伊勢志摩つれづれ

伊勢志摩の今を楽しんで頂けます
郷里を離れた方に 今の故郷を 
また 伊勢志摩の旅行の前に ご覧ください

自叙伝・人脈は狭いようで広かった

2020-08-24 15:52:47 | 写真と観光・伊勢志摩の風景
(美しい景色を眺めながら釣りを楽しむ)
18歳で 家を出た
義兄は 政治家など繋がりがあった
松阪に森亀太郎氏という人がいた 
森天皇と呼ばれ 今上天皇は 
松阪に来なくともよいと言われ 
今上天皇は行かれなかった

氏は 松下幸之助氏と きわめて深い関係があり
戦後 門真の土地を買収し 松下電器を大きく発展させた
松下氏の恩人でもあった 松下に就職すべしで
義兄から私の就職を依頼し 自宅への挨拶に上がった
ところが 不合格 理由は 肺に曇りがあることだった
マラソンをしていて 卒業期 急に止めた関係だろうと
ひらめき しばらく栄養をとった 1月には きれいに消えた

(森天皇は 昭和34年に亡くなり 松下幸之助さんは
弔辞で 奥さんの 生涯は松下で面倒を見ると
表現され 当時の週刊誌が 特集号を組んだ)

後れを取った 就職活動は 殆どなかった
東京にある 味噌食品会社に採用された
義兄から 参議院の堀木謙三氏に
挨拶に伺うようにと 支持され この味噌屋とは
同郷であった 
青二才の私を家に迎えてくれ以後も 
何かと心掛けていただいた

堀木氏は 鉄道省の人事を握っていたころ 
軍部に深くかかわりを持っていた佐藤栄作氏を
本省局長から 最右翼の天王寺局長に異動させたのが 
堀木氏であった 
本省から離れ 俺もこれで本流から終わりかと
逆恨みを買ったが
敗戦で上が職を離れるとき 後の人事を頼まれ
後任に佐藤氏を推薦 次官となり 政界に進出
総理大臣となった
堀木氏は国鉄総裁を乞われても この人が
総理では 互いにやりにくいだろうと断り
輸出振興会や 弘済会に留まった方です(つづく)



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