まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

服部亭(旧服部家) その1

2018-11-12 23:19:22 | 建物・まちなみ
飫肥の続き。

今日のランチは飫肥武家屋敷のいちばん上手の筋「横馬場」にある、服部亭にて。
ここの建物も素晴らしそうなので、見学しやすいように11時オープン早々で予約しておいたのだった。


うわ~~こんなお屋敷で食べられるってわくわくする!
飫肥を代表する山林地主だった服部新兵衛が、1911(明治44)年に京都から大工と庭師を呼んで建てた屋敷。
敷地は約1000坪あるとか!


門を入って正面の玄関を目指して歩いて行くが、ふと左手を見ると、おや、これは・・・擬洋風?
和館の入口にアーチ型の扉がついている。


そして壁も、ラチス格子!?変わっているなぁ!あとで見学させてもらおう~~


係りの方について廊下をくねくね進み、いちばん奥の座敷の視界の開けた席に案内された。
うわぁ、いいな!1人だと変な端っこの席にやられることも少なくないが、ここは特等席じゃないの!

服部家は飫肥杉の山林経営で財をなした豪商で、飫肥の御三家のひとつと言われた。
高台に建ち下手に向かって広大な庭が開けたこの邸宅からは飫肥のまちを一望できる。

さて、お料理が出てくるまでの間、洋室を見せてもらう。
おぉ~~っ、外観は入口部分を除いて全く和館としか思えなかったが、これは完全な洋室だな!
外と内のギャップがすごい。。。


中央にぶら下がる照明の座の部分は葉っぱをモチーフにしたこんな木製の装飾がついている。


腰高窓が洋室らしい。欄間部分はラチス。


あちらのドアは玄関へ続く。


玄関がこれまた面白い!玄関と部屋との間には垂れ壁で仕切られた1畳ほどの小さなスペースがあり、
部屋との40センチほどの段差を緩和するための踏み台が設置されていた。


見上げると、アーガイル模様みたいなひし形の変わり格天井だ!


仕切りの垂れ壁にはくるんくるんと巻いた飾りがついている。


面白い形。


玄関ホールの上も、格天井。こちらも斜め45度のラチス格子。格間に貼られた板もデザインされている。


玄関先へ出てみる。この踏み石は、さっきの踏み台と同じデザインで石造だな。あちらは木製。




外へちょっと出てみよう。ポーチの見上げも、またラチス格子だった。


お料理ができたと呼ばれて席へ戻る。1620円の服部膳は品数も多くて満足!甘~い卵焼きも味わえた。


何とスイーツとドリンクまでついていた。野の花が添えられているのが素敵・・・
お抹茶とコーヒーの二択だったので、ちょっと気分を変えてコーヒーを頼んでみた。我ながら珍しい(笑)。
最近、大丈夫なコーヒーがあると気づいたのだ。


食事のあとも、建物内を見学させてもらう。かなり広そうだな!

続く
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旧山本猪平家 その1

2018-11-08 22:00:23 | 建物・まちなみ
飫肥の続き。

飫肥藩伊東家5万1千石の城下町。江戸時代初期のまちなみがほとんどそのまま残る飫肥城下町は
1977(昭和52)年に伝統的建造物郡保存地区(伝建地区)に選定されている。
今回の目的の旧山本猪平家は、廻船業などで財をなした飫肥の豪商の本宅として1907(明治40)年
頃に建てられたもので、附属屋も含めほぼ完全な形で残る。

インスタだったかフェイスブックだったかで見たこの敷き瓦が気になって調べたら旧山本猪平家のものと分かり
実際にこの目で質感を確かめたいと思い飫肥へやって来た。


一見網干の山本邸などでも見られる、珉平焼系統の淡陶の最初期のタイルと同じデザインで、印刻も施されているのだが、
最初に見たときから珉平焼ではないと思った。珉平焼の緑色はもっと鮮やかで透明感があって軽やか。
ベタッとした質感はむしろ瀬戸っぽい気がしたので。瀬戸蔵の武藤さんに尋ねたところ、
やはり瀬戸のもので、明治40年頃の加藤治右衛門の窯で作られたものだと教えて頂いた。
「うちも所蔵しています。尾張戸神社にも使われていますよ」。あっ!そうか!
急いで資料を見ると、ちゃんと載ってるじゃないの!迂闊だった~~。

飫肥に行く予定を決めてから、日南市にも問い合わせをして建物のことを聞いてみたら、旧山本猪平家は
伝建地区選定のときに調査して市の指定文化財になったが、敷瓦について詳しいことは分かっていないという。
それで瀬戸蔵の武藤さんに教えて頂いたことを伝えると、担当の方は喜んでくれて、山本邸の文化財指定の
時の資料などを、観光マップと共に送って下さった(笑)。

さて、9時になるので早足で前まで行ってみると、まだ準備中のようだ。あれっ、ここは9時半オープン?
門から中を覗いてみると、「どうぞ、いいですよ~。バタバタしてますけど」と。おじゃましまーす!


門越しにいきなり見えているアプローチの染付敷瓦。うぉぉ。
シンプルな柄、小ぶりなサイズの染付敷瓦が二列に並んでいる。




銅板転写による模様だろうが、長年踏まれ続けた敷瓦は表面の釉薬がペキペキと剥がれていて痛々しい。
中には表層がほとんど全部剥がれ落ちてコンクリート平板のようになってしまっているものも・・・(苦)


門から建物の入口までのアプローチにも、同じタイプの敷瓦が、飛び石のように配されていた。




前方左手に入口、右手には主屋が伸びている。


犬走りの部分にも敷瓦がポツポツと埋め込まれていた。

1997年に空き家になったあと修理を行い当初の姿に戻したという。アプローチや犬走りはその時に
コンクリートで固めたのだろうか。

そして、、、建物の入口から中を見やると、、、おおおぉ~~!これか!!


緑釉のかかった蓮華模様の敷瓦が、通り土間のような通路の中央部に3列並べられている!
こちらも擦れて色が剥げているものが多いが、釉薬が厚く密着度が高いのだろう、さっきの染付の
ようにペキペキと剥がれてはいない。

人が立ち止まる両端部が丸く膨らんだ形からは、来訪者を迎え入れる気持ちが伝わってくる。


淡路で作られた最初期のマジョリカタイルを見た瀬戸の職人が、対抗意識を燃やして本業敷瓦バージョンを
作ったのだろう。雰囲気はずいぶん違うが、どっしりと厚みのある敷瓦はやっぱり存在感がある。
こういうのを見ていると、当時技術やデザインの新しい情報が次々と入ってくる中で、各地それぞれ試行錯誤、
切磋琢磨していた様子が目に浮かんでとても感慨深いなぁ。



そして玄関へ。その床には、、、


おぉ、これまた素晴らしい印花文の敷瓦が四半貼りされている!うぉぉ。。この広い目地に萌える~~


そして上がり框の下、蹴上の部分にはさっきの通路のと同じ緑釉の敷瓦が一列貼られている!
床とは違い踏まれることがないので、こちらのは状態がすばらしくいいなぁ。つやつや!!
もとは皆こんなきれいだったんだな!


