あるコリア系日本人の徒然草

反日・嫌韓が言われて久しいですが、朝鮮民族として、また日本人として、ありのままの感情を吐露していこうと思います。

日本とドイツの戦後(謝罪と賠償) 其の壱

2005年03月07日 | メインのお話
日本ドイツともに、戦後60年が経過しているにもかかわらず、なかなか簡単に戦後から決別させてもらえないようです。日本では保守派・革新派問わず、ドイツは戦後から決別できたと考えているようですが、私の見るところ、それほど日本と大差あるとは思えません。最初に、私自身の考え方をはっきりさせておきたいと思います。

)両国ともこれ以上謝罪を行う必要はない
)過去の戦争犯罪を恥と思い、戦前の継承国家として責任を感じる必要はあり
)両国とも賠償を行う必要はない
)個人補償に関しては(場合によって)考慮の余地あり(?)

これらの考え方に至る理由を述べるために、日本とドイツの戦後処理について、「謝罪と賠償」を中心に比較してみたいと思います。このお話はとても長くなるため、「日本の戦後賠償・補償」「ドイツの戦後賠償・補償」「日本の謝罪」「ドイツの謝罪」と数日に分けて書いていこうと思います。

(1) 日本の戦後賠償・補償

大まかな国家賠償・補償法については、1952年のサンフランシスコ講和条約に始まります。この講和条約により日本の賠償義務が承認され、賠償額などは日本に占領されたアジア諸国と日本との個別協定に委ねられます。それ以外の連合国は賠償請求権は放棄したものの、(主に中国における)在外資産の没収、(GHQ占領下の日本における)資産の接収、(オランダに対する)抑留者の個人補償などが行われました。

アジア諸国の個別協定についてですが、フィリピンとの1956年の賠償協定、インドネシアとの1958年の賠償協定などが典型的な例です。これらの協定によって、日本は賠償を支払い相手国は各種請求権(個人補償を含む)を放棄するという形で決着しています。

大韓民国については、これら東南アジア諸国と違い、日本の植民地(もしくは大日本帝国の一部)であったため、賠償協定ではなく経済協力協定を1965年に日韓基本条約とともに結びます。この協定によって、日本側が経済協力をするかわりに、韓国側は各種請求権(個人補償を含む)を放棄し、過去は「完全かつ最終的に解決」されました。

この条約・協定締結に至るまでは様々な紆余曲折があったようです。まず、日本側はあくまで経済協力形式にこだわり、韓国側は賠償形式にこだわりました。この認識の違いは、日韓併合を合法と見るか違法と見るか、との姿勢に現れています。ちなみに、海外においてはどちらの説も唱えられています。

私としては、当時の世界の帝国主義がいわゆる恐喝外交であったため、合法違法を現在において判断すること自体、無理があると思います。満州進攻の場合と異なり、日韓併合に関しては(例えロビー活動があろうと)国際連盟において非難されていません。ということは、少なくとも違法とは断言できない(言い換えれば、当時認められていた)と思います。

次にこの認識の違いから、当初日本側も(財産などの)請求権を韓国側に行使しようと考えていました。韓国側は認識の違いによりこの要求を一蹴し、交渉は決裂します。しかし、自由主義陣営の結束が大切だと考えたアメリカ合衆国の意向により、独立のお祝い金として日本側は請求権の行使をあきらめ、交渉が進むことになります。

日本側は当初、「韓国とは戦争しておらず日本の一部であった」との認識のもと、国家協力金ではなく、徴兵・徴用被害者などに対する個人補償を考えていたようです。しかし、軍事政権下の韓国側が経済発展を優先させたいとの意向のもと、一括して国家が受け取ることになりました。日本側は、将来韓国民から不満が出るのでは、と危惧したようです。

さらに韓国側は、「半島唯一の合法政府である」との認識のもと、北韓に対する協力金も要求しました。しかし北朝鮮との将来の国交回復を考えた日本側は、その要求を却下しました。もっとも北朝鮮とは現在も国交回復されておらず、このような具体的な(経済協力・請求権に関する)協定締結は、まだまだ先のことになりそうです。

このように見てくると、賠償・補償問題に関する限り、日韓の間ではすべて解決済みだと思われます。ではなぜ、先日のノ・ムヒョン韓国大統領の「謝罪・賠償」発言があったのでしょうか?また領土問題(竹島問題)についてあれほど強硬なんでしょうか?次回「ドイツの戦後賠償・補償」をお話した後、私に想像できる範囲で説明したいと思います(あくまで想像なので、あしからず)。

