西部にチベット自治区があります。中●共産党はチベット民族に対してはウイグル民族ほどの弾圧はしていないと思われがちですが、チベットでも実に厳しい取り締まりが行われています。

 

それなのになぜ日本に伝わってこないかというと、ウイグル民族に関しては海外に亡命したウイグル人や、ウイグル民族の人権を守ろうという組織があって、頻繁にアピールしているからです。

 

チベット自治区に関しても、チベット仏教の最高指導者「ダライ・ラマ」の写真を持っているだけで捕まります。こっそり隠して、中●の治安当局がいないところでお祈りしているという現実があるのです。

 

チベット仏教というのは非常に平和的で、テロをしません。その代わり、抗議は焼身自殺です。自ら死んで抗議をする。これが仏教徒による抗議です。こうした情報はなかなか外に出てきませんが、ダライ・ラマが亡命してチベット亡命政府を樹立しているインドのダラムサラへ行くと、チベットでの焼身自殺の情報はそれなりに入ってきます。

 

例えばベトナム戦争当時、アメリカ軍の支援を受けていた南ベトナム政府は腐敗しきっていました。政府に抗議するため、南ベトナムの僧侶が路上でガソリンをかぶって焼身自殺をするという事件が起きました。その映像は世界に衝撃を与えました。

 

これは、南ベトナムに海外の報道機関が入っていたからこそ、その映像が広まったのです。チベット自治区には外国のマスコミがいっさい入ることができません。よって、情報が世界に広がっていかない。しかし、中●政府からの厳しい抑圧が続いているのです。ここでもチベット民族の華人化が進められています。

 

 

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ

 

チベットといえば、「ダライ・ラマ」をイメージする人が多いのではないでしょうか。ダライ・ラマは、チベット仏教の最高指導者です。「大海のような知恵のある人」という意味で、この称号はモンゴルから与えられました。現在のダライ・ラマは14世で、2021年7月で86歳になります。

 

1949年に中●共産党が中●人民共和国を建国すると、「チベットの人民を解放する」と言って人民解放軍がチベットを占領します。幼かったダライ・ラマは北京に連れていかれ、洗脳教育を受けますが、途中で「このままではチベット仏教が消滅させられる」と危機感を抱いてチベットに戻ります。しかし、中●共産党による締め付けが強化され、ダライ・ラマはインドに亡命しました。

 

現在、ダラムサラというインド北西部の街に住んでいます。私も5回お会いしたことがあります。1度はダラムサラまで行って会うことができました。ここはインドの山岳地帯で、チベットと環境や気温が似ています。

 

ダライ・ラマは観音菩薩の化身と考えられています。菩薩とは、いよいよ悟りを開いて次にはブッダになる一歩手前の存在。菩薩になれば輪廻転生(一度死んでも魂は何度でも生まれ変わる)の輪から抜け出して涅槃に入れるので、もう生まれ変わらなくてもいいのです。しかし世の中には困っている人がたくさんいる。その人たちを救済するために、あえてこの世に人間のかたちをして戻ってきたのがダライ・ラマという位置づけです。

 

 

 

チベット仏教は独特です。そもそも仏教とは、インドで、ゴータマ・シッダールタという釈迦族の王子が悟りをひらいてブッダ(真理に目覚めた人)になった。そのブッダの教えが仏教です。

 

ブッダが亡くなった後、ブッダの教えをどう解釈するかで仏教は2つに分かれます。厳格な教えを守ろうとする長老グループが上座に座ったので、上座部仏教と呼ばれます。それ以外の一般大衆は下座に座りました。「われわれ一般大衆は、自分だけが修行をして自分だけが救われるのではなく、みんなが救われるんだ。言ってみれば、“大きな乗り物”なのだ」ということで大乗仏教と自称します。

 

上座部仏教のことを、「自分たちだけが救われればいいと考えている、言ってみれば“小さな乗り物”なのだ」と「小乗仏教」と呼びました。かつては日本でも「大乗仏教と小乗仏教」という呼ばれ方をしたこともありますが、「小乗仏教」とは大乗仏教からの見方で客観的ではないとして、現在は上座部仏教と呼ばれているのです。

 

上座部仏教はタイ、ミャンマー、スリランカ、カンボジアなど東南アジアや南アジアへ広がっていき、大乗仏教は中●や朝鮮、日本で発展していきます。チベット仏教というのは大乗仏教に分類されるのですが、インドからチベットへ渡って独自の発展を遂げました。

 

まず現在、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世は13世の子どもではありません。チベット仏教では、僧侶は結婚が許されていないので血のつながりではなく、14世は13世の生まれ変わりと考えます。先代が亡くなった直後に、どこかに生まれ変わるとされているのです。

