goo blog サービス終了のお知らせ 

まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

玉江橋を見てから温泉めぐりへ

2018-02-27 22:06:55 | 川・橋・船
鹿児島の続き。

鹿児島市内に泊まった翌日は温泉めぐりへ。
その前に、岩元邸の向かいにある玉江橋を見ていこう。


鹿児島市街地を流れる甲突川には、玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋 という5つの石橋が架かっていたが、
1993(平成5)年の集中豪雨で新上橋と武之橋が流失してしまった。それを受け、残る3つの石橋を確実に
保存するため、石橋記念公園に移築保存された。


ここには前にも来たことがあり、圧倒されるような巨大な石橋の構造を間近で見られるのはうれしいのだが、
実際の川でなく申し訳程度に流した水たまりに架けられているのがちょっと残念・・・と思っていたら、
この玉江橋は実際の川に架かっているじゃないの。


前回は、西田橋と高麗橋、2つしか見ていなかったのだった(汗)


おや、近くで見たら4連アーチだったのか!


散歩の人や通り抜ける人などがちょこちょこ通るので、写真を撮ろうと待ち構えていてもなかなか撮れない。
普通にちゃんと橋としての役割を担っているのはうれしいことだなぁ!




さて、温泉めぐりへ。まずやってきたのは鹿児島市内からほど近い大黒温泉。やってるのかよく分からない感じ
だが、坂道を下りた川側が入口。もちろん元気に営業中だ。


朝っぱらからいきなりお風呂(笑)。つるつるしたお湯はアルカリ性PH8.2!気持ちいい~


ここでも八十八湯めぐりのスタンプゲット!


少し走ると船津温泉に。連続になってしまうが道順なんだから仕方ないな。。。(苦笑)
ここは立派な施設で、つるつるアルカリ系ほんのりモール臭。味はおいしく結構飲んでしまった。


さてお昼ごはんをどうしようかと検索して、蒲生(かもう)にある心地庵というカフェにやって来た。


この蒲生郷というところも麓という武家集落だった場所で、武家門や石垣が残る。
心地庵は120年前の古民家を改装したお店で、ピザが名物らしい。


ちょっと変わっているのは、ここは何でもセルフで、自分で食べるピザも庭の窯で自分で焼くのだ。




ご主人に教えてもらいながら、薄い生地のピザを窯の中へ入れてくるくると回し、2~3分でカリッと焼けた。
こんなにすぐ焼けるもんなんだな。自分で焼いたピザはとってもおいしかった!


ちょっと贅沢にデザートまでプラスして、しばしほっこりとした時間を過ごした。


さぁここから霧島山に向けて走ろう。
途中で山田の凱旋門という案内板が見えたのでストーップ!これも登録有形文化財のリストにあったな。


日露戦争で従軍した村人の帰還を祝して1906(明治39)年に建てられた。凝灰岩が使われたアーチは
石橋の技術を応用したものだとか。

ちょうど道すがらにあって見れたのでよかった!

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金山橋と龍門司坂

2018-02-19 23:10:18 | 川・橋・船
鹿児島の続き。

さっき空港から走って来る途中に案内表示を目にして気になっていた石橋も、龍門滝の滝上から近いので行ってみよう。
金山(きんざん)橋が架かる網掛川は、田畑に囲まれた開けた場所に流れていた。駐車場とトイレもちゃんと
整備されているところを見ると、観光スポットとして訪れる人も多いのだろう。


おぉ、確かにアーチの石橋だ。欄干は比較的新しそうだが、切石がぴっちり隙間なく積まれたアーチは
どっしりとして安定している。今も現役の車道橋でありなかなかいい感じ。


金山橋の名の通り、菱刈や横川の金鉱山からの鉱石や物資を加治木港へ運ぶための「金山道路」に架けられた橋で、
加治木島津家が明治13年ごろに作ったと言われているが、詳しい資料は残っていないという。


古い親柱も保存されていた。深く刻まれた「金山橋」の文字が歴史を感じさせる。


そしてまた素晴らしいのは、この橋が架かっている川のすぐ上手にある滝!板井戸の滝。金山滝とも呼ばれている。


こんな開けた里にある川なのに、ここで切り立った天然の崖ができており、流れに削られた岩の隙間から
数条に分かれて落ちる滝は見事だ。小さく見えるが高さは8mもあるらしい。




垂直にそそり立つ崖から太い音を立てて半円形の深い淵に注ぎ込む。ここだけ切り取って見れば
山深い峡谷のようで雰囲気満点!石橋と滝が一度に楽しめるおすすめスポットだ。

あぁ、来てよかった~郷土館のおばちゃんに感謝!

さて、龍門司坂は龍門滝の滝下からほど近い場所で、車道から登山口のような古道の入口を入っていくと
いきなり鬱蒼とした石畳の道が始まる。結構な坂道だ。


江戸時代の日向筋から分岐して熊本へ向かう街道、「大口筋」の一部、山間部の486.8mが当時のままの姿で
残っている。


古文書によると、1635(寛永12)年に作られたといい、あまり段差をつけないように敷かれた石畳が
特徴なのだとか。側溝が設けられたり、雨でのり面が浸食されないような工夫もされているという。


石畳にはみっしりと苔がむし、その上にちらちらとレース越しのような木漏れ日が落ちている。
ゴツゴツした石畳は正直歩きにくいが、雨が降ると土砂が流れてぬかるむ山道からすれば、しっかり舗装された
この道は当時は断然楽だっただろう。江戸と薩摩を結ぶ重要な街道であり、大名行列にも使われたとか。


西南戦争の時には西郷軍もこの道を通って人吉へ向かったといい、大河ドラマ「西郷どん」のロケ地にも
なっている。見てないけど(汗)

龍門司坂の往復はなかなか気持ちいいハイキング。山道もこのぐらいが私にはちょうどいいな(笑)

駐車場の方へ戻る途中にあった、駅名標の形の「高井田」看板。廃線跡か!?と思ったが、関係ないようだ。
前の駅はおはよう、次の駅はこんにちは。こんにちはのNがロシア語みたい(笑)


龍門滝の下にも温泉施設があったが、やっぱり八十八湯めぐりの温泉ということで、浜之市ふれあいセンター富の湯へ。
にがりのような味がする濃厚な温泉で満喫。もちろんスタンプ1つ目ゲット!


続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立売堀川跡の公園

2017-12-31 19:19:03 | 川・橋・船
久々に阿波座から西長堀まで歩いたら、おや、真新しい公園が。ここは何だった?
あっ、もしや、ここは下水道局のバリケードが立っていたところじゃないの。ということは、立売堀跡だ!


