あるコリア系日本人の徒然草

反日・嫌韓が言われて久しいですが、朝鮮民族として、また日本人として、ありのままの感情を吐露していこうと思います。

保守派・リベラル派とは

2005年03月30日 | メインのお話
以前コメント欄で、「保守派・リベラル派とは何ぞや」と質問されたことがあるので、今日はこのことについて考えてみます。ここではあくまで私の考え方について述べるのであり、一般の定義とは少しずれるかもしれません。

元来リベラル派というものはなく、保守派に対する反対は革新派だったと思います。この分類はイデオロギー的なものであり、保守派とはいわゆる体制を守る側(体制派)であり、革新派とはその体制に反対する側(反体制派)だと思われます。ところがイデオロギー対立の冷戦も終了し、現在では純粋な意味での革新派は、ほとんど存在しない(もしくは存在意義が無い)と思われます。そのかわり、個人の人権が重要視されるに伴い、リベラル派というのが保守派に対立するものとして台頭してきたのだと思われます。

個人と全体(組織)ということを考えた時、リベラル色が強くなるほど個人を重要視し、逆に保守色が強くなるほど全体(組織)を重要視することになります。この分類は、少し前に話題になっていたThe Political Compassの縦軸に相当すると思われます(「The Political Compassの考察 (テストのバイアス)」参照)。すなわち、極端なリベラル派は全体をまったく顧みずアナーキズムと化し、逆に極端な保守派は個人をまったく顧みないためファシズムと化すのでしょう。

リベラル派の欠点として、しばしば「売国的」発言・行動が見られることが挙げられますが、なぜでしょうか。私が考えるに、リベラル派というのは個人の利益を前面に押し出すあまり、その個人が属している組織(この場合自分の国家)と対立し、ひいてはそれを否定することがあるからでしょう。その結果、別の組織(この場合他国家、もしくは敵国家)を利することになり、それが「売国的」発言・行動とみなされるのだと思われます。また、かつての革新派の人々がリベラル派に鞍替えしたことも、大きな影響があるのかもしれません。

では今度は、保守派の欠点として、しばしば「移民排斥的」発言・行動が見られることが挙げられますが、なぜでしょうか。私が考えるに、保守派は個人の属している組織(自分の国家)の利益を前面に押し出し、そのためにその組織と異なる性質を持つ組織(他国家もしくは敵国家)に対して排他的になり、最終的にその別組織に属する個人(他国民もしくは敵国民)をも排斥するようになるからでしょう。ある意味、「個人」と「その属している組織(属性)」が区別できていないのかもしれません。

どちらも欠点を持ち、また同時に長所を持っていると思われます。確固たる「組織」がなければ、「個人」の自由も保証されず、無秩序と混乱を引き起こすだけだと思われます。また逆に「個人」の自由がなければ「組織」が硬直化し、最後は「組織」そのものもだめになるでしょう。「民主主義」というシステムは、この「個人」と「組織」のバランスを保つには、一番ましなものだと思われますが、未熟な「民主主義」国家においては、そのバランスがうまくとれない可能性があります。

未熟な「民主主義」とは、何でも「多数決万能主義」にしてしまい、「少数意見」を無視する状況だと考えます。これは、保守派・リベラル派どちらが政権をとっても同じことだと思われます。「多数派」が「少数派」の意見を無視し、また攻撃し続ければ、「少数派」は(自分の意見が反映されないために)意見を言う意欲を失い、最後は口をつぐんでしまうことになります。当然中間層も「何となく多数派」になびき、ますます「多数派」が増えて、最終的に「全体主義」のような状態に陥ります。

「保守派」はもともと向かう先がファシズムなので、分かりやすいのですが、興味深いのは、「リベラル派」が政権を取った場合です。「リベラル派」の本来向かう先はアナーキズムであるのに、未熟な「民主主義」システムにおいては、「保守派」同様に「全体主義」に向かう傾向があるということです。これは、未熟な「民主主義」システムそのものが、いかに危険かを示しているのかもしれません。

