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まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

天草・熊本の旅 石橋めぐり

2016-10-08 17:37:45 | 川・橋・船
三角からの続き。

雨の三角を後にし、少し内陸の方へ。
熊本は石橋がたくさんあり、一度石橋ばかり巡る旅もしてみたいと思っていた。
Tさんが事前に入手しておいてくれた資料に「石橋ぐるりたび」というのがあり、これがまさに石橋
ばかりかなり詳しく載っているのだ。一番有名な通潤橋は、熊本空港から阿蘇寄りの場所にあるため
今回は諦めたが、比較的近い場所にあるいくつかの石橋を見に行こうということで、美里町の方へ走る。

しかし、、、走っていたら見つかるだろうと高をくくっていたら、気づかず通り過ぎることいくつか。。。
愛媛の屋根付き橋のように、案内板が出ているかと思ったがなく、この辺かと目星をつけて集落内に
入り込んで探してみても見つからない。。。人がいたので聞いてみても、詳しい場所は分からず。
震災で崩れているかも、との話も。

集落の中の建物も損壊したまま手をつけられていないところが見られた。。。

雨も降っているしカフェでお昼にし、店員さんに近くの石橋をの場所を尋ねてみるが、首をかしげ。。。
地元の人は身近すぎてあまり知らないのだろうか。


食事後にごく近くと思われる小筵(こむしろ)橋を探して少し歩くと・・・あった!!やっと見つけた。
ほんとにひっそりと・・・木々に隠れるようにして 橋はあった。幅は約1.5m、人しか通れない。
谷が木の枝に覆われてしまっているが、欄干はめちゃくちゃ低くて、見通しがよければ怖いだろうな。。。


擬態しているような小筵橋。

おや、よく見るとちかくに2~3台の駐車スペースがあるじゃないの。説明板もあった。

そこから「恋人の聖地」という案内板が見えた。それは川が二股に分かれたところに
「二俣渡」「二俣福良渡」の2つの橋が並んで架かっているスポット。橋のアーチの影が時間によって
ハート型に見えるという。
・・・恋人の聖地はともかく・・・(汗)石橋が2つ一度に見れるというのでもちろん行ってみる。
今年の台風で九州もかなり雨が降ったようで、川沿いの道も崩れかけているところが目につく。
5分ぐらい歩くと道が行き止まりになった。あっ、あれか!!


ところが、、、左側の「二俣渡」はブルーシートがかぶせられていた。アーチの形は残っているものの
路面部分が崩れ落ちているのがわかる。うわぁ・・・痛々しい。。。先の熊本地震の被害だな。
上の写真では骸骨のように見えるが(汗)後ろにあるのは別の橋。車を通すために並べて
架けられたと見える。

ミニパトがやってきた。窓が開いて、おまわりさんが顔を出した。
「どこから来たんですか」「大阪です」「観光ですか」「そうです。石橋を見に来たんです」
「この橋は震災で崩れてしまってね、もう石が流されてしまったんで修復は難しいでしょうな」
「え~そうなんですか、残念ですね。。。」「じゃ、よい旅を」おまわりさんはUターンして去っていった。
・・・台風が来るという中うろうろしているから怒られるのかと思ったのに、いい人だった(笑)


崩れた二俣渡をよく見ようと、無事だった手前の「二俣福良渡」を渡っているときにふと横を見たら・・・
うわぁ!!こちらにも石橋が!!

手前にあるのがさっき車で走っていた国道218号であり、その奥に巨大なアーチがドカ~ンと。
高い!大きい!深い谷をまたぐにはこのぐらいのアーチになるのだろう。
よく見ると、左右にも小さなアーチが見え隠れする。うぉ~っ、3連アーチだったのか!興奮!!

さて、二俣橋はやはり途中で途切れていた。右側が昭和戦前ぐらいと見える車用のコンクリート造
アーチ橋。美しい橋だが、1829(文政12)年架橋の二俣渡と並ぶとやはり風格が違う。
横の橋があるから川向こうの住民もたちまち不自由になることはないのは幸いだが、それだけに
復旧は後回しになるだろう。。


しかし、こんな状態になってもアーチを形作っている一番下の石の列だけは崩れず保っているのがすごい。
アーチが構造上いかに安定し強固であるかを証明している。熊本城の石垣の角の算木積みも同じだ。


一方福良渡の方は無傷のようだ。架橋の方向が明暗を分けたのだろうか。


国道へ戻り、さっきのデカイ石橋「年祢(としね)橋」を見に行こう。こちらは結構幅もある。
すぐ横に国道の橋があってうまく見れないのだが、3連と思っていたアーチは4連であることが分かった。
これだけ高さのアーチ橋、相当大変な工事だっただろうな。。。大正13年と書かれているので
石橋の中では比較的新しい方だろう。コンクリート造に変わる直前の時代の石橋かもしれない。


反対側の川原から見上げればきれいな4連のアーチが見えるだろうが、谷は深くここから
下りることはできない。さっきの福良渡のあたりからザバザバと沢歩きすれば行けるだろうが・・・
おや、その沢を歩いている人がいる!?カメラを投げて下から撮ってもらおうか!?なんて(笑)


ここにも数台の駐車スペースと説明板が整備されていた。しかしそこまでしてあるのに何で車から
橋の場所が分かる案内看板がないのかなぁ??


この年祢橋のたもとには、靴が揃えて置かれていた・・・・ブルッ


石橋めぐりはまだ続く。
幽玄な雰囲気の写真に惹かれた馬門橋を見にもう少し東へ走る。駐車スペースが見えたがカラーコーンが
置かれている。下りていく小道もふさがれているな。ここも地震で被害を受けたのだろうか。。。

雨が強くなってきたので退散し、佐俣の湯という温泉に入りに行こう。
ここは九州八十八湯めぐりのひとつにもなっている。実は私、最近このスタンプラリーにハマっているのだ(笑)。
別に豪華賞品をもらえるわけでもないのだが、やっぱり集めたくなるんだな~~
ここにリストアップされているのはやっぱりいい温泉なので、旅のルートに組み込んでいる。
始めたのは割と遅めで、別府通いなど温泉旅をしだしてからもしばらくはやって
いなかったので、
苦労して行ったのにスタンプを押していないところや、御湯印帳を忘れて押していないところも結構あり(汗)
順次再訪していっているが、阿蘇の地獄温泉清風荘や垂玉温泉山口旅館など、地震で壊滅的な被害を受け
休業を強いられているところもあり心が痛む。。。復活されたらすぐに再訪してスタンプを押したい。

佐俣の湯も期待に違わずいいお湯だった。雨が弱まったときを見計らって露天風呂も楽しんだ。

そろそろ宿に向かおうと来た道を戻りながら、最後にもうひとつ石橋を。
国道からも見えた山崎橋。脇道を下りぐるっと回って集落の細い道へ入って行く。


おぉ~~かわいい!美形!!


車一切通るべからず。


橋のたもとには木の幹に溶け込んだお地蔵さんがあったり、横の小さなダムも雰囲気いいね!

