まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

11/3~ INAXライブミュージアムで和製マジョリカタイル展

2018-10-31 23:01:34 | イベント
企画展 「和製マジョリカタイル―憧れの連鎖」 Japan-made Majolica Tiles―Trail of Inspiration

【会期】2018年11月3日(土・祝)~2019年4月9日(火)
【会場】INAXライブミュージアム「土・どろんこ館」企画展示室
【休館日】水曜日(祝日の場合は開館)、2018年12月26日(水)~2019年1月4日(金)
【観覧料】共通入館料にて観覧可(一般:600円、高・大学生:400円、小・中学生:200円)
【主 催】INAXライブミュージアム企画委員会
【協 力】株式会社Danto Tile、台湾花磚博物館、コンフォルト(建築資料研究社)
【展示デザイン】GENETO


資料提供:INAXライブミュージアム 撮影:梶原敏英

公式サイト
リーフレット

台湾の嘉義にある台灣花磚博物館をmayumamaさんと一緒に訪れて、その素晴らしい活動とタイルコレクションに感動し、
日本でも広く知ってほしい!と、2人でいろんな施設に声をかけて、いろんな人に相談していたところ、
LIXILさんがそれを取り込んで展示企画をして下さることになった。
イギリス製のヴィクトリアンタイルをまねて日本でマジョリカタイルが作られるようになった歴史、海外各地に渡った
日本製タイルの最新情報など、さすが世界のLIXILさんらしい幅広い内容となった。
台湾についてはその一部でパネル紹介のみとなってしまったが、台灣花磚博物館の徐館長を招いての講演会が実現し、
台湾と日本のタイル研究者、愛好者の交流によってますますタイル界隈が盛り上がっていくことに期待が高まる!!

※台湾では「マジョリカタイル」という名称はあまり使われず、「花磚」「彩瓷面磚」「タイル」などの呼び方が
 ありますが、統一されていないようです。

そして、、、今回のことを今年6月に亡くなられた酒井さんにご報告したい。
闘病中とは知っていたがそこまで状態がお悪いとは知らずに相談した私の話を丁寧に聞いて下さり
電話やメールで実際的な助言を下さった。
レベルは天と地ほど違うのに、同じタイル好きとしていつもフレンドリーに接して下さる方でした。
天国から見て下さいますように。。。
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2018.9.21~24 雲林、高雄の旅 もくじ 

2018-10-30 22:20:51 | Weblog
ピーチのサイトでオープンジョーのチケットを買えるって知ってた!?私は初めて知った。
これまでは、関空~台北、高雄~関空というチケットを買いたいと思っても、行きと帰りをバラで買うしかないと
思っていて、帰り便は台湾ドル建てとなりセールがも適用されないのか結構高くなってしまうため諦めていたのだった。
買えるとわかって喜んで早速取ってみた。(複数都市うんぬん・・・のボタンから)

三連休の前日に午後休を取って慎ましやかに出発したのだが・・・ピーチの機材到着遅れで3時間も出発が
遅延したのだった。まったく~~~こんなんだったら午後休した意味ないじゃ~ん。
関空第2ターミナルで4時間も待たされて、行く前に疲れたが、、、台湾へ着いたらやっぱり楽しくて元気が出る!!

台北のモザイクタイル廟
台北故事館でタイル展を見る
鶯歌をふらふら歩く。
斗六の老街
斗六の建物をめぐる。
西螺の老街を歩く。
西螺戯院
虎尾の役所関連建築3つ
虎尾駅と虎尾糖廠鉄橋
高雄の夜散歩
あぁ、感動の高雄ライトレール
高雄の朝散歩



短期間で台北から高雄へ縦断する旅となったが、台北ではタイル展を見れたし、前から行ってみたかった雲林県の
3つのまちをハシゴできたし、高雄では念願のライトレールにも初乗車したし、今回も楽しく充実した旅だったな!
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高雄の朝散歩

2018-10-29 22:02:45 | 建物・まちなみ
高雄の続き。

せっかく終点の籬仔内駅まで来たので、見知らぬ街をちょっとうろついて、朝食を探そう。
少し歩くと市場があった。どこでも市場は活気があって、生の食材が山積みされた光景は人間の生きる
たくましさが感じられるから好きだ。




市場の入口脇にあった塩水意麺の屋台で食べることに。席に着くと、おっちゃん、大サービスで扇風機をこちらに
向けて固定してくれたけど・・・寒いからこっそり首振りにしたら、またご丁寧に首振りを止めてくれた(苦笑)


薄いひらひらの麺とあっさりしたスープは朝食にぴったり。


さておなかが落ち着いたらそろそろ移動しよう。
籬仔内駅から乗り込んだトラムはラッピング車両で窓にもシートが貼られていた。あちゃー、ハズレ!!
日本でもローカル線などで時々出くわすこのタイプ、ラッピングの柄が窓だけ抜けることなく全体に貼れて
中からは外の景色も見えるというものだが、無数に開けられた小さな穴越しに、人の目なら外の景色に焦点を
合わせることができるのだが、カメラで風景を撮ることはできない。いつも思うがこれはやめてほしいなぁ~~(汗)

高雄展覧館駅で降り、先に渡船乗り場を見に行こう。展覧館の建つ星光公園の一角に桟橋があるようだ。
運河と貨物線と岸壁に挟まれていたエリアがきれいに整備され、緑豊かな公園に生まれ変わった。


元々貨物線の線路が敷地を斜めに突っ切っていた名残の橋が残っていた。施設はサイクリングロード時代に
整備されたものだろうが、形の分かるこういうオブジェを残しておいてくれるのがうれしいね!




岸壁の奥の方には、多分家を買えるほどの値段であろう高級クルーザーが停泊していた。いや、庶民の家などより
ずっと高いかも。ま、私には縁はない(苦笑)

あぁそしてこれが渡船だな。しかし、、、桟橋は鎖で閉められており管理小屋にも人気がない。


時刻表が貼られている。なになに、13:00、14:00、15:00、16:00。
えーっ、午後だけかぁ!?


