一 閑 堂

ぽん太のきまぐれ帳

古典化or現代化?『盟三五大切』の発展形

2007年04月24日 | 歌舞伎・芝居
南北は、舞台に【異化効果】をもたらす狂言作者である。
あでやかなお姫さまが女郎に堕ちて姫言葉と女郎言葉をちゃんぽんにして使ったり、雨漏れがひどい薄汚い貧乏長屋に美男で名高い名護屋山三を住まわせたり、豪奢な衣装の花魁を通わせたり…
それらの場面は今でも十分面白く、見物はついつい笑ってしまう。
世に名高い『東海道四谷怪談』も、初演された当時は、かなりブラックなギャグ場面があったように感じる。
ただただ怖い…というだけの芝居ではなく、笑いと恐怖とがごった煮だったに違いない。

南北独自ともいえる「背反する性質のものが、混在し混淆する」趣向性は、あえてたとえるなら、【双面】という歌舞伎表現で説明できるかも知れない。
双面は以前、玉三郎と菊之助の『二人道成寺』を考えた時に説明したことがある。 → 歌舞伎の「道成寺」
来月、新橋演舞場で吉右衛門による『法界坊』がかかり、有名な双面の踊り場面を染五郎がすることになっているのを楽しみにしているのだが、歌舞伎での双面はどちらかというと「所作事」での見せ方であったようだ。

だが、今月、これだけたっぷりと『盟三五大切』について時間をとり、「源五兵衛」という役をどのように勤めるといかにも南北らしい趣向性が出るだろう?と考えていて、ふと「双面だろうか…」と思い当たった。
南北が「実ハ」でつくりあげている【世界】と【趣向】の綯い交ぜを、うんとシンプルな絵にしてみると、私の脳裏にはどうしても「二人が一人の肉体に同時に存在する」という【双面】の演出が浮かんでしまう。

もしも、この推論がさほど外れていないとしたら、『盟三五大切』の源五兵衛はむしろ、現代感覚での狂気や虚無ではなく、双面が見物にもたらす、外面的可笑しさ・滑稽さを醸しているべきなのかも知れない。

そう考えて、鼻高幸四郎の芸質を、あらためて想像してみよう。
偉大な実悪(仁木弾正など)として、「三都随一」と芝居好きから大いに愛された五代目幸四郎は、同時に実役もしてのける役者だった。
南北の時代は早替り狂言が大流行したこともあり、人気があればあるほど「兼ねる」役者になった、ともいえる。
もともとが、立役からの出発で江戸和事などをやっていたのだから、大名題となってからの彼にとって、芝居の見せ所を変えるのはそう難しいことではなかったろうし、彼の写実味ある世話の芝居は舞台に奥行きを与え、見物にとても喜ばれたようだ。

『盟三五大切』の直前にかけられた『四谷怪談』での役が、直助権兵衛という、さまざまな職業に身を替える役どころであるのも大変に興味深い。人物像(器)に応じて、芝居(水)をころころと替える、変わり身の鮮やかさが当時の見物を喜ばせもしたのだと思う。
南北は、そんな幸四郎に、薩摩源五兵衛という侍・貧乏長屋の因業家主弥助という二役を与えてもいる。

そんな幸四郎が見せた源五兵衛とは、おそらく「手の平を返したように変わる」、多分に分裂的な人物であったように思うのである。同時に、その変わり身が目で見て耳で聴いて、いかにも楽しく、面白かったのだろう。
善人から悪人へ、悪人から善人へ。あるいは、武家から町人へ、町人から武家へ。
いずれも転換はくっきりとしていながら、ひとたび悪人になると誰もが圧倒するような「怖さ」を見せ、見物全員思わずシャキンとしてしまう。
悪のヒーローと化した幸四郎は、そこから先は何をやってもすさまじく恐ろしかったに違いないし、細かい芝居はせずともその様を眺めるだけで見物はうっとりできたろう。
彼の十八番(おはこ)をこの目で見られる、という喜びでワクワクしただろうと思う。
このために、南北は殺し場を追加している。見物の期待にも、座頭幸四郎の期待にも同時に応えたのである。

にも関わらず、この芝居は受けなかった。不入りだったのだ。
理由はわからないが、間際の夏狂言『四谷怪談』の大奮闘で、齢六十一だった幸四郎が疲れて精彩がなかったかも知れないし、先行する「五大力物」でのいい男源五兵衛イメージが強すぎて、苛められる源五兵衛では気分がよくなかったのか、あるいは不破数右衛門が四十七士の中でも大の人気者で、南北がはめた数右衛門イメージについていけなかったのか、色んなことが考えられる。
飛ぶ鳥を落とす勢いで人気がどんどん上向く三十四歳男盛りの團十郎に、長いこと第一線で人気を独り占めしてきた幸四郎が機嫌を損じ、幕内であれこれあったのかも知れない。
ただ、七代目團十郎にしても、衝撃的な『四谷怪談』の伊右衛門役と比較すると、三五郎役にはそう目新しさがなかったのだろうな、と思う。

さて、脳内お江戸芝居見物はさておき(笑)、もしも中村座『盟三五大切』の鼻高幸四郎の源五兵衛が、上で妄想したようなものだったとしたら、当代幸四郎に足りないのは【笑い】である。
尤も、「笑い」は大変に難しい。
「泣き」は広い範囲で通用するが、「笑い」は、もっともっとローカルなものだからだ。
時代を超えた「泣き」はあっても、時代を超えた「笑い」は成立しにくいとも言える。
また、当代幸四郎は「南北物」、それも自分の先祖が演じた役をすることに厳粛敬虔な気持ちとなるあまり、源五兵衛の造形を観念的にしすぎたのではないだろうか?
このため、江戸当時にもピンと来なかったろう演目が、今のご見物にとっても、「なるほど、南北物なんですね」といった学習効果を与えたにしろ、ストレートに「そうか!」と迫って来なかったような気がするのだ。
それでも、である。
もしも、当代幸四郎が源五兵衛を【双面】ばりに見せたとしたら、多分それは今でも大変に刺激的で、見ていて実に気味が悪くも、大いに愉快だったんじゃないだろうか?
私などは、幸四郎の双面を想像しただけで、ワクワクしてしまう!