逆に成熟した「民主主義」においては、多数決の前に多くの話し合いが持たれます。この話し合いにおいて「多数派」は「少数派」の意見を汲み取ろうとします。もちろん最後は多数決で決まるわけですが、この方式だと「少数派」の意見も反映される可能性があり、また「多数派」のブレーキ役になると考えられます。

最後にちょっと脱線しますが、最近「ネット右翼」なる言葉が聞かれます。私はこの言葉が好きでないので使いませんが、ネット上において、「中間層」が「右よりの言説」に煽られて集まる集団のことを指していると思われます。「ネット右翼」が「ネットファシズム」と揶揄されたりする原因は、上述した未熟な「民主主義」において見られる、「少数派」の意見の無視・攻撃が行われるからだと思います。そのため「少数派」は意見を言う意欲を失い、「中間層」が「何となく多数派」になびき、ファシズムのような雰囲気になるのでしょう。韓国における「反日」も同じような状況なのかもしれません。特に政府自ら「反日」を煽っているため、少数派の「親日」が意見を言えない状況になり、全体主義のような様相を示してしまうのでしょう。

私の「リベラル派」「保守派」に対する理解は、こんな感じです。今晩から出張ですので、数日間ご返事できませんが、皆さんご自由にコメントを残してくださって結構です。帰国後ご返事差し上げます。

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39 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
荒らし的で、すみません。 (眼低手低)
2005-03-30 17:40:11
はじめまして。

わたしは政治学の素養がありませんし、また数日間出張するので、書き捨てです(申し訳ないです)。ちょっと前までホットな話題でしたので、既知かもしてませんが、以下、面白かったブログ記事をカキコしときます。



やじゅんさん,日本における「保守」と「リベラル」とは何か.

URL ttp://blog.goo.ne.jp/junyastone/e/2793d30aad401f783ce20d2877004495



雪斎さん,論壇の「構造」,February 05.

URL ttp://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/index.html



isaさん,「パトリ」の再定義を通じて戦後政治上の不幸を分析するための対概念を政治学者に提案してみる。

URL ttp://plaza.rakuten.co.jp/isanotiratira/diary/200502030000/

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はじめまして (島民)
2005-03-30 22:31:18
はじめまして、たまたま通りすがった者ですが

非常に興味深い記事だったので、僕の書いている記事とはあまり接点の無いんですが(というよりも僕のブログが低俗なので)

是非、トラックバックさせてください
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すいません (島民)
2005-03-30 22:38:18
トラックバックでは無くブックマークにいれさせてください。
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Unknown (TIG)
2005-03-31 11:06:23
興味深い話題ですね。

概ねのところ同意します。すこし感じたことを述べるならば、いわゆる「ネット右翼」の台頭は

日本に民主主義が根付いたころからの思想の振り子の揺り戻しの様に思えます。

戦前・戦中の反共弾圧の反動の様に戦後社会主義勢力が台頭し、ソ連が崩壊し冷戦後になると

保守反動(笑)勢力が巻き返す、などと乱暴にまとめてしまいましたが、

民主主義の成熟には必要なプロセスであったのではと愚考します。

私自身は「ネット右翼」と称される人たちの行動は批判されるだけの品の無さも有るとは思いますが、

攻撃している側の革新系の人々が安保闘争の頃の醜い状況の反省に基づいて発言しているかというと

正直な所甚だ疑問ではありますね。
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Unknown (へー)
2005-03-31 19:24:01
まあネット右翼っていいますが、本当に右翼なんでしょうか?明らかなうそをまきつづける新聞よりはまともだと思うのですが。
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Unknown (ポンチョ)
2005-03-31 23:09:54
ネット右翼・・・・・難しいですね。定義づけが。また定義を決める必要があるのかも正直疑問です。ご存じの通り、ネットユーザーは各個人で行動をしています。その傾向は十人十色です。ただ、やはり傾向というのはあると思います。その傾向がある立場の人には「ネット右翼」として認識されると思います。