最後に中華人民共和国については、1972年の日中共同声明(条約ではない)にて、中国は賠償請求を放棄しました。ただし日本は(主に中国領内の)在外資産を没収されているため、実質上の賠償になっていると考えられています。また、その後のODA援助なども実質上の賠償と考えられています。

それにも関わらず、中国との間においても補償問題がくすぶっています。その理由のひとつとして、他のアジア諸国と異なり、中国とは確固たる条約・協定を結んでいないことが挙げられます。中国はれっきとした連合国の一員で戦勝国であり、他の戦勝国と同様、国家賠償を放棄する代わりに莫大な在外資産を手に入れました。しかしオランダに対しても見られるように、戦勝国に対しては接収資産と個人補償は別問題になり得るようです。(これを盾に最近、アメリカ・イギリスなどの捕虜が、本国からの補償とは別に日本に補償を要求する動きがあります)

以上のことから、戦争賠償・補償に関する明確な協定を、日中間で締結する必要があると思われます。その協定の中で、ODAに対する認識や個人補償の必要性の有無を話し合わなければ、今後も補償裁判は増える一方であり、いつまでも日中間で燻り続けると思います。

今日はここまでです。次回は、「ドイツの戦後賠償・補償」についてお話しした後に、日本の場合と比較してみる予定です。

追記(Mar. 9th):
中華民国(台湾)とは、1952年に日華平和条約を締結しています(日中共同声明にてこの条約は終了)。この条約はサンフランシスコ講和条約を原則としており、中華民国は賠償請求権を放棄しました。もっとも、(他の連合国と同様)接収資産・在外資産などが事実上の国家賠償となっており、それをもとに抑留者に対する補償を行ったようです。ちなみに、他の連合国の抑留者(イギリス人・オーストラリア人など)に関しても、同様の形式の補償がなされています(基本的にサンフランシスコ講和条約による)。

追記(Mar. 10th):
ソヴィエト社会主義共和国連邦とは、1956年に日ソ共同宣言を批准し、(国家・国民すべての)賠償請求権を相互に放棄しています。また、この共同宣言にて、シベリア抑留者などが解放されることになりました。

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16 コメント

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Unknown (あすく)
2005-03-07 21:32:02
個人補償の話になると戦勝戦敗とどうリンクするのか疑問がいっぱい。まずは「ドイツの例」を楽しみに待ちます!
返信する
うぉう! (Rogue Monk)
2005-03-07 22:04:00
お疲れ様です。ああ、遂にドイツとの比較論が始まったのですね。楽しみにしています。



ただ、「賠償・補償」といった法的な措置と、その後の国民(集団)感情と完全にリンクしうるかという点については疑問を抱いています。



そういった点についても記述いただければ幸いです。
返信する
参考にどうぞ♪ (ゆりっぺ)
2005-03-08 12:51:20
管理人さま初めまして。

更新をいつも楽しみにしております者です。

ドイツの話題が出たのでカキコしたくなっちゃいました。



これはオススメです!

http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/sohiasenseinogyakutensaiban2_mokuji.html



表現が自由奔放なので好き嫌いがハッキリ別れるかもしれませんが、中庸の精神と読解力があれば何の問題もありません。

そして冗談と本気を愛する方なら何ら抵抗もないでしょう。



それではまた。更新を楽しみにしております!
返信する
御返事 (pontaka)
2005-03-09 21:36:12
>あすくさん

個人補償は最近ややこしくなってきてますね。



>Rogue Monkさん

確かに法的措置と感情とのリンクは難しいですね。比較論にて、そのことも触れてみようと思います。



>ゆりっぺさん

ようこそ。リンクのお話ちらっと見させていただきました。これドイツで書いたら、速攻逮捕ですね。今後ちょっとずつ見ていこうと思いますが、殺害されたユダヤ人の人数に関しては疑問を出される人もいますね。ただこういった人数論に関しても、(欧州では)完全にタブーですので、本当のことは分からないです。ドイツ人も過去を蒸し返したくないし、異議を唱えても何の得にもならないので、そのままにしているのではないでしょうか?
返信する
わかりやすくまとまっていますね。 (初めて来ました。)
2005-03-18 12:01:01
よそのブロクのリンクで知りました。