渡船はこの新光埠頭の端っこにある桟橋から旗津までを結んでいる。帰りはここから旗津へ渡り、また渡船で
鼓山へ戻ろうと目論んでいたが、無理だな。。。お昼には空港へ向かわないといけないのだ。残念。。。
貨物船が行き来する高雄港の中を旗津までクルーズするのは楽しそう~。次の機会には必ず!


渡船は諦めて、陳中和紀念館へ向かう。10分ほど歩くと見えてきた。あれだな。


テラスがぐるりと回った洋楼が、庶民的な住宅街の真ん中に塀に囲まれて建っていた。


陳中和は、日本統治時代に初めて台湾資本による製糖会社を設立したのをはじめ幅広い事業で成功し、
数々の政治家を輩出する高雄の名家陳一族の基礎を築いた人である。
この洋館は元々陳中和の邸宅として1920年に完成した。現在はすでに住まいでなく、1997年からは
記念館として一般に公開されている。


しかしここも月1回しか公開されていないのか。恨めしげに敷地のまわりをうろつき、柵の隙間から写真を。




立派なペディメントのレリーフや、入口まわりの水色のタイルなどを見ると、内部もこだわりの意匠がありそうな
気がしてつくづく残念。。。しかし入れたとしても内部は写真撮影禁止らしい。




ところで門の横に張り付くように建っているこのレンガ造りの古い民居は、陳中和の付き人の家だったのだろうか?
かなり古そうで、邸宅の敷地の一角を欠いたように建っているので、同時期に建てられたのではと想像する。
入口ドアが開いていたのでちらりと覗くと、祭壇があり今も人が住んでいる雰囲気だが人影はなかった。

※全く関係ないかもしれない。

戻りは国際展覧館駅の次の旅運中心駅まで歩こう。以前はこのあたり新光埠頭の岸壁まで伸びたレールが
残っていたっけ。


ところで、さっき車窓から見た草の生えた土塁のようなものはいったい何だ!?
岸壁からは少し離れたところに、間をあけて並んでいる。海に向かって高くなっており、岸壁側は垂直の壁。
防潮堤ではないだろうし、、、
階段があるので上ってみたら、上はフラットで港の風景がきれいに見渡せる。展望台なのか?


これはどうも倉庫のようだ。災害時の備蓄倉庫だろうか。ちょっと奇妙だが、夜にここに上って港を眺めるのも
ロマンチックだろう。あっ、海上花火大会の観覧席としてもぴったりだな!


さぁ、またトラムに乗って哈瑪星まで戻ってきた。何度も見ているが高雄港駅の展示をさらっと見ていく。


今やライトレールに生まれ変わった臨港貨物線のルート図を見る。この図の通り、将来的には環状鉄道となる計画。
哈瑪星から先、籬仔内から先も工事中で、2019年末には全線開業の予定とか。楽しみ~~!!


あぁ、楽しく充実した朝の散歩だった。
ピーチの高雄便は出発が14時台と早いが、空港が近いのでギリギリまで遊べる。
泊まった美麗島のホテルのチェックアウトが12時なのもGOOD。シャワーを浴びて荷物を整理して
悠々出発。高雄の定宿にしようっと!!

終わり。
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あぁ、感動の高雄ライトレール

2018-10-28 18:06:27 | 鉄道風景
高雄の続き。

高雄発のピーチ便は14:00発なので、高雄での滞在は午前中いっぱいしかないが、去年開通したライトレール
(高雄捷運環状軽軌)にどうしても乗りたいと思っていた。1月に嘉義へ行く前に高雄に少し立ち寄った時
走っているのを目にして開通したことを知ったのだったが、その時は乗る時間もなく横目で見ていただけだった。
早起きして乗りに行くぞ~!

朝からMRTで西子湾へ移動、出口を出たらすぐライトレールの哈瑪星(はません)駅がある。あの高雄港駅の中に!
「哈瑪星」とは、日本時代に呼ばれた「浜線」という地名がそのまま定着したもの。響きがいいね!
これまでは正式な地名としてはなかったと思うが、駅名になるというのはうれしいなぁ。

まるで高雄港駅から列車に乗るように、構内へ入って行く。ドキドキ・・・


すると見えて来るのは、貨車!客車!機関車!うわぁ~~~
あぁ・・・感動が胸に押し寄せる。なんて素敵な気分だろう。


そして真新しいホームと青々とした芝生が目に入る。背後に広がるヤード。ここから列車に乗れる喜び!
ここに路面電車を走らせるという素晴らしいアイデアは、貨物線を廃止する前に決めていたのだろうか、
まさか、これのために廃止したとか・・・まぁそんなことはあるまい(苦笑)


ライトレールのホームの裏には高雄港駅のホームが。




さてひとしきり写真を撮って浸った後は、2両編成の真新しいトラムに乗り込む。右側がいいか左側がいいか
迷うところだが、結局フリー(立ち)で。


さぁ出発!!
お楽しみはすぐにやってくる。哈瑪星駅を出るとまず左へ大きく90度カーブして道路と並行になる。


この道路は臨港貨物線の廃止後に広い貨物ヤードをズバッと横断するように作られたものであり、
断ち切られたもとの線路の束を横から眺められるスポット。長い長い踏切を渡るような感覚。

かつてこの辺りに転車台もあったのだ。

鉄道博物館のある倉庫街を回り込んでトラムは左へ。かつて殺伐としていたエリアは今や函館の赤レンガ倉庫にも
劣らない賑わい!劇的な変貌である。
高雄港の大きなゲートを横目に今度は右へカーブ。


この辺りの右側にも古い台糖倉庫が並んでいた記憶があるが、いくつかは取り壊したのかもしれない。


もとの貨物線跡を、おしゃれに変貌した倉庫と港を両側に眺めながら、貨物列車と同じ目線でトラムで走るなんて
なんてわくわくするんだろう!


そこから少し上り坂となり、愛河を渡る。


この先の港湾エリアは近代以降に作られた大工場地帯で、工業都市高雄の心臓だったところだが、
街の発展、人口増加に伴い工場や港湾機能はどんどん郊外へと移転していった。
近年郊外型のショッピングセンターや展示場などの大型施設が作られてきたがまだまだ発展途上で、
ここでも巨大な建築が鋭意工事中。






新光埠頭もずいぶん変わったなぁ!


