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まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

東予の旅 伊予西条の水路風景(1)

2015-01-09 01:50:12 | 川・橋・船
新居浜からの続き

伊予西条駅は、広い構内に給水塔もあり東予では新居浜、今治に次ぐクラスの主要駅という
認識があったが、どんなまちなのか全くイメージが湧いていなかった。


ただルート的にちょうどいいという理由で泊まることにしたのだが、観光地らしく駅前には
ホテルが軒を連ね、価格崩壊とも言える値段で泊まることができた。
しかし経営は大丈夫なのだろうか・・・?

夕映えの伊予西条駅舎。素敵だなぁ~~

新居浜で疲れたのでちょっと休憩してから、夕ご飯探しがてらまちをうろつく。
駅近くの商店街はことごとく閉まっているが、天然レトロな店がちらほら。
昼間に来たら開いてるのだろうか。




古そうな建物を見つけた。元は医院だろうか?

商店街に隣接するエリアは歓楽街だが、ひとりで入れそうな店は見つからない。
一日歩き回って疲れたし、結局コンビニ飯をホテルでゆったりと(苦笑)。

さて翌日は駅前のレンタサイクルを借りてまちをうろつく。普通の自転車と電動自転車
どちらでも同じ料金というので、電動自転車を試す。最初ちょっと戸惑うが、軽いし楽~
だいたい電動は普通の自転車の倍ぐらいの料金設定が多いが、どちらも同じだなんて、太っ腹!!

伊予西条は市内の各所にうちぬきと呼ばれる湧水があるらしい。
観光案内所でもらった水めぐりマップに沿って走ってみることに。すると、、、さすが水のまち、
細い水路が家々の間を流れ、そこここに様々な表情の水辺風景が展開していた!

流れる水が清廉なだけでも十分魅力的だが、加えてまわりの建物や構造物、岸辺の具合も趣深い。

水路の奥をふと覗いてみると、家々の裏手にラグーンのような水辺が広がっている!
アヒルがゆうゆうと泳ぎ、老夫婦が小さな子供を遊ばせている。うわぁ・・・

私も自転車を停めて細い水路ぎわの通路を通って入っていく。

小船を引き上げておくためか、岸はなだらかな傾斜になっていて、何と全面石組みの「スベリ」である。


ここは、町の中のオアシスだ。日がな一日、この水辺にデッキチェアを置いて過ごすのもいいなぁ~(笑)
私有地か水路敷かよくわからないあいまいな感じ・・・だから手を入れられないまま残っているのだろうか。


後ろ髪引かれながらラグーンを後にして先へ進む。


これらの水路には船が通っていたのだろう、他のところでも少し広がった舟入のような場所が設けられていた。
そして水路へ下りる青石の階段も。


まちなかには打ち抜きと呼ばれる、石鎚山系を水源とする自噴井戸が多数点在し、
道端にせせらぎを作ってあったりする。
これも打ち抜きの流れを集めたものだろう、西条陣屋の四方の堀には浅く清らかな水が漲っていた。


堀に囲まれた陣屋の敷地には現在西条高校や教会などがあるほか、一部は住宅も建っているようだった。


堀の水はいったん暗渠となり港の入堀へ。おお、水が青い!
港もまた魅力的な風景がひろがっていた。


続く
コメント (2)
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3つの揖斐川橋梁

2014-09-06 17:44:42 | 川・橋・船
東大垣駅から、JRの築堤の下を抜けるレンガ造のトンネルを見ながら歩いていると、揖斐川の土手に突き当たった。
坂道を上ると、揖斐川に架かる3つの橋がいっぺんに目に入ってくる。おぉ~壮観!!

奥の緑色のが、JR東海道線の揖斐川橋梁。手前が、国鉄の初代揖斐川橋梁で人道橋に転用された「揖斐川橋」。


そして左手に単独で架かっているのが、樽見鉄道の揖斐川橋梁。


ダブルワーレントラスの揖斐川橋は斜材もトラス状で、斜めから見るといっそう美しい。


橋脚はレンガの上にコンクリートが乗っておりちょっとバランスが悪いなぁ。


開通当初は単線だったのだな。こうやって見ると汽車が向こうから走って来そうな気がする。


しかし・・・かなり錆びているのが気になるところ。メンテナンスしてあげて~~


銘板の文字は「PATENT SHAFT & AXLETREE COLD 1885 WEDNESBURY」と読める。1885年は明治18年。
130年近く前の橋ということになる。すごいなぁ。


こちらの樽見鉄道の揖斐川橋梁も古い。樽見鉄道は元は国鉄樽見線で、この鉄橋は1956(昭和31)年
樽見線の開通時に、御殿場線で不要となった5ヶ所の橋からトラスを持ってきて架設したものらしいが、
部材は明治33年製(曲弦トラス)とあって古めかしい。