石垣めぐりは宝探しみたいで面白いな!

続く
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天草・熊本の旅 橋と温泉

2016-10-04 23:53:10 | 川・橋・船
天草の続き。

大江教会から上天草の宿へ向かって走る。雨は降ったり止んだり。台風は思いのほかスローペースのようで
今日は何とかもちこたえそうだ。宿に入ってしまえばカンヅメになっても温泉は入れるだろう(笑)

上島と下島のつなぎ目にある本渡のまちは、天草でいちばんの都会である。本渡瀬戸は、もとは自然の
海峡であったのを拡張した運河で、幅50m、深さ4.5m。かなり大きい船も入ってくると見え、
国道の天草瀬戸大橋はぐるぐるらせんのループ橋である。
そして行きしな、そのループ橋を渡っているときに目に入ったのがこれ。

あっ!筑後川昇開橋と同じ昇開橋だ!!可動橋好きの私としたことが、チェックしていなかった・・・(汗)。
しかしここで車を停めるわけにもいかず、車窓から何とか撮った写真がこれ。
スマホで検索してみると1977年に架けられた人道橋らしく、天草工業高校の裏手に架かっている。

行きしなは急いでいたため、帰りに寄れたら、ということでパスしたのだが、帰りも宿の夕食の時間に
ギリギリで見に行っている余裕はなかった。・・・ということで、帰りに車の中から撮った写真がこちら。
さっきは上がっていたのが今は下りている。おお~っ、日常的に開閉しているんだな!

思わぬサプライズでテンションも上がる~~~

弓ヶ浜の宿に向かって海岸沿いを走っていると、空がなんだか妙な色に。。。雨はもうすっかり止んでいる。


夕焼けなのだが、見る間に空全体が黄金色に光りだした。雲があるため乱反射しているのだろうが、
不気味なほど鮮やかな色なのである。写真ではなかなか伝わらないが・・・


オレンジ色はどんどん深みを増し、これはもしかして・・・世界の終わりが来るんじゃないか、などと
ちょっと不吉なことが頭をよぎるほどに、、、不思議な色に包まれたのだった。

宿についてほどなく日没。あの夕焼けはやっぱり台風の予兆かなぁ。。。

今宵の宿は洞窟風呂が有名な湯楽亭。いやぁ~~、さすが日本秘湯を守る会の宿、この温泉すごいよ!!


露天風呂から天然の崖に穿たれた入口を入ると、、、


中は手掘りのノミ跡生々しい洞窟で、温泉がなみなみと満ちているのである!!。
北海道の二股らぢうむ温泉や大分の長湯温泉と似た泉質かな。左右の壁には温泉の析出物がゴッテリと・・・
翌朝入りに来た時は、水面をパリパリした結晶が覆っていた。若干塩味のする温泉だ。


湯温もちょうどよく、ほの暗い洞窟の温泉は落ち着く落ち着く・・・ひとりでボーっと、物思いに
ふければ最高だ。ずっと奥まで行くとまた扉があり室内の浴室へつながっている。
室内の方もまたいい雰囲気で、泉質の違う透明な温泉の浴槽もある。そちらの白湯のほうも気持ちいい
温泉で、ほんとにもう極楽!ここならほんとにカンヅメになってもよかったな(爆)


この温泉、実はそれほど歴史は古くなく、1977(昭和52)年に白湯、1996(平成8)年に赤湯が
掘り当てられた。「温泉開発の由来」には、夢に出てきた老人の導きがあったと書かれており、掘削工事を
したところ見事に温泉が湧出したのだとか。

ごはんも最高、温泉も最高。いやぁ~~いい宿だった。

台風の進行速度は遅く、土曜日は雨もぱらつく程度で済んだが、日曜、月曜はともに降水確率100%の
暴風雨予報。しかし朝の時点ではまだ降っていない。今日は三角に寄り道してから熊本方面へ行く予定だ。

行きしなも気になっていた工事中の橋のたもとにうまい具合に駐車スペースがあったので、急きょ寄り道。
宇土半島と上天草市の大矢野島に架かる天門橋の横に、新しい橋を架けるらしい。
天門橋は写真右側のトラス橋で、天草五橋のひとつ。


大きな鉄骨の塔が両側に建ちワイヤーが渡っている様子が見えたので、斜張橋かと思ったのだが
シンプルな中路式アーチ橋となるらしい。


アーチの部材を上から吊るしてつなげていき、最後にキーストーンのように頂上部分をはめ込むらしい。
赤白の鉄塔はクレーンの役割をする仮設構造物である。ケーブルエレクション斜吊工法というのだとか。
いや~面白いな!

雨がぼちぼち降り出した。

三角についたら、さっきの新天門橋が側面方向からよく見えた。だいぶ煙っているが・・・

工期は平成29年3月までとなっている。→こちらに詳しい説明あり

続く
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コンクリート船を見に行く

2016-07-11 00:06:12 | 川・橋・船
音戸の続き。

実は、妹の広島行きに便乗して音戸の瀬戸へやって来た最大の目的はと言うと・・・
以前、陸の上の舟という記事を書いたときに、コンクリート船というものが戦時中日本でも作られ、
その後無用となったものが防波堤として今も残っているということを知ったのだった。見たい!!
そのコンクリート船があるのは、さっき散策した鰯浜や北隠渡とは逆方向のまちはずれにある坪井漁港である。

・・・と、まぁまずは「おんど観光文化会館うずしお」で瀬戸を行き交う船を眺めながらあなご丼御膳を。
これが期待以上においしく、居心地がよくすっかりくつろいでしまった。1Fの物産店も「カメノテ」とか
変わったものがいろいろ売っていて購買欲を刺激される(笑)

音戸大橋のらせんの下に地下道があった。さっき歩き始めたところから音戸大橋を挟んだ反対側にも
旧道の古いまちなみが200mほど残っている。もとはずっと連続していたのだろうが、
大橋ができたことにより分断されたと想像する。
海沿いのバス道は橋の下を通ってつながっているのだが、旧道上に作られたのがこの地下道だな。




こちらはこんなオシャレなお店もできているのか。ここでお昼でもよかったなぁ。時間があればお茶しよう。


立派な石垣が見えたのでちょっと入ってみよう。


まるでお城のような石垣は法専寺のもの。


繊細な格子のファサードが美しい町家。


道端にレンガの煙突が。これは何の煙突だったのだろう。。。




古いまちなみが途切れ第二音戸大橋をくぐったところからさらに15分ぐらい歩いて行くと、
雑然とした小さな漁港が見えてきた。


どこにコンクリート船があるのだろう・・・と、道路から見渡すと、すぐに分かった。あれだ!!
漁港を抱え込む腕のような防波堤、その一部がちょっと不自然な形になっている。


細い防波堤の先まで行くのはちょっとゾワゾワしたが・・・見たい一心で近寄っていくと、おぉ、おぉ、
確かに船だな!!舳先が斜め上にせり出している。


先端だけ鉄でできているのはやはりぶつかった時の強度を持たせるためかな。


氷山でも割って進みそう(笑)


それにしてもちょっと風変わりな形をしている。意外に幅が狭く舳先以外は平ら。そして水面下の
部分が大きく丸くふくらんでいるのだ。油槽船、つまりタンカーなので、水中に沈めた方が浮力を得られ軽く運べる。


しかしこのしもぶくれのブサイクな形は・・・(笑)


終戦近くに作られたからか、ネット情報によるとこの船は使われることなく防波堤となってしまったようだ。
タンクの中にコンクリートを詰められ、中も外もコンクリートの船となりここに鎮座している。
働くこともなく引退とは本人(本船?)は無念で悔しいかもしれないが、それもまた運命である。
いや~面白いな!!