昔大阪のまちに興味を持ち始めた頃、まちなかの川跡に強く惹きつけられて廃川跡めぐりをしていた。
ここは当時、高いバリケードで閉ざされていたが、木津川との合流部から100mほど立売堀川の水面が
残っていたのだ。どこか覗けるところはないかと周囲をうろつき回り、対岸から遠望して思いを馳せて
いたものだ(笑)。懐かしいなぁ~ →こちら


数年後、対岸にある西区のスポーツセンターのプール前ロビーから、埋め立てが始まっているのを
見ていたが、その後引っ越してすっかり忘れていた。完成していたのだな!
立売堀川の断末魔

しかし、、、なんじゃこりゃ、公園の入口がおかしなことになっているじゃないの。




堤防を割って入口を作る計画をしたものの、コンクリートがあまりにも強固で崩せなかったのだろう(笑)
確かに天端で30cmぐらい、根元の部分では80~90cm近くもの幅があり、鉄筋も入っている。
ビルを解体するような大型の重機でないと、昔の固いコンクリートの塊はびくともしないだろう。
ここまで崩しただけでも相当大変だっただろうな。いやはや、ご苦労さま(笑)


大阪の都心部はかつて大阪城城下の商人町であり、西横堀以西は近世の埋め立てにより作られた土地である。
排水と水運のために大阪のまちなかには数多くの堀川が作られ、八百八橋と言われる景観ができたのだ。
戦後は水運の意義を失い水質悪化もあって、ていのいいがれき処理場となって次々と埋め立てられ
昭和40年代には都心部の堀川はほぼなくなってしまった。


埋め立てられた土地は払い下げられ、川や橋の痕跡もすっかりまちに紛れてしまったが、立売堀川
西横堀川と並んでわずかの距離ながら川の形状をとどめた水面が残り、川のあった風景を思い描ける
貴重なスポットとして気に入っていたのだった。


土佐堀、西横堀、道頓堀、木津川・・・10年くらい前までは見向きもされず暗く汚かった
大阪のまちなかの川も、魅力が見直されてリバーフロントが整備され、すっかり快適な空間になった。
ここもその一環だ。






願わくば、まちに突き刺さった形状の水面をそのままに船着場にしてほしかったが・・・
まぁまぁ、この恐ろしく固いコンクリート堤防が残ったことで、立売堀の存在は後世にまで
知らしめられるだろう(笑)


この記事を書きながら、ブログを開設する前に作っていたサイト(2004.2~2006.11)を
久々に見たら今よりずっと熱心にまちを探索していたなぁ。当時の携帯で撮った写真は許せないほど
汚いし、拙くて恥ずかしいけど(苦笑)、まちかど逍遥の原点だと思うのでリンクしておきます。
ぷにょのつれづれサイト


このブログでも度々廃川跡について書いているので、昔の記事も併せて読んで頂ければ幸いです。
「廃川跡」検索結果
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えびのの石橋2つ

2017-08-27 23:49:27 | 川・橋・船
えびのの続き。

さぁ、このあとえびの高原へ向かう道へ入り、白鳥温泉下湯に行こうと思っていたのだが、、、
ナビがなんか言っている。
「回避できない問題が発生しているので目的地の変更を検討して下さい」

えっ、回避できない問題って!?ほんとに!?
ナビがこんなことを言うのを聞いたことがなく真偽のほどはわからないが、行って引き返すのは嫌だな・・・
仕方ない、予定を変更しよう。さっき亀の湯に貼ってあった資料にあった石橋を見に行くことに。
スマホで撮っておいた地図を頼りに走ると順調にたどり着いた。車を停めて小道を歩いて行く。
うわぁ・・・いいなぁ!


案内板によると、これは熊本営林局により造られた木材搬出用のトロッコ軌道の橋で、
1928(昭和3)年に完成。正式名は「月の木川橋」と言うらしい。へえ~~!




鹿児島県串木野の肥田佐兵衛が請け負い、この有島川の上流から切り出した石を木馬で運んだとか。


欄干が低くて端に寄ると怖い~~~

トロッコ軌道は1962(昭和37)年に廃止。

横からアーチを見たいと坂を下り河原の広場へ行き、下から見上げる。三連アーチだ!
おぉ~~~高い!!


アーチの頂点部分はほんとに薄いな!輪石の上に1層しか載っていないんじゃないか??


こんな繊細に見えるのに、木材を載せたトロッコがガタガタとこの上を走り、約90年もの間
この美しい曲線は崩れることなく保っているのだ。。


径の違うアーチが並ぶとちょっとバランスが悪い?違和感があるが・・・


しかしこれだけの高さは、熊本で見た霊台橋歳祢橋ぐらいはあるんじゃないか!?
この橋の全長は58.2m、中央のアーチ径28.8m、アーチ高さ15.2m。

あらためてデータを見ると、霊台橋は径間28.4mで、長らく単一のアーチ式石橋では径間日本一と
されてきたが、1998年の調査で大分県の轟橋が32.1m、出会橋が29.3mと判明し、現在は
第3位ということである。しかしこの月の木川橋は中央のアーチだけを見れば、霊台橋よりも大きい。
高さの方は年祢橋が24mだからこちらは全然かなわないや。お見それしました(笑)。

さて、この先にもう一つあるはずだ。車を走らせること3分、あれだ。
こちらはまわりが開けた場所にあった。


橋の中央に水路が通っている。
説明板によるとこの橋は「享保水路太鼓橋」といい、有島川を越えさせるための水路橋である。
ほほ~う。川と水路の立体交差!道路の部分はまた逆サイホンで渡してあるのだろうか。
この橋の建造年月は不明だが、江戸末期頃と言われているようだ。


享保水路とは、川内川上流から水を引き飯野平野の水田へ送水するために造られた用水路で、
1732(享保17)年に完成。5ヶ所の隧道を含む総延長は6.8kmあり、大変な苦労をして
造られたという。

水路を覗き込むと、きれいな水がダクダクと流れている。これは素敵だなぁ!
この橋ができるまでは200mほど上流で木樋で通水しており、大雨のたびに流されていたが、
この橋ができて大量の水を安定して送ることができるようになり、下流の飯野平野の人々は
大きな恩恵を受けたのである。


この橋は壁石が垂直でなく角度がついていて、さらに勾配の途中で段差になっているのが珍しいと
説明書きにあった。確かに斜め横から見ると末広がりになっているな。


あぁ、温泉だけでなく素敵な石橋に出会えてよかった!
自然に逆らうことなく共存して生きる人間の知恵の結晶。近代までのこういった土木構造物に
私はとても心惹かれるのである。

そろそろレンタカーのタイムリミットだ。空港へ戻ろう。

空港からは鹿児島市内行きのバスに乗り込みしばし休憩。。。
せっかく24時間千円のレンタカーを借りてるのに鹿児島市内まで走ればいいじゃないかと
突っ込まれそうだが(笑)、一日中運転は疲れるし、帰りもまた、疲れた体で日暮れ後に空港まで
運転して戻るのは自信がないのである。。。バス代は余分にかかるが、まぁいいよ。