床のはよく見かける印花文で、型押しで陰刻の模様をつけたあとに白い釉薬をかけたものだが、さらに茶色で
着色してあるので模様がくっきりしている。


しかし、、、小さい!!測ってみると15cm角だった。5寸か!
この模様は瀬戸の古い8寸(24cm)角の敷瓦の代表的な模様だが、こんな小さいのは見たことない。
ミニチュアみたいでかわいいなぁ~~~


さっきの通り土間の敷瓦も、ネット上の写真で見て想像していたよりも小さく5寸サイズで、意外で驚いた。
また実は、1ヶ月ほど前にタイル友の会のメンバーから、それと同じタイルがヤフオクに出ているとの
情報があり、実物を間近で見てみたいとポチってしまったのだった(爆)
そして実際に手に取り、これを飫肥へ持って行って比べてみようと思い立ったのであった。

左がヤフオクで買った敷き瓦で180mm角。比べると小ささが分かる。ほんとにめちゃくちゃカワイイ♪

あーやっぱり実物を見ないと分からないな!!重かったけどはるばる持って行ってよかった!!


続く
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リベンジ、飫肥

2018-11-07 23:18:35 | 建物・まちなみ
飫肥の続き。

飫肥には3年前にも来たことがあるのだが、前回はレンタカーを借りて坂元の棚田油津まで足をのばし、日南駅まで
寄り道してしまったおかげで飫肥に戻ってきたときはすでに夕方。。。どこもここも閉まっており、駆け足で
いくつかの建物の外観や石垣を見て回ったのみだった。

今回は飫肥駅から歩いて町並み保存地区へ向かう。今日はちょうど飫肥祭りがあると聞いていたが、さすがにまだ
8時過ぎでは観光客はいない。建物を見るにはもちろん人が少ない方がいいので、早起きしてやって来たのだ。
しかし目当ての建物は9時からでないと開かないので、今のうちに外観見学のみの建物を回っておこう。
滞在時間が限られているので効率よく回らねば!

まずは旧飯田医院へ。おぉ、背が高い!平面の面積は比較的小さいので、2階建てでも縦長に見える。
両側の屋根がぴょこんと耳のように立ち上がった、ハーフティンバーのかわいい洋館。




広い敷地は、元は手入れされたお庭だったのだろうと想像するが、今は整理されていて見通しよく、
正面から、横から、後ろから、眺められる。


裏側に出っ張ったところはトイレだろうか。


正面の壁はうろこ型の天然スレートで覆われている。


天然スレート貼りの壁というのはやはり何か凄みを感じるなぁ!


医院らしい小さなアーチ型の窓口がついていた。




次に、鳥居下公民館。交差点に面して建つ洋館は遠くからでも人の目を引きつける。


角に面した入口は少し出っ張っていて、屋根は小さな切妻を見せる。2階にはそれに呼応する三角形の
ペディメント付の縦長窓があり、その両脇の壁はそこだけグレーのスタッコ風になっている。


それ以外の外壁は下見板貼りなのだが、入口の両脇の壁が曲面になっているのが見もの!


がんばって曲げた感が。


長々と続く苔むした飫肥石の石垣を愛でながら坂道を登り、振徳堂を見に行こう。。
あの長屋門が振徳堂の入口か。


そして、、、あっ、もう開いているな、ラッキー!


振徳堂は、1831(天保2)年に飫肥藩第13代藩主伊東祐相が開いた藩校で、小村寿太郎などを輩出した。
平屋建ての建物はいかにも学問所という雰囲気。高床で開放的な造りは南国らしく、とても涼しそう。

誰もおらず、ぐるっと回って悠々と見学。坂の上までもう一度来るのは億劫だったので一度で見れてよかった。

さてここから飫肥城の方へ横移動。高台に武家屋敷が並んでいた町並みがそのままに残っている。
小村寿太郎の生家を移築したという建物も。今日はお祭りなのでこれらの武家屋敷のいくつかはカフェや
ギャラリーとして開放するようだが、まだ準備中だな。
このあたりの建物は内部も見応えがあるのかどうか分からないが、後で時間があれば見てみよう。

この石垣の石が素敵だなぁ。飫肥石は九州南部一帯に見られる溶結凝灰岩で、堆積した火砕流堆積物=シラスが
凝縮してできた石なのだとか。
石肌にはノミを叩きつけた模様がくっきり。100年も前の石工の手の跡。どんな人が叩いたのだろうか・・・


あっ、あれは、敷瓦か!?近寄って見ると、、、ん??何だこれは。


タイルでもないし。コンクリート製のプレートかな?何かの余りモノ転用のようだ。
こうやって並べて貼るとなんだか立派にタイルに見えてくるから面白いな!


続く
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青島に泊まる

2018-11-05 23:15:05 | 建物・まちなみ
飫肥に敷瓦を見にいこうと、土曜午後のピーチで宮崎へ。今回は開き直って飫肥だけのつもりなので
夕方着いたら宿へ直行の予定だが、朝の海を眺められたらと青島に泊まることにしたのだった。
本数がとても少ない日南線の列車に乗り継げるバスの時間がカツカツで、飛行機の到着が少しでも遅れると
アウトだったが、うまく時間通りに着いてくれて、飛行機を降りたらダッシュでバス乗り場へ。
何とか間に合ったとホッとするのもつかの間、、、バスが遅れていて来ない(汗)
しびれを切らせてタクシーで最寄駅まで行くことに。なんせ、列車1本遅れたら1時間半のロスである。

タクシーの運チャンが一度曲り損ねるほど細い道(ほぼあぜ道)に入り込み、着いたのはこの駅。
うぉぉっ~!!ケガの功名というべきか、、、1250円かかったけどタクシーで来てよかったぁ!
列車が来るまで少しの間、このかわいい駅を楽しむ。


ガタンガタンとやって来た国鉄顔の気動車に乗り込めば、垂直ボックスシート、頭上にはネットをかぶった扇風機、
金属の網棚・・・旅情が高まる~♪


そして明るいうちに青島に到着。よかった~!


青島駅は有名なその名前とうらはらに無人駅でとてもローカル風情にあふれている。しばし駅構内でうろうろ。
ホームから直接線路に降りる構内踏切や、その脇にある小さな小屋など、、、魅力的な風景がたくさん。


駅務室の窓下のこの石が特徴的!砂岩っぽい柔らかそうな石だが穴が無数に空いていてかなり気持ち悪い(爆)
もちろん天然石で、日南海岸で波に洗われた石だろう。下手によそから持ってきた石を使わず、背筋がゾワゾワする
地元の石をそのまま使うのがあっぱれ!(笑)


具体的な説明が切実な張り紙。絶対にゴミは置いて行くまい。


さぁ、まだ明るい。今宵の宿、ペンション青島へ向かう前に海岸へ出てみよう。


昭和な雰囲気のストリートを抜けたら海岸に出た。あぁ、あれが青島か!地続きになっていて歩いて渡れるのだが、
風がビュービュー吹き付け寒くてお腹が冷えてきて(苦笑)、先端まで行く気になれず、眺めるだけで・・・(汗)
海岸は流木だらけなのは台風のせいらしい。


広い道路に戻り歩いて行くとロードサイドは潰れた店舗が目につく。かつて宮崎は新婚旅行のメッカだったが。。。
しかし、あらたにできてるお店もぽつぽつあり、新しい動きもあるのかなと感じる。

おぉ、このガソリンスタンド、レトロでカッコイイな!1970年代ぐらいだろうか?


おや、あちらは?
「青島給油所」と書かれた白い建物。前には広いスペースがありよくある給油所の建物だが、なにやら様子がおかしい。
道を渡って近寄ると、サーフショップみたいだ。給油所をリノベーションしたのか。面白いな!