このコンクリート船を見に行ったのは、実は、先に見てきた若松の軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)の翌週。
すっかり廃船づいた2015年の秋だった(笑)

終わり。
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音戸渡船で行きつ戻りつ

2016-07-04 23:02:27 | 川・橋・船
からの続き。

呉で泊まった翌日、バスで音戸の瀬戸へ向かう。呉の海沿いを走るこの路線は、IHIの造船所が高台から
見下ろせたり、自衛隊のドックに停泊している潜水艦が見えたり、製鋼所の工場萌え風景が広がっていて、
マニアにはたまらないだろう。(私は造船所と工場風景は好きだが自衛隊マニアではない)




そして、巨大なぐるぐるらせんの音戸大橋と巨大アーチの第二音戸大橋の間に、前時代的な渡船乗り場があった。
本土側の警固屋地区と倉橋島の音戸地区の間を分ける水道は幅約90m。その両岸を結ぶ音戸渡船は
日本一短い海上定期航路なのだそうだ。


船好きの私としては、音戸歩きはまずこの渡船から。


バス道に面した素朴な小屋に「音戸渡場」と手書きの看板が掲げられている。


かつてはこの小屋の窓口に係りの人が常駐していたのであろうが、今は船頭さんが集金もする。
料金は、大人70円。


桟橋を覗いたら船はいなかったが、すぐに対岸からやってきた。


台船に運転台をつけたようなこれまた素朴な船。ふちは結構低くてあまり近寄るとつんのめりそう・・・


この細い水路は広島と松山を結ぶフェリーのルート上であり、呉の港内から外海(瀬戸内海)へ出る船も通る
交通の要衝で、見ている間にも次から次へと船が通り抜けていく。それでなくても潮流の早い瀬戸であるのに、
船が通るたびに水紋が縦横無尽に広がり小さな渡船は翻弄され揺れるのだ。。。


警固屋側に到着。


こちらの乗り場もまた簡素な小屋。まるで端材を寄せ集めて日曜大工で造ったような風情だな。
各家庭で不要になったものを持ち寄ったのだろう、バラの椅子が並べてあるのも微笑ましい。


更新されても手書き健在!いいね~




さぁまた船に乗って音戸へ戻ろう。





音戸側の桟橋に着いたとき、ニコニコ顔の船頭のおっちゃんが、記念写真を撮ってあげるというので
妹と二人で撮ってもらった。
最近は風景ばかり撮って自分たちの写真を撮らないのが常になってしまっているので(汗)、こんなふうに
半ば押し売りで撮ってもらった写真はとても貴重で、後から見るととってもいい記念になるものだ。
ありがとう~!

続く




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憧れの船旅

2016-05-18 00:08:36 | 川・橋・船
豪華クルーズ船でなく庶民の足としての定期航路が好きだ。
関西から西へ向かう船はこれまで何度も利用してきたが、東行きの航路は乗ったことがなかった。
出航地である敦賀か舞鶴か名古屋まで行かねばならないことが最初のハードルだったのだが
それに加え、西へ行くより時間がかかるため短い旅程では使いづらいのも理由の一つである。
しかし今年のGWは有給を1日取って、未踏の航路を織り交ぜた船旅プランを立ててみた。


5月2日、18時過ぎに会社を脱出、三ノ宮からのバスで舞鶴港へ向かい、3日0:30発の
小樽行き新日本海フェリー「はまなす」に乗り込んだ。

以前レンタサイクルで巡ったことのある東舞鶴のまちはずれにある港は真っ暗で静まり返っている。
デッキから埠頭を見下ろすと、幌をかぶった自衛隊のトラックが闇に紛れている。
そう、乗客の半分は自衛隊員である。

乗船後1時間半あるのでひと通り船内探索してお風呂にも入り、いよいよ出航の0:30まで
あと2~3分となったので再びデッキへ出てみると、、、あら!もう離岸してるじゃないの。
記念すべき船旅の始まりを危うく見逃すところだった。


心地よい温度の夜風に吹かれながらクルーズ気分満喫。
スマホでGoogleの地図を拡大して見ると舞鶴港がいかに地形に恵まれているかが分かった。
日本海自体、大陸と日本列島に囲まれた内海だが、丹後半島の陰に隠れた若狭湾の中の、さらに岬と
小島に隠された舞鶴湾の、複雑な入江の最奥部にある港なら、外海が荒れてもなかなか高波は
押し寄せないだろう。

港の灯りが遠ざかると、砂を撒いたような星空が見えてきた。いいねぇ~

小樽到着は3日の20:45。約20時間の長旅になるためさすがに大部屋はないようで
カーテンで仕切れるツーリストAという寝台が一番お手頃。


私は端っこの壁際の席なので向かい合うベッドがなく、ほぼ個室のようにのびのび使える。



別府行きのさんふらわあは外国人客がワンサカいたが、こちらは外国人は皆無。
日本人客もそれほど多くないので静かだ。さすがに飛行機なら2時間弱で行ける北海道へ
20時間かけて行くようなのんびりした旅ができる人は少ないのだろう。

設備はだいたいさんふらわあと変わらないが、売店がすごい!東北・北海道フェアさながらの、
見たことない商品がいっぱい!ハタハタの甘露煮やゲンゲのみりん干し、ニシンの燻製、
ホッキ貝の貝ひも、、、また富良野ワインやジュース、チーズケーキ。。。うわぁ。。
そそられっぱなしだが、まだ旅は始まったばかり。旅の間中持ち歩くのは辛いので、、、


「野菜生活100北海道メロンミックス」だけ買おう。あっ、すみません、売店は1時閉店でしたか。
ちなみにこれ、メロン100パーセントジュースを飲んでるようでめちゃくちゃ美味しい!
北海道限定、季節限定、らしいが、大阪でも売ってくれないかなぁ~


一方、船内でWifiが使えないのは残念。。。


朝はゆっくり起きたので日の出は見れず。デッキに出てみるが360度海ばかり。

現在秋田県の男鹿半島沖を航行中とのアナウンスが。へぇ~もうそんなとこまで来てるのか。
そう、新潟や秋田までなら、関西から九州へ行くのとほぼ同じ10時間程度なのだ。
はじめは秋田と新潟を巡る案も考えたのだが、運航日が合わなかったのだった。

展望ラウンジでブログの文章を考えたり、お風呂に入ったり、デッキに出たり、昼寝したり、、、
あぁ、本を持ってくればよかった。極限まで荷物削減したので置いてきたのだった。


船に本ぐらい置いてるかと思ったがなかった。。。新聞も読みつくしたし、
ネットにつながらないとさすがに暇を持て余し気味(苦笑) 。


もう日が傾いてきた。うっすらと陸地が見え、雪を頂いた山々が近づいてくる。北海道だ!