古い鉄橋は美しいなぁ。リズミカルに反復する形状は自然の景色と調和する。


土手の上は通行禁止のため、車がガンガン走る道路の路肩を歩いて樽見鉄道をくぐる。
反対側の集落の方へ降りて、駅へ戻ろう。ゆっくり楽しんでちょうど一時間。


駅へ戻る途中に見かけた、濃尾地域で独特の石垣。ふっくら、かわいいなぁ。


少し前までは夜7時半を過ぎてもまだ明るかったのに、もう7時前で夕闇が迫る。
蛍光灯が点くと、ホームシックな気分になるのはなぜだろう(苦笑)。




さぁ、家へ帰ろう。




コメント (8)
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舞鶴の水路風景と若の湯

2014-08-07 23:34:29 | 川・橋・船
18きっぷで西舞鶴へ。
以前入れなくて未練を残した若の湯日の出湯。今回はお風呂だけを目的に行ってハシゴしよう!
ただしお風呂屋は夕方からしか開かないので、ゆっくりめに行くことにして帰りは少し遅くなるな。

駅前でまたレンタサイクルを借りる。4時までちょっとまちなかをうろつくか。


前も見た八幡橋。うーん、やっぱりいいな。こういうむき出しの鉄桁の橋は
この高野川に架かる周りの橋を見てもここだけ。


昭和28年、京都府建造、舞鶴造船所製作と書かれていたが、その上が判別不能。。。飯野産業株式会社??


4時前になったので若の湯へ向かう。相変わらずの堂々の佇まいだ。しかし、ん?
4:30~と書いてあるじゃないの。ナヌー
店の前で待っていたおばちゃんに聞いてみると、4時半にならずもうすぐ開くとのこと。んー、ほんとかな。
これだと日の出湯の方が早いかも?先にあちらに行ってみよう。


伊佐津川を渡り吉原地区へ。あぁ、こちらも相変わらず風情のある水路風景。今は満潮らしく、
民家の床ひたひたまで水面が迫っている。




「わたくしたちは入江をよごしません 吉原入江を美しくする会」という看板が橋の上に掲げられていた。
水路はややもするとゴミ溜りとなったりするものだが、ペットボトルひとつ浮いておらず、
皆さんの努力でこのように美しく保たれているのだ。


場所はうろ覚えだったが、家が雁行して建ち並ぶ細い道をゆっくり走って行くと日の出湯はすぐに見つかった。
しかし閉まっている。ここも4時半開店かぁ、、、いや、違う。土曜日定休!?ナヌー!!
昨日ネットで調べたら土曜じゃなかったのにぃ~~

また宿題が残った。

すごすごと戻る。。。さすがに若の湯はもう開いているだろう。

途中高野川から分かれた水路の横に住吉神社がある。この辺りは前回見ていなかったなぁ。
船溜りに面して小さなドックもあった。

おや、遊覧船が停まっている。ここが乗り場?ではないだろうな。修理のために来ているのだろう。
ここからまちなかの水路や吉原の水路など巡る船が出てればいいのになぁ~



独特な黄色の土壁の蔵が見える。


ひたひたの細い石橋は私橋か。


さて、若の湯に戻ると暖簾が出ていてすでに自転車がたくさんとまっていた。いいね~、いきいきしていて。
私も入ろう。


暖簾をくぐると、半間ほどの奥行で横長の空間があり、男女で正面側と横とそれぞれにドアがある。
変わっているな。


正面側のドアを開けると番台と狭い靴脱ぎ場があり、1段上った脱衣所も結構狭い。
そして男女の仕切り壁は普通なのだが、ロッカーが正面側にあるのが何とも不思議な感じ!
そう、間口の広い若の湯、浴室は脱衣所と横並びに配置されているのだ!
一瞬スーパー銭湯に来たような錯覚に陥るが、中に入るとれっきとした昔ながらのお風呂屋だ。

暖簾を入って横の方にあったドアはトイレへつながるドアと判明。玄関からと脱衣所からと
どちらからでもトイレの前へアクセスできる仕組みのようだ。へぇ~~

シンプルな二つの浴槽と洗い場は一般的なお風呂屋の2/3か半分ぐらいの広さしかなく、シャワー付の
カランは5ヶ所しかない。お湯に浸かっているとお客が増えてきた。
お客の年齢層は結構若く、子供を3人連れたお母さんもいて、なんとカラン待ちが発生!
一時はなんと13人ものお客が浴室の中でひしめき合う。若の湯、当分安泰だな!!


