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ブルターニュ紀行 37 < オーレ > 南ブルターニュらしい穏やかな海 モルビアン湾 に沿って 1 

2021-04-28 00:34:13 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : モルビアン湾(写真提供 : モルビアン観光事務所)

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文化と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
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南ブルターニュといえば『Golfe de Morbihan モルビアン湾』
「モルビアン湾」といえば
穏やかな海と数多くの島々と巨石遺跡
というイメージがすぐに出てくる

Photo by @GoogleMap

地図の左端に『エテル川』
その下に『キブロン半島』
半島の付け根を少し東に入ったところが「カルナック」
半島の東(右)側は『Baie de Quibron キブロン湾』
その東の岸辺から北東に狭い海峡を抜けて『Golfe de Morbihan モルビアン湾』
湾の中にある多くの島々の中で
細長い島が『Ile aux Moines 修道僧の島』
その東のやや小さい島が『Ile d'Arz アーツ島』
湾の北側の白い部分がこの地方の中心都市『Vannes ヴァンヌ』
湾の西の端の北に伸びる細長い部分が『Rivière d'Auray オーレ河』

今回から「モルビアン」湾岸をご紹介していこうと思う

まず湾の北西端「オーレ川」を遡って
『Auray オーレ』の街に行ってみよう


『Port d'Auray オーレ港』

例によって
北から来る小さな川「オーレ川」が急に広くなり
川と言ってもほぼ湾の様な
その始まりにあるのが「オーレ」


港は細長く
下流の方は町の新しい部分


奥まで入ると旧市街で
同じ港でも雰囲気が変わる
旧市街の雰囲気はとても落ち着いていて素晴らしい


川岸には旧市街を囲む城壁も見える


古い橋もある


橋を渡ると

登り坂













小高い位置にあるのが『Eglise Saint-Gildas 聖ジルダ(ス)教会』


幅の狭い正面に比較して非常に高い鐘楼を持つ




無骨そのものの重厚な厚みを感じさせる正面はブルトン魂そのもの


内陣主祭壇とルターブル(祭壇衝立)
及び
左右の小祭壇

主祭壇

西側(鐘楼下)扉口の上のオルガン

ジャンヌ・ダルク像

『定礎碑文』

1623年5月22日に定礎
1644年9月22日ヴァンヌの司教「セバスティアン・ド・ロマッド」により献堂

『Mise au Tombay du Jésus イエス埋葬像』

話変わって
ローマン・カトリックの支配に反抗する「プロテスタント(抵抗者)」の
ブルターニュに遅れてやってきた宗教改革運動がまだ続いていた17世紀前半
この地の裕福な農民『Yves Nicolazic イヴ・ニコラジック』の元に
1623年以降何度か聖アンナが出現して
自分のために存在していた聖堂の再建のことを語った
そしてある夜
不思議な松明(ロウソクという説もある)が現れ
彼と仲間数名とを光で彼の種有する一面の畑の一角に導いた
1625年3月7日から8日にかけての夜のこと

その地面を掘ると痛んだ木製の彫刻が出てきた
マリアとその幼子イエスを両膝に抱いた聖アンナに思えた

その地に昔存在していた
その奇跡が
『聖アンナの聖堂』を「バジリカ聖堂」として再建することとなった

これが
ブルターニュ全体の聖守護聖人『聖アンナ』に捧げた最も重要な聖堂となって
今日に至っている
『Basilique Sainte-Anne d'Auray オーレの聖アンナ・バジリカ聖堂』

『Basilique Sainte-Anne d'Auray』遠景

身廊が縦に長く
翼廊に幅が横に長く
鐘楼は内陣のある東側の奥に立っている

西側正面

泉越しに見る聖堂



聖堂内部に入ってみよう


長く高い身廊



十字架の交差部の主祭壇から奥の内陣には
高位聖職者や聖歌隊の席があるのもゴシックの聖堂の方程式通り


一番奥の内陣にも祭壇があり
そこのルターブル(祭壇衝立)に金張りのマリアを伴った聖アンナ像



回廊もある


回廊の周りは聖堂博物館になっていて
ブルターニュ中の各地から願掛けに寄進された歴史上有名無名の船舶の精巧な模型や絵が
飾られている


外に『聖アンナ祈祷室』なんてのもあった

『Oretoire Sainte-Anne』


このバジリカ聖堂は広大な敷地を持ち
周りは緑が豊か

その一角
聖堂を挟んだそれぞれに興味深いものが二つある

『La Scala Sancta 聖階段』

イエスの「十字架の道行き」に登場する階段に想を得て
各地に「聖階段」というものが作られている


これh1622年にカルメル会の修道僧たちの手で建設され
最初は聖堂入り口の「ポルシュ」の横に作られていたが
1870年に現在の場所「荊の園」に移された


以来
野外大ミサなどが行われる際の祭壇に使われ
ここから聖堂への行列が出発する


現在でも
膝で躙り登る苦行をする信者は後を絶たない



もう一つは
聖堂を挟んで反対側にある『Le Mémorial 慰霊堂』

『Le Mémorial Résional de la Grande Guerre de Sainte-Anne d'Auray』

人類初めての世界大戦の後
ブルトン人戦死者を鎮魂のために作られ
その後第二次世界大戦を経て
あらゆる大戦争でのブルターニュ出身の犠牲者のための施設という位置付けとなっている


背後の白い塀の向こう側が戦死者の墓地
塀の手前に
一人の兵士が代表で葬られており


敷地内には多くの十字架墓碑が整然と並んでいる


この写真はキリスト教徒のものだが
別の区画にはイスラム教徒の墓碑もある



基壇部に象徴的な鎮魂のレリーフが刻まれている



そして入り口を入ると


イエスの磔刑像を中心に
周囲にそれぞれの著名な戦いの戦場ごとの記念碑と祭壇がある






外の湾曲した階段を登ると


天井が
ブルターニュの教会の色
ブルーに染められていた


そして
聖アンナ出現の奇跡を体験した『イヴ・ニコラジック』の像が
出現した「マリアを伴った聖アンナ」の像と向かい合って建てられている




この聖アンナ像は高さ5mほどもある大きなもの


実際に出現の奇跡の起こった場所

この町の「パルドン祭」はこの位置からスタートします




聖堂の祭壇ルターブルに安置されている聖マリア像がお出ましになります

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