そしてその後ろの一段低いところに、古い民家が。いや、こちらも民家をリノベーションしたお店か!?
夕闇迫る中、大きなガラス窓から放たれる魅惑の黄色い灯りに虫のようにふらふらと引き寄せられる(笑)。
何のお店ですか?と聞いてみると、会員制のヨガスタジオだとか。いかにもサーファーなお姉さんがにこやかに
よかったら見て行って下さい、と言ってくれたので、上がりこんで見学させてもらう。


シンプルな四角形の平面で、部屋のまわりをぐるりと廊下が一周している。もとの古民家の雰囲気を残しつつ、
南国らしい開放的な空間になっている。
こちらは2部屋の座敷だったそうで、建具を挟んで床の間が左右対称に作られていたという。珍しいなぁ。


今はアンティークな灯りや小物でセンス良くディスプレーされた床の間。素敵~~!
セレクトされた無国籍な雰囲気のユーズド家具類もハマっていて魅力を増しているな!
ここでゆっくりお茶を飲めたらなぁ。カフェだったらいいのに。。。


元の玄関だったところはお手洗いに改修されていた。民家らしさを残した狭い廊下を回り込むと、、、


おお~っ、こちらは天井を抜いて小屋組をむき出しにした大空間!ここがスタジオ。私はヨガはやってないけど
ここでならヨガをやってみたいなぁ!


海へもすぐ出られるロケーション。聞けば、青島給油所のサーフショップも同じ経営だそう。ははぁ、なるほど。
やっぱり若い人のセンスでこんな素敵なスポットが出来てくると自然と人が集まるだろうな!


ゆっくり見せてもらってお礼を言い外へ出ると、もうすっかり日が落ちていた。
しかし列車1本遅れていたらこんな寄り道もできなかっただろう。よかった~


宿へ荷物を置いて青島グランドホテルの温泉に入りに行く。ちょうど巨人軍がキャンプ中だったが興味なし(笑)
実はここは九州温泉道の温泉なのだ。スタンプゲット!


ここもやっぱり昭和の温泉ホテルで、レトロな雰囲気がそこかしこに感じられる。
いたく気に入ったのは、エントランスとエレベーターまわりの壁、そして受付カウンターが全てオニキス!
透明感のあるきれいなグリーンに細かい縞模様の入ったオニキスの厚い板をふんだんに使った、贅沢な仕様。
キラキラしたシャンデリアの光が当たると宝石のようだ。ナデナデ~~

カウンターのお兄ちゃんにこの石はここで採れるのか?と聞いてみたが違うと(笑)。まぁ、アフリカ産だろうな。

温泉でさっぱりしたら、夜の海岸を散歩しながら、友達に超おすすめと聞いて予約を入れておいた
海鮮料理の店、「網元」へ向かおう。


今はちょうどいせえび祭のシーズンで、いせえびがいけすにうじゃうじゃいたが、さすがに1人では1万円の
いせえびには手が出せず(汗)一番安い青島御膳にさざえの壺焼きを追加で注文。出てきた料理を見てびっくり!!
これ本当に一人前!?3人前じゃないの!?という刺身盛り合わせに、それだけで定食になるだろう
身の厚いカレイの唐揚げ、魚汁、茶碗蒸し、小鉢の数々、、、そして巨大さざえが燃えている!
どれもこれもおいしくてもうおなかパンパン(爆)。これでしめて3060円税込とは、驚愕のコスパ!!あぁ満足♪


宿へ戻ってお茶を飲もうとダイニングの戸を開けたら、宿の人とお客さんと入り混じって団らん中。
ちょっとびっくりしたが、勧められるまま私も入っておしゃべり。昔、ユースホステルとか沖縄の素泊まりの
民宿とかに泊まったらこんな感じだったなぁ。一人旅の者同士数日滞在してたらすっかり仲良くなって
帰ってからも交流が続いたものだ。何か懐かしく新鮮というか、こういう世界が今もあったんだなぁと(笑)。

さぁ、明日は朝早い。

続く
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高雄の朝散歩

2018-10-29 22:02:45 | 建物・まちなみ
高雄の続き。

せっかく終点の籬仔内駅まで来たので、見知らぬ街をちょっとうろついて、朝食を探そう。
少し歩くと市場があった。どこでも市場は活気があって、生の食材が山積みされた光景は人間の生きる
たくましさが感じられるから好きだ。




市場の入口脇にあった塩水意麺の屋台で食べることに。席に着くと、おっちゃん、大サービスで扇風機をこちらに
向けて固定してくれたけど・・・寒いからこっそり首振りにしたら、またご丁寧に首振りを止めてくれた(苦笑)


薄いひらひらの麺とあっさりしたスープは朝食にぴったり。


さておなかが落ち着いたらそろそろ移動しよう。
籬仔内駅から乗り込んだトラムはラッピング車両で窓にもシートが貼られていた。あちゃー、ハズレ!!
日本でもローカル線などで時々出くわすこのタイプ、ラッピングの柄が窓だけ抜けることなく全体に貼れて
中からは外の景色も見えるというものだが、無数に開けられた小さな穴越しに、人の目なら外の景色に焦点を
合わせることができるのだが、カメラで風景を撮ることはできない。いつも思うがこれはやめてほしいなぁ~~(汗)

高雄展覧館駅で降り、先に渡船乗り場を見に行こう。展覧館の建つ星光公園の一角に桟橋があるようだ。
運河と貨物線と岸壁に挟まれていたエリアがきれいに整備され、緑豊かな公園に生まれ変わった。


元々貨物線の線路が敷地を斜めに突っ切っていた名残の橋が残っていた。施設はサイクリングロード時代に
整備されたものだろうが、形の分かるこういうオブジェを残しておいてくれるのがうれしいね!




岸壁の奥の方には、多分家を買えるほどの値段であろう高級クルーザーが停泊していた。いや、庶民の家などより
ずっと高いかも。ま、私には縁はない(苦笑)

あぁそしてこれが渡船だな。しかし、、、桟橋は鎖で閉められており管理小屋にも人気がない。


時刻表が貼られている。なになに、13:00、14:00、15:00、16:00。
えーっ、午後だけかぁ!?


渡船はこの新光埠頭の端っこにある桟橋から旗津までを結んでいる。帰りはここから旗津へ渡り、また渡船で
鼓山へ戻ろうと目論んでいたが、無理だな。。。お昼には空港へ向かわないといけないのだ。残念。。。
貨物船が行き来する高雄港の中を旗津までクルーズするのは楽しそう~。次の機会には必ず!


渡船は諦めて、陳中和紀念館へ向かう。10分ほど歩くと見えてきた。あれだな。


テラスがぐるりと回った洋楼が、庶民的な住宅街の真ん中に塀に囲まれて建っていた。


陳中和は、日本統治時代に初めて台湾資本による製糖会社を設立したのをはじめ幅広い事業で成功し、
数々の政治家を輩出する高雄の名家陳一族の基礎を築いた人である。
この洋館は元々陳中和の邸宅として1920年に完成した。現在はすでに住まいでなく、1997年からは
記念館として一般に公開されている。


しかしここも月1回しか公開されていないのか。恨めしげに敷地のまわりをうろつき、柵の隙間から写真を。




立派なペディメントのレリーフや、入口まわりの水色のタイルなどを見ると、内部もこだわりの意匠がありそうな
気がしてつくづく残念。。。しかし入れたとしても内部は写真撮影禁止らしい。




ところで門の横に張り付くように建っているこのレンガ造りの古い民居は、陳中和の付き人の家だったのだろうか?
かなり古そうで、邸宅の敷地の一角を欠いたように建っているので、同時期に建てられたのではと想像する。
入口ドアが開いていたのでちらりと覗くと、祭壇があり今も人が住んでいる雰囲気だが人影はなかった。

※全く関係ないかもしれない。

戻りは国際展覧館駅の次の旅運中心駅まで歩こう。以前はこのあたり新光埠頭の岸壁まで伸びたレールが
残っていたっけ。


ところで、さっき車窓から見た草の生えた土塁のようなものはいったい何だ!?
岸壁からは少し離れたところに、間をあけて並んでいる。海に向かって高くなっており、岸壁側は垂直の壁。
防潮堤ではないだろうし、、、
階段があるので上ってみたら、上はフラットで港の風景がきれいに見渡せる。展望台なのか?


