まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

旧粘土工業所を見学 その2

2018-09-27 23:39:19 | ディテール
めくるめく旧粘土工業所の続き。

エントランスから続く小部屋のドアが開いていて、奥の壁にタイルタペストリーが見えた。おお~~~っ!
中央には羊の顔の吐水口の跡が。割れてしまったのだろうか、剥がした跡が痛々しいな。。。中央にパイプが仕込んである
所を見ると、ちゃんと水が出る壁泉になっていたのだろう。そうするとこの前にエプロン状の池があったに違いない。
応接室にしては狭すぎるから、待合室だったのだろうか。しかしこの安っぽい化粧合板の改修により、
元の様子を想像するのはかなり難しくなってしまっている。。。(涙)


女性の胸から上を描いた小さなレリーフタイルが上品。


そして執務スペースへ。無釉の色土タイルがいろいろなパターンに並べて貼られている。
施工見本を兼ねて自社製タイルが事務所床に貼られたのだろう。


八角形タイルと小さな四角を組み合わせたイギリス風のパターン。


小口平の大きさの二色のタイルをやはず貼りしたジグザグストライプのパターン。


矢羽根型とひし形を組み合わせたら「三菱」柄に。




小口タイルを互い違いに並べて小さな四角と組み合わせた籠目風のパターン。


こちらは施釉の型押しタイルだが滑り止めの布目をつけて床用にも。


シンプルな形のタイルを並べたパターンは際限なく生み出される。
あぁ至福の空間・・・



この部分のみ床のパターンが違っているのは、もともとここに社長室のドアがあったからか?
この仕切り壁とドアも改修時に取り替えられたのだろう。


以前行った下呂の湯之島館の春慶荘のお風呂に貼られていた六角形のあじさいのタイルは粘土工業所製だったのか!
湯之島館のはイラボ釉か何かの褐色の釉薬がかかっていたが、ここのは青と茶色で着色されていて雰囲気が
ずいぶん違うなぁ~


そしてこの部屋は社長室兼応接室と想像。


この水色の釉薬が特徴的。布目、レリーフタイル、型押し外装タイル、、、いろんなタイルに使われている、
唯一の明るい色。きれい~~~


社長室の奥の方の床に、他とは違って明るいオレンジ色のタイルが貼られているのを発見。この部分も元は
物入れか、廊下だったスペースをぶち抜いて部屋を広げたと思われる。




執務室の奥の方の中途半端なスペース、ここも戸が取り払われているが造りつけの物入れだったと見える。
ここに貼られたタイルは明らかに後年に貼られた感じであり、ラインナップはそれまでの間にずいぶん増えたようだ。




見たことのあるタイルがたくさん。しかし、マジョリカタイルと同様に同じデザインのタイルが複数のメーカーで
製造されていたのだろうか?外装タイルについて研究はほとんどされていないのではないだろうか。


間取りの変更と化粧合板による壁の改修が一度にされたのだとすれば、昭和30年代以降、いや、昭和40年代
以降だろうと思う。なぜなら、その頃に建てられた昔の実家(建替え前)の安っぽい普請と似ているから(笑)。

粘土工業所は『日本のタイル文化』の本にも名前が挙がっているので、昭和51年の時点ではまだ営業を続けていたと
思われるが、その後の経緯については分からない。

あぁ、めくるめくタイル空間。ゆっくり心ゆくまでこの空間を堪能させていただけて本当に感謝!!
会長さんはとても愛着を持っておられるが、他の方はあまり関心がないと言われていた。
あぁ、この素晴らしいタイルの館、どこかへ移築するなどして丸ごと保存する手立てはないものだろうか。。。
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旧粘土工業所を見学 その1

2018-09-26 23:22:50 | ディテール
ネットで見て前々から見に行きたいと思っていた関市の旧粘土工業所、タイル友の会メンバーの1人が下見に行って
見学のアポを取って来てくれた。やった~!
ほぼ100%の雨の予報も小雨が降ったりやんだり程度で耐え、岐阜駅から車に乗せてもらってちょいちょい寄り道
しながら、現地到着。

会長さんがにこやかに迎えて頂き、ゆっくり見て行って下さいとのうれしいお言葉。
現社屋の脇に、木々にまぎれるようにして建つ、外壁全面タイル貼りの建物。おぉ~~いいねぇ!!
テンション上がる~~~


現在は関ブロック工業などいくつかのグループ会社の所有となっているようだが、この建物は特に使用していないという。
先代の社長が廃業した粘土工業所の工場一式買い取って事業を始められたとのことで、建物の詳しいことについては
分からないとか。
トイレなどの新しいタイルは次々に剥がれてくるが、この事務所のタイルは一枚も剥がれておらず、素晴らしい仕事だと
会長さんは言っておられ、空き家の事務所を毎日開けて空気を入れ替え大切にされている。
この素晴らしいタイルや建物を多くの人に見てほしい、保存する方法がないものかと言っておられた。

N.Kの社章は会社の威信をかけた一枚もののテラコッタ。さすが!周囲の青い部分は拡大して見ると釉薬がかかっている。


柱に巻かれたタイルはスクラッチタイルではなく、スクラッチ風縦溝型押しタイル。
ここも役物が使われている。


ポーチ床は八角形タイル貼り。


すべて役物でおさめられた入口の三方枠。素晴らしい!
ドアは取り替えられており、そのときできた隙間に水色のタイルを貼って埋めている。


一歩建物に入ると、受付カウンターによってエントランスと奥の執務スペースとが仕切られている、いかにも昔の事務所。
そして・・・エントランスの床に、カウンターに、室内の床に、いちめんにタイルがぁ~~~!!


現在使用していないため什器や荷物も何も置かれておらず床のタイルがきれいに見える!
何とか興奮を抑え、皆で掃除から始めよう(笑)
表面の土ぼこりを拭き取ると、タイルはまるで100年の時を経たとは思えない艶を取り戻した!
ここで寝転がりたいほどきれいになった(笑)


さてお待ちかね、撮影タイム。建物の外から中から、皆それぞれ心ゆくまで写真を撮ろう~~!


『日本のタイル工業史』によると粘土工業所は、「大正13年に岐阜県関町にて創業。当初は素地製タイルのみを製造したが、
昭和2年頃から施釉タイル、その後美術彫刻を施した腰張用、テラコッタ、床タイル製造。昭和12年頃合資会社となる。」とある。
素地製タイルとは、私が「色土タイル」と呼んでいる土自体に着色した無釉タイルで、これはせっ器質のものと思われる。
床に貼られたタイルはほとんどがこれで、施釉タイルも一部あった。

タイルは建物の建築時に貼られたとは限らないが、外壁全面や窓まわり、ポーチ、入口のひさしを支える2本の角柱にも
タイルが貼られており、いずれも役物を使ってきれいにおさめているところを見ると、後から貼ったのではなく
建築と同時に施工されたように思われる。
入口上に掲げられたN.Kマークは、「昭和3年~12年に使用した記録あり。」ということなので、建てられたのは
その間だろう。また多種の製品が貼られていることからも、施釉タイルのラインナップが充実して以降の時期と想像する。

ひし形と矢羽根型を組み合わせているのに目を引かれる。周囲はふちどりが入れられカーペットのよう。


湯気の上るコーヒーカップを描いた素敵なタイル。


レリーフのデザインは具象も抽象もありいろいろだが、落ち着いた色合いは和洋問わずしっくりきそう。


民藝っぽいデザインも。


サンプルなのか、いやどこかで目にしたことがあるようにも思える。もしこれから目にしたら粘土工業所の製品と分かるな。




クラフト感あふれるタイル。


ドラゴンモチーフ。釉薬のかかり具合も絶妙。


ちゃんと幅木タイルもつけられている。


馬のタイル。


立体的な花モチーフは、どこかで見たことあるような・・・


錆びたようなこの色合い・・・なんて素敵なんだろう~~


続く。
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釧路旅行(後編) 硫黄山と、南弟子屈駅

2018-09-24 21:44:35 | 風景
釧路旅行の続き。

ランチを食べたら、チェックしていた川湯温泉の公衆浴場へ。この辺からは私の趣味に妹をつき合わせる(爆)
うひょ~、いいねぇ!!