高雄展覧館駅で降りて陳中和記念館を見に行こうと思っているが、せっかくなので終点まで行ってみよう。


前鎮の港あたりからライトレールは海岸を離れ内陸部へ入って行く。
以前、渡船の中州~前鎮航路に乗ったときに前鎮港に着いて自転車で走り出してここにさしかかり、
巨大な交差点の真ん中を堂々と横切る臨港貨物線の線路を「発見」し、感激にむせんだのだった(笑)。


このあたりには肥料や化学工場があったようで、更地になったのはここ数年の間ではないかと想像。
建物が解体されたばかりのような雰囲気で門と塀だけが残っている。土壌汚染などあるだろうから今すぐ
開発に着手はしないだろう。
開発の度合いは地域によりグラデーションがある。これから一帯に新しい街が作り上げられていくプロジェクトの
過程を、ライトレールの車窓から何年もかけて観測することができるというのは、まさにとびきりの観光じゃない!?

さて終点の籬仔内駅に到着。ライトレールはまだここから北へ伸びる予定なので暫定の終着駅である。


大きな交差点の先に前鎮機廠が見えた。


道路の中央にある籬仔内駅のホーム。


この柵など、貨物線の香りがまだまだ感じられるなぁ。。。



この感動を感じてもらうためには、是非ともこれまでの記事を順番に読んでほしい!
2009年(1)
2009年(2)
2011年
2012年
2014年
2018年1月

続く
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高雄の夜散歩

2018-10-27 23:50:27 | 建物・まちなみ
虎尾からの続き。

高鉄で雲林から左営まで移動、台鉄に乗り換えて高雄に着いたらもうとっぷりと日が暮れていた。
長らく続いている台鉄高雄駅の工事はまだ終わらないようだ。跨線橋からホームを俯瞰できるのもこれが最後かと
来るたびに思っていたが、今も地上の状況はあまり変わらない。
ただ前回来た時に見えていたアーチ状の部材は設置し終わったようだな。


改札を出るとMRTの乗り場への誘導が少し変わっていた。地上に出て左手にあった地下への入口が
閉鎖されていて、台鉄の線路に向かうように仮設の歩道が作られている。
荷物を持ったままだが、ちょっと偵察に行くか。


人の流れのまま歩いて行くと、突然視界がパッと開けた。おぉ!?
真新しい駅前広場に玉石タイルのような模様の上屋が架けられている。


そして、吹抜けの開放的な大空間には地下へ降りるエスカレーターが。
正面の壁には「高雄車站」の文字と、その横に台鉄のロゴマークがあしらわれていた。あれっ?台鉄高雄新駅舎は
もう供用開始してるの!?ちょっと下まで行って様子を見てみよう。
ちなみに正面の壁の向こう側は線路とホーム。下方には、さらに奥へ広がっているようなだまし絵が描かれている。


人々はエスカレーターを降りるとUターンするように歩いて行く。奥にはMRT乗り場への通路があり、
一足先に供用開始されたようだ。


ここから見上げると圧巻の景色!


横には台鉄のコンコースへの入口が!ガラス越しに見ると地下駅はもうすっかり整ってオープンを待つばかりのよう。


行き先案内の電光表示板もすでに連動しているようだ。


今度はすでに愛着が湧き始めていたこの仮設高雄駅舎に別れを惜しむことになるな。。。


※上の写真は9月23日の光景であり、高雄地下駅はこのあと10月14日に開業した。

さて宿は美麗島にとっている。地上を歩きたい気分なのでMRTには乗らず、六合夜市を横目に見ながら宿へ向かう。
荷物を置いたら夜の街へ繰り出そう!今回は夜市でなく、MRTに乗って西子湾まで。目指すは鼓山の渡船乗り場。
鼓山は日本統治時代の早い時期に都市計画されたエリアで、近代建築やレトロな建築が残っていて、リノベーション
したおしゃれな店も増えている。


しかし哨船頭街にはこんなベタな店もまだまだあるのが楽しいね!(笑)




鼓山輪渡駅にやってきた。私も人波にまぎれて船に乗り込む。


アイラブ旗津。今から行くよ!!


旗津の海鮮屋で夕食。1品がこの量なので1人だとちょっとツライが・・・4品、ほぼ完食!(笑)

旗津は数年前に来た時は少し寂びれかけていたように思ったが、また盛り返したかな!?東南アジアからのお客も
目立ち賑わっていて安心した。

ふと、そう言えば旗津教会はどうなったのか?と思い出して見に行くと、すっかり建て替わって巨大な教会になっていた。


高雄の夜の数時間も無駄にせず、夜歩きを楽しめたな!


続く
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虎尾駅と虎尾糖廠鉄橋

2018-10-26 23:21:01 | 鉄道風景
虎尾の続き。

まちなかから少し移動して来た。この虎尾駅は日本統治時代の1907(明治40)年に五間厝驛という名で
開業し、以降サトウキビ運搬に加え旅客営業路線としても重要な役割を果たしてきた。
1975年に廃止されたあと修復され、現在は旅客中心となっている。


中はベタなお土産屋(笑)


建物を通り抜けた裏には、、、広大なヤードが!駅舎は今も稼働している台湾糖業虎尾糖廠の敷地内にあるのだ。


サトウキビを積み込む貨車が留置され、背後には工場の倉庫が並んでいる。あぁ~~いいねぇ!