これはどうも倉庫のようだ。災害時の備蓄倉庫だろうか。ちょっと奇妙だが、夜にここに上って港を眺めるのも
ロマンチックだろう。あっ、海上花火大会の観覧席としてもぴったりだな!


さぁ、またトラムに乗って哈瑪星まで戻ってきた。何度も見ているが高雄港駅の展示をさらっと見ていく。


今やライトレールに生まれ変わった臨港貨物線のルート図を見る。この図の通り、将来的には環状鉄道となる計画。
哈瑪星から先、籬仔内から先も工事中で、2019年末には全線開業の予定とか。楽しみ~~!!


あぁ、楽しく充実した朝の散歩だった。
ピーチの高雄便は出発が14時台と早いが、空港が近いのでギリギリまで遊べる。
泊まった美麗島のホテルのチェックアウトが12時なのもGOOD。シャワーを浴びて荷物を整理して
悠々出発。高雄の定宿にしようっと!!

終わり。
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高雄の夜散歩

2018-10-27 23:50:27 | 建物・まちなみ
虎尾からの続き。

高鉄で雲林から左営まで移動、台鉄に乗り換えて高雄に着いたらもうとっぷりと日が暮れていた。
長らく続いている台鉄高雄駅の工事はまだ終わらないようだ。跨線橋からホームを俯瞰できるのもこれが最後かと
来るたびに思っていたが、今も地上の状況はあまり変わらない。
ただ前回来た時に見えていたアーチ状の部材は設置し終わったようだな。


改札を出るとMRTの乗り場への誘導が少し変わっていた。地上に出て左手にあった地下への入口が
閉鎖されていて、台鉄の線路に向かうように仮設の歩道が作られている。
荷物を持ったままだが、ちょっと偵察に行くか。


人の流れのまま歩いて行くと、突然視界がパッと開けた。おぉ!?
真新しい駅前広場に玉石タイルのような模様の上屋が架けられている。


そして、吹抜けの開放的な大空間には地下へ降りるエスカレーターが。
正面の壁には「高雄車站」の文字と、その横に台鉄のロゴマークがあしらわれていた。あれっ?台鉄高雄新駅舎は
もう供用開始してるの!?ちょっと下まで行って様子を見てみよう。
ちなみに正面の壁の向こう側は線路とホーム。下方には、さらに奥へ広がっているようなだまし絵が描かれている。


人々はエスカレーターを降りるとUターンするように歩いて行く。奥にはMRT乗り場への通路があり、
一足先に供用開始されたようだ。


ここから見上げると圧巻の景色!


横には台鉄のコンコースへの入口が!ガラス越しに見ると地下駅はもうすっかり整ってオープンを待つばかりのよう。


行き先案内の電光表示板もすでに連動しているようだ。


今度はすでに愛着が湧き始めていたこの仮設高雄駅舎に別れを惜しむことになるな。。。


※上の写真は9月23日の光景であり、高雄地下駅はこのあと10月14日に開業した。

さて宿は美麗島にとっている。地上を歩きたい気分なのでMRTには乗らず、六合夜市を横目に見ながら宿へ向かう。
荷物を置いたら夜の街へ繰り出そう!今回は夜市でなく、MRTに乗って西子湾まで。目指すは鼓山の渡船乗り場。
鼓山は日本統治時代の早い時期に都市計画されたエリアで、近代建築やレトロな建築が残っていて、リノベーション
したおしゃれな店も増えている。


しかし哨船頭街にはこんなベタな店もまだまだあるのが楽しいね!(笑)




鼓山輪渡駅にやってきた。私も人波にまぎれて船に乗り込む。


アイラブ旗津。今から行くよ!!


旗津の海鮮屋で夕食。1品がこの量なので1人だとちょっとツライが・・・4品、ほぼ完食!(笑)

旗津は数年前に来た時は少し寂びれかけていたように思ったが、また盛り返したかな!?東南アジアからのお客も
目立ち賑わっていて安心した。

ふと、そう言えば旗津教会はどうなったのか?と思い出して見に行くと、すっかり建て替わって巨大な教会になっていた。


高雄の夜の数時間も無駄にせず、夜歩きを楽しめたな!


続く
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虎尾の役所関連建築3つ

2018-10-24 23:17:17 | 建物・まちなみ
西螺からの続き。

また車で20分ほど走り、虎尾へやってきた。ここは別の目的でいつか来たいと思っていたまちである。
台湾の農業といえばサトウキビ。製糖産業は近代における台湾発展の礎の1つであった。
畑で刈り取られたサトウキビを製糖工場へ運ぶサトウキビ列車は、台湾中南部でかつては網目のように
敷かれていたが、製糖事業の縮小やトラック輸送への切り替えなどによりどんどん廃止され、最後まで残ったのが、
ここ虎尾糖廠のサトウキビ列車だった。
台湾好き、貨物列車好きの私としては、台湾唯一の現役の(観光用でない)サトウキビ列車は是非とも見たい。
しかしこの列車が稼動するのはサトウキビの収穫期である12月~3月ごろのみで、しかも畑の中を走る列車を
見るには徒歩ではツライ。。。てなことで、これまでなかなか果たせていなかったのだ。
今はもちろんその時期ではないし、また現在も生きているかどうか最新情報をチェックしていないのだが(汗)、
雰囲気だけでも感じられるかもしれないし、今度来る時のための下見としよう。

さて、虎尾の中心部には日本統治時代の建築が3軒固まっている。
まず来たのは虎尾郡守官邸。これは日本人の役人が住むために1920~23(大正9~12)年頃に建てられた
完全な木造の日本建築。
光復後は、台南県虎尾区区長宿舎、国民政府来台官員臨時宿舎、嘉義法院雲林庭庭長宿舎、雲林地方法院院長宿舎、
と使われ続け、2001年に歴史建築として登録された。調査、修復を経て現在は「雲林故事館」となっている。


日本にいると錯覚してしまうほど日本家屋そのもの。


木造家屋はおそらくボロボロになっていたと思われ、ほぼ建替えのような工事だっただろうと想像。
それでも長い歴史を背負った建物が、この場所にあるということが重要なのだ。




中山路の突き当たりに堂々たる姿を見せるこの建物は、1922(大正11)年に建てられた元虎尾郡役所。


アーチの車寄せが印象的な1階はレンガ造、2階は木造だろうか。屋根は桟瓦が載った寄棟造。


建物は役所建築らしく奥行き方向にも棟が伸び、中庭に面して回廊がまわっている。




建物内にはこんな「嫌疑犯拘留所」があって、ドキッ!。元控訴院庁舎だった名古屋市市政資料館で
地下に拘置所があったが、郡役所にもあったのか。。。房屋の周りに廊下が回っていて独立しているのは、
犯人が壁に穴を開けて逃亡するのを防ぐためだとか・・・


ここは現在、雲林布袋戯館となっている。布袋というのは人形劇の人形で、手にかぶせて演じる。
布袋劇は中国で生まれたものらしく、頭は木でできていて、衣装はとても凝っていて華やかなものだ。
伝統芸能として守り伝えるためにここで展示や、実際に上演も行われている。


おっちゃんが語り手で、1人で全役を演じているようだった。部屋いっぱいのお客さんは大人も子供も
ゲラゲラ笑いながら鑑賞していた。私もしばらく見ていたが、言葉は分からなくても語り口と人形の動きが
とってもユーモラスで楽しげ。


1階には昔のものから今のものまで人形が展示してあった。昔のものは文楽のような感じで衣装も芸術的。
現代のものは頭が大きくなりデフォルメされている。やっぱりアニメの影響か(笑)


そしてこちら。これはどう見ても消防署だろう!と思ったら、虎尾合同庁舎だったそうで、1939(昭和14)年築。
1階は警察分室と消防組合の事務所、2階は公会堂として使われたそうだ。中央の塔屋には天文台があったとか!
日本統治時代の警察と消防の合同庁舎が残っているのは稀少な例だそうだ。


敷地角の印象的な入口。




塔屋の下の入口から入った階段室。1階に今は誠品書店が入っていた。


吸い込まれるような階段。


2階以上は上れなかったけど、このかわいい手すりを見て!こんなの日本でも見たことないな!