この素朴で簡素な建物が素晴らしい!無人の共同浴場のように見えるがちゃんとおばちゃんがいる。


中は広々したロビーがあって、そこから男女別の脱衣所へ。誰もいなくて貸切状態だ~


うわ~、タイルタイル!モザイクタイル!シンプルな四角い浴槽と洗い場いちめんにタイルが貼りめぐらされている~
手作業で補修したのが丸分かりのつぎはぎだらけなのが愛しいね!
硫黄の香りたっぷり、タイルを眺めながら、ぬる湯と少し熱いお湯の浴槽に交互に入って満喫♪


お客さんが入って来たのでそろそろ交代。いやぁ~、ひなびた温泉に入れてよかった~~!


温泉に入ったあとは、硫黄山へ。正式名はアトサヌプリ。山の一部がただれたように岩肌が露出していて、その間から
火山ガスが噴き出しているのだ!
行く先にはげ山が見え、視界が開けてくるにしたがいハイテンションに。やっほ~~♪
ちょっと自分でもおかしいぐらいに興奮してくるのは、硫化水素のせいか(爆)


レストハウス前に車を停め、噴気群に近づこう。


この山では明治時代に硫黄鉱山が開発され、1970年まで操業していたのだとか。




煙を上げる噴気孔があちこちに。黄色い針のような硫黄の結晶。


不気味にぽっかりと開いた噴気孔は、いったいどこにつながっているんだろうか。石を崩して掘ってみたいが・・・(爆)


あぁ地球が生きている!これはほんとのパワースポット!!地獄好きの私にはもうたまらない。
1人でもはしゃぐが、2人なのでさらにはしゃぎまくったのだった(爆)


楽しい硫黄山に夢中になって、川湯温泉駅の素敵な駅舎を見に行き損ねたよ(汗)


さぁ日も傾いてきたが最後に屈斜路湖へ向かおう。
この湖もやっぱりカルデラ湖だが、時代が古いのだろうか、水辺は砂浜になっていて湖岸の道を車で走ることができる。
レクリエーション施設もある開けた場所で車を止め、湖岸へ!


あっ、ここでは砂湯があるのか。皆水際で砂を掘って大きな池を作っているのは、この砂の下から温泉が湧きだすのだ。
私も裸足になって足でちょいちょいと砂を掘ってみたが、熱すぎる!!湖の水を引き込まないとやけどしてしまう。
これは楽しいなぁ~~屈斜路湖ならではの魅力だ。


桟橋にはスワンボートがたくさん。う~ん楽しそう~~。でもそこまでゆっくりしている時間もないなぁ。

美しく人を近づけない高貴な摩周湖、神秘の水色の神の子池、そしてレクリエーション充実の屈斜路湖。
それぞれに魅力ある、道東の湖を楽しんだ。

帰り道、南弟子屈(みなみてしかが)駅の表示が出ていたのでちらっと横目で見たら、この駅舎が目に入った。
ちょ、ちょっと、ストーップ!!Uターン。


おお~~っ、これは見たことある!函館本線の二股駅と同じ、貨車が転用された駅舎だな。
と思ったら、二股駅はほんとのコンテナだ。これは車掌車の転用らしい。

山陰本線の御来屋駅のホーム待合所と同じかな。あちらも「ヨ」だった。

この佇まい最高!実用面でも、建築物を建てるよりも車両を据付ける方がずいぶん楽だし、建替え(取替え)も簡単。
利用者の少ないローカル線の駅としては全然アリだし、むしろ風景として絵になるな。


あぁ、素敵な南弟子屈駅。ノートにもひと言書いといたよ(笑)

ところでこの「てしかが」という名前がまたいい。地名は知っていたが、その響きがすっかり気に入って、
旅のあいだ中、てしかが、てしかがとつぶやいていた(爆)
「弟子屈」と大書きされたポスターも見かけた。弟子屈、全国区へ大売出し中!!

楽しかった一日も終わり。牛の群れを見ながら宿へ向かう。。


さて帰りの飛行機は昼イチ発なので、最終日はもう朝から釧路のまちへ直行しよう。最後にまちなかの和商市場へ行って、「勝手丼」を食べるのだ!
ここは海産物がメインで、新鮮な魚がたくさん売られている。うわぁ~~どれもこれもおいしそう~。


これはホヤ。どうやって食べるんだろう???




勝手丼は、ごはんと、上に載せるネタをバラバラに買って、好みの丼を作り上げるシステム。
いろんな具が小分けして売られているが、結構割高なので・・・普通の魚屋さんで貝柱のお刺身を1パックと、
また別の店で、量り売りのいくらを買い、少しだけ小分けのネタを買い足して、お手頃で豪華な勝手丼を楽しんだ!
こういうの、大阪でもあったらいいのになぁ。


いや~、海鮮に始まり、海鮮に終わる。滞在時間は短かったけど、楽しく、食も充実した釧路旅だったな!
お手軽に道東へ行けるようになったので、また行きたい。釧路市内に泊まるんだったら土日のみでもありかも!?

終わり。
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釧路旅行(前編) 摩周湖と神の子池

2018-09-20 23:42:24 | 風景
台湾とタイルの記事にちょっと食傷気味の方もおられるかと・・・(笑)
息抜きに美しい北海道の風景を。


ピーチの関西~釧路便が就航したからさっそく使ってみようと、早々にポチっていたのだ(爆)
中途半端な時間の発着だけど、気負わず出かけるにはちょうどいい。月曜1日だけ休んで妹と週末観光旅行に。
初めての道東、わくわく~~~

地方空港大好き!

着いたらお昼もとっくに過ぎてるが、車で釧路の港まで走り山盛りの海鮮丼を!!これぞ釧路~~


港にいっぱい停泊していた、まるでデコトラみたいな船(笑)
船の上で作業していたおっちゃんに、これは何の船ですか?と声をかけたら、これはサンマ漁の船で、海面を照らしながら
漁をするらしい。もうすぐ解禁になるので準備をしているのだとか。へぇ~こんな船でサンマを獲るとは知らなかったなぁ。


さぁ、釧路と言えば釧路湿原。湿原展望台というところへ行ったら、そこは小高い丘の上から湿原を見晴らす場所だった。
湿原の中を歩きたいとガイドのおっちゃんに言ったら、もう少し先へ行ったら温根内の木道があると教えてくれた。


うぉ~~っ、これぞ釧路湿原!!


周りはふかふかの草むらに見えるけど、やっぱり天然のミズゴケなどが生えたジュクジュクの湿原で、この木道は
浮いているのだとか。


散策ルートのいちばん外回りを歩くと植生の変化も感じられる。


湿原の端まで行ったら森沿いに探勝歩道が続いている。
実は熊が出てこないかと内心ハラハラしていたのだが、妹はのんびり写真を撮りまくっている。いいんだけど(笑)


この小径、雰囲気があると思ったら、旧鶴居軌道跡なのだとか!鶴居軌道は、1928(昭和3)に釧路駅の西隣の
新富士駅から中雪裡まで開通した簡易軌道(殖民軌道馬力線)。軌間762mmのナローゲージで、後には
ディーゼル機関車も走ったという。1968(昭和48)年に全面廃止。


思わぬところで廃線跡に出会ってごきげん(笑)。ま、痕跡は何もないけど。


釧路らしい風景も楽しめたし、初日はこのぐらいにして宿へ・・・・と走っていたら、エゾシカが!!キタキツネが!!

奈良の鹿とは違い警戒心強い強い・・・

自然に囲まれた温泉宿で連泊。あぁ、のんびり。


翌日は唯一丸々一日使える日。気合入れて遊ぼう~~!
まずは摩周湖へ♪さすが透明度日本一、青い~~きれい~~~爽やか~~~!!


しかし絵に描いたようなカルデラ湖で、周囲は崖が切り立っていて水面に近づくことはできそうにない。
ちなみに、透明度第2位は前に行ったことのある倶多楽湖

ここのお土産屋さんがかなり充実の品揃えで買い物意欲が湧く湧く(笑)。おかげでこのあと時間が押すことに・・・

阿寒湖へ行きたいと言う妹を、ちょっと遠すぎて運転する自信がないといなし、それならばと「神の子池」へ行くことに。
途中、川湯温泉近くの硫黄山が見えテンション上がる~~後で行こう!


そして着いた神の子池、きれいな水で魚もいるが・・・青くないな。


おぉ~~っ!森の中に忽然と現れたセルリアンブルーの泉!!


うわぁ~~っ、美しい。まるで南の島のビーチみたいな色!!
散策路がぐるっと回っていて、いろんなアングルで神の子池を眺められるのがいいね!