コメント (6)
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雨の河西橋

2014-07-26 23:29:13 | 川・橋・船
7月の最初の週末のこと、午後から南海電車で和歌山方面へ。雨がポツポツ降り出す中なぜ遠出したのかと言うと、
春にチケット屋で買って使わないまま持っていた南海の株主乗車券が、7月10日で期限切れになるから(苦笑)。
距離関係なく1回分の乗車券なので、遠くまで行く方がお得なのだ。

一応目星はつけていた。
先日ひょんなことから、2007年に和歌山を訪問した時の自分の記事を引っ張り出して読んでいたら、
北島橋の南側にかかる河西橋が加太軽便鉄道の紀ノ川橋梁を廃線後に人道橋に転用したものであることを
後から知って、また行こう思っていたことを思い出したのだ。

というわけで和歌山市駅にやってきた。線路沿いに歩いて、JRと南海のダブル踏切を渡る。
和歌山市駅は南海の駅にJRが乗り入れている形となっている。南海の和歌山市駅は難波駅と双璧の
ターミナルであるのに比べ、端のホームを間借りするJRはいかにもローカル線である。


和歌山市駅到着間際に車窓から見えたレンガ倉庫を見に行くと、その手前に和歌山競輪場が。
こんな駅からすぐのところに競輪場ねぇ。もちろん今日は開催日。警備員が角ごとに立っている。


倉庫の前に1.7mの低いガードが。驚いたことに、ここを車も通っている!


ガードを抜けたところに踏切があるな。ここからJRは川の手前で曲がり和歌山駅へ向かい、
南海線は紀ノ川を渡るために坂道を上るのだ。


さらに進んで行くと、おお、素敵なトンネルが!ここにもちゃんと警備員さんがいる。
水路かと思うほど小さな径のアーチのトンネルで、上から木の枝が覆いかぶさりいい雰囲気!


さっきのガードより低く高さ1.6mぐらいだろうか。警備員のおっちゃんに聞くと、さすがに車は
通れないそうだがバイクは通っていた。歩いて行くと中にセンサーが設置され出口で回転灯が回っていた。
しかし夜は怖いなあ。。。

反対側は30cmほど高いようだ。

そこからさらに進むと紀ノ川の堤防に出た。ここはちょうど南海電鉄紀ノ川橋梁を間近で見られる
スポットなのだが、踏切の幅は狭い上に交互通行で交通量はそこそこあるので、長いこと立ち止まっていられない。


上りと下りの橋桁が別の橋脚に載っており、上りの方が古そう。前にも書いたが、上り線(下流側)は
明治36年のアメリカ製ピントラス、下り線(上流側)は大正11年の曲弦ワーレントラスだ。
トラスがあるのは和歌山寄りの3連のみ。下から見上げようと思ったのだが、橋の下へ下りる道は
閉鎖されており、土手の草むらを下りるのも雨の中なのでやめておく。


下流側からアクセスできるかなと行ってみたが、水際は水上バイクや釣り船などの拠点になっているようで
占拠状態のため近寄れなかった。


土手道を歩いて北島橋を過ぎると、細い橋が見えてきた。


おぉ、これか。川の流れに対して斜めから入り、しばらくカーブを描いて軌道修正してから垂直に渡っている。


美しい橋脚。レンガは使われておらず石造りで、上流側の水切りは今もピンピンだ。
付近には根こそぎ流されたらしい大きな流木が転がっており、台風や集中豪雨の際は恐ろしい様相と
なるのだろう。一部の橋脚は傾いており、中央部がコンクリート橋脚になっている。


しかし・・・へろへろ!1914(大正3)年に架けられたので今年でちょうど100年か!!


実はここに向かいながらスマホで検索していると、この河西橋の架け替え予定のニュース記事を見つけた。
もう工事が始まっているのかと一瞬ドキッとしたが、去年設計業務の入札をしたところで、
新橋の供用開始は平成35年を目指すとか。まだまだだ。ほっ。
河西橋は車は通行できないが、自転車やバイクは通れる。結構大きなバイクも走っており、通行量は結構多い。
確かにこのへろへろ具合だと、ちょっと心もとないな。。。


淀川小橋と同じように、河西小橋(勝手に命名)があった。

合併により南海加太線となったこの路線がジェーン台風の被害を受けての廃線後、紀ノ川橋梁を撤去せず
転用したのは素晴らしい。そして風や暴水にさらされながら100年もの間、両岸の地域をつないできたのだ。
あっぱれなことである。
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余部鉄橋

2014-06-01 22:56:18 | 川・橋・船
GWの山陰の続き・・・

余部鉄橋(橋梁)はこれまで数回は訪れているが、4年前に古いトレッスル橋から新しい橋に
架け替えられて興味がなくなってしまった。浜坂からの帰り、通り道なのでまぁ休憩がてら
立ち寄ることにしたのだが、GW中でお天気がよかったせいもあるだろう、ツーリングの
バイクで大にぎわいである。車も多い。

しかし驚いたのは、あのトレッスル橋脚がかなり残されていること。
橋の一部が残されて展望台になるということは当初からニュースで知っていたが、新しい橋の陰に
申し訳程度に残してもなぁと全く期待していなかったのだった。


しかし現地に来てみると印象が違った。
鉄橋は国道178号と川を跨いでいたが、元あった11本の橋脚のうち、駅寄りの3本は完全な形、
次の3本も一部ではあるが基礎及び立ち上がった鉄骨が残っているのだ。

基部だけを見ると6本の橋脚が立ち並ぶ様子がわかる形で保存されている。
川の向こう側の橋脚はすべて撤去されているが、来訪者の目線を考えれば、部材数に比べて効果は高い。
うまく残したな!