鹿児島駅前でバスを降りたら、その足でレンタカー屋へ・・・
実はここでもまた千円レンタカーを借りているのであった(爆)。


泊まった宿はまた地元系ビジネスホテル。夕食付きプランなので1階の六白亭という店で豚しゃぶを。
そこに地鶏のたたきと肝刺しをつけて鹿児島の食を満喫~♪

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弾丸今治 おれんじホープに乗る

2017-08-13 23:24:44 | 川・橋・船
金曜日の夕方、建築めぐり講座の仲間から今治ラヂウム温泉が特別公開されるという情報メールが来て
何とか行きたい!!と問合せたら見学ツアーの予約は大丈夫だったので、そこから頭の中フル回転して
あらゆる交通手段を検討。今日はマッサージを予約していたので大阪南港発のフェリーには間に合わず、
六甲港1:10発の新居浜行きに乗ることに。未乗航路で乗りたいと思っていたのでちょうどいいのだが、
このフェリーは貨物メインのため、港の公共アクセスが全くないのが問題(汗)。
深夜に六甲ライナーのアイランド北口駅から埠頭まで20分あまり歩くのはさすがに遠慮したいので、
タクシーを呼んでおくしかないな。。。そして新居浜東港も、最寄駅の多喜浜駅まで3km以上あり
交通機関はない。朝なので歩けないことはないが3~40分かかる。しかし・・・行きも帰りもタクシーに
乗ったら、今治までJRで行くのとあまり変わらなくなり、それは悔しい(爆)。仕方ない、歩くか。
覚悟を決めて23時過ぎに家を出、六甲へ向かったのだった。

ほろ酔いサラリーマンに混じって阪神電車に乗り、魚崎駅でタクシー会社に電話したのだが、
今全車出払っておりいつ手配できるかわからない、と。六甲ライナーでアイランド北口駅に着いたが
タクシー会社からの折り返し電話は来ないので、もう諦めて歩き始める(汗)。
港湾の道路はだだっ広く街路灯もあるのだが街路樹の陰は真っ暗闇。。。早歩きで20分、なんとか
ターミナルに到着。。。ほっ。


小さな箱のようなターミナルできっぷを買うと、送迎車が来ますのでしばらくお待ちくださいとのこと。
飛行機の搭乗のように、タラップまでバスで行くのかと思いきや、やって来たのは普通の乗用車。えっ、これ?
徒歩客4人乗り込んでタクシー状態(笑)。そして・・・えっ、これでスロープを上るのか!
なるほど、マイカーで乗り込む要領ね。なんか楽しくなってきたぞ~~

巨大なトラックに囲まれた甲板で車を降り、エレベーターで客室のあるフロアへ。

旅客フロア係員のおっちゃんの対応はやや無愛想(笑)。この味気なさが、貨物船ぽくていいなぁ~
おれんじホープは、南港~東予のおれんじ8や7に比べると簡素だけれど、レストランやお風呂もちゃんとある。




そしてこのフェリーの最低クラスは2等寝台なのだが、実は狭いながらも個室なのだ!いいね!!
帰りは東予~南港で取っているが、あちらは8人部屋の二段ベッドなので六甲~新居浜便の方がお得な気分♪


テンション上がって船内を偵察したあと、いつものようにデッキへ出て離岸を楽しむ。








お風呂は大きめの家族風呂のようなこじんまりしたサイズで展望窓もないが、24時間いつでも入れるという。
もちろん貸切、一番風呂。そして多分最終風呂(苦笑)。もったいないなぁ。。
一応このフロアはマイカー客のファミリーもいるのだが、誰も入らないのかな?



トラックの運ちゃん向けに、レストランは営業中。
しかしもう深夜2時だ。。。寝よ。

新居浜東港到着は8:10、早すぎずちょうどいい。また送迎車で港のターミナル建物前まで送り届けてもらう。




駅まで歩く覚悟だったけど、、、送迎車を運転してくれた旅客フロア担当のおっちゃんに念のため聞いてみた。
「駅までのアクセスはないんですよね?」「ないですね」
徒歩客のうち3人が周辺にいたので、なんとなく「駅までのタクシー、シェアします?」という話になり、
タクシー会社をスマホで調べていたら、さっきのおっちゃんが、「・・・よかったら、車出しましょうか?」
えっ!ほんとに?うわー助かる!珍しく徒歩客が3人もいたから不憫に思われたのだろう。


てなわけで、おっちゃんのプライベート(らしき)カーで、多喜浜駅まで送ってもらった。車だとあっという間。
1時間に1本の列車にも間に合って万事スムーズ。いや~めでたし。
愛想なさそうに見えたおっちゃん、ほんとは人情味のある方だったのね!本当にありがとうございました!


学生の兄ちゃんは船好きらしく、このアクセスに難ありのおれんじホープにももう何回も乗っていて
いつも駅まで歩いていたというが、今日はこんなに徒歩客がいて驚いたと言っていた(笑)。
もう一人のお姉さんは実家が四国で大きなスーツケースを持って帰省されるところだが、この路線は
初めてで、新居浜駅行きの接続バスがあるというガセ情報(笑)を聞いて乗ったらしい。


しばし同士としての連帯感が芽生え(笑)、多喜浜駅の跨線橋で兄ちゃんがお姉さんの重いスーツケースを
持ってあげたり、一緒に車掌さんからきっぷを買ったり、何か久しぶりに若い頃のバックパッカー旅を
思い出すような、ほっこり、とっても楽しい旅になったな!


兄ちゃんとは新居浜で、お姉さんとは伊予西条で別れ、私は普通列車を乗り継いで今治まで。皆さんよい旅を!

伊予桜井の木造駅舎。

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

度々熊本 馬門石を追って

2017-07-18 22:59:46 | 川・橋・船
熊本の続き。

※これは2016年11月の旅です。

松合のまちを後にして、三角半島の中央部付近に5つほど固まっている石橋を見に行こう。
松合からそのあたりまで直線距離だと10kmほどで、山越えすればダイレクトに行けるのだが、この雨で
山道を走る自信はさすがにない・・・土砂崩れでも起きたら(怖)・・・遠回りだが松橋の方までいったん
戻って行くことに。
途中の宇土市街地にも船場橋という石橋があるらしいから立ち寄ろう・・・と思っていたのに、宇土市街へ
入り損ねた(汗)
三角線と並行する道は気持ちよく、ローカル鉄道風景を見ながらのドライブは快適~~♪
雨もようやく止んできて、時折青空も見え始めた。

走っていると気になる看板が。「馬門石石切場跡→」。えっ、見たい!!
馬門石とは「阿蘇溶結疑灰岩」であり、鮮やかなローズピンク色が特徴。石好き、石切り場好きの私と
しては見に行かない手はない。
看板を追ってずんずん進んで行くと、小さな集落の狭い道へと入り込んでいく。


