ねうねう句日記

いつか秀句をはきたいと、ねうねうとうち鳴きながら、より所なげに春の夜を・・・
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従姉のたかちゃん・宙に浮いた叔父の年金

2012-07-14 01:03:11 | 日記

たかちゃんは父方の従姉である。

生まれたのは昭和19年。召集されこれから戦地に行く叔父と、上官の特別なはからいで叔母とともに鯖江で面会。0歳。だからたかちゃんは戦死した父親の顔を写真でしか知らない。

叔母は夫なきあと家業の茶の卸商を切り盛りしてたかちゃんを育てた。親戚中の涙を集めた女子である。大学には行けなかったが、一族中で一番頭のいいのは彼女だった。

わがままなんて言ったことなし、小っちゃいころからお母さん思いの子供だった。小さな子にはわけへだてなく優しく、遊んでくれた。

親に逆らってばかりの私をいつもさとしていた。私の母はい涙ながらに私にいう。「お前はなぜお父さんに逆らう!悪口をいう!たかちゃんにはお父さんがいないのだよ!」 私の父は傲慢で子どもに威圧的だったから子どもに反抗されるのは当然なんだけど、たかちゃんのことを思うと私もションボリしたことだった。

父には兄弟が多くて、5月に亡くなったM藤叔父も弟の一人。奥さんを早く亡くし、子供もいなかったM藤叔父を気にかけてなにかと力になってあげたのもたかちゃんである。

たかちゃんは叔父が亡くなったあとのもろもろの役所の手続きも嫌がらないでやってくれた。

年金手帳を年金機構に返しに行ったのだが、そこでわかったこと。

応対してくれたまだ若い女性がパソコンを見て、「この方には宙に浮いてる年金があるようです・・・」と言ったのだ。

ええ~~ ひどい~

2、3年前の年金問題華やかな頃なら、叔父の書類預かった私たちも、「おじさんのことだから年金のモレもあるに違いない」くらいは考えただろうが。さすがに危篤の繰り返しと転院、施設探しに追われた2012年の私やたかちゃんは思いつかなかった!

「30か月分くらいある」鳶をしていた叔父さんは長く務めた会社はなかったと思うが、長い人生正社員していたこともあるだろうし、鳶なんて危険な仕事は給料が良かったかもしれない。この年金を請求できるのは存命の兄弟だけという。そんなこといったら95歳の伯母さんだけだ。手続きの煩雑さをたっぷり聞かされ、書類はもらってきたが、今は保留状態。8月になって、少し気をとりなおしたらもう一度書類を見ることにする。

叔父さんを経済的にも支えてきたのはたかちゃんなのに、たかちゃんの叔母さんは亡くなってるからなー。

 

 

 



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