橋の下は公園として整備され、餘部駅までの遊歩道も、あいかわらずの急勾配だがきれいに舗装された。
坂道の途中で橋を望むと、鉄骨が重なる眺めを楽しむことができる。


餘部駅のホームは山側から海側に変わり、昔の印象とは全く変わってしまったが、
旧橋に続く線路が枕木やバラストごと残され、そこを歩けるようになっている。


「空の駅」と名づけられた展望台は去年のGWにオープンしたらしいので、ちょうど1年前だ。


旧橋の保存部分の先端まで歩いて行くことができる。もちろん、落下防止のためガラス張り。
足元の覗き窓から下を見ると、電車で通過したのではわからない、橋脚の実際の高さを感じられる。


フェンスの隙間から覗くとレールはぷつりと途切れている。


公園の片隅に説明板が設置されている。1912(明治45)年に余部橋梁が完成したあと、餘部駅が
設置されたのは何と1959(昭和34)年のことであった。余部集落の住民は汽車に乗るため
線路を歩いてトンネルを抜け隣の鎧駅まで行ったという説明と共に、この高い鉄橋の上を行列をなして
渡る人々の写真があった。この危険と不便を解消するため人々は餘部駅の設置を陳情し、
工事が始まると住民自ら大人も子供も総出で石を崖上へ運び上げたという写真。そして悲願の
一番電車を迎えた日の、ホームからはみ出んばかりにして旗を振る人々の写真・・・涙が出そうになる。
鉄道の乗客はその当時と比べると激減してしまっただろうが、余部の人々はこのときの喜びを忘れない
ように今に伝えている。


鉄橋の老朽化による架け替えはやむを得なかったことだろうが、地域の歴史でありシンボルであり
貴重な観光資源でもあった余部鉄橋。元の姿を想像する助けとなる数々の工夫からは、
何とか残したいという地元の方々の強い思いが感じられた。


詳しくは→こちら

この余部橋梁や田君川橋梁、竹野川橋梁の他にも、山陰線にはたたずまいに心惹かれる橋が多い。

安木川橋梁。丁寧に積み上げられたレンガの橋台と橋脚が美しく状態もよい。下を流れる川の
くねり具合もいいね!




明るく広々とした矢田川の河川敷をまたぐ矢田川橋梁。橋脚は円筒形の石積み。


河口に近い川の青さが印象的。背景の山では野生の藤が咲き乱れていた。


※それぞれ撮影日が違うためその日の天気によって写真の色合いが異なっています(苦笑)
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ふたつの鉄橋

2014-05-08 01:31:37 | 川・橋・船
GWの前半、山陰の方へ車で行ってきた。
主目的はダンナの用事であったが、ついでに但馬の近代化遺産に車で寄ってもらおうという魂胆。
運転者の機嫌を損ねないよう(苦笑)本来のルートから大きく逸れない所だけにし、小物は最初から外して、
気づかず通り過ぎてしまったら潔く諦め、無理を言うのは主目的が終わってから・・・と。
そんな苦労をしながら見てきた物件をいくつか。

浜坂駅の近くの田畑に囲まれた、JR山陰本線の田君川橋梁。これが見たかった!




格子状のスケスケの桁(ガーダー)が特徴の上路式桁橋。
斜めに並べたL形の鋼材を両面からリベットで上下材に打ち付けた構造の桁はラチス桁と呼ばれ、
今では全国に3ヶ所しかない非常にレアな橋なのである。


一般的な橋の桁は板状(プレートガーダー)であるが、第1次世界大戦の影響で大型の板材が
手に入らなかったことからこういう構造が考えられ、大正8年頃から全国で設置されたらしい。
しかしやはり板桁に比べ不具合もあり、材料調達事情の改善とともに作られることはなくなり、
設置済みの橋も時代と共に撤去されていったようだ。


田君川橋梁は2径間で、片方だけがラチス桁でもう一方はプレートガーダー。
元は単径間だったのを増設したときに、時期的にラチス桁が使われたらしい。
いったん拡幅された田君川は再び狭められ、現在は細い用水路と化してしまった。


橋台や橋脚はレンガ造にコンクリートが継ぎ足されており、後年若干かさ上げされたと思われるが
それでもこの橋はとても低く、もう少し時期が遅いと草が生い茂って見えなくなるかも。