そのうち灯りがチラチラ灯りだした。もうすぐ小樽。さすがに舞鶴と違って夜景が明るい(笑)


小樽に船で上陸。楽しいなぁ!フェリーの着く港は運河のある観光地からは少し離れた、南小樽の
端っこにある。南小樽駅までは2kmちょいの距離で、明るい時なら楽勝で歩ける距離だが、
さすがにもう夜だし早いところ宿へチェックインしたいので、タクシーでピュッとワープしよう。
・・・でも車窓チェックは怠りなく(笑)。

続く
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揚輝荘 白雲橋のまちがいさがし

2016-05-13 23:59:45 | 川・橋・船
揚輝荘の続き。

北園は入場無料の池泉式回遊庭園である。
中央の池にかかるのが、修学院離宮の千歳橋の写しと言われる白雲橋。検索して見たら
ほんと、そっくり!これは今で言うパ○○か!?(笑)


これも屋根付き橋だな。両岸に近い部分があずまやになっていて渡り廊下でつないだような形をしている。


白木の柱、欄干。北側のベンチが造りつけられている。床は黒っぽい石タイルの四半張り。
北側のあずまや部分の天井には祐民が描いたという龍の絵がある。


白木の擬宝珠は、布で包んでひもでしばったような柔らかい形。こんな素敵な擬宝珠見たことない!
擬宝珠ってもともとこんな風に布をかぶせたものだったのか?とふと思った。


渡り廊下部分は立入禁止。


少しして気づいたのだが、欄干が張り出しているのは北側のあずまやのみで南側にはない。
白雲橋はぱっと見左右対称と思ってしまうが、よく見ると二つのあずまやは形も造りも違っている。


北側は壁が全くなく柱で屋根を支えているのに対し、南側のは4面の壁に火頭窓風の開口部が
明けられていて、池に面した側の開口部には下部に波型の木製の格子がつけられている。


こちらは節の多い磨き丸太が多用されていたりして数奇屋っぽい趣。南側は社寺風か。


こうして見ていくと、他にもいろいろ違っている。なんだか、間違い探しのクイズみたいだが(笑)。
屋根はどちらも宝形造だと思っていたら、北側は短いながらも棟があり、寄棟造りとなっているし、
南側は宝形ながら軒の端が切り欠かれている。天井もこちらは網代だ。


まだある。土台の石積みの積み方を見ると、北側はほぼ水平に積まれているのに対し、
南側は斜めになっている。あえて違えてあることは一目瞭然。

共通するのは緑色の屋根瓦のみというくらい、見れば見るほど違っている。不思議だなぁ。。。

・・・ははぁ、これは、両岸を結んだ橋ではなく、南側の数奇屋っぽいあずまやがメインで(又は逆)、
そこへ渡るための橋と前室なんじゃないか?そう見れば、左右非対称の謎も納得できそうだ。

(もしかすると常識なのかも・・・?)

さて、円形野外ステージの隅のほうにこんな小屋があった。聴松閣や揚輝荘座敷と同様、ベンガラ色の
壁をもつ小さな建物だ。物置か、納屋か?壁の下半分はざっくりした網代となっており、木肌の具合
からすると結構古そうだ。


端の方から覗き込んでみると、土壁にアーチが見えた。

資料にも記載がないのだが、敷地内のどこかにあった建物の残り部材を集めて、お庭用の作業小屋を
作った、というところだろうか。

そして池のほとりの石組み土台の上に建つこの建物は、三賞亭。これは大正7年に移築された煎茶茶室。
揚輝荘で最初の建物とか。




池の上に浮かんだコテージのように、窓から庭園の木々や白雲橋が一望できる。
最高のロケーション!

しかしここも内部への立入はできないので、反対側の窓から覗き込むのみ。。。

庭の石段に使われている円盤状の石は、南洋の石臼の石だと、お庭の手入れをしていたおっちゃんが
教えてくれた。これも祐民コレクションか?


まだわずかに残っていた桜も楽しむことができた。
無料でこんなお庭で建物を眺めながらゆっくり散歩できるとは、いいなぁ~。
ああ来てよかった!


続く

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地元にもあった、屋根付き橋

2016-03-24 23:57:12 | 川・橋・船
先週末は実家の家族とつくし採りに行って来た。
大量に生えているスポットを見つけて狂喜乱舞、本能に任せて皆で山ほど採って帰った(笑)。
うちの家系は狩猟採取民族だと思う。


ところでその途中、多武峰(とうのみね)あたりを車で通ったら、、、おや、こんなところに、
屋根付き橋があるじゃないの!!


先日、愛媛県の小薮温泉に行ったときに、河辺町の屋根付き橋を8ヶ所見てきたのだった。
その時に会ったおっちゃんが調べたところによると、屋根付き橋は全国に百数十ヶ所ある、
とのことだったが、何とこんな近くにもあったのだ。


この「屋形橋」が架かっている道は談山神社への古い参道で、現在の橋は1979(昭和54)年に再建
されたものだが、欄干の擬宝珠は寛政3年の刻銘があるという。


山盛り採ったつくしはハカマを取り除くのが一苦労・・・でもおいしい!
あっさり卵とじにして、甘辛く煮て、食べきれない分は冷凍しておこう♪
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屋根付き橋をめぐる ~その2

2016-01-30 22:01:27 | 川・橋・船
河辺町の続き。

さて、さらに奥の御幸橋へ。ここは神社の参道、というか境内かな。川の真ん中に大きな岩が鎮座しており、
こちらの岸からその島へ、島から対岸へ、2つの橋が架かっているが、対岸側の橋が屋根付き橋だ。


「創設安永2年、再現明治19年」。河辺町の8橋の中で最も古い。もちろん随時手を入れられ
維持されている。


古い時代の橋だけに明確なアーチ形状の太鼓橋である。スカートの下を覗くと、中央に1本の桁が見えた。


床板は真ん中で分かれており、両側の欄干へ向かって勾配が付いているのは水切りのためか。


苔むした板葺屋根は神社のアプローチに似つかわしくしっとりした趣で、ご利益ありそうなイメージを
醸し出している。


来た道を戻り、さっき見落とした三嶋橋を見にいこう。
集落内にあり建物の間を少し入ったところにあるので、表示を見落とし通り過ぎてしまったようだ。
戻り方向から見ると表示板の裏面しか見えないが、矢印形の表示板を目ざとく見つけることができた。