2階ではイベントか何かやっているようだったが、ちょろっと部屋に入らせてもらった。
そしてこの金庫のようなのは・・・奉安庫か!!奉安庫とは、天皇の写真を収めて崇めるためのものだった。
台湾に建てられた役所建築にもやっぱり奉安庫が設置されたのか。それが全くそのまま、めくれた錆も生々しく
残っているとは。ちょっと衝撃だった。


続く
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西螺戯院

2018-10-22 22:35:26 | 建物・まちなみ
西螺の続き。

老街はまだ続く。
楕円や六角形がひときわモダンな雰囲気を醸し出しているこの建物は、1941年頃に建てられたもののよう。
昭和16年だと太平洋戦争に突入するころだが、こんな質の高いタイル貼りの商店建築が建てられていたのだな。


「山玉」、あっ違う、「玉山」か。この建物は珍しく1階がトンネル路地になっていた。元からだろうか!?


トンネルの壁には老街の各建物の立面図が描かれたプレートが並んでいた。
それによるとこの建物は1939年頃の築。ここも2階が円弧状に張り出しすというかなり斬新で自由な造形だ。
しかしこのトンネルは車が通るので、のんびりプレートを眺めているととても危険(汗)


そして西螺での一番のお気に入りが、茶商であっただろうこの建物のバルコニー。
手すりに「茶」の文字、しかも文字がおいしそうな緑茶の緑色なのだ!(笑)


老街の中には空き家もあり、使われていない建物は明らかに老朽化が激しく亭仔脚の下を歩くのも危険だ。
しかし台湾のすごいのは、こんなふうに老朽化してすでに崩れているような建物でも、大事に修復して使い続けること。
もちろん部材は新しいものに変わるが、歴史を背負った建物がその場所に存在し続けることに価値があると
考えられているように思う。ここもいつか再生されてまちの賑わいを生み出すことを期待したいなぁ。



老街から少し横道へそれたところに、いきなりこの建物が現れた。西螺戯院。おぉ~!!


これまでにもいろんなところで戯院建築を見てきたが、ファサードの大面積の装飾壁はインパクト大。
しかしここも御多分にもれず廃墟と化しており、入口やきっぷ売り場の窓口は固く閉ざされている。


徐さんについて脇の階段を上って行くと、二階の客席の後ろあたりに出てきた。うわぁ、、、これは、、、


ステージに向かってびっしりと並んだ跳ね上げ式の椅子は荒れ果てている。天井が抜けて明るい日の光が差し込み、
スポットライトのようにステージを照らす。なんとシュールな。。。
私は廃墟は怖いのであまり好きではないが、廃墟マニアにはたまらない光景だろう。


かつて人々がわくわくしながら座ったであろうこの椅子の列を眺めていると、人魂が残っているように感じられ、
どうしようもなくゾワゾワしてしまって、言葉が出ない。。。



代わりの劇場はどこにできたのだろうか。

これは戦後(光復後)の建物だろうがカッコイイ!背の高いヤシ並木を従えた、第一銀行西螺分行。


美形の面格子を発見!!


こちらの軒裏モザイクもかわいい~。通りから見上げる視線を意識ているのだろうか、素晴らしいな!!


モザイクタイル貼りの額縁建築も。


ある商店をふと覗きこんだら、床がタイル!市場の元食堂と同じセメントタイルか。


東市場の前まで戻ってきて螺渓歯科の建物を覗いてみたら、あっ!アールデコ風のドアに色ガラスが~~


一軒一軒中を見せてもらったら、それぞれに素晴らしいインテリアが秘められているんだろうなぁ~~
もう少しじっくり探索してみたいと思わせる、西螺のまちだった。


続く
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西螺の老街を歩く。

2018-10-20 12:05:44 | 建物・まちなみ
斗六からの続き。

斗六でお昼を食べてから車で20分ほど走り西螺にやってきた。ここも古い街で、延平老街という日本統治時代に作られた
まちなみが残る。濁水渓という大きな川が近くを流れ水が豊富にあったことから醤油の醸造が盛んに行われた。
中でも丸荘醤油は台湾でいちばん有名な醤油の老舗醸造元だとか。

延平路の東寄りにある東市場は、現在はもう青果や生鮮品は売っておらず、カフェや雑貨屋などが入っていて
トイレや中庭にちょっとしたステージも備えたまちの核施設となっている。古い市場施設をうまく活用してあるな!
西螺は台湾内の観光地として斗六よりはメジャーなようだ。


その端の一角に、現在は営業していない市場時代の古い食堂の建物があり、床のタイルがそのまま残っていた。


これはセメントタイルかな。はげていないところを見ると象嵌タイルなのかもしれない。


連呼するような「明正食堂」の文字が味わい深い。
埃にまみれたガラスを指でこすって覗いてみると、中は物置と化していたが、同じタイルが敷き詰められていた。


モザイクタイルが貼り詰められた、近くの住宅のバルコニー裏。かわいい~~


アイスクリームでも食べて休憩する誘惑にもかられたが、、、先に老街を見よう。


東市場の向かいには、西螺の紹介写真には必ず載っている有名なビルディングがある。
1932(昭和7)年に建てられた廣合商行。林集山という人が200年前に広東の潮州から台湾に来て
貿易商として成功した。この林家は真理大学創設者や雲林県の議長などを輩出した名家で、西螺の発展を牽引
してきたといえる。


バロック風の商店建築は基本的に左右対称のデザインだが、ここはアシンメトリーで自由な曲線使いのデザインや
左端にそびえる時計塔が目を引く。これらは昭和初期に建てられたもので、モダンな印象を強烈に与えている。
以前見た鹿港でもこういうアシンメトリーな建物があったな。


こちらは1933(昭和8)年に建てられた螺渓歯科。三角の窓や桟が素敵~~


こちらも廣合商行の建物。バルコニーの手すりに「RINKIOGOSHAUKO」の文字が見られる。
モルタルで作られた文字の入った手すりはここの他でも目にしたが、こういうの好きだなあ~


延平路を歩いていくと、見ごたえのある古いまちなみがずっと続く。結構状態がよいのはまちなみ保存のために
修復等がなされたのだろうか。それにしても各家それぞれ趣向を凝らしたデザインを眺めて歩くのは楽しい楽しい!


