ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 水の声を聞く (2014)

2014年09月09日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
信仰はともかく、何か「すがるもの」がなければ安定できない者たちを前に、「すがられる側」もまた、その根拠となる「すがるもの」を模索する。悟った気がした島のルーツは荷が重く、頭でっかちの巫女になろうとした凡人は儀式(イベント)というカタチにすがる。

当初の、四畳半教団の気ままな託宣者ミンジョン(玄里)の清廉さは、無邪気なアイドルと同種の輝きを放っていた。ところが、自らの存在意義を自覚して巫女を目指したミンジョンは、入念にカタチ(儀式)を準備して「さあ!弱者のために祈りましょう!」と上から目線で言い放つ。その変異に気づこうともせず、まして信仰の意味など問うことなく、ひたすら従う思考停止の依存者たち。

すがる者の無節操。すがられる側の勘違い。悪気なき罪人たちのお話なのだ。

(9月6日/オーディトリウム渋谷)

★★★★
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