短い文章でわかりやすく、簡潔にまとまっていますね。

年代も、条約も全て網羅されている。

一般人はこれだけ知っておけば十分ことたりるでしょう。



すばらしい。
返信する
コメント始めます。 (藤原)
2005-03-19 23:31:50
Pontakaさん、こんばんは。

そろそろ日独比較シリーズが終盤にかかってきたので、少しずつ私のコメントを始めさせていただきます。



私は戦争や戦後を語ることはとても難しいことだと感じています。そこで、私がコメントする上でのスタンスを最初に明らかにしておきたいと思います。浅学、無学ゆえに失礼な発言をしてしまうことがあるかもしれませんが、ご了承いただきたいと思います。



まずは「戦後を語る難しさとは何か?」について私の意見です。



第一に、私は自分の立場や思想をいかなる権威、いかなる組織・集団にも属さない公正中立で自由なものにすることができないという事です。歴史の記述には客観性の保障がなく、主観による議論になるのが常です。私は客観性を追及する努力をしているつもりですが、やはり「日本人としての自分」からはどうしても逃れられません。了承ください。



第二に、複雑な感情論に発展し、議論が堂々巡りしやすいという事です。Pontakaさんは議論に感情が入り込むことを嫌っていますが、戦争や戦後の議論においては感情を全否定するわけにもいきません。なぜなら、戦争を本当に理解するためには、場合によっては「知的理解」よりも「情緒的理解」のほうがはるかに重要であると私は思うからです。戦争の議論においては、理性のみに頼る理解は人間の精神にとってあまりにも不健全だと考えます。議論の目的は単なる歴史知識の整理整頓ではないし、文献資料の証拠提示を競い合うものでもないと私は考えます。私は頭と心のバランスが大事だと思っていますが、バランスを欠いてしまうこともしばしばです。了承ください。



第三に、「戦争責任論に対する責任」という新たな責任を負うことの難しさです。今こうして議論している私達を評価する後世の子孫の目を意識せざるをえません。100年後の日本人は「彼ら戦後の世代は何を議論し、何を学んだのか?なぜ、当時の人々には正しい理解ができなかったのか?」という評価を下すかもしれません。それは、今の私達が現代という高みから、60年前の戦争についてあれこれ評価を下して論断している姿と同種のものです。つまり、今「戦争責任」を語っている私達にも「戦後責任」という新たな責任が発生してしまうということです。私達が戦後をどのように捉えるかによって、未来の日本の姿が決まってくるということも意識しながら、慎重な議論を心掛けたいと思います。(大げさな言い方ですが、これぐらい私は真剣です。)



以上3点を意識しながら、生産的な議論に努めたいと思います。



最後になりますが、私は過去を振り返ることは、人間の生き方・あり方を問う契機としてとても重要だと思っています。私の友人の中には「過去の話はもういいじゃん。未来志向で行こう」という人が結構いるんですが、私はなんとなく違和感を覚えます。ありきたりですが、やっぱり「温故知新」という言葉が私の頭に浮かんでしまいます。議論の目的をしっかり意識しながら、学んでいきたいと思います。

返信する
御返事 (pontaka)
2005-03-20 08:33:47
>初めて来ました。さん

お褒めいただき恐縮です。今後も遊びに来てください。



>藤原さん

「賠償」編はあと1回で終わる予定です。その後の「謝罪」編は1-2回で書く予定ですが、まだ決めていません。ところで、建設的な御意見ありがとうございます。確かに戦後を語るのは難しいことですね。

第一について、おっしゃる通りです。別の場所でkrjpさんも発言されていたように、「歴史学とはできる限り客観を目指す主観である」通り、この姿勢があれば最後は主観になってもよいのではないでしょうか?