尖頭アーチ形の窓がおしゃれなこちらの建物もバルコニーの手すりに文字が。「LIONGCHOAN」


こちらも間口が広く老街の中で目立っていた建物。1933年ごろに建てられたものとか。


貝殻のような模様。こういうモチーフがあるのも鹿港の表通りと似ている。


ここは昭和初期のまちなみなのでほとんどがモルタル塗りの建物であり、レンガレンガした建物はほとんどない中、
意匠として使われていると目を引く。


ゴージャスなレリーフが施された装飾壁のてっぺんには、今にも飛び立たんとする鳥が。飛躍を願ってのことだろう。


そしてこれは、、、パイナップル!?ここは果物商だったのかな(笑)


続く
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斗六の建物をめぐる。

2018-10-18 22:17:07 | 建物・まちなみ
斗六の続き。

太平老街から歩いて来た、斗六行啓紀念館。青々した芝生の広場の奥に鎮座するレンガ色の建物は
駅舎か、学校か、お役所か、などとと思うが、日本統治時代の1923(大正12)年に、裕仁皇太子が台湾各地を
行啓されるときに台湾内で8ヶ所に建てられた記念館のうちの1つ。
集会場や講堂などとして使われた。


直線的なフォルム。大正の終わりにもなると装飾も少なめだな。この日は前の広場でイベントをやっていて
建物の全貌が撮れなかった。


現在は建物は一般公開されていて、中ではこの建物の歴史などについての展示がある。


当時の新聞記事の切り抜き。当時は結構なニュースだったのだな。


並んだ縦長窓からは南国の緑が見え、一幅の絵のよう。。


上へ上がって高い吹き抜けを俯瞰。おぉ♪
螺旋階段はおそらく後から取り替えられたものだが、スタイリッシュでカッコイイ!


屋根を支える小屋組は入り乱れているが基本キングポストトラスだな。


正面のベランダに出ると屋根がすぐ目の前に。この建物の屋根がセメント瓦であることがわかった。


ところでこの行啓紀念館のすぐ横に、レンガ造の小さな小屋が何軒かあった。日本統治時代の警察官舎らしい。
現在はリノベーションされ「哲美系 二手書店」というお店になっているようだ。おしゃれな古本屋か。






カフェもやってるのかと思ったが、イートインはできないようで、ペットボトルに入った果汁100%手絞りの
ジュースを購入。う~ん、さわやか!!


こちらの建物は使われていないようだ。


そしてその裏手に奇妙な小山が。これは何だ!?石垣が組まれた明らかに人工的な小山。これは雨よけ付の入口なのか!?


奇妙なのは、この山の上から臭突のようなものが、まるでつくしのようにニョキニョキと飛び出しているのだ。
いや、上だけではない。横からも土管が突き出している。


説明板などは見当たらなかったが、防空壕に間違いなさそうだな。


その手前には「雲林記者之家」と書かれた建物が。これは1960年代に建てられたもので、ジャーナリストの
交流の場であったらしい。雲林県における新聞事業の発展を見続けてきた建物として、歷史建築に登録されている。
※「歴史建築」とは、古蹟よりもゆるい日本で言う登録有形文化財にあたる。


大きなものから小さなものまで。日本統治時代に建てられた建物が今も大事にされて使い続けられているのを
目にすると本当にうれしいなぁ!

続く
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斗六の老街

2018-10-17 23:40:02 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

今回は来るとき台北から入ったが帰りは高雄空港からの予定。・・・というのは、連休の最終日、
台北便は少し高く高雄便の方が安かったから。まぁ、数千円の違いなのだが(爆)。
ピーチでオープンジョーのチケットを指定できることを発見して、喜んで取ってみたというのもある(笑)。

高雄で1泊する予定で新幹線で南下。その途中で、前から行きたいと思っていた斗六や西螺に立ち寄って
散策しようと考えていた。嘉義の花磚博物館の徐さんが案内してくれるというので、高鉄雲林駅で再会!

車でまず斗六へ向かい、太平老街を歩く。


うわぁ~~、古い商店がずらりと並んでいる!!
斗六は雲林県の中心地で、交通の要衝として昔から栄えた場所。この太平老街は、日本統治時代に建てられた
バロック商店建築が600mも連なり、台湾最長の老街なのだとか。
レンガや石で飾り立てられたファサードには、寺廟などでよく見られる台湾の伝統的な装飾「剪黏」も
使われていて、華やかさをを添えている。


あっ、こんなところにタイルが!


こちらも素敵なファサード。2階の窓には面格子もついている。


台北の迪化街や剥皮寮、三峡や大渓、新化など、いろんなところでこういう日本統治時代のバロック風商店が
ずらりと並んだ老街を見てきたが、ここの老街は全く観光化されておらず、車はガンガン走るし、
現役のお店が入っていて看板がデカデカと掲げられていたりと、とてもナチュラルだ(笑)。
ちょっとジャマにも思うが、生きた建築と言えるだろう。




ここは比較的新しそうな3階建ての商店だが、モルタル塗りのファサードにマジョリカタイルが使われていた。




その隣の建物にもタイルが。右側は絵付タイルだが左側は何?見たことない絵柄のタイルだな。
下の2枚一組の龍のタイルはよく見かけるもので日本製だ。こういうマジョリカタイルが使われた建物はごく少数。




こちらの商店の装飾壁には丸いものが・・・時計!?
これを掲げ持っている2人の子供は天女の羽衣のようなものをまとい、両側には獅子が描かれているのも
西洋っぽくなく、中洋ミックスされた雰囲気。


スタイルはほんとにばらばらで、各家でデザインを競ったのだろう。


こちらは2階から突如円柱がそびえている(笑)。


あっ、よく見るとこんなところにもタイルが・・・




古い薬屋さんの薬の棚は風格を醸している。


白いタイルを使った建物はまちなみの中でも新鮮に映るな!白の鮮やかさが目を引く。




梅に鶯をモチーフにしたモルタル装飾。立体的に表現された花びらはタイル片だろうか?美しい~~




こちらはずっと時代が下るモザイクタイル貼りの建物だが、右端の部分がかわいいデザインだな!


続く
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鶯歌をふらふら歩く。

2018-10-16 22:22:12 | 建物・まちなみ
台北の続き。

台北故事館でタイル展を見たあとは友人と別れ、ひとりでふらっと鶯歌へ行ってみる。
鶯歌は焼き物の町で2度ほど行ったことがあるが、まちなかにあまり古い建物はなく、タイルも見当たらなかった記憶がある。
陶瓷博物館も行ったことあったと思うのだが記憶が薄く(汗)、もう一度行ってみようと。
台北から台鉄の列車で30分ほど。停まった貨車や機関車を横目に見ながら駅を出ると、観光客が多い。
しかし駅前はこんなんだったっけ・・・記憶が全然ない(汗)

博物館へ行く途中にある汪洋居。煉瓦造で間口の広い建物だ。中央部に装飾壁が立ち上がり、「汪洋居」の文字が。


しかしかなり老朽化しており人の気配は感じられなかった。。。


こちらは陶磁器店だろう。柱にモザイク画があしらわれていた。もちろん新しいものであるが、玉石タイルを使って
立体的なレリーフに仕上げてあり見事。写真には写っていないが、玉石タイルを立体的に使って鳩の羽を表現
してあったりするのが台湾っぽいなぁ。


さて、やってきた陶瓷博物館は名前が2つ書いてある。2000年から2010年以前は台北県立だったのが
2010年以降は新北市立になったということのようだが、変更前の名前を併記してあるというのも珍しい。
さらに、同じ「鶯歌」の読みが、昔は「Yingko」だったのが今は「Yingge」となっている。
中国語の発音も変わったりするんだろうか。


めちゃくちゃ立派な建物で3階分の高さの吹き抜けホールが圧巻。のんびり歩いてひと通り見ていく。


いろんな種類の窯の模型も焼き物で作られていたりして、作品を見るように展示を見る。


瓦や透かしブロック、磚などの建材の焼き物がやっぱり興味を引かれるなぁ~






マジョリカタイルの展示も少し。しかし・・・シミがひどくて汚いなぁ。。ちょっと、クリーニングしてあげて~~(苦笑)

3階は全部現代アートの展示となっていて、結構、美術館として力を入れている感じなのだろうか。

鶯歌の老街はもうずいぶん昔から観光地化していて、表には古い建物は全くと言っていいほど残っていないが
細い路地の奥には古いレンガの建物があった。そこでやっているモザイク体験のお店はとても賑わっていた。


こちらの土産物屋兼体験工房には、「古早窯」と書かれたこんなレンガのトンネルがあった。
トロッコのレールが敷かれているところを見ると、これはトンネル窯だったのか?