神の子池は摩周湖の伏流水で、一日に1万2千トンも湧き出ているのだとか。何でここだけこんな色なんだろう、
同じ水なのに。流れていく小川は普通の透明だったな。湧き出しているところが白い砂だからかな。不思議。

北海道には青い池というのもあるのだが、そちらはもっと遠いので、お手軽にこのブルーを見れてよかった~
アブが多いのには辟易したが・・・(苦)

ランチには、川湯温泉のまちの近くでおしゃれなエゾシカカレーを。


続く。
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2018.7.13~17 台湾、金門島タイル三昧の旅 もくじ

2018-09-19 23:56:53 | Weblog
台湾の金門島は澎湖島と共にタイル好きにとっては憧れの地である。日本統治時代に入ってきたマジョリカタイルが
使われた古い建物がたくさん残っているのだ。
(※台湾では「マジョリカタイル」と呼ばれないが、日本でこの種のタイルを指す一般的な呼び方であるこの名称を使用)

澎湖島は2009年に行っているので、金門島もいつか行きたいと思っていたのだが、今年1月に嘉義にある
台湾花磚博物館を訪れて、館長の徐さんに、実際にタイルが使われている嘉義近郊の古民居を案内してもらったことで、
タイル熱がこれまで以上にヒートアップし、夏休みに金門島行きを実行しようと、早々にチケットを押さえたのだった。


金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (1)
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (2)
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (3)
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (4)
金門島でタイル三昧 瓊林 Qionglin (1)
金門島でタイル三昧 瓊林 Qionglin (2)
金門島でタイル三昧 浦邊 Pubian
金門島でタイル三昧 后浦頭 Houputou
金門島でタイル三昧 沙美 Shamei
金門島でタイル三昧 陽翟 Yangzhai
金門島でタイル三昧 碧山 Bishan (1)
金門島でタイル三昧 碧山 Bishan (2)
金門島でタイル三昧 山后 Shanhou
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (5)
金門島でタイル三昧 烈嶼(小金門) Lieyu (1)
金門島でタイル三昧 烈嶼(小金門) Lieyu (2)
金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (6)
金門島でタイル三昧 珠山 Zhushan
台北駅周辺の風景
台北近郊のタイルめぐり
台北近郊のタイルめぐり 2
瀬戸の敷瓦に会いに、三峡へ。
三峡老街を12年ぶりに再訪。
三峡老街の裏手を歩く。
リベンジ!剥皮寮

国内線の松山~金門の小さな飛行機は常に満席がちであり、天候により欠航や遅延が多いらしい。、
飛行機や宿がネットで予約できるようになったのはほんとに便利になったものだ。しかしやっぱり島内の事情がイマイチ
よく分からず、フェイスブックのグループや友人に聞いたりして少しは情報を入手したが、結局頼りは自分の眼と足。
いつも私の旅のスタイルは、現地での情報収集が基本で、今回もやっぱり行き当たりばったり、臨機応変に、思わぬ出会い、
発掘、開拓を楽しんだ。
後半の三峡ではまた超レア物件を見ることができたし、今回も、最高に楽しい旅となった!
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リベンジ!剥皮寮

2018-09-18 19:43:11 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

最終日、三峡から台北に戻ってきてからまだ少し時間があるので、剥皮寮へ行ってみることにした。
ここも友人に教えてもらったスポットで、実は昨日の午前中にも一度来たのだが、月曜日で休館だった。
ショック。。。結構長い距離を歩いて来たのに・・・ということで、リベンジ!


剥皮寮は、現在の萬華区の、康定路・広州路・昆明街に囲まれた地域を指し、石炭の集散地であった「土炭市」に
ほど近い場所だったため商業が盛んだった。台北市内で清代のまちなみが最もよく保存されている地域のひとつだとか。


その名前からちょっとおどろおどろしいイメージを勝手に持っていたが(笑)、捕まって皮を剥がれるようなことは
全くなかった(爆)
もともと清代には「福皮寮街」と呼ばれていたのが、似た音の「剥」皮寮と呼ばれるようになったらしい。


広州街に面した建物は、亭仔脚(アーケード)をもち隣と壁を共有する長屋型式で、独立したファサードデザインは
日本統治時代の流行であったバロック式の豪華な装飾は少なく、装飾はあっても比較的シンプルな形だ。
清代のまちなみと言うよりどちらかというとファサードはその後適宜更新されてきたもののように思える。






日本統治時代の都市計画で剥皮寮の敷地が隣接する老松小学校の用地とされ、開発が抑制されたことにより、
昔ながらのまちなみが残った。
これは隣接する老松國小。連続アーチが素敵。


東西に長い剥皮寮は運営が2つに分かれているようで、西半分はアートスペースなどとして使われていた。


まず西半分から見ていこう。空き室も多いが、建物そのものをじっくり見ることができる。


これは西門や台北城壁の構造と同じような「條石」を積み重ねた構造だな。まちなかの民家の壁もこのような石積みが
使われていたのか。レンガ造か木造と思っていたが。


剥皮寮の一角を康定路173巷という路地が貫いている。※写真は昨日来たときのもので「今日休館」の文字に愕然(汗)


裏通りであるこの路地から、大通りに面した店舗の裏側を見ると、表側とは全く違った表情が見られて面白い。
各店舗自由奔放に行われた改修増築も斬新でファサード以上に多様だ。




剥皮寮のある、旧台北城の西側エリアの発展の歴史にスポットを当てた展示が行われていて、古地図や日本統治時代の
都市計画図などいろいろ展示されており興味深く見る。
台北の市街地の起源とも言える艋舺(現在の萬華)と、その後発展した大稲埕に挟まれた西門町の場所は長らく
湿地帯であったが、日本統治時代に台北城内と共に開発が進められ、城壁が撤去されて加速的に市街地化が進んだ。
この地図では、西門エリアが淡水川の蛇行跡だったことがはっきり見て取れる。


また別の部屋で行われていた展示がめちゃくちゃ面白かった。まず北門周辺の景観の変化を写真で比較してある。
昨日そのあたりを歩いて、青空をバックに堂々と立つ北門を見ていたところであり、今まで全く印象に残って
いなかったことをちょっと不思議に思っていたのだが、この写真を見て納得。そう言えばこのあたり、道路が
立体交差していたんだったか。だからその先へあまり行く気にもならなかったんだな。北門も窮屈そう。
高架道路車には便利だが、地上を歩いている人にとっては急に見通しが悪くなり暗くなるので、高架の側道はあまり
気持ちのいいものではない。


それが、高架道路が消えて今のような明るく広々した道路空間に変貌!!すごい変わりよう。


工事中の写真もあって、かなり大掛かりな工事だったようだ。




そして高架を取り除く工事のプロセスをCG映像で表現してあったのだが、これがめちゃくちゃ面白いのだ。
台北駅の少し西側から淡水川までの間が高架道路になっていたが、工区ごとに違った工法が取られた。


高架の桁を分割してクレーンで下ろし撤去する作業が、CGアニメーションではあっという間に進んでいく。


北門付近ではまず北門を防護する壁が作られた上で作業が行われた。
実際交通のある大交差点のど真ん中での作業であり、かなり困難な工事だっただろうと想像する。

調べてみると、何とこの工事は2016年の旧正月中に突貫で行われたらしい。そして「北門広場」は2017年の
7月末に竣工したばかりだった。ははぁ!あのあたりの風景が新鮮に感じられたはずだな!

これにより北門は再び日の目を見ただけでなく、台北の、台湾の新たなランドマークとなった。
台北郵局と鉄道部の華麗な建物が晴天の下向かい合い、市民や観光客が歩きながら台湾の歴史に思いを馳せることができる
スポットとなったのだ。素晴らしい!!
あぁ、すごいことを短期間のうちにさらっと実現してしまう台湾。日本でも東京の日本橋の上の高速道路を撤去する
計画だが、台湾は1歩も2歩も先に進んでいる!

工事中の写真が載っているサイトを見つけた。いかに大工事だったかが実感できる。高架ができる前の写真も。→こちら

他にも、台鉄の線路が地上にあった時代の風景写真なども展示されており、興味津々!
これは1989年の写真。台北駅のホームがまだ地上にある。すでにホームの一部が廃止され地下化工事が進んでいる。


これは鉄道部の建物の目の前に踏切があった1940年代の写真。蒸気機関車が走っている。あぁ、すごい風景!
先日の「台北駅周辺の風景」の記事に載せた写真とほぼ同じアングルだ。


この展示室だけでずいぶん長いこと滞在してしまった(笑)。いや~面白かった。この展示を本にして持ち帰りたいぐらい。


TRレンガが敷き詰められた中庭スペース。


東半分は「台北市郷土教育中心」となっており剥皮寮の歴史や昔の暮らしなどについて、子供が遊びながら学べる
しかけがいろいろ工夫されていて、こちらも親子連れなどでとても賑わっていた。


古い建物をリノベーションして生かすことがほんとにうまいなぁ。どんどん街が楽しくなる。
あぁ、リベンジで再訪してよかった!