このヤードは今も使っているのかどうかは分からず、冬にはサトウキビが満載された列車が続々と入線してくる、、、
という光景は頭の中に描くのみ。。。


虎尾駅舎の横にはいくつかの建物が並んでいる。1918(大正8)年に建てられたこちらの建物は外壁に
台湾ヒノキが使われていたという。ちょっとよく分からなかったが駅関連の事務所だったのだろう。


中央部に塔屋が載った独特の外観。修復されて今はオーガニック食品の店になっている。


アールデコっぽいデザインの持ち送り。


こちらもレストランになっているようだ。ドアを開けて中を覗いてみたが内部はもうすっかりきれいになっていた。


そしてこちらの廃墟は、もと台糖の診療所と理髪所だった建物。


荒れ放題ですでに朽ち果てかけているが、大屋根に守られ予算がつくのをじっと待っている。




さてこちらは現役の台糖の工場。門から中を覗いてみると、建物の方まで線路が何本も伸びていた。
ん~~いいねぇ~~


線路は工場の外まで伸びているが、途中で寸断されているところを見るともう廃止されたのかな。。。


線路をまっすぐたどっていくと、あっ、鉄橋だ!


リベットぶつぶつの力強いトラス橋。これは「虎尾糖廠鉄橋」で、全長437m。台湾糖業公司の糖業鉄道の
斗南線の橋であったが、鉄道が廃止されたあと雲林県の県定古蹟に指定された。
若い女の子やカップルや子供連れなど、人がいっぱいだ。写真を撮ろうとしても人が入ってしまうな。。


一番工場に近い側のダブルワーレントラスの桁につけられていたプレート。
「WESTWOOD BAILLIE & Co」と刻まれている。イギリスから輸入した材だ。


敷かれているレールは3本。これは三線軌道と呼ばれるもので、台湾ではここにしか残っていないとか。
虎尾鉄橋はもともとは貨物用のナローゲージだったが、その後旅客路線として縦貫線から列車を乗り入れるため
1067mm幅のレールが増設された。面白いなぁ!!


この虎尾糖廠鉄橋は2012年の台風で、橋脚が倒れ橋桁が落ちるという大きな被害を受けた。
しかしその後、中央機関と地方政府と民間企業が力を合わせ、3年の年月と巨費をかけて修復されたのだとか。
おかげでこの虎尾糖廠鉄橋は今も虎尾渓の両岸を結び、文化資産として多くの観光客を集めているのだ。


437mはさすがに長かった・・・下は枕木の間にグレーチングが敷かれているが、軽量用のグレーチングなので
踏み抜きそうで結構怖いなぁ(汗)。対岸に渡り切った時には他の客は誰もいなくなっていた。


駐車場の横にあった現役の「単身宿舎」。


最後に虎尾糖廠名物の棒アイスを併設された売店で買って食べる。あぁおいしい~~

サトウキビ列車が走る姿は見れなかったけど、旧駅舎や廃線跡や鉄橋、そしてアイスまで!虎尾糖廠の風景を
十分楽しむことができた。あぁ満喫!!

朝から夕方まで車で3つのまちを案内してくれた徐さん、ほんとにありがとう!いろいろ話もできて楽しかった!!

続く
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虎尾の役所関連建築3つ

2018-10-24 23:17:17 | 建物・まちなみ
西螺からの続き。

また車で20分ほど走り、虎尾へやってきた。ここは別の目的でいつか来たいと思っていたまちである。
台湾の農業といえばサトウキビ。製糖産業は近代における台湾発展の礎の1つであった。
畑で刈り取られたサトウキビを製糖工場へ運ぶサトウキビ列車は、台湾中南部でかつては網目のように
敷かれていたが、製糖事業の縮小やトラック輸送への切り替えなどによりどんどん廃止され、最後まで残ったのが、
ここ虎尾糖廠のサトウキビ列車だった。
台湾好き、貨物列車好きの私としては、台湾唯一の現役の(観光用でない)サトウキビ列車は是非とも見たい。
しかしこの列車が稼動するのはサトウキビの収穫期である12月~3月ごろのみで、しかも畑の中を走る列車を
見るには徒歩ではツライ。。。てなことで、これまでなかなか果たせていなかったのだ。
今はもちろんその時期ではないし、また現在も生きているかどうか最新情報をチェックしていないのだが(汗)、
雰囲気だけでも感じられるかもしれないし、今度来る時のための下見としよう。

さて、虎尾の中心部には日本統治時代の建築が3軒固まっている。
まず来たのは虎尾郡守官邸。これは日本人の役人が住むために1920~23(大正9~12)年頃に建てられた
完全な木造の日本建築。
光復後は、台南県虎尾区区長宿舎、国民政府来台官員臨時宿舎、嘉義法院雲林庭庭長宿舎、雲林地方法院院長宿舎、
と使われ続け、2001年に歴史建築として登録された。調査、修復を経て現在は「雲林故事館」となっている。


日本にいると錯覚してしまうほど日本家屋そのもの。


木造家屋はおそらくボロボロになっていたと思われ、ほぼ建替えのような工事だっただろうと想像。
それでも長い歴史を背負った建物が、この場所にあるということが重要なのだ。




中山路の突き当たりに堂々たる姿を見せるこの建物は、1922(大正11)年に建てられた元虎尾郡役所。


アーチの車寄せが印象的な1階はレンガ造、2階は木造だろうか。屋根は桟瓦が載った寄棟造。


建物は役所建築らしく奥行き方向にも棟が伸び、中庭に面して回廊がまわっている。




建物内にはこんな「嫌疑犯拘留所」があって、ドキッ!。元控訴院庁舎だった名古屋市市政資料館で
地下に拘置所があったが、郡役所にもあったのか。。。房屋の周りに廊下が回っていて独立しているのは、
犯人が壁に穴を開けて逃亡するのを防ぐためだとか・・・


ここは現在、雲林布袋戯館となっている。布袋というのは人形劇の人形で、手にかぶせて演じる。
布袋劇は中国で生まれたものらしく、頭は木でできていて、衣装はとても凝っていて華やかなものだ。
伝統芸能として守り伝えるためにここで展示や、実際に上演も行われている。


おっちゃんが語り手で、1人で全役を演じているようだった。部屋いっぱいのお客さんは大人も子供も
ゲラゲラ笑いながら鑑賞していた。私もしばらく見ていたが、言葉は分からなくても語り口と人形の動きが
とってもユーモラスで楽しげ。


1階には昔のものから今のものまで人形が展示してあった。昔のものは文楽のような感じで衣装も芸術的。
現代のものは頭が大きくなりデフォルメされている。やっぱりアニメの影響か(笑)


そしてこちら。これはどう見ても消防署だろう!と思ったら、虎尾合同庁舎だったそうで、1939(昭和14)年築。
1階は警察分室と消防組合の事務所、2階は公会堂として使われたそうだ。中央の塔屋には天文台があったとか!
日本統治時代の警察と消防の合同庁舎が残っているのは稀少な例だそうだ。


敷地角の印象的な入口。




塔屋の下の入口から入った階段室。1階に今は誠品書店が入っていた。


吸い込まれるような階段。


2階以上は上れなかったけど、このかわいい手すりを見て!こんなの日本でも見たことないな!