中へ入ってもいいらしいので進んでいく。復元かと思いきやどうも本当に古いようだ。


この穴から熱気が吹き込まれたのだろうか。


奥まで行くとお土産屋。商品の並んだ棚の後ろにあのトンネル窯があるのだ。パイプ類がニョキニョキ突き出ていて
やっぱり本当に使っていた窯なんだろう。いったいどういうつくりになっているのか、興味津々!
もとはこの店舗部分が作業場だったんだろうな。


鶯歌のまちかどで見つけたモザイクタイルたち。
こちらは豆タイル貼りの橋、重慶橋。


笹の葉みたいなレリーフ模様入りのモザイクタイル。2つの点々が雪うさぎの目みたい(笑)


水色の糸くずタイル。


モヤモヤとニュアンスのある色合いのモザイクタイル。オーロラみたいで美しい~

帰りは鶯歌駅の北口の方から戻ってきた。駅前に陶器市場の跡地みたいなところがあり、昔来た時は
まだここで店をやっていたような記憶がうっすらよみがえった。
普通のまちなかを歩いてみようと思っていたのだが、ちょっと疲れてきたので早めに台北へ戻る。

夕方また友人と落ち合って食事を。友人の子供たちがつい1年ほどの間に大きくなっていてびっくり。成長が早いなぁ!


続く
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リベンジ!剥皮寮

2018-09-18 19:43:11 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

最終日、三峡から台北に戻ってきてからまだ少し時間があるので、剥皮寮へ行ってみることにした。
ここも友人に教えてもらったスポットで、実は昨日の午前中にも一度来たのだが、月曜日で休館だった。
ショック。。。結構長い距離を歩いて来たのに・・・ということで、リベンジ!


剥皮寮は、現在の萬華区の、康定路・広州路・昆明街に囲まれた地域を指し、石炭の集散地であった「土炭市」に
ほど近い場所だったため商業が盛んだった。台北市内で清代のまちなみが最もよく保存されている地域のひとつだとか。


その名前からちょっとおどろおどろしいイメージを勝手に持っていたが(笑)、捕まって皮を剥がれるようなことは
全くなかった(爆)
もともと清代には「福皮寮街」と呼ばれていたのが、似た音の「剥」皮寮と呼ばれるようになったらしい。


広州街に面した建物は、亭仔脚(アーケード)をもち隣と壁を共有する長屋型式で、独立したファサードデザインは
日本統治時代の流行であったバロック式の豪華な装飾は少なく、装飾はあっても比較的シンプルな形だ。
清代のまちなみと言うよりどちらかというとファサードはその後適宜更新されてきたもののように思える。






日本統治時代の都市計画で剥皮寮の敷地が隣接する老松小学校の用地とされ、開発が抑制されたことにより、
昔ながらのまちなみが残った。
これは隣接する老松國小。連続アーチが素敵。


東西に長い剥皮寮は運営が2つに分かれているようで、西半分はアートスペースなどとして使われていた。


まず西半分から見ていこう。空き室も多いが、建物そのものをじっくり見ることができる。


これは西門や台北城壁の構造と同じような「條石」を積み重ねた構造だな。まちなかの民家の壁もこのような石積みが
使われていたのか。レンガ造か木造と思っていたが。


剥皮寮の一角を康定路173巷という路地が貫いている。※写真は昨日来たときのもので「今日休館」の文字に愕然(汗)


裏通りであるこの路地から、大通りに面した店舗の裏側を見ると、表側とは全く違った表情が見られて面白い。
各店舗自由奔放に行われた改修増築も斬新でファサード以上に多様だ。




剥皮寮のある、旧台北城の西側エリアの発展の歴史にスポットを当てた展示が行われていて、古地図や日本統治時代の
都市計画図などいろいろ展示されており興味深く見る。
台北の市街地の起源とも言える艋舺(現在の萬華)と、その後発展した大稲埕に挟まれた西門町の場所は長らく
湿地帯であったが、日本統治時代に台北城内と共に開発が進められ、城壁が撤去されて加速的に市街地化が進んだ。
この地図では、西門エリアが淡水川の蛇行跡だったことがはっきり見て取れる。


また別の部屋で行われていた展示がめちゃくちゃ面白かった。まず北門周辺の景観の変化を写真で比較してある。
昨日そのあたりを歩いて、青空をバックに堂々と立つ北門を見ていたところであり、今まで全く印象に残って
いなかったことをちょっと不思議に思っていたのだが、この写真を見て納得。そう言えばこのあたり、道路が
立体交差していたんだったか。だからその先へあまり行く気にもならなかったんだな。北門も窮屈そう。
高架道路車には便利だが、地上を歩いている人にとっては急に見通しが悪くなり暗くなるので、高架の側道はあまり
気持ちのいいものではない。


それが、高架道路が消えて今のような明るく広々した道路空間に変貌!!すごい変わりよう。


工事中の写真もあって、かなり大掛かりな工事だったようだ。




そして高架を取り除く工事のプロセスをCG映像で表現してあったのだが、これがめちゃくちゃ面白いのだ。
台北駅の少し西側から淡水川までの間が高架道路になっていたが、工区ごとに違った工法が取られた。


高架の桁を分割してクレーンで下ろし撤去する作業が、CGアニメーションではあっという間に進んでいく。


北門付近ではまず北門を防護する壁が作られた上で作業が行われた。
実際交通のある大交差点のど真ん中での作業であり、かなり困難な工事だっただろうと想像する。

調べてみると、何とこの工事は2016年の旧正月中に突貫で行われたらしい。そして「北門広場」は2017年の
7月末に竣工したばかりだった。ははぁ!あのあたりの風景が新鮮に感じられたはずだな!

これにより北門は再び日の目を見ただけでなく、台北の、台湾の新たなランドマークとなった。
台北郵局と鉄道部の華麗な建物が晴天の下向かい合い、市民や観光客が歩きながら台湾の歴史に思いを馳せることができる
スポットとなったのだ。素晴らしい!!
あぁ、すごいことを短期間のうちにさらっと実現してしまう台湾。日本でも東京の日本橋の上の高速道路を撤去する
計画だが、台湾は1歩も2歩も先に進んでいる!

工事中の写真が載っているサイトを見つけた。いかに大工事だったかが実感できる。高架ができる前の写真も。→こちら

他にも、台鉄の線路が地上にあった時代の風景写真なども展示されており、興味津々!
これは1989年の写真。台北駅のホームがまだ地上にある。すでにホームの一部が廃止され地下化工事が進んでいる。


これは鉄道部の建物の目の前に踏切があった1940年代の写真。蒸気機関車が走っている。あぁ、すごい風景!
先日の「台北駅周辺の風景」の記事に載せた写真とほぼ同じアングルだ。


この展示室だけでずいぶん長いこと滞在してしまった(笑)。いや~面白かった。この展示を本にして持ち帰りたいぐらい。


TRレンガが敷き詰められた中庭スペース。


東半分は「台北市郷土教育中心」となっており剥皮寮の歴史や昔の暮らしなどについて、子供が遊びながら学べる
しかけがいろいろ工夫されていて、こちらも親子連れなどでとても賑わっていた。


古い建物をリノベーションして生かすことがほんとにうまいなぁ。どんどん街が楽しくなる。
あぁ、リベンジで再訪してよかった!