苦肉の策で作られたとは言え、この美しさ。人目を忍ぶような控えめな佇まいに、強く心惹かれる。


日本に3ヶ所しかないこのラチス桁、実はもう1ヶ所もJR山陰本線に属し、しかもごく近所にある。
竹野と城崎温泉の間なので、田君川橋梁から数えて7駅分京都寄りであるが、全国的に見れば
こんなに近接して残っているのは奇跡的であろう。

※不覚にもカメラの充電器を忘れ、電池がなくなってしまったため、ここからはスマホ写真(泣)

帰り道、竹野駅前から国道178号へ抜ける県道が山陰線と分かれていく辺りで少し車を停めてもらい、
土手を歩いていくと、おお、あれだ!竹野川橋梁。こちらも広々とした田園風景の中に美しい姿を見せている。
さっきの田君川橋梁と全く同じラチス桁であるが、川幅がこちらの方が広いせいで相対的に細く見える。


5径間のうち浜坂側から2つ目がラチス桁。ここはもとはプレートガーダーのみで
架けられていたが、大正7年の大洪水で流された桁の復旧にあたり、このタイプが使われたようだ。
そう言われてみれば、各桁は幅(高さ)やタイプがバラバラだ。この低さなのでその後も水害に
あってきたと思われる。一斉にやりかえず、その時々で傷んだものだけを取替えてきたのだろう。


田君川と違い土手道を歩いて橋の下をくぐることができるのがうれしい。頭上のは普通の板桁だが
その隣のラチス桁も結構間近に見ることができる。


こちらの橋脚もかさ上げされたように見える。ネット検索すると洪水後川幅を拡幅したとの記述もある。
土手道の上を越える径間が増設された部分なのかもしれない。


貴重な橋をいっぺんに2つも見れて満足満足。
ちなみにあと1ヶ所は山口県の徳佐川橋梁。こちらも見に行きたいなぁ!

ネット検索で見つけた鉄道用ラチス桁の詳しいレポート→こちら

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ライトアップ銀橋

2014-04-22 00:57:20 | 川・橋・船
先週、会社帰りに造幣局の通り抜けに行ってきた。
とってもかわいい八重桜がいっぱいで堪能したが、灯りが街灯とぼんぼりだけではちょっと・・・
上からの強烈な白い光は花の色を飛ばしているし、ぼんぼりの光は暗すぎて花に届いていない。
もう少しライトアップに工夫がほしいなぁ。。。


通り抜けたら銀橋に出た。うわぁ、夜の銀橋、素敵だね!

北隣には安藤忠雄の「新銀橋」が架かっているが、銀橋の影と化している。
京橋の飲み屋へ向かって歩く会社の人々から遅れながら、しばし美しいリベットの陰影に見とれる・・・


下から見上げると、動物のあばら骨のようだ。


ぶつぶつリベット肌がやっぱり好き(笑)
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閉まった!末広橋

2014-02-01 23:47:16 | 川・橋・船
内部八王子線から四日市に戻り、末広橋梁を見に行くことに。

戻りは試合帰り(?)部活帰り(?)の高校生でギュウギュウ!

末広橋は四日市の千歳運河に架かる貨物線の可動橋であるが、これまで数回訪れており、
一度は開くところを見たことがある。
そのときは開いたのに船が通らないなぁと思っていたが、ここは通常開いており、貨物列車が
通る時だけ閉まるのである。なので前回見たのは列車が通り終わって元に戻った時だったのだ。

貨物列車の時刻をネットで検索すると昔は1日5本あったようだが今は3本しかない?
結局よく分からないまま、夕方5時前に現地へ着いた。今は開放状態である。
さて橋は動くんだろうか、貨物列車は通るんだろうか。半信半疑で写真を撮っていたのだが・・・


あっ!ふらふら~っと自転車でやってきた兄ちゃん。
橋のたもとに自転車を停めて、橋の操作室へ向かって歩いていく。やった!!
「橋動くんですか!?」「あと4分後ぐらいに動きますよ」「わ~い」
スマホで動画を、カメラで写真を、ダブルでスタンバイ(笑)


おお~っ、閉まっていく!!






閉まったぁ~


・・・しかしこの後、待てども待てども貨物列車が来ない。兄ちゃんは操作し終えて早々
自転車で帰っていった。閉じたからには通るはずと思うのだが貨物列車は全く来る気配がなく、
寒いし日も暮れてきたのであきらめて対岸へ渡る。

橋からの貨物線の続き。

この道は廃線跡に違いない。


もう真っ暗なのでうろうろもできず、クルーズの集合場所へと向かう。1時間ほど早く着き、
待合所でテレビを見て過ごす。これが夏なら、太平洋セメントまで見に行くのだが。。。
時間が迫るにつれ人が集まってきて、いつの間にか待合所はいっぱいに!
ライフジャケットを着用して、いざ!
結構小さな船だ。前にガラス張りの屋内席、後に吹きさらしのデッキがある。


寒い冬というのにほぼすべての人がデッキへ。この混み混み具合は~(笑)


