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あるコリア系日本人の徒然草

反日・嫌韓が言われて久しいですが、朝鮮民族として、また日本人として、ありのままの感情を吐露していこうと思います。

保守派・リベラル派とは

2005年03月30日 | メインのお話
以前コメント欄で、「保守派・リベラル派とは何ぞや」と質問されたことがあるので、今日はこのことについて考えてみます。ここではあくまで私の考え方について述べるのであり、一般の定義とは少しずれるかもしれません。

元来リベラル派というものはなく、保守派に対する反対は革新派だったと思います。この分類はイデオロギー的なものであり、保守派とはいわゆる体制を守る側(体制派)であり、革新派とはその体制に反対する側(反体制派)だと思われます。ところがイデオロギー対立の冷戦も終了し、現在では純粋な意味での革新派は、ほとんど存在しない(もしくは存在意義が無い)と思われます。そのかわり、個人の人権が重要視されるに伴い、リベラル派というのが保守派に対立するものとして台頭してきたのだと思われます。

個人と全体(組織)ということを考えた時、リベラル色が強くなるほど個人を重要視し、逆に保守色が強くなるほど全体(組織)を重要視することになります。この分類は、少し前に話題になっていたThe Political Compassの縦軸に相当すると思われます(「The Political Compassの考察 (テストのバイアス)」参照)。すなわち、極端なリベラル派は全体をまったく顧みずアナーキズムと化し、逆に極端な保守派は個人をまったく顧みないためファシズムと化すのでしょう。

リベラル派の欠点として、しばしば「売国的」発言・行動が見られることが挙げられますが、なぜでしょうか。私が考えるに、リベラル派というのは個人の利益を前面に押し出すあまり、その個人が属している組織(この場合自分の国家)と対立し、ひいてはそれを否定することがあるからでしょう。その結果、別の組織(この場合他国家、もしくは敵国家)を利することになり、それが「売国的」発言・行動とみなされるのだと思われます。また、かつての革新派の人々がリベラル派に鞍替えしたことも、大きな影響があるのかもしれません。

では今度は、保守派の欠点として、しばしば「移民排斥的」発言・行動が見られることが挙げられますが、なぜでしょうか。私が考えるに、保守派は個人の属している組織(自分の国家)の利益を前面に押し出し、そのためにその組織と異なる性質を持つ組織(他国家もしくは敵国家)に対して排他的になり、最終的にその別組織に属する個人(他国民もしくは敵国民)をも排斥するようになるからでしょう。ある意味、「個人」と「その属している組織(属性)」が区別できていないのかもしれません。

どちらも欠点を持ち、また同時に長所を持っていると思われます。確固たる「組織」がなければ、「個人」の自由も保証されず、無秩序と混乱を引き起こすだけだと思われます。また逆に「個人」の自由がなければ「組織」が硬直化し、最後は「組織」そのものもだめになるでしょう。「民主主義」というシステムは、この「個人」と「組織」のバランスを保つには、一番ましなものだと思われますが、未熟な「民主主義」国家においては、そのバランスがうまくとれない可能性があります。

未熟な「民主主義」とは、何でも「多数決万能主義」にしてしまい、「少数意見」を無視する状況だと考えます。これは、保守派・リベラル派どちらが政権をとっても同じことだと思われます。「多数派」が「少数派」の意見を無視し、また攻撃し続ければ、「少数派」は(自分の意見が反映されないために)意見を言う意欲を失い、最後は口をつぐんでしまうことになります。当然中間層も「何となく多数派」になびき、ますます「多数派」が増えて、最終的に「全体主義」のような状態に陥ります。

「保守派」はもともと向かう先がファシズムなので、分かりやすいのですが、興味深いのは、「リベラル派」が政権を取った場合です。「リベラル派」の本来向かう先はアナーキズムであるのに、未熟な「民主主義」システムにおいては、「保守派」同様に「全体主義」に向かう傾向があるということです。これは、未熟な「民主主義」システムそのものが、いかに危険かを示しているのかもしれません。

逆に成熟した「民主主義」においては、多数決の前に多くの話し合いが持たれます。この話し合いにおいて「多数派」は「少数派」の意見を汲み取ろうとします。もちろん最後は多数決で決まるわけですが、この方式だと「少数派」の意見も反映される可能性があり、また「多数派」のブレーキ役になると考えられます。

最後にちょっと脱線しますが、最近「ネット右翼」なる言葉が聞かれます。私はこの言葉が好きでないので使いませんが、ネット上において、「中間層」が「右よりの言説」に煽られて集まる集団のことを指していると思われます。「ネット右翼」が「ネットファシズム」と揶揄されたりする原因は、上述した未熟な「民主主義」において見られる、「少数派」の意見の無視・攻撃が行われるからだと思います。そのため「少数派」は意見を言う意欲を失い、「中間層」が「何となく多数派」になびき、ファシズムのような雰囲気になるのでしょう。韓国における「反日」も同じような状況なのかもしれません。特に政府自ら「反日」を煽っているため、少数派の「親日」が意見を言えない状況になり、全体主義のような様相を示してしまうのでしょう。

私の「リベラル派」「保守派」に対する理解は、こんな感じです。今晩から出張ですので、数日間ご返事できませんが、皆さんご自由にコメントを残してくださって結構です。帰国後ご返事差し上げます。

日本とドイツの戦後(謝罪と賠償) 其の六

2005年03月25日 | メインのお話
前回に引き続き、「日本における賠償・補償問題」です。今回は対外的な問題ではなく、「日本国内における補償問題」をドイツの場合と比較しながらお話します。ちなみに、今日のお話で「賠償」編は終わりです。(前回のお話はこちら

(4) 日本における賠償・補償問題

≪国内における補償問題≫

日本は国家賠償はしっかりやっているが、個人補償はあまり積極的に行っていない、としばしば言われます。日本が締結した2国間条約などでは、国家賠償の中から個人補償が行われていますが、国家賠償の対象者とならなければ個人補償を受けられないとも言える訳です。では、(本来補償を受けるべきと私が考える)どのような人たちが、個人補償を受けられないのでしょうか?

a) 民間の一般日本人

日本政府は、(現在)日本国籍を持つ軍人・軍属に対しては、恩給法や援護法などで比較的手厚い支給を行っています。一定年数以上軍人として勤めた者以外にも、戦傷病者・戦没者・戦犯者・それらの遺族なども対象となっています。ところが、空襲などの被害にあった数十万(百万以上?)の民間人には、一切補償が行われていません。私の知る限り、民間人で援護法の対象になっているのは、原爆被災者(とその遺族)のみだと思います。

【注記:この原爆関連の援護法は、日本では珍しく「国籍条項」がなく、日本に居住する外国人(いわゆる在日韓国・朝鮮・台湾人)に対しても、日本人と同様に補償金が支払われています。一方、外国に居住する者の補償に関しては、2国間条約に依存します。】

ドイツの場合は、「其の弐」にも書いた連邦補償法によって、ドレスデン爆撃などの被害者に補償が行われています。また、当時の(ナチスに対する)政治犯や兵役忌避者などに対しても補償金が支払われています。日本における「治安維持法」違反者に対して補償金を支払っているようなもの、と考えれば分かりやすいかもしれません。

この他にも、満州・朝鮮半島からの民間の帰還者に対しても補償をされていないと思います。彼らはそれこそ無一文で日本に帰還したわけですから、その時の苦労は想像を絶するものがあると思います。また軍人と違って、身を守る武器も持っていなかったのですから。「中国残留孤児」の補償問題もこの一環かもしれません。

同様の例はドイツにも存在し(「其の参」参照)、現ポーランド・チェコ領域から追放された数百万のドイツ人が、この類の帰還者(難民)に相当すると思われます。ドイツ政府は、これら帰還者に対し補償金・年金などをを支払っています。もっとも、上述の連邦補償法による補償金と比較して少なすぎる、との批判が出ており、この不満が、最近の財産返還訴訟につながっているのでしょう。

このように見ると、同じ日本国籍を持つ者でも、軍人・軍属と民間人に大きな差があり、(特にドイツと比較した場合)民間の被害者に対して非常に冷淡だと思われます。

b) 旧植民地(朝鮮半島・台湾)出身者で日本に居住する者

いわゆる在日韓国・朝鮮人、在日中国(台湾)人がこれに相当します。「在日とは、どういう外国人か? (国籍取得条件とからめて)」のエントリでもお話しましたが、サンフランシスコ条約に伴って、日本に居住する在日韓国・朝鮮人、在日中国(台湾)人は、日本国籍を喪失しました。それに従い、旧日本軍の軍人・軍属であっても、恩給法・援護法の対象者からはずれることになります(国籍条項のため)。

この「国籍条項」を軍人・軍属に対して設けている国は、第二次世界大戦参戦国のうち日本だけだと思われます。アメリカ・イギリス・フランスは、何の制限条項も設けていません。ドイツの援護法に関しては「居住地条項」が存在しています(「其の弐」参照)が、この条項を日本に適用すると、すべての在日韓国・朝鮮・台湾人が援護法の対象者になると考えられます。

想像するに、当時の日本政府の考えとして、「これら旧日本軍所属の外国人の処遇は2国間条約によって決定すればよい」、というものだったのかもしれません。また、「数十万に及ぶ植民地出身者の旧日本軍軍人・軍属への補償金を削減できる」、との実利的理由があったのかもしれません。もっとも、日本政府の考え方も時代を経るに従って変化し、ずいぶん改善されることになります。そのあたりを、時系列を追って書いていこうと思います。

1952年、中華民国(台湾)と日華平和条約締結。この条約においては、旧日本軍所属台湾人の処遇は無視される。

1962年、援護法の解釈運用について微妙な変化。厚生省は、「帰化により日本国籍を取得し、戸籍法の適用を受けることとなった朝鮮・台湾出身者などは、帰化許可の日から遺族援護法の適用がある」との見解を示す。

1965年6月22日、韓国と日韓基本条約締結(「其の壱」参照)。付随する請求権協定にて、本国在住韓国人の請求権はすべて解決済みとなる。実際、本国に住む韓国籍の旧日本軍軍人・軍属に対して、韓国政府から補償が行われる。ただし、在日韓国人・在韓日本人に関しては、請求権協定第2条第2項(a)にて対象外とされる。

【請求権協定第2条第2項:この条文の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれ締約国が執った特別の措置の対象となったものを除く)に影響を及ぼすものではない。
(a) 一方の締約国の国民で1947年8月15日からこの協定の署名の日(1965.6.22)までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益。】

1965年12月18日、「日韓請求権協定」の発効。この発効の前に、在日韓国人元軍人・軍属らに次の通達あり。【本人の意思とは無関係に日本の国籍を喪失した韓国人等の場合には、日韓特別のとりきめ「日韓請求権協定」の発効の日(65年12月18日)前に帰化して日本の国籍を取得すれば、平和条約発効のときに遡って恩給が受けられる。】 もっとも、この日以降に帰化した在日韓国人に関しては、恩給を遡って受け取ることはできず、帰化許可の日から遺族援護法の適用あり。

1987年、「台湾住民である戦没者遺族等に対する弔慰金等に関する法律」が制定。この法律により、台湾住民で旧日本軍軍人・軍属の戦没者・戦傷病者・その遺族に対して、弔慰金が支給。

1994年、村山内閣が旧日本軍所属の台湾人に対して未払い賃金の支払いを決定(「其の四」参照)。韓国人の元軍人軍属の未払い賃金に関しては、日韓請求権協定にて解決済み。

2000年、「平和条約国籍離脱者の戦没者遺族への弔慰金等支給法」が制定。この法律により、在日韓国・朝鮮人、在日中国(台湾)人で、旧日本軍軍人・軍属の戦没者・重度戦傷病者・その遺族に対して、弔慰金が支給。

以上が補償方法の大雑把な変化の経緯ですが、非常に複雑で理解しにくいものになっています。ここまでの日本政府の対応の変化を書いていて、私が感じるのは、やはり「在日」という存在の不正常さです。以前から何度も申し上げているように(「在日とは、どういう外国人か? (国籍取得条件とからめて)」参照)、旧植民地出身者の在日外国人に対して「国籍選択権」を与えていれば、たとえ「国籍条項」があろうとこれほど複雑な事態にならなかったのに、との感想です。2000年の在日元軍人・軍属弔慰金支給法にしても、日本人の元軍人・軍属と比べ給付金支給の基準が厳しく、また給付額も少ないために、不満が出ています。

もっとも、在日外国人元軍人・軍属に対する補償の遅れ・条件の厳しさは、日本政府にすべて責任を押し付けるわけにも行かず、韓国政府・台湾政府が彼らの処遇を棚上げしてきたことにも、多大な責任があると思われます。また、北朝鮮との請求権問題はまだ全く解決されておらず、在日朝鮮人元軍人・軍属などに対する補償問題も含め、今後紆余曲折があると考えられます。

「平和条約国籍離脱者」すなわち「在日」にまつわる戦後補償問題は、この他にも「年金問題」「戦犯問題」などさまざまあります。個人的には、サンフランシスコ平和条約時に「国籍選択権」を付与していれば、すべての「在日」問題が解決していたのに、と歯がゆく思えます。もしくは、恩給法・援護法も、上述した原爆に関する援護法のように、「国籍条項」ではなくせめて「居住地条項」にしていれば、と残念に思えてならないです。繰り返しになりますが、軍人・軍属の恩給・補償に対して「国籍条項」を設けているのは日本だけですので、私にはそれが正常な姿だとは思えません。


以上で、やっと「賠償」編が終了しました。すべて書き終えた感想としては、「疲れたー」の一言です(笑)。最初書き始めたときは、これほど長くなるとは思っておらず、ちょっと舐めていました。でも今回できる限りまとめたことで、日本ドイツともに何が問題かはっきりしてきたので、とてもよかったです。

印象に残ったことは、やはり日本の「個人補償」の少なさです。おそらく戦後間もない頃は、現在と比較して「個人の権利」に対する意識が希薄であり、そのため「国家賠償」によってすべてを解決しようとした日本の姿勢に、それほど問題は無かったと思います。ただ、日本があまり「個人補償」に積極的でない理由の一つとして、日本国民に対してすら「個人補償」を行っていないからかもしれません。さらに、中華人民共和国・朝鮮民主主義人民共和国との「補償問題」は、大至急解決してもらいたい問題です。また、様々なところで顔を出す「国籍条項」ですが、在日に対する「国籍選択権」と絡めて、問題解決を図って欲しいものです。

一方ドイツは、講和条約の欠如から「個人補償」を中心にせざるを得なかったとはいえ、「個人の権利」を尊重する現代においては、(日本式と比較されることで)逆に評価されるようになったのかもしれません。ただ第三者から見ていると、「いつになったら終わるんだろう」という不安感があります。個人補償の最低ラインも、どんどん拡大解釈されている感じがします。

それでは、皆さんのご意見・ご感想をお待ちしております。「謝罪」編に関しては、僕がもうちょっとやる気が出たら書き始めます。今はちょっと疲れ果てているもので。。。あと、僕の書いた内容で間違っている場所があれば、遠慮なく御指摘ください。僕も単なる一素人ですので。

日独戦後(謝罪と賠償)暫定議論場

2005年03月23日 | メインのお話
現在、「日本とドイツの戦後(謝罪と賠償)」シリーズを書いており、あと2-3回で終了する予定です。それに従い、「日本とドイツの戦後(謝罪と賠償) 其の壱」のコメント欄で、(少々フライング気味ではありますが)総合的な議論が始まっています。今日は、その議論中での「藤原」さんと「摂津守」さんのコメントに対する私の返事を、エントリに挙げたいと思います。彼らのコメントは(少々長いですが)非常に分かりやすく、また鋭い質問でありますので、まだ読まれていない方は是非御覧になってください。


>藤原さんへ

大変詳しい説明、ありがとうございます。僕のエントリより分かりやすいかもしれません。それぞれの項目に従って、用語の定義について僕の意見を書いてみます。

①戦争犯罪の定義(戦争犯罪3類型)について

藤原さんの定義でまず間違いないと思います。もっとも東京裁判では、「c) 人道に対する罪」が「b) 通例の戦争犯罪」に含まれており、ニュルンベルグ裁判の基準を東京裁判に踏襲させれば、戦犯のうちの何人かは「c) 人道に対する罪」で裁かれたであろう、とも言われています。事実、東京裁判での起訴状第三類が、「通例の戦争犯罪および人道に対する罪」と、二種の罪概念をほとんど区別して使っておらず、この説の根拠となっています。「a) 平和に対する罪」では計45人が有罪になっているため、立派に裁かれていますね。

②戦争犯罪の定義の変化(国際犯罪4類型)について

「c) 人道に対する罪」は、もともとホロコーストを目的に(戦後)新設されたもののはずです。特にユダヤ人は別に敵国人でもなんでもないわけですから、「b) 通例の戦争犯罪」に含まれないのだと思います。従って、やはりホロコーストそのものは、「戦争犯罪3類型」において、「c) 人道に対する罪」に相当すると思います。もっとも、ドイツの戦後補償については僕のエントリにも書きましたが、ドイツはホロコーストだけに補償しているわけではありません。自由主義史観グループが何故このような主張をするのか、全く理解できず、彼らのグループを僕が信用していない一因です。しかも西尾さんはドイツが専門のはずなのに。これでは悪質なプロパガンダと言われてもしょうがないでしょう。

③戦後処理の方法について

1、戦時賠償(=国家賠償)について

結局「敗戦国が戦争責任を全面的に担う」という不文律が成立しているのでしょうね。韓国に関しては、彼らの解釈では「乙巳条約(第二次日韓条約)=非合法」としているため、請求権を求めたのでしょうね。僕のエントリにも書いていますが、ドイツ・イスラエル間(ルクセンブルグ協定)でも似たような問題が生じてます。イスラエルは戦前無かった国であるにもかかわらず、この協定は補償協定のみならず国家賠償の正確を持ち合わせていたためです。同様に、日本の韓国への経済協力金も事実上の「賠償金」としての性格を持ち合わせているのでしょう。韓国人・日本人ともに賠償・補償の使い方がしっかり区別できていないのは、そのとおりだと思います。

2、戦後補償(=個人補償)について 

「個人補償は国籍を問わずに個人に補償するものです」とのくだり、まさにここを理解していない人が多いですね。次回(其の六)で書く予定ですが、日本政府は(軍人以外の)日本人に対する個人補償も非常に冷淡な部分があります(ドイツと比較して)。詳しくは「其の六」を読んで下さい(3月23日現在まだ書いていません)。

3、準賠償について

これは、あいまいなものですね。しかし「謝罪」と「賠償」はまた別物であり、それをリンクさせようとするから、問題が生じるのだと思います。「謝罪」編もまだ書いていないのですが、その際に触れようと思います。

4、経済協力金について

主に日韓基本条約について述べておられますが、僕の感想は少し異なります。この前の文書公開にて、日本側が個人補償を打診したにもかかわらず、韓国側が国家賠償を求めたという経緯が明らかになっています。日本が「経済協力金」を強弁したのは、「国家賠償」を支払う必要が無い、というスタンスのためであり、「個人補償」をしたくないわけではなかったのかな、と僕自身勝手に推測しています。したがって、この形式に関してはやはり、「国としてお金を受け取りたかった」韓国政府の責任だと思わざるを得ません。もちろん、「個人への補償と謝罪」を強調すべきだった、という藤原さんのご意見には僕も同意します。また、両国の秘密主義が、両国民の間にいろいろな誤解・しこりを生んだことも間違いないでしょうね。

「理屈・法理」と「気持ち」が一致しないことはままあります。藤原さんの最後に述べておられる≪外交は「金」でするものではなく、「口」でするものです≫とのくだりは、まさに僕の感性に響いてきます。だからこそ、僕はこのシリーズの一番最初に、「謝罪・賠償は行う必要は無いが、戦前の継承国家として責任を感じるべきだ」と書いたわけです。もちろんその感情を態度で示さなければいけない。しかし、このあたりはそれこそ「理屈・法理」とは関係ないことなので、難しいことです。最大の日本側の問題は、議員・閣僚の見解があまりにばらばらだからでしょう。「作る会」の教科書に関しても、政府の公式見解とずれている部分があり、それにもかかわらず中枢部にいる与党議員がバックアップしたりする。この矛盾だらけの姿勢が、相手により不信感をもたらす一因だと感じます。このあたりのことは、「謝罪」編で詳しく書く予定です。


>摂津守さんへ

藤原さんもおっしゃっている通り、鋭い質問ばかりですね。以下、僕の個人的意見としてお聞きください。

①「戦争責任」の定義

「戦争責任」の定義が、第一次世界大戦後と第二次世界大戦後でどう変化したのか、僕には分かりません。もっとも「戦争責任」に明確な(文で規定された)定義があるわけではないと思います。藤原さんへの回答にも書いたように、前の2回の大戦においては、「国家間の戦争責任については、敗戦国が全面的にそれを担う」という不文律に従っているのかもしれません。もっとも国家と個人にまで「戦争責任」の定義を広げると、戦勝国戦敗国とは関係ないと思います。第二次世界大戦後こういった拡大解釈が広く適用されつつあり、アメリカ政府による日系人強制収容に対する「謝罪と補償」が行われたことなど、よい例かもしれません。

②「侵略国」の定義

藤原さんと同様、この言葉自体が誤訳だと思われます。少し歴史事実を時系列に従って書いてみます。

1907年、ヘーグ条約にて「開戦に関する条約」が成立。これにより、明瞭かつ事前の通告を行わずに戦争を開始してはならないことになる。
≪注釈:従って、日清戦争・日露戦争において宣戦布告前に日本軍が攻撃したことは、1907年以前であるため問題にならない。逆に日華事変(いわゆる日中戦争)・真珠湾攻撃の場合は問題になる。≫

1928年、パリにて「不戦条約」が締結。"War"は、"Defensive War"と"Offensive War"とに分類されるが、そのうちの後者がこの条約にて違法とされた。
≪注釈:"Defensive War"は「防衛(自衛)戦争」と訳されている。"Offensive War"は「攻撃戦争」であり、英語では別名"Aggressive War"と呼ばれている。これを「侵略戦争」と一般に訳されているのだが、日本語の「侵略」と英語の"Aggressive"は明らかに意味が異なる。従って本来ならば「侵攻戦争」とでも訳すべきである。≫

第二次世界大戦後、ニュルンベルグ裁判・東京裁判によって、日本ドイツ両国の戦争行為が「侵攻戦争」と判断。その戦争開始責任が上述の「a) 平和に対する罪」で裁かれる。

1974年、「侵攻」の定義に関する決議が国連で行われ、明確にその定義が示される。さらに第5条にて「侵攻戦争は国際の平和に対する罪」と認定される。

このように見ると、日中戦争・第二次世界大戦当時は、まさに「侵攻戦争」に対する認識の変化の過渡期にあったと思われます。事実、パリ不戦条約にて「侵攻戦争」の違法化を図ったにもかかわらず、アメリカ・イギリスから留保を付けられます。特にイギリスは、「自国の平和と安全のために特別かつ死活的な利益を構成する諸地域」について自衛権は認められる、との見解を出しています。植民地に関しては言うまでもなく自衛権が認められる、としています。

これを日本に当てはめると、日韓併合に関してはヘーグ条約以前ですらあったので、「侵攻」も何も関係ないと思われます。日中戦争(日華事変)に関しては、難しいところです。まず、それ以前の満州事変を抜きにしては語ることはできません。日本側からするとイギリスの場合と同様に、満鉄の権益を守るための自衛による紛争だと言えるかもしれませんが、満州国建国まで持っていったのは、いくらなんでもやりすぎだと思われます。しかも、宣戦布告をせずどんどん攻撃が拡大しているため、ヘーグ条約にすら違反している可能性があります。

さらに、満州国そのものが国際連盟に承認されず、リットン報告書が出されています。当時国際連盟はアメリカも参加しておらず、非常に弱い組織であったのは間違いないことですが、それでもそれなりの拘束力があり、だからこそその報告書に反発した日本が脱退することになります。こう考えると、厳密な言葉の定義に従うと「侵攻」かどうか分からないが、その実際の状況はかなり「侵攻」に近いものだと思います。しかも日華事変の時も、宣戦布告せずにどんどん攻撃が拡大しているし。太平洋戦争に関しては、「侵攻」云々する以前に、宣戦布告すら満足にできていなかったので、どうしようもないです。

今現在振り返ってみると、リットン報告に従って、「満州に対する中華民国の主権を認める一方で、日本の満州における特殊権益を確保」しておけば、敗戦の憂き目を見なかったのに、と個人的に考えています。しかし、まあ現在の民主主義を我々が謳歌できるのも、敗戦があったからこそだとも思うので、これでよかったんかな、とも思います。

③a項、c項と戦争犯罪について

戦争犯罪のa項c項は、純粋にドイツ・日本を裁くための事後法であり、それ以外に適用された例は(ローマ条約以前には)ないと思われます。ただ現在の国際認識においては、「人道に対する罪」に関しては「法の不遡及」が例外的に認められ、また時効も存在しない、というのが主流になりつつあります(ボスニア紛争などから)。あと、藤原さんのコメントに対して少し異議を申し上げると、ドイツも「a) 平和に対する罪」で21人が有罪判決を受けていると思います(違ってたら御免なさい)。

④原爆投下について

本来の東京裁判の趣旨からすると、「原爆投下」は「b) 通例の戦争犯罪」もしくは「c) 人道に対する罪」に相当すると思います。しかし実際の東京裁判は「敗戦国の罪を問う」裁判であったため、どうしようもありませんね。その意味で、藤原さんのおっしゃる「連合国の都合で免罪になった戦争犯罪」というのは、非常に的を得た御発言だと思います。

⑤謝罪について

「謝罪」については僕自身まだエントリに挙げていないのですが、国際法とは一切関係の無いことだと思います。「謝罪する意義」としては、まさに外交・国益のためのパフォーマンスだと考えています。従って不必要な謝罪はする必要が無く、そのような時に「遺憾」という言葉が外交上使われるのだと思われます。また、「反省」に関しては「謝罪」とは明確に異なり、「過去の不幸な事実に対して明確に責任を感じる」といったものでしょうか。

また、藤原さんの仰る「謝罪=責任認める=何らかの義務発生」という表現も、なかなか本質を突いているかもしれません。「責任を認める」ことに関しては、「一度すればよい」ことであり、従って「一度何らかの義務(補償など)を行えばよい」ことだと考えています。しかし、いったん責任を認めれば、それを否定するようなことを一切言及すべきではなく、そのような首尾一貫した姿勢が「反省」につながるのだと思います。この「責任の否定」が一度でもなされると、再度「謝罪」からやり直さなければなりません。このあたりのことを分かっていない政治家が、(保守派革新派問わず)多いのではないか、と思います。

もう一つ難しい問題は、「国家に対する謝罪」と「国民に対する謝罪」です。「国家に対する謝罪」は基本的に戦争行為に基づくものであり、一度謝罪すれば「責任を回避しない限り」十分だと思われます。しかし、「国民に対する謝罪」は、本来、それぞれの異なった行為(強制労働・生体実験・虐待など)に対して、それぞれ行われなければならないものだと考えます。もっとも「国民に対する謝罪」の結果発生する「何らかの義務」に関して、もし国家間で「国民に関する取り決め」が別途あれば、そちらで「解決済み」ということになります。

この「謝罪」に関しては、また後のエントリで詳しく論じるつもりです。


僕がこのシリーズを終了するまで、しばらくこの場所を議論の場とするつもりなので、ご意見のある方は、それぞれコメントをお書きください。また、かなり深く難しいテーマなので、僕に対してだけコメントを書くのではなく、お互いに勝手に議論しあっても結構です。ではどうぞ遠慮なく。

日本とドイツの戦後(謝罪と賠償) 其の五

2005年03月17日 | メインのお話
前回の「日本における賠償・補償問題」の続きです。今回は、「中国との補償問題」「近隣諸国との領土問題」について、お話しようと思います。(前回のお話はこちら

(4) 日本における賠償・補償問題

≪中華人民共和国との補償問題≫

この問題のそもそもの発端は、中国が戦後、中華人民共和国と中華民国(台湾)に分裂したことだと思われます。このため、両政府ともサンフランシスコ平和(講和)条約を締結しませんでした。日本政府は当初、中華民国(台湾)を正当中国政府と認め、同年、日華平和条約を締結しました。この条約により、中華民国(台湾)との間の請求権問題は解決されました。

一方、中華人民共和国(中国)とは1972年の日中共同声明にて、中国側の賠償請求権の放棄が確認されました。この共同声明により、日本政府は正式に、中国の正当継承国家を中華人民共和国と認め、台湾とは国交断絶することになりました。

問題は、この日中共同声明にて明確に放棄されたのは、国家賠償請求権のみであり、国民の個人請求権に関しては何の言及もない、ということです。サンフランシスコ平和条約第14条では、「連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。」と規定されており、連合国及びその国民の請求権の放棄が謳われています。

同様の条項は、日ソ共同宣言・日韓基本条約など、その後の二国間条約でも認められますが、日中共同声明では、「中華人民共和国政府は、日中両国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」と述べられているに過ぎず、個人の請求権の明確な放棄が盛り込まれていません。最近、中国人による戦後補償請求裁判が頻発しているのは、このためだと考えられます。

従って、日中両政府は、すみやかに個人の補償請求権に関する取り決めを行わなければいけない、と思います。また、「其の壱」でも書きましたが、中国政府自身、日本からの多額のODA援助を「事実上の賠償」と考えているようなので、このODAでもって補償請求権と相殺できるか、についても話し合わなければいけないでしょう。ただし、この補償請求権に関する取り決めについては、留意せねばならない事項が存在します。

一つ目の留意事項として、「サンフランシスコ平和条約第26条」が挙げられます。「其の四」でも書きましたが、第26条において、「日本がこの条約で定めるよりも大きな利益を与える協定を他の国と結んだときは、同一の利益をこの条約の当事国にも与えなければならない」という規定が存在します。もし日本が中国に対し新たな補償条約を締結して多額の補償金を支払った場合、この第26条により、アメリカを初めとする他の連合国も、日本に対して新たな補償条約の締結を要求することができます。このような事態は、日本にとってはまさに悪夢でしょう。

かつて、この第26条の行使が問題になりかけたことがあります。1956年の日ソ共同宣言に至る交渉過程で、日本政府は一時期、「二島返還論でやむなし」と考えたようです。しかしこの時、アメリカ側から、「もし日本が二島返還論で決着させるのなら、アメリカは平和条約第26条を行使して沖縄を返還しない」と牽制されます。事実、択捉島・国後島の総面積は沖縄本島より広いので、アメリカの牽制もそれなりの根拠があったようです。この領土問題については、後にもう少し詳しく述べます。

もう一つの留意事項が、「日本国民の財産請求権問題」です。サンフランシスコ条約やその後の2国間条約において、日本国民の財産請求権は国家の請求権と同様放棄されています(中には異論をつける人もいるようですが、ここでは分かりにくくなるので触れません)。しかし日中共同声明においては、中国国民の請求権が失われていないのと同様に、日本国民の請求権も失われていません。このことが意味するのは、「満州に資産を持っていた個人は、その財産を中国政府に請求できる」ということです。まさに、「其の参」で話したような「ドイツ強制移住者の財産請求権問題」の日本版です。

これらの留意事項を踏まえた上で、日中両政府間で綿密な話し合いが必要だと思われます。現在日本政府の行っている戦後処理事業の一例として、中国における「遺棄化学兵器処理事業」などが挙げられます。この事業金は被害者に分配されているにもかかわらず、「これは補償金ではない」として、被害者団体の集団提訴が予定されています。このようなあいまいな解決法は、日中両国にとって何のメリットももたらさないし、両国民の感情を逆撫でするだけだと思われます。すなわち、中国側からは「補償も謝罪もなく誠意がない」と不満が出るし、日本側からは「金銭的に支援しているのに、あとどれだけ支払わなければいけないのか」といった感情です。結局、「包括的でかつ最終的な補償協定の締結」が必要不可欠であり、これなくしてはいつまでも日中間の戦後問題は解決しないと思われます。

≪近隣諸国との領土問題≫

諸外国との戦後問題において、領土問題もまた大きなウェイトを占めています。この領土問題は、ドイツにおいては完全に解決しているために、日本の問題が相対的に大きく浮かび上がっています。皆さんもよくご存知のように、ロシアとは北方領土問題、中国とは尖閣諸島問題、韓国とは竹島問題を抱えています。

上でも述べたように、北方領土問題においてはアメリカの思惑も手伝って、日ソ共同宣言の中で択捉島・国後島について一切言及されませんでした。ソビエト側からすると、「宣言の中に言及されていないことは問題にすらならない」と言えますし、日本側からすると、「宣言の中に言及されていないことは問題を棚上げしただけだ」と言えます。もっとも、1993年の東京宣言において、択捉島・国後島も含めて問題認識されたので、以下に述べる竹島問題と比較すると、まだましなのかもしれません。

この先送り解決法(?)が悪しき前例となり、尖閣諸島問題・竹島問題も棚上げにされます。今話題になっている竹島問題ですが、その領有権に関しては、他のサイトなどで詳しく解説されているので、ここでは改めて述べません(「竹島問題の基礎知識」参照)。私が問題とするのは、日韓基本条約の中で、竹島・独島の名前すら出てこないことです。唯一竹島問題に関連する条項は、「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」の部分だけだと思われます(間違っていたら御指摘ください)。

従って、かつてのソビエトのように、韓国側からすると「独島(竹島)は言及さえされておらず、紛争事項でないから問題にすらならない」と言い訳できるわけです。国際司法裁判で決着をつけるのがもっとも良い方法だと思われますが、約50年前に日本政府が韓国政府に提案して一蹴されて以来、日本政府が同様の提案を韓国政府に行ったという話は、聞こえてきません。私には詳しい経緯は分かりかねますが、基本条約の中で竹島問題を明確にしなかったことは、予想以上に大きなダメージなのもしれません。

一方、領土問題を解決させたドイツ(西ドイツ)は、どうだったのでしょうか?「其の弐」でも少し述べましたが、西ドイツ政府は「実効支配地域=領土」というスタンスをとりました。そのため、フランス・ポーランド・チェコに、「固有の領土」も含め大幅な領土割譲を強いられました。こういった前例があるため、韓国のノ・ムヒョン大統領は、「領土問題に関しても日本はドイツの解決法を参考にして欲しい」と思っているのかもしれません。

領土問題に関しては、私個人としてはどうすればよいのか分かりません。日本国・相手国ともに国際司法裁判で決着をつけるのが、もちろんベストな方法でしょうけれど、どちらかがこの解決法を拒否した時点で終わりです。従って、何度も粘り強く交渉するしか他なく、原則論だけにこだわらず、「領土を割譲する場合にはどういった利益を享受できるのか」も含めて、現実的な話し合いをする必要があるのかもしれません。

今日のお話はここまでです。次回は「日本国内における補償問題」についてお話しする予定です。

追記(Mar. 18th):
日本政府の公式見解としては、日中間の請求権問題は、1952年の日華平和条約にて解決済みとしているようです。この見解についての私の意見を含めた議論については、コメント欄をお読みください。

日本とドイツの戦後(謝罪と賠償) 其の四

2005年03月14日 | メインのお話
前回、ドイツにおける賠償・補償問題を書きました。今回から2回(ひょっとしたら3回)に分けて、ドイツの場合と比較しながら、日本における問題点を話していこうと思います。(前回のお話はこちら

(4) 日本における賠償・補償問題

≪日米両国における補償請求裁判の問題≫

日本においても、ドイツとは異なった類の問題が、いくつか見受けられます。まずは、ドイツに大きな困惑をもたらした、1999年米国カリフォルニア州で公布された州法に基づいた集団訴訟について、述べたいと思います。

ドイツ同様、この訴訟では多くの日本企業・日本政府が標的にされました。原告としては、連合国元捕虜、強制連行被害者、従軍慰安婦などなどです。結論から先に申し上げますと、ほぼすべての訴訟において、原告の申し立ては却下されたようです。まず連合国元捕虜の場合は、サンフランシスコ平和条約第14条において賠償請求権が放棄されたとして、合衆国連邦裁判所は解決済みとの姿勢を明確にしました。

このとき原告側は、オランダの例(サンフランシスコ講和条約後に、日本政府はオランダ人元抑留者に対して個人補償を行った)を挙げて、サンフランシスコ講和条約では個人請求権は失われていない、との立場をとりました。しかし裁判所側は、こういった個人補償は二国間で話し合われるものであり、(連合国元捕虜に)個人請求権はない、としました。

さらに原告側は、平和条約第26条の「日本がこの条約で定めるよりも大きな利益を与える協定を他の国と結んだときは、同一の利益をこの条約の当事国にも与えなければならない」という規定を根拠に、「日本はその後、他の6ヶ国と結んだ協定で賠償請求権を認める好条件を与えたから、連合国国民も請求できる」と主張しました。これに対しても裁判所側は、「第26条の適用請求を決定するのは条約の当事者である米政府であって、原告個人ではない」と指摘しました。

このように見ると、連合国元捕虜に関しては、日本側は何の心配もする必要がないように思えますが、将来相手政府が平和条約第26条を持ち出して適用請求を決定すると、さらに莫大な賠償・補償金が発生しかねないことを、考慮に入れておかねばならないでしょう。このことは、後で話す中国との交渉にも影響すると思われます。

その他のアジア諸国の強制連行被害者・従軍慰安婦などに関して、連邦裁判所側は、日本政府は各国の政府とそれぞれ二国間条約を締結しており、その中で賠償請求権問題は解決済み、としました。これら一連の裁判においては、ドイツ政府と対照的に、日本政府が平和条約・二国間条約などで賠償請求権問題を解決してきたため、さらなる追加金を出さずに済んだようです。ただし、今回の強制連行訴訟などに関して、日本とドイツの(見かけの)対応の違いを比較されるのは如何ともし難く、日本企業のドイツ企業に対する相対的なイメージダウンは避けられないようです。

私個人の意見としては、(東欧諸国における)強制連行労働に関しては、法的にはドイツもすでに解決済みであったようで思われます。だからこそ、「補償」ではなく「基金」という形をとったのでしょう。このことは、日本における「アジア女性基金」の設立にも通じるものがあると思われます。ドイツ企業側からすると、「其の参」でも書きましたが、「一種の宣伝をかねた慈善事業」といったニュアンスがあったのではないでしょうか?これは長期的に考えた時、とても優れた企業戦略だと思われます。日本企業側が裁判に勝った現在、どのようにイメージアップしていくのか、問われているのかもしれません。

ちなみに、同じような種類の訴訟(特に強制連行・強制労働訴訟)は、日本においても頻発しています。被告は日本政府と企業ですが、大雑把に言って、企業側は「強制連行・強制労働は国の政策だった」ことを理由に責任を回避し、政府側は事実関係に関しては議論を避け、もっぱら「時効」「国家無答責の法理」を理由に「未払い賃金」「補償」「慰謝料」の支払いを拒否しています。現在までのところ、最高裁まで行ったケースに関しては、政府側の言い分がほぼ100%認められています。(注:国家無答責の法理とは、大日本帝国憲法のもと、「官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても、国家は損害賠償責任を負わない」というものです。)

もっともイメージ戦略を見据えて、裁判の途中で原告側に和解金を支払う企業もあります(新日鉄・日本冶金工業など)。国際的な企業イメージを考えると、このような例は今後も増えていくと思われます。次回は、最大の問題点である中国との補償問題について書こうと思います。

さて、ここでちょうどいい機会なので、「強制連行」「従軍慰安婦」問題に関する私のスタンスを述べさせていただきます。ちなみに両問題とも日本政府としてはあいまいにしているものの、その存在と政府の(間接的かもしれない)関与に関しては、一応肯定しています。

「強制連行」に関しては、朝鮮半島・台湾の例と中国の例と、明確に分ける必要があると思っています。朝鮮半島・台湾に関しては、「徴用」が純粋な意味での「強制連行」だと思われます。もっとも、当時朝鮮半島・台湾出身者は「日本人」であり、徴兵徴用は日本人としての義務でした。次に、「徴用」以前にあった「官斡旋」についてですが、これは微妙な問題で、建前上「強制」ではないが末端の官吏によって「強制」された人もいたんだろう、との印象です。この強制性を総督府首脳部が認識していたのかどうかについては、よく分かりません。また、後述する「従軍慰安婦」問題と同様、管理責任もあるのかもしれません。それ以前の「募集」に関しては、強制性はほとんどなかっただろうと思っています。実際「募集」によって予定の人員が集まらなかったようです。このように見ると、以前にも書いた「創氏改名」における強制性と似たような議論かもしれません。(「通名と本名 其の壱(創氏改名編)」参照)

現在の裁判でも争点の一つになっているのが、強制労働中の賃金の未払い問題です。当時強制貯金というものがありましたが、戦後この強制貯金が支払われないままになっている人が多くいます。また次回以降にも書きますが、賃金の未払い問題は強制労働だけに発生しているものではなく、朝鮮半島出身者の軍人軍属に対しても、(旧日本軍の)賃金の未払い問題が生じています。もっとも韓国に対しては日韓基本条約で解決済みであり、北朝鮮に関しては今後の展開が待たれます。また、台湾出身者に関しては、台湾との間に請求権協定がなかったため、1994年に村山内閣が未払い賃金の支払いを済ませています。

中国人に対する「強制連行」に関しては、2003年に外務省が「華人労務者事業場別就労調査報告書」を公表したことから、戦争中に実在したようです。この公表以前には、日本政府は基本的にその存在を確認できないと否定してきたため、訴訟の原告側からは反発を受けているようです。実際日本政府は戦前戦中の文書公開に非常に消極的であり、このことが戦後責任問題をさらにややこしくしているような印象を受けます。

私の印象としては、特に中国人に対する「強制連行労働」に関しては、ナチスドイツの東欧におけるものとよく似ているようです。その他連合国捕虜に関しては、内地への強制連行があったのかどうかについては私は知りませんが、現地での過酷な労働は存在したようで、日米ともに裁判において、連合国元捕虜が証言しています。

次に「従軍慰安婦」問題ですが、こちらは上述の「強制連行・強制労働」以上に紛糾しているようです。まずはその呼称自体を問題視する方もいるようですが、1938年に陸軍が「軍慰安所従業婦など募集に関する件」についての通達を行っていることから、呼称に関して問題があるとは考えていません。最大の問題点は軍に強制性があったかどうかですが、私は今のところ、軍そのものに強制性があったと結論付ける証拠はない、と考えています。

そう考える主な理由としては、元従軍慰安婦の証言を参考にすると、たとえ強制があっても、それはただ単に、悪質な斡旋業者による強制のように思われるからです。問題は、軍による監督・管理がしっかり行き渡っていたか、ということかもしれません。公開文書によると、ある程度悪質な業者を取り締まっていたようですが、軍による管理がもっと徹底されていたのならば、現在のような問題はあまり起きなかったのではないか、とも思えます。結局この問題に関しても、戦前戦中文書の全公開が待たれます。その結果軍による強制性がなければ、胸を張って「軍に強制性はなかった」と主張できると思います。

今日のお話はここまでです。それではまた次回ということで。

日本とドイツの戦後(謝罪と賠償) 其の参

2005年03月10日 | メインのお話
「其の壱」「其の弐」で、日本ドイツ両国の戦後賠償・補償方法を書いてきました。それを踏まえて、両国それぞれにおける問題点を考えてみたいと思います。まずは、ドイツにおける問題点を述べたいと思います。(前回のお話はこちら

(3) ドイツにおける賠償・補償問題

ドイツにおけるほぼすべての問題点は、やはり(日本におけるサンフランシスコ条約のような)講和条約・平和条約を締結していないことから始まると思われます。ドイツ政府は1990年の「2プラス4条約」にて「賠償請求権問題は解決済み」との姿勢ですが、西側諸国の間ではうやむやの状態になっているようです。実際ギリシャやオランダなどからは、「抑留者問題・虐殺事件に関する請求権は失われていない」として、ドイツ政府に補償を求める声が出ているようです。もっともこれら西側諸国も、ドイツとの間の深刻な外交問題に発展するのを嫌っており、水面下の交渉が続けられています。

この講和条約の欠如は、「其の弐」で書いた「c) 民間企業による強制労働者に対する補償」にも影響します。以前にも述べたように、1999年米国カリフォルニア州で公布された州法に基づいて、元強制労働者を中心に集団訴訟・一括訴訟が行われ、またドイツ企業に対する大規模な不買運動が起こります。さらに、原告団の中に相当数の(アメリカ兵を含む)連合国兵捕虜がいたことから、米議会・世論が大きな関心を持つようになります。

事態を重く見たドイツ政府と企業は、補償基金を設立する代わりに、ドイツ企業がアメリカで二度と訴えられない「法的安定性」を得られるよう、アメリカ政府に仲介を求めました。これを受けてアメリカ政府側も、「裁判でなく補償基金を唯一の救済策とすることが米国の国益になる。訴訟の棄却を勧める」との声明を出し、裁判所に提出しました。この結果、主な原告もこの「補償基金案」を受け入れ、ほとんどの訴訟が棄却されました。

この補償基金設立には、ドイツ国内でもいろいろと反対意見があったようです。主たる反対意見としては、「ドイツはいつまで延々と補償し続けなければならないのか」といったものです。さらに、今後また新たな補償問題が発生した時、どこでラインを引くのか、という問題もあります。このことに対して、現ドイツ政府は明確に回答できないでいるようです。

結局この補償事業に関しては、ドイツ政府・企業とも、「道義的責任」に加えてグローバルなビジネス戦略を考えたものだと思われます。ドイツ企業と同様アメリカ企業でも、当時ナチス下でユダヤ人に強制労働させていたGMやエクソン・スタンダード石油が、自発的に犠牲者へ補償することを決定しています。一種の「企業による慈善事業」と考えればよいのかもしれません。

上述した問題点は、基本的に講和条約の欠如から生まれたものなので、日本においてはあまり問題にならないと思われます。ただし、後半の「民間企業による強制労働者に対する補償」に関しては、サンフランシスコ講和条約の中で少々問題になりかねない個所があります。そのことについては、次回お話しようと思います。

さて、これとは別にもう一つの大きな問題があります。それは、「旧ドイツ帝国領内で現在ポーランド・チェコ領になっている地域」における、ドイツ人の財産請求権問題です。まずはポーランドの例から見ていきます。

第二次世界大戦の結果、オーデル・ナイセ川以東のドイツ領土からドイツ人は全員追放され、ポーランド人が居住するようになりました。戦後しばらく西ドイツ政府は、この領土割譲を一方的なものだと非難していました(ドイツ固有の領土との主張)。しかし、1970年のポーランドとの国交正常化に伴い、西ドイツのブラント首相はこの国境線を認め、領土問題に終止符を打ちました。

ここで問題となったのが、ポーランドから追放されたドイツ人の財産権です。国交正常化以降ドイツ政府の公式な立場としては、「ドイツ人の財産権という私権は国家の領土主権の放棄と無関係に存続する」というものでした。この公式見解を受けて昨年、ドイツ強制移住者団体が財産の返還などを求めて、ポーランドの裁判所や欧州人権裁判所に提訴しました。深刻な外交問題に発展することを恐れたドイツのシュレーダー首相は、「強制移住者の補償要求を支持しない」と表明しました。またポーランド政府側も、「国際問題化させずに、ドイツ国内で解決して欲しい」との要望を伝えます。

ところが、ポーランド議会はこの提訴に強く反発し、「ドイツに対する戦争賠償の請求決議」を可決します(棄権一人で残り全員賛成)。もっともポーランドに賠償請求権はなく(国交正常化に伴い賠償請求権を放棄したため)、この決議は単なる牽制のようです。ポーランドにも、戦後ソ連領になった地域から追放されたポーランド人移住者への補償問題があり、国内で解決しようとしています。だからこそ、ドイツ政府が財産権請求問題解決に積極的でないことに、反発を感じているのかもしれません。

一方チェコの場合、「ズデーデン・ドイツ人問題」というのが存在します。ズデーデン・ドイツ人とは、1945年から47年の間に、旧チェコスロバキアから追放されたドイツ人を指します。ポーランド同様、当時のベネシュ・チェコスロバキア大統領の決定により、これらドイツ人の資産も一方的に没収されました。冷戦終結後、ハベル大統領が公式に遺憾の意を表明しましたが、チェコ政府の立場としては、「過去の終結した事実であり、資産の返還・補償には応じない」というものです。

当然、ズデーデン・ドイツ人団体も財産請求を求めて提訴する動きがあります。ズデーデン・ドイツ人団体の主張としては、次のようなものです。「ナチス時代にチェコ人に対して行われた重大な犯罪は、可能な範囲において補償された。しかし一方で、故郷放逐者に対して行われた不正は、まったく手つかずのまま放置されている。」

ポーランド・チェコから戦後強制移住させられたドイツ人は、数百万人に及ぶと言われています。ドイツ政府は、彼らに何もしてこなかったわけではなく、独自に補償・年金を支払っているようです。もっとも、彼らが所有していた財産に比較すると全く十分なものではなく、不満を募らせているようです。さらに、シュレーダー首相率いる与党革新政党の社会民主党(SDP)は、この問題解決に消極的なのですが、野党保守政党のキリスト教民主同盟(CDU)・キリスト教社会同盟(CSU)は、この強制移住者団体を強力に支持しています。従って、SDPが政権政党である限り、あまり問題にはならないと思いますが、CDUに政権交代が行われると、両国との外交的緊張が高まる恐れはあります。

この財産権請求問題は、日本と中国の間にも当てはまる場合があると思われます。これについては、次回お話しします。

今日はここまでです。それでは次回、「日本における賠償・補償問題」を見ていきましょう。

日本とドイツの戦後(謝罪と賠償) 其の弐

2005年03月08日 | メインのお話
昨日の「日本とドイツの戦後(謝罪と賠償) 其の壱」の続きです。今日は「ドイツの戦後賠償・補償」を中心にお話しようと思います。本題に入る前に、日本ドイツ以外の枢軸国(イタリア・フィンランド・ハンガリーなど)の戦後賠償について、簡潔に述べさせていただきます。(前回のお話はこちら

早期に休戦・降伏したヨーロッパ枢軸諸国(ドイツ以外)は、1947年のパリ講和条約によってその賠償額が決定されました。いずれも大戦中の直接の交戦相手国に対する損害賠償の支払いということになっており、ソ連を除く多くの連合国が賠償請求権を放棄しました。それでは、本題のドイツについてお話します。


(2) ドイツの戦後賠償・補償

ドイツの場合、日本を含む他の枢軸国と異なり、講和条約を締結していません。主な理由としては、日本と異なり東西に分断されたことが挙げられます。従って、日本のような明確な国家賠償を行うことが困難であり、戦後処理の形態として個人補償が中心になりました。ドイツの補償方法は非常に複雑で多岐にわたるため、まず国家賠償と個人補償とを分けて考えたいと思います。(かなり長くなりますが、我慢してお読み下さい)


<国家賠償>

日本の場合と同様、戦後(米英仏ソを中心とする)占領軍は、莫大な在外資産の没収、在内資産の接収などを行いました。ドイツは日本と異なり、(満州台湾朝鮮などの)植民地はそれほど持っていませんでしたが、広範囲にわたるドイツ固有の領土を喪失しました(主にポーランド・チェコスロバキアに吸収)。従って、在外資産の没収はやはり相当な金額にのぼるようです。また在内資産においては、ドイツは良質な石炭・鉄鋼の産出国であり、これらの鉱山の接収だけでも莫大なようです。もちろん、その他日本と同様に、機械・車両・生産設備などすべて接収されています。

1955年、西欧諸国と西ドイツとの間でロンドン債務協定が締結されます。この協定において、戦前戦後ドイツの負債借款の清算に関する取り決めが行われましたが、戦争に起因する賠償・請求権問題は、ドイツ統一後の講和条約において取り決められることとなりました。一方東ドイツにおいては、1953年、ソ連を中心とする東側陣営諸国が、東ドイツに対して賠償請求権を放棄しました。

さて年月を経て、1990年9月、東西ドイツと旧連合4ヶ国の間で「最終規定条約」、いわゆる「2プラス4条約」が締結されました。この条約において旧連合4ヶ国は、ドイツに対するすべての権利と責任を最終的に消滅しました。これによって、ドイツ政府は「賠償問題は決着済み」としていますが、異論を唱える人もいるようです。まず、この条約では賠償請求権について言及していないことが挙げられます。次に、たとえこの条約において賠償問題が決着済みだとしても、それは米英仏ソの旧連合4ヶ国のみに対してであって、その他オランダ・ギリシャなどとはまだ決着していないことが挙げられます。実際、現在においても見解は分かれているようで、最終決着はついていません。


<個人補償>

個人補償の方法は大まかに3種類に分類されますが、いずれもナチスドイツ第三帝国による被害者救済のものです。その3種類とは、a) 国内法による補償、b) 国際協定による補償(国家賠償ではない)、c) 民間企業による強制労働者に対する補償、です。東ドイツにおける個人補償については全く分からないので、ここでは西ドイツ・統一ドイツにおける個人補償を見ていこうと思います。

a) 国内法による補償

国内法の中で最大規模のものは「連邦補償法」であり、ナチス迫害犠牲者を対象として1953年に制定されました。当初は、ナチス迫害により生命、身体、健康、自由、所有物、財産、職業上経済上の不利益を被ったものに対する補償、と定義づけられていました。これとは別に1957年、「連邦返済法」が制定され、ナチスによって没収されたユダヤ人財産に関しては、別途返済ないし損害賠償を行うことが取り決められました。すなわち、ユダヤ人財産に関しては、他のドイツ人財産よりも優先的に返済・賠償が行われたようです。

時代を下って1980年代に入ると、連邦補償法の対象者が大幅に拡大され、それまでは対象になり得なかったジプシー、同性愛者、兵役忌避者、脱走兵、反社会分子などにも補償が行われるようになりました。また、一連の連邦政府による補償とは別に、各州においても独自の補償措置が取られているようです。(何を対象にしているのか、私には分かりません)

これら国内法には「居住地条項」が存在し、その対象者となり得る人民は、(1)法律制定時に西ドイツに居住している人、(2)ナチス時代に、法律制定時の西ドイツ領内に居住していた人、(3)ナチス時代に、第三帝国領内に居住しており、法律制定後西ドイツ領内に居住地を移した人、です。逆にいえば、ナチス時代に第三帝国領内に居住していても、その地域が戦後チェコやポーランドに割譲された地域であれば、対象者にならないということです。この場合には上の(3)に従って、法律制定後居住地を西ドイツ領内に移さなければいけません。もしくは、次に挙げる国際協定による補償対象者となります。もっともこの「居住地条項」にもかかわらず、(連邦補償法の場合)給付先の8割が外国人になっているようです。

b) 国際協定による補償

まず最初に挙げられるのが、1952年イスラエルとの間で締結されたルクセンブルク協定です。この協定において、イスラエルに居住するナチス迫害犠牲者にまず保証金が支給されました。また、他地域のユダヤ人に対しては、対ドイツ物的請求ユダヤ人会議を通じて補償が約束されました。この協定には、西ドイツ国内でも非常に反発が強かったようです。理由は、イスラエルに居住するユダヤ人に対する補償が優先され、イスラエルに対する国家賠償のような意味合いをもっていたからです。もちろん、戦争中はイスラエルという国家すらなかったのですから、国家賠償などあり得るはずもなく、「補償」という形式をとったと思われます。

この協定締結後、フランスを初めとする西側12ヶ国と、ナチスの不法行為に対する包括補償協定を締結します。この場合の不法行為とは、大枠において、上記の国内法の対象行為と同等のものだと考えられます(レジスタンス運動弾圧も含まれる)。また1970年代になると、ポーランド・チェコスロバキアなど東欧4ヶ国との間で、強制収容所での(主に)生体実験に対する補償協定を締結します。この補償協定の代わりに、西ドイツはこれら東欧4ヶ国に国家賠償請求を放棄させました。

さらに、この東欧諸国との協定により、(ドイツ国内の非常に強い反発にもかかわらず)ドイツ東側国境が正式に確定し、領土問題に終止符を打ちました。もっともこの旧ドイツ帝国領における財産請求をめぐって、現在いろいろな問題が生じているようです。(このことについては、次回お話します)

ドイツ統一後、東欧諸国の(強制収容所への)強制連行労働者のための財団が設立されました。これら財団による基金により、上記の補償協定の恩恵に預かれなかった強制連行労働者も、補償を受けられるようになります。またソ連崩壊後、独立したそれぞれの国々(ロシア・ウクライナなど)とも独自に補償協定を締結しています。

c) 民間企業による強制労働者に対する補償

この補償がもっとも理解しにくい部分です。戦時中、東欧諸国から民間人や戦争捕虜を別の地域に移送して、強制労働につかせました。この場合の雇用主は企業であり、上記の強制収容所とは全く異なります。ドイツ政府は、「強制連行労働はナチス迫害ではなく、戦争に伴う一般的現象である」との立場を取っています。そのため、少し前まで、「法的義務ではなく人道上の措置」として、各企業の自由意志に補償を任せていました。

ところが1999年米国カリフォルニア州にて、大戦中にドイツ・日本などの企業により強制労働させられたすべての人とその遺族が米国で裁判を起こせるとの州法を公布します。この州法に基づき、元強制労働者を中心に集団訴訟・一括訴訟が行われ、世界ユダヤ人会議を中心に不買運動が起こります(日本企業に対しても訴訟が行われています)。

このことに危機感を抱いたドイツ企業は政府とともに基金財団を設立し、「国家社会主義の犠牲者に対する政治的、道徳的責任」から、まだ生存している「強制労働者」に対して補償を行うことを決定しました。


以上で、ドイツの戦後賠償・補償の説明は終わりです。最後に付録として、軍人・軍属に対する補償として、援護法について見てみます。

<付録:援護法>

ドイツには、「戦争公務、平時の軍務、準軍事業務による損傷及び直接的戦争影響による民間人の損傷に対する援護をひとつの法律に一括したもの」として連邦援護法が存在します。対象者は、「ドイツ人及びドイツ民族に属するもの」の他、「その損傷とドイツ国防軍下の職務もしくはドイツの機関のための準軍事的業務との因果関係が存在し、かつそのものが居所または通常の滞在地を連邦領域に有する」外国人が適用となります。すなわち、外国人に対しては、上述した連邦補償法の「居住地条項」のようなものが、適用されています。

ここで援護法について簡単に記述したのは、旧日本軍所属の(植民地出身者で現在日本在住の)軍人・軍属に対する補償問題と絡むからです。この問題も含めて、次回以降「賠償・補償問題における日独比較論」でいろいろと考察してみたいと思います。

今日はここまで。それでは次回お楽しみに。

日本とドイツの戦後(謝罪と賠償) 其の壱

2005年03月07日 | メインのお話
日本ドイツともに、戦後60年が経過しているにもかかわらず、なかなか簡単に戦後から決別させてもらえないようです。日本では保守派・革新派問わず、ドイツは戦後から決別できたと考えているようですが、私の見るところ、それほど日本と大差あるとは思えません。最初に、私自身の考え方をはっきりさせておきたいと思います。

)両国ともこれ以上謝罪を行う必要はない
)過去の戦争犯罪を恥と思い、戦前の継承国家として責任を感じる必要はあり
)両国とも賠償を行う必要はない
)個人補償に関しては(場合によって)考慮の余地あり(?)

これらの考え方に至る理由を述べるために、日本とドイツの戦後処理について、「謝罪と賠償」を中心に比較してみたいと思います。このお話はとても長くなるため、「日本の戦後賠償・補償」「ドイツの戦後賠償・補償」「日本の謝罪」「ドイツの謝罪」と数日に分けて書いていこうと思います。

(1) 日本の戦後賠償・補償

大まかな国家賠償・補償法については、1952年のサンフランシスコ講和条約に始まります。この講和条約により日本の賠償義務が承認され、賠償額などは日本に占領されたアジア諸国と日本との個別協定に委ねられます。それ以外の連合国は賠償請求権は放棄したものの、(主に中国における)在外資産の没収、(GHQ占領下の日本における)資産の接収、(オランダに対する)抑留者の個人補償などが行われました。

アジア諸国の個別協定についてですが、フィリピンとの1956年の賠償協定、インドネシアとの1958年の賠償協定などが典型的な例です。これらの協定によって、日本は賠償を支払い相手国は各種請求権(個人補償を含む)を放棄するという形で決着しています。

大韓民国については、これら東南アジア諸国と違い、日本の植民地(もしくは大日本帝国の一部)であったため、賠償協定ではなく経済協力協定を1965年に日韓基本条約とともに結びます。この協定によって、日本側が経済協力をするかわりに、韓国側は各種請求権(個人補償を含む)を放棄し、過去は「完全かつ最終的に解決」されました。

この条約・協定締結に至るまでは様々な紆余曲折があったようです。まず、日本側はあくまで経済協力形式にこだわり、韓国側は賠償形式にこだわりました。この認識の違いは、日韓併合を合法と見るか違法と見るか、との姿勢に現れています。ちなみに、海外においてはどちらの説も唱えられています。

私としては、当時の世界の帝国主義がいわゆる恐喝外交であったため、合法違法を現在において判断すること自体、無理があると思います。満州進攻の場合と異なり、日韓併合に関しては(例えロビー活動があろうと)国際連盟において非難されていません。ということは、少なくとも違法とは断言できない(言い換えれば、当時認められていた)と思います。

次にこの認識の違いから、当初日本側も(財産などの)請求権を韓国側に行使しようと考えていました。韓国側は認識の違いによりこの要求を一蹴し、交渉は決裂します。しかし、自由主義陣営の結束が大切だと考えたアメリカ合衆国の意向により、独立のお祝い金として日本側は請求権の行使をあきらめ、交渉が進むことになります。

日本側は当初、「韓国とは戦争しておらず日本の一部であった」との認識のもと、国家協力金ではなく、徴兵・徴用被害者などに対する個人補償を考えていたようです。しかし、軍事政権下の韓国側が経済発展を優先させたいとの意向のもと、一括して国家が受け取ることになりました。日本側は、将来韓国民から不満が出るのでは、と危惧したようです。

さらに韓国側は、「半島唯一の合法政府である」との認識のもと、北韓に対する協力金も要求しました。しかし北朝鮮との将来の国交回復を考えた日本側は、その要求を却下しました。もっとも北朝鮮とは現在も国交回復されておらず、このような具体的な(経済協力・請求権に関する)協定締結は、まだまだ先のことになりそうです。

このように見てくると、賠償・補償問題に関する限り、日韓の間ではすべて解決済みだと思われます。ではなぜ、先日のノ・ムヒョン韓国大統領の「謝罪・賠償」発言があったのでしょうか?また領土問題(竹島問題)についてあれほど強硬なんでしょうか?次回「ドイツの戦後賠償・補償」をお話した後、私に想像できる範囲で説明したいと思います(あくまで想像なので、あしからず)。

最後に中華人民共和国については、1972年の日中共同声明(条約ではない)にて、中国は賠償請求を放棄しました。ただし日本は(主に中国領内の)在外資産を没収されているため、実質上の賠償になっていると考えられています。また、その後のODA援助なども実質上の賠償と考えられています。

それにも関わらず、中国との間においても補償問題がくすぶっています。その理由のひとつとして、他のアジア諸国と異なり、中国とは確固たる条約・協定を結んでいないことが挙げられます。中国はれっきとした連合国の一員で戦勝国であり、他の戦勝国と同様、国家賠償を放棄する代わりに莫大な在外資産を手に入れました。しかしオランダに対しても見られるように、戦勝国に対しては接収資産と個人補償は別問題になり得るようです。(これを盾に最近、アメリカ・イギリスなどの捕虜が、本国からの補償とは別に日本に補償を要求する動きがあります)

以上のことから、戦争賠償・補償に関する明確な協定を、日中間で締結する必要があると思われます。その協定の中で、ODAに対する認識や個人補償の必要性の有無を話し合わなければ、今後も補償裁判は増える一方であり、いつまでも日中間で燻り続けると思います。

今日はここまでです。次回は、「ドイツの戦後賠償・補償」についてお話しした後に、日本の場合と比較してみる予定です。

追記(Mar. 9th):
中華民国(台湾)とは、1952年に日華平和条約を締結しています(日中共同声明にてこの条約は終了)。この条約はサンフランシスコ講和条約を原則としており、中華民国は賠償請求権を放棄しました。もっとも、(他の連合国と同様)接収資産・在外資産などが事実上の国家賠償となっており、それをもとに抑留者に対する補償を行ったようです。ちなみに、他の連合国の抑留者(イギリス人・オーストラリア人など)に関しても、同様の形式の補償がなされています(基本的にサンフランシスコ講和条約による)。

追記(Mar. 10th):
ソヴィエト社会主義共和国連邦とは、1956年に日ソ共同宣言を批准し、(国家・国民すべての)賠償請求権を相互に放棄しています。また、この共同宣言にて、シベリア抑留者などが解放されることになりました。

コリアと友好を築く意義

2005年02月28日 | メインのお話
以前、「なぜ日本は朝鮮半島にこれほど恨まれるのか?」を書いたところ、いろいろなご意見を頂き、大変参考になりました。この中で私は、≪「異民族による征服」を味わった朝鮮民族への(謝罪・反省ではなく)シンパシーを、日本人のマナーとして感じればよいのではないか≫と書いたのですが、このシンパシーに対して予想以上の反発があったことに、一人のコリア系日本人として強い驚きを感じました。もっともその反発も、ほとんどの方が冷静にコメントを書いておられたのを見て、大変安心いたしました。また、中には私の意見に同調される方もいらっしゃって、嬉しく思いました。

私としてはごくごく単純に、「相手がその他の歴史事実を捻じ曲げようと、征服したことは事実なんだから、なぜそのことにシンパシー(同情・共感・哀れみといった意味)を感じられないのか?」という気持ちでした。それに対する「嫌韓度」の強い方々の意見は、「相手の歴史事実の歪曲度・謝罪要求・反日度があまりにひどく、もはや我々の限度を超えているため、シンパシーを感じることはできない」というものでした。私と嫌韓の人々の間にも、これだけの隔たりがあるわけですから、嫌韓日本人と反日韓国人が理解しあうのはまず無理なことのように思えます。

そのような嫌韓日本人の一人の方が、次のようなコメントを残しておられました。

「感情論を押し付けてくる反日韓国(朝鮮)人(在日を含む)に対し、シンパシーを抱きつつ、理論的に諭す努力をしてまで、彼らと理解しあったり友好を築くことに何の意味があるのか」

興味深いコメントであったので、私なりの考えをここで述べさせていただきます。


(1) 在日と友好を築く意義

まず、韓国人・北朝鮮人・在日について明確に分けて考える必要があります。在日に対しては現に日本に住んでおり、「在日とは、どういう外国人か? (歴史とからめて)」「在日とは、どういう外国人か? (国籍取得条件とからめて)」でも述べたように、本来なら国籍選択権を無条件に与えられた存在だと考えております。従って、お互いに共同体を形成しているものとして、理解・友好を築く必要があるのではないでしょうか。

もちろん、反日日本人(典型例が田嶋陽子さん)がいるように、反日在日(典型例がシン・スゴさん)も存在します。私はややリベラルの人間ですが、そのような方々が嫌いです。リベラルというのは、何も自分の国を嫌うことでもないし、そもそも彼女たちの発言が下品だからです。従って、そのような日本人・在日と別に個人レベルで友好を築く必要は全くありません。もっとも問題となる考え方は、個を見て全体を判断することです。シン・スゴさんを見て「在日は反日だ」と決め付けるのは、田嶋陽子さんを見て「日本人は反日だ」と決め付けるのと同じくらい、馬鹿げたことでしょう。

私は(帰化していない人も含め)在日の友達が結構いますが、(少なくとも三世は)ほとんどの方が今住んでいる日本のことを愛しています。帰化しない理由は何も反日だからではなく、かろうじて残っている朝鮮半島とのコネクション(国籍のこと)が、帰化によって完全に消えてしまうのを悲しく思うからでしょう。もちろん、こういったことも理解した上で私は帰化を勧めているのですが、そのことについては今まで何度も話してきたので、ここでは触れません。


(2) 韓国と友好を築く意義

さて、韓国人・北朝鮮人についてですが、「友好」の定義によって答えが変わってきます。「コリア系日本人からの視点」でも述べましたが、国家間における友好であれば、韓国は明確な日本の友好国であり、すでに友好関係は築かれています。逆に北朝鮮は非友好国なので、このようなことを話す土台にも立っていません。

国家間で韓国と友好関係を結ばなければいけない理由は、自由主義陣営に属するもの同士、安全保障の概念から陽の目を見るより明らかです。Classicalな冷戦は終わったとはいえ、極東においてはまだまだ冷戦が続いているのが現実です。ある意味、日本韓国ともに、反日・嫌韓など言っている暇はないでしょう。なぜなら、国家の安全保障の方が、そのような個人的感情に優先するからです。

民間レベルにおいては、いきり立った反日韓国人は無視すればいいと思います。しかし、少なくとも半数は反日でも親日でもないのですから、そのような人々と友好を結ぶことは不可能なことでないでしょう。その時に「朝鮮半島を征服した事実」について何らシンパシーを抱かず、むしろ嫌韓感情を前面に出して話しても、相手を反日に追いやるだけで何の得も無いでしょう。少なくとも、シンパシーを抱くことで相手がより親日になれば、それに勝る友好は無いわけで、ひいては隣国同士の同盟関係がより強固になると考えています。


(3) 北朝鮮と友好を築く意義

「コリア系日本人からの視点」でも述べましたが、現金正日北朝鮮政府と友好を結ぶ意義を、僕は認めていません。したがって、これについては割愛させていただきます。もっともこれに関しては、僕の個人的意見なので、あしからず。

上記のことで、皆さんにもいろいろと意見があろうと思われますので、その時はコメントを残してください。ただもし可能であるならば、コメントを頂く前に、本文中のリンクした話を(コメント欄における議論も)読んで頂けると、議論がより効率的になって望ましいと思われます。

コリア系日本人からの視点

2005年02月26日 | メインのお話
リクエストのコーナーにて、以下の質問に答えて欲しいとの要望がありました。

(1) 在日の人からの、韓国・北朝鮮観。また、在日観
(2) 現在の日本政府の対韓国・北朝鮮への姿勢についての意見
(3) 日本・韓国・北朝鮮以外で、どこの国が好きですか?
(4) 日本と韓国・北朝鮮の考え方の違いをふまえて、友好関係を結ぶことは可能だと思いますか?
(5) 本国(韓国・北朝鮮)の方と交流はありますか?あったとしたらカルチャーショックを感じたこと

一概に在日といっても、在日韓国人、在日朝鮮人、一世から三世(最近では四世も)、僕のような帰化した人間などさまざまおり、それぞれの価値観はばらばらだと思います。そこで、僕の意見に特化して答えていこうと思います。


(1) まず北朝鮮ですが、嫌いです。理由は、僕が軍事独裁・社会主義ともに嫌いだからです。韓国については、嫌いではないですが特に好きでもないです。嫌いでない理由は、民主主義国家であること、好きではない理由は、民族主義が強すぎて、その裏返しとして反日が愛国であるような勘違いをしていることです。ただし、自分のルーツである朝鮮民族として、強い愛着はあります。そういった意味で、朝鮮半島が(遠い)将来統一して、真の民主主義国家が成立することを、心から願っています。

在日に対してですが、少なくとも三世は日本国籍を取得して欲しいと思います。一世は生まれた場所が違うので、国籍を捨てるのにためらいがあるのは理解します。二世は、在日への制度的・社会的差別が色濃く残っていた時代に青春期を過ごしているため、意地になって日本国籍を取得しない人がいるのも理解できます。ただし三世は違います。僕は、このことを強く言いたいです。親のわだかまりを子供が引き継ぐな、と。以前、戦後の在日の国籍について、「在日とは、どういう外国人か? (歴史とからめて)」「在日とは、どういう外国人か? (国籍取得条件とからめて)」で詳しくお話したように、日本政府もできる限り早急に、国籍選択権を無条件に与えて欲しいと思っています。そうして日本国籍を選択する在日は、僕のように誇りを持ってコリア系日本人として生きていって欲しいと思います。

ちょっと話が在日観とずれましたが、現在の在日全般に対する僕の個人的感情は、一般の日本人の方よりもはるかに同胞意識が強いです。ちなみに僕のこの同胞意識は、韓国人・朝鮮人にはあまり感じません。つまり、在日に対しては韓国人・朝鮮人としてではなく、日本におけるマイノリティの「朝鮮民族」といった感情ですかね。だからこそ、朝鮮民族を愛すると同時に日本国を愛する僕としては、すべての同胞が早くコリア系日本人として生きていって欲しい、と思うわけです。ちなみに、僕の同胞意識の強い順は、

コリア系日本人もしくは在日コリアン=関西系日本人(関西人)≧その他の日本人全般>(日本語の話せる)日系外国人>(日本語の話せない)日系外国人≧(日本語の話せない)コリア系外国人全般

ですかね。これ以外にはたぶん同胞意識は感じないと思います。


(2) まず北朝鮮への対応について。明らかに間違っていると思っています。在日朝鮮人の方にとっては家族が人質同然であり、送金停止などに深い憂慮を示されるのは、とても理解できますし、本当に胸の痛むことです。それでも誤解を恐れずに言うならば、日本国としてはあの国の体制崩壊を目指すべきです。別にイデオロギー云々の話ではなく、あれだけ人民が奴隷のように搾取されており、人道的見地からも、あの体制を絶対的に破壊する必要があります。そうすれば、自然に人質は解放されます。もちろん、その崩壊の過程で一部の方は殺されるかもしれません。またとんでもない目に会うかもしれません。しかし今のままだと、もっと多くの方が不幸な目に会うと思います。日本人拉致家族の方がそれを望んでいるのも、同じ考えだからでしょう。

具体的には、経済制裁はあたりまえのこと、とにかくアメリカに日本の方から積極的に圧力をかけて(イラクでは貸しを作っているのだから)、日本人拉致はテロだという認識のもとに、大量破壊兵器保有を大義名分として安保理決議を掛けさせるべきだと思います。まあ、中国をいかにうまく抱き込むか、が焦点になると思いますが、それについてはここでは述べません。とにかく、北朝鮮の体制を破壊し、将来的に韓国と統一できるように(現在の韓国の国力では無理)、周辺国家が国連のもとでしばらく統治するのがいいのではないでしょうか。その際に日本の戦後処理をすればいい(それこそ韓国における経済協力方式でも何でもいいが)。そして(遠い)将来、真の民主主義国家としての統一コリアが(「高麗」という名前でもなんでもいいから)成立して欲しいものです。

韓国への対応ですが、現小泉政権は比較的うまくやっているのではないでしょうか?特に強気だとも弱腰だとも思わないです。周辺国家では、韓国は唯一の民主主義・自由主義国家ですから。もっとも現ノ・ムヒョン政権の政策は、僕自身全く支持していません。


(3) 自分の海外生活から、最も好きな国はドイツです。あと同じくらい好きなのはオーストラリアで、引退後はオーストラリアと決めています。アメリカは複雑です。極端な個人主義が僕には合わないです。ドイツの好きな理由は、戦争中日本の同盟国だったこと、戦後日本と同様素晴らしい経済復興を遂げたこと、朝鮮半島と同様分断の悲劇を知っていること、過去の歴史とのつきあいかたがうまいこと、自分がもっとも暮らしやすい外国であったこと、などが挙げられます。逆にドイツの嫌な点は、飯がまずいことです。

歴史関係の話はこれまた複雑な話なので、後日改めてお話しますが、ひとつだけ。革新派の人がよく言う「ドイツは日本と違って真摯な謝罪をしている」というのは、間違っています。また逆に保守派の人がよく言う「ドイツはナチにすべての責任を押し付けて、自らは潔白のような顔をしている」というのも、間違っています。ドイツは謝罪・賠償・責任・恥という概念を明確に分けて話しています。このあたりが日本の下手なところでしょうね。


(4) 友好関係というあいまいな言い方が少し問題ですが、少なくとも国家間においては、韓国は明確な日本の友好国です。つまり、すでに友好関係は築かれています。逆に北朝鮮は非友好国なので、このようなことを話す土台にも立っていません。民間においてということであれば、お互いの国において友好的な人もいれば非友好的な人もいるでしょう。もちろん、友好的な人を増やしたいとは思いますが、友好は押し付けられて育つものでもなく、僕は自然に構えていようと思います。

W杯共催や韓流に共感する人もいれば、逆に嫌悪感を抱く人もいるだろうし、それをお互いにどうのこうの言う方がおかしいと思います。朝鮮半島と日本列島の交流は、千年単位の歴史を持っているので、数十年単位の不幸な歴史でもってうんぬんする必要はないと思ってます。僕はもっと長いスパンで見ていこうと思ってます。僕がこのブログを始めた理由も、決して友好関係に役立ったら、と思っているわけではなく、間違った知識や感情に基づく「親近感や嫌悪感」がなくなり、皆が自然に構えれたらな、と思ったからです。


(5) 親戚で韓国の人がたくさんいるので(ちょっと前まで曾祖母がプサンで生きていた)、彼らが日本に遊びに来た時交流があります。特にカルチャーショックは無いですが、あえて言うなら、僕のようなコリア系日本人・在日と比べ、感情が豊かということぐらいですかね。特に僕が韓国語で日常会話ができると知ると、両親のいとこなど大喜びで僕を抱きしめてくれます。この感情が怒りのほうに行くと、すさまじいのかな、とも思ったりします。それが日本人の違和感につながるのかもしれませんね。

海外において仕事で接した韓国人に対しては、特に何も感じなかったです。冷静で知的なやつだったので、仕事上の討論も普通に激しくやりあいましたし、プライベートでも楽しくつきあいました。少なくとも同じアジア人ということで、ヨーロッパ人よりも親近感はわきます(米文化だし)。

カルチャーショックについてちょっと面白い話を。結婚式直前に、初めて両祖父母が僕の実家にそろった時のこと。僕の妻は普通の田舎出身の日本人なんですが、両祖父母が僕の結婚ということで感極まりまくって、皆がいっせいに韓国語で話し始めました。そして僕の妻を抱きしめまくるは、ほっぺにキスしまくるはで、すごかったです。僕と僕の父は韓国語ができるのですが、母は(コリア系にもかかわらず)全く理解できず、僕の妻もぽかんとしていました。何かとても喜んでくれている、というのはボディ・ランゲージで理解できたようですが。そのとき初めて、彼女は僕が朝鮮民族であることを肌で実感したようです。

靖国神社の問題点(A級戦犯問題と宗教観) 其の弐

2005年02月20日 | メインのお話
以前「其の壱」にて、「どうすればいいか」についての意見・考察を、日本人の宗教観・神道のあり方などと絡めて述べたい、と偉そうな事を言ったのですが、いろいろと読めば読むほどさっぱり分からなくなってきました。日本人の宗教観・死生観は以下のsiteに詳しく書かれています。
『國神社を想う』~人を祀るということ~
死生観にまつわる一考察(さささんのBlog)
また私と同様、靖国神社をどうすればいいか、についてある在日コリアンの方が書かれています。
靖国神社は国の施設に!

上にあげたものだけ読んでも、私が「其の壱」で述べた≪シャーマニズムらしく、戦没者全体を(個人名を特定せず)一体渾然とした形で祭祀すればいい、すなわち、厚生省などの国家機関が決定した祭神名票なんかやめればいい≫というのが、かなり不可能に近いことが理解できてしまいます。何が最も厄介かと言うと、神道はシャーマニズムのようで最早シャーマニズムでない点です。特に明治時代以降、近代改革とともにそれと逆行する王政復古を無理やり行い、その「近代的な王政復古」が日本古来のシャーマニズムと微妙に絡み合って、独特の「ザ・神道」を作り出したようです。

こう見てくると、ちゃんと解決するためには、やはり誰が本当に戦争責任者だったのかを正確に再検証し、その方には分祀していただき(残りの戦犯の方は完全なる名誉回復を行う)、靖国を国立施設にするのが一番良いのでしょうか?そして今後自衛隊などから死者が出た場合は靖国に祀る、というのが一番将来のことを考えてもよいと思うのですが。

もちろん分祀ということは、何も死者を冒涜するものではなく、靖国という国立機関から外れるだけのことであり、新たに一神社を造って、それこそ今までの靖国のように国とは関係なく祭祀すればよいと思います。

結局歯切れがどんどん悪くなっていきましたが、これ以上私には分かりません。それだけ深く考えれば考えるほど、難しい問題なのだと思います。ちなみに靖国の様々な矛盾点については、「其の壱」のコメント欄に書かれている≪「靖国」問題一考察 (摂津守)≫がとてもよくまとまっていると思われます。

なぜ日本は朝鮮半島にこれほど恨まれるのか?

2005年02月20日 | メインのお話
丸いさんがコメントに興味深いご意見を書かれていたので、それについて簡単に僕の意見をお話したいと思います(読者の方は、鳥重のレシピ(訂正版)のコメントの中の「こんなふうに思うのですが (丸い) 」を、まずお読みください)。この話は非常に複雑なので、もっと後で書こうと思っていたのですが、まあいい機会なので、思うがまま、ここではあまり深く考えずに書いてみます。

さて、なぜ日本は朝鮮半島にこれほどの恨みを買ってしまったのでしょうか?理由は≪丸いさん≫も書いているとおり、ずばり「異民族に征服されたから」です。それ以外の理由は後付けであり、「日本民族という異民族に征服され、朝鮮という国をこの世から永遠に消されたから」という理由以外の何者でもありません。これは、たとえ日本が半島にいい事をしようと悪いことをしようと、それとは全然関係がないのです。ここを分かっていない日本人が(保守層革新層問わず)とても多いように思います。

日本がかつて異民族に征服・占領されたのは、戦後のみであり、この時でさえ後に独立することが保証されていました。だからこの朝鮮民族の気持ちが理解しにくいのかもしれません。民族心というやつは非常に厄介なもので、感情をものすごく揺さぶるものです。いわば理性とは対極にあるからこそ、ともすると爆弾になりかねないのかもしれません。

ヨーロッパ諸国の植民地に比べて、半島経営はずっと良心的なものだった、というかもしれません。確かにイギリス領インドやオランダ領インドネシアに比べ、私個人としてはずっとましだったと思います。でも、朝鮮民族からすると「だから何?」なんです。つまり占領された側からすると、他の被占領地域とは比べません。では、何と比べるのか?朝鮮半島の以前の時代と比べるのです。確かに新羅・高麗・李氏朝鮮と歴代中華王朝の属国だったかもしれない(高句麗は中華王朝に激しく対抗したがために、現代の韓国人があこがれる国なのかもしれない)。でもこの属国は朝鮮自身が選んだ道であり、少なくとも朝鮮における国が消えることはなかったのです。

日帝時代、確かに朝鮮半島はそれ以前に比べ裕福になったかもしれない。でもその時朝鮮という国は無かったのです。それで話が終わっちゃうわけです。また一進会を中心に日韓併合を望む勢力もいたのかもしれない。でもこの一進会ですら、解散されてしまうわけです。ましてや反対派はたまったもんじゃないでしょう。閔妃は冷酷な后だったでしょう。でも異民族に殺されたんではたまったもんじゃない。

結局朝鮮民族の感情の基本となるものは、こんな感じかも知れません。もちろん、この基本となる感情に、様々な神話(大げさに伝えられる、「土地調査事業」「創氏改名」「強制連行」「従軍慰安婦」などなど)が肉付けされていき、とんでもなく恨みを買ってるのかもしれません。では我々日本人はどうすれば良いんでしょう。

コリア系日本人としての僕のお勧めパターンは、まずベースとなる朝鮮民族の感情にシンパシーを抱いてあげることです。謝罪でも反省でもなく、シンパシーです。これを絶対的中心において、間違った肉付けとなった神話に対する過ちを指摘するのがもっとも良いのではないでしょうか?

よく保守層の人がやる過ちは、間違った神話ばかりを指摘するのに熱心になるあまり、最低限の「異民族による征服」を味わった民族へのシンパシーが、どこかに行ってしまう事です。これでは相手の感情を思いっきり逆なでするだけで、もはや神話の指摘を聞く耳も持たないでしょう。逆に革新層の人がやる過ちは、シンパシーを抱きすぎるあまり、それが謝罪などの形に変わり、さらには神話まで事実のように思ってしまうことです。これでは真の歴史清算には全くなりません。

今回は適当に思うがまま書きなぐったので、ちょっと分かりにくいところがあるかもしれませんが、そのときはコメント欄にでもご意見をお書きください。

通名と本名 其の壱(創氏改名編)

2005年02月19日 | メインのお話
久々の更新です。今日は、「在日」の話題に必ず付随してくる「通名」について話したいと思います。皆さんも御存知のように、一般の在日コリアンには通名と本名の2つの名字があります。本名とはその名の通りいわゆる一文字の韓国名(金、李、朴など)であり、通名とは一般に日本風の二文字の名字(金石、金田、木戸など)です。通名のそもそもの起源は、日帝時代の1940年に、朝鮮総督府によって施行された「創氏改名」に由来するものです。「創氏改名」については、いろいろな所で説明し尽くされているでしょうけれど、今回はまずこの「創氏改名」について、私の意見を述べさせていただきます。

朝鮮名にはもともと「姓」というものがあり、これが上で挙げた金とか李とかいうやつです。朝鮮では(中国でも然り)父親の「姓」を子供(男女に関わらず)が名乗り、この「姓」は(たとえ結婚しても)一生変わるものではありません。従って朝鮮の家族内においては、父親と母親の「姓」が異なります。これに加えて、日本式に家族ごとに同じ「氏」を持て、というのがいわゆる「創氏改名」です。つまり、建前上は別に「姓」を奪うというものではなく、戸籍管理を容易にするため「氏」を創るというものです。実際新たな戸籍には、「氏」のほかにも(小さくではあるが)「姓」も書かれています。下の「名」に関して「改名」は任意であり、多くの場合は「改名」しておらず、同じ漢字を日本読みしただけのようです(例えば、朴正男<パク・ジョンナム>は木戸正男<きど・まさお>といったように)。

さて、この「創氏改名」ですが、後世様々な議論を引き起こします。やれ朝鮮の名前を無理やり日本式に変えられただの、いやあれは朝鮮人が望んだから朝鮮総督府が日本式の名前をつけてやった、云々。今となってはどちらが本当なのか全く分かりませんが、想像するのは勝手なので、私の意見を書いてみようと思います。

朝鮮半島において、1940年2月初めて「創氏改名」が施行されたとき、その届出戸数は極めて低いもの(施行3ヶ月でわずか8%)であり、半数以上の届出が、同年8月の締切1ヶ月以内になされています。締切10日以内に限っても3割以上の届出となっており、届出状況のラストスパートが目につきます。最終的に朝鮮半島における全戸数の約8割が、「創氏改名」の届出を行ったようです。残りの2割に関しては、韓国式の「姓」がそのまま家族の「氏」になったため、事実上名字の変わる人は、妻のみということになります。

さて、(朝鮮人の意思に反した)強制性の有無ですが、「強制性あった派」は、この届出状況のラストスパートをその間接的証拠として挙げています。すなわち、最初はほとんどの人が嫌がったために届出は少なかったが、途中からその届出の少なさに総督府側が危機感を募らせ、強制に踏み切った結果、締切前に届出が極端に増加した、という説明です。一応理にかなった説明です。一方、逆に「強制性なかった派」は、2割もの戸数が届出を行わなかったことをその間接的証拠として挙げています。すなわち、強制があったのなら、少ないとは言え、2割もの人が届出を行わずに済むはずがない、という説明です。これも一応理にかなってます。では、一体どういうことが起こっていたのでしょうか?

このことで、よく台湾の例と比較される方がいますが、私はこの比較は何の結論も引き出さないと思います。台湾においては「改姓名」にて同様のこと(厳密には違うが、ここでは触れません)が実施されていますが、朝鮮の場合と全く異なり、全くの許可制でした。それも、日本語常用家庭・神道崇拝者・家庭清白者(犯罪者がいない)の三条件を満たすものだけに許可されるものであり、最終的に約2%しか認められていません。当時は日中戦争(支那事変)の最中であり、日本人と台湾人を明確に区別したかったのではないかと、考えられているようです。

さて朝鮮の「創氏改名」に話を戻します。私の個人的意見としては、「ある程度の強制性はあった」というものです。当時半島出身者に対して社会的差別があったのは、事実でしょう。この社会的差別が最も顕著に出たのが、関東大震災におけるデマによる朝鮮人(一部日本人・中国人を含む)虐殺事件だと思われます。従って、中には日本人と同じような名前を望んだ人がいても、不思議ではないでしょう。実際上にも書いたように、「創氏改名」施行後3ヶ月以内に約8%の人が届出を行っており、これらの人はむしろ日本式の名前を望んでいたのでしょう。

しかし届出状況のラストスパートの異常な様相は、やはり強制性があったと考えるのが自然だと思います。もっともこの強制性が当時の南総督トップから出ていたものかどうかについては、疑問が残ります。理由は、やはり2割もの戸数が届出を行っていないからです。しかもこの中には、比較的高い地位についている朝鮮人が数多くいたようで(有名な例が、洪思翊中将、衆議院議員朴春琴など)、トップじきじきの強制性があったとするならば、全く説明がつかないからです。では一体どのような強制性があったのでしょうか?

私は、当時盛んだった「皇民化政策」と強いつながりがあると思います。この「皇民化政策」は、神社参拝強要・皇国臣民の誓詞斉唱強制・朝鮮語正課の廃止・日本語の常用など、精神的にも内地の日本人に完全に同化させよう、という政策です。特に1938年に結成された「国民精神総動員朝鮮連盟」の活動は、「皇民化政策」に大きく寄与したようです。この下部組織の「各道地方連盟」は総督府の行政機構と一体となって組織され、さらにその基礎組織として10戸を標準とする「愛国班」が作られ、1939年にはほぼ全人口が網羅されました。この「愛国班」を通して物資の配給などが行われたため、民衆は「愛国班」に協力せざるを得なかったようです。

「皇民化政策」は「愛国班」を通して行われ、「創氏改名」も「愛国班」が中心となって進められたようです。こう考えると、「創氏改名」推進運動が結果的に強制性を伴ったのは、容易に想像がつきます。つまり、一般の末端の民衆には「愛国班」を通して「創氏改名」が半強制的に行われ、比較的高位もしくは施政者側の半島出身者には、(「愛国班」が関与していないため)「創氏改名」は強制されなかったと考えられます。従って、最初に述べたような「強制性があった」か「なかった」かの二者択一論は、あまり意味のない議論であることがお分かりになったと思います。

以上が「創氏改名」に対する私の個人的意見です。次回は、戦後在日にとって「通名」とは何か、を書こうと思います。

靖国神社の問題点(A級戦犯問題と宗教観) 其の壱

2005年02月12日 | メインのお話
昨日のアンケートにおいて、私が靖国の在り方そのものに問題がある、と書いた点に関してたくさんのコメントを頂きました。その中には大変貴重なご意見もあり、それも含めながら(無謀な試みではあるが)、私の意見としての「靖国神社の問題点」を書こうと思います。この主題は、大変難しい問題である上、私自身もそれほど詳しいことではないのでおかしな点などがあれば、遠慮なくご指摘ください。付け加えますが、ここでの意図はタブー抜きに意見を語ると言うものであり、死者を冒涜する、といったものではないので御了承ください。ではかなり長くなりますが、少々我慢の上、お読みください。

まず、靖国参拝の是非についてはいろいろな意見があると思いますが、私も参拝そのものに問題があるとは思いません。もちろん、参拝に伴う中国・韓国などの反発を考慮すると、短中期的には(特に経済的)デメリットが多いとは思いますが、魂の問題を経済と等価に考えるのは少々おかしな感じがしますので、参拝には基本的に反対の姿勢はとりません。さて靖国参拝反対論者の主張には様々な意見がありますが、まずはその主張とそれに対する靖国参拝賛成論者の反論を見ていこうと思います。

≪反対論者主張その1≫
政教分離の原則から、参拝は違憲だ。
≪賛成論者の反論≫
死者を弔ったり祭ったりすることにおいて、宗教を排除する方がきわめて不自然であり、また死者を扱えるのは宗教のみである。たとえ靖国という少し変わった神道(靖国神社は単一宗教法人であり、神社本庁には加盟していない)であっても、そこに憲法判断を差し込む余地はない。

≪反対論者主張その2≫
戦争被害国(主に中国・韓国・北朝鮮)が行くなと言っているので、参拝すべきでない。
≪賛成論者の反論≫
外国が不満を示しているからと言って参拝を止めるのは、完全に外圧に屈したことになり、問題解決にならない。戦争被害国の感情を考慮したり、もしくはこちらの立場を外交の場において説明する責任はあるが、必要以上の理にかなっていない配慮は、逆に友好関係にマイナスになる。また宗教観・死生観の違いにおいて、他国からああだこうだ言われる筋合いはない。
   
≪反対論者主張その3≫
太平洋戦争を引き起こした戦争責任をA級戦犯が負うべきであり、彼らを分祀しない限り参拝をすべきでない。
≪賛成論者の反論≫
東京裁判における戦犯指定は、完全に勝者の論理に立ったものであり公平な裁判とは言い難い。かつサンフランシスコ講和条約後、国会決議において戦犯全員の名誉回復が行われている。従ってA級戦犯だけを分祀するというのは認められない。

それでは私の意見を書かせていただきます。主張その1において、賛成論者の反論は全くもってそのとおりだと思います。宗教と死者を分ける方がおかしい。何らかの宗教を信じている方にとっては、死者を弔うことそのものが宗教的であり、あえて宗教を分離させる方が摩訶不思議でしょう。もっとも私個人は全く無宗教で、神・魂の存在を100%否定していますが(死ねばバクテリアによって肉体が分解されるだけであり、神・魂というものは人間の大脳皮質のシナプス活動による幻想、という考え方)。。。

主張その2において、外圧に屈して参拝を止めるというのは、愚の骨頂でしょう。この点で、小泉首相は毎年参拝しなければいけないと思います。しかし、戦争被害国の考え方は加害国として理解しようと努める必要があると思います(もっとも、韓国・北朝鮮は被害国でありかつ加害国でもあるが、中国は完全に被害国)。「日本には死者を鞭打つ習慣はない」ことは、そのとおりだと思いますが、やはり「戦争責任者(いわゆる戦犯)」が祭られているからには、被害国への説明責任は生じるでしょう。

ドイツでもかつて、ナチ隊員を埋葬しているドイツ人戦没者墓地をめぐって問題が生じています(1985年ビットブルク墓地事件など)。私が思うに、参拝するのは構わないが、やはりそれなりの配慮は必要だと言うことです。ましてや小泉首相のように政治公約にして参拝するのは、不必要な角を立てているだけであり、その点今年のように「適切に判断する」と言うコメントは評価しています。そう言っておいて好きな日に参拝すれば良いでしょう。

もっとも中国の現在の対応にも非常に大きな問題があり、このような「死者の魂・霊魂」についての問題を外交カードにするのは、大国としてふさわしくない対応でしょう。単に「不快感」を伝えればいいのであって、それを愛国教育に利用するのは「江戸の敵を長崎で」みたいな状況だと思われます。

さて最後の主張3ですが、微妙な問題です。確かに東京裁判は勝者による不公平な裁判であり、私が見ても何で彼が戦犯なの、と疑問に思う人もいます。しかし、もし東京裁判の結果が受け入れられないのなら、なぜ再度日本政府自身で裁判をやり直さないのでしょうか?もちろん、ここでも「日本には死者を鞭打つ習慣はない」という感情が問題になると思いますが、それは感情論です。論理的冷徹に考えれば、やはり誰が本当に戦争責任者だったのか、正確に検証する必要があるでしょう。

日中戦争(支那事変)は、日本領土ではなく中国領土内で起こったことであり、また、太平洋戦争も日本のアメリカ領土への攻撃から始まってます。ハルノートがいかに強烈な要求だろうと、先に攻撃した方が責任を負うべきです。先に攻撃して責任を負わない唯一の方法は、戦争に勝つことですが、残念ながら負けてしまったので、やはり誰が真の戦争責任者かは、しっかりと見つめ直さなければいけないでしょう。

もちろんこういった再検証は、現在韓国で行われている親日法を含む過去史追求と通じるところがあって感情的に嫌だ、というのもよく理解できます。実は私も嫌です(笑)。だとすると、合祀の問題はやはり何らかの対策を打たなければいけない、と思います。実際1979年のA級戦犯合祀発覚以降、天皇陛下でさえ参拝できない状況になっています。その他数百万の英霊にとってこれほど迷惑なことはないでしょう。では、どのような対策があるのでしょうか?

ここから先の話は、「コリアン・ザ・サード(らーさんのBlog)の100の質問に対する答え」に対するコメントの中に書いているのですが、もう一度まとめようと思います。私の結論を簡単に言うと、本来神道のあるべき姿≪シャーマニズム≫らしく、戦没者全体を(個人名を特定せず)一体渾然とした形で祭祀すればいい、すなわち、厚生省などの国家機関が決定した祭神名票なんかやめればいい、ということです。過去奉納した祭神名票(A級戦犯を含む)に関しては、神社の奥深くに封印するなりして、体外的にはもはやノーコメントで通せばいい(祭神名票とは決別した、という大義名分の元に)。こうして靖国神社も一般の神社本庁に加盟し、伊勢神社・明治神宮などと同様の一神社になればいい、と思います。

かなり疲れてきたので、今日はここまで。次回、「どうすればいいか」についての意見・考察を、日本人の宗教観・神道のあり方などと絡めて、述べたいと思います。

≪皆さんへの御質問≫
靖国神社において、太平洋戦争時における行方不明者などの扱いがどうなっているのか、誰か教えていただけたら幸いです。また現在のドイツが、ナチス隊員戦没者、もしくはニュルンベルグ裁判での戦犯に対して、どのように処理しているのか、知っている方がいらっしゃいましたら、是非コメントで教えてくださいませ。ちなみに、ニュルンベルグ裁判と東京裁判の性質の違いを理解した上での御質問なので、悪しからず。

≪感想≫
魂・宗教の問題は疲れるわ。何せ論理を飛び越した存在やから。みんな俺みたいに無宗教やったらええのに、と罰当たりなことを思ったりもする。でもそんな事言ってもしゃあないから、とりあえず論理展開してみる。前の国籍問題ではしっかりした論理が組めたが、今回はやっぱり無理かも。。。でも「靖国は国内問題やから外国はほっとけ」では、元も子もないからなあ。それ言ったら中国の「チベット台湾は国内問題やからほっとけ」と同じくらい感情論やからな。結局今の御時世、国内問題言うてもすぐ国際問題化してまうし、いったん国際問題化したらもはや国内問題に戻されへんからな。とにかく皆さんのコメント待ってます。俺の手には余るわ。。。ちょっと無茶なトピックに手を出したかな。ほんじゃ、このあたりで仕事に戻ろ。昼飯食いながら書き始めてすごい時間が経ってしまった。今日は帰ったらトックかみさんに作ったらなあかんから、はよ仕事終わらせよ。(今度トックのレシピ挙げます)

在日とは、どういう外国人か? (国籍取得条件とからめて)

2005年02月08日 | メインのお話
昨日の「在日とは、どういう外国人か? (歴史とからめて)」の続きです。今回の話はかなり長くなりますが、我慢してお読みください。世界には、国籍取得条件として、出生地主義を採用している国と血統主義を採用している国の二種類があります。おおまかにわけて、アメリカ・カナダ・オーストラリアなど伝統的に移民の国では出生地主義をとり、そうでない国では血統主義を取ってます。しかし、血統主義を取っている国でもまちまちで、純粋に血統主義をとっている国としては日本・韓国・中国などで、状況により出生地主義も取り入れている国は、大半のEU諸国です。

例えばドイツでは、片親が8年以上ドイツに住んでいると、子供は無条件にドイツ国籍が与えられますし、フランスは限りなく出生地主義に近いです。昔に比べ、現在は単一民族として国が存在できないようになってきており(国際化による)、血統主義が基本でも、部分的に出生地主義を取り入れている国が増加してきています。二重国籍を認めるかどうかについては、国によってばらばらで、どれがスタンダードか、というのは一概に言えない状況です。

さて、在日の日本国籍取得を論ずるにおいて、切り離せないのが、旧植民地(朝鮮と台湾)と旧宗主国(日本)という関係です。まず、海外において植民地が宗主国から独立したとき、国籍がどうなったのかを見ていこうと思います。

≪イギリス≫

大英帝国の支配権はかつて例を見ないほど大きく、それがゆえに植民地の独立後の市民権の変遷はあまりに複雑で、正直に言ってよくわかりません。しかも、独立後もイギリス連邦に所属しており、形式上元首はイギリス女王ということになっています(例えば、オーストラリアなども未だに元首はイギリス女王であり、現在大きな議論になっているようです)。こうした日本の場合との違いはさておき、在イギリスの植民地出身者に対しては、イギリス連邦の市民権・かつ後に居住権を与えたようです。もっともイギリス外に住んでいる植民地出身者に対しては、市民権はあるが居住権は与えないようにして、イギリスへの移民流入を防いだようです。

イギリスにおいてもっとも分かりやすい例は、インドの独立だと思います。この独立時、在英インド人は国籍選択権を与えられました。この例を在日に当てはめると、戦前日本内地に渡ってきて、内地で生活をしていた朝鮮出身者に対しては、無条件に日本国籍を与えられることになります。一方朝鮮戦争時に不法入国した韓国・朝鮮人に対しては、日本国籍は与えられません。

≪フランス≫

次はフランス・アルジェリアの関係について見てみます。1962年のエビアン協定にてアルジェの独立が認められるのですが、在仏アルジェリア人はやはり国籍選択権が与えられます。ただし、このとき相互協定があり、在アルジェリアフランス人に対しても、国籍選択権が与えられました。

≪ドイツ≫

最後にドイツ・オーストリア併合について見てみます。1938年、ナチスドイツによってオーストリアはドイツ第三帝国に吸収合併されます。敗戦後ドイツ第三帝国は、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦による分割統治が行われ、1955年に西ドイツ・オーストリアが主権を回復します。1956年5月、国籍問題規制法により、ドイツ国内に居住するオーストリア人は、「国籍選択権」が認められました。日本・朝鮮半島の関係は、このドイツ・オーストリアの関係に最も近いと考えられます。

さて、一方日本における在日の誕生は、どういういきさつがあったのでしょうか?敗戦後の有力者の発言を引用します。

<堀内内相>1945年12月5日、衆議院選挙法改正委員会
「内地に在留する朝鮮人に対しては、日本の国籍を選択しうることになるのがこれまでの例であり、今度もおそらくそうなると考えています」
<川村外務政務次官>1949年12月21日、衆議院外務委員会
「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定されることになるという見通しをもっている」

おそらく1948-49年頃までは、日本政府も国籍選択権を与えることを考えていたのではないかと思います。ところが1948年に大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国が建国され、1950年ついに朝鮮戦争が勃発します。この間に済州島における赤狩りの名を借りた虐殺事件(四・三事件)などがあり、朝鮮半島からの不法入国(事実上の難民)の問題が発生します。こうした事態を受けて、日本政府の態度が急変化し、最終的に国籍選択権が与えられないことになりました。また日本を反共の砦にしたいGHQ側にとっても、スパイ防止の観点から慎重になったことは、容易に推測されます。

以下の発言に、当時の日本政府の対応がよく現れています。

<西村条約局長>1951年11月5日、衆議院平和条約特別委員会
「かって独立国であったものが、合併によって日本の領土の一部になった。その朝鮮が独立を回復する場合には、朝鮮人であったものは当然従前持っていた朝鮮の国籍を回復すると考えるのが通念でございます。」
「日本に相当数の朝鮮人諸君が住んでおられます。これらの諸君のために、特に日本人としていたいとの希望を持っておられる諸君のために、特別の条件を平和条約に設けることの可否という問題になるわけです。その点を研究しました結果、今日の国籍法による帰化の方式によって、在留朝鮮人諸君の希望を満足できるとの結論に達しましたので、特に国籍選択というような条項を設けることを(連合国側に)要請しないことにしたわけです」

こうして1952年のサンフランシスコ平和条約を機に「民事局長通達」により、旧植民地出身者は「日本国籍」を無条件に喪失することになり、「在日」と言う存在が誕生することになりました。かつ、上の西村条約局長発言の中で、「今日の国籍法による帰化の方式によって、在留朝鮮人諸君の希望を満足できる」としているのですが、戦後非常に長い間、帰化申請の却下率が極めて高かったことから、帰化方式が国籍選択方式に代わり得るものにならなかったのは、明らかです。

では一体この時の日本政府に問題点はあったのかどうか、上述した海外の例と比べながら、また「国籍選択権付与反対(基本的に日本政府の対応に問題はなかったとする意見)派」の主張を引用しながら分析してみようと思います。以下に、この反対派の主張をいくつか提示したいと思います。

≪その一≫
日本がまだGHQの施政権下にあった1949年10月7日、駐日大韓民国代表部はマッカーサー連合国司令官に「在日韓国人の法的地位に関する見解」を伝え、「在日大韓民国国民の国籍は母国の韓国であり、日本国籍は完全に離脱した」という趣旨の宣言を行ったので、日本政府が国籍を一方的に剥奪したと言うのは誤りだ。

≪その二≫
国籍選択権は、フランス・アルジェリアのように相互に与えられるべきだ。

≪その三≫
ドイツ・オーストリアの併合は、非常に似通った民族同士の場合であり、日韓併合と同様に論じられるものではない。

≪その四≫
日韓併合のほかの例の場合すべて、旧植民地若しくは併合国が当時の支配を、結果として合法と認めている。ところが韓国・台湾に関しては、旧植民地が「併合自体が不法であり無効」ということになっており、この論理で行くと、旧植民地出身者に関しては日本国籍を持っていたことすら無効、ということになり、国籍選択権が入る余地はない。

私が見たことのある主張は大体こんな感じです。それでは一つ一つ私の個人的意見を述べたいと思います。あくまで私の個人的意見(私は専門家でもないので)であり、異論のある方はどんどんご指摘ください。

「主張≪その一≫に対する反論」
これは韓国(民団)側の完全に一方的な通告であり(同様の通告は総連側にも見られる)、こんなものを認めるほうがおかしい。実際、上述した1949年12月21日の川村外務政務次官の発言においても、国籍選択権を認めるような発言が見られる。またドイツ・オーストリアの例でも見られるように、こういう問題は一方的通告では何の拘束力もない。そのような点で、国籍喪失に関しては、民団(韓国側)・総連(北朝鮮側)・日本政府三者とも責任があると思われる。

「主張≪その二≫に対する反論」
私の知る限り、イギリス・ドイツの例において、相互に国籍選択権が与えられた、と言う話は聞かない。むしろフランス・アルジェの例が特殊だと思われる。逆に言えば、フランスの外交力の強さを示しているのかもしれない。

「主張≪その三≫に対する反論」
日本政府は、「一視同仁」「内鮮一体」という建前のもとに、日韓併合を行った。一方ナチスドイツは、同じ民族としてドイツ・オーストリア併合を行った。別に何ら変わらない。

「主張≪その四≫に対する反論」
少なくとも1952年の時点では、日本は日韓併合が無効などという主張は受け入れていない。仮に無効を受け入れたとしても、事実旧植民地出身者が日本に住んでいるし、この事実は明らかに植民地時代と関係しているのだから、併合の有効性と国籍選択権は何ら関連性がない。

さて、総合した私の意見は、当時の日本政府・韓国政府+民団・北朝鮮政府+総連の三者すべてに責任があったと思います。戦後ちゃんとした話し合いも持たずに決定し、結局一番の犠牲者は、日本人として生きていきたかった在日本旧植民地出身者です。もちろん当時は冷戦真っ只中で、GHQの意向が働いたのは容易に想像できます。また、オーストリアはうまく永世中立国となった一方で、朝鮮半島は完全に分断されてしまったという、非常に大きな違いがあります。

しかし、現在classicalな冷戦構造は終結し(もちろん北朝鮮問題はありますが)、韓国とも日韓基本条約で国交が結ばれているので、もう一度「在日」といった世界的に見てもよじれた変てこな存在を、誕生時から見直して考え直す時期だと思います。では、今現実にどうすべきか。これは高度に政治的判断になると思いますが、少なくとも現在国交のある国の在日外国人(特別永住資格の持っている外国人に限定、すなわち在日韓国人と在日中国人)に関しては、国籍選択権を与えるべきだと思います(私の個人的意見では、二重国籍には反対)。そうして外国の国籍を取得した人に関しては、普通の永住資格に戻すべき(単なる永住外国人)だと思います。

一方在日朝鮮人に関しては、北朝鮮が日本との国交を樹立した後に、同様のことをすべきだと思います。それ以前に国籍を選択したい人は、在日朝鮮人から在日韓国人に切り替える必要があると考えます。もっとも、現在の極東情勢を鑑みるに、安全保障上の問題が懸念されるのは理解できるので、在日問題を処理する前に、出来る限り早急にスパイ防止法・国家反逆罪などの制定が望まれると思います。長期的に考えたときは、日本もそろそろ限定的でいいので、出生地主義(例えばドイツのような)を取り入れてほしい、と思います(一部の保守系議員も提唱しているようですが)。そうすれば、少なくとも在日の子孫の問題は簡単に解決するでしょうし。

考えてみれば、私の祖父母たちは朝鮮人として生まれ、日本人になり、戦後また韓国人になりました。両親は、逆に戦前日本人として生まれ、戦後韓国人になり、帰化した後また日本人になりました。出生地主義だったらこんなごちゃごちゃになってなかったのに、とも思います。

友達の数人の在日と話していても、出生地主義を支持する人間のほうが多いです。私が帰化した頃よりはるかに楽になったとはいえ、今でも提出書類が多いし、行政書士に頼めばお金もかかる(このあたりは、らーさんの日記にも書かれていますね)。また在日の政治運動として、血統主義を改め出生地主義を謳うとか、帰化条件の大幅な緩和を謳うなどのほうが、本来業務だと思うんですが。でも民団・総連は絶対にこれはしないでしょう。

ということで、結構deepな話になりました。このような話をする時は、感情的になることほど無意味で非生産的なことはないので、今後も理性的な話をしていこうと思いますし、皆さんと冷静な議論が出来ることを望んでおります。

追伸:コメントにおける議論の一部として、「ささやかな戯わ言 | 誰が国籍を奪ったか」も読んでいただけたら、幸いです。