おお~、完全に生活道路だ。なかなかいいね!
入母屋屋根は最近やりかえられたようだが、1923(大正12)年と8橋の中で2番目に古い。。


さっきのおっちゃんの話を裏付けるかのように橋のたもとには地区の集会所が。しかし、ブルーシートが
やたら目障り(汗)。見映えのするアングルで撮ろうとすると強烈な逆光となり参った参った。。。


対岸側の橋詰には、大きな岩山があり、てっぺんに小さな祠が祀られていた。


あと一つは少し離れたところにあるので省略しようかと思っていたが、さっきのおっちゃんが、
「滝もあるしなかなかいいよ」と言っていたし、時間はたっぷりある。せっかくだから行くことに。

途中から分岐した道をまた延々と、30分ぐらい。こちらの道も所々細いし、木材を載せた大型トラックが
対向してくるので気を抜けない。三杯の滝への道標を辿ってまぁ何とか無事に到着。


そして下を覗くと、、、えっ、これを降りるの?と躊躇するほど深い谷へ、急な階段が続いている。
しかしここまで来て降りないわけにはいかないな。。。

手すりは磨き上げられたようにツルツル、土ひとつついていないのは、皆必死に握るからだろう(苦笑)

降りてみればどうってことない。滝が目の前に迫ってきた。おぉ、迫力あるなぁ!
龍神橋は遊歩道の一部であるが、滝壺の目の前に作られていて幅も2間ほどあるかな、かなり広い。


これは屋根付き橋というよりあずまやか展望台だろう、と突っ込みたくなる。


ここで目を引かれたのは、橋を作るために一部削られたと思われる横の岩の荒々しい表情。
玄武洞を思い起こさせるようなはっきりした節理を見せている。


3cmほどの厚さの層が幾重にも重なってできた岩盤が、地殻変動で垂直方向に。うっひょ~~!


興奮!!


渡って少し行ったところに「樽の渕龍王神」が祀られている。下から見上げると確かに橋。
深い峡谷に架けられた龍神橋は、新しいけれど絵になるな。平成2年というのは架け替えられた年と
思われるが、その前にあった橋はどんなんだっただろう。古く寂びた橋なら幽玄の美しさだったに違いない。


ここから再び道路まで戻る階段の苦しいこと苦しいこと・・・・(大汗)

続く。
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屋根付き橋をめぐる ~その1

2016-01-29 23:08:33 | 川・橋・船
小薮温泉からの続き。

せっかく車を借りて来たのだから、ついでに車でしか行けないところへ行こうと、今日は河辺町の
屋根付き橋をめぐる計画だ。
所々離合できないような細い道を30分ぐらい走って、最初の龍王橋に到着。結構きれいだ。


この橋は、秋滝龍王神社へ通じる道にあり、古くから集落のコミュニティ空間として利用されてきた橋を
平成9年に復元したものだとか。




この奥にもう一つの屋根付き橋、秋滝橋がある。


こちらはとても小さな橋。苔むしているが、龍王橋と同じタイミングで復元されたもの。
どちらの橋も材は新しいが、割竹で押さえた杉皮葺の屋根、一本の丸竹を使った棟など、オリジナルの姿を
忠実に再現したものと思われる。




そこからすぐのところに、ふれあい橋がある。先の2つの橋が実存した古い橋の復元であるのに対し、
この橋はコンクリートの桁であり、モニュメント的なものとして公園内に新しく作られたもののようだ。


屋根は中央が一段高くなっていて、端は寄棟となっている。


最初の3つがあまり生活感のないものだったので、もっと現役っぽいのを見たいなぁと思いながら先へ進む。
次の豊年橋は道路から民家の裏へ少し入り込んだところにあった。
いずれの橋もちゃんと表示があるので見つけやすく、駐車スペースもわずかながら用意してくれているようだ。


おお、これは・・・カワイイ♪
あぜ道と呼ぶのがふさわしいような細い道から、民家の庭先(?)へ渡るわずか2mぐらいの橋だ。
現役感は十分。横の小屋と合わせてなんとも味わい深いなぁ!


近くで作業をしていたおばちゃんに声を掛けて少し話を聞いたら、横の家の人が時々補修しているけど
最近は床板が傷んで重いものを乗せられなくなったとか。確かに材は虫食いだらけでかなりヤバい状態。


これはもともと河辺川に架かっていた屋根付き橋を1951(昭和26)年に撤去されたときに、
近所の住民が部材をもらい受けてここに移設したもの。おそらくその家の方が補修を続けているのだろう。

本来その時点で捨てられていた橋が60年以上生き延びたことは奇跡的であり素晴らしいことだ。
しかし今後の存続が心配。。。

次へ向かうが、あろうことか三嶋橋を見落としてしまったようだ。先に帯江橋(おびえばし)を見よう。
こちらは見通しの良い場所にあったので見落とすことはない。1952(昭和27)年完成。


おぉ、これはなかなかいい感じ!古いし生活感があり、それにこれまでの橋と違って、構造が力強い!
両岸の橋台に踏ん張った斜めの太い材が橋の梁を支えている。そしてそこから短い斜めの材で桁を
ぶら下げるような形になっている。トラスとつり橋を合わせたような構造。変わっているなぁ!


床板も木目が浮き出て年月を感じさせる。柱の下半分が黒いのはコールタールだろう。
軒下には寄付者の名だろうか、ずらりと名前の書かれた板が打ち付けられている。


まじまじと眺めて写真を撮っていたら、目の前の一軒家のおっちゃんが話しかけてきた。
この橋を作るとき、大工だったお祖父さんたちが縄で採寸して神社の境内で実物大の型取りをしたとかいう
エピソードや、昔は橋の上が集会や宴会の場であり、今は地区の集会所ができたので場所が変わったが
1月に皆で集まって酒を飲む「おこもり」という行事が今もあるという話など。興味深く聞いた。


山の上に住む人たちの生活道路として作られたが、今は裏側に車の通れる道ができたので、
対岸の畑に行く人ぐらいしか使わなくなってしまったらしい。
そのおっちゃんは床板の隙間を端材で埋めるなど、自分でちょくちょく補修しているのだという。
当初は地元でお金を集めて作った橋だが、使う人が少なくなったので町に管理を任せ、その後合併でまた
地元に戻って来たのだとか。受益者が少ないので次に大規模修繕が必要になったらもう存続は難しいかも
しれない、という話だった。あぁ、惜しいなぁ。。。


おっちゃん、屋根付橋についてネットなどで調べたら、日本で百数十ヶ所あるそうで、愛媛県のほか
大分県や東北にもあるのだとか。神社の境内やお城などにあるものはちょくちょく目にするが、
ここのような生活道路として使われている橋がやっぱりいいなぁ。

続く。
コメント (2)
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南河内橋

2015-12-24 23:54:34 | 川・橋・船
河内貯水池の続き。

遊歩道の階段を降りてみよう。あとでまた上らないといけないことはなるべく考えないようにして(苦笑)。
木々の間に見えていた石張りの小屋を間近に眺めることだけを目指して階段を降りて行く。