四日市コンビナートをめぐる約1時間のクルーズ。かなり遠目に眺める工場夜景は
迫力には少々欠けたが、美しい光で目を楽しませてくれた。
工場だけでなく、四日市ドームや、大阪万博のパビリオンで太陽の塔以外で唯一残っているという
オーストラリア記念館などの見どころもあり、楽しめた。さすがに終盤は海上の夜風に震えたが・・・

ちなみにオーストラリア記念館、耐震補強予算不足のため解体が決まっているのだとか(涙)

クルーズのお客はカップルやカメラ趣味友らしきおっちゃんおばちゃん、一人参加のオネエちゃん
などいろいろ。望遠レンズの一眼レフを三脚に乗せて意気揚々と構えていたおばちゃんたち、
あの揺れる船の上で果たしてブレずに美しい夜景を撮れたんだろうか。
私はと言えば、船が折り返し地点で停まった瞬間に思いっきり露出を落として撮ったこの一枚
ぐらいしか、見れる写真はなかった(苦笑)


四日市駅前の居酒屋で食べたトンテキ、美味しかった!
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カーブミラー

2013-12-22 02:13:49 | 川・橋・船
仕事でちょくちょく通っている堺で、こんなものを見つけた。


川の曲がり角に取り付けられたカーブミラー。
ははぁ、ここはほぼ90度に曲がっており、垂直護岸のせいで見通しは確かに悪い。


数年前までは「ドブ」として見向きもされなかった古い運河や堀割を、最近ではまちづくりに
生かす手法が一般的となり、小さなボートでのクルーズも各地で人気を博している。
出会い頭の衝突事故が懸念されるほど、この運河の交通量も増えたということか。

調べてみると、堺の「観濠クルーズ」は基本毎週末やっているらしい。
そのうち道路並みに信号や標識、パーキングメーターとかできたりして!?(笑)
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カネボウ運河跡と鴫野湯

2013-11-03 23:45:03 | 川・橋・船
こないだ菊水温泉に行った日のこと。
JR京橋駅の南出口なんて今まで使ったことない。こんな出口あったなんて知ってた?


寝屋川を渡って歩きながら、地図に載っていたどう見ても水路跡の細長い緑地を見に行く。
あ、あれだな・・・うぉ。


この低さは。水面がそのまま土になった状態だ。




こんなところに親柱が鎮座。「桜橋」かぁ。
もちろん元はこの場所でなく道路の部分に橋が架かっており、そのたもとに建っていたのだ。
そして、今はお寺が建っている場所から、この水路は寝屋川につながっていたのだな。


公園内を歩くといかにも廃川跡の雰囲気を思う存分感じられる(笑)。
道路を挟んで3ブロック続いているが、公園の入口は植栽によって狭められ、非常に閉鎖的な
感じがする。町会が管理している関係だろうか、よそ者を入りにくくしているのかも知れない。

ここにも城東橋と刻まれた親柱が。



帰ってから検索してみると、びんみんさんが以前この公園のことを詳しく調べられていて、地図と共に
アップされていた。→こちら
それによるとこの水路はカネボウの鴫野工場への水運のために掘削された通称「カネボウ運河」で、
例に漏れず戦後数年のうちに埋め立てられたようである。

この公園は、OBPから抜けてくる広い道路までで終わっているが、その南側も川幅そのままの区画が
残っており、あとから歩いてみたがすべて住宅地になっていた。
その区画の両側の道は狭いが、どちらからも入れる構造を存分に生かし、川幅をめいっぱい使った
超効率的なマンションなどもあり(笑)感心しきり。今じゃ絶対建てられない。

そしてこの近くにあるのが、こちらの鴫野湯。
見て!この素晴らしい佇まい。菊水温泉に勝るとも劣らない。


今ではマンションがまわりに建っているが、ここは戦後からずっと変わっていないのだろう。


この日は菊水温泉にしようと決めたので、鴫野湯はちょっと偵察だけ。
う~ん、中も期待できそう・・・近いうちに入りに来よう。


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姫路をチャリでうろつく ~橋見物

2013-08-18 17:39:39 | 川・橋・船
18きっぷで姫路へ。
先日仕事で来た時に、姫路は手柄山の方は何度か訪れているが、駅の北側はほとんど
歩いたことがないことに気づき、お城の周辺などゆっくり見にこようと思ったのだった。

姫路モノレール 夢の跡
手柄山遊園の回転展望台
手柄山からモノレールを望む
姫路モノレールを見てきた
手柄山公園の門
姫路駅前

最近はもう朝の新快速の席取り合戦に参加するのが嫌で、競争率の低い列車に乗るようにしている。
・・・とか何とか言い訳をしながら、11時半の新快速に乗り込む。スロースタート(笑)。
調べてみると姫路には近代建築も結構あるようで、今回は印刷した地図を片手に、駅で自転車を借りて、GO!