2階ではイベントか何かやっているようだったが、ちょろっと部屋に入らせてもらった。
そしてこの金庫のようなのは・・・奉安庫か!!奉安庫とは、天皇の写真を収めて崇めるためのものだった。
台湾に建てられた役所建築にもやっぱり奉安庫が設置されたのか。それが全くそのまま、めくれた錆も生々しく
残っているとは。ちょっと衝撃だった。


続く
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西螺戯院

2018-10-22 22:35:26 | 建物・まちなみ
西螺の続き。

老街はまだ続く。
楕円や六角形がひときわモダンな雰囲気を醸し出しているこの建物は、1941年頃に建てられたもののよう。
昭和16年だと太平洋戦争に突入するころだが、こんな質の高いタイル貼りの商店建築が建てられていたのだな。


「山玉」、あっ違う、「玉山」か。この建物は珍しく1階がトンネル路地になっていた。元からだろうか!?


トンネルの壁には老街の各建物の立面図が描かれたプレートが並んでいた。
それによるとこの建物は1939年頃の築。ここも2階が円弧状に張り出しすというかなり斬新で自由な造形だ。
しかしこのトンネルは車が通るので、のんびりプレートを眺めているととても危険(汗)


そして西螺での一番のお気に入りが、茶商であっただろうこの建物のバルコニー。
手すりに「茶」の文字、しかも文字がおいしそうな緑茶の緑色なのだ!(笑)


老街の中には空き家もあり、使われていない建物は明らかに老朽化が激しく亭仔脚の下を歩くのも危険だ。
しかし台湾のすごいのは、こんなふうに老朽化してすでに崩れているような建物でも、大事に修復して使い続けること。
もちろん部材は新しいものに変わるが、歴史を背負った建物がその場所に存在し続けることに価値があると
考えられているように思う。ここもいつか再生されてまちの賑わいを生み出すことを期待したいなぁ。



老街から少し横道へそれたところに、いきなりこの建物が現れた。西螺戯院。おぉ~!!


これまでにもいろんなところで戯院建築を見てきたが、ファサードの大面積の装飾壁はインパクト大。
しかしここも御多分にもれず廃墟と化しており、入口やきっぷ売り場の窓口は固く閉ざされている。


徐さんについて脇の階段を上って行くと、二階の客席の後ろあたりに出てきた。うわぁ、、、これは、、、


ステージに向かってびっしりと並んだ跳ね上げ式の椅子は荒れ果てている。天井が抜けて明るい日の光が差し込み、
スポットライトのようにステージを照らす。なんとシュールな。。。
私は廃墟は怖いのであまり好きではないが、廃墟マニアにはたまらない光景だろう。


かつて人々がわくわくしながら座ったであろうこの椅子の列を眺めていると、人魂が残っているように感じられ、
どうしようもなくゾワゾワしてしまって、言葉が出ない。。。



代わりの劇場はどこにできたのだろうか。

これは戦後(光復後)の建物だろうがカッコイイ!背の高いヤシ並木を従えた、第一銀行西螺分行。


美形の面格子を発見!!


こちらの軒裏モザイクもかわいい~。通りから見上げる視線を意識ているのだろうか、素晴らしいな!!


モザイクタイル貼りの額縁建築も。


ある商店をふと覗きこんだら、床がタイル!市場の元食堂と同じセメントタイルか。


東市場の前まで戻ってきて螺渓歯科の建物を覗いてみたら、あっ!アールデコ風のドアに色ガラスが~~


一軒一軒中を見せてもらったら、それぞれに素晴らしいインテリアが秘められているんだろうなぁ~~
もう少しじっくり探索してみたいと思わせる、西螺のまちだった。


続く
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西螺の老街を歩く。

2018-10-20 12:05:44 | 建物・まちなみ
斗六からの続き。

斗六でお昼を食べてから車で20分ほど走り西螺にやってきた。ここも古い街で、延平老街という日本統治時代に作られた
まちなみが残る。濁水渓という大きな川が近くを流れ水が豊富にあったことから醤油の醸造が盛んに行われた。
中でも丸荘醤油は台湾でいちばん有名な醤油の老舗醸造元だとか。

延平路の東寄りにある東市場は、現在はもう青果や生鮮品は売っておらず、カフェや雑貨屋などが入っていて
トイレや中庭にちょっとしたステージも備えたまちの核施設となっている。古い市場施設をうまく活用してあるな!
西螺は台湾内の観光地として斗六よりはメジャーなようだ。


その端の一角に、現在は営業していない市場時代の古い食堂の建物があり、床のタイルがそのまま残っていた。


これはセメントタイルかな。はげていないところを見ると象嵌タイルなのかもしれない。


連呼するような「明正食堂」の文字が味わい深い。
埃にまみれたガラスを指でこすって覗いてみると、中は物置と化していたが、同じタイルが敷き詰められていた。


モザイクタイルが貼り詰められた、近くの住宅のバルコニー裏。かわいい~~


アイスクリームでも食べて休憩する誘惑にもかられたが、、、先に老街を見よう。


東市場の向かいには、西螺の紹介写真には必ず載っている有名なビルディングがある。
1932(昭和7)年に建てられた廣合商行。林集山という人が200年前に広東の潮州から台湾に来て
貿易商として成功した。この林家は真理大学創設者や雲林県の議長などを輩出した名家で、西螺の発展を牽引
してきたといえる。


バロック風の商店建築は基本的に左右対称のデザインだが、ここはアシンメトリーで自由な曲線使いのデザインや
左端にそびえる時計塔が目を引く。これらは昭和初期に建てられたもので、モダンな印象を強烈に与えている。
以前見た鹿港でもこういうアシンメトリーな建物があったな。


こちらは1933(昭和8)年に建てられた螺渓歯科。三角の窓や桟が素敵~~


こちらも廣合商行の建物。バルコニーの手すりに「RINKIOGOSHAUKO」の文字が見られる。
モルタルで作られた文字の入った手すりはここの他でも目にしたが、こういうの好きだなあ~


延平路を歩いていくと、見ごたえのある古いまちなみがずっと続く。結構状態がよいのはまちなみ保存のために
修復等がなされたのだろうか。それにしても各家それぞれ趣向を凝らしたデザインを眺めて歩くのは楽しい楽しい!