おまけ。剥皮寮の近くで見つけた素敵なタイルたち。





宿に戻り、新しくできたMRT空港線でスイ~っと帰途につく。
あぁ、何度来ても新たな発見がある。来るたびに好きになる台湾。また来よう!

終わり。
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三峡老街の裏手を歩く。

2018-09-17 19:22:47 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

三峡老街をうろついたあと、ちょっとそれた裏の方へ行ってみると、川石を積んだ塀に囲まれた教会があった。
台湾基督長老教会三峡教会。


手前に塔屋が建ち、左側にあるのが比較的古い建物で礼拝堂のようだ。三階は後の増築だろうな。


日本統治時代の建物なのかそれとも戦後(光復後)のものなのか、素性は分からないが、中を見学してもいいかと
事務所に声をかけたら快諾していただいた。


1階は集会所のような部屋だった。部屋のなかには円柱が立っていてシンプルなRC構造のようだが、窓は木のサッシで
十字のデザイン。ちなみに、台湾ではスチールサッシは錆びるため早くに使われなくなったらしく、光復後の
建物でも長らく木製サッシが主流だったようだ。


窓ガラスにはチープな模様入りのシートが貼られているのが何とも飾らず庶民的(笑)。




2階へあがってみると、一応ここが礼拝堂なのだろうが、神妙な雰囲気は全くなく、普段着感覚の教会だった。


尖塔アーチの窓が並ぶ。


検索してみると、現建物は1952年完工と書かれた個人のサイトがあった。
青少年向けの各種活動なども行われているようだ。


三峡教会の向かいにあったビルのタイル。


ぐるっと回って川沿いの道を歩くと、丸い川石積みの外構が見られる。
そしてこんなのも。水利局の標柱の防護に自然石が埋め込まれている。かわいい~~~(笑)


一見なんてこともない萬寿橋、表面は洗い出し仕上げだが、骨材にカラフルなガラスのカケラも混じって、キラキラ!
ほんと台湾人ってなんてラブリーなんだろう、普通に。




電信のハンドホールの蓋もこんな素敵なデザイン!円形柱頭と瓶形柱頭、これは、老街のバロック風商店建築の
両端についている装飾のことだろう。これを老街の象徴的に取り上げてデザインするとは。


ここは老街のちょうど裏側。まだこんな廃墟もあったのか。元は立派な洋楼だっただろうが、木の生命力に負けて
人間は復旧を断念したのだろう(苦笑)


三峡橋のアーチがきれいに見えた。
背後にはマンション群。環境がよくほどよい活気もあり住みやすい場所なのだろうな。


小さな廟があったのでちょっと休憩。小さいけど美しい廟。




路地を入ると家が雁行に配置されていてちょっと面白いまちなみ。


路地裏にはすでにおしゃれなお店もできていた。国産の豆で作った無添加の豆腐や豆乳を売っているお店のようだ。
ちゃんと目をつける人は目をつけるんだな!


あぁ、MRTとバスを乗り継いで1時間半ぐらいかかったけど三峡に来てよかった。
12年前にここ三峡と併せて行った大渓のまちも、ここからバスが出ているようなのでついでに行ってみようかと
少し考えたが、帰りのルートも調べていないし万が一戻るのが遅れて帰りの飛行機に間に合わなかったりしたら
致命的なので、今回は諦めてまた次の機会に訪れることにしよう。

ちょっと早いが台北へ戻る。

続く
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三峡老街を12年ぶりに再訪。

2018-09-16 21:11:30 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

異国で出会った古い本業敷瓦に興奮しすぎてしまったが・・・
ほど近いところにある三峡歴史文物館へ。ここは前にも来たことがある。抜けるような青空を背景にして美しさが際立つ!


これは日本統治時代の1929年に稱庄役場として建てられた建物で、1986年までは役場として使われていたそうだ。


三峡は淡水川の水運を利用し木材や茶や樟脳などの集散地として日本統治時代に大いに栄えたまちであり、
華やかな役場の建物を見るとその頃の三峡がいかに重要な場所だったかが窺い知れる。

歴史文物館の入場は無料で、1階では藍染作品の展示などが行われていた。
三峡は古くは三角湧と呼ばれ藍染の盛んなところでもあった。藍の原料となる大青が栽培され、淡水川の水を
利用してさかんに行われた藍染は清代が最盛期だったが、近代化と共に廃れていったようだ。
伝統的な藍染文化をよみがえらせようと活動している人々がいるのは素晴らしいことだな。


さて、次に老街を見に行こう。
以前来た時はちょうど修復工事の真っ最中だった。今見てみると2006年、2回目の時だったようだ。


がらんどうだった老街はレトロな雰囲気を残したままきれいに修復され、お店がぎっしり入りすっかり人気の観光地として
定着している。


バロック風の装飾壁も健在。


油屋さんだった建物は老街のシンボル的存在。


建物は作られた当時と同じようにレンガやモルタルを使って最小限の修復に留められているのが素晴らしいな。






わざとらしい古びの細工をしなくても、すでに10年の年月を経てすっかりなじんだまちなみ。


亭仔脚の天井は、古いまま残っているところはほとんどは丸太の梁に板を渡したシンプルなものだが、
まるで洋館の天井のようにこんな凝ったデザインも1ヶ所あった。


お店の目の前に古い井戸がど~んと(笑)。これもあえて残すとは面白いなぁ!


老街の裏手に藍染公園というのがあった。古いトロッコなどが展示してあり、藍染の作業場があった場所なのだろうか。




隣接して金興居という建物があるようなので見に行く。レンガ造りの伝統的な閩南式合院建築で、修復されたものらしい。
公開しているのかと思って近くへ行ってみたが生活のにおいが。どうも普通に人が住んでおられるようだな。。。


金興居の石垣はこんな赤みを帯びた石が積まれていた。目地は埋められておらず古いままのように見える。
何石というのだろうか。




赤瓦を貼った民居の壁。美しいなぁ!


老街に戻り、ちょっと休憩しよう。。。爽やかな空だが実は暑くてたまらない(汗)。氷を食べてほっとひと息。。。


その店も古い建物で、雰囲気に合わせてレトロなポスターなどが飾ってあったが、私が座ったカウンター席の前の壁に
昔のマッチコレクションが展示してあった。


氷を食べながらそれを眺めていると、すべて中国語なのだが、果物の絵の入った「千疋屋」という店や、
見覚えのある鶴丸印のレストランのマッチが目に入る。


「日本料理銀座」「純日本料理浅草(あさくさ)」、「莎慕莉(サボリ)」「阿波踊」という飲み屋や、「富士食堂」
なんかもある。
「アリナミンF」や「雪印ネオミルク」はさすがに店の名ではなく、マッチは商品につけられたオマケだったのだろう(笑)


これらのマッチコレクションはどんな人が集めていたのだろうか。夜な夜な飲み歩いていたサラリーマンか、
接待に余念のない個人商店主か、接待を受けていた役人か、、、(笑)

敗戦後日本は、家や店を台湾人に譲り渡して引き上げたと聞くが、台湾人は店の名もそのままに営業を続けたりも
したのだろうか。これらのマッチを見ていたら、日本と同じような台湾の高度成長期の熱気溢れる空気が
伝わってくるようで、自然と頬が緩んでくるのだった。

続く
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瀬戸の敷瓦に会いに、三峡へ。

2018-09-15 23:18:22 | ディテール
台湾の続き。

今回台湾へ出発する直前、タイル友の会きっての情報通メンバーから、すごい物件を見つけたという連絡が。
リンクされた記事を見ると、台湾の三峡にある歯医者さんの建物の床に、瀬戸の印花文の敷瓦がびっしりと!
うわぁ!!これはすごい!!瀬戸の敷瓦が海外にあるとは。寺院などでなく民間の建物に!?しかもこんなに大量に!!
中国語の記事なので正しく理解できているかわからないが、どうも日本統治時代の民政長官官邸にあったものが
再利用されたようだ。シロアリの害により1923年に和館が解体されたときに、三峡の医師陳文贊氏が当時医院を
建てるために部材を買い取ったとか。