第二について、確かに議論の目的は相互理解であって、事実証明ではないですね。しかし情緒があまりに入ってくると、法を無視した議論になりかねず、このあたりのバランスが難しいのでしょうね。

第三について、この考え方は感銘を受けました。確かに我々の世代がしようとしている「戦争責任論」自体が、後世評価の対象にされますね。こう考えると、いいかげんなことはできませんね。

最後におっしゃった「温故知新」は、まさにその通りです。僕も常に心がけています。ただ中朝韓が自分のことを棚に上げて日本にばかりこのことを言う(また、外交カードとして使う)ので、胡散臭さが付きまとってしまうのでしょうね。木走さんのBlogにも書かれていましたが、「反戦」という理念は至極真っ当なものにもかかわらず、そこに変てこな市民団体の影がちらつき、胡散臭さが付きまとうのと、同じことかもしれません。

今後の藤原さんの御意見、お待ちしております。
返信する
コメント NO2 (藤原)
2005-03-21 03:35:04
2回目のコメントです。

まず、用語の定義からコメントします。前置きばかりで、すみません。どうしても体系的に考えないと気がすまない私の悪い癖です。(笑)理系人間の習性かもしれません。

pontakaさんの言葉の使い方は非常に正確で、特に誤りを指摘することはないんですが、念のため書きます。Pontakaさんのブログに集まっている人はレベルが高いのですが、私が今まで見てきたネット上の議論はあまりにも用語の基礎的な理解が足りず、心配になってしまうほどのレベルの物ばかりでした。

言葉を正確に理解するだけで、議論の対立が解消されることもよくありますので、別のサイトで私が投稿した文章を加筆修正して転載します。一方的な内容になりますが、お許しください。





①戦争犯罪の定義(戦争犯罪3類型)について



まずは戦争犯罪とは何かを明確にします。賠償と謝罪の根拠になる重要な用語です。

戦争犯罪は国際法において以下の3類型に分類されます。



(a)平和に対する罪  戦争を引き起こし平和を乱した罪

(b)通例の戦争犯罪  従来の戦時国際法違反に対する罪

(c)人道に対する罪  戦争行為を逸脱するような非人道的な迫害・虐殺に対する罪



第二次大戦以前には(b)の従来の国際法違反のみが戦争犯罪とされてきましたが、ニュルンベルグ裁判、東京裁判で(a)(c)が連合国により勝手に追加されました。それ以来、戦争犯罪はこの3類型とみなされるようになりました。この3類型はニュルンベルグ裁判条例の6条(a)(b)(c)項に該当し、また極東裁判条例の5条(イ)(ロ)(ハ)項に該当します。明確に記述されています。(これは事後立法であり、異論反論ありますが、ここでは詳述しません。)この3類型は第二次大戦の戦争犯罪を議論するときには必須の知識ですが、インターネット上でよく誤った情報を見かけるので気になった点を2点ほど指摘します。



まず1点目ですが、日本のA級~C級戦犯の罪状がこの3類型にそれぞれ対応するという誤った情報が時々見られますが、ある程度の関連性はあるものの別物です。たとえば、A級戦犯人の起訴状には(a)~(c)の罪状がグチャグチャに混じっています。また、ドイツには日本のようにA級~C級戦犯の区分がなく、ほとんどの罪状がホロコーストつまり(c)人道に対する罪に関するものです。



次に2点目ですが、「日本は戦争犯罪の1つの罪だけだが、ドイツは戦争犯罪と人道に対する罪の2つの罪を犯した。だからドイツの罪のほうが重い。」という奇妙な表現が流布しています。日本は南京大虐殺を(c)人道に対する罪として裁かれましたし、真珠湾攻撃を(a)平和に対する罪として裁かれました。(明文化されていないという反論もありますが、ここでは国際的見解に従います)

つまり、日本は3類型全ての罪で裁かれています。おそらく、このような事実(世界の常識になってしまった事実)を知らない、あるいは認めたくない日本人がこのような発言をしていると思います。私自身も「南京大虐殺はなかった派」「東京裁判を見直せ派」ですが、これは国内でしか通用せず、国際社会の認識とは180度違うものだということを肝に銘じた上で発言しないと、周辺国との議論は絶対にかみあいません。願望の混入した単なるイデオロギーの垂れ流しとみなされるだけだと思います。また、戦争犯罪3類型をしっかり理解していないと、戦後処理の問題を正確に理解することができないと思います。東京裁判については私自身多くの不満があるわけですが、脱線するので別の機会にします。





②戦争犯罪の定義の変化(国際犯罪4類型)について



戦争犯罪3類型が国際法上認知されてきましたが、90年代に入って変化が起こります。国際刑事裁判所の設立に伴うローマ条約の制定です。この中で、国際社会にとって最も重大な罪として国際犯罪4類型が新たに明確に定められました。集団虐殺の罪、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略の罪の4類型です。