吊橋を渡ると、さっき見えていたのとはまた別の小さな建物があった。亜字池噴水の弁室。
堰堤と同じような石張りに加え、小さな玉石をボーダー状に並べた装飾も。




その奥にあるのが亜字池。静まり返った人工的な池に、もぐさみたいな円錐形に積まれた石の塔が3つ。
この塔は噴水だったらしいが、無縁仏を思わせ何だかちょっと不気味なオブジェだ。


水路橋の大河原橋。


亜字池付近はじめじめしていて正直あまり気持ちいい場所ではない。ひとりで歩いているとちょっと
怖くなってきて、急いで太鼓橋を見に行った。


薄いコンクリートスラブの橋で、親子とも言える小型の橋がすぐ近くに架けられている。


上から見えた小屋は堰堤の真下にあって、柵で閉ざされていたので近づけなかった。

下りてきた階段をゼイゼイ言いながら上り(汗)、車道に出たら、山側へ上る細い階段が見えた。


そこも上っていくと円筒形の建物が鉄柵で囲まれていた。河内堰堤管理事務所。
こちらも石張りだが、小さな自然石を加工せずに乱張りしてある。通常なら雨露をしのげさえ
すればいいような事務所にも、こんな手の込んだ細工を施している。こういう点、今とは全く感覚が
違うと感じる。

しかし、やはり八幡製鉄所という私企業の施設であることや、近代化真っ盛りの時代に作られた
ことが、こんなにお金のかかったシンボリックな施設となった背景と想像される。

通りかかったおっちゃんによると、ここは紅葉のスポットらしいが、今年は全くダメだとか。
さて、もう少し車を走らせて南河内橋を見に行こう。

近くにあじさいの湯という温泉があって、そこの駐車場に停めて橋を見てから温泉に入って
帰ろうと思っていたのだが、なんと、時間がまだ早くて温泉の駐車場が開いていない。
え~~、停めるところがない。。。手前の中河内橋のところに警備員がいて、交互通行で
誘導しているのが見える。どうもがけ崩れはこの先らしい。この先は望めそうにないので
引き返し、だいぶ手前にあった駐車場に停め、そこから歩いていくことに。

たっぷり2km以上、25分ぐらいかかった。。
ま、遠目で見ていた赤い南河内橋がだんだん近づいてくるのにワクワクしながら歩いたので
それほど苦痛ではなかったが。

通行規制中の中河内橋まで来た。中河内橋は3連の石積みアーチ橋。路面も一部石畳が残っている。
気をつけて覗き込まないと分からないが、その先に続きの1連アーチも残っている。


その先、ダム湖に出っ張った岬を回りこむと、おお~っ!!南河内橋の雄姿が目の前に!


車は通れないが、歩行者と自転車は通ることができる。


この無限大マークのような形をした鉄橋は、レンティキュラートラスと呼ばれ、日本で唯一現存するもの。
レンティキュラーというのは「レンズ状の」という意味で、上下のアーチが組み合わさった形は
確かに凸レンズの断面の形である。なんと美しいフォルムだろう・・・


19世紀前半にイギリスの鉄道橋として架けられたのが始まりで、その後アメリカで流行し
多数作られたらしい。日本では数ヶ所で採用された記録があるが、ここ以外にはもう現存しないという。


遠目で見ていたときの印象と比べ、実際に近くに来て見るととても扁平なレンズ型であることに驚く。
この橋はダム湖の最奥の細くなっている部分に架かっているが、両岸を最短距離で結ぶのでなく、
実はかなり斜めに架かっている。そのため、遠目で見ているときは斜めから見ているのであり、
圧縮された状態に見えていたのだ。


真っ赤な鉄橋は自然の中に現れた完全な人工物なのであるが、景観としてこんなにも美しく
むしろ自然の風景を引き立てている。あぁ、いいなぁ!


憧れの橋を見ることができて満足満足。あぁ、北九州まで来てよかった!今回の旅はこれで十分元を
取った(笑)。あとはもうゆっくり、気のおもむくまま。。。


続く





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新居浜再訪 遠登志橋と鹿森ダム

2015-10-10 22:50:02 | 川・橋・船
新居浜の続き。

オーベルジュゆらぎから戻ってきて、遠登志(おとし)橋を見に行く。旧別子地区のような
山の中かと思ったら、すぐ行けるとマイントピアのガイドさんが教えてくれたのだ。


車道から遊歩道を3分ほど入ったところに、鮮やかな赤い橋が現れた!


遠登志橋は1905(明治38)年に建設され、長さ48.25m、高さ約23m。
現存する最古級の鋼製アーチ橋ということだが、実際は改修され、橋脚のアーチ部分のみが
当時の姿をとどめているという。


元々はこの上部構造はなかったのだろう。でも今の姿も美しい。


今は実質この吊構造で支えられていると思われる。


下の川は小女郎川、いわくありげな名前だ。険しく切り立った崖の間を清廉な水が激しく流れる。




展望台というところに登ってみたが木が茂りすぎて橋の全貌は見えなかった(苦笑)。


さて、目の前にある鹿森ダムも見ておこう。
yumeさんが、管理事務所はどこかな、と探している。日曜日だから閉まっているんじゃないの?


「ダムカード」というのがあるそうで、管理事務所へ行けばもらえるのだとか。すたすたと事務所の
階段を上っていきインターホンを押すyumeさん。驚いたことに、インターホンのところにも
「配布希望者は・・・」とちゃんと書いてあるのだ。ダムカードってそんなにメジャーなの!?
果たして、職員さんがカードを2枚持って出てきてくれた。へぇ~


じゃあ、去年行った白水ダムとかでもダムカードがあったのか??
すべてのダムでカードを用意しているのか尋ねてみたところ、県が管理するダムのみだといい、
オーベルジュへ行く途中にあった別子ダムは住友が管理するダムなので、ないとか。
しかし国営のダムもカードがあるらしい。へぇ~。ダムめぐりは市民権を得てきたということか。
でも記念になるし集めたくなるし面白いな!
橋もそんなカードがあればいいけど、管理事務所がないとダメだなぁ(苦笑)


ダムの目の前でくるくる回るループ橋。何と面白いロケーション。
でもダムに気を取られていると危ないよ!(笑)


続く
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憧れの、筑後川昇開橋

2015-05-19 22:50:40 | 川・橋・船
柳川からの続き。

可動橋好きの私が前々からずっと見に行きたいと思っていた筑後川昇開橋へ、やっと行って来た。

可動橋にもいろいろな方式があるが、現役のものは東高洲橋末広橋梁長浜大橋など跳開橋が多く、
回転橋も天橋立の小天橋などわずか。桁が水平のまま上下に動く昇開橋は、大阪臨港貨物線にも
あったらしいが、実際に見たことがなかった。

西鉄柳川駅からバスで約25分、大川橋バス停で下車して歩いていくと、、、見えてきた!
川の中央部に一対のタワー状の支柱。おおぉ~、写真やネットで見ていたあの形。テンション急上昇!


