一 閑 堂

ぽん太のきまぐれ帳

版画展のお知らせ

2005年10月31日 | 日々つれづれ
友人が、年に一度の版画展を、東大赤門近くの画廊で開くのでご案内。   詳しいことは こちらのサイト をご覧ください。 我が家にも、幾点か、彼女の作品がある。 といっても、壁面が本棚でおおわれている悲惨な状態のため、展示スペースは、なんとトイレ…! たまに掛け替えてはいるけれど、絵を飾れない住宅事情が本当にうらめしい。 上記画像で紹介した一枚は、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』みたいだなと思って、み . . . 本文を読む

顔見世狂言のお作法

2005年10月30日 | 江戸の夢
国立劇場の十月歌舞伎『貞操花鳥羽恋塚』をみ、あらためて近世顔見世狂言の基本構造を考えている。百の文献より一の体験というのだろうか、実際に舞台をみてみると、たとえ中途半端な復活であっても、具体的にああか、こうかと感じることは多い。 江戸期の顔見世狂言には、断固として守るべき基本構造があった。 以下、『御攝(ごひいき)勧進帳』および『諏訪春雄通信』121号、橋本治『大江戸歌舞伎はこんなもの』などを参照 . . . 本文を読む

「公卿荒れ」幕の内

2005年10月27日 | 歌舞伎・芝居
遅まきながら、国立劇場の十月歌舞伎『貞操花鳥羽恋塚(みさおのはなとばのこいづか)』に、千龝楽間近、ようやく行くことができた。南北作品&二十五年ぶりの再演とあっては、みない訳にはいかない。初見でもあり、一層楽しみだった。すでにみた人からは、「今一つ、わからない芝居だった」といった感想を聞いていたのだが、実際にみて、「ふぅむ、なるほど…」。以下、私なりに感じたことをまとめてみる。 まずこの芝居は、文 . . . 本文を読む

国家と演劇ー雑誌『國文學』特集

2005年10月25日 | 歌舞伎・芝居
學燈社の『國文學』十一月号を読んだ。創刊五十周年記念の特集が「演劇ー国家と演劇」だったためだ。国文学の専門誌が、いったいどのような演劇論を掲載しているか興味があった。他にも、青土社の『ユリイカ』が演劇特集を組むなど、ここのところ、日本の演劇界にはさまざまなアプローチがあり、なかなか興味深い。 わけても、坪内逍遥や森鴎外など明治の文豪と呼ばれる人々が『演劇改良運動』を始めたように、国文学と近代演劇 . . . 本文を読む

無敗の三冠馬

2005年10月23日 | 日々つれづれ
今日開催されたクラシック最後のレース菊花賞で、シンボリルドルフに次ぐ無敗の三冠馬が、二十一年ぶりに誕生した。その名はディープインパクト。鞍上は武豊。単勝オッズ一倍という、菊花賞では初、得票率ではシンザン以来の圧倒的人気にこたえ、皐月賞・ダービー・菊花賞の三レース全てを制したのだ。 この頃、競馬ととんと疎遠になっている私だが、なんとか、クラシックくらいはテレビ観戦している。 ディープインパクトのず . . . 本文を読む

【靖国】と【日本教】

2005年10月21日 | 閑人思案
『日本教』という名称をつけたくなる事例が、世間には多い。日本という国に対してなのか、または日本人になのか、違和感をもつことが私には案外ある。完全に政治問題化した、首相の靖国参拝をめぐるあれこれについても、同様の思いがある。語られ方、とり扱われ方に、「おかしい」という気分がどうしてもついてまわる。 はっきりいうなら、靖国参拝を首相が行った行わないなどということを、日本メディアが一律にトップで報道する . . . 本文を読む

変貌の街品川と、乱歩と…

2005年10月18日 | 日々つれづれ
たまたま近くまで寄るついでがあったので、品川駅まで足をのばしてみた。結果、「今、品川はたしかにトンデモないことになってるんだな」との実感を強くしたのであった。 立ち寄った目的は三つあった。 (バスで大井競馬場、そしてトゥインクル…ではない、念のため) 筆頭はずばり、お気に入りの映画『チャーリーとチョコレート工場』を、東京ではここだけらしい巨大スクリーンの『アイマックスシアター』で、再びみる。 初 . . . 本文を読む