 

 

14世はどのように認定されたのか

ダライ・ラマ14世はどのように認定されたのか。チベット・ラサのポタラ宮殿で亡くなった13世の遺体を安置していたところ、顔が東の方向へ傾きました。そこで13世の生まれ変わりは東で生まれたと推測されました。

 

チベットにはダライ・ラマの後継者を選定する際にお告げを確認にいく湖があり、14世を見つける捜索隊が組織されてその湖の湖面を観察します。すると湖面に青い屋根の建物が浮かんだそうです。そこで捜索隊が東を目指して進み、ダライ・ラマ13世が亡くなった直後に男の子が生まれた青い屋根の家を発見しました。

 

そこで、その男の子が13世の生まれ変わりかどうかの試験を実施しました。13世が生前に愛用していた杖と、あまり使っていない杖を渡すと、13世が使っていた杖を手に取りました。その後も、13世の仏具とそれ以外の仏具を示すと、ことごとく13世が使用した仏具を手に取ったとされます。そこで、この子が生まれ変わりに間違いないというわけです。見つけ出された子どもは、チベット仏教の高等教育を受けました。

 

このとき生まれ変わりを認定するのは、「パンチェン・ラマ」です。パンチェン・ラマとは、ダライ・ラマに次ぐナンバー2で、阿弥陀仏の化身とされています。パンチェン・ラマも輪廻転生していくので、亡くなったらパンチェン・ラマの生まれ変わりを認定するのは、ダライ・ラマという仕組みです。相互認定システムですね。

 

 

 

1989年、中●共産党の監視下のチベットで活動していたパンチェン・ラマ10世が亡くなりました。中●共産党の批判をした直後に急死したというのです。死亡原因は心臓マヒだと言われていますが、はっきりしたことはわかっていません。その後1995年、ダラムサラにいたダライ・ラマ14世はチベット仏教の輪廻転生のしきたりに従って、6歳の少年をパンチェン・ラマ11世と認定しました。

 

ところがその数日後、その少年が突如として行方不明になります。それからしばらくして中●共産党は、「この子が真のパンチェン・ラマだ」と、ダライ・ラマ14世が指名した少年とはまったく別の少年を11世と発表しました。共産党は宗教を否定しているのに、チベットのルールに従って共産党が生まれ変わりを認定するという摩訶不思議なことが起こったのです。

 

 

本物の11世は中●で生きていた!

ダライ・ラマが認定したパンチェン・ラマ11世はどこへ行ったのか。長らくわからなかったのですが、2020年5月、メディア向けの記者会見で中国の報道官は、「あの子は中●で育ち大学を出てすでに就職している」と発表しました。つまり、パンチェン・ラマ11世が生きていることを中●政府が認めたのです。

 

一方、中●政府が認定した偽パンチェン・ラマは共産党を賛美しながら、チベットにときどき帰っては宗教行事をしていると言われています。こうなるとチベットは困ります。いまのダライ・ラマ14世が亡くなったときに、ダライ・ラマ15世を認定する人がいなくなってしまったのです。

 

中●政府は共産党が認定した偽パンチェン・ラマに、ダライ・ラマ15世を認定させるのでしょう。当然、中●共産党の言うことを聞く男児をダライ・ラマ15世に認定する。そうするとチベットを完全に共産党の支配下に置くことができます。チベット仏教のルールを使って、内側からチベットを崩壊させようとしているのです。

 

もちろんダライ・ラマ14世は危機意識を持っていますから、ダライ・ラマ15世の認定について「もう生まれ変わりをやめようか」と言い出したり、「これまではチベットで生まれ変わって来たけれど、チベット以外で生まれるかもしれない」と言ったりして、しきりに中●を牽制(けんせい)しています。「男性として生まれ変わるかどうかわからない」という言い方をして、女性の可能性も示唆しています。チベット仏教の高僧の中から指名、もしくは僧侶の中から選挙で後継者を選ぶ可能性もあるようです。

 

ダライ・ラマ14世はもうかなり高齢ですから、病気になったりしたら後継者をめぐって大きなニュースになるはずです。

 

(👨YouTube上だけにしかなかった池上彰さんのウイグル弾圧問題解説がネットのニュースに浮上してきました。

👧それもチベット弾圧問題も解説してくれています。

👩民族弾圧問題解決が近くなってきたように感じます。モンゴル弾圧問題も。中●共産党と習●平氏、首根っこに冷たい刀を当てられたようでヒヤリとしただろうか❔

👴何でもやる党だから最後まで甘くみてはならん❗注意し続けたい。


日本政府は、日本の総理はもう二度と救いの手を差しのべてはならない。誰に❔

2021-09-13 12:28:49 | 日記

 

iZaイザより。

 