尖頭アーチ形の窓がおしゃれなこちらの建物もバルコニーの手すりに文字が。「LIONGCHOAN」


こちらも間口が広く老街の中で目立っていた建物。1933年ごろに建てられたものとか。


貝殻のような模様。こういうモチーフがあるのも鹿港の表通りと似ている。


ここは昭和初期のまちなみなのでほとんどがモルタル塗りの建物であり、レンガレンガした建物はほとんどない中、
意匠として使われていると目を引く。


ゴージャスなレリーフが施された装飾壁のてっぺんには、今にも飛び立たんとする鳥が。飛躍を願ってのことだろう。


そしてこれは、、、パイナップル!?ここは果物商だったのかな(笑)


続く
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斗六の建物をめぐる。

2018-10-18 22:17:07 | 建物・まちなみ
斗六の続き。

太平老街から歩いて来た、斗六行啓紀念館。青々した芝生の広場の奥に鎮座するレンガ色の建物は
駅舎か、学校か、お役所か、などとと思うが、日本統治時代の1923(大正12)年に、裕仁皇太子が台湾各地を
行啓されるときに台湾内で8ヶ所に建てられた記念館のうちの1つ。
集会場や講堂などとして使われた。


直線的なフォルム。大正の終わりにもなると装飾も少なめだな。この日は前の広場でイベントをやっていて
建物の全貌が撮れなかった。


現在は建物は一般公開されていて、中ではこの建物の歴史などについての展示がある。


当時の新聞記事の切り抜き。当時は結構なニュースだったのだな。


並んだ縦長窓からは南国の緑が見え、一幅の絵のよう。。


上へ上がって高い吹き抜けを俯瞰。おぉ♪
螺旋階段はおそらく後から取り替えられたものだが、スタイリッシュでカッコイイ!


屋根を支える小屋組は入り乱れているが基本キングポストトラスだな。


正面のベランダに出ると屋根がすぐ目の前に。この建物の屋根がセメント瓦であることがわかった。


ところでこの行啓紀念館のすぐ横に、レンガ造の小さな小屋が何軒かあった。日本統治時代の警察官舎らしい。
現在はリノベーションされ「哲美系 二手書店」というお店になっているようだ。おしゃれな古本屋か。






カフェもやってるのかと思ったが、イートインはできないようで、ペットボトルに入った果汁100%手絞りの
ジュースを購入。う~ん、さわやか!!


こちらの建物は使われていないようだ。


そしてその裏手に奇妙な小山が。これは何だ!?石垣が組まれた明らかに人工的な小山。これは雨よけ付の入口なのか!?


奇妙なのは、この山の上から臭突のようなものが、まるでつくしのようにニョキニョキと飛び出しているのだ。
いや、上だけではない。横からも土管が突き出している。


説明板などは見当たらなかったが、防空壕に間違いなさそうだな。


その手前には「雲林記者之家」と書かれた建物が。これは1960年代に建てられたもので、ジャーナリストの
交流の場であったらしい。雲林県における新聞事業の発展を見続けてきた建物として、歷史建築に登録されている。
※「歴史建築」とは、古蹟よりもゆるい日本で言う登録有形文化財にあたる。


大きなものから小さなものまで。日本統治時代に建てられた建物が今も大事にされて使い続けられているのを
目にすると本当にうれしいなぁ!

続く
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斗六の老街

2018-10-17 23:40:02 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

今回は来るとき台北から入ったが帰りは高雄空港からの予定。・・・というのは、連休の最終日、
台北便は少し高く高雄便の方が安かったから。まぁ、数千円の違いなのだが(爆)。
ピーチでオープンジョーのチケットを指定できることを発見して、喜んで取ってみたというのもある(笑)。

高雄で1泊する予定で新幹線で南下。その途中で、前から行きたいと思っていた斗六や西螺に立ち寄って
散策しようと考えていた。嘉義の花磚博物館の徐さんが案内してくれるというので、高鉄雲林駅で再会!

車でまず斗六へ向かい、太平老街を歩く。


うわぁ~~、古い商店がずらりと並んでいる!!
斗六は雲林県の中心地で、交通の要衝として昔から栄えた場所。この太平老街は、日本統治時代に建てられた
バロック商店建築が600mも連なり、台湾最長の老街なのだとか。
レンガや石で飾り立てられたファサードには、寺廟などでよく見られる台湾の伝統的な装飾「剪黏」も
使われていて、華やかさをを添えている。


あっ、こんなところにタイルが!