カーブした堤防沿いの道を小走りで行くと徐々に全貌を現して来た筑後川昇開橋。素敵だ~!


筑後川昇開橋は旧国鉄佐賀線に架かっていた橋で、1935(昭和10)年完成。その佐賀線が廃線に
なってからも、地元住民の努力により「財団法人筑後川昇開橋観光財団」が設立され動態保存されている。
長さ約507m、鉄塔の高さ約30m、可動桁の長さは約24mで、「東洋一」の規模なのだとか。
その技術的・歴史的価値が認められ、登録文化財だけでなく国の重要文化財にも指定されている。

観光用に1時間に1回開閉作業しているということで、確か毎時0分だったっけ。。。急ごう。
あれっ、なんか桁が上がってる気が、、、間に合わなかったか(汗)・・・ん?また下がったぞ??

ようやく橋に到着。子供連れなど結構お客が来ている。筑前若津駅跡の展望公園から、私も橋を渡ろう。


可動桁のある中央部まで歩いてくると、気さくな係員さんが「次は35分に上がりますよ~」と。
さっき上がってましたよね、と聞くと、ちょこちょこサービスで上げ下げするそうだ。
「今度は23m、一番上まで上がります」
へぇ~、楽しみ~。


両側のトラスのタワー部は左右対称に見えるが実は違っている。管理室のある福岡県側では下から見上げると
天井があったが、佐賀県側は頂部まですこーんと見通せる。天井と思ったのは機械室だそうだ。

大川橋のワーレントラス。


まだ時間があるので一度佐賀県側へ渡る。路面にはレールがずっと延びているような装飾があしらわれ
福岡県側と同じくちょっとした公園になっている。「もろどみ」駅の駅名標はレプリカだろうか。


いったん上がると30分間は通れなくなるというので福岡県側に移動。サイレンが鳴って、
いよいよその時が!


じりじりと桁が上がって行く。背の高さを越え、まだまだ上がる。代わりに大きな鉄の塊が下りて来た。
ワイヤーで巻き上げるにしてもそのままじゃ重すぎるから、重りを使っているのだな。






5分ぐらいかけて、はるか上の方で裏面を見せて止まった桁。おお~、高い!!
「23mと言っても水面からだと30mぐらいあります」
ははぁ、なるほど。しかしこんなに背の高い船が川を上って来てたのか。


来月メンテナンスのため一時休止するという。あぁ、今月来てよかった!
動く橋はワクワクするが、維持費は相当かかっているだろう。重文とはいえ全額国が出してくれるわけでなく、
両岸の県、市も負担しているという。私も可動橋ファンとして、少額だが寄付箱に入れておいた。


おっちゃんお勧めのお饅頭屋に行ってみたが、「昇開橋まんじゅう」は売り切れていて残念。。。
別のお団子を買うのに財布を取り出そうとカバンの中を探ったが、どこにもない。えっ・・・?(大汗)
さっき堤防の上で動画を撮ろうと、スマホを立てかけるために財布を置いたっけ。そのまま置き去りにして
しまったことに気づいて背筋に汗・・・!!走って取りに戻ると、財布はそのまま堤防の上に残っていた。ホッ。。。




そんなことをしているうちに1時間経ち、戻りしな川辺の桟橋からもう一度橋が開くのを見ることができた。


大川橋のたもとに建つ旧三潴銀行は現在資料館になっているが、この時は閉まっていて中は見れなかった。




ここからもう少し上流の方へ行けば清力酒造の洋館などがあるのだが、歩くには遠いしバスを検索しても
見つからない。ここにレンタサイクルがあればいいのになぁ~。仕方ない、あきらめて柳川へ戻ろう


続く。
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柳川のこたつ船

2015-05-13 22:58:23 | 川・橋・船
久留米からの続き。

西鉄で柳川へやって来た。柳川といえば川下り。近江八幡や潮来でも水郷めぐりの船に乗ったことがあるが、
今回も船が目的の一つ。ここの川下りは、まちなかに縦横無尽に広がる掘割を船頭さんが櫓一本で漕いでゆくもの。


今夜の宿はちょっと奮発して、柳川藩主立花邸「御花」をとってある。柳川城跡の一角にあり
駅から離れているのでアクセスはバスかタクシーしかないのだが、川下りの終点はこのすぐ横である。
移動を兼ねたら一石二鳥!ということでプランを立てたのだが・・・・この寒い時期(1月)の夕方に
お客は少なく、、、次の船が出るのは30分ほど後になるとか。えーっ、そんなに待ったら
日が暮れるじゃないか。せっかく急いで久留米を出てきたのに。
しかし5時の船も本当に出るのか?他のお客は全く見当たらない(汗)


5ヶ所ある船会社のうちいくつか聞いてみたが、しまいかけだったり同じくらい待つというので、
諦めて周辺をうろついて時間を潰し、5時の船に乗るべく船乗り場へ戻ってみると、5~6人のお客が
いたのでホッとした。しかし同じ家族らしく、一人ヨソ者が混じっている状態で・・・ちょっと寂しい。





今の季節寒いので船にはこたつがしつらえてあり、布団に足を突っ込んだまま観光できる。いいね~!
船頭さんのジョークや歌を交えたトークを聞きながら、水路を進んでゆく。


川下りの船は各社だいたい同じコースを通るようだ。比較的川幅の広い水路であるが、クランク状に
細かく折れ、船幅ギリギリの石積みの橋や頭をすりそうなほど低い橋をくぐったりとスリルも満点。
田園風景や家々の裏手など、、、くるくる変わる岸辺の風景も楽しいね!



一度Googleマップで柳川のまちを拡大していってみてほしい。それはそれはもう、気持ち悪いほどの
網目状なんである。水路を掘りすぎて陸地が半分くらいしか残っていないんじゃないか?と思うほど。
この掘割は総延長470kmあるとか。もともと筑後川河口の低湿地であった柳川では水路を掘って
陸地を盛り上げ、掘割が大雨の時の遊水機能や農業用水・防火用水としての貯水機能を担ったことにより
まちが発展してきた。
生活用水も供給してきた掘割だが、戦後水道が整備されると大阪の川と同様汚れ荒れ果て、埋め立てる
計画が決まっていたのを、一転再生の方向へ導いたのが柳川市環境課の「広松伝」という人だった。
彼は住民の意識を変えることで、住民自身による浄化・維持管理のしくみを育てていったのだ。
おかげで、この独特の景観が今に残り、観光資源として全国・世界中の人を惹きつけているのであるから、
素晴らしい英断であった。

レンガの蔵もあったが残念ながらその手前で曲がってしまった。また明日見に行こう。


途中水上売店に立ち寄って甘酒を買うのも楽しい。バンコクの水上マーケットみたいだ。


しかし日が暮れどんどん暗く寒くなっていく、、、こたつがあってよかった!