中国共産党をもう助けるな 論説委員長・乾正人

年の始めに

2021/1/1 10:00

国際

 

 

(写真は中●天安門広場の前で、)

大規模デモに参加する学生、市民ら=1989年5月、北京(共同)

 新年早々、くだらぬ話で恐縮だが、私はかなり濃厚な「親中派」だった。

 

 40年前、大学受験で選択した外国語は中国語だった。NHKラジオの中国語講座を熱心に聞き、元共産党員が先生をしていた市民講座に通った成果を誇示したいという若気の至りからである(英語が苦手だったからでもあるが)。

 

 当時、そんなばかげたことをした高校生はほとんどいなかったが、市民講座で配られた質素なテキストに載っていた「赤脚医生(最低限の医療知識で農村を巡回した医者。文化大革命時に毛沢東が奨励した)」の話は、今でも覚えている。

 

 

私は「親中派」だった

 いずれ中国は米国と肩を並べる大国になり、中国語をマスターすれば何かと得だ、という打算もあったが、幼稚な高校生の夢想をはるかに上回るスピードで中国は発展した。自由と民主主義とは無縁のディストピア(理想郷と対極の世界)になろうとは、想像だにしなかったが。

 

 夢想から目覚めさせてくれたのは、平成元年6月4日に起きた天安門事件である。中国共産党は、軍を出動させ、自由を求める市民や学生に容赦なく銃弾を撃ち込み、鎮圧した。犠牲者数はいまだ正確にはわかっていない。私は当時、就任間もない宇野宗佑首相の番記者として、一挙手一投足を追っていたが、事件について何も発信しない彼に大いに失望した。「この人は総理大臣に向いていない」と日記に書いた。

 

 

 それどころか、事件当日に外務省は、西側諸国が共同して制裁措置をとることに反対する文書を作成していたことが、先月公表された外交文書で明らかになった。7月に開かれたアルシュ・サミットでも日本は一貫して制裁を緩やかにしようと立ち回っていた実態も明確になった。

 

 ベルリンの壁が崩壊した後、東側諸国が次々とソ連のくびきから離れ、ソ連共産党の一党独裁が終焉(しゅうえん)を迎えてから今年で30年。

 

 天安門事件を引き金として中国共産党による一党独裁体制が崩れていたとしても、何の不思議もなかった。そんな瀕死(ひんし)の共産党を救ったのが、日本だったのである。

 

 

 「中国を孤立化させてはいけない」を大義名分に、いちはやく経済協力を再開したのも日本だった。

 

歴史は繰り返すのか

 日本は戦時中も中国共産党を救っている。生前、毛沢東は訪中した日本の要人が「日本軍が中国を侵略して申し訳なかった」と判で押したように謝ったのに対し、いつもこのように答えたという。

 

 「申し訳ないことはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。皇軍がいなければ、われわれは政権を奪えなかった」

 

 少し説明が必要だろう。蒋介石率いる国民党軍に敗走し、延安まで落ちのびた毛沢東が息を吹き返したのは、日本軍が昭和12年に国民党軍と全面戦争に突入し、蒋介石が国共合作に踏み切らざるを得なかったからだ。敗走に次ぐ敗走で2万5千人まで減っていた共産党軍は、8年後の終戦時には120万人にまで膨れあがり、後の国共内戦に打ち勝ったのである。ことに共産党軍に引き渡された日本軍の近代兵器が勝敗の帰趨(きすう)を左右したとの説もある。つまり、戦時中は軍部が、戦後は外務省が「中国共産党を助けた」のである。

 

 

 新型コロナウイルスによって世界は一変したが、中国・武漢で最初の感染爆発が起きた際、当局による情報隠蔽(いんぺい)が、パンデミック(世界的大流行)の引き金を引いたことを忘れてはならない。

 

 すべての個人情報を国家が管理し、自由を求める「危険人物」を容赦なく監獄や収容所にぶち込む。チベットやウイグルでの弾圧が、香港でも公然と行われ始めた現実から日本政府も国会も目を背けている。

 

 いま再び、中国は西側諸国の「反中同盟」を切り崩そうと日本を懐柔しようとしている。手始めが、習近平国家主席の国賓来日実現だ。

 

 日本は、瀕死の中国共産党を2度助けた。3度目は、絶対にあってはならない。もし習近平来日に賛成する政治家や官僚がいれば、それはまさしく「国賊」である。「親中派」の私が書くのだから間違いない。