注意すべき点は、戦争犯罪の1つとされてきた「人道に対する罪」が、別項目で追加されており、国際犯罪4類型と戦争犯罪3類型との関係が分かりづらい事です。詳述できませんが、法学者の間で争点となっています。これが様々な誤解を生む原因になっています。

たとえば、「ホロコーストは人道に対する罪であり、戦争犯罪ではない。特殊な国家犯罪である。ドイツの戦後補償は国家犯罪に対する補償であり、戦争犯罪についてはまだ手付かずの状態だ。」という主張をする日本人が必ずいます。おそらく戦争犯罪3類型と国際犯罪4類型の区別ができていないのだと思います。第二次大戦時においては前述した3類型が戦争犯罪であるため、ホロコーストは明らかに戦争犯罪の一種であり、戦争犯罪3類型のカテゴリーに入ります。第二次大戦の戦後処理を議論する際は、あくまでも3類型で話をしなければなりません。





③戦後処理の方法について



次に戦後処理の方法について明確にします。これも基礎的なことですが、ほとんどの人が正確な知識を持っていないと私は感じます。日本人もそうですが、アジア周辺国に至っては本当に最悪です。特に「国家賠償」と「個人補償」の違いを全く理解せずに発言する人が多く、支離滅裂な主張がインターネット上に流布しています。Pontakaさんは完璧に理解されているので全く問題ありませんが、一応再確認させていただきます。以下が主な処理方法です。



1、戦時賠償(=国家賠償)について



これは交戦国間の損害賠償であり、国家が国家に対して行うものです。個人と国の関係ではありません。戦敗国が戦勝国に払うものだと思っている人が多いですが、それは誤りです。第一次大戦後ベルサイユ条約により、「敗戦ゆえの」支払いではなく、「戦争責任ゆえの」支払いと定義されました。つまり、仮に戦勝国であっても戦争責任があれば賠償義務が生じます。しかし、これは建前であって現実には戦勝国の意のままに裁かれます。原爆投下は明らかに戦争犯罪であり、アメリカの責任が問われるべきですが、裁判では一切問われませんでした。ご存知のとおり、賠償も謝罪もしていません。冷酷な国際政治の一例です。



国家賠償については、韓国がよく取り上げられるので2点述べます。

まず1点目です。戦時賠償(国家賠償)については韓国にはそもそも請求権はありません。韓国の請求権が認められるためには、日韓併合の違法性あるいは無効性を主張し、日本と戦った交戦国であることを証明する必要があります。日韓併合ではなく、日韓戦争にしなければなりません。そうすれば中国と同様に被侵略国として認められ、国家賠償請求権が発生します。とにかく戦時賠償というのは文字通り、戦争の賠償です。戦争がなければ、戦時賠償は発生しません。ですから韓国人の「賠償しろ」という主張は根拠がありません。

しかし、話は理屈どおりにいきません。韓国国内では「日韓併合は侵略戦争だった。」という史観がほぼ常識になっているため、韓国人にとって「賠償しろ」は根拠ある主張なのです。彼らは何も矛盾を感じておらず、当然の要求だと思っています。やたらと「侵略戦争」という言葉を使う理由はここにあります。このように日韓併合の見方によって「賠償しろ」という主張が正当か不当か決まります。これについては話が脱線するので別の機会にします。(私の立場は合法派です)



次に2点目ですが、国際法上の概念として「戦時(国家)賠償」はありますが、「植民地(国家)賠償」というのはありません。植民地清算についてはフランスもエビアン協定でアルジェリアに経済協力金を払っていますが、日本と同様に「これは賠償ではない」と主張しています。ナイジェリアやリビアなどアフリカ諸国が「植民地賠償」という言葉を使い、アメリカやヨーロッパの国々に対して黒人強制連行や奴隷労働など過去の歴史に対する賠償を要求していますが、欧米諸国は一切要求に応じていません。植民地賠償の請求は「オレオレ詐欺」と同じような不当請求であり、何の根拠もないものなのです。

日韓併合については「併合した」「保護した」「植民地化した」などいろいろな捉え方をされています。私にはどの言葉が正確なのかわかりません。「併合」に異常にこだわる方もいますが、「併合」は人道的で「植民地化」は野蛮だという見解が正しいのかも疑問です。それはさておき、日韓併合については、いずれにしても日本に賠償義務はないため、日韓条約では「国家賠償」ではなく「経済協力金」「独立祝い金」だと主張したわけです。賠償方式を取らなかった理由は、「侵略戦争による国家賠償ではない」ということを相互確認するためです。