・・・しかしこの記事、これは江戸末期から明治初期に瀬戸で作られた本業印花文敷瓦であるとか、日本でも多くなく
貴重だとか、台湾ではほとんど知られていないマイナーな本業敷瓦にも関わらず情報がとても正確だな。

私はタイルの中でも特に湿式のタイル、敷瓦が好きで、湿式のタイルが輸出された(本土以外で使われた)例があるのか
どうかとても興味があったので、もう心をわしづかみにされてしまい、金門島の後台北に戻ってから三峡へ行くことを
即決したのだった(爆)

出発前に、台湾に住む友人(日本に帰省中)に、そこの所有者にアポイントを取りたいのだけどと相談していて、
三峡の近くに住む彼女の友人に聞いてくれたところ、なんと、もうすでになくなったとの情報が!?ええ~~っ!!
ほんとに!?いや信じたくない、何かの間違いだろう、この目で確かめたい。もし壊されていたら、あの敷き瓦は
どうなったのか現地の人に聞いて確認したい!と言うわけで、台湾最終日の朝から三峡へ向かったのだった。


三峡は十数年前私が台湾に行きだした初期の頃、先述の友人に車で連れて来てもらったことがあり、その時老街は
再生工事の真っただ中だった。

美しいアーチの三峡橋。

その後一度も来ていないので老街の変貌も見てみたかったが、今はとにかく敷瓦を確かめるのが先だ!


件の歯医者、三峡救生医院があるのは老街から少し離れた場所。角を曲がったところに建物があるはず、、、
あぁ、それとも空き地か、ピカピカの建物が見えてくるのか・・・祈る思いで角を曲がると、、、おや、空き地はない。
古そうなレンガ造りの建物が建っているが、あれではない。


しかし・・・その隣に建っている三階建てがそれじゃないの!?ドキドキする胸を押さえつけながら半信半疑で近寄る。
いやいや、もしかしたら外観は変わっていなくても中はすっかり改装されているってことも。。。




急いで左隣の営業中の医院へ行き、受付の女性にスマホでネット記事の写真を見せ、このタイルは今もありますか、
あれば見たいと告げると、診療中の先生に伝えてくれた。
残念、もうないんだって、と言われるかとハラハラしながら待っていると、白衣を来た恰幅のいい先生が出て来てくれて、
こっちへと手招き。えっ、あるのか?
歯医者の受付に面した真新しいギャラリーへ入って行き、奥のドアを開けると、、、ガランとした古い建物が。
ここはさっき外から見た建物だ。


うわっ!!部屋の中央が土間になっていて、その周囲の部分に、四半貼りされた本業敷瓦が~!!


あぁ何と!古い印刻の本業敷き瓦がみっしり貼られているのは日本でも数ヶ所しか知らない。それはいずれも宗教施設で
ほとんどが非公開である。それが海を渡った台湾の、民間の建物に、こんな無造作に、敷き詰められているなんて!


さすがに長年の間踏まれてほとんどの敷き瓦は表面の釉薬は剥がれていて、また埃をかぶっているので、色がはっきり
わからないが、よく見ると織部釉のようだ。白色の志野釉のものと、市松状に並べられている。


建てられたのは陳榮耀先生のお祖父さん(三峽救生眼外科醫院院長 陳文贊氏)で、今はお兄さんの所有になっているそうだが、
写真を撮ることも快諾していただけた。
興奮しすぎてどこをどう撮っていいのか分からないのだが(汗)、先生が診療を抜けて来て下さってるのが気になり
手早く何枚か撮る。
しかし陳先生はうれしそうで、これは古い日本のタイルだよ、日本でも珍しいものでとても貴重なんだよ、と説明してくれる。

興奮の度合いはもうMAX!メーターが振り切れそうにエキサイトしている私を見て、こっちへおいでと、
今度は診療室とその奥のプライベートスペースを通り抜けていく。診察台で待たされている患者の横を通る時は
さすがに恐縮してしまったが・・・(苦笑)
裏の階段から二階へ。そしてドアを開けると、、、うわーここにも!?


なんでも、前面道路が拡幅されたときに、正面の壁をセットバックして移設したといい、その部分に貼られていた敷瓦を
剥がして、住まいの2階に作った剣道場のアプローチに貼ったのだとか。素晴らしい!!
そしてその時セットバックで面積が減った分、古い建物の3階部分を上乗せして、今のような面白い形の建物になったのだ。




おそらく、このセットバックの工事が、建物が解体されたとかいう情報の錯綜の原因と思われる。
そのとき取り外したタイルの余りを近所の人に記念に数枚あげたのかもしれない。


2階にあるのは比較的状態のよいものが多く、色もはっきりわかる。織部、志野、これは色が薄いが飴釉だろうか。


お祖父さんは日本世代の生まれで、李登輝元首相と同級生だったといい、日本の払い下げ情報を素早くキャッチ
できたのだろうか。剥がして台北から運んで貼るのに当時2万円かかったと陳先生は言われていた。
いやぁーしかしお目が高い!!

もうずいぶん前に大学の先生が調査に来て論文を書いて、テレビニュースにもなったのだとか。ははぁ、やっぱりそうか。
この敷瓦の価値が早くに認識されてよかった!

受付に戻り、お礼を言って出ようとした時にまた先生が診療室から出て来られ(ほんとにお仕事中お邪魔してすみません)、
ちょっと待って、と。あなたはすごく興味があるみたいだから、タイルが1~2枚残ってたはずだからあげるよ、と。
ドヒャー!!?そんな、そんな、、、いいんでしょうか!?あぁ、今思い出しても興奮してくる(爆)


美味しいお茶を飲みながらお話を聞かせていただき、そして端の方に使っていたと思われるカットされた敷き瓦のかけらを
2つ、包んで持たせて頂いたのだった。。。
あぁ何という親切。毎回毎回、台湾人の親切には心を揺さぶられる。もう、感動が止まらない。


ところでこの話には後日談がある。帰ってからネットで調べたところ、この敷瓦を調査されたのは台湾在住の
堀込憲二先生だった。堀込先生は建築史や風水やランドスケープを専門とされていて、広い分野で活躍されている。
私は、昔台湾の鶯歌の博物館で開催されたマジョリカタイル展の図録に文章を書かれていたのを見て10年ほど前に
そのお名前を知り、著作である『中国人のまちづくり』という本を買って読んだところめちゃくちゃ面白くて、
超お気に入りの本となっていた。
この三峡の敷瓦についての論文はネットでは公開されていなかったが、どうしても読みたくてメールを送ったところ(爆)、
何と、ちょうど今日本に来ているので会ってもいいとの返信が!もちろん万障繰り合わせて駆けつけたのであった(笑)。
それで三峡の敷瓦の調査についても詳しくお話を聞かせていただき、その他にも研究のお話や台湾の話などいろいろ
お聞きして夢のような時を過ごしたのであった(笑)。敷瓦が縁で堀込先生にお会いできるとは!!そして後日論文も
送ってもらい、全編中国語だったが何とか読破した。いや~~ほんとに面白い!!タイル熱は最高潮に高まった!

続く

2019.2.12追記
明治初期の印花文敷瓦が台湾に渡っていた事例というのはとても珍しいと思ったので、この時持ち帰った敷瓦を
上記エピソードと共に瀬戸の瀬戸蔵ミュージアムへ寄贈した。現在開催中の「新収蔵品展2012-2018」で展示されている。
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台北近郊のタイルめぐり 2

2018-09-14 23:35:04 | ディテール
台湾の続き。

次にやって来たのは、中和禅寺。岩山の上に見上げるような楼閣が建っていた。これは新しそうに見えるが、、、?


