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韓国史劇「朱蒙」を観終わりました。

2017-03-07 | 韓国史劇・ドラマ・映画
長かった「朱蒙」を観終わりました。
勧められたドラマだけあって、とても面白かったです。
古代史になると「太王四神記」のときもそうでしたが、人々の信仰心が厚く
神や天の力に依存していたことがよくわかりました。

その中で、「朱蒙」は古朝鮮の皇帝を象徴する三つの神器を手に入れていくところが面白かったです。

58話でピグムソンに促され、始祖山で一つ目の神器「タムル弓」を手に入れます。

  「タムル弓は扶余の神器ではなく、タムル軍とチュモン大将のものだ」

とピグムソンが言います。
胴の裏には「広く人間を成らしめようとした古朝鮮の悲願が込められたもの」を意味する
「弘益人間 朝鮮太王之物」と刻んでありました。



「タムル弓は皇帝と一体化して中原を号令し、本当の主人を待ちわびていた」のでした。
神器を手に入れたチュモンが卒本統合を目指していきますが、困難ばかり続きます。
でも、チュモンは

 「私の意志が天の御心と同じなら 天は私を見捨てないだろう」

と言って、決してあきらめず策を講じて62話では三足烏を始祖鳥として卒本を統合し、国名を「高句麗」と名付けました。
ここから「高句麗」の歴史が始まっていき、面白かったです。

でも、チュモンが大義を果たすために母であるユファはクムワ王に殺されてしまいました。
もう、涙、涙でした。
何度も扶余からの脱出を試みるのですが失敗し、幼いユリ王子もソヤも困難続きで可愛そうでした。
チュモンが大義を果たすために、母と妻と息子を犠牲にしなければならなく、心を痛めるシーンが切なかったです。



母と妻と息子が死んでしまったと思ったチュモンが葬儀を上げている最中に鳥が暗号を持ってやってきます。

68話では暗号を解いて二つ目の神器「鉄の鎧」を手に入れます。
これも古朝鮮の王達が戦で身に付けた鉄騎軍の秘密の鎧でした。

72話で三つ目の神器「青銅鏡」を手に入れます。
こうしてチュモンは「高句麗」建国へ着々と進んでいくのですが、ソヤとユリが死んでしまったと思い、
ソソノと政略結婚してしまいます。
運命のいたずらで、ソヤは人知れずそっとその場を去っていく姿がたまらなかったです。



その後、成長したユリはチュモンが実父だとは知らずに扶余の宮殿へ証拠となる「剣」を取りに行くために
テソの護衛武官となっていきチュモンを殺すように命じられますが・・・。
ユリは漢軍に襲われたチュモンやピュリ王子達を助けます。
何か親子として通じるものがあったように感じられる場面でした。
その後、ユリ王子だったと知ることになり、ソヤも生きていることを知りました。

そして、とうとう78話でユリとの再会を果たすのです。
でも、幼いころから苦労していたユリはチュモンに恨みをぶつけます。
心が痛むシーンでした。

そして、ソヤも救いだし再会します。もう、涙が止まりませんでした
ユリの存在は次の世子問題に発展していきますが、ここでのソソノの決意がとても感動的でした。
心からチュモンと高句麗の将来を考えてのことでした。

79話では、再会して間もないユリが鉄器工場の火災で死んでしまったかと思ったのですが、敵を捕まえて生きていました。

80話でクムワ王もユリと再会します。
「おまえにはひどいことをしてしまった」と語ります。
ここで、チュモンはクムワ王に扶余と高句麗が協力して漢を倒すようテソを説得してほしいと頼みます。
クムワ王も今となっては快く承諾してくれて、長年のわだかまりも消えていったところが良かったです。

強健に育ったユリを見てチュモンも喜びますが、ソソノの長男ピュリ王子とユリが後継者争いを避けるため、
ソソノは二人の王子を連れて高句麗を出てしまい、ソヤを王妃に迎えます。
チュモンはソソノのお供に一番大切に思っていた軍器博士を行かせます
チュモンのソソノに対する想いがどれほどか感じられるシーンでした。

最終話 漢との戦いとなりますがここでムゴルが亡くなってしまいます。
長い間、一緒に苦難を乗り切ってともに過ごした仲間の死にチュモンが号泣したシーンがグッときました。
チュモンはこの頃病に侵されていましたが、高句麗の領土を広げていくため
まだまだ戦いが続いていきます。
チュモンとユリの親子が揃った戦闘に向かう最後のシーンは良かったです。
そして、後には高句麗を出たソソノの子孫が百済建国へと歴史が続いていくところも面白かったです。

■『三国史記』百済本紀
温祚(オンジョ)の父は鄒牟または朱蒙(チュモン)(高句麗の始祖)といい、北扶余から逃れて卒本扶余
(遼寧省本渓市桓仁満族自治県)に着いた。
扶余王には男児が無く娘が3人いたが、朱蒙の人となりを見て非凡の人であるとして二番目の娘を嫁がせた。
その後、扶余王が亡くなったので朱蒙が王位について、二人の子をなした。

長子を沸流(ふつりゅう、ピリュ)、次子を温祚といった。
朱蒙がかつて扶余にいたときの子(後の高句麗の第2代瑠璃明王)が朱蒙の下に来て太子となったため、
沸流・温祚はこの太子に受け容れられないことを恐れて、烏干・馬黎らの10人の家臣と大勢の人々とともに
南方に逃れた。

漢山(京畿道広州市)まできて負兒嶽に上り、居留地として相応しいかどうかをみることとした。
沸流は海浜に住みたいと言い出し、10人の家臣はこの地が都とするに相応しいと諌めたが聞かず、
引き連れた人々を分けて、弥鄒忽(びすうこつ、ミチュホル、仁川広域市)まで行ってそこに国を建て、
温祚は漢山の地で慰礼城(いれいじょう、ウィレソン、京畿道河南市)に都を置き、国を起こした。
これが前漢の鴻嘉3年(前18年)のことであり、初め10人の家臣に援けられたので国号を「十済」としたが、
のちに沸流の下に従った人たちも慰礼城に帰属し、百姓を受け容れたので国号を「百済」と改めた。
系譜が扶余に連なるので、氏の名を扶余とした。
近肖古王(きんしょうこおう)は百済の第13代の王(在位:346年 - 375年)であり、第11代の比流王の第2子。
中国・日本の史書に初めて名の現れる百済王である。


チュモンの後を継いだユリのドラマが「風の国」だそうで、こちらも観てみたいです。
やっぱり、歴史ドラマは面白いです。


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