小道を指して「馬門石石切場跡→」の看板。え~、車を停めるところがないよ~~(汗)
近所のおばちゃんに声をかけたら、少しの間ならそこに停めてていいよ、と言ってくれたのでお言葉に甘え、
歩いて山道へ入り込む。


こういう時一人だとちょっと怖いんだけど・・・スズメバチとか、野犬とか・・・
まぁそういう想像は振り払い、進んでいく。おばちゃんが、広場になってると言っていたのを目当てに
雨でぬかるんだ道を時々アクロバット的に越えながら入って行くが、5分ぐらい行っても見当たらない。


神社は出てきたけど石切り場らしき場所は見当たらない。脇を流れる小川にはローズピンク色の石の
かけらがたくさんあり、近いことは確実なんだけど、、、心細くなってきて、もう諦めようかと
引き返し始めたら・・・


あっ、ここか!!ただの資材置き場かと思ってスルーしていた場所がそれだったのだ。


露天の岩山を切り出していた場所で規模はそれほど大きくない。草に覆われてあまり分からないが、
岩山にパイプが立てかけてあったり、切り出した石の塊が転がっていたり、確かにここで採石作業が
行われていた名残がそこここに見られた。


集落の中では家の基礎石や家の前の溝に架けた橋や鳥居や、やっぱり何でもピンク色をしている。


臼か?手水鉢か?


さっきの牧神社と同じく、こちらの鳥居も馬門石製。


雨に濡れて色味を増している。美しいなぁ~


そしてこれがアーチの石橋、馬門橋。その名の通り馬門石を使って造られたピンクの石橋なのだ!
うわ~面白いなぁ!


・・・と、こういう時によりによって、カメラのレンズの内部が曇ってしまってどうしても晴れてくれない。
もう~~~っ(涙)
仕方ないのでスマホで撮る。トホホ


そして付近にあるらしき平原橋を探しにまた別の集落内へ入って小川や水路を注視しながら流すが
見つからない。車を降りて人に聞いてみてもよく分からないようだ。


何度もうろうろして超不審(苦笑)。・・・あれっ、もしかしてこれ!?


これだぁ~~!こんなん分かるわけない~~(爆)


アーチの輪石のみ残り、一部がアスファルトから露出しているのだが、水路側から見ないとそれがアーチの
一部だとは誰もわからないだろう。これが「平原橋」という名のついたれっきとした石橋だとは、これを踏んで
通りすぎる車のどれほどが気づいているだろうか!?

もうまるで宝探し。いやぁ面白いなぁ!!

上流へ走ったところで見つけた馬立橋と網引橋。いずれもコンクリートで補強されておりもはや石橋とは
呼べないかもしれないが、馬門石のピンクの輪石がちらりと見える。



猪伏橋というのは探したが見つからなかった。小さな橋だったのだろうか。

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

度々熊本 美里町の石橋めぐり

2017-07-10 22:04:44 | 川・橋・船
熊本の続き。

※これは2016年11月の旅です。

国道218号を走っていると、去年も来た馬門橋にさしかかる。
前回は降りて行く小道にロープが張られていて、雨も激しくなってきたので退散したのだった。


小道も復旧したようで、石段を降りて土の道を少し行くと、滝の音が聞こえてきた。そして・・・


うぉ~~っ!!これが前回見損ねた馬門橋か!


欄干の笠石が落ちているのは震災による被害だな。しかし本体部分は無事のようだ。


積み方が二層構造になっているのが珍しい。この馬門橋は江戸時代に造られたが、後年橋を補強するために
上段部分を積み上げられたと考えられているそうな。通りやすくするためにかさ上げしたのかもしれない。


見事な石積みのアーチは緑色に染まるほど苔に覆われ、滝の音が周りのすべての音をかき消して、
深い山奥にいるかのような錯覚に陥る。


あぁ、何という幽玄な世界。。。心が洗われる。静かな感動。。。

見に来てよかったぁ!リベンジで見れてよかったぁ!!


国道218号沿いは「石橋銀座」と名付けたくなるほど実にたくさんの石橋が点在する。
前回、二俣橋(二俣渡・二俣福良渡)、年祢橋、小筵橋、山崎橋の5つの橋を見た。
他の橋も探したが見つけられなかったものもある。

大窪橋の案内板が目についたので最後の寄り道を。


田んぼの中の小川にかかった橋は小さいがその味わい深さはかなりのもの。




いや、小さいことで味が凝縮されていると言える。石自体の質感、積み方、全体のフォルム、ロケーション、
全てにおいて完璧に近い。

山崎橋に勝るとも劣らない美橋である。





路面の土が流れてしまっているのが心配。。。


多くの中小の石橋は過保護な保存をされず、雨風に晒されている。これまで百年以上もそのような状態で
きたのであり、だからこそ、心惹かれる自然な佇まいを保っているのだが、訪れる人が増えてくると
やはり傷みが早くなる。それで立入禁止にしたり新しい材料で改修したりすることになってしまうのは残念で、
ジレンマを感じる。。。


佐俣の湯は変わらず気持ちいいお湯だった。
日暮れとともに雨が降ってきた。道の駅への寄り道は明日に回して、夕食に間に合うよう宿へ向かおう。


有明海に面した宿の食事は海の幸がいっぱいで美味しかった。

せっかくのシーサイドビューなのに雨は激しくなる一方・・・(涙)

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

度々熊本 通潤橋の裏側と霊台橋

2017-07-09 23:03:26 | 川・橋・船
熊本の続き。

※これは2016年11月の旅です。

円形分水を見たあと来た道を戻っていると、おや、こんなところにも「通潤橋→」の案内が??ははぁ、裏側か。
さっき見た道の駅が通潤橋観光の表玄関だろうから、こんなところからアクセスする観光客はまぁいるまい。
もしかしたら通行規制されておらずすぐそばまで行けるかもしれないぞ(笑)
ちょっと行ってみよう。

地形に忠実にくねくねと曲がった小道の横には、同じくくねくねとした水路が通潤橋へと向かう。
歩くスピードより少し速くさらさら流れていく水を追いかけながら、ちょっとしたハイキング。


いやぁ、これは壮観な棚田!いいなぁ~、気分は上々。


田植え後の水を張った田んぼや青々した稲、収穫前の黄金色の稲穂など、季節ごとに絵になるだろうな!




20分ぐらいだろうか、結構歩いたな。。。前方に通潤橋が見えてきた!


しかしやはり橋の上へ続く道は途中でバリケードが立てられているのが見え、その先へは行けないようだ。
やっぱりダメか(苦笑)。手前の道を少し下ってまた違う角度でアーチを眺めた。

三方から通潤橋を楽しんでもう満足!!

後日ステンドグラス教室の体験で、このとき満喫した通潤橋をモチーフにして作ってみた。→こちら

さて通潤橋から西へ走ると美里町に入る。国道218号は美里町を東西に貫く幹線で、この沿線には石橋が
たくさんある。前回Tさんと一緒に石橋めぐりをしたのもこの沿線だし、次に目指す霊台橋もこの沿線にある。
先に見えてきたのは細い鉄骨造の橋。これは霊台橋に並行してかかる車道橋だ。こちらもなかなかカッコイイな!