トワイライトの幻想的な時間。。。




約1時間と充実の船旅を堪能して、到着地点は宿のすぐ横。らくちん~~

近くの店で安いうなぎを食べてから宿へ向かう。

玄関へ回ると、、、おぉーっ、何とすごい!門番小屋もあって、まるで外国のお城みたい。


宿泊は新しく作られた棟でちょっとがっかりだが、宿泊者は無料で洋館の見学ができるという。
明日の朝一見て回ろう~!


続く
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立野橋梁と第一白川橋梁

2015-02-10 23:21:53 | 川・橋・船
阿蘇の続き。

阿蘇白川駅から乗った列車は「クリスマス列車」だった。車内はほぼアジアからの外国人の
貸切状態(苦笑)。バスツアーの団体さんが白川水源駅から乗り込んだに違いない。

トンネルに入るとキラキライルミネーションに大喜び。クリスマスらしくて楽しい趣向だな。

長陽駅と立野の間にある第一白川橋梁は白川の本流を渡り、桁下62mという高さを誇る。
写真で見ると緑の谷を跨ぐ美しい上路式アーチ橋であるが、地上から近寄ることができないようだ。

列車が橋の中央に差し掛かったとき、速度を落とし・・・ストップ!?うわぉ~、高~い!!
皆スマホ写真をパシパシ。イベント列車には特に興味ない私だったが、いいこともあった(笑)。

立野駅に戻って、駅からすぐのところにある立野橋梁を見に行こう。


旧余部鉄橋と同じトレッスル橋であるこの橋は白川の支流を渡る。
この写真はさっき車内から撮ったもの。


高さ34m、トレッスル橋脚も3本と余部鉄橋に比べると小規模だが、橋の下をくぐりながら
降りて行く道があって、すぐ頭の上に見上げることができるので、ぶつぶつリベットや
塗装の質感まで楽しむことができる(笑)。


鉄橋は国鉄高森線の開通と同年の1928(昭和3)年に竣工している。
向こうに見えるスライダーのようなパイプは、九州電力黒川第一発電所の導水管。
こちらは1914(大正3)年というから立野橋梁よりも早くに作られている。


さて立野から豊後竹田へ移動しようと駅へ戻ってきたが、あれ、宮地で豊後竹田へ行く特急に
接続している便は丸一時間後。なぜか一時間間違えていたようだ。うーん。
こういう時に温泉でも入って温もりたいがここにはないのよね。。。


特急でもいいと思っても宮地から先へ行く列車が全然ない。宮地までの間で途中下車して1時間
すごせそうな駅がないかと検索してみるも、駅前でまち歩きできる駅はなさそうな感じ。
・・・というか、雨も降ってるしテンション下がってきた。。。


宮地止まりの列車にとりあえず乗り込み、スイッチバック体験。
あっという間に立野駅を眼下に見下ろす高さに。


さすがに山が近い。いかにも火山らしい、雄大なはげ山風景が続く。




とりあえず宮地駅まで来たけど、、、転車台や構内踏切など少しは見どころがありそうだな。


アメリカンなフォントで「STEAM LOCOMOTIVE」と書かれた転車台。
ポップだね!


これも大和棟と言うのだろうか、橿原神宮駅畝傍御陵前駅を思い起こさせる立派な駅舎である。
鮮やかな赤い屋根、柱などきれいになっているが、壁や建具を見るとベースは古いことがわかる。
1943(昭和18)年竣工。


駅を出て少し歩いてみた。さすがに豊肥本線の拠点駅だけあってまとまったまちが広がり
国道沿いにロードサイド店も並ぶ。しかし大して面白いものもなく・・・・


スケートリンクに見えるが、普通の事務所だったようだ。


ストーブがぬくぬく焚かれた駅の待合室には、平成24年7月の九州北部豪雨により豊肥本線の
宮地駅~豊後竹田駅間が不通となったときの災害状況の展示があり、大きく曲がったレールの束の
モニュメントもあった。そこには衝撃的な写真が・・・

そうめんのように玉になった線、これはトンネル内から押し出された大量のレールだった!!
鉄製のレールがこんなぐにゃぐにゃとからまるなんて。。。雨水がトンネル内に一気に流れ込んだ
らしいが、どれほど巨大な力がかかったのか、想像もつかない。
2年前の当時、九州の方が豪雨でひどいことになっているというニュースは聞いたが、こんなこと
なっていたとは・・・甚大な被害の中心地がこのあたりだったのだ。しかし、よく復旧したなぁ!!
こうして旅できることに感謝しなければ。宮地駅に来てこのことを知れたのは有意義だった。

続く
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東予の旅 伊予西条の水路風景(2)

2015-01-13 23:59:47 | 川・橋・船
伊予西条の続き。

入堀は「本陣川」という名らしいが、川というよりもう港である。海に出る直前に目指すものはあった。


弘法水。これもうちぬき。不思議なことに、もう完全に海水域であるこの場所に真水が湧き出している。


この勢い!とうとうとあふれ出す水は大地の恵み、見ているだけでありがたい気分になる。
年配の夫婦が車を停めタンクを持って汲みに来た。私はペットボトルも何も持ってこなかったなぁ。。。


港をあとにして再びまちなかへ戻ってきた。縦横に流れる水路はときにこんな立体交差も。
水の流れる風景はなんと心をすがすがしくすることだろう。


陣屋の堀に続く水路を今度は逆上って追いかけていく。水路は実にいろんな表情を見せる。
こんな幅広い場所もあるが、「川」というより「流れのある池」といった趣。


水路の一部は公園になっていて、きらきら明るい水辺に遊歩道が整備され文化会館などの施設もあり、
さわやかなお散歩コースだ。


護岸の石組みは玉石を矢羽根状に組んであり凝っている~


さて、駅の裏側へ回ってきた。
駅の裏側って好きなんだな。こういう枕木の柵とか古い小屋があったり、保線とか貨物とか車両整備とかの
バックヤード的な風景が見れたり、繁茂した雑草が実にいい具合にからみついていて絵になったりする。


木造の小屋にコスモスが映える。


レンガのかわいい倉庫が。ランプ小屋かな。

伊予西条駅では近年駅前再開発が行われたとか。しかしロータリーを整理したのみのようで、
新居浜駅と違って旧来のまちがすぐ目の前に広がっているのがいい。
裏側にもきれいなロータリーが整備され、エレベーター付の連絡橋で正面へ渡れる。
旧車庫を利用したものだろう、鉄道公園のようなものもできていた。

そこを通り過ぎるとまた田んぼ、そして官舎か?平屋の長屋群が。その真ん中にも水路が流れていた。

玉石組の美しい護岸。

いや~結構楽しめたなぁ、伊予西条。泊まってよかった!電動自転車の快適さも覚えたし。


さて次は今治へ移動しよう。


予讃線の小駅は惹かれるものもちらほらあったが、車窓からでガマンガマン・・・





また機会があれば訪れたいな。

続く

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