ふらふらっとこぎ出すと、目に入って来たのは、やっぱりモノレールの橋脚(笑)。


周辺は整理が進んで来たのか、何かこざっぱりしたような。


上の写真をよく見ると、大将軍駅の手前の部分がいつの間にか撤去されてしまっているな。
2007年の写真ではつながっているのが分かる。

下層階が完全に廃墟化した大将軍駅も、住宅部分は現役ながらいつどうなるか分からない。
よく見ておこう。


炎天下だが自転車なら楽々。大歓楽街地帯も風を切ってスイスイ。

おおっと。あれは何だ?


こんなところにトラスの鉄橋が。リベット打ちだし曲弦プラットトラスの形は古めかしい。
中路式というのも珍しいな。


橋台も石積みに見え、ほんとに古いように思えるが、橋の名前がついていない。一体何モノ!?



そこを離れ一本北へ行くと、うわっ、これも?


簡素なワーレントラス。こちらも中路式だ。


おや、銘板がついている。

大正十三年、杉山鐡工所。やはり橋名は書いていない。さっきの橋も同じと考えられる。

ああやっぱり古いものだ。しかしこの橋はどう見ても県や市が管理していなさそう。
私設の橋なんだろうか。近隣の商人が杉山鉄工所に発注したのか、杉山鉄工所が地域のために寄贈したのか。
謎は残る。



2号線の船場川に架かる白鷺橋(はくろばし)。


竜山石と鋳鉄でつくられた、優美な橋だ。


さっきの二つとは明らかに雰囲気が違う。





・・・と、近代建築めぐりのはずが、ここまで橋脚と橋しか見ていない(笑)。
こんな駅近くで時間を取ってしまっているが、今日はお城一周する予定なのだ。
まぁ3時間くらいかけて建築を見て回り、そのあと加古川線で粟生まで行って北条鉄道めぐりを
しようともくろんでいるのだが、さてさてどうなることやら。

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千間川跡を歩く ~続き

2013-01-24 00:27:21 | 川・橋・船
こないだの記事では、深江橋駅から城東運河(平野川分水路)の東側と緑橋駅付近を
見ただけで終わっていた千間川跡。
やっぱり城東運河を越えたところも見ておかないとな、と、ちょっと回ってみた。


今里筋より西側は千間川公園になっているとこないだ見た千間川と緑橋の碑に書いてあったが、
このあたりも千間川みどり公園という細長い公園になっていて、まさに廃川跡そのものの形を残している。
どうせなら全部見ておこうと城東運河にぶち当たるところまで行ってみると、
人道橋の脇に小さな祠があり、そして・・・おお、堤防が残っているじゃないの。


運河に向かってラッパ状に開いた形のコンクリート堤防が、川跡の両岸に残っていた。
千間川と城東運河はクロスしていたのか少し疑問に思っていたが、やはり十字水路だったようだ。


最終期の川幅は今の公園の幅より若干広かったようだ。道路幅を確保した上で緑地公園を整備したのだな。


南側の堤防は民家の裏側に肉薄し、今は堤防の上に鉢植えなどが乗せられているが、いかにもどぶ川に
背を向けて建てられた様子がよく感じられる。
いいねぇ!

うなぎの寝床のような公園を歩いて行くと、やはり古い建物ほど裏側感満載。




このあたりなど、橋が架かっていた様子がありありと想像できるなぁ。


公園はゆらゆらと微妙に幅を変えながら続き、途中から道路に変わっていた。


あっここにも堤防が。


無駄に幅の広い植樹帯のある道路が続き、今里筋へ。・・・ここから西はまた次回にしよう。
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千間川跡を歩く

2013-01-08 01:53:54 | 川・橋・船
地下鉄深江橋駅を出て地上に上がると、長方形の街割りを斜めに切り裂くように西北西へ伸びる道がある。


始まって少しの間は整備された遊歩道になっているが、そこを過ぎると普通の道路。


街路樹と言うには妙な配置の緑陰を見ても明らかに廃川跡である。


この道をたどって西へ歩いていくと、どこからともなくいい匂いがしてくる。


道が城東運河の堤防にぶつかって終わるところに、お香を製造している工場があった。
天昇堂香舗」。
昔ながらの家内工業を思わせる木造の建物である。いい匂いの源はここだったのだ。



仕事を終えて帰りはいつも緑橋駅まで歩く。
ジグザグ歩きながら南へ下りてきて、商店街や本町湯やモダンな建物たちを見ながら
少し幅の広い東西の道を渡り地下鉄入口にアクセスすることが多いが、
今日は商店街をまっすぐ歩いて今里筋に出てから南へ折れた。