しかし、韓国人は「侵略戦争だから(戦時)賠償しろ」と言ったり、「植民地支配だから(植民地)賠償しろ」と言ったり、あるいは両方同時に主張したりします。少なくとも、植民地については「清算」はあっても「賠償」はありません。韓国側の立場から見ると、落としどころ(突破口)は「日韓併合は違法であり、侵略戦争であり、よって戦時賠償を請求する!(日韓条約も破棄)」の1点しかないはずです。これを理解せずに、皆がその場限りで好き勝手に「賠償しろ」と叫んでいるので、議論がかみ合いません。これも詳述は別の機会にします。





2、戦後補償(=個人補償)について 



個人補償は戦争加害国が戦争被害者に補償するもので、国家が個人に対して行うものです。国家賠償が国と国の関係であるのに対して、個人補償は国と個人の関係です。加害国は戦勝国、戦敗国を問いませんし、被害者についても他国民、自国民を問いません。ここがとても重要です。勝敗や国籍は関係ありません。つまり、戦争によって被害を受けた個人ならば誰でも、被害を与えた国家に対する個人補償請求ができます。



ただし注意すべき点は、国家賠償が国際法に基づき条約など国家間の取り決めで決定されるのに対して、個人補償は国内法に基づき国内の裁判において決定されるという大きな違いがあることです。この点がきわめて重要です。個人補償と国家賠償は明らかに別物ですが、これをしっかり理解している人が少ないため、議論が混乱してしまいます。



ここで2点ほど頻繁に誤解されている事を取り上げます。

まず1点目ですが、国家に対する個人補償請求は、国家が犯した国際法違反を理由に請求できません。国際法はあくまでも国と国の関係を規定するものであり、権利義務の主体は国家に限ります。個人と国の関係は国内法により規定されます。ですから個人が国家に対して、国際法上の戦争犯罪を理由に、訴えを起こすことはそもそもできません。何らかの国内法で訴えなければなりません。具体的には日本国内の場合は民法や国家賠償法や援護法などです。国際法には個人補償の規定などないのです。



次に2点目ですが、日本人の中には、「韓国と戦争したわけではないから、そもそも個人補償する必要はない。韓国人にはもともと請求権すらない。」という無茶苦茶な主張をする人がいますが、完全な誤りです。こういう理解不足の日本人は最悪です。個人補償は国籍を問わずに個人に補償するものです。国家賠償とは違います。個人補償の対象は地球上の全ての個人であり、国内法で加害と被害の関係が成立すれば、その個人に請求権が発生します。ですから日本人が日本国に対して請求することもできます。同様に戦時中に日本人として戦った韓国人が日本国によって戦争被害を受けたなら、国内法に基づき個人補償を請求することができます。最初から請求権がなかったわけではありません。もともとは個人補償請求権があったけれども、日韓条約によってこれが放棄されたということです。日本国は韓国国家に対する賠償責任はありませんが、戦争被害を受けた韓国人個人に対する補償責任は明確にあるのです。

注意すべき点は、韓国人の言う「賠償しろ」は、国家賠償のことか、個人補償のことか、どちらを指しているのか分からないことです。おそらく、ドイツの話を引用しているときは、「個人補償しろ」という意味だと思います。あまり勉強せず、正確な知識がないまま、反日感情だけで適当に叫んでいるのだと思います。韓国人が戦後処理の議論で、あっさり論破されてしまう理由がここにあります。



以上2点ほど、よく見かける誤解について述べましたが、国家賠償と個人補償の理解は非常に重要で、条約を読んだり、戦後処理の議論をしたりする時には不可欠です。このブログを見ている方はレベルが高いので、「そんなこと知ってるよ。いちいち説明はいらない!」と怒ってしまうかもしれません。しかし、大事なことなので取り上げました。了承ください。





