記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

「失われた九州王朝」

2011年01月15日 11時32分33秒 | Weblog
読みかけの本が何冊もあるのに図書館から大部な本をまた借りてきた;
古田武彦 2010 失われた九州王朝:天皇家以前の古代史 ミネルヴァ書房
面白いが、一気には読めない。

学校の時間割なら算数、国語、理科、社会、・・・が1時間毎にあって混乱したこともなかったが、丁度時代が重なる本;
足立倫行 2010 激変!日本古代史:卑弥呼から平城京まで 朝日新書
があって、思い出しては拾い読みし、何がどっちに書いてあったか紛らわしくなった。
「激変!」は色々な人を訪ねて主張を聞き集め、足立本人は感想を述べるが主張はしていない。古田武彦の話は出てこない。
「九州王朝」は克明な文献考証によって記紀批判をしようという個性の強い主張である。
多岐にわたる膨大な論証をうっかり読んでいると筋が見えなくなる。

最近は本を読みながらネットで検索するのが癖で、本の中で周りが見えなくなったらネットを参照すると、そこに書いてないことまで読めてくる。

「九州王朝」をキイワードにしてGoogleで検索したら沢山ヒットし、あらすじや評判など様々なことが出てきた。
江上波夫の騎馬民族征服王朝説でも朝鮮半島から九州に上陸して東征した王朝が九州にあったときを九州王朝と言っているが、両者に接点はないらしい。

古田武彦には朝日新聞社から
「『邪馬台国』はなかった」1971,
「失われた九州王朝」1973、
「盗まれた神話」1973
の初期三部作があり、それぞれに新しい章を加え復刊したのがミネルヴァ版。

初めて読んで少し混乱したが、最初の論文は「邪馬壹国があった」ことを否定しているのでない。出版社の意見でそのような題になったが、魏志倭人伝のそれは「邪馬台国」ではない、と。
「台」は魏志では「壹」であり、宋の時代になってから後漢書が著わされたときから「臺」になった。
いずれにしても「ト」とは読まない。大和の王朝とは別だ、と。

卑弥呼の国は九州博多湾岸に存在し、倭国の中心王朝として続いてきた国だと、いうのが論旨。
志賀島の金印は漢の光武帝が倭族の国々を代表する委奴の王に贈ったもの。漢にとって倭族は、臣従しない匈奴と対照的におとなしいので委奴と呼ばれ、その中心王朝が世々中国に朝貢し、認証を得てきた、と。

宋書にある倭の五王「讃、珍、済、興、武は」は、応神(第15代)から雄略(第21代)までの7人の天皇のどれかに当たると解釈されてきたが、矛盾や不具合が多い。
卑弥呼の倭国を継ぐ5世紀の王たちが朝貢のために自ら中国風に一字の名を付けたのであって、大和の天皇とは関係ない。
卑弥呼の宗女委与はその先例で、邪馬台国の国名(倭=委)を姓とし名を与とした、と。

卑弥呼は神功皇后だとみなしたり、神武天皇と崇神天皇は同一人物だと解釈したりして年代の整合性をつけようとする古代史観があるが、そうした無理を重ねる必要はないということになる。

「日出ずる処の天子・・・」と表した詔書を携えた遣隋使は推古朝の聖徳太子が遣わしたとされてきたが、中国側の文献通りに読めば、これも大和の王権ではなく、九州の王朝が北朝と対等だと主張して「俀(タイ)国」を名乗り、その王が送ったのだ、と。
600年と607年に遣隋使を遣わしたタイ国の王は、姓をアメ、字をタリシホコ、王の妻はキミと号し、王子はワカミタフリと為すと記録されていている、と。
詳細な論証を読む限り、聖徳太子説に可能性はない。
俀国は倭国とは別らしいが、大和の国ではない、と。

ちなみに、大和の大王は豪族の中の最有力者のことだという意味では、当時の大王は蘇我氏であり、遣隋使を遣わしたのは蘇我氏だとの説もある。
最初の遣隋使に対して隋の煬帝は怒って受け入れなかったとあるが、九州であれ大和であれ、日本における王権の交代を認めなかった、と言うことかも知れない。

この本を読むまで全く知らなかったのは、大和王朝による年号制定の以前に九州王朝による年号が有ったことである。
倭国は502年を最後にして中国南朝と不和になって交流を止め、南朝の年号が使えなくなり、自前の年号を作るようになった。
大化、白雉、朱鳥などがそれである、と。

復刊時には初期の論文とは見解が変わったためかどうか「磐井の乱」については何を言いたいのか、論調がハッキリしない。
九州王朝は7世紀まで続いたと言うのだが、朝鮮半島へ兵を出し、白村江で敗退したのは誰か、大和王朝との関わりがハッキリしない。
北九州の各地に神籠石の山城を築き、唐などの軍に対して防衛したのは九州王朝だと言う。
万葉集にある東国から徴兵された防人たちの歌は、大和王権の力が東国にまで及んでいたことの現われでないのか。
筑紫だけでなく、九州の南のほうの勢力はどうだったのか。
「盗まれた神話」まで読まないと一番面白い部分は見えてこないのかも知れない。



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