おまけ。剥皮寮の近くで見つけた素敵なタイルたち。





宿に戻り、新しくできたMRT空港線でスイ~っと帰途につく。
あぁ、何度来ても新たな発見がある。来るたびに好きになる台湾。また来よう!

終わり。
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三峡老街の裏手を歩く。

2018-09-17 19:22:47 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

三峡老街をうろついたあと、ちょっとそれた裏の方へ行ってみると、川石を積んだ塀に囲まれた教会があった。
台湾基督長老教会三峡教会。


手前に塔屋が建ち、左側にあるのが比較的古い建物で礼拝堂のようだ。三階は後の増築だろうな。


日本統治時代の建物なのかそれとも戦後(光復後)のものなのか、素性は分からないが、中を見学してもいいかと
事務所に声をかけたら快諾していただいた。


1階は集会所のような部屋だった。部屋のなかには円柱が立っていてシンプルなRC構造のようだが、窓は木のサッシで
十字のデザイン。ちなみに、台湾ではスチールサッシは錆びるため早くに使われなくなったらしく、光復後の
建物でも長らく木製サッシが主流だったようだ。


窓ガラスにはチープな模様入りのシートが貼られているのが何とも飾らず庶民的(笑)。




2階へあがってみると、一応ここが礼拝堂なのだろうが、神妙な雰囲気は全くなく、普段着感覚の教会だった。


尖塔アーチの窓が並ぶ。


検索してみると、現建物は1952年完工と書かれた個人のサイトがあった。
青少年向けの各種活動なども行われているようだ。


三峡教会の向かいにあったビルのタイル。


ぐるっと回って川沿いの道を歩くと、丸い川石積みの外構が見られる。
そしてこんなのも。水利局の標柱の防護に自然石が埋め込まれている。かわいい~~~(笑)


一見なんてこともない萬寿橋、表面は洗い出し仕上げだが、骨材にカラフルなガラスのカケラも混じって、キラキラ!
ほんと台湾人ってなんてラブリーなんだろう、普通に。




電信のハンドホールの蓋もこんな素敵なデザイン!円形柱頭と瓶形柱頭、これは、老街のバロック風商店建築の
両端についている装飾のことだろう。これを老街の象徴的に取り上げてデザインするとは。


ここは老街のちょうど裏側。まだこんな廃墟もあったのか。元は立派な洋楼だっただろうが、木の生命力に負けて
人間は復旧を断念したのだろう(苦笑)


三峡橋のアーチがきれいに見えた。
背後にはマンション群。環境がよくほどよい活気もあり住みやすい場所なのだろうな。


小さな廟があったのでちょっと休憩。小さいけど美しい廟。




路地を入ると家が雁行に配置されていてちょっと面白いまちなみ。


路地裏にはすでにおしゃれなお店もできていた。国産の豆で作った無添加の豆腐や豆乳を売っているお店のようだ。
ちゃんと目をつける人は目をつけるんだな!


あぁ、MRTとバスを乗り継いで1時間半ぐらいかかったけど三峡に来てよかった。
12年前にここ三峡と併せて行った大渓のまちも、ここからバスが出ているようなのでついでに行ってみようかと
少し考えたが、帰りのルートも調べていないし万が一戻るのが遅れて帰りの飛行機に間に合わなかったりしたら
致命的なので、今回は諦めてまた次の機会に訪れることにしよう。

ちょっと早いが台北へ戻る。

続く
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三峡老街を12年ぶりに再訪。

2018-09-16 21:11:30 | 建物・まちなみ
台湾の続き。

異国で出会った古い本業敷瓦に興奮しすぎてしまったが・・・
ほど近いところにある三峡歴史文物館へ。ここは前にも来たことがある。抜けるような青空を背景にして美しさが際立つ!


これは日本統治時代の1929年に稱庄役場として建てられた建物で、1986年までは役場として使われていたそうだ。


三峡は淡水川の水運を利用し木材や茶や樟脳などの集散地として日本統治時代に大いに栄えたまちであり、
華やかな役場の建物を見るとその頃の三峡がいかに重要な場所だったかが窺い知れる。

歴史文物館の入場は無料で、1階では藍染作品の展示などが行われていた。
三峡は古くは三角湧と呼ばれ藍染の盛んなところでもあった。藍の原料となる大青が栽培され、淡水川の水を
利用してさかんに行われた藍染は清代が最盛期だったが、近代化と共に廃れていったようだ。
伝統的な藍染文化をよみがえらせようと活動している人々がいるのは素晴らしいことだな。


さて、次に老街を見に行こう。
以前来た時はちょうど修復工事の真っ最中だった。今見てみると2006年、2回目の時だったようだ。


がらんどうだった老街はレトロな雰囲気を残したままきれいに修復され、お店がぎっしり入りすっかり人気の観光地として
定着している。


バロック風の装飾壁も健在。


油屋さんだった建物は老街のシンボル的存在。


建物は作られた当時と同じようにレンガやモルタルを使って最小限の修復に留められているのが素晴らしいな。






わざとらしい古びの細工をしなくても、すでに10年の年月を経てすっかりなじんだまちなみ。


亭仔脚の天井は、古いまま残っているところはほとんどは丸太の梁に板を渡したシンプルなものだが、
まるで洋館の天井のようにこんな凝ったデザインも1ヶ所あった。


お店の目の前に古い井戸がど~んと(笑)。これもあえて残すとは面白いなぁ!


老街の裏手に藍染公園というのがあった。古いトロッコなどが展示してあり、藍染の作業場があった場所なのだろうか。




隣接して金興居という建物があるようなので見に行く。レンガ造りの伝統的な閩南式合院建築で、修復されたものらしい。
公開しているのかと思って近くへ行ってみたが生活のにおいが。どうも普通に人が住んでおられるようだな。。。


金興居の石垣はこんな赤みを帯びた石が積まれていた。目地は埋められておらず古いままのように見える。
何石というのだろうか。




赤瓦を貼った民居の壁。美しいなぁ!


老街に戻り、ちょっと休憩しよう。。。爽やかな空だが実は暑くてたまらない(汗)。氷を食べてほっとひと息。。。


その店も古い建物で、雰囲気に合わせてレトロなポスターなどが飾ってあったが、私が座ったカウンター席の前の壁に
昔のマッチコレクションが展示してあった。


氷を食べながらそれを眺めていると、すべて中国語なのだが、果物の絵の入った「千疋屋」という店や、
見覚えのある鶴丸印のレストランのマッチが目に入る。


「日本料理銀座」「純日本料理浅草(あさくさ)」、「莎慕莉(サボリ)」「阿波踊」という飲み屋や、「富士食堂」
なんかもある。
「アリナミンF」や「雪印ネオミルク」はさすがに店の名ではなく、マッチは商品につけられたオマケだったのだろう(笑)


これらのマッチコレクションはどんな人が集めていたのだろうか。夜な夜な飲み歩いていたサラリーマンか、
接待に余念のない個人商店主か、接待を受けていた役人か、、、(笑)

敗戦後日本は、家や店を台湾人に譲り渡して引き上げたと聞くが、台湾人は店の名もそのままに営業を続けたりも
したのだろうか。これらのマッチを見ていたら、日本と同じような台湾の高度成長期の熱気溢れる空気が
伝わってくるようで、自然と頬が緩んでくるのだった。

続く
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