そして本命の霊台橋は、、、おぉ~~っ!長い!高い!美しい!!


まずは河原へ降りて見上げてみよう。うわぁ~、アーチの向こうに緑色のトラスが見える。
河原の中段にはおしゃれなカフェができていた。恰好の石橋ビューだな!

あっ、観光客がぞろぞろやってきたぞ。先に上を撮っておけばよかったな(苦笑)

霊台橋は江戸時代のアーチ橋としては日本最大級だという。長さ89.86m、高さ16.3m。
径間28.4mは明治時代以前に造られた橋では日本一だそうだ。
アーチの径は基本的に川幅に比例して大きくなる。そして谷が深ければ高さが高くなり距離も長くなる。


下を流れる緑川水系の船津峡は雨が降るたびに増水する難所で、木の橋は幾度となく流されたという。
永代不朽の橋をと願い、梅雨と台風の時季を避けて7ヶ月の突貫工事で造り上げたのがこの霊台橋だ。
1847(弘化4)年に完成してから現在まで流されることなく、人々は安心して暮らせるようになった。


1960年代までは何とここを観光バスも走っていたらしい。すごいな!!
さすがに交通量が増えてきたので上流側に新しい鉄骨の橋を作ったのだ。


1966(昭和41)年に新霊台橋が完成したあとは歩行者のみしか通らないが、未舗装の路面は
土がだんだん流れてしまっているな。。。


重要文化財にもなっている霊台橋は観光地としても人気で、脇の駐車場には観光バスもやってくる。
写真を撮ろうと思ったら大勢の人がフレーム内に入り込んでしまうので、写真を撮るのには苦労した(汗)。


さぁ、ずっと見に行かねばと思っていた大物2つを見たので今日はもう達成感あり。
前にも行った佐俣の湯に浸かってから宿へ向かうとするか。

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

度々熊本 円形分水と美しい石蔵

2017-07-08 21:17:53 | 川・橋・船
熊本の続き。

※これは2016年11月の旅です。

近くに円形分水があるらしいので行ってみよう。
通潤橋から円形分水へ向かう途中に聖橋がある。これもかなり大きなアーチで堂々たる姿だ。


現役の車道は後年横に作られたのだろう、手前の草むした道が1832(天保3)年につくられたもので、
歩行者は今も使っているように見える。


180年以上前に作られた石のアーチ構造が今なお変わらず鑑賞の対象としてだけでなく人々の実用の役に
立っているとは、本当に素晴らしいな!


そこから川沿いの道を走り10分ほど行く。「円形分水」という案内が出ているので安心して進むことができる。
ちゃんと観光資源として位置づけられているのだ。
円形分水は円筒分水とも呼ばれ、たいがい田舎の農地の片隅などにある。長年農地としてままならかった
地域への灌漑施設の一部としてや水争いの続いてきた地域に平和的解決策として作られることが多い。
近年土木遺産として注目されてきており、田舎の観光スポットになっている。
ここでも美しい里山の集落の一角にトイレと駐車スペースが整備されており、一組の先客がいた。


うわぁ、美しい。正円形の同心円状のますの中央から、透明な水がもりもりと湧いている。
コンクリートの縁を乗り越えた水はカーテンのようにふわっと広がりながら全方位に等しく流れ出す。
・・・実際は一部枯れ葉が溜まっていて妨げられていたが(苦笑)
生活がかかっていた時代にはメンテナンスに余念がなかったことだろう。


この円形分水は通潤用水の一部施設である。
通潤用水とは、三方を川に囲まれた高台であるため水に不自由していた白糸台地の農民の強い願いを受けた
惣庄屋の布田保之助の尽力により整備された灌漑用水で、笹原川の上流から取水している。1857年に完成。
円形分水は1956(昭和31)年に完成している。それまでは樋などで分水していたと思われるが
水量をめぐっていさかいもあったことだろう。


用水の水はこの円形分水で正確に7:3に分けられ、そのうち7が通潤用水として通潤橋を通って
白糸台地へ運ばれる。水は用水路を経て上の田から下の田へと無駄なく引かれ利用される。
通潤用水の受益地は118ヘクタール。水が来ることにより荒地が作物を生み出す土地に変わるのだ。


これもまた逆サイフォンの原理であり、ここからいったん地下へ落としたパイプを通じ円形分水の中央に
垂直に湧き上がらせることで、水流に左右されない分水が可能となるのだ。


すっかり葉の落ちたイチョウの脇で、絶え間なく溢れ出す自然の恵み。本当にありがたいことだなぁ。


ところでここの集落に見られる石蔵が実に味わいがある。凝灰岩と見られる濃灰色の石を整形して積み上げ、
なまこ壁のようにしっくい目地を盛り上げてあり、コントラストがくっきりと際立つ。


石造建築の蔵は特に珍しくないが、これはかなり派手で見映えがするな!それも邸宅などでなく
普通の農村で誰に見せるものでもないのにこんな美しい仕上げをしてあるのだ。




小さな集落の中を歩くとすぐ3棟見つかった。土壁と併用しているもの、全部を石積みとしているものがある。
いずれも道路に面した目立つ場所に建ち、少しほころびはあるもののどっしりとして主屋以上の存在感を示している。




このような石蔵は今回の旅の間でもここでしか見かけなかった。


美しい田園の中の美しい集落。こういう風景にふと出会えるのも旅の楽しみ。


続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

度々熊本 通潤橋を見に行く。

2017-07-07 23:36:22 | 川・橋・船
熊本の続き。

※これは2016年11月の旅です。

さていよいよ本丸の通潤橋へ。まちなかを走り抜け「道の駅通潤橋」に入ったら、、、
あっあれか!駐車場から見渡す田畑の奥に、大きな半円アーチが左右の山をつないでいる。
もっと山深いところにあるのかと思っていたがこんな人里のすぐ脇にあったのにもちょっと驚いた。
・・・そして、思ったほど大きくはないんだな。。


田んぼの方へ歩いてみると、、、おや、アーチの下へと続くあぜ道は全て途中にバリケードが置かれていて
「立入禁止」と。。。ええっ、真下まで行けないの~?
ここからだけじゃちょっと迫力に欠けるなぁ。。例の地震で石積みがずれたりしたのだろうか。
素人が見る限りでは傷んでもおらず危なそうな感じはないが。

通潤橋の下をくぐる川はゆるやかな流れで、向こう岸には説明板が見える。通常ならあそこまで
行けるのだろう。

水路橋である通潤橋は中を水が流れており、中央部から下の川へと放水する様子は
とても迫力があり是非この目で見たかったのだが、今は上の水路はブルーシートがかけられ
水は橋のたもとから下の川へと流されている。。。

熊本県で、いや日本でいちばん有名な石橋だろう。さすが緻密で美しい壁石。そしてエッジのきいた鞘石垣。
気品があるな!復旧するかなぁ。してほしいなぁ。

さて、車でもう少し上まで行ってみよう。前は通潤橋の上を歩けたようなので、上からのアクセスもあるはずだ。

ここだな。近くには五老ヶ滝というのもあるようだ。
脇にある神社の境内に地元の人たちが大勢集まってシートを広げ宴会をしている。何か楽しそう~(笑)
近くにいたおっちゃんに聞いてみた。
「通潤橋の上に行く道はどっちですか」「あっちだけどねぇ、ちょっと行ったら見えるよ」
「閉まってますね、入れないんですか」「うーん、地震があったから閉めてあるけど、そのへんまで
ぐらいなら行けるのは行けるよ」「そうですか、ちょっと行ってみます」
神社の横から50mほど降りて行くと、通潤橋が見えた!おお、これか!