3、準賠償について 



これは国家賠償ではありませんが、賠償的な性格をもつ資産供与です。無償経済協力とも言われていますが、その中身は金銭や生産物や技術や労務などの供与や金銭貸与など様々です。経済協力金、戦後ODAなどを「準賠償」と言っていますが、敗戦国の国外資産の放棄・没収も含める場合もあります。しかし、この「準賠償」という言葉は定義があいまいで、皆が好き勝手に使っており、多くの混乱とトラブルの元になっていることも事実です。私はこの準賠償という言葉が嫌いです。日本が一方で「これは賠償的なものだ」と主張し、他方で「これは賠償ではないから、謝罪はしない」と主張するのは明らかに二重基準であり、混乱とトラブルの元です。より多額の賠償をアピールしたいとか、右翼に脅されて謝罪ができないとか、サンフランシスコ講和条約26条への配慮とか、さまざまな複雑な問題があることは理解できますが、こういう曖昧な日本の姿勢が戦後処理を複雑にしてしまっていることは間違いありません。日本は国家賠償はすべて平和条約で決着をつけているのだから、何も後ろめたさを感じる必要はないはずです。(ちなみに、「準賠償」という言葉の出所は、調べましたがわかりませんでした。)





4、経済協力金について



準賠償のところで触れましたが、重要なので特筆します。日本は東南アジアや韓国に「経済協力金」という名目で金銭供与をしましたが、これは「賠償ではないが賠償的性格を持っている」と一般的に理解されています。この解釈について最も厄介な問題を引き起こしているのが韓国です。韓国に対する経済協力金は個人補償請求権の放棄を条件に供与したため、間接的に個人補償的な性格を持っていますが、日本政府はあくまでも「経済協力金」「独立祝い金」であることを強調しました。そのため双方の間で深刻な誤解が生じました。



経済協力金について日韓の誤解に対する私の見解は以下のとおりです。用語の定義とぜんぜん関係ない話ですが。



日本政府は「経済協力金」「独立祝い金」ということを強調しすぎたために、韓国に対して多くの誤解を与えました。確かに国家間のやり取りである以上、日本は「経済協力金」「独立お祝い金」としか言いようがないわけですが、明らかに原則を踏み外しています。原則は「日本国は韓国に対して国家賠償する必要はないが、戦争被害に遭われた韓国国民に対しては個人補償も謝罪もきちんとしなければならない」ということです。日本政府が「あくまでも経済協力金だ」と強弁し、戦争責任と謝罪を回避しようとした態度は明らかに問題がありました。おそらく、40年前の日本の政治家は、帝国思想教育の影響が最も残っていた世代であり、高度成長の真っ只中で自信にみなぎっていたと思います。日本は傲慢不遜に振る舞い、途上国の韓国を見下し軽蔑していたとしても不思議ではありません。



忘れてはならないことは、韓国に対する経済協力金は、個人補償請求の放棄を交換条件として含んでいるという事です。日本が一方的に無償贈与したかのような発言は間違っています。単なる植民地清算でもありません。実質的には戦争で被害にあった韓国人に対する個人補償と謝罪が明らかに含まれています。実際に70年代末まで、韓国は国内法を制定して、日本の経済協力金を韓国人の個人補償に当てていました。韓国政府の流用問題がありますが、一部は確実に個人補償に使われています。



本来なら日本が強調すべきなのは、「個人への補償」と「個人への謝罪」のほうです。これこそが戦後処理の根本であるはずです。ところが、経済協力金が「誰に対する、何のための金なのか?」という意味がぼやけてしまった。日本政府は日韓条約の時にきちんと個人補償と謝罪に言及するべきだったと思います。日本がつまらない意地を張ったり、両国が裏交渉で駆け引き・小細工したり、さまざまの事情があったことは承知しています。しかし、日本がきちんと言及しておけば、双方の誤解や不信をここまで醸成させることはなかっただろうと思います。



多くの日本人が指摘するように、当時の韓国は軍事政権下にあり、情報統制で日韓条約を封印し、個人補償を流用し開発独裁に突っ走ったという事情があります。確かに韓国側にも責任があるでしょう。しかし、日本がきちんと言及し公式の記録に残しておけば、その後の展開は変わっていたはずです。韓国人に対する個人補償と謝罪の話が40年間も闇に葬られることもなかったはずです。



