一 閑 堂

ぽん太のきまぐれ帳

「私」を支える服

2006年03月08日 | きもの
きものはいいと、あらためて思う。
きものは、「自分を律する」衣装なのかもしれない。

「勝負服」という言葉がある。「決め服」ともいうのだったかな?
これという日に向け、身ごしらえを整えつつ、気分を高揚させる服のことだ。
真っ赤なスーツの人もいれば、ロイヤルブルーのサテンのロングドレスという人もいる。
女性だけじゃなく、男性にもあるだろう。
決して失敗できない営業現場、クライアントに案件を説明する重要会議、その他諸々。
ネクタイを変える人もいるし、新調のスーツやシャツを身につける人もいる。入念に磨き上げた靴を履く人もだ。
そうやって自身を鼓舞し、その気にさせ、直面する事態に向けた適度な闘争心を注入するのだ。

きものでも、まったく同じことがある。
まずは、主に帯の締め方で差をつける。キリッとしたい時は、そのような思いで巻くのだ。
当然、帯締め・帯揚げといった帯廻りの小物も考える。
さらに、襦袢。素肌に近いだけに、気分を引き締めるのに効果的だ。
目的に応じて、色や柄、衣紋の抜き加減を決めるけれど、是が非でもという時は、おろし立てが一番だ。
そして、足袋。
きつめのもの、それもサラを履く。シワ一つない真っ白な足下をみると、なんとなく自信が出る。

そこまで気合いを入れなくても、きものを着ていると、なぜか不思議に腹がすわった気分になる。
おそらく、丹田をギュッと引き絞るせいだろう。
義太夫語りの大夫も、舞台に出る前にずっしりとした重しを懐に入れる。
日本人にとって「腹」は、精神を集中させたり、動じないようにさせるために、とても大事な場所だ。
きものを着るようになって、腰ひもと帯の効力をしみじみと感じるようになった。

きものを着ていると、気持ちがくじけにくい。
身も世もなく、という愁嘆場に至りにくい。
人様の前で、あられもない事態に陥りにくい。
もしも、洋服だったら、もたなかったろうな…と思えることもある。

そのかわり、ひとたび帯を解くと、ガックリと来る。
よるべない、あてどない気分になる。
「帯を解く」という言葉が持つ意味は、大きい。
足袋も同じだ。脱ぐと、突然ふわんとした心持ちになってしまう。

そういえば、ここしばらく、実用着でもあるポリエステルの千筋ばかり着ている。
埃も雨もあれこれも、一切関係ない上、今はポリエステル独特の堅さがかえって心地いい。
それも、紫や黒など、濃い寒色を無意識に選ぶ。淡い、甘めの色を着たいと思わないのだ。
かわりに、帯は毎日替え、さっぱりとした明るめで。
帯締めだけに、ささやかに春の色を添えて。
帯を締め終わると、不思議にもどことなく平静な気持ちになっている。
草履は珍しく小松屋の小判型だ。
太鼻緒のどっしりとした重さと、足裏を完全にあずけられる安定感が心強い。
大好きないつもの細身では、今はどうにも心もとなさすぎる。

そうやって出かけて行き、帰って帯を解くと、「素」の自分に戻れるようで戻れないような。
でも、やはりどこか弛緩してしまうのだ。しばし、放心…。

私は、きものに支えられているのだな、とひときわ感じる今日この頃である。
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