こちらも素敵なファサード。2階の窓には面格子もついている。


台北の迪化街や剥皮寮、三峡や大渓、新化など、いろんなところでこういう日本統治時代のバロック風商店が
ずらりと並んだ老街を見てきたが、ここの老街は全く観光化されておらず、車はガンガン走るし、
現役のお店が入っていて看板がデカデカと掲げられていたりと、とてもナチュラルだ(笑)。
ちょっとジャマにも思うが、生きた建築と言えるだろう。




ここは比較的新しそうな3階建ての商店だが、モルタル塗りのファサードにマジョリカタイルが使われていた。




その隣の建物にもタイルが。右側は絵付タイルだが左側は何?見たことない絵柄のタイルだな。
下の2枚一組の龍のタイルはよく見かけるもので日本製だ。こういうマジョリカタイルが使われた建物はごく少数。




こちらの商店の装飾壁には丸いものが・・・時計!?
これを掲げ持っている2人の子供は天女の羽衣のようなものをまとい、両側には獅子が描かれているのも
西洋っぽくなく、中洋ミックスされた雰囲気。


スタイルはほんとにばらばらで、各家でデザインを競ったのだろう。


こちらは2階から突如円柱がそびえている(笑)。


あっ、よく見るとこんなところにもタイルが・・・




古い薬屋さんの薬の棚は風格を醸している。


白いタイルを使った建物はまちなみの中でも新鮮に映るな!白の鮮やかさが目を引く。




梅に鶯をモチーフにしたモルタル装飾。立体的に表現された花びらはタイル片だろうか?美しい~~




こちらはずっと時代が下るモザイクタイル貼りの建物だが、右端の部分がかわいいデザインだな!


続く
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鶯歌をふらふら歩く。

2018-10-16 22:22:12 | 建物・まちなみ
台北の続き。

台北故事館でタイル展を見たあとは友人と別れ、ひとりでふらっと鶯歌へ行ってみる。
鶯歌は焼き物の町で2度ほど行ったことがあるが、まちなかにあまり古い建物はなく、タイルも見当たらなかった記憶がある。
陶瓷博物館も行ったことあったと思うのだが記憶が薄く(汗)、もう一度行ってみようと。
台北から台鉄の列車で30分ほど。停まった貨車や機関車を横目に見ながら駅を出ると、観光客が多い。
しかし駅前はこんなんだったっけ・・・記憶が全然ない(汗)

博物館へ行く途中にある汪洋居。煉瓦造で間口の広い建物だ。中央部に装飾壁が立ち上がり、「汪洋居」の文字が。


しかしかなり老朽化しており人の気配は感じられなかった。。。


こちらは陶磁器店だろう。柱にモザイク画があしらわれていた。もちろん新しいものであるが、玉石タイルを使って
立体的なレリーフに仕上げてあり見事。写真には写っていないが、玉石タイルを立体的に使って鳩の羽を表現
してあったりするのが台湾っぽいなぁ。


さて、やってきた陶瓷博物館は名前が2つ書いてある。2000年から2010年以前は台北県立だったのが
2010年以降は新北市立になったということのようだが、変更前の名前を併記してあるというのも珍しい。
さらに、同じ「鶯歌」の読みが、昔は「Yingko」だったのが今は「Yingge」となっている。
中国語の発音も変わったりするんだろうか。


めちゃくちゃ立派な建物で3階分の高さの吹き抜けホールが圧巻。のんびり歩いてひと通り見ていく。


いろんな種類の窯の模型も焼き物で作られていたりして、作品を見るように展示を見る。


瓦や透かしブロック、磚などの建材の焼き物がやっぱり興味を引かれるなぁ~






マジョリカタイルの展示も少し。しかし・・・シミがひどくて汚いなぁ。。ちょっと、クリーニングしてあげて~~(苦笑)

3階は全部現代アートの展示となっていて、結構、美術館として力を入れている感じなのだろうか。

鶯歌の老街はもうずいぶん昔から観光地化していて、表には古い建物は全くと言っていいほど残っていないが
細い路地の奥には古いレンガの建物があった。そこでやっているモザイク体験のお店はとても賑わっていた。


こちらの土産物屋兼体験工房には、「古早窯」と書かれたこんなレンガのトンネルがあった。
トロッコのレールが敷かれているところを見ると、これはトンネル窯だったのか?


中へ入ってもいいらしいので進んでいく。復元かと思いきやどうも本当に古いようだ。


この穴から熱気が吹き込まれたのだろうか。


奥まで行くとお土産屋。商品の並んだ棚の後ろにあのトンネル窯があるのだ。パイプ類がニョキニョキ突き出ていて
やっぱり本当に使っていた窯なんだろう。いったいどういうつくりになっているのか、興味津々!
もとはこの店舗部分が作業場だったんだろうな。


鶯歌のまちかどで見つけたモザイクタイルたち。
こちらは豆タイル貼りの橋、重慶橋。


笹の葉みたいなレリーフ模様入りのモザイクタイル。2つの点々が雪うさぎの目みたい(笑)


水色の糸くずタイル。


モヤモヤとニュアンスのある色合いのモザイクタイル。オーロラみたいで美しい~

帰りは鶯歌駅の北口の方から戻ってきた。駅前に陶器市場の跡地みたいなところがあり、昔来た時は
まだここで店をやっていたような記憶がうっすらよみがえった。
普通のまちなかを歩いてみようと思っていたのだが、ちょっと疲れてきたので早めに台北へ戻る。

夕方また友人と落ち合って食事を。友人の子供たちがつい1年ほどの間に大きくなっていてびっくり。成長が早いなぁ!


続く
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台北故事館でタイル展を見る

2018-10-10 22:12:23 | イベント
台北の続き。

台北ではちょうど今、嘉義の「台湾花磚博物館」による「老花磚的故事」展が、台北故事館で開催されているので、
それを見るのも楽しみの一つだった。

相変わらず青空にくっきりと映える台北故事館。美しい~~


1階と2階に3部屋ずつのこじんまりとした洋館で、今は、この建物についての常設展がある1階の一部屋を除いて
全館が「老花磚的故事」仕様になっていた。


高い天井、暖炉、大きな縦長窓。純洋風のクラシックな空間は美しいマジョリカタイルの展示にぴったりだなぁ!!