近づいていくと、中央の供卓のまわりにマジョリカタイルが貼られている!
このお寺は建て替えられているが、この部分だけは古いまま残されたそうだ。


両脇には、シンガポールでよく見た2枚組の孔雀のタイルを対で配置。
 

卓の前面には、豪華なスペシャルエンボスタイルが、ポツポツと。1枚1枚をありがたく点在させているのは
日本っぽい使い方だな。存在感のあるタイルをずらーっと張り詰めてあるのは日本人から見ると贅沢すぎて
落ち着かないのだ(笑)。いや、私がみみっちいだけかも!?(爆)


日本タイルメーカーは、輸出先のオーダーを受けてそれぞれの使用地好みのデザインのタイルを作ったようだが
台湾独特のデザインは写実的なものが多いように思う。中でも果物は特に生き生きと描写され、グラデーションや
凹凸までリアルに再現されている。




下には、マジョリカタイルのボーダーで囲んだ中に、男の子と女の子の中国風の絵付けタイルが。
 



ところでこのお寺は岩山の上に建っている。


上ってくる途中にも大きな岩肌が露出していて、その間をよじ登るように階段が作られていた。


岩の間を石垣で埋めてある。


この最寄りのMRTの駅は「奇岩」駅。ははぁ、なるほど、いまは街になって隠れてしまっているがこのあたりは
こういう岩山や巨岩がゴロゴロした奇景が広がっていたんだろう。


北投の温泉街の裏手に日本建築のお寺があるというので行ってみる。


階段を上っていくと現れたのは、あら、ほんとに日本っぽいお寺。木部が黄土色に塗られているのがちょっと
違和感があるが、いぶし瓦の本瓦葺きで、台湾の他の寺廟とは明らかに違う。
ここは元々湯守観音が祀られた仏教寺院で「鉄真院」と呼ばれていたそうだ。この建物は1915年に建てられ、
1934年に改築されている。戦後廃寺となったあと普済寺という密教寺院となった。


ぐるっと周りを回って中を覗いてみると畳も敷かれており、日本のお寺と言っても全く分からないほどだった。


最後は奇岩駅近くで夕食をご馳走になった。
そのお店の近くのレトロなマンションの壁のタイルがかわいい~~!カラフル!周辺一群のマンションが全て
このタイルだった。


マンションのような大面積の壁にこんな小さなモザイクタイルを使うなんて、日本ではありえないな~


早い時間に入ったので並ばず食べることができたが、その後続々とお客が来て順番待ちの列ができる人気の店らしく、
料理はどれも美味しかった~




あぁ、台北近郊にもいろいろタイル名所があったのを知らなかったなぁ。
半日車で案内して頂き自分ではなかなか行けないところに楽々行くことができたし、多分自分ではわざわざ
見に行くことはないだろう絵付タイルのすごい物件も見れてよかった。片言の英語と筆談で解説もして頂いたので
より興味深く見ることができて、康先生にはほんとに感謝!ありがとうございました。

宿に帰ってマンゴー祭り♪


続く
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台北近郊のタイルめぐり

2018-09-13 23:58:28 | ディテール
台湾の続き。

午後からは、フェイスブックで少しやりとりしていた康先生が台北近郊のタイル物件を案内してくれるというので
宿の前で車でピックアップしてもらう。康先生は台湾の古蹟建築の研究を20年以上続けておられ、台湾老花磚の本
以外にも民家や廟建築の本など多くの著作がある。
初顔合わせだし、ネット上では中国語のgoogle翻訳のコピペで話していたので、ちゃんとコミュニケーションが
取れるかと一抹の不安を感じつつ・・・まぁ何とかなるだろう、と。
会ってみると気さくなおっちゃんで、言葉も適当な英語と日本語で何とかなるものだ(笑)

川向こうの三重というところにお勧めのタイル物件、「三重先嗇宮」があるというので行ってみる。
まちなかのごちゃごちゃした場所にあるのかと思いきや、川の近くの開けた場所に、それは建っていた。


おぉ、かなり大きな廟だな!そして、入口の壁が青い。あれは・・・タイルだ!


近寄ってみると、マジョリカタイルがずらりと!!横7列、縦に10列で合計70枚のタイルパターンが、4ヶ所に。
爽やかな水色を地色としたタイルと、白地に同じ水色の模様が入ったタイルが使われ、遠目には水色のグラデーション
に見える。瓦や壁に貼られた磚の赤色に映えるなぁ!






垂直に接する壁には黄色ベースの花柄のタイルが貼られているが、それぞれ違った柄だ。


とてもきれいな状態で保たれているなぁ。やはり毎日人が出入りして使われ続けている建物だから
日々のメンテナンスが行き届いているのだろう。


ここにはいろんな神様が祀られているが、主神は神農大帝、農業の神様である。
たわわに実った稲穂を抱えた色黒の神様。


この三重先嗇宮は1755年に創建され、元は新荘あたりにあったが淡水川の氾濫により移転して最終的にこの場所に
落ち着いた。三重区の最古の廟であり、新北市の指定古蹟となっている。梁や柱の彫刻もすごく凝っているが、
比較的新しいものだとか。古いものはもっと精巧だと言うが、これでも十分素晴らしい。


奥の建物の3階まで上ってみると屋根が目の前に。棟の端が反り返って屋根の上に大きな装飾の載っている手前の
部分が北京風の建物で新しい。両側の棟と奥の棟が閩南様式の古い建物だ。違った様式で増築されてきたことがわかる。


この地に移ってきた時はおそらく付近はのどかな農村地帯だっただろう。農家の信仰を集めた廟が、都市化とともに
いろんな神様を合祀して都会のニーズ(?)にも応えて発展してきたのだろう。


そこから少し移動して、今度は北投の方にある福安宮へ。
それは目立たない小さな建物で、日本人観光客など絶対に来ないだろうというローカルな廟だった。
ここにはマジョリカタイルはなく、あるのは中国風の絵付けタイルである。塀にもそのタイル絵が見えるが・・・


一歩踏み込むと、絵付けタイルが壁や天井や梁の部分を所狭しと埋めつくしていた!


日本ではお風呂屋で小さな面積のフレームに描かれたお決まりのデザインのタイル絵を目にするぐらいで、ほとんど
見かけないが、中国建築ではとてもメジャーな絵付けタイル。
古いものは日本製のタイル素地に台湾で絵付けして焼き付けたというが、戦後のものは日本製かどうかは不明。


勇壮な戦いや歴史上の出来事の一場面、龍や花鳥などが描かれており、小さなものから巨大なものまで。
専門の絵付け職人がいたのだろう、多くは銘が見られる。


これらはすべて北投温泉街の旅館などによって奉納されたものだとか。
この建物が増築された戦後当時は北投の温泉旅館街は羽振りがよく、各旅館が競うようにタイル絵を奉納したのだろう。
北投大飯店、龍城大飯店、美楽荘大飯店・・・などなど、今はもうない旅館名がたくさん見られ、
絵の大きさでその勢力が窺える。


鯉や龍を擬人化したユーモラスな絵(笑)




続く
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台北駅周辺の風景

2018-09-12 21:14:12 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

台北の朝。昨日まで金門島で興奮しすぎたし、午後からは約束があるので午前中はあまり遠出せず近辺を散歩することに。
国立台湾博物館へ行ってみると閉まっていた。あっ、今日は月曜日かぁ!
何度となく台北に来ており、台北中心部の近代建築を見て回ったことも何度かあるが、実はここに入ったことがない。
数年前に来たときは工事中だったし、どうも縁がないようだな。。。


忠孝西路一段と博愛路の大交差点に面した角地に建つ、台北郵局。日本統治時代の1930(昭和5)年に旧台北郵便局と
して建てられた。現在も現役であるところがすごい。


平日で営業していたので中へ入ってみた。高い吹き抜け!このスペースはギャラリーになっていた。


4階は戦後の増築なのだとか。えっそうなの!?驚いた~


こちらは隣の建物で郵局とつながっている。郵局の一部か?戦後建築だろうがレンガ色の縦縞タイルがいい感じ。


十数年前に初めて台北を訪れてから、台北駅より西側は、もともと台北駅西隣にあったバスターミナルぐらいしか
用事がなく、郵局も一度見に来たことはあったと思うのだが、何かこのあたりごちゃごちゃしたイメージがあった。
というか、ほとんど記憶に残っていない(汗)

郵局からほど近いところにある、撫台街洋楼。これは台湾に現存する最も古い洋風町家のひとつだとか。
撫台街というのは、清代にあった「巡撫衛門」に由来して日本統治時代につけられた地名で、北門の南側、博愛路、武昌街、
中華路に囲まれたエリアを指すらしい。
長屋ではなく独立して建ち、銅板葺の寄せ棟屋根にドーマーウィンドウが載った印象的な建物だ。


日本の高石組が、1910年に本社と社長宅として建てたが、その後所有者が転々とし、最後は国防部の公務員宿舎と
なっていたという。1997年に市定古蹟に指定され、一部破壊された部分も修復されて、2014年から
「台北撮影センター」として運営されている。


そして北門。台北城にあった5つの門のうち、当時の姿をとどめるのはここ北門のみで、他の門は復元。

重厚な石積みの門は、いかにも敵の襲撃に備えるようなものものしさを感じさせる。
そこに続いていた城壁は日本統治時代に取り払われ、跡地に道路が建設された。
なのでこの北門は広い道路のど真ん中にあるのだが、あたりは広々とした歩道があって公園のようになっている。

広い歩道の一角に、石の角材が互い違いに積まれたオブジェがあった。これは何だろう、発掘された遺跡か??
説明板によると、これは台北城の城壁の構造を再現したものらしい。地盤が軟弱なため杉杭を7m下の岩盤まで
打ち込み、その上に3~5mの木材を横置きし、その上にこの北勢湖産の砂岩の角材を10層重ねたという。
表面には硬い安山岩(観音山石)が積まれていたとか。北門もこれと同じ積み方になっているな。


そして郵局から北門を挟んで相対する、旧台湾総督府交通局鉄道部。こちらはお役所とは思えないこじゃれた建物!