しかし、現実は最悪な展開になり、個人補償は条約書面の中で消滅してしまったと言ってもよいでしょう。

日韓条約が公開されましたが、韓国人にしてみれば、やはり簡単に理屈だけで納得できるものではないでしょう。まだまだ気持ちの整理に時間がかかりそうです。責任は両国政府にありますが、日本政府のほうが責任重大だと私は考えています。たった一言でも触れて欲しかったと思います。外交は「金」でするものではなく、「口」でするものです。一言の重みは本当に怖いです。歴史に「もし」はないと言われますが、私は単なる空想回顧ではなく、教訓として過去を考えています。日韓条約公開を契機に「それ見たことか」と挑発し喜んでいる気色悪い日本人がネット上にいますが、そんな態度を取れる立場ではないと私は思います。条約の理屈を盾にして、傲慢な態度をとれば、韓国人は感情で反発し怒り狂い、新たな金銭と謝罪の要求をしてくるだけだと思います。韓国人の反日感情の対象は「過去の日本人」というより、むしろ「現在の日本人」にシフトしつつあることを感じ取らなければなりません。

私はまだまだ知らないことが多いですが、調べれば調べるほど、この問題は複雑だと感じます。詳述はまた別の機会にします。





以上、戦後処理を議論するうえで不可欠な用語の定義と考え方について、再確認しました。

本題と関係ない前置きがだらだら長くて本当にすみません。

自分なりに研究してまとめた物なので、間違っている部分があったら容赦なくご指摘お願いします。



次回から投稿の内容について、きちんとコメントしていきます。

返信する
幾つかの質問 (摂津守)
2005-03-21 20:38:16
 私も藤原様の考察から様々な見識を得たいと思っています。国際法等に関してはど素人ですが、どうぞよろしく(お手柔らかに)お願いします。

 前提

 個人補償に関して

 Ⅰ戦争によって被害を受けた個人は誰でも、その国内法に準拠して被害を与えた国家に対する個人補償請求ができるが、個人が国家の国際法違反(戦争犯罪)をもとに訴えを起こすことはできない。

 Ⅱ国内法で国家の加害と個人の被害の関係が立証されれば、その個人に国家補償が行われる。

Ⅲ条約等で国家がその国民の加害国家への個人請求権を放棄した場合はその国民の加害国家に対する個人補償請求は認められない。  

 

 日韓関連

 Ⅳ日本国は交戦国でない韓国に対する賠償責任はないが、戦争被害を受けた韓国人個人に対する補償責任はあった。しかし、二国間条約によって個人請求権が放棄されたため、現在日本国は補償責任を負わない。

 

 以下質問

 ①②は用語の定義に関して。③④⑤は個人的な興味として。

 ①パリ講和条約第231条での戦争責任故の賠償支払いにおける「戦争責任」の定義と第二次世界大戦後の「戦争責任」の定義。

 ②「侵略国」の定義。

 ③戦争犯罪の定義b項はヘーグ、ジュネーヴ諸条約においてその法的根拠が明確ですが、a項c項は国際軍事裁判条例、極東国際軍事裁判条例の他に根拠となる国際条約がなく、定義も曖昧であるとも考えられるが、ローマ条約以前にa項c項が国際法上の戦争犯罪として国際的に承認されていると言えるのか。第二次世界大戦後にa項c項が適用された例。

 ④原爆投下を戦争犯罪とする国際法上の根拠。

 ⑤国際法に於ける国家が謝罪する事の意義と必要性。

 

 以下余談。

 成立したばかりで国家アイデンティティ(建国神話)の創成途上の韓国が、国際慣習に反し植民地支配の精算ではなく「賠償」に固執したことが問題の複雑化の重要な一因だと思います。北朝鮮に比べて国家の正統性に弱点を持っていた韓国にとっては、日本の個人補償との主張は国家の存在を揺るがせるものとして認められないでしょう。その両国の妥協の産物が経済協力金ではないでしょうか。日本政府の態度は当時の国際慣習を逸脱するものではなく、おおむね妥当であったと考えられます。故に日本政府は日韓条約の時にきちんと個人補償と謝罪に言及する余地はなかったと思います。もちろん現在から見て今後の参考として批判的に考察することは出来ると思いますが。



 戦後処理問題に関しては理解途上ですので、pontaka様、藤原様らの意見交換に非常に期待しています。

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訂正 (摂津守)
2005-03-21 21:30:48
 誤 ①パリ講和条約第231条での戦争責任故の賠償支払いにおける「戦争責任」の定義と第二次世界大戦後の「戦争責任」の定義。



 正 ①ヴェルサイユ講和条約第231条での戦争責任故の賠償支払いにおける「戦争責任」の定義と第二次世界大戦後の「戦争責任」の定義。

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