突破口を目指す「思惟の宇宙」

2005年10月15日 | 
私の思考は、文系かつアナログである。が、実は理系・デジタルな思考にとても憧れているところがあって、生まれ変わったら、数学者になってみたいな~などと思ったりする。 数学と詩学は同一の根をもつし、哲学だって、ギリシアのそれを考えると完全に幾何学なのだから、世にも美しい思索なんてものを信じる者にとって、文理の壁はあってなきが如しだ。しかるに、私は理数系脳がとことん駄目なので、悔しい思いをしている。 よく . . . 本文を読む

無念のリタイア

2005年10月12日 | 日々つれづれ
実は本日、花組芝居の泉鏡花作品、『日本橋』と『草迷宮』との二本立てをみる予定だった。今からでも、芝居にはまだ間に合う。しかし、駄目だ。どうやら風邪をひきこみ、その症状が一気に出てきてしまったらしい…。 四ヶ月以上前からチケットを申し込み、公演日を楽しみにしていたのに、二本通しでみるどころか、そもそも会場のシアタートラムに行くことさえ、アラスカにでも向かおうとするくらい、果てしなく遠い気がする…。 . . . 本文を読む

玉三郎 VS 菊五郎

2005年10月10日 | 歌舞伎・芝居
今月の歌舞伎座がさっぱりだったことはすでに書いたが、どうもまだ納得がいかない。肝心なナニカをみ逃したのではないか?と思い、その後もあれこれ考えている。私にとっての芝居見物には、このようにいくたびも反芻するお楽しみも含まれる。くどくて申し訳ないけれど、もう一度、思うところをまとめてみたい。 私が感じている、玉三郎と菊五郎(音羽屋)の芸風の違いを、この機会に整理できることを期待しつつ…。 『加賀見山 . . . 本文を読む

負け犬の遠吠え

2005年10月08日 | 歌舞伎・芝居
二ヶ月ぶりの歌舞伎座。三津五郎と並んで贔屓の菊五郎も出るし、女のドロドロ好き(笑)私向けの『加賀見山』もある。さらには藤十郎襲名を控えた鴈治郎はんもご出演。さぞかし、楽しめることだろうと期待していた。 ところが、久しぶりに舞台から総すかんを喰った。かなり珍しいことである。 私が歌舞伎座に行くのは、ほぼ惰性である。毎月、演目や出演役者に関係なく、決まって昼夜を押さえる。行けない時は、チケットを無駄に . . . 本文を読む

加藤健一 『審判』

2005年10月04日 | 歌舞伎・芝居
五年ぶりの再演となった加藤健一のライフワーク、一人芝居『審判』を、下北沢の本多劇場でみてきた。 『審判』は、以前からとてもいいと聞いていたし、加藤健一事務所を構えた理由がこの作品を演じたかったからということもしっていた。ただ、あまりにシリアスな内容でもあり、なかなか足が向かなかった。 満を持してというか、ようやくこの歳でというか、宿題のようにずっと気にかかっていた舞台をみることがかないおおげさない . . . 本文を読む

歌舞伎と批評

2005年10月02日 | 歌舞伎・芝居
『演劇界』十一月号に、串田和美と劇評家たちの興味深い対談が掲載されているということを、「六条亭の東屋」さんの記事でしり、数年ぶりに購入して目を通してみた。特集タイトルは『歌舞伎の新展開と劇評の現在』。 今年の五月から八月まで連続した歌舞伎の新演出をどう評価し位置づけるのか?はもちろん、歌舞伎とのコラボレーションの仕方にずっと親しみを感じてきた串田和美(『法界坊』はいただけなかったが)が、どんな反応 . . . 本文を読む

葛の葉の「乱菊」

2005年10月01日 | 記憶の扉
九月文楽『芦屋道満大内鑑』とからめて、今回は省かれた「乱菊(道行)」を、歌舞伎座でみた時の感想をあげてみたい。文楽には花道がないため、おそらくは歌舞伎ほどドラマチックにはならないと思うのだが、白狐の美しい姿がそこここにみえ隠れするだろう信太の森の幻想美ならば、文楽の方がうまく表現できるだろう。 一方、生身の役者が演じる歌舞伎なら、この「乱菊」こそが葛の葉のキモだと思うのだ。福助が勤めた、六年前の素 . . . 本文を読む