一方、御園座での三津五郎の源五兵衛だが、私が感じた限りでは南北の狙ったものとは若干ずれている気がするのである。
むしろ、三津五郎の源五兵衛は、並木五瓶の『五大力恋緘』イメージに近いのだ。
小万を心の底から愛している、という点にまったくの揺らぎがないことからもそれがわかる。

もう一つ。
今回の三津五郎は、南北物であるなしに関わりなく、見物にとって魅力的な源五兵衛を、まずは造形しようとしたのではないだろうか?

その時、現代の見物にとっての最大の難関、大詰での「源五兵衛→数右衛門」への変身をいかに納得させるか?、にはあえて踏み込まなかった気がする。
いや、大詰で源五兵衛が戻る根拠は、しっかりと芝居で表現されてはいた。
三五郎の切腹に驚くだけでなく、彼の述懐を黙って聞いて「自分が家臣に騙されていた」事実を知った時、身内を突き抜けるような激しい怒りを、舞台できちんと見せてくれたのだから。
三津五郎の科白では「恥辱」という言葉が特に耳に残ったが、彼もその二文字を意識して語っていたのだろう。
だが、それでも尚、現代人にはあの転換はわからない。
今となっては封建制度下で、人が一体どんな風に存在していたか?、が実感的にわからないからである。

それだから、三津五郎は大詰の様変わりに向けてなんらかの一貫性を考えることを回避し、「小万の愛」を信じ、信じたがっていた一人の男として、統合された源五兵衛を演じたのだ。
近代的客観的な芸質でありながら、その奥底にマグマのようにたぎる「熱さ」を見事に表現できる、当代三津五郎ならではの「情念の源五兵衛」だった。

そのために見物は、源五兵衛が五人切りをし、小万はおろか乳飲み子まで殺し、更には首さえ落とし、その生首と水入らずの夕餉をとる様子を見ても、おかしい、変だ、異常だ…と思わずにすんだのだ。
むしろ、そこまで小万を愛してしまった男の純情と哀れさに、万感迫る思いになったのである。

小万の命乞いを聞いて、「助けてやろう」と言いながらそれでも殺す。それもたっぷりと時間をかけて…
そんな男の修羅を見ても、見物が泣ける(それも多くが女性)というのは、明らかに源五兵衛に感情移入できているせいである。

源五兵衛と同じように、橋之助の三五郎にも、菊之助の小万にも、また源五兵衛に従ってきた亀三郎演じる六七八右衛門にも、それぞれにどうしても守り抜きたい一分があることが、御園座の舞台からはよく伝わってきた。
本物の悪人と言えるのは、家主弥助(この役も三津五郎)くらいのものだったのだ!

このように、人としての義、あるいは尊厳のようなものが随所に感じられる南北狂言は、あまり見たことがない。
この『盟三五大切』は、ある意味では大変に現代的な舞台だったのである。
だが、このような形のまま江戸の中村座でかかっていたら、もしかするとだが、大当たりに当たった可能性があるんじゃないか?、という気がしてはいる。
実に、義太夫狂言らしい成り行きだからだ。
全編是クドキ、という感じであろう。殺し場でさえ、クドキなのだ!

勿論、源五兵衛があくまでも「あちら側」(武家)であり、三五郎や小万が「こちら側」ではあることは、見物には完全に了解されていただろう。
それゆえ尚一層、この『盟三五大切』は、純粋な夢物語、完璧なファンタジーになりえたかも知れない…

そうなのである。
あらためて振り返ってみると、三津五郎の源五兵衛に、南北よりも、上方から下ってきた並木五瓶流の、気持ちに根差した義太夫狂言的な作劇術をより強く感じるというのも、まことに不思議なことなのだった…


現代において、『盟三五大切』を見せるなら、とれる手段は二つあると、私は思う。
一つは、南北らしい趣向性を最大化すべく、源五兵衛の造形にもっと見世物的な付加価値をつけることだ。
その一例として、私は「双面」という演出を考えた。
実際にそれを出すのではなく、「双面」についてまわる奇妙さと可笑しみをイメージして、源五兵衛を演じるのがいいのではないか?と感じる。
そして、もう一つは、南北から少し離れて、「かなわぬ恋」の物語、悲恋を徹底的に演じ抜くことである。
この時の源五兵衛は、ただただ恋し、執着する男がいい。恋に破滅する男だ。
強すぎる愛がすべてを破壊する、というイメージは十分に普遍的で、現代でもそのまま理解できるだろう。

それにしても、御園座での『盟三五大切』を見られて、本当によかった。
なにしろ、こんなにも長々と、さまざまなことを想像することができたのだから!
一人でも多くの人に見てもらいたい舞台だったが、東京での再演は難しいだろう。それが、本当に残念である。
【関連記事】
 1)南北の【生世話】:『盟三五大切』より その一
 2)南北の【生世話】:『盟三五大切』より その二
 3)南北の【生世話】:『盟三五大切』より その三
 4)南北の【生世話】:『盟三五大切』より その四
 5)『五大力恋緘』と『盟三五大切』の間
 6)マーケッター、仕掛け人「南北」

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