また、少しずつ考えが違う人達が、ある論点で同じ考えになったとします。ただ当然微妙にスタンスが違います。ある者は無意味な書き込みや誹謗中傷に終始するもの、ある者は感情的に対応し、またある者は冷静に論理的に反論したりした場合、どうしても反対論者からは、集団で寄って集ってつるし上げられたとの印象は持ってしまうかもしれません。



私の個人的な思想は(以前も書き込んだら再度失礼)、外交安全保障の政策は保守的で、後はリベラルです。

リベラルといっても反社会・共産主義なので、正直、それらを含めてすべてひっくるめられてリベラルと呼ばれる、今の風潮はいただけません。私の認識が間違っているのかどうか、リベラルって自由主義を是とする人達ですよね。政治的帰結として小さな政府・自由主義経済のはずですが。。。。。正直この手の政治思想論議にはあまり詳しくないので、言及は避けます。日本の社会主義者がアナーキスト的な人が多かったからこうなったのですかね。





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Unknown (rice_shower)
2005-04-01 11:48:43
あなたは保守派かリベラル派か、右派か左派かと問われた場合、私は“真っ当派”だと答えます。 それは思想界において保守-リベラル、右-左の定義が定まっていないからですが、アカデミックな話は私自身resourse不足なので、ここでは木走さんのところでも話題になっていた移民問題に絞って、保守、リベラルを語らせて頂くと。

保守は排他的、リベラルは寛容、これが常識的な解釈ですね。

さて、保守は、伝統的価値観、文化 -heritage- を重んじる、保守すべし、と主張する。 たとえ、それが一見不合理なものに見えても、そこには先達の知恵が包含されているのだから、軽率に放棄すべきではない。 ご先祖様に申し訳ない、祟りがある、罰が当たる、もったいない*的感性をとても大事に思う。 そういう意味で私は立派な保守主義者でしょう。 

*マータイ女史の“MOTTAINAI”についてはecotakaさんのblog『大いなる夢』で知りました。

さて、日本は古代より渡来の異質を受け入れ、日本化することにより築き上げられた国。 その懐の深さ、柔軟さ、心根の強さこそが日本だと思っています。

従って、真の保守主義者は、もしも今の日本の停滞或いは衰退が、文化的近親交配を続けてきた結果と考えられるのならば、異系注入(=移民)により新たなphaseにupgradeすべし、という観点から賛成してもよいのではないか。  異質を恐れないのが心根の強い保守主義者だ。 

端からこれを拒絶しようとする頑強な保守主義者の心根はちっとも頑強じゃない。
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日本(日本人)に余裕がなくなった。 (丸い)
2005-04-02 00:16:18
私が不快に感じるのは、多分、ネットでの嫌韓中朝発言の「余裕のなさ」なんです。

経済的な不況のこともあるでしょう、また、個人的ななんらかの理由もあるでしょう、また左翼教育の行き過ぎた反動ということもあるでしょう。

しかし、おいおい、私たち日本人は、一体いつから、そんなに「余裕」がなくなったんだい、と思うのです。

「危機」なのかはたまたそうではないのか、「亡国」なのかそうではないのか、いちいちの事実に対してのヒステリックな反応を読むたびに、そこまで書かなあかんのかな、と思います。おそらく、ちょうどよいバランスに落ち着くのにはもう少し時間がかかるのかもしれません。

ただ、この「余裕」にも、確たる根拠はないと自覚はしてるんですが。
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アフィリエイトの神様「石田健」氏からの贈り物です (伊藤賢治です。)
2005-04-02 16:05:07
「アフィリエイトの神様」と呼ばれているスーパーアフィリエイターの「石田健」氏が、期間限定で、ものすごい企画を・・・

アフィリエイトで、ガンガン稼げる事に興味をお持ち頂けるようでしたら、ぜひブログをご覧くださいませ。
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言論人なら差別・偏見はやめてー (しゅどんどん)
2005-04-03 02:28:12
こんにちは。私は「保守主義」や「右翼思想」そのものには尊敬の念を持っています。ときたま、自分自身が「保守」かも、「右翼」かもと感じることもあります。現状の日本社会には「近代の貫徹」がとりあえず必要だと思っているので、一応私は「近代主義者(modernist)でありリベラルですが、観念的な、学問的な話になると「反近代」的なものに惹かれます。というか「近代の限界」を常に意識して考えます。