敷地の角に設けた入口に三角の破風を見せ、赤レンガにハーフティンバーの組み合わせ、道路に面してアーチを並べた
外観はまるでリゾートホテルのようじゃない!?


ここはしかしまだ修復作業中であり、オープンしていない。周囲の鋼板塀には建物の立面図が描かれた幕が張られ、
どういう建物なのか分かるのが素晴らしいな。この建物以外にも、敷地内にはいくつかの建物が点在している。


そこにはこんな建物も描かれていた。何これ!?


興味をそそられ、どこか覗けるところがないかとぐるっと回ってみる。
手を伸ばしてカメラを掲げ塀の中を撮ってみると、うわっ、ほんとにこんな建物があるな。
いったい何の建物だったのか、修復して見学できるようになるのか、ますます気になって完成が楽しみになった!!


鉄道部の台北工場の建物の一部を取り壊してMRT北門駅の入口が作られたのだろうか、工場をスパッと
切り落としたような断面の、大きな壁がそそり立っていた。「台北工場」と書かれている。


そしてその前に・・・・あら~カワイイ!!「鉄道部」と書かれた駅名標のオブジェが。


その上の透明ケースの中にあるのは、、、レゴで作られたレンガ車庫!う~ん、このセンス、最高!!


さらに西の方へ歩いていくと、さすがにまだ開発されず放置されたような古く荒れた一画があった。


フェンス沿いに無法地帯のように車が路駐しており、雑木林のようにうっそうと木や雑草が茂った中に、崩れかけた
日本家屋があったり・・・このあたりに日本家屋が風前の灯のように残っているというのは友人から聞いたことがあり
一度見にきたことがあるような記憶も。。。周りがかなりさっぱりとしただけに、そこだけ手付かずなのが妙に
いかがわしく感じるな。。。




しかしフェンスに何やらプレートが・・・「交通部台湾鉄路管理局」名で貼られたプレートには、「市定古蹟機器局
第五号倉庫及び歴史建築台鉄局局長宿舎緊急防護工程」と書かれていた。ええっ、このボロボロの日本家屋を保存修復
しようというのか!?なんとまぁ・・・
こんな小さな建物も自国の歴史としてきっちり記録、保存しようという台湾の姿勢は、日本にも見習ってほしいなぁ。。




MRT空港線台北車站の開業とバスターミナルの移転で大きく変わった台北駅前。さぁ今度は黒々としたこの森が、
どのように姿を変えていくのだろうか。台北駅舎のシンボル性が際立つ個性的な駅前風景が、徐々に進化していくのが
毎回楽しみだ。


続く
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金門島でタイル三昧 珠山 Zhushan

2018-09-11 22:31:00 | ディテール
台湾、金門島の続き。

水頭の洋楼を見学したあと、少しスクーターを走らせて古崗楼へやってきた。半人造湖である古崗湖の水面に浮かぶ
ように造られた三階建ての楼閣で、反り返った緑釉瓦の屋根の上には動物型の装飾が賑やか。金門島で見て回っている
閩南建築とは明らかに印象が違う、いかにもな北京風の建物だ。ここの2階にタイルがあると聞いたのだが・・・
これまでに台湾各地で見た北京風の寺院建築には、レンガ色の磚はあっても、マジョリカタイルは全く見なかった。
本当にここにタイルがあるのか??と思いつつ、中へ入り2階へ。


すると、カウンターのところにマジョリカタイルがみっしりと。これは何だか、後から作られた感じだなぁ。
近寄ってみると、おや、これもイッチンによる手描き。


同じように見えるタイルも古いものと新しいものが混在しているようだ。




後から検索してみると古崗楼は1964(民国53)年に造られたらしいので、マジョリカタイルとは時代が違う。
こういう人研ぎの床などはその時代に合っているな。


また少し走って珠山という集落へ。池を中心にまわりに家が段々畑のように建っている典型的な風水的配置。


スクーターを置いてうろついてみると、一軒マジョリカタイルの貼られた家を発見!


軒まわりにタイルが使われている!




ここでも新しいものと古いものが混在しているな。レプリカを部分補修として使うのはいいのだが、全部新しいものに
取り替えてきれいにするという名目で古いタイルを剥がしてしまうことのないようにお願いしたいものだ。。。


珠山集落には洋楼もあったが、見ての通り空き家で(汗)タイルも見られなかった。あぁ、崩れ去る前に何とか
活用されればいいんだけどなぁ。。。金門島各地のうち捨てられた洋楼をまとめて修復を手がけ、ホテルかお店を
チェーン展開するような事業があってもいいかも。


さてもうそろそろ金城へスクーターを返しに行かなければ。
官裡という集落のあたりで、赤い瓦の建物が並んでいたのでちょっと見に寄る。
マジョリカタイルがずらりと貼られているが、なんだかちょっと白々しいというか・・・復元建物かな?


タイルだけが新しいのかもしれない。




その後ろにもまた、ほぼ同じ形の建物が。




金門島の民居の馬背と燕尾をデザインしたタイルもあって、デザインとして面白い。


あぁ、もういくらも時間が残っていない。
金城は金門島で一番大きなまちだが、古い民居や洋楼も多く残っているらしく、老街があったりと見どころが多そうだが、
今回は全く散策できなかった。。。勝手は分かったので、また来るかぁ~~

活気ある民族路の商店街でマンゴーとドラゴンフルーツを買った。夜に食べよう♪
ふと覗いた横丁の奥に、レンガ造りのアーチが見えたので曲がってみる。おぉ洋楼!最後に一つだけでも見れてよかったな!


スクーターを返し、空港へ。
あぁ、たった2泊で短い滞在だったけど、スクーターのおかげで島内の主な集落をほぼ回ることができ、
小金門にも行けたし、タイル物件をたくさん発見することができた。やっぱり自分で探して見つける方が楽しいな!
金門島での宝探し、夢のような3日間だったなぁ!!


台北へ戻り、お決まりのワンタンを食べ、ホテルの部屋でドラゴンフルーツを1人でぺろりと(笑)



台湾の旅はあと2日間ある。

まだ続く。
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金門島でタイル三昧 水頭 Shuitou (6)

2018-09-10 23:51:25 | ディテール
台湾、金門島の続き。

小金門から戻ってきて、まだ夕方まで時間があるので、再び水頭集落に立ち寄って洋楼の内部見学をしよう。
外観は何度も見ていた得月楼と黄輝煌洋楼、やっと開いている時間に行くことができた。


観光客が結構来ているようだ。私も早速入ってみると中には平屋建ての洋楼があった。入口は頭上に扁額があったり
左右に文字が書かれていたりと中国風だが、白い壁と洋風の装飾に違和感なく溶け込んでいるなぁ。


そして軒下にマジョリカタイル。卍崩しの模様もさりげなく入っていたが、雷文で中和されているように感じる(笑)


得月楼は中へ入れなかったが・・・銃口がいくつも開けられているのが見える。銃口にもひさし用のモールディングが
つけられていて、それがどうしても眉毛みたいに見えてしまう(苦笑)


右の方に行くと、外から見えていた2階建ての洋楼とつながっていた。レンガ張りの1階の壁が一部フレーム状になっていて
レンガで形作られた卍崩しの模様の間にマジョリカタイルがはめ込まれている。


こんな素敵な使い方初めて見るなぁ!
その上には「喜喜」の文字が。結婚のお祝いにこの洋楼が建てられたのだろうか。一般的な吉祥文なのか。




こちらの入口にもびっしりとタイルが!