おや、なんか碑があるぞ。
「千間川(せんげんがわ)と緑橋」。


あぁやっぱり、あの深江橋から斜めに伸びる廃川跡は、城東運河を越えてこっちまで続いていたのか。
もちろんある時期に作られた人工の川であり全く自然の川ではないのでほぼ直線であるが、
この少し広い道幅もしかり、部分的に植樹帯があるなど、少し不自然だとは思っていた。
千間川は城東運河と平野運河を結ぶ水路であったらしいが、1968(昭和43)年頃から
埋め立てられ暗渠化されたようだ。緑橋や深江橋は千間川に架かっていた橋の名だったんだな。


運河を掘削する場合にはもとあった小川など自然の水路を部分的に利用するのはよくあることだが、
この千間川跡の微かに揺らいだ雰囲気から、はるか昔の自然の流れを感じる。


しかしちゃんと平成9年に案内碑が建てられていたとは、お見それしました~(笑)
でも、最初にこの碑を見てから歩くより、体感してから答を知る方が楽しいんだよ。
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白川口駅と白川橋

2012-09-14 12:53:23 | 川・橋・船
こないだ湯之島館への行き帰りに、特急ひだが行き違い待ちで停車した高山本線の白川口駅。
駅前の建物の間からちらりと見えた古そうな吊り橋が気になって、坂祝駅とあわせて見に行ってきた。


山と川に挟まれて建つ駅舎は簡素ながら割と古そうな木造で、跨線橋ともどもいい雰囲気を出している。



駅から100mほど戻る形で歩き、中日新聞の大きな看板を目印に曲がると、、、おお~っ。
目の前に吊り橋がいきなり現れた!


主ケーブルを支える鋼トラス構造の主塔は珍しく、土木学会選奨土木遺産に認定されているという。
大正15年架橋。「請負 飛州高山 山本宗兵衛」のプレートが見える。
1978(昭和53)年に木床版からデッキプレート+コンクリート床版への改築が行われたらしい。
驚くべきことにかつてはバスなどの車両も通行していたとか。木の板を渡した吊り橋をバスが走る・・・
考えると恐ろしいが。。。

近くで見ると意外と線が細いな。銀色の塗装はちょっと・・・ちゃちに見えてしまってて残念。

ロングスカートのように末広がりの形のコンクリート橋脚が川面まで伸びている。
1ヶ所の橋脚が左右2本に分かれているのが目に新しい。


とても優美な橋だ。これこそ構造美。


「白川橋」という名なのでこの川は「白川」かと思ってしまうが、実際は「飛騨川」であった。
白川橋を渡った対岸の集落が沿っている飛騨川の支流、こちらが「白川」。
そうか、ここが白川の河口になるわけだな。それで「白川口」か。集落をぐるっとひと回りしてみよう。

木造2階建てのこの建物は旧病院のようだが、今は廃墟のようだ。足元の石積みが美しい。




白川支流に沿った集落の中には少し古い木造の下見板張りの建物がいくつか見られたが
いやもう暑くて暑くて・・・浮き輪をつけて遊んでいる子供たちがうらやましくてうらやましくて。
私も川辺に降りてしばらく足を水に浸していると、魚がいっぱい泳いでいる。魚取りしたい・・・(笑)


高山本線のこの区間の列車は本数が少なく、約2時間の滞在は少々時間を持て余した感じ。


白川口駅前からは各方面へバスが出でいるようで、ちゃんとバスの時刻を調べていたら、
もう少し先の鉄橋やダムも見に行けたかもしれないな。。


前々週には特急でぴゅーっと帰ったルートを、飛水峡など白川の渓谷美をゆっくり見ながら各駅停車で帰ろう。
大阪まで3回乗り換え、4時間・・・・大阪に着いたらすっかり夜。やっぱり遠いなぁ。。。

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立売堀川の断末魔

2012-08-25 22:38:25 | 川・橋・船
こないだからまたちょこちょこ通っている西区のプール。今日の午後ひと泳ぎしに行って、
心地よいけだるさをまとって更衣室を出たら、目の前に木津川の水面がぱっと広がる。
そう、この2Fのホールは(行ったことないが3Fも?)木津川に向かっていちめんガラス張りで
ホールの床がまるで木津川の水面とつながっているように見える絶景のリバービューなのだ!

窓際のベンチに座ってしばしこの眺めを楽しむか。

・・・ん??

ああっ!!立売堀がっ!!

昭和31年に埋め立てられた立売堀川が、わずか数十メートルだけ埋め立てを逃れて現代まで行き残っているのを
結構気に入っていたのに、盲腸のようなその入江が、埋め立てられてるじゃないの!!

息の根まで止められてしまった・・・・あぁ。

船乗り場を新設したり水辺に新たな新名所ができたりして盛り上がってきている大阪のリバーサイド。
その一方でこんな魅力的な入江がひっそりと埋め立てられてしまうなんて・・・・残念。


高い高い堤防に囲まれたこの埋立地、どんな風に使われるのだろう。
ま、ちょっと楽しみでもある。
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