しかし、ここ最近の日本のいわゆる「保守派」のみなさんには、丸いさんがおっしゃるように余裕なさすぎです。私がリスペクトする保守主義ってあんなのじゃありません。細かいところまで踏み込みませんが、『正論』『諸君!』あたりを読んでるとどうしても悲しくなってしまいます。イラク人質叩きなんて2ちゃんとたいして変わりませんでした。(商売上の戦略だと思いたいです。)これが「日本の保守?」と思うと情けなくて情けなくて。「保守主義」への冒涜だとまで感じます。(日本の「社民」を名乗る勢力も「社民主義」を冒涜していますが、まだマシです。)



中宮崇さんという方をご存知でしょうか。この方は『正論』『諸君!』で頻繁に書いています。この方の「さるさる日記」のリンクを貼らせていただきます。コピペするのをためらうようなものです。



http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=312071&log=20050318



こういう方を、大手新聞社の「知を楽しむ人のための」雑誌や日本を代表する権威ある出版社の雑誌が重宝している現状は・・・。この方ほど酷くないですが、大物知識人にも言葉の節々に朝鮮人やら中国人への侮蔑が出ている方が結構います。西尾幹二さんもそう。某都知事も。日本を代表するような人たちが、本来日本の誇りであるべきの人たちがこんなんじゃ・・・。「保守主義」とかいう以前の問題のような気がします。というか、中宮さんのこれってアートかなにかなんですかね?そう思いたいです。または、偽者とか。



私自身はリベラルですが、いわゆる社民・共産系ではありません。それらの勢力に共感するところも結構ありますが。しっくりくるのは、月並みですが宮台真司や田中康夫あたりの人たちですね。というか、55年体制をまともに体験していない私の世代以下の左よりの人はみんなこっちの系統のような気がします。だから、「サヨ叩き」を見ても自分が叩かれているように感じないんですよね。田原総一郎が「最近の右は、実際には存在しない(または絶滅した)叩きやすい左翼のイメージを自分たちで作り上げて、それを叩いて満足しているだけ」みたいなこと言ってました。



田中康夫なんてそもそも「左翼・朝日批判」が得意技でしたし。もちろん批判のポイントは巷にあふれるものとは全然違いますが。宮台の旧来型左派批判も鋭いです。まあ、この人たちの左派批判は、本来なら左派と共闘したいからこそ(実際してますし)、もっと成長してもらいたいからこそですが。



『私自身は「ネット右翼」と称される人たちの行動は批判されるだけの品の無さも有るとは思いますが、攻撃している側の革新系の人々が安保闘争の頃の醜い状況の反省に基づいて発言しているかというと正直な所甚だ疑問ではありますね。』



TIGさん、香山リカか大塚英志が二人の対談で、「昔は当たり前のような常識を語るのが右で、それに反発してたのが左。今は左が体制化してしまい逆になっている」みたいなこと言ってました。



『リベラルって自由主義を是とする人達ですよね。政治的帰結として小さな政府・自由主義経済のはずですが』



ポンチョさん、現在、「小さな政府」系は新自由主義(ネオリベラリズム)と呼ばれると思います。サッチャーさん、レーガンさん、竹中さん系。リベラルは再分配肯定ですので左で「大きな政府」系です。なぜ、リベラル・リベラリスト(自由主義者)が再配分肯定かというと、個人の真の自由を実現するためにこそ、経済的自由を制限してでも、再配分すべきと考えるからです。無制限弱肉強食では自由な人はほんの一握りになってしまうと。弱者救済=弱者にも自由を。乱暴な単純化ですが。宮台真司が非常に簡潔にこのへんのことを書いてます(少々挑発的で暴走ぎみですが)。リンク先の真ん中あたりです。もちろん、これも読者にわかりやすいよう単純化したものですので完全ではありません。



宮台真司 「右翼思想からみた、自己責任バッシングの国辱ぶり」

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=98&catid=4

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