2ヶ国語で書かれた解説パネルはゆったりと配置されている。スペースの都合で日本語は省略されたらしく残念。。。


タイルの実物がはめ込まれたパネルは、タイルが落ちないように傾斜がつけられた特製の台に載せられている。


つやつやと光るタイルを間近で眺め、手で触ってその滑らかさを確かめることもできる。


台北市内でも市街地から少し離れた場所にある台北故事館だが、次々とお客がやって来て賑わっていた。
以前も書いたとおり台北故事館では洗面所や暖炉に実際にマジョリカタイルが貼られていて、展示と共に使用例を見る
ことができる。


ただし、台湾のマジョリカタイルは、このような使い方をされているのは例外中の例外と言ってよい。
こんな純洋風の邸宅建築は台湾には数えるほどしかない。だいたい台湾に暖炉など不要だ(笑)




これまでこのブログでも何度も紹介してきたが、台湾ではマジョリカタイルは伝統的民居や商店のファサードや
屋根の棟や軒まわりや室内の壁などに貼られている。
そしてそういった建物は老朽化して近年どんどん取り壊され、急速に失われつつあるのだ。


解体現場からタイルを救い出す、台湾花磚博物館館長の徐さんたちの活動の映像を、若い子たちも食い入るように見ていた。
三合院民居に住んだことのないだろう彼女らにも大きなインパクトを与えたに違いない。


マジョリカタイルがはめ込まれた古い家具の展示とともに、復刻タイルを使った新しい家具の展示もあった。
魅力が十分に伝えられるゆったり贅沢な空間の使い方。


そしてもう1つのお楽しみはショップでのお買い物。ここのショップはセンスがよくてほしくなるものがたくさん!
台湾花磚博物館オリジナルグッズも、嘉義の博物館で1月に見たときに比べても格段にラインナップが増えていた。
パッケージもセンスよくて、日本でも売れるだろうな!




この「台湾花磚竹茶盤」は、中華民国外交部により、2018年の台湾外交礼品に選ばれている。
国際交流の推進において、台湾文化をアピールできる優れたお土産品として推奨されるもの。


あぁ、マジョリカタイル展にぴったりな会場での、素晴らしい展示だった!
嘉義の台湾花磚博物館まで行く余裕がない人でも台北のここなら気軽に行けて美しいタイルを堪能できるね!


台湾花磚博物館公式サイト

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そして、日本でも・・・
常滑のINAXライブミュージアム「土・どろんこ館」で、11/3(土)から来年4/9(火)まで、
企画展「和製マジョリカタイル-憧れの連鎖」が開催されます!!その一部で、台湾花磚博物館のことも紹介されます!!
11/2(金)には、徐嘉彬館長が来日されオープニング講演会も行われます。先着20名。是非どうぞ!!

LIXILプレスリリース

続く
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台北のモザイクタイル廟

2018-10-09 23:53:03 | ディテール
少し前に台湾の連載がようやく終わったところだが、9月の連休にもまた台湾に行ってきた(笑)。今回は気負わずふらっと。
金曜の夕方のピーチは出発が3時間も遅れ、、、台北に着いたのはもう夜22時半。関空が復旧した直後だったからと
いうわけではなく、単に到着機遅れで・・・おかげで夜歩きがまったくできなかった・・・(悔)

翌日は朝から在台の友人と待ち合わせ、双連の肉粥の店で朝食を食べてから市場をうろつく。そのあと台北故事館へ
向かおうとバス通りに向かって歩いていると、おや、なんか気になる廟が。道を渡り近づいてみる。
おぉ、きれいな緑色の壁!それにちょっと洋楼っぽい雰囲気だな。


敷地内へ入り建物に近づいていくと、うわぁ、これはタイルだ。日本ではよくある二丁掛の型押しタイルを貼りつめた
外壁は台湾ではちょっと珍しいかも。それにしてもきれいな色だなぁ。しかも、角の部分には白色のモザイクタイルを
斜めに並べて縁取っているなど、とってもおしゃれ!


「永静廟」というのがここの名前だ。赤色がガツンと効いていて派手ではあるが観光的な香りは全くしない。
天然の派手さなのである(爆)。


入口脇の円柱には中国風の赤い陶片モザイクが。


その足元も見て!青磁色のモザイクタイルで曲面を細かく丁寧に貼ってあるなぁ~~


きつい日差しのため建物の中は濃い陰になっているが、覗きこむと内部もまたすごいタイル空間だった!!


3D模様の人研ぎの床にそっと踏み込む。


うわぁ~~!柱も壁も天井も、そこかしこにタイルが!


入口入ってすぐの天井がピンクのチェック柄!カワイイ~~!雷文と卍文のふちどりもモザイクタイル。


円柱の柱頭がまたこんな唐草風の花模様とは、ラブリ~~
梁にもみっしりタイルが貼られている。「福」の字が連続して何ともおめでたいなぁ~


天井面に貼られたタイルの角部分にもデザイン心をを忘れない。


そしてこちらの天井には龍が描かれている。


何とその龍もモザイクタイルなのだ~~~!すご~い!!


建物の両側には二階へ上る階段があるのだが、このささら部分のまるで織物のように美しいモザイクを見て!


そして壁の一番上の部分もこの通り。ここを作った人はどれほどタイルフェチだったんだろう!?(笑)


そこにいたおじいさんに話を聞いてみたところ(実際は友達が)、この廟は90年前、日本統治時代に建てられたとか。
しかし柱に使われているタイルを見ると明らかに戦後のモザイクタイルだ。品質はあまり良くなく日本製ではなさそう。
施工もあまりよくなく一部剥がれが気になる。。。


よく聞くと、民国43年(だったか?)に増築をしたということなので、その時にタイルが貼られたと思われる。
民国43年=1954年=昭和29年。なるほど。
言われてみると奥の方は手前側よりも躯体が古い感じがするなぁ。もしかしたら古い時代のタイルも混じっているのかも。
どこをどう増築したのかは全くわからず。。。




天井の照明は今は蛍光灯器具がぶら下がっているが、もとは先出の写真のような照明が他のところにもあったのだろう、
照明の座の部分もこんな奇抜なタイル装飾が施されていた。


中央の祭壇の前にはこんな八卦形の装飾が。中央に「太極」の文字が。いやはや、すごいなぁ!!


2階にも上らせてもらった、正面のバルコニーに出ると、軒下のタイルもよく見える。

あぁ、中洋折衷のモザイクタイル廟、面白い建物だったなぁ!見つけられてよかった!!

隣には、これまた気になる古そうな邸宅があったのだが、門は硬く閉ざされ、どういうものか全く分からず。


おまけ。朝食べた肉粥の店のお肉がめちゃくちゃおいしかった!


続く
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