よく見るとイッチンによる手描きタイルだ。日本製ではなさそう。この手のレプリカタイルをよく見かける。


室内の腰張りにもタイルが使われている。


こちらも、上下のボーダーのタイルはモールド製だが、花柄のタイルは手描き。
手描きと分かってガッカリするというのは何ともおかしな話だ(苦笑)。しかも品質も結構よさそうなのに。
この不可解な「ちょっとガッカリ感」の原因は何かと考えてみると、「じゃあ元々貼ってあった日本製のタイルは
どこへ行ったのか?」ということなんだろう。






ここでは洋楼についての展示があり、その説明によると、金門島には少なくとも51町村に133棟もの洋楼があった。
金門島の洋楼はほとんどが、南洋へ渡って一旗上げた華僑たちにより、1920年代~30年代に建てられたという。
当時明清時代の閩南建築からすると新しかった洋楼も、70~80年の時を経て美しさは色あせている、と。
いやいや、しっかりした材料で作られている洋楼は改修すればまだまだ往時の輝きを取り戻せるよ!!


風獅爺文物坊も開館していた。


こちらは土産物屋やカフェが入っていたり、イベントをやっていたりと賑やか。


入口のタイル。




おぉ、このデザインは金門島で初めて見るな。アザミのつぼみのデザインのハーフサイズタイル。その下の葉っぱの1/4
サイズのタイルも見かけない。嘉義のタイルミュージアムやシンガポールのタイルギャラリーで見たアザミ模様の
タイルはたいがいベルギー製だったが、これはどうなんだろうか。


お茶を飲んでゆっくりするほどの時間もないので、建物見学だけさせてもらおう。


うわぁ、素敵!




センスのよい設えでこんなにも生き生きとした魅力的な空間になるのだから、あちこちで見てきた崩れ落ちそうな洋楼も
もう一度再生してホテルにしてほしいなぁ!!


ベランダの壁にもマジョリカタイルが貼られていた。


続く
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金門島でタイル三昧 烈嶼(小金門) Lieyu (2)

2018-09-09 22:03:52 | ディテール
台湾、金門島の続き。

上林集落の洋楼は無事見つかったのだが、なぜかやたら人が集まっている。いったい何??
カメラを首からぶら下げている台湾人のおっちゃんは明らかにこの建物を撮っている。しかも、タイルにカメラを向けている。
たまたま台湾のタイル愛好家が同じようにこの建物を撮りに来ているのだろうか。
ずっと待っているのも何だし、私も負けじと(?)撮ることに。


美しい~~!フェイスブックで見ていた通りの5枚セットのケシの花のマジョリカタイルが、窓の両脇に貼られており、
それが左右の壁にある。おぉ~~~っ、ようやく実際に見に来れたのだ!うれしさがこみ上げて来る~~




入口扉横の壁と垂直に接する面にも同じタイルが貼られていた。こちらは縁飾りつき。


その上の4枚1組のタイル。

向かって左側はとてもきれいな状態だったが(きれいすぎて新品かと思うほど)、右側は、どうやったらこんなになるのかと
いぶかしむほど痛々しい状態。まるで剣山を叩きつけたような(苦)

組絵タイルでもこういう縦長の組み合わせは日本ではほとんど見られないだろう。暖炉脇に貼るにはちょうどいいが
それ以外の用途が思い当たらない。そもそも日本でマジョリカタイルの使われ方としては、散らす、縁飾りとして使う、
連続柄を並べて小面積で壁紙のように使う、というのが多い。なので、このケシの花のタイルはとてもイギリスっぽく感じる。


しかし金門島のタイルはほぼ100%日本製だそうだ。実際、シンガポールやマレーシアで見たイギリス製や
ベルギー製のタイルは全く見られず、淡陶や佐治など日本でも見覚えのあるタイルがほとんどである。
このタイルだけイギリス製ということはないと思われるので、このケシの花のデザインもイギリス製をマネして作った
日本製だろう。実際のところは剥がしてて見なければ分からないが。


横でタイルを撮っていたおっちゃんに、あなたもタイルが好きなんですか?と声をかけてみると、そうだ、と言う。
一気に親近感が湧き、私は日本人です、このタイル素晴らしいですね!!と感動を分かち合う(笑)
どうやらそのおっちゃんは同じ趣味の友人と2人で大金門からバイクで来たようで、この家の人と知り合いなのか、
門の中へ入って行って話している。


おっちゃんが出てきて私に手招きする。中へ入ってもいいって言ってるからおいでおいで!と。ええっ、ほんと!?
私のこともその家の人に説明してくれたようだ。うれしい展開にドキドキ!!


中庭に踏み込むと、ぐるりにもタイルが~~うわぁ~~!




おっちゃんはどんどん建物の中へ入って行き、振り返っておいでおいでと。ここのお家の奥様もにこやかに、
どうぞどうぞ、と招き入れて下さる。えぇ~~いいの!?ありがとう~~おじゃまします!!


メインの部屋から奥へつながるアーチの開口部が左右にあり、その上にかわいらしいタイルが4枚ずつ飾られている。


周囲の雷文はステンシルだろうか。


この額縁に入れられた牡丹の絵もタイル製のようだ。


奥の部屋は階段室になっていた。かなり急勾配だが、左右どちらからでも上れるように二股になっていて、
踊り場で合流してからまた左右に分かれて2階へ上がるという、X字型の階段。結構狭いスペースにこんな
ドラマチック階段が設えてあるなんて、驚いた!


たたきなのか、コンクリートなのか、どっしりしている。角を作らないように丸くしてあるのが優しいね。


二方向に作っている分部屋は狭くはなるが、どちらからでも上り下りできて便利だ。


この階段にすっかり魅了されてしまった(笑)


ようやく2階の部屋に入ると、うわぁ、明るくて風通しがよくて、快適なリビングルーム!
ご主人と奥様(関係性はちょっとよく分からず・・ご主人はかなり年配なので娘さんなのかも・・汗)がソファを
勧めてくれ、お茶まで出してくれた。もう感激~~こんなに厚遇してもらっていいのだろうか~~!?


この家のご当主の林馬騰さんによると、この家は民國25年(1936)に建てられたものだそう。
ここも中国との戦争で爆撃を受け、すぐ上手の家まで焼けてしまったがここは何とか無事だったという。
しかし爆撃で体にも傷を負われたそうで、ちらりと見せて下さった腕には大きな傷があった。。。
美しいタイルの館で穏やかな暮らしが営まれているが、やはりこの地が厳しい歴史を経て来たということを垣間見た。

リビングでボチボチお話ししたり、昔のアモイの写真集など見たり、日本人のご友人の名刺を見せてもらったり
ゆっくりさせて頂いた。

ところでタイル好きのおっちゃんたち2人と、この家の方2人と、その友人の方2人と、皆でごはんを食べに行くと
いうので私も一緒に行こうと誘って頂き、となりまちの食堂で一緒に円卓を囲ませて頂いた。
タイル好きのおっちゃんたちは、元教員で民俗学をやっている仲間だそう。


皆ほとんど中国語しかできないし私も中国語ができないので、簡単な英単語とグーグル翻訳でぼちぼちと話すだけだが
なかなか意思疎通できない一見の外国人に対しても皆ニコニコと親しげで、翻訳に耳を傾け、ローカルなごちそうを
勧めてくれたり取り分けてくれたり、親切にして頂いた。あぁなんていい人たち。感激!ほんとにありがとう~~~


感激で胸いっぱいのまま港近くまで戻ってきたとき、赤色になっていたスクーターの電源が点滅を始めた・・・ヤバイぞ。
緑色の目盛が1つ減ってからは早かった。赤になっても10kmぐらいは走れる余裕を見てあるんじゃないかと、
勝手に思っているが(汗)・・・船に乗り込んでも気が気ではなく景色を楽しむ余裕が全くない(苦笑)
金城のレンタル屋まで水頭の港から5kmはある。途中坂道もあり、途中で止まってしまうと押して歩くしかない。
どこかに充電器はないだろうか・・・
水頭の港に着いて、観光案内所の横にあった別の会社のレンタルバイク屋の兄ちゃんにすがる思いで声をかけたら、
様子を見に出て来てくれ、あーこれはバッテリーを交換しないといけないな、港を出た左側に店があるからそこへ行け、と言う。
えっえっ、何の店って?そこで充電できるの??とりあえず言われたところへ行ってみるしかない。よろよろとスクーターを
走らせ行ってみると、何とそこは金城で借りたレンタルバイク屋の支店だった!!
店員が手際よくバッテリーを交換してくれ、スクーターはめでたく復活!!ふぅ~~っ。料金はかからず。
こんなサービスがあるのか~素晴らしい!これで安心して夕方まで散策を続けられる。よかったぁ~~~

続く
コメント
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