この橋の中に水路が3本通っているのだ。
ここまで来てなんだか私はデジャヴを感じた。。。あれ、来たことあったっけ??いや、ないな。
もしかしたら京都の水路閣と記憶が混じっているのか・・・(汗)

やはり水路橋としての機能はストップしており、通常なら渡ってきた水がなみなみと満ちているはずの
水路も空っぽ。しかしそれだけに構造までよく見える。
ここは吹上口。取入口との1.1mの落差を利用した逆サイフォンで、谷に囲まれ孤立した白糸台地に
1日あたり15000立米もの水を送るのだ。


水が送られなくなって干からびた水路・・・今は農業用水はどうしているのだろう。下の川からポンプで
くみ上げて使っているのだろうか。






導水管のパーツが置いてあった。水が漏れないように二重に溝が切られ、しっくいでしっかりつなぎ
合わせて作られたというのは、昔、本で読んだことがあるな。


さっきの道の駅にいる人が小さく見える。手すりもないし、橋の上を歩くのはかな勇気が要りそうだ(汗)



五老ヶ滝への道も閉鎖されている。別のおっちゃんに聞いたら、150mぐらい下だとか。
遊歩道が崩れて通れないという訳ではないらしいので、自己責任でちょっと行ってみよう(苦笑)
あとで上らなければいけないことを極力頭から排除しながら下って行くと。。。
ようやく音が聞こえてきた。


うぉーっ!木々の間から見えたのは、文字通り壺のようにそそり立った岩に囲まれた滝壺。
ドドドドーっという重い音が、垂直に落ちる水のボリュームを示している。


まるで一度落ちたら這い上がれない構造の食虫植物のようだ。


柱状節理の露出した滝の壁が「返し」の役割をしている。


水の一部は水面に激突して霧になり、もうもうと巻き上がって水面を覆う。
すごい迫力。あぁ見に来てよかったぁ!

ただ、上りの石段のしんどいことしんどいこと・・・・(苦笑)

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

度々熊本 山都町の石橋めぐり

2017-07-06 23:39:19 | 川・橋・船
またちょっと古い旅のことを。。。これは去年の秋に熊本へ行ってきた時のこと。

ANAのパックで伊丹から熊本へひとっ飛び。今回も空港からレンタカーで、向かうは通潤橋だ!
通潤橋も昔からずっと行きたいなぁと思っていた。熊本にはこれまで結構来ているが、通潤橋は空港から
宮崎寄りの方向にあり、まちとは逆方向なのでこれまでなかなか「ついで」では行けなかった。
それで今回は最初にそこを目指すことにしたのだ。
震災でまだあちこちの道路が寸断されており、路面にできた段差は応急措置だが走れるだけありがたい。
深い山の中の道かと思っていたが、高原のような緩やかな丘の道が多く、ドライブは快適!

ゆっくり1時間ほど走って、国道445号に出てきたあたり、前回も活躍した石橋マップによると
いくつか石橋があるらしい。メインに行く前に小手調べといこう。案内表示があるかな。。。


あっ、あった。「立野橋」の名が書かれた小さな緑色の表示板。しかし一見したところ石橋は見当たらない。
車を停めて小川の方へあぜ道を降りて行こう。川のほとりにも同じ緑色の表示板が立てられているが、、、
???どこのこと???


キョロキョロ見回し、川を覗き込み、用水路も覗き込み、、、橋はいったいどこにある??
見つからないのであきらめて戻ろうかと思いかけて、最後に田んぼのほうへ降りてみたら、、、


これだ!!確かに石橋だ。しかしどちらかいうと用水路のトンネルっぽい。いや、この上には細い
水路が通っているのだ。そうすると水路橋か。水路を立体交差させるための石橋なのである。
しかし立派な壁石積みや、袖石垣まで見事なものである。逆光が半端ないが・・・(汗)


この橋の上には「日向往還道標」と彫られた石標があった。水路だけでなく人が行き来していた道だったのか。
いやはや、この隠れ石橋、素敵なロケーションとユニークな構造じゃないの。ん~面白い!

石橋めぐり、どんどん行こう!!

前回天草の旅の時にTさんが観光協会から取り寄せておいてくれた石橋マップはかなり小さな石橋まで
載っていて、この近くに石橋あるかな~、と調べるのにとても重宝するのだが、詳しい場所まではさすがに
載っていない。だいたいのアタリをつけて、あとは現地でキョロキョロ探すしかない。
これが宝探しのようでとっても楽しいのだ(笑)。

次の金内橋は比較的楽に見つかった。国道から集落へと渡るこの橋は車も通れる大きな橋だった。
下の川は河底の岩盤が露出していてなかなかワイルドな風情だ。


橋のたもとに整備された駐車場に車を停めて近寄ってみよう。親柱や欄干はモルタル塗りだ。
橋の長さは31m。さすがにこの大径間を支えるために石積みアーチの縁のみコンクリートで補強してある。


おや、川の横に水路が作られていてアーチが親子になっているぞ。川の上流側で取水して別のところへ
水を送っているようだ。


この小アーチの方は補強もされておらず石積みがそのままでなかなかいい感じ!
よく見えるところがないかな。集落の道を歩いて川にアクセスできるところを探す。


これはなた豆だな。どうやって食べるのかな。。。


水路の横に下りられるところを見つけて橋にアプローチ。
輪石も橋の裏側も石だけで目地も補強もなく、アーチ構造によって支えられていることがよく分かる。


秋晴れの日に橋の下で石積みを愛でる、ゆかいなハイキング(笑)


国道に出て見ると二つのアーチがきれいに見えた。あぁいいなぁ!!人々の生活をこんな美しいアーチが
長年支えているのだ。


里の道を走りもう一つ、鹿生野(かしょの)橋にやってきた。


これは確かにアーチ橋なのだが、橋の側面がコンクリートで固められてしまっている。
橋の形とシンクロした欄干の扁平アーチの連続モチーフはリズミカルで小気味よい。

これら3つの橋はいずれも江戸時代の嘉永年間に作られた石橋。160年以上も昔に作られた橋が
今も現役で、しかも当時は車の通行など想像だにしていなかったにも関わらず、それに耐え
びくともしないなんて、アーチという構造、そしてそれを施工した石工の技術の高さには驚くばかりである。

マップによるとこの付近には滑川橋と夕尺橋というのもあるらしいのだが見当たらず、少し引き返して
みたけど見つからなかった。今検索して見たらかなり小さな橋のようで、見つけられなかったのも
仕方ないな。。。

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾道歩き 渡船で向島へ渡る

2017-03-28 22:32:00 | 川・橋・船
尾道の続き。

※この記事の旅は去年の3月です。

尾道のまちの向かい側には、その名もズバリの向島がある。その間を隔てるのは幅約300mの尾道水道。
まるで川のようで、手が届きそうな対岸には造船所が広がっている。


尾道の町と向島の間には渡し舟が何ヶ所も通っていて、渡船好きの私としては、これに乗って行き来して
みたいとずっと前から思っていたのだが、これまで乗る機会がなかった。
そして今回はようやくこの念願を果たすことができた!


尾道の市街地には少なくとも3ヶ所、向島行きの船乗り場があった。しかし前はもっとたくさんの航路が
あったように思うのだが、やはり減ったのだろうか。。。
向島渡船の船はフラットで車も2台ぐらいなら積める、一応カーフェリーだ。


動き出したと思ったらあっという間に対岸に近づく。乗船時間は5分もなかったかも・・・
向島はかつて海賊村上水軍の拠点でもあったとか。


船着場の脇にあるこの小さな建物は、大林宣彦監督の映画「あした」のロケ用に作ったものらしい。

向島のまちを歩いてみると結構多くの人が住んでいるのが分かる。離島ではなく、尾道のまちの一部
という感覚。

ここは結構有名な後藤飲料水工業所。1930(昭和5)年創業、昔ながらの瓶入りラムネなどの
ドリンクを作っている。しかしこのときは閉まっていた。残念。。。




どこかのサイトで見たレンガの工場建築を探して歩くが見当たらない。人に聞いても分からない。
もうとうの昔になくなってしまったのか。ショッピングセンターが建つ場所が工場跡地なのだろうか。。。


見るほどの建築はなかったけれど、レトロなパン屋で買い物したり、路地を覗き込んだりして散策を楽しんだ。






尾道のまちへ戻ってきた。そろそろ駅へ向かおう。商店街にはレトロな甘味処もあって惹かれるが・・・




最後に駆け込みで、駅裏の画廊喫茶孔雀荘へ。


お茶を飲んで最後に一息・・・もあるが・・・


目玉はもちろん、このステンドグラス!ステンドグラス横の特等席には先客の女の子2人が座っていた。
列車の時間が刻一刻と迫り・・・女の子たちにちょっとお願いして写真を撮らせてもらった(笑)。ごめんね~~


さて、こだま指定席きっぷは福山往復で買っているので、福山まで在来線で移動しよう。


続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南九州△ フェリーで宮崎へ

2017-02-10 22:49:50 | 川・橋・船
この一年間、九州に何度行ったか分からないほど行ったのだが(苦笑)、アップしていない旅も
いっぱいあって、前に行った時の話を引用しようと思ったら、その時の記事をまだ書いてなかったりで・・・
いつもその時その時の気分の盛り上がり順でランダムに書いているのだけど、ここはちょっと本気で(笑)
古いものも書いていこうと思う。・・・ということで、すでに1年以上前の2015年の年末の旅。
※熊本の地震前であり、状況が変わっているかもしれないことをご了承下さい。

宮崎って、何かある・・・?
ピーチの宮崎便が出来てから何度も使おうかと考えたのだけど、どうも宮崎の見どころにピンと来ない。
高千穂へは行ってみたいと思っているのだが、そこは宮崎というより阿蘇に近いし、他県のスポットと
組み合わせるにしても、大分や鹿児島まで特急で2時間、3時間となるとお金も時間もかかる。
ぐるっと周遊できる路線もないので、これまで効率のいい宮崎旅のプランが作れなかったのだった。
一方、宮崎カーフェリーが大阪南港発着だったのが少し前に神戸港発着に変わったのを記念して、早割だと
4000円で取れるキャンペーンがあり、何とか使えないものかと考えていたが、ついに宮崎旅を実行した。

前置きが長くなったが、宮崎カーフェリー。三宮駅から海に突き当たるまでずっと南へ歩くと
フェリー乗り場があった。


おっ、フェリーがとまっているな。あれか!
歩いて港入りする人はあまり見当たらないが・・・こんなアプローチは気分が高まるね!!


空中通路を通って乗船。港のライトに彩られたこうべエキスプレス。
別府行きのさんふらわあや東予行きのオレンジフェリーと違い、車の乗船口が側面にあるのが珍しい。


二等船室は昔ながらの大部屋。最近は大部屋と言っても20人ぐらいのドア付きの部屋が廊下に面して
並んでいることが多いが、この船ではこのような大空間を皆で共有する。
女性用コーナーはあるものの壁はないという今どき珍しい、良くも悪くもレトロな仕組み。


デッキに出て離岸のときを楽しもう。上から見下ろす港の風景が好きだ。


車両用のスロープは折りたたみ式で格納。


静まりかえった港は深夜のように思えるがまだ19:10。宮崎まではやはり少し遠く時間がかかるため
出発は早く到着はゆっくりめ。海に出てしまうとWi-fiもなく、お風呂に入ってゆっくり寝られる(笑)


13時間半のクルーズを経て、ヤシの木が南国気分を盛り上げる宮崎港に到着。
8:40という到着時間は真冬でもしっかり日が昇り、到着と同時に活動開始できるいい時間。
到着時間が早すぎると、特に冬なんかは・・・寒さと眠さと心もとなさで心がひるんでしまいがちだ(苦笑)


さぁ、バスで宮崎のまちなかへ移動しよう。

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の熊本旅 石匠館と東陽町の石橋

2016-12-22 22:22:21 | 川・橋・船
宮原からの続き。

思わぬ寄り道ですっかり遅くなってしまい、石匠館に着いた時にはもう4時だった。滑り込みセーフかな!?
・・・おおっ!
谷筋の集落のはずれに立地する石匠館は、地味な資料館のイメージを勝手に持っていたが、
建物自体が石積み意匠ですごくおしゃれ!外構部も同じ石使いでトータルにデザインされている。
門のところの獅子は何か唐突な感じだが・・・


雨でしっとり濡れた石匠館は、小川に架かった石橋のようにまわりの風景に自然に馴染み
それでいてシンボリックで、とても素敵な建物だった。


建物の写真を撮ってからエントランスへ向かうと、、、おや?・・・「閉館しました」・・・?
えーーーっ、閉まっちゃったの!?ここまで車を走らせて来たのに。しまった!あちこち寄り道
してるんじゃなかった~(汗)

ガラスドアの前で呆然と立ち尽くしていると、、、横の扉から人が。
「入られます?」「もう閉まったんですか?」「入場は4時までなんですが、姿が
見えたんで。どうぞ入って下さい」
あぁよかったぁ~!

いったん消してあった電気もつけてくれて、45分ぐらいまでは大丈夫ですよ、と。
建物は、中国湖北省から3人の石工を呼んで積んだという石の壁に囲まれ、ドームの空間には
柱がない。上から見ると2つの花を組み合わせたような形をしていて大きい方が展示室、
小さい方がホールである。


展示室の中は写真撮影禁止なのは残念だが、中央に組まれた大きなアーチ橋の支保工が壮観!
アーチの石橋を作るには、先に木材でアーチ型の土台(支保工)を組んでおき、
その上に輪石を並べて最後にキーストーン、くさび石とも呼ばれる頂上の石をはめ込むと、
上からの圧力が石どうしを押し合う力となりアーチが強固に保たれる。
そして壁石と呼ばれる橋の側面の石を積み上げて、上が水平になるよう形作る。

アーチの技術はもともと西洋のものだが、種山石工の祖と呼ばれる林七という人が
出島に来ていたオランダ人からその技法を秘密裡に教わり、熊本へ戻って広めたらしい。

そこに展示されているのは、一般的な解説資料もあるが、石橋のありかを無数の点で示した地図や、
何十人もの石工個人の存命年表、石橋の造られた年代を模造紙に記した年表など、すごい年月と
フィールドワークを経てまとめられたであろう手書き手作りの資料の数々。
石工一人一人の人生まで写し取ったようなそれらの資料から放たれるオーラはすごい!
執念、いや愛情だろう、それがもうビシビシと見る者に訴えかけてくるのである。
こぎれいなパネルの資料ではこれほどの訴求力はないだろうから、是非ともそのままにして
おいてもらいたいが、先述のテレビ番組で石工が取り上げられたこともあり予算がついたとかで、
今後ちょっと資料もきれいにしていくと職員の女性の方が言われていた。
あの生々しい資料でないと伝わらないものもあると思うなぁ。。。


展示も、建物も。45分そこそこでは見きれない石匠館である。
石垣や石橋や石が好きだという話をしていたら、お好きなら、と小冊子を頂いた。
ここの展示資料は名誉館長による研究だとのことで、熊本県内の石橋すべてを調査した本も出されて
いるという。

この近くにもいくつかの石橋があるというので、まだ明るさが残っているうちに見に行くことに。
石匠館から川を遡ってさらに山奥方面へ向かい、20分くらい走ったところで石橋発見。ストップ!


谷川橋。集落へアクセスするための人道橋だ。生活に欠かせない身近な橋。


よく見ると鋼鉄製の桁がアーチの上に乗っている。実用面から補強されたのだろう。


さらに進んでみよう。
そろそろ日が落ちてきた。めあての橋はなかなか現れずちょっと焦りながら、帰りはもう
真っ暗なこのくねくね道を走らなければならないことにやや不安も感じながら、、、
おっ、あれだ。ストーーップ!


むむむ、車を停めるスペースがないなぁ。おや、前を走る車がハザードを出している。
あの人も橋を見に来たのか?緩やかなカーブの先でいったん停めようと減速したら、前の車も
同じように停まろうとしている。2台前後に並んで停車したら、前の車から人が下りてきた。
あれっ、さっきの石匠館の方じゃないの!?


雨の中車を下りてこちらに近寄って来られ、
「ここはちょっと危ないのでUターンして反対側の広くなってるところに停める方がいいです。
そこから河原にも下りて見られますから」と。えぇーっ、追いかけて来てくれたの!?
「分かるかなと心配だったんで」
お住まいとは全く反対方向の山の中まで、わざわざ心配して来てくれたらしい。何て親切なんだろう!
感謝、感激!あぁ、東陽町まで来てよかったぁ~
安心して戻って行かれる車のテールランプを見送りながら、心から感謝。。。


おおー、さすがに東陽町で一番の石橋。カッコイイ~!


清らかな水の流れ、背景の山々。その中にひとつ、幾何学的なフォルム。あぁ美しい。
河原から見上げ、渡り、どこから見ても絵になる。いやぁ~いいねぇ!




石積みの段々畑で青々と茂った葉っぱは生姜。
この町は生姜の生産で有名だそうで、川沿いの生姜畑と石橋のコラボは東陽町の原風景だ。


明日は生姜祭という町のいちばんのイベント日だということでテントも張って準備されていたが
この雨はほんとにお気の毒・・・石橋見物には雨も悪くないんだけどね。。。

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みのり橋 見納めか

2016-11-26 00:10:57 | 川・橋・船
1ヶ月ほど前に兄からメールが入った。みのり橋がなくなるよ、と。
ええっ!!あのみのり橋が!?
なんでも、みのり橋がその敷地内にある奈良県農業研究開発センター(元・農業試験場)はすでに
移転していて、跡地は県立医大のキャンパスになるらしい。
もう一度よく見ておきたいと、実家へ帰ったときに兄に連れて行ってもらった。

現地に行ってみると、もぬけのから。。。いや、一部はまだ使っているようだったが、広大な敷地に
人の気配はなくガラーンとして、寂しいことこの上ない。。。
しかし里道が通っているとみえ、門は完全に閉め切られていなかったので、敷地内を通り抜けて
みのり橋の方へ行く。

おぉ~~!およそ6年ぶりに見るみのり橋はあいかわらずインパクト大!


斜張橋ふうの形だがコンクリート造で洗い出し仕上げ。
木造建築の意匠をコンクリートで表現した和製モダニズムに通じるものがある。
しかしこの形は和風なのか、いや洋風か!?う~ん、独創的!!


下を流れるさくら川に対して斜めに架かっているためか左右の欄干がずれているのも面白い。


「昭和九年八月架設」。これはかなり貴重な土木遺産だと思うのだが、ネットで検索しても
あまり出てこない。ほとんど知られていないのではないだろうか。


親柱(?)の上には照明器具が載っていたらしき痕跡がある。ここに光が灯ったら・・・素敵だろうな!


柱の外側に「みの利ばし」のプレート。さくら川の川面から橋を見上げる船が通っていたのだろうか?


どこから見ても魅力的なみのり橋。兄によると、ここは大学へのメインストリートとなるらしく
みのり橋は確実に撤去されることになる。


あの辺は掘れば必ず遺跡が出るだろうから建物が建つのはまだまだ先だろうが、周辺から手を入れて
行くかもしれないので、みのり橋はもうこれで見納めかも・・・
秋晴れの黄昏時、いちばん美しいときに見れてよかった。


川べりの桜が満開になる季節まで残っていたら、もう一度見に来たいなぁ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする