以前コメント欄で、「保守派・リベラル派とは何ぞや」と質問されたことがあるので、今日はこのことについて考えてみます。ここではあくまで私の考え方について述べるのであり、一般の定義とは少しずれるかもしれません。
元来リベラル派というものはなく、保守派に対する反対は革新派だったと思います。この分類はイデオロギー的なものであり、保守派とはいわゆる体制を守る側(体制派)であり、革新派とはその体制に反対する側(反体制派)だと思われます。ところがイデオロギー対立の冷戦も終了し、現在では純粋な意味での革新派は、ほとんど存在しない(もしくは存在意義が無い)と思われます。そのかわり、個人の人権が重要視されるに伴い、リベラル派というのが保守派に対立するものとして台頭してきたのだと思われます。
個人と全体(組織)ということを考えた時、リベラル色が強くなるほど個人を重要視し、逆に保守色が強くなるほど全体(組織)を重要視することになります。この分類は、少し前に話題になっていたThe Political Compassの縦軸に相当すると思われます(「The Political Compassの考察 (テストのバイアス)」参照)。すなわち、極端なリベラル派は全体をまったく顧みずアナーキズムと化し、逆に極端な保守派は個人をまったく顧みないためファシズムと化すのでしょう。
リベラル派の欠点として、しばしば「売国的」発言・行動が見られることが挙げられますが、なぜでしょうか。私が考えるに、リベラル派というのは個人の利益を前面に押し出すあまり、その個人が属している組織(この場合自分の国家)と対立し、ひいてはそれを否定することがあるからでしょう。その結果、別の組織(この場合他国家、もしくは敵国家)を利することになり、それが「売国的」発言・行動とみなされるのだと思われます。また、かつての革新派の人々がリベラル派に鞍替えしたことも、大きな影響があるのかもしれません。
では今度は、保守派の欠点として、しばしば「移民排斥的」発言・行動が見られることが挙げられますが、なぜでしょうか。私が考えるに、保守派は個人の属している組織(自分の国家)の利益を前面に押し出し、そのためにその組織と異なる性質を持つ組織(他国家もしくは敵国家)に対して排他的になり、最終的にその別組織に属する個人(他国民もしくは敵国民)をも排斥するようになるからでしょう。ある意味、「個人」と「その属している組織(属性)」が区別できていないのかもしれません。
どちらも欠点を持ち、また同時に長所を持っていると思われます。確固たる「組織」がなければ、「個人」の自由も保証されず、無秩序と混乱を引き起こすだけだと思われます。また逆に「個人」の自由がなければ「組織」が硬直化し、最後は「組織」そのものもだめになるでしょう。「民主主義」というシステムは、この「個人」と「組織」のバランスを保つには、一番ましなものだと思われますが、未熟な「民主主義」国家においては、そのバランスがうまくとれない可能性があります。
未熟な「民主主義」とは、何でも「多数決万能主義」にしてしまい、「少数意見」を無視する状況だと考えます。これは、保守派・リベラル派どちらが政権をとっても同じことだと思われます。「多数派」が「少数派」の意見を無視し、また攻撃し続ければ、「少数派」は(自分の意見が反映されないために)意見を言う意欲を失い、最後は口をつぐんでしまうことになります。当然中間層も「何となく多数派」になびき、ますます「多数派」が増えて、最終的に「全体主義」のような状態に陥ります。
「保守派」はもともと向かう先がファシズムなので、分かりやすいのですが、興味深いのは、「リベラル派」が政権を取った場合です。「リベラル派」の本来向かう先はアナーキズムであるのに、未熟な「民主主義」システムにおいては、「保守派」同様に「全体主義」に向かう傾向があるということです。これは、未熟な「民主主義」システムそのものが、いかに危険かを示しているのかもしれません。
逆に成熟した「民主主義」においては、多数決の前に多くの話し合いが持たれます。この話し合いにおいて「多数派」は「少数派」の意見を汲み取ろうとします。もちろん最後は多数決で決まるわけですが、この方式だと「少数派」の意見も反映される可能性があり、また「多数派」のブレーキ役になると考えられます。
最後にちょっと脱線しますが、最近「ネット右翼」なる言葉が聞かれます。私はこの言葉が好きでないので使いませんが、ネット上において、「中間層」が「右よりの言説」に煽られて集まる集団のことを指していると思われます。「ネット右翼」が「ネットファシズム」と揶揄されたりする原因は、上述した未熟な「民主主義」において見られる、「少数派」の意見の無視・攻撃が行われるからだと思います。そのため「少数派」は意見を言う意欲を失い、「中間層」が「何となく多数派」になびき、ファシズムのような雰囲気になるのでしょう。韓国における「反日」も同じような状況なのかもしれません。特に政府自ら「反日」を煽っているため、少数派の「親日」が意見を言えない状況になり、全体主義のような様相を示してしまうのでしょう。
私の「リベラル派」「保守派」に対する理解は、こんな感じです。今晩から出張ですので、数日間ご返事できませんが、皆さんご自由にコメントを残してくださって結構です。帰国後ご返事差し上げます。
元来リベラル派というものはなく、保守派に対する反対は革新派だったと思います。この分類はイデオロギー的なものであり、保守派とはいわゆる体制を守る側(体制派)であり、革新派とはその体制に反対する側(反体制派)だと思われます。ところがイデオロギー対立の冷戦も終了し、現在では純粋な意味での革新派は、ほとんど存在しない(もしくは存在意義が無い)と思われます。そのかわり、個人の人権が重要視されるに伴い、リベラル派というのが保守派に対立するものとして台頭してきたのだと思われます。
個人と全体(組織)ということを考えた時、リベラル色が強くなるほど個人を重要視し、逆に保守色が強くなるほど全体(組織)を重要視することになります。この分類は、少し前に話題になっていたThe Political Compassの縦軸に相当すると思われます(「The Political Compassの考察 (テストのバイアス)」参照)。すなわち、極端なリベラル派は全体をまったく顧みずアナーキズムと化し、逆に極端な保守派は個人をまったく顧みないためファシズムと化すのでしょう。
リベラル派の欠点として、しばしば「売国的」発言・行動が見られることが挙げられますが、なぜでしょうか。私が考えるに、リベラル派というのは個人の利益を前面に押し出すあまり、その個人が属している組織(この場合自分の国家)と対立し、ひいてはそれを否定することがあるからでしょう。その結果、別の組織(この場合他国家、もしくは敵国家)を利することになり、それが「売国的」発言・行動とみなされるのだと思われます。また、かつての革新派の人々がリベラル派に鞍替えしたことも、大きな影響があるのかもしれません。
では今度は、保守派の欠点として、しばしば「移民排斥的」発言・行動が見られることが挙げられますが、なぜでしょうか。私が考えるに、保守派は個人の属している組織(自分の国家)の利益を前面に押し出し、そのためにその組織と異なる性質を持つ組織(他国家もしくは敵国家)に対して排他的になり、最終的にその別組織に属する個人(他国民もしくは敵国民)をも排斥するようになるからでしょう。ある意味、「個人」と「その属している組織(属性)」が区別できていないのかもしれません。
どちらも欠点を持ち、また同時に長所を持っていると思われます。確固たる「組織」がなければ、「個人」の自由も保証されず、無秩序と混乱を引き起こすだけだと思われます。また逆に「個人」の自由がなければ「組織」が硬直化し、最後は「組織」そのものもだめになるでしょう。「民主主義」というシステムは、この「個人」と「組織」のバランスを保つには、一番ましなものだと思われますが、未熟な「民主主義」国家においては、そのバランスがうまくとれない可能性があります。
未熟な「民主主義」とは、何でも「多数決万能主義」にしてしまい、「少数意見」を無視する状況だと考えます。これは、保守派・リベラル派どちらが政権をとっても同じことだと思われます。「多数派」が「少数派」の意見を無視し、また攻撃し続ければ、「少数派」は(自分の意見が反映されないために)意見を言う意欲を失い、最後は口をつぐんでしまうことになります。当然中間層も「何となく多数派」になびき、ますます「多数派」が増えて、最終的に「全体主義」のような状態に陥ります。
「保守派」はもともと向かう先がファシズムなので、分かりやすいのですが、興味深いのは、「リベラル派」が政権を取った場合です。「リベラル派」の本来向かう先はアナーキズムであるのに、未熟な「民主主義」システムにおいては、「保守派」同様に「全体主義」に向かう傾向があるということです。これは、未熟な「民主主義」システムそのものが、いかに危険かを示しているのかもしれません。
逆に成熟した「民主主義」においては、多数決の前に多くの話し合いが持たれます。この話し合いにおいて「多数派」は「少数派」の意見を汲み取ろうとします。もちろん最後は多数決で決まるわけですが、この方式だと「少数派」の意見も反映される可能性があり、また「多数派」のブレーキ役になると考えられます。
最後にちょっと脱線しますが、最近「ネット右翼」なる言葉が聞かれます。私はこの言葉が好きでないので使いませんが、ネット上において、「中間層」が「右よりの言説」に煽られて集まる集団のことを指していると思われます。「ネット右翼」が「ネットファシズム」と揶揄されたりする原因は、上述した未熟な「民主主義」において見られる、「少数派」の意見の無視・攻撃が行われるからだと思います。そのため「少数派」は意見を言う意欲を失い、「中間層」が「何となく多数派」になびき、ファシズムのような雰囲気になるのでしょう。韓国における「反日」も同じような状況なのかもしれません。特に政府自ら「反日」を煽っているため、少数派の「親日」が意見を言えない状況になり、全体主義のような様相を示してしまうのでしょう。
私の「リベラル派」「保守派」に対する理解は、こんな感じです。今晩から出張ですので、数日間ご返事できませんが、皆さんご自由にコメントを残してくださって結